松尾 一輝(まつお かずき、1992年 〈平成4年〉- )… 松尾 一輝(まつお かずき、1992年 〈平成4年〉- )は、日本の物理学者、経営者。専門はプラズマ科学。大阪大学博士(理学)。博士課程指導教員は藤岡慎介。株式会社Ex-Fusion共同創業者兼CEO。 1992年、岐阜県岐阜市生まれ。 大阪大学在学時には、指導教員である藤岡慎介の下で、高速点火方式核融合の研究に注力し、従来のレーザー核融合方式よりも効率的な核融合プラズマ加熱を実証。 2020年、大阪大学大学院博士後期課程理学研究科物理学専攻を修了し、博士(理学、大阪大学)を取得。 2021年7月、株式会社EX-Fusionを設立。第3回大阪テックプラングランプリ「最優秀賞」「ヤンマー賞」ダブル受賞。
樋田 かおり(といだ かおり、1985年6月27日 - )は… 樋田 かおり(といだ かおり、1985年6月27日 - )は、日本のフリーアナウンサー、実業家。株式会社トークナビ代表取締役。防災士。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜商業高等学校、金城学院大学現代文化学部情報文化学科(現在の国際情報学部国際情報学科)を卒業した。青森放送を経てフリーアナウンサーとなり、中京テレビに入局する。その後、会社を設立し講演活動をしながら、TBSニュースバードに出演した。身長は161cm。血液型はA型。 岐阜商業高校在学時は放送部に所属し、高校野球の試合でウグイス嬢も務めた。その高校生時代にNHK杯全国高校放送コンテスト岐阜県大会に出場し、アナウンス部門で優勝した。金城学院大学在学時にはフリーアナウンサーとして活動しウェザーニューズ『おは天』の中部地区キャスター(現在はフリーアナウンサーで、元北陸放送の福島彩乃と同期)や『熊田曜子の いい旅 ふた旅 ぎふの旅』(Radio 80)のリポーターなどを務めていた。
小縣 新(おがた しん、1980年〈昭和55年〉8月15日 … 小縣 新(おがた しん、1980年〈昭和55年〉8月15日 - )は、日本の元プロボクサー、実業家、エグゼクティブコーチ。岐阜県岐阜市出身。 最高位は元プロボクシング日本スーパーフライ級1位、OPBF東洋太平洋1位、WBC世界10位。現在はボクシングで培った経験と「心理学」「自己啓発」「帝王学」を融合させたメンタルコーチや講師として活動している。 元プロボクサー。ボクシング現役時代には日本スーパーフライ級1位、東洋太平洋同級1位、世界10位にランクされた。 天性のスピードとタイミングを武器に、打たせずに打つボクシングでアマチュア時代にはバンタム級で全国高校総体(インターハイ)優勝を果たし、全国選抜大会でも2年連続準優勝を記録。
藤澤 信義(ふじさわ のぶよし、1970年1月17日 - )… 藤澤 信義(ふじさわ のぶよし、1970年1月17日 - )は、日本の会社経営者。岐阜県岐阜市出身。
河島 浩二(かわしま こうじ、1963年9月15日 - )は… 河島 浩二(かわしま こうじ、1963年9月15日 - )は、令和期の実業家。イビデン社長。岐阜県岐阜市出身。岐阜県立加納高等学校卒、慶應義塾大学理工学部管理工学科卒。 長年にわたり電子事業に関わっている。社長就任は2024年(令和6年)2月1日に発表され、同年6月13日の株主総会後の取締役会で正式に決定した。
伊藤 浩一(いとう こういち、1963年7月31日 - )は… 伊藤 浩一(いとう こういち、1963年7月31日 - )は、日本の実業家。豊田自動織機代表取締役社長。 岐阜県岐阜市出身。1986年早稲田大学政治経済学部卒業。丸紅を経て、転職で、1998年に豊田自動織機製作所入社。2010年豊田自動織機繊維機械事業部営業部長。2012年豊田自動織機執行役員。2016年豊田自動織機常務役員。2019年豊田自動織機経営役員。2023年豊田自動織機代表取締役社長。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
福留 朗裕(ふくとめ あきひろ、1963年(昭和38年)1月… 福留 朗裕(ふくとめ あきひろ、1963年(昭和38年)1月1日 - )は、日本の銀行家、実業家。三井住友銀行代表取締役頭取。全国銀行協会会長。トヨタファイナンシャルサービス社長などを歴任。 岐阜市出身。岐阜市立伊奈波中学校、岐阜県立岐阜高等学校を経て、1985年一橋大学経済学部卒業。 大学のアイスホッケー部の後輩には、みずほフィナンシャルグループの木原正裕社長がおり、1年間一緒にプレーをした。 池間誠ゼミの1年先輩に誘われ、卒業後、三井銀行(現・三井住友銀行)に入行。 名古屋営業本部トヨタ担当や、国際金融を長く担当。 2015年には、常務執行役員名古屋法人営業本部長となり、名古屋銀行協会副会長を務めた。
森田 敬和(もりた たかかず、1960年6月29日 - )は… 森田 敬和(もりた たかかず、1960年6月29日 - )は日本の実業家。血液型B型。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立加納高等学校を経て拓殖大学を卒業後、企画会社社長となる。 幼少時に祖父と共にテレビで「クイズタイムショック」を見たことでクイズにのめり込み始める。当時はクイズ好きというわけではなかったが、問題に答えている様子を見た祖父から出場を勧められ、軽い気持ちで応募したという。以後クイズ番組出場が病みつきとなり、数年にわたり出場しては優勝を果たすこととなる。 1986年に出場したクイズ番組「第10回アメリカ横断ウルトラクイズ」では、南米で高熱に浮かされながらも乗り越え、優勝を果たす。 優勝時にはクイズ番組からの引退を宣言したものの、ファンからの声援が多く寄せられたため撤回するに至る。
青木 武志(あおき たけし、1958年2月4日 - )は、平… 青木 武志(あおき たけし、1958年2月4日 - )は、平成から令和期の実業家。前イビデン社長、中部経済連合会副会長。岐阜県岐阜市出身。関西大学工学部化学工学科卒。 長年にわたりセラミックス事業に関わっている。イビデンの社長は建材事業、電子部品事業出身者が多く、セラミックス事業出身者は珍しいといえる[要出典]。社長就任の発表は6月の株主総会等で発表することが多いのだが[要出典]、2月28日に就任の発表が行われた(就任は6月)。
樋口 和喜(ひぐち かずよし、1954年 ‐ )は、日本の実… 樋口 和喜(ひぐち かずよし、1954年 ‐ )は、日本の実業家、外交官。メキシコ住友商事社長などを経て、駐エルサルバドル特命全権大使を務めた。 1954年、岐阜県岐阜市出身。早稲田大学商学部を卒業後、1979年に住友商事に入社した。入社後は、自動車製造事業部で中南米、北米他各地で自動車製造設備・部品ビジネス、製造投資に従事。1998年、メキシコ住友商事モンテレイ支店長。2004年、住友商事自動車製造事業部部長。2009年、メキシコ住友商事社長就任。2014年、自動車製造事業部参事、株式会社キリウ副社長兼メキシコキリウ社長。2017年6月、住友商事退職。メキシコ駐在通算4回17年。2017年6月から2020年11月まで外務省特別職としてエルサルバドル共和国駐箚特命全権大使を務めた。
奥田 喜久男(おくだ きくお、1949年1月2日 - 202… 奥田 喜久男(おくだ きくお、1949年1月2日 - 2024年7月18日)は、日本の経営者、週刊BCN主幹。岐阜県岐阜市出身。 1971年、皇學館大学文学部を卒業し、電波新聞社に入社して編集記者を務める。 1981年8月18日 、株式会社コンピュータ・ニュース社(現在の株式会社BCN)を設立。IT業界紙「ビジネス・コンピュータ・ニュース(現在の週刊BCN)」の創刊編集長となる。次世代のエンジニアを育てることを目的とする特定非営利活動法人 ITジュニア育成交流協会の理事長も務める。趣味は登山。 「奥田喜久男の千人回峰」(週刊BCNで連載)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡本 太一(おかもと たいち、1941年(昭和16年)1月2… 岡本 太一(おかもと たいち、1941年(昭和16年)1月24日 - 2009年(平成21年)6月16日)は、日本の実業家。岐阜県岐阜市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。 三井物産を経て、1972年に家業の鍋屋工業(現鍋屋バイテック)へ入社。1980年に同会社の代表取締役社長に就任し2007年から取締役会長。 「職人のプライドを取り戻す」「社員が自ら考えて働ける楽しい現場」を目標に、「多品種微量生産」「当日出荷の即納体制」「自前の機械づくりによる安価な製造原価の実現」を徹底し、更に国際化を推進することによって差別化を図り、一介の鋳造業者であった鍋屋バイテックを超優良企業に変身させた。 また、三井物産勤務時に訪れた米デュポン・GEの工場にヒントを得、本社工場を「工園(工場公園)」と命名し、美しい緑と芝生に囲まれ、美術館・コンサートホールといった文化施設と、プール・フィットネスセンター・ジャグジー・カフェバー等のレクレーション施設を備えた、大学のキャンパスのような工場をつくりあげ、更に、社員が生き生きと働けるように、様々な「楽しく働ける仕掛け」を実現した。
熊田 克隆(くまだ よしたか、1939年3月19日 - )は… 熊田 克隆(くまだ よしたか、1939年3月19日 - )は、日本の実業家。JTCメディアグループの現代表取締役、名古屋アナウンサーアカデミーの現理事長、元ラジオ岐阜のアナウンサー、元中京テレビ放送のアナウンサー。岐阜県岐阜市出身。法政大学卒業。 大学卒業後、ラジオ岐阜に入社。その後、1969年に中京テレビが開局するのに合わせて移籍し、同局第1期のアナウンサーとして入社(同期に山崎正)。中京テレビでは主に報道とスポーツ関連の番組を担当し、ワイドニュース『6時のNEWS』の初代キャスターを務めた。また、第2回NNSアナウンス大賞で大賞を受賞。これは地方局のアナウンサーとしては初の受賞例である。その後、報道部へ異動。
筑間 啓亘(ちくま ひろのぶ、1934年11月5日- )は… 筑間 啓亘(ちくま ひろのぶ、1934年11月5日- )は、日本の経営者である。プロ野球球団近鉄バファローズ球団社長を務めた。 岐阜県岐阜市出身。1952年に東京大学法学部私法学科を卒業し、同年に近畿日本鉄道に入社した。1993年6月に取締役に就任し、1997年6月には常務に就任した。1998年6月から2003年6月までに常任監査役を務め、2004年6月までに監査役を務めた。 その一方で、1995年6月から1998年6月までに近鉄バファローズ球団社長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
国枝 利通(くにえだ としみち、1920年6月23日 - 2… 国枝 利通(くにえだ としみち、1920年6月23日 - 2011年3月8日)は、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(内野手)、野球解説者、実業家。
土方 武(ひじかた たけし、1915年(大正4年)3月18日… 土方 武(ひじかた たけし、1915年(大正4年)3月18日 - 2008年(平成20年)10月15日)は日本の実業家、元住友化学工業社長・会長。元日本たばこ産業会長。元経済団体連合会副会長。岐阜県岐阜市出身。
柳原 三郎(やなぎはら さぶろう、1914年(大正3年)7月… 柳原 三郎(やなぎはら さぶろう、1914年(大正3年)7月3日 - 1990年(平成2年)1月25日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 岐阜県岐阜市出身。1932年(昭和7年)岐阜県立岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)を卒業。その後、日本大学を卒業した。 岐阜県会議員に選出され、司法保護委員も務めた。柳原工業工場長、同取締役副社長、岐阜商工会議所議員、岐阜県体育協会長などを歴任。岐阜青年連盟主幹に就任し『暁鐘』を主宰した。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で岐阜県第1区に民主党公認で出馬して初当選。その後、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
篠田 治男(しのだ はるお、1914年3月26日 - 201… 篠田 治男(しのだ はるお、1914年3月26日 - 2011年7月28日)は、日本の経営者。岐阜県岐阜市出身。 1936年に秋田鉱山専門学校燃料学科を卒業し、同年に日本揮発油(のちの日揮)に入社。1958年に取締役に就任し、1966年に常務、1972年に専務を経て、1978年に副社長に就任し、1980年には社長に昇格。1984年に取締役最高顧問に就任。 2011年7月28日心不全のために死去。97歳没。
篠田 義雄(しのだ よしお、1911年9月10日 - 198… 篠田 義雄(しのだ よしお、1911年9月10日 - 1988年4月2日)は、日本の経営者。大阪商船三井船舶(現在の商船三井)社長、会長を務めた。岐阜県岐阜市出身。 1935年に東京商科大学を卒業し、同年に大阪商船(のちの大阪商船三井船舶)に入社。1964年4月に取締役に就任し、1967年5月に常務、1970年5月に専務を経て、1972年5月に副社長に就任し、1973年5月には社長に昇格。1976年6月に会長に就任し、1980年6月には相談役に就任。 1976年11月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲二等旭日重光章を受章。 1988年4月2日心不全のために死去。76歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
坂口 拙三(さかぐち せつぞう、1874年(明治7年)3月3… 坂口 拙三(さかぐち せつぞう、1874年(明治7年)3月3日 - 1946年(昭和21年)11月24日)は、明治から昭和前期の農業経営者・地主・実業家・政治家。衆議院議員、岐阜県会議長。 岐阜県方県郡、のちの稲葉郡木田村(現岐阜市)で、豪農・坂口太八郎の長男として生まれる。1888年(明治21年)岐阜高等小学校を卒業し、1889年(明治22年)上京して、慶應義塾正課を卒業し、さらに東京法学院(のち英吉利法律学校、現中央大学)で学んだ。 帰郷して家業の畜産業を継承。北海道、朝鮮で開墾事業を行い、揖斐川電力(現イビデン)取締役、岐阜製氷取締役、京城工業社長、日本鉄煉瓦取締役などを務め、岐阜市でS電機商会を、中華民国山東省青島で雑貨店を経営した。
河崎 助太郎(かわさき すけたろう、1873年(明治6年)1… 河崎 助太郎(かわさき すけたろう、1873年(明治6年)1月13日 - 1943年(昭和18年)2月21日)は、明治から昭和前期の実業家・政治家。衆議院議員。 岐阜県厚見郡富茂登村(岐阜市富茂登釜屋町を経て現:岐阜市大仏町)で、御寿司元(鮎寿司)・河崎喜久夫の長男として生まれ、1904年(明治37年)11月に家督を相続した。1889年(明治22年)神戸私立英学校を卒業した。 大阪に出て、毛織物類、羊毛、毛糸類の貿易及羊毛紡績業に従事。また、大阪地方裁判所商事調停委員、大阪織物同業組合長、日本輸出綿織物連合会大阪支部長、岐阜商工会議所会頭、大阪商業会議所議員、京都土地建物社長、日宝石油社長、日本毛糸紡績取締役社長、朝日毛糸紡績取締役社長、東洋毛織工業取締役社長、東洋毛糸紡績取締役社長、共同毛織取締役社長、日本整毛工業取締役社長、新興人絹取締役社長、河崎商事取締役社長、東華紡績取締役、島津製作所監査役などを務めた。
松波 焸太郎(まつなみ えいたろう、1870年(明治3年)6… 松波 焸太郎(まつなみ えいたろう、1870年(明治3年)6月2日 - 1928年(昭和3年)9月26日)は、20世紀初めに大日本帝国で活動した医師、実業家である。ドクトル及び医学博士の学位を持ち、病院を経営した。
各務 鎌吉(かがみ けんきち、1869年2月3日(明治元年1… 各務 鎌吉(かがみ けんきち、1869年2月3日(明治元年12月22日) - 1939年(昭和14年)5月27日)は、明治から昭和にかけての日本の実業家。三菱財閥系の東京海上火災保険などの社長・会長をはじめ、三菱財閥の要職を務めて三井財閥の池田成彬とともに内外より重んじられ貴族院議員を務めた。その業績は、「損害保険業界の父」といわれ、国際的にも世界保険殿堂に日本人として初めて選出。大正8年(1919年)ICC(国際商業会議所)の設立メンバー(アトランティック通商会議日本国代表)。 美濃国方県郡安食村(現在の岐阜県岐阜市)の農家の次男として生まれた。父省三は西南戦争勃発の1877年に駅逓寮(のちの郵便局)の下級官吏として勤務した関係で上京したが、鎌吉が中学生のころに辞めて京橋で葉茶屋を始めた。
原 富太郎(はら とみたろう、慶応4年8月23日(1868年… 原 富太郎(はら とみたろう、慶応4年8月23日(1868年10月8日) - 昭和14年(1939年)8月16日)は、日本の実業家、美術品収集家、茶人。号は三溪。美濃国厚見郡佐波村(現・岐阜県岐阜市柳津町佐波)出身。 青木久衛の長男として生まれる。小学校卒業後、儒学者の野村藤陰や草場船山に学ぶ。その後上京し、東京専門学校(現・早稲田大学)で政治学・経済学を学び、跡見女学校の教師を務める。1892年、横浜の豪商・原善三郎の孫であり、跡見女学校での教え子であった原屋寿(はら やす)と結婚して原家に入り、家業を発展させた。神奈川県久良岐郡六浦荘村を本拠地とし、絹の貿易により富を築いた。 また富岡製糸場を中心とした製糸工場を各地に持ち、製糸家としても知られていた。
郷 誠之助(ごう せいのすけ、1865年2月3日(元治2年1… 郷 誠之助(ごう せいのすけ、1865年2月3日(元治2年1月8日) - 1942年(昭和17年)1月19日)は、日本の実業家。日本商工会議所会頭・日本経済聯盟会会長・東京電燈会長・東京株式取引所理事長などを歴任。貴族院男爵議員。 元治2年(1865年)1月8日、大蔵官僚郷純造の次男として美濃国黒野村(現:岐阜県岐阜市)で出生。義兄に郷温がいる。 平河小学校(現・千代田区立麹町小学校)卒業後、官立東京英語学校(のち一高)、さらに尺振八が塾長であった浜町河岸の共立学舎に通い、明治10年(1877年)から12年(79年)まで県立仙台中学(1886年廃止)にて学ぶ。帰京した明治13年(1880年)には中島行孝の塾通いと共に家庭教師が就き英語・漢学を学ぶ。
山田 才吉(やまだ さいきち、嘉永5年8月19日(1852年… 山田 才吉(やまだ さいきち、嘉永5年8月19日(1852年10月2日) - 1937年(昭和12年)1月31日)は、美濃国出身の実業家・政治家(愛知県会議員)。 嘉永5年(1852年)8月19日、美濃国厚見郡富茂登村(現在の岐阜県岐阜市大仏町)で料理屋を営業していた山田辰次郎の長男として生まれる。板前などを経て名古屋の熱田神戸町・大須門前町に店を構え、1881年(明治14年)には末広町3丁目(現在の栄)の若宮八幡社西隣に漬物屋「きた福(喜多福)」を開店。この頃に守口漬(守口大根味醂粕漬)を考案したとされ、これが評判を呼んだ。なお、才吉が創業したきた福は同店から暖簾分けした「松喜屋」に屋号など含めて生前に売却され、「喜多福総本家」として現在も守口漬の製造販売を続けている。