松澤 初穂(まつざわ はつほ、1914年1月8日 - 201… 松澤 初穂(まつざわ はつほ、1914年1月8日 - 2011年1月1日)は、京都府出身の元女子水泳選手。1932年に開催されたロサンゼルスオリンピックに競泳女子代表として出場した。 舞鶴市に生まれる。父は大日本帝国海軍の軍人であり、一時横須賀市に移ったが、関東大震災のため舞鶴に戻った。水泳に取り組むきっかけは、高等女学校3年のときに訪れた。父の退役に伴い転校した市岡高等女学校(現在の大阪府立港高等学校)には、プールと水泳部があり、当時の水泳部顧問にクロール泳法を習ってめざましい進歩を見せた。翌年、大阪府立女子校の水泳大会に出場して50メートル自由形で日本記録に並ぶ好記録を出し、さらに次の年には50メートル自由形及び100メートル自由形で日本新記録を出していた。
水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 20… 水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 2014年7月28日)は、京都府舞鶴市出身の実業家、民法学者。日本興業銀行勤務を経て、そごうの会長、社長を務めた。東洋大学名誉教授、法学博士。担保法の権威としても知られた。
藤本 武(ふじもと たけし、1912年2月28日 - 200… 藤本 武(ふじもと たけし、1912年2月28日 - 2002年6月9日)は、日本の経済学者。経済学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「最低賃金制度の研究」)。元日本女子大学文学部教授。 京都府舞鶴市生まれ。1935年東京帝国大学経済学部卒、1962年「最低賃金制度の研究」で、東京大学より経済学博士の学位を取得。 全国米穀販売購買組合連合会、日本労働科学研究所、日本女子大学文学部教授、労働科学研究所客員所員。1972年社会政策学会代表幹事。
田畑 茂二郎(たばた しげじろう、1911年3月22日 - … 田畑 茂二郎(たばた しげじろう、1911年3月22日 - 2001年3月8日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1961年)。日本学士院会員。京都府舞鶴市出身。
大塚 喜一郎(おおつか きいちろう、1910年(明治43年)… 大塚 喜一郎(おおつか きいちろう、1910年(明治43年)2月5日 - 1988年(昭和63年)8月26日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事、学校法人中央大学理事長。京都府舞鶴市出身。 三高に入ったが、寮に門限をつけることに反対して、ストライキ実行委員長をしてストライキに入り、警察に拘束されて放校処分となり、1934年(昭和9年)に中央大学法科を卒業。1935年(昭和10年)9月に高等文官試験司法科に合格し、同年12月に弁護士登録。 堀江専一郎法律事務所に勤務後、1939年(昭和14年)に大塚法律事務所を開設する。1959年(昭和34年)4月に日弁連事務総長、1961年(昭和36年)3月に法学博士、司法研修所教官、1970年(昭和45年)4月に第一東京弁護士会会長に就任。
森 三樹三郎(もり みきさぶろう、1909年8月14日 - … 森 三樹三郎(もり みきさぶろう、1909年8月14日 - 1986年8月29日)は、日本の中国思想研究者。文学博士(大阪大学・論文博士・1962年)。大阪大学名誉教授、佛教大学文学部教授。専門は仏教と老荘思想との関連を軸とした中国哲学史。 京都府舞鶴市生まれ。旧制・大阪府立高津中学校卒、1935年京都帝国大学文学部哲学科支那哲学史専攻を卒業。京都帝国大学副手、東方文化研究所(現京都大学人文科学研究所)を経て、1942年大阪高等学校教授に任命。1950年大阪大学文学部助教授、1962年「上古より漢代に至る性命観の展開」で大阪大学より文学博士の学位を取得。1966年教授、1973年定年退官、名誉教授。
辻野 久憲(つじの ひさのり、1909年5月28日 - 19… 辻野 久憲(つじの ひさのり、1909年5月28日 - 1937年9月9日)は、日本の翻訳家、文芸評論家、随筆家、編集者。 第二次『四季』同人。その他、『詩と詩論』『コギト』『創造』などの雑誌に小論や随筆を寄稿した。 京都府舞鶴市生まれ。舞鶴憲兵分隊内の官舎で誕生。1916年、台湾の台中尋常高等小学校尋常科入学。基隆小学校、神戸小学校、伊丹小学校、伊丹中学校を経て、1929年、第三高等学校文科丙類を卒業。1932年、東京帝国大学仏蘭西文学科卒業。同年、書肆第一書房に就職。 『詩・現実』に参加し、1930年から1931年に伊藤整・永松定とジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を翻訳するかたわら、第一書房『セルパン』編集長。
瀬野 修(せの おさむ、1908年 - 1995年)は、日本… 瀬野 修(せの おさむ、1908年 - 1995年)は、日本の教師、兵士、歌人、作家。択捉島に出征後、敗戦後シベリアにて抑留中に和歌集『白樺日誌』を書き、日本に持ち帰ったことで知られる。基本的に名前は「修」表記であるが、国立情報学研究所では「脩」表記である。 1908年、京都府舞鶴市に生まれる。その後、旧制舞鶴中学校(現・京都府立西舞鶴高等学校)の教師として働いたのち、太平洋戦争において択捉島に兵士として出征後、終戦を迎え抑留される。ソ連コムソモリスク近郊の収容所を転々としながらシラカバの木の皮を使い、ガラスをとがらせペンに、煙突のすすをインク代わりにし全200-300首の和歌を書いた。 1947年に引き揚げされた時に白樺日誌を持ち帰り、1988年に舞鶴引揚記念館に『白樺日誌』を寄贈した。
柳田 秀一(やなぎた ひでかず、1905年5月10日 - 1… 柳田 秀一(やなぎた ひでかず、1905年5月10日 - 1978年4月4日)は、日本の医師、政治家。位階は従三位。日本社会党衆議院議員(8期)、舞鶴市長。 京都府舞鶴市出身。京都一中・旧制六高を経て岡山医科大学を卒業し、京都帝国大学大学院医学部で学ぶ。その後医師を開業。1947年に舞鶴市長に当選し1950年まで務める。 1952年の総選挙に左派社会党公認で京都2区から立候補し、初当選。1955年に再統一した日本社会党にも引き続き所属し、この間1966年1月に佐々木更三・勝間田清一両委員長の下で、国会対策委員長を務める。また日本体育協会でも理事を務め、東京オリンピックでも組織委員となった。 1972年の総選挙で地盤を京都府副知事だった山田芳治に譲り引退する。
佐谷 靖(さたに やすし、1905年(明治38年)2月2日 … 佐谷 靖(さたに やすし、1905年(明治38年)2月2日 - 1978年(昭和53年)8月29日)は、日本の医師。京都府舞鶴市長(6期)。 京都府舞鶴市出身。旧制京都府立第三中学校(現・京都府立福知山高等学校)を経て、1928年(昭和3年)京都府立医科大学卒。1930年(昭和5年)舞鶴で佐谷医院を開業。小学校の校医や舞鶴医師会評議員、京都府医師会代議員などを歴任する。1942年(昭和17年)舞鶴市会議員に当選。1945年(昭和20年)には軍医として召集された。 戦後すぐ、日本社会党舞鶴支部を結成し、支部長に就任する。京都府議会議員となり、舞鶴市の東西分離問題が起きたとき、府議会議員として分離反対運動をして、撤回させた。
嵯峨根 達雄(さがね たつお、1900年(明治33年)4月3… 嵯峨根 達雄(さがね たつお、1900年(明治33年)4月3日 - 1997年4月)は日本の政治家。京都府舞鶴市長(1期)。 京都府舞鶴市出身。1914年(大正3年)高野小学校卒。1918年(大正7年)加佐郡役所に入り、その後愛宕郡役所に転じる。1924年(大正13年)文官普通試験に合格。1926年(大正15年)京都府属となり、地方課に勤務する。1929年(昭和4年)内務属として内務省土木局港湾課に勤務。内務省に勤務しながら法政大学専門部法律科に通い、1934年(昭和9年)卒業。1936年(昭和11年)内務土木事務官、1943年(昭和18年)運輸通信省港湾局に転任する。 1946年(昭和21年)神戸市役所に入り、理事兼港湾部長となる。
川北 正太郎(かわきた しょうたろう、1884年〈明治17年… 川北 正太郎(かわきた しょうたろう、1884年〈明治17年〉9月8日 - 1953年〈昭和28年〉7月19日)は、大正から昭和時代前期の政治家。京都府舞鶴市長、加佐郡中筋村長。 水鳥作蔵の二男として京都府舞鶴市に生まれる。京都師範学校を卒業し教職に就く。加佐郡中筋村助役を経て、1919年(大正8年)4月、同村長に就任。ついで加佐郡町村長会長、京都府会議員、郡農会長などを経て、1932年(昭和7年)10月、舞鶴町長となる。周辺町村との合併を推し進め、1938年(昭和13年)8月、市制施行とともに市長臨時代表者を務め、同年9月10日、舞鶴市長に就任した。東舞鶴市と合併して新たに舞鶴市が成立した後も市長を務めた。
岩田 信(いわた しん、1864年12月11日(元治元年11… 岩田 信(いわた しん、1864年12月11日(元治元年11月13日)- 1910年(明治43年)9月4日)は、明治期の弁護士、政治家。衆議院議員。幼名・信二郎。号・吉甫。 丹波国加佐郡大俣村(京都府加佐郡岡田上村字大俣、加佐町を経て現舞鶴市大俣)で、郷士、大庄屋、農業・岩田伊左衛門、千重の二男として生まれる。草場船山に師事し漢学を修めた。1879年(明治12年)ころに上京し、称好塾に入り杉浦重剛の薫陶を受けた。代言人(弁護士)を目指し1884年(明治17年)大学予備門を卒業。司法省法学校に進み1887年(明治20年)10月に卒業して代言人資格が与えられた。 1889年(明治22年)京都市で法律事務所を開設し、民事専門の弁護士として活躍した。
有本 国蔵(ありもと くにぞう、有本 國蔵とも。1860年 … 有本 国蔵(ありもと くにぞう、有本 國蔵とも。1860年 - 1944年1月10日)は、丹後国加佐郡舞鶴(現・京都府舞鶴市)出身の実業家・篤志家・政治家。1908年(明治41年)から1912年(大正元年)まで衆議院議員を1期務めた。1927年(昭和2年)に紺綬褒章を受章し、1929年(昭和4年)に緑綬褒章を受章。 生家は丹後国加佐郡舞鶴(現・京都府舞鶴市)にあった平野屋。1860年(万延元年)に四男として生まれた。父親は嘉助、母親は京子。12歳だった1871年(明治4年)には丹後田辺藩の元藩主である牧野弼成が経営する審致舎に丁稚奉公したが、審致舎が解散すると1877年(明治10年)に大阪に出て、長兄の賀三が経営する洋酒店兼洋服店に勤めた。
石黒 涵一郎(いしぐろ かんいちろう、嘉永7年1月3日(18… 石黒 涵一郎(いしぐろ かんいちろう、嘉永7年1月3日(1854年1月31日) - 大正6年(1917年)10月2日)は、日本の衆議院議員(憲政党→立憲政友会)、弁護士、教育者。 丹後国加佐郡舞鶴出身。丹後田辺藩士の家に生まれ、藩校明倫館に学んだ後、大阪兵学寮に入った。その後、法律を学び、1876年(明治9年)に代言規則が発布されると、免許を得て代言人となった。豊岡、大阪で開業した後、1879年(明治12年)に岡山に移住した。 1882年(明治15年)に山陽自由党を結成して自由民権を唱え、1885年(明治18年)には大阪事件の被告の弁護にあたった。その後、大同団結運動がおきると積極的に参加して、岡山に大同倶楽部を組織した。
13代 上野 弥一郎(彌一郎、うえの やいちろう、1850年… 13代 上野 弥一郎(彌一郎、うえの やいちろう、1850年9月10日(嘉永3年8月5日)- 1929年(昭和4年)6月4日)は、明治から大正期の農業経営者・政治家・実業家。衆議院議員、京都府会議長。幼名・弥寿次郎、諱・宗愛。号・舟陵、玉裁、青藍。 丹後国加佐郡西方寺村(京都府加佐郡岡田中村字西方寺、加佐町を経て現舞鶴市西方寺)で、代々当主が弥一郎を襲名し大庄屋を務めた上野家の12代上野弥一郎(隠居名・一良)、増子の二男として生まれる。兄が夭折し慶応4年1月(1868年)家督を相続し13代弥一郎を襲名。梅垣秀和の塾で学び、さらに親族・岸本玄甫宅に住み込み漢籍・習字・算術を修め、その他、山口道一などに師事して漢籍を学んだ。
堀内 利国(ほりうち としくに、1844年8月19日(天保1… 堀内 利国(ほりうち としくに、1844年8月19日(天保15年7月6日) - 1895年(明治28年)6月18日)は日本陸軍の軍医。明治前半に熊本や大阪鎮台病院長などを務めた。当時の日本は脚気の流行が問題になっていたが、堀内利国は大阪鎮台において兵食を白米から麦飯に変えることで兵士の脚気をほとんどゼロになるまで減らし、脚気が麦飯で予防できることを日本で初めて実験的に証明した。 明治3年(1870年)に日本で初めての陸軍病院が大阪に設置され、堀内利国は軍事病院医官となった。堀内は軍事病院の外人教師・オランダ人医師ブッケンから医学を学んだ。日本に徴兵制が敷かれて地方から大阪に集まってくる兵が増えるにつれて、軍隊の中で脚気患者が目に見えて増大するようになった。
伊藤 雋吉(いとう しゅんきち、1840年4月30日〈天保1… 伊藤 雋吉(いとう しゅんきち、1840年4月30日〈天保11年3月28日〉- 1921年〈大正10年〉4月10日)は、日本の海軍軍人、茶人、政治家。海軍中将正二位勲一等功三級男爵。 丹後田辺藩の下士、伊藤勝介の長男。丹後国加佐郡田辺城下(現在の京都府舞鶴市)に生まれる。幼少より学問に優れ、藩命により江戸に遊学して大村益次郎に師事し、兵学や数学を学ぶ。 明治維新の後、兵部省出仕、海軍操練所出仕、海軍兵学寮中教授(以上は文官)を経て、1871年(明治4年)、海軍少佐(武官)に任官すると同時に「春日」艦長。 「日進」副長を経て、1872年(明治5年)に海軍中佐に進級すると同時に「筑波 」艦長。その後、海軍兵学校監学課長、海軍兵学校長代理、海軍兵学校次長、「金剛」艦長を歴任し、1878年(明治11年)に海軍大佐に進級。
小原 舞 は、日本の政治家、元海上自衛官。京都府議会議員(3… 小原 舞 は、日本の政治家、元海上自衛官。京都府議会議員(3期)。元衆議院議員(1期)。
井上 愛里沙 は、日本の元女子バレーボール選手。
小酒 翔子 は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。
井上 奈奈(いのうえ なな)は、京都府舞鶴市出身の日本の現代… 井上 奈奈(いのうえ なな)は、京都府舞鶴市出身の日本の現代アーティスト・作家。 高校在学中に交換留学生として単身渡米。武蔵野美術大学卒業。アメリカワシントン高校(ノースキャロライナ)在学中よりアートワークを発表し続ける。上海アートフェア・台湾アートフェアへの招待等、海外での活動も多数。2010年にはニューヨークで個展を開催。近年では、建築家・ミュージシャン・写真家など異分野のアーティストとのコラボレーション企画に参加。2014年より絵本作品やエッセイを発表。雑誌や書籍の装画も多数手がけている。2018年著作の絵本『くままでのおさらい』が「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞。2023年『PIHOTEK 北極を風と歩く』(講談社)で日本絵本賞大賞を受賞。