落合 秀市(おちあい しゅういち、2001年7月10日 - … 落合 秀市(おちあい しゅういち、2001年7月10日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。ハヤテベンチャーズ静岡所属。 和歌山市立紀之川中学校時代は「和歌山ビクトリーズ」に所属。和歌山県立和歌山東高校進学後は2年夏に背番号11でベンチ入りし、同秋から背番号1を背負いエースとなる。3年夏は和歌山大会3回戦で敗退し、甲子園大会への出場はなかったものの、日米のプロ野球スカウトが注目する選手であった。プロ志望届を提出するが、NPBドラフト会議では指名漏れとなった。 一時は野球を辞め、一般企業に就職するとしたが周囲の引き止めなどもあり、関西独立リーグの兵庫ブルーサンダーズにてプレーを継続することとなった。
東妻 純平(あづま じゅんぺい、2001年7月3日 - )は… 東妻 純平(あづま じゅんぺい、2001年7月3日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(捕手、外野手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 兄は千葉ロッテマリーンズ所属の東妻勇輔。 小学校1年の時から野球を始め、紀伊中学校時代は紀州ボーイズに所属。智弁和歌山では遊撃手から捕手に転向。1年夏からベンチ入りし甲子園には5期連続出場。1学年上に林晃汰、同学年に黒川史陽がいる。2年の時に元プロ野球選手で捕手の中谷仁が監督となり、同じ捕手の中谷から捕手に関する指導を受けた。高校通算34本塁打。 2019年10月17日に行われたドラフト会議では、横浜DeNAベイスターズから4位指名を受け、契約金4180万円、年俸615万円で入団した(金額は推定)。
津森 宥紀(つもり ゆうき、1998年1月21日 - )は、… 津森 宥紀(つもり ゆうき、1998年1月21日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 和歌山市立楠見小学校3年から野球を始め、楠見中学時代は硬式野球の和歌山ビクトリーズに所属。2年から投手になり、3年夏には全国大会に出場する。高校は和歌山東高校に進学し、1年秋に上手投げからサイドスローに転向する。2年秋からエースになるものの、高校時代は甲子園出場経験はなかった。 高校卒業後は東北福祉大学に進学し、3年の第67回全日本大学野球選手権大会ではリリーフ投手として同大学の14年ぶりの優勝に貢献し、最優秀選手に輝く。また2年と3年に大学野球日本代表に選出され、ドラフト上位候補に挙がっていたが4年の春にフォームを崩してしまい、第68回全日本大学野球選手権では準々決勝の対佛教大学戦で3点差をリードしている7回に登板するものの、制球難に苦しんだ上にサヨナラスクイズにより敗退した結果、3年連続の大学野球日本代表入りを逃した。
八木 彬(やぎ あきら、1997年5月26日 - )は、和歌… 八木 彬(やぎ あきら、1997年5月26日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 中学時代は、和歌山ボーイズでプレー。 高校時代は、青森県の八戸学院光星高校に進学。同期には呉屋開斗がいた。 大学時代は、東北福祉大学に進学。1年次から登板機会を得たものの、4年次は怪我の影響のためリーグ戦での登板はなかった。 東北福祉大学卒業後は、三菱重工名古屋に入社。1年目から公式戦で登板機会を得る。同年で野球部が統合したため、三菱重工Westに移籍。同い年の森翔平の2枚看板でチームを引っ張った。 2021年10月11日に行われたプロ野球ドラフト会議において、千葉ロッテマリーンズから5位指名を受け、12月7日に契約金4000万円、年俸960万円で入団に合意した(金額は推定)。
東妻 勇輔(あづま ゆうすけ、1996年4月4日 - )は、… 東妻 勇輔(あづま ゆうすけ、1996年4月4日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 弟は横浜DeNAベイスターズ所属の東妻純平。 小学2年生のときに野球を始めた。中学時代は和歌山興紀ボーイズに所属し、投手として活躍。3年次にはNOMOJAPANに選出された。 智辯学園和歌山高等学校では2年秋からエースとなり、3年春には選抜大会に出場したが、初戦は自らの暴投で延長15回サヨナラ負けした。同年夏の和歌山大会の市立和歌山との決勝戦では、リリーフ登板したが延長11回裏に同点を許し、12回にサヨナラ打を浴びて甲子園出場を逃した。智辯和歌山は1987年に初めて和歌山大会決勝に進出して以来、決勝20連勝中だったが、初の決勝敗退となった。
三家 和真(みけ かずま、1993年8月13日 - )は、和… 三家 和真(みけ かずま、1993年8月13日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手・外野手)。右投両打。千葉ロッテマリーンズ所属。
西村 天裕(にしむら たかひろ、1993年5月6日 - )は… 西村 天裕(にしむら たかひろ、1993年5月6日 - )は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手)。北海道日本ハムファイターズに所属。
宮本 武文(みやもと たけふみ、1990年8月11日 - )… 宮本 武文(みやもと たけふみ、1990年8月11日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)。 小学2年の時に大新白鳩少年野球クラブで右翼手として野球を始め、小学5年の時に投手に転向。城東中時代は和歌山シニアに所属。エースとして二度の全国大会出場を果たし、世界大会の代表にも選出される。 倉敷高に進学後は、1年春から公式戦に出場し、1学年先輩の津田大樹が引退した後を受け、2年秋からエースとして活躍。3年春はベスト4、3年夏も岡山県予選準決勝まで進むも、優勝した倉敷商業高に敗れ甲子園出場は果たせなかった。 2008年10月30日に開かれた、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから2位指名を受け、同年11月18日に契約金6000万、年俸600万(金額は推定)で仮契約を結んだ。
木本 幸広(きもと ゆきひろ、1990年7月31日 - )は… 木本 幸広(きもと ゆきひろ、1990年7月31日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 和歌山県和歌山市生まれ。小学校1年から野球を始め、「野崎西若葉クラブ」に所属。2年から投手となったが、当時は練習嫌いで5年時には休部したこともある。中学時代はボーイズリーグの「和歌山黒潮」で主に投手を務めた。 県立日高高校中津分校では2年時から左翼手でレギュラーとなっていたが、2年秋の新チームから投手に転向。3年夏からエースに就き、第90回選手権和歌山大会の2回戦の伊都高校戦でノーヒットノーランを達成し一躍注目の的となった。エースで4番として県和歌山商や和歌山高専、市和歌山商に勝って決勝を迎えたが、智弁和歌山に3-5で惜敗し夏の甲子園初出場はならなかった。
玉置 隆(たまき ゆたか、1986年9月11日 - )は、和… 玉置 隆(たまき ゆたか、1986年9月11日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手)。歌手の玉置成実は従妹に当たる。
田村 領平(たむら りょうへい、1984年5月3日 - )は… 田村 領平(たむら りょうへい、1984年5月3日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手)。
山本 芳彦(やまもと よしひこ、1983年11月6日 - )… 山本 芳彦(やまもと よしひこ、1983年11月6日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。 和歌山工高では投手として活躍し、高校3年時の夏には和歌山予選1回戦で前年度夏の甲子園優勝校の智辯和歌山高校と対戦。投打に活躍を見せ武内晋一が主将を務めていた同校を1回戦敗退に追い込む。2回戦の県立和歌山商高戦では2本塁打を放ち勝利するが、3回戦の日高高戦で0-5で敗退する。 通算21本塁打。またエースで4番でありながら高校通算60盗塁以上を走る俊足と走塁センスをもっていた。 2001年のプロ野球ドラフト会議で、広島東洋カープに打力を見込まれて野手として7巡目指名を受け入団した。 二軍では毎年60試合以上に出場して主力選手として活躍。
中本 和希(なかもと かずき、1981年4月18日 - )は… 中本 和希(なかもと かずき、1981年4月18日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。 和歌山工業高では、2年次から遊撃手のレギュラーとなる。3年時には夏の県大会でベスト4に進んだ。 高校卒業後は、近畿大学工学部に進学し硬式野球部でプレー。1年次から遊撃手のレギュラーになり、大学選手権では初打席で先頭打者本塁打。広島六大学野球で春3回、秋1回の優勝を経験した。また、ベストナインにも3回選ばれている。 2003年、プロ野球ドラフト会議で大阪近鉄バファローズから6巡目指名を受け入団。 2004年オフ、分配ドラフトでオリックス・バファローズに移籍。 入団以降故障が続き、一軍出場はないまま2006年10月5日に戦力外通告を受けた。
髙塚 信幸(たかつか のぶゆき、1979年8月2日[… 髙塚 信幸(たかつか のぶゆき、1979年8月2日[1] - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。
髙塚 信幸(たかつか のぶゆき、1979年8月2日 - )は… 髙塚 信幸(たかつか のぶゆき、1979年8月2日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。 小学校1年生の頃から野球を始め、当初は捕手だった。中学時代は和歌山シニアに所属し、その頃より投手に転向する。 智辯和歌山高では2年からエースとして活躍。1996年春の第68回選抜では合計5試合に登板し、140km/hを超えるストレートと、カーブのみでチームを準優勝に導く。しかし、そのうち2回戦からの4試合は4日4連投(特に3試合目の準々決勝は延長13回完封)という過酷なものだった。決勝戦で打ち込まれ、準優勝に終わった。その直後に開催された第2回AAAアジア野球選手権大会では中国戦に完投、台湾戦にも登板した結果右肩を痛め、同年夏の第78回全国選手権に出場したものの登板はなかった。
中谷 仁(なかたに じん、1979年5月5日 - )は、和歌… 中谷 仁(なかたに じん、1979年5月5日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(捕手)。
吉見 祐治(よしみ ゆうじ、1978年5月21日 - )は、… 吉見 祐治(よしみ ゆうじ、1978年5月21日 - )は、高知県生まれ、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は横浜DeNAベイスターズのスカウト。 和歌山県立星林高等学校では3年夏にエース・濱中治の南部高に準々決勝で敗れる。東北福祉大学に進学。大学の同期には洗平竜也と歌藤達夫がおり、4年時投手としての位置付けは吉見がエース、洗平が二番手、歌藤は三番手以降だった。2年秋には明治神宮大会の決勝で先発を任されるが敗れた。3年秋には宮城教育大戦で5回コールド参考記録ながらノーヒットノーランを達成、7連続奪三振。仙台地区の選抜チームによるキューバ戦でも5回無失点の好投。2000年に春のリーグ戦では毎回の17奪三振を記録した他、5試合登板のすべて先発完封のシーズン無失点で最優秀選手、ベストナインを受賞し第49回全日本大学野球選手権大会で準優勝、日米大学野球、シドニーオリンピック野球日本代表に選出。
井上 紘一(いのうえ こういち、1976年12月16日 - … 井上 紘一(いのうえ こういち、1976年12月16日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(外野手)。1996年から1999年までの登録名は井上 煌千。
林 孝哉(はやし たかや、1973年6月1日 - )は、和歌… 林 孝哉(はやし たかや、1973年6月1日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ、スカウト。
西口 文也(にしぐち ふみや、1972年9月26日 - )は… 西口 文也(にしぐち ふみや、1972年9月26日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。現役時代21年間全て西武に所属したフランチャイズ・プレイヤー。
小久保 裕紀(こくぼ ひろき、1971年10月8日 - )は… 小久保 裕紀(こくぼ ひろき、1971年10月8日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球監督。現在は福岡ソフトバンクホークスの一軍監督を務める。 現役時代は福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークス、読売ジャイアンツに所属し、両球団で主将を務めた。2005年から2009年まで社団法人日本プロ野球選手会の第10代理事長を務めた。バルセロナオリンピック野球の銅メダリスト。 引退後の2013年からはNHKの野球解説者を務める一方、同年より2017年まで、日本代表(侍ジャパン)の監督を務めた。2021年シーズンは福岡ソフトバンクホークスのヘッドコーチ、2022年シーズンからは同二軍監督を務め、2024年シーズンより一軍監督を務める。
川口 朋保(かわぐち ともやす、1971年9月14日 - )… 川口 朋保(かわぐち ともやす、1971年9月14日 - )は、日本の元野球選手(内野手)、野球指導者である。 和歌山県和歌山市出身。和歌山県立桐蔭高等学校では3年夏の県大会準決勝で小久保裕紀がいた星林高を破って決勝へ進むが智弁和歌山高に延長13回サヨナラ負け。明治大学に進学して3年春にベンチ入りを果たすも同期に鳥越裕介らがいてレギュラー獲得には至らず、代打要員での出場が主であった。他の同期に柳沢裕一、1学年上に古沢淳、2学年下に野村克則がいた。1994年に三菱自動車工業に入社し、三菱自動車岡崎でプレーした。同僚に谷佳知、岩下修一がいた。 2000年10月、監督の堀井哲也よりマネジャー就任の打診を受けたことから現役を引退。
松本 尚樹(まつもと なおき、1970年9月11日 - )は… 松本 尚樹(まつもと なおき、1970年9月11日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は千葉ロッテマリーンズ本部長補佐兼編成部長[1]。
川端 一彰(かわばた かずあき、1968年3月12日 - )… 川端 一彰(かわばた かずあき、1968年3月12日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 現在は、横浜DeNAベイスターズのチーム運営部スコアラー。 星林高校から中央大学へ進学。1学年上に笘篠賢治、2学年下に中山雅行がいた。入学時は2部リーグも、1部昇格した2年春からレギュラーとなり、4年春は東都大学リーグ3位となる打率.357を記録するが当時の中大は低迷期にあり、入替戦で敗れると最後の秋季リーグ戦は2部。一部リーグ通算60試合出場、209打数53安打、打率.254、2本塁打、8打点。 1989年のプロ野球ドラフト会議にて横浜大洋ホエールズから5位で指名を受けて入団。
横田 久則(よこた ひさのり、1967年9月8日 - )は、… 横田 久則(よこた ひさのり、1967年9月8日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(投手、右投左打)、監督、コーチ。 松江小学校時代から、投手として父親の指導のもと活躍していた。その頃はチームメートの方が超小学級として騒がれていたが、中学以降からその才能をのばしていった。 那賀高等学校から、1985年度プロ野球ドラフト会議にて西武ライオンズから6巡目指名を受けて入団。 1986年、アメリカ1A・サンノゼ・ビーズに野球留学。 1987年に5勝を挙げたが、その後は肩の故障などで苦しんだ。また故障がちであったため、「ブルペンエース」というニックネームがついた。また同期入団で同い年の清原和博は現役時代の横田について「あいつの苦労に比べたら俺の苦労なんて小さいもの」と語っていた。
正田 耕三(しょうだ こうぞう、1962年1月2日 - )は… 正田 耕三(しょうだ こうぞう、1962年1月2日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者、野球解説者。
山﨑 章弘(やまさき あきひろ、1961年5月2日 - )は… 山﨑 章弘(やまさき あきひろ、1961年5月2日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。
竹中 雅彦(たけなか まさひこ、1954年12月 - 201… 竹中 雅彦(たけなか まさひこ、1954年12月 - 2019年10月16日)は、和歌山県和歌山市出身の日本の高校野球指導者。社会科教諭。 和歌山県の桐蔭高校時代には、軟式野球部に所属。 成城大学に進学後に硬式野球部に入部し、硬式野球に転じる。 大学卒業後は、社会科教員として故郷の和歌山県に帰郷し、1980年には母校の桐蔭高校で軟式野球部の監督として指導に当たる。新宮高校、星林高校ではそれぞれ硬式野球部の部長を務めた。星林高校時代の教え子には、小久保裕紀らがいる。1988年には、和歌山県高等学校野球連盟常任理事に就任。1996年には、当時全国最年少で県高野連理事長に就任。 2003年には、日本高等学校野球連盟常任理事や選抜大会選考委員に就任。
中出 謙二(なかで けんじ、1954年11月3日 - )は、… 中出 謙二(なかで けんじ、1954年11月3日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(捕手)。 和歌山工業高では3年次の1972年、夏の甲子園和歌山県予選準々決勝に進むが、桐蔭高に敗れる。 卒業後は1973年に新日本製鐵堺へ入社し、都市対抗に4年連続で出場したほか、1977年には第3回インターコンチネンタルカップ日本代表に選出される。ヤクルトの片岡宏雄スカウトが大矢明彦に続く捕手を獲得するため、新日鉄堺グラウンドへ中出の視察に赴いたことがあったが、現役時代捕手でもあった片岡は「こんなレベルじゃプロでは通用せえへんな」と、即決で中出の獲得を断念。この時に片岡の目に留まったのが中出の後輩の投手・尾花高夫である。
阪田 隆(さかた たかし、1950年7月9日 - )は、和歌… 阪田 隆(さかた たかし、1950年7月9日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手)
松井 優典(まつい まさのり、1950年6月26日 - )は… 松井 優典(まつい まさのり、1950年6月26日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)・コーチ・監督、解説者。 和歌山市議会議員の松井紀博は甥にあたる。 星林高では3年次の1968年に甲子園春夏連続出場を果たすが、いずれもチームとして初出場であった。春の選抜では三塁手兼控え投手として出場し、1回戦で清水市商に延長12回サヨナラ負けを喫した。この試合でリリーフに立ち、甲子園初登板を果たす。夏の選手権は三番・捕手として3回戦に進出するが、優勝した興国高の丸山朗に完封を喫する。3年間の通算打率は4割という好記録を残し、高校同期に一塁手の東出康博がいた。 1968年のドラフト3位で南海ホークスに入団し、強肩を買われて捕手から三塁手に転向。
野上 俊夫(のがみ としお、1949年8月3日 - )は、和… 野上 俊夫(のがみ としお、1949年8月3日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、のち一塁手。
藤田 平(ふじた たいら、1947年10月19日 - )は、… 藤田 平(ふじた たいら、1947年10月19日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
柴田 猛(しばた たけし、1944年8月11日 - )は、和… 柴田 猛(しばた たけし、1944年8月11日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)・コーチ・監督。
河野 旭輝(こうの あきてる、1935年1月1日 - 201… 河野 旭輝(こうの あきてる、1935年1月1日 - 2014年1月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督。 1956年に年間85盗塁を記録し、当時の日本記録を樹立。同年の最多盗塁死29はその後破られていない。セ・パ両リーグで盗塁王を獲得した唯一の人物である。 大阪府で生まれるも、戦争中に疎開で和歌山県へ引っ越した。 和歌山工業から野球部ができたばかりの松下電器に入社。主に一塁手、遊撃手としてプレーし更に投手としてマウンドに立つこともあった。1953年の都市対抗にチームとしての初出場を果たす。 1954年に阪急ブレーブスへ入団し、1年目の同年は開幕から二塁手に抜擢され定位置を獲得。
川崎 孝(かわさき たかし、1935年 - )は、和歌山県和… 川崎 孝(かわさき たかし、1935年 - )は、和歌山県和歌山市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは外野手。 県立和歌山商業高校では主将を務めた。卒業後には関西学院大学に入学し、そこでも主将を務め、関西大学の村山実や立教大学の長嶋茂雄と対戦したことがあった。 大学卒業後は1958年に三菱重工業に入社する。1969年から三菱重工神戸の監督を務め、翌年の都市対抗野球では、チームを準優勝に導いた。 一旦、社業に戻った後に、1982年から1984年までに再び監督を務めた。 その後は、日本野球連盟の常任理事、センバツ高校野球の選考委員、兵庫県野球連盟会長等を歴任した。 またその一方で、日本放送協会で高校野球解説者を務めた。
坂本 文次郎(さかもと ぶんじろう、1926年3月15日 -… 坂本 文次郎(さかもと ぶんじろう、1926年3月15日 - 1994年11月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手)。 旧制海草中学卒業後は、社会人野球の日本発送電と海南日東紡を経て、1951年に大映スターズへ入団。同年は主に三塁手として起用され、規定打席(31位、打率.242)にも到達した。1953年には全試合出場を果たし、打率.280(15位)を記録。1954年には三塁手シーズン最多補殺をマークした。これは今でも日本記録である。1955年は自己最高の打率.295(12位)を残す。1958年までレギュラーを守るが、同年のシーズン終盤から葛城隆雄が台頭し定位置を譲る。しかし1960年には二塁手、遊撃手として復活、96試合に先発し初のリーグ優勝に貢献した。
真田 重蔵(さなだ じゅうぞう、1923年5月27日 - 1… 真田 重蔵(さなだ じゅうぞう、1923年5月27日 - 1994年5月30日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手、内野手)・コーチ、解説者・評論家。
西本 幸雄(にしもと ゆきお、1920年4月25日 - 20… 西本 幸雄(にしもと ゆきお、1920年4月25日 - 2011年11月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手)、コーチ・監督、解説者・評論家。 選手としては、社会人野球の星野組時代に選手兼任監督として都市対抗野球大会で優勝し、その戦力を見込まれて他のメンバーとともに入団した毎日オリオンズでは最初の日本選手権シリーズにも出場して優勝を経験した。 現役引退後、40歳でオリオンズ(当時は「大毎オリオンズ」)監督に就任して初年度にリーグ優勝を達成する。以後61歳で退任するまで、3球団で合計8回のリーグ優勝を成し遂げた。阪急ブレーブスと近鉄バファローズでは弱小チームを鍛えて強豪に育てあげ、その手腕が高く評価されて野球殿堂の表彰者となった。
中谷 準志(なかたに じゅんじ、1918年4月19日 - 1… 中谷 準志(なかたに じゅんじ、1918年4月19日 - 1970年2月27日)は、和歌山県出身のプロ野球選手(三塁手)。