北野 颯太(きたの そうた、2004年8月13日 - )は、… 北野 颯太(きたの そうた、2004年8月13日 - )は、和歌山県有田市出身のプロサッカー選手。オーストリア・ブンデスリーガ・レッドブル・ザルツブルク所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。日本代表。 アルマフットサルクラブでフットサルを始めた。 小学4年でサッカーを始め、アルテリーヴォ湯浅に加入。その後セレッソ大阪のサッカースクールエリートクラスに入ったが、最初は通うのが怖くなるほどレベルの差を痛感した。アルテリーヴォと並行して週1回エリートクラスに通った。 小学6年の夏に和歌山県大会で優勝し、関西大会に出場したが、準々決勝で敗退。そこで「上には上がいる」と肌身で感じたという。そしてセレッソ大阪U-15にスカウトされた。
坂本 侑(さかもと ゆう、2001年8月24日 - )は、日… 坂本 侑(さかもと ゆう、2001年8月24日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 和歌山県有田市出身。4人兄妹の次女(兄と姉、妹がいる)。年長のとき、姉がバレーボールをやっていたことをきっかけに自身もバレーボールを始めた。 2020年1月15日、東レアローズ公式サイトにて入団(内定)が発表され、10月30日のNECレッドロケッツ戦でVリーグデビューを果たす。関菜々巳、白井美沙紀がいる中でセッターとしての出場機会は限られていたが、リリーフサーバーとしてチームに貢献した。 2023年、2022-23シーズン終了をもって東レアローズを退団した。 V.LEAGUEの個人成績は下記の通り(VCup含む)。
竹田 麻衣(たけだ まい、1994年3月23日 - )は、日… 竹田 麻衣(たけだ まい、1994年3月23日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 和歌山県有田市出身[要出典]。母の影響でバレーボールを始める[要出典]。2009年、大阪国際滝井高校に進学、3年次には主将を務め、春高バレーで3位となった[要出典]。 2011年12月に岡山シーガルズの内定選手となり、2012年3月18日の久光製薬戦で途中出場し、Vリーグデビューした。リリーフサーバーとしての起用が主であった。 2018年6月、岡山シーガルズを退団した。 Vリーグ引退後も競技を継続し、2023年には元東レアローズの芝田安希が監督を務める和歌山クラブで全日本6人制バレークラブカップ3位入賞を果たしている。
九鬼 巧(くき たくみ、1992年5月18日 - )は、和歌… 九鬼 巧(くき たくみ、1992年5月18日 - )は、和歌山県有田市出身の陸上競技選手。専門は短距離走。100mの自己ベストは日本学生歴代9位タイの10秒19。2012年ロンドンオリンピック男子4×100mリレーの日本代表である。 和歌山県有田市出身。A型。有田市立宮原小学校、有田市立文成中学校、和歌山県立和歌山北高等学校、早稲田大学(スポーツ科学部)卒業。NTN所属。 地元の陸上クラブ「紀の国ジュニアアスリートクラブ」(現・紀の国アスリートクラブ)に入り、小学5,6年時に4×100mリレーのメンバーとして全国小学生陸上に出場した。 有田市立文成中学校の3年時に全日本中学校選手権100mで8位入賞、日本ジュニア室内大阪60m(中学)では初の日本一に輝いている。
木本 梨絵(きもと りえ、1992年 - )は、日本のクリエ… 木本 梨絵(きもと りえ、1992年 - )は、日本のクリエイティブディレクター。株式会社HARKEN代表。 自然環境における不動産開発「DAICHI」共同創業。 自らも事業を営みながら、さまざまな業態開発やイベント、ブランドの企画、アートディレクションを行う。2020年より武蔵野美術大学の非常勤講師を務め、店舗作りにおけるコンセプトメイキングをテーマに教鞭を執っている。 和歌山県有田市生まれ。東京大学を出て官僚になるほど優秀な兄と比べて自分には絵以外に得意なものが無いから、という理由で、幼稚園時代から美術の道を志した。 2015年、武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科卒業。 スマイルズ社への入社を熱望していたが入社試験では不合格。
津田 大樹(つだ たいき、1989年6月16日 - )は、和… 津田 大樹(つだ たいき、1989年6月16日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 甲子園には未出場で全国的には無名だが、高校での通算防御率は2.20。また一試合に21奪三振の記録も持つ。MAX147km/hのストレートと高速スライダーで三振をとれるピッチングが武器で、高校時代から本格派投手として評価は高かった。 2007年10月3日の高校生ドラフトで北海道日本ハムファイターズから3巡目で指名を受けて入団(推定年俸500万)。しかし、故障している報道はなかったものの2008年の出場機会は二軍のイースタンリーグ2試合にとどまった。シーズンオフ後に減俸を受け、背番号も48から70に変更されたがその理由についてスポーツ報知での選手名鑑では、自らの素行不良によるものと報道された。
上村 美揮(うえむら みき、1986年3月6日 - )は、日… 上村 美揮(うえむら みき、1986年3月6日 - )は、日本の元体操選手。和歌山県有田市出身。朝日生命体操クラブ所属。藤村女子高等学校、立教女学院短期大学卒業。
山本 英之(やまもと ひでゆき、1982年6月5日 - )は… 山本 英之(やまもと ひでゆき、1982年6月5日 - )は、日本の男子バレーボール選手。和歌山県有田市出身。ポジションはミドルブロッカー。Vチャレンジリーグの近畿クラブスフィーダ所属。口癖は『ポッ』。最近の口癖は『バーベキューをしたい』。
鳥羽 潤(とば じゅん、1978年〈昭和53年〉10月13日… 鳥羽 潤(とば じゅん、1978年〈昭和53年〉10月13日 - )は、日本の俳優・歌手。和歌山県有田市出身。Viivo所属。 和歌山県立大成高等学校中退。1995年(17歳)、アミューズ主催の「才能の祭典オーディション」で約4万人から選ばれて芸能界入り。 1996年、『ぼくは勉強ができない』の主演で映画デビューし、日本アカデミー賞新人賞、おおさか映画祭新人賞、キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞を獲得。同年『ピュア』(フジテレビ系)でドラマデビューし、『聖龍伝説』(日本テレビ系)にて安達祐実とW主演を果たした。デビューからしばらくは、繊細な雰囲気を持った美貌の若手俳優として若い女性を中心に人気を集めた。
生駒 雅紀(いこま まさき、1975年2月5日 - )は、和… 生駒 雅紀(いこま まさき、1975年2月5日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学3年で野球を始め、小学5年生から投手。和歌山県立吉備高等学校時代の3年夏の県大会は2回戦敗退。日立製作所では1995年、1996年都市対抗野球に出場した。ドラフト4位で日本ハムファイターズに入団。 1997年は、ルーキーながら1軍登板を経験し、2年目の1998年は登板数も若干ながら増え防御率も上向いた。 3年目の1999年には、先発11試合を含む30試合に登板し2勝8敗4セーブという成績を収め、翌2000年は中継ぎで28試合に登板した。 しかし、2001年以降登板数が激減し、2002年からは2年連続で一軍試合登板がなく、2003年に球団から戦力外通告を受ける。
尾藤 強(びとう つよし 1969年7月30日 - )和歌山… 尾藤 強(びとう つよし 1969年7月30日 - )和歌山県出身の高校野球指導者。
嶋田 章弘(しまだ あきひろ、1966年6月27日 - )は… 嶋田 章弘(しまだ あきひろ、1966年6月27日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手。
日下 正喜(くさか まさき、1965年(昭和40年)11月2… 日下 正喜(くさか まさき、1965年(昭和40年)11月25日 - )は、日本の政治家。公明党所属の元衆議院議員(1期)。 和歌山県有田市出身。和歌山県立海南高等学校、広島大学工学部卒業。1989年、同大学院修士課程を中退し公明党に入職。 党岡山県事務長を経て、2014年の第47回衆議院議員総選挙、2017年の第48回衆議院議員総選挙に比例中国ブロックから立候補するが、落選。その後党広島県本部に移籍し県本部幹事・事務長を務める。2021年の第49回衆議院議員総選挙に比例中国ブロックから立候補し、初当選。2024年の第50回衆議院議員総選挙に比例中国ブロックから立候補し、落選。
嶋田 宗彦(しまだ むねひこ、1962年2月17日 - )は… 嶋田 宗彦(しまだ むねひこ、1962年2月17日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(捕手)。弟は元プロ野球選手の嶋田章弘。
木村 竹志(きむら たけし、1961年7月10日 - )は、… 木村 竹志(きむら たけし、1961年7月10日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(投手)、監督、実業家。旧名:石井 毅(いしい たけし)。
石井 雅博(いしい まさひろ、1960年9月4日 - )は、… 石井 雅博(いしい まさひろ、1960年9月4日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(外野手)。
吉田 雅美(よしだ まさみ、1958年6月14日 - 200… 吉田 雅美(よしだ まさみ、1958年6月14日 - 2000年3月7日)は、日本の男子陸上競技選手。専門はやり投。後輩の溝口和洋とともに、やり投の第一人者として近代オリンピックをはじめとする各種国際大会に出場した。 和歌山県有田市出身。 1983年10月17日、87m18の日本記録(旧規格やり)を記録した[要出典]。1984年ロサンゼルスオリンピックの代表に選ばれ、81m98(旧規格やり)を記録し、5位に入賞した。 1986年に男子用やりは規格が変更されたが、その後も第一線で競技を続け、1988年ソウルオリンピック・1992年バルセロナオリンピックまで3大会連続で代表に選ばれて出場している。このほか、1983年アジア陸上競技選手権大会(クウェート)や、1990年アジア競技大会(北京)でも優勝歴がある。
尾藤 公(びとう ただし、1942年10月23日 - 201… 尾藤 公(びとう ただし、1942年10月23日 - 2011年3月6日)は、日本の高校野球元指導者で、高校野球の解説者を務めた。元和歌山県立箕島高等学校野球部監督。長男である尾藤強も同高校OBであり、現在同高校野球部監督を務めている[1]。
酒井 政利(さかい まさとし、1935年〈昭和10年〉11月… 酒井 政利(さかい まさとし、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 2021年〈令和3年〉7月16日)は、日本の音楽プロデューサー・メディアプロデューサー。酒井プロデュースオフィス代表取締役社長。日本ストリートダンス協会非常勤理事。国立国会図書館典拠データ検索・提供サービスによれば、1938年生まれと書かれた。 和歌山県有田市生まれ。父は建築設計事務所を営み、母は専業主婦。8人兄弟の末っ子であった。母は幼い政利を連れて酒井家に後妻として嫁いだ。 和歌山県立箕島高等学校、立教大学文学部卒業。大学卒業後、映画製作を志し松竹に入社するもまもなく退社し、その後日本コロムビア、CBS・ソニーレコードの音楽プロデューサーとして数多くのミュージシャンを発掘、育成する。
清滝 一也(きよたき かずや、1924年〈大正13年〉5月3… 清滝 一也(きよたき かずや、1924年〈大正13年〉5月31日 - 2024年〈令和6年〉5月10日)は、日本の経営者。大阪府池田市名誉市民。池田銀行頭取を務めた。プリンストン大学教授の清滝信宏は次男。実父は内外除虫菊社長の上山薫、養父は池田銀行頭取の清滝幸次郎。 和歌山県有田市出身。旧制佐賀高等学校を経て、1950年に東京大学法学部を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1979年11月に池田銀行に転じ、専務に就任し、1980年6月には頭取に就任。 1998年、いけだ市民文化振興財団理事長。2001年1月に会長に就任。2004年、相談役に就任。2012年、池田泉州銀行名誉顧問。 2024年5月10日、死去。
上山 輝一(かみやま てるいち、1900年〈明治33年〉5月… 上山 輝一(かみやま てるいち、1900年〈明治33年〉5月9日 - 1982年〈昭和57年〉5月26日)は、日本の政治家。東京都中野区長、東京都議会議員(2期)を務めた。計理士、税理士。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 1900年現在の和歌山県有田市に生まれる。高千穂高等商業学校(現高千穂大学)第6回卒業。1955年4月以来、東京都議会議員に連続2回当選(日本民主党→自由民主党)。1963年3月21日に中野区長に就任。1967年3月に再選。区長を1963年3月22日から1971年3月27日まで務めた。その後1972年4月から1982年5月26日まで高千穂商科大学の理事を務めた。
上山 市郎兵衛(うえやま いちろうべえ、前名・市三郎、189… 上山 市郎兵衛(うえやま いちろうべえ、前名・市三郎、1890年〈明治23年〉11月13日 - 没年不明)は、日本の実業家。元内外除虫菊会長。上山殖産代表取締役。和歌山県多額納税者。大日本除虫菊の創業者上山英一郎は養叔母ゆきの夫。 和歌山県有田郡保田村(現・有田市)出身。先代・市郎兵衛の長男。先代・市郎兵衛は南海水力電気を起こした。1922年、家督を相続し、前名・市三郎を改め襲名する。 祖業を継ぎ農業を営み、傍ら上山殖産会社を創立する。上山殖産社長、南海水力電気社長、関西配電理事、南海工業会長、内外除虫菊会長を務めた。 人となりは、朗らかな明るい紳士である。先代・市郎兵衛より、父子共に社会公共に尽した。
15代上山 勘太郎(うえやま かんたろう、前名・英之助、18… 15代上山 勘太郎(うえやま かんたろう、前名・英之助、1889年〈明治22年〉9月 - 1942年〈昭和17年〉)は、日本の商人(天産物直輸出商)、実業家。大日本除虫菊社長を務めた。大日本除虫菊の創業者・上山英一郎の長男。 和歌山県有田郡保田村山田原(現・有田市山田原)出身。東京高等商業学校に学び、天産物直輸出商を営んだ。ユーゴスラビア国に紀州産蜜柑苗を移植、寄贈した。1930年、大日本除虫粉社長に就任した。1939年、日本除虫菊輸出組合理事長に就任した。 大阪商工会議所貿易部長、ユーゴスラビア国日本駐箚名誉領事、大日本除虫菊、朝鮮除虫菊、箕島倉庫運送、関西金鳥販売、東京金鳥販売各社長、南海水力電気、松下電工、信太山ゴルフ各取締役、岸和田煉瓦綿業、日本レイヨン、白浜温泉土地倶楽部、南海鉄道、満州製紙、大阪ゴルフ、上山殖産各監査役などを務めた。
澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889… 澤崎 定之(または、沢崎 定之、さわざき さだゆき、1889年(明治22年)5月17日 - 1949年(昭和24年)4月15日)は日本の声楽家、音楽教育者、合唱指揮者、作曲家。日本の洋楽界のパイオニアとして重要な役割を果たした。 和歌山県有田市出身。1912年(明治45年)東京音楽学校声楽科卒。アウグスト・ユンケル、ハンカ・ペツォルトに師事。同年の卒業生には、声楽:中島かね・梁田貞、ピアノ:中山晋平・服部駟郎次、ヴァイオリン:多基永などがいる。 テノール歌手として、日本で最初の四重唱団「澤崎クヮルテット」名義の演奏記録もある(ソプラノ:武岡鶴代、アルト:柳兼子、テノール:澤崎、バス:矢田部勁吉)。