上田 精一(うえだ せいいち、1899年3月1日 - 没年不… 上田 精一(うえだ せいいち、1899年3月1日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手。 現在の島根県出雲市出身。島根師範学校から東京高等師範学校に進む。 東京高等師範学校在学中、1922年・1923年の日本陸上競技選手権大会のやり投種目を連覇。1923年には第6回極東選手権競技大会(大阪)に五種競技で出場して優勝した。 東京高等師範学校在学中に、1924年パリオリンピックで男子五種競技に出場した。 1925年には第7回極東選手権競技大会(マニラ)に五種競技で出場した。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
草光 信成(くさみつ のぶしげ、1892年4月5日 - 19… 草光 信成(くさみつ のぶしげ、1892年4月5日 - 1970年12月21日)は、日本の洋画家。 島根県出雲市出身。1916年東京美術学校(現在の東京芸術大学)卒。和田三造に師事した。1916年の第4回帝展に出品した「簾の影」が初入選した。その後、1927年に「四人の子等」、1928年に「立像」で2年連続帝展特選を受賞した。1930年に「前庭」でも帝展特選を受賞した。 1936年ベルリンオリンピックの芸術競技の絵画種目に、「スタート」「用意」という作品を出品した。 1938年には従軍画家として中国に赴任した。 1950年には新世紀美術協会の創立に参画し、その委員を務めた。
米山 治(よねやま はる、1890年11月21日 - 196… 米山 治(よねやま はる、1890年11月21日 - 1968年1月)は、日本の銀行員、作詞家。島根県出身。本名は米山 豊蔵(よねやま とよぞう)。 1890年(明治23年)、島根県神門郡杵築町(現在の出雲市大社町)の旧家に生まれる。1907年(明治40年)に京都市立商業実修学校を卒業し、大阪の三十四銀行へ入行。京橋、次いで神田支店長に就いた。三十四銀行は1933年(昭和8年)に鴻池・山口の両行と合併して三和銀行(現在の三菱UFJ銀行)となり、船場支店長を経て天満、朝日橋、中央市場支店長を歴任する。 定年退職後は島根へ帰郷し悠々自適の生活を送っていたが、1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約発効記念事業として島根県が懸賞募集を行った県民歌で応募作「薄紫の山脈」が宮田隆の応募作「青い空なら」と並んで準入選で採用された。
木佐 徳之助(きさ とくのすけ、1890年〈明治23年〉10… 木佐 徳之助(きさ とくのすけ、1890年〈明治23年〉10月16日 - 1969年〈昭和44年〉6月7日)は日本の実業家、政治家。島根県平田市名誉市民。木佐家第9代当主。号は旅峰。島根県多額納税者。農業。位階は正六位。 徳三郎の男。慶大に学ぶ。農業を営む。 雲洋石油株式会社を創設し、1928年(昭和3年)社長となり、1945年(昭和20年)帰郷。 1948年(昭和23年)に平田町長に就任した。1954年(昭和29年)、町長を辞任した。1955年(昭和30年)2月5日から1967年(昭和42年)5月16日まで、平田市長を務めた。 宗教は大社教。住所は島根県平田市平田町。美術茶道など多方面で造詣深い風流人として知られた。
福田 狂二(ふくだ きょうじ、1887年(明治20年)6月1… 福田 狂二(ふくだ きょうじ、1887年(明治20年)6月14日 - 1971年(昭和46年)11月13日)は、日本の明治から昭和にかけての社会運動家。大正末から昭和初年にかけての島根の社会主義運動の担い手の多くを育てる。別名福田素顕。 島根県簸川郡久多美村東福(現・出雲市)に生まれる。父・蓮之助は県会議員・県会議長を務めた県政界の有力者であった。1903年(明治36年)、上京して成城中学に入学。1904年(明治37年)11月、普通選挙実現や治安警察法改正を求める平民懇親会(於錦輝館)に参加する。1905年(明治38年)、早稲田大学政治科に入学。清国からの留学生と交流する中で社会主義を受容し、同大学を中退して社会運動に身を投じる。
石橋 長右衛門(いしばし ちょうえもん、1878年〈明治11… 石橋 長右衛門(いしばし ちょうえもん、1878年〈明治11年〉11月10日 - 1937年〈昭和12年〉10月31日)は、日本の政治家、実業家、島根県の大地主。雲陽実業銀行取締役。松江銀行監査役。族籍は島根県平民。 出雲国簸川郡古志村に生まれる。石橋助市の長男。幼い頃に父母が亡くなり、祖父母の鞠育を受け成長する。1881年、家督を相続する。1899年、青年実業会を起し、その会長となる。 1901年、村民の輿望を受け、村長に選任され、村政を統治する。古志貸金合名会社を創起し、その社長となる。古志銀行、雲陽実業銀行各取締役、松江銀行監査役などをつとめる。 住所は島根県簸川郡古志村(現・出雲市)。 石橋家は旧幕時代に累代組頭及び下郡役を勤め、苗字帯刀を許された閥閲で、郷党に推重された。
石橋 和訓(いしばし かずのり/わくん、1876年〈明治9年… 石橋 和訓(いしばし かずのり/わくん、1876年〈明治9年〉6月6日 - 1928年〈昭和3年〉5月3日)は日本の日本画家・洋画家。英国ロイヤル・アカデミー初の日本人学生。代表作に『美人読詩』や松方正義・渋沢栄一・大隈重信らの肖像画がある。 「和訓」の読みは「かずのり」だが「わくん」とも呼ばれる。「かずよし」とする文献もある。幼名は倉三郎。27歳のとき師の滝和亭の一字をもらい「和訓」に改名した。画号は耕雲、雅原、中雅。 1876年、島根県飯石郡西須佐村(現・出雲市佐田町反辺)の農家石橋熊三郎とマツの間に生まれる。幼少から画才に秀で、須佐建真(須佐神社祠官)と永瀬雲山から南画を学ぶ。1892年、松江に出て後藤魚洲(島根師範学校教員)と堀櫟山(小豆沢亮一門下)から南画・洋画を学ぶ。
高橋 隆一(たかはし りゅういち、1875年(明治8年)10… 高橋 隆一(たかはし りゅういち、1875年(明治8年)10月31日 - 1943年(昭和18年)2月7日)は日本の大地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 島根県神門郡稗原村(簸川郡稗原村を経て現出雲市)で大地主・高橋守衛の長男として生まれる。松江修道館を修了した。1906年(明治39年)3月に家督を相続した。 1904年(明治37年)稗原三等郵便局を開設して同局長に就任。稗原村会議員、同村区会議員、同村農会長、同村学務委員、島根県地方森林会議員、簸川郡教育会長などを務めた。 実業界では、1906年、簸川銀行取締役に就任。その他、簸上鉄道取締役、出雲電気取締役社長、島根県農工銀行頭取などを務めた。
公田 連太郎(こうた れんたろう、1874年10月3日 - … 公田 連太郎(こうた れんたろう、1874年10月3日 - 1963年7月27日)は、日本の漢文学者。 1874年、島根県出雲市古志町生まれ。21歳で上京し、根本通明に約十年師事。在野の漢学者として、多くの漢文の注釈を刊行した。1927年数え54歳で結婚。 1913年、下獄後の失意の北原白秋を勇気づけたことでも知られる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
矢田 長之助(やだ ちょうのすけ、明治4年9月20日(187… 矢田 長之助(やだ ちょうのすけ、明治4年9月20日(1871年11月2日) – 昭和15年(1940年)11月27日)は、日本の外交官。駐シャム(タイ)公使。 島根県簸川郡塩冶村(現在の出雲市)で矢田伝四郎の長男として生まれる。1895年(明治28年)東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。教員を経て、1899年(明治32年)に外交官及領事官試験に合格した。1900年(明治33年)より領事官補として天津、漢口に勤務した。その後、駐メキシコ公使館三等書記官、同二等書記官、バンクーバー領事、オタワ総領事、ニューヨーク総領事、ホノルル総領事を歴任した。1921年(大正10年)より駐シャム公使を務めた。 退官後は横浜市立横浜商業学校・横浜市立横浜商業専門学校校長事務取扱を務め、さらに財団法人暹羅協会(のち日本タイ協会)常務理事・理事長を務めた。
伊藤 啓一郎(いとう けいいちろう、1866年(慶応2年4月… 伊藤 啓一郎(いとう けいいちろう、1866年(慶応2年4月) - 1965年(昭和40年)11月21日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 出雲国神門郡神西村(のち島根県簸川郡神西村、現・出雲市)生まれ。1889年、島根尋常師範学校(のち島根師範学校)卒。農業の傍ら、南画を田能村直入と塩田鉄香に学び、書画を作成する。1939年に神武天皇聖徳奉体会を提唱し、橿原神宮聖域画讃を頒布する。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において島根3区から無所属で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党から立候補して落選した。1965年に死去した。
江角 千代次郎(えずみ ちよじろう、1864年12月16日(… 江角 千代次郎(えずみ ちよじろう、1864年12月16日(元治元年11月18日)- 1934年(昭和9年)6月19日)は、明治から大正期の地主、農業経営者、政治家、銀行家。衆議院議員。号・楽所、有所。 出雲国出雲郡坂田村(島根県出雲郡坂田村、出東村、簸川郡出東村、斐川村、斐川町を経て現出雲市)で、大地主・江角権蔵、すい の長男として生まれる。普通学を学び、黒田龍二から漢学を、雨森精斎から和漢の歴史を学んだ。 村会議員、町村組合会議員、簸川郡会議員、徴兵参事員、所得税調査委員などを務めた。1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(島根県第3区)で初当選し、その後、第9回総選挙まで3回再選され、最後は大同倶楽部に所属し衆議院議員に連続4期在任した。
北島 斉孝(齊孝、きたじま なりのり、1863年9月11日〈… 北島 斉孝(齊孝、きたじま なりのり、1863年9月11日〈文久3年7月29日〉- 1918年〈大正7年〉11月9日)は、日本の神職、政治家、華族。出雲大社北島国造家76代、貴族院男爵議員。旧名・殿若丸。 出雲国出雲郡(現島根県出雲市大社町)で北島国造家75代・北島脩孝の長男として生まれる。父の死去に伴い1893年(明治26年)4月7日、男爵を襲爵した。 1882年(明治15年)出雲大社権宮司に就任。同禰宜、大教正、神道出雲教(現出雲教)大教主を務めた。 1908年(明治41年)7月1日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し、死去するまで在任した。
高橋 久次郎(たかはし きゅうじろう、1858年8月25日(… 高橋 久次郎(たかはし きゅうじろう、1858年8月25日(安政5年7月17日)- 1926年(大正15年)6月11日)は、明治から大正時代の政治家。衆議院議員(5期)。 高橋佐十郎の子として、出雲松江藩領神門郡稗原村(島根県神門郡稗原村、簸川郡稗原村を経て現出雲市)に生まれる。奉緘斎の門に入り漢籍を修めた。農業を営む傍ら、1876年(明治9年)第四十八区戸長に就任し、1881年(明治14年)稗原村戸長に転じた。1884年(明治17年)郡民より推され、島根県会議員に当選し、同常置委員を務めた。ほか、簸川郡会議員、同議長、道路会議議員、郡農会長、郡蚕業同業組合長、郡青年農業団総裁を歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では島根県第3区から出馬し当選。
高橋 守衛(守衞、たかはし もりえ、1857年(安政4年5月… 高橋 守衛(守衞、たかはし もりえ、1857年(安政4年5月) - 1906年(明治39年)3月31日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 出雲国神門郡稗原村(のち島根県簸川郡稗原村、現・出雲市)生まれ。漢学を学ぶ。稗原村長、同村会議員となる。また、簸川銀行を創立し、取締役となった。 1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において島根3区から無所属で立候補して当選する。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補したが落選した。衆議院議員は1期務め、1906年に死去した。
松本 鼎(まつもと かなえ、1856年2月10日(安政3年1… 松本 鼎(まつもと かなえ、1856年2月10日(安政3年1月5日) - 1928年1月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。位階は正四位・勲等は勲二等・軍功は功三級。 島根県簸川郡大社町で、出雲国造・千家家と北島家に仕える士族松本礼次郎の長男として生まれる。父は美保関町森山出身の志士・松本古堂(巌)の門人で、以前は寺本易直と名乗っていたが、養子に入り礼次郎となった。 1878年(明治11年)12月、陸軍士官学校(旧2期)を卒業し、翌年2月、砲兵少尉任官。1901年(明治34年)2月、野戦砲兵第12連隊長に就任。1902年(明治35年)11月、砲兵大佐に昇進した。 1903年(明治36年)5月、陸軍野戦砲兵射撃学校長となり、1904年(明治37年)2月、第1軍砲兵部長に発令され日露戦争に出征。
錦織 竹香(にしこおり ちっこう、安政元年12月25日〈18… 錦織 竹香(にしこおり ちっこう、安政元年12月25日〈1855年2月11日〉 - 1945年〈昭和20年〉3月5日)は日本の教育者。本名は久美。 竹香は安政元年12月25日(1855年2月11日)、出雲国出雲郡神庭村に生まれた。父・錦織邦臣は神代神社の神官・小学校教師・医者であり、母・登喜は小学校で裁縫を教えていた。竹香は幼いころから手先の器用なことで知られており、とくに絵画は10歳から師に着いて竹の絵を好んで描いたため「竹香」の号を授けられた。 経歴としては1873年(明治6年)に出雲郡第三番小学習字世話係を申し付けられたのに始まり、翌1874年(明治7年)には第二十中学区神庭小学三等助教、さらに翌1875年(明治8年)には同小学兼荘原小学二等助教に就く。
8代 木佐 徳三郎(きさ とくさぶろう、旧姓・勝部、雅号・平… 8代 木佐 徳三郎(きさ とくさぶろう、旧姓・勝部、雅号・平疇、1853年7月11日(嘉永6年6月6日)- 1941年(昭和16年)10月23日)は、日本の地主、実業家、政治家。衆議院議員。木佐家8代当主。平田銀行頭取。族籍は島根県平民。 出雲国出雲郡坂田村(島根県簸川郡斐川町を経て現出雲市)で、地主、7代・勝部本右衛門栄忠の六男として生まれ、楯縫郡平田村(現出雲市)の7代・木佐徳三郎の養子となり、後に家督を継承し徳三郎を襲名した。幕末には最後の楯縫郡下郡役(したごおりやく)を務めた。 明治維新後、楯縫郡仮郷校取締、島根県第五十三・五十四両区戸長、兼学区取締心得、平田町会議員などを務め、1892年2月の第2回衆議院議員総選挙で島根県第三区から出馬して当選し、弥生倶楽部に所属して衆議院議員を一期務めた。
岡崎 運兵衛(おかざき うんべえ、1850年8月5日(嘉永3… 岡崎 運兵衛(おかざき うんべえ、1850年8月5日(嘉永3年6月28日)- 1919年(大正8年)12月17日)は、日本の地主、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・高橋、幼名・権作、雅号・雲隣。 出雲国神門郡稗原村(現島根県出雲市)で、豪農・高橋佐十郎の二男として生まれ、10歳で松江堅町の豪商・先代岡崎運兵衛の養子となる。江戸の昌平坂学問所で学び、帰郷後、藩儒・澤野修輔、中村守手などに師事し、さらに南画を天野漱石に学んだ。慶応3年(1867年)養父の死去に伴い18歳で家督を継承し、運兵衛を襲名した。 維新後、自由民権運動に加わり自由党に入党。松江町会議員、松江市会議員、同議長、島根県会議員、同副議長、同議長を歴任。
10代 桜井 三郎右衛門(櫻井 三郎右衛門、さくらい さぶろ… 10代 桜井 三郎右衛門(櫻井 三郎右衛門、さくらい さぶろうえもん、1849年7月31日〈嘉永2年6月12日〉 - 1908年〈明治41年〉1月27日)は明治時代の政治家、実業家、島根県の大地主。貴族院多額納税者議員。旧姓は神田。諱は直達。族籍は島根県平民。 出雲国神門郡下古志村(現・島根県出雲市下古志町)出身。神田猪蔵の三男。仁多郡上阿井村(現・奥出雲町上阿井)・桜井源兵衛の養子となる。 家業の製鉄は明治10年代に入ると、洋鉄の流入その他により経営が次第に苦しくなり、秦、絲原、田部の各鉄師と連盟して島根県に対して鉄山炉の経営資金拝借方を願い出たが、聞き入れられなかった。これにくじけず、施設の近代化に努力し地方製鉄業の模範となる改革を行う。
西山 関一郎(關一郎、にしやま かんいちろう、1848年11… 西山 関一郎(關一郎、にしやま かんいちろう、1848年11月7日(嘉永元年10月12日)- 1903年(明治36年)7月4日)は、明治期の医師、政治家。衆議院議員、島根県会議長。 出雲国神門郡荻杼村(島根県簸川郡川跡村、出雲町を経て現出雲市)で、医師、2代・西山沙保、やゑの長男として生まれる。儒学を今市の伊藤宜堂に学んだ。その後、神戸洋学館で英語を学び、1870年(明治3年)大阪医学校(現大阪大学医学部)に入学し4年間修学。その後上京し、佐々木東洋の私塾主幹に就任。1874年(明治7年)に帰郷し開業した。 1876年(明治9年)9月に公立松江病院が開設され院医に就任。1977年(明治10年)12月、院長心得となり1881年(明治14年)まで在任。
江角 柳四郎(えすみ りゅうしろう、1848年4月10日(嘉… 江角 柳四郎(えすみ りゅうしろう、1848年4月10日(嘉永元年3月7日)- 1906年(明治39年)3月22日)は日本の地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 出雲国出雲郡、のちの原鹿村(簸川郡久木村を経て現島根県出雲市斐川町原鹿)で、豪農の家に生まれる。機業を営み、簸川銀行取締役などを務めた。また、島根県元出雲郡連合村戸長、島根県会議員、久木村会議員、同村長などを歴任。1904年、貴族院多額納税者議員に選出され、同年9月29日に就任し、死去するまで在任した。 公益事業にも関心が高く、貧民救済、公共建築・道路修繕・衛生事業、居村児童への奨学金支給などに多額の寄付を行った。
石橋 孫八(いしばし まごはち、1847年〈弘化4年〉 - … 石橋 孫八(いしばし まごはち、1847年〈弘化4年〉 - 1915年〈大正4年〉5月7日)は、日本の政治家、島根県の地主。島根県会議員。衆議院議員(島根県第三区選出、当選1回)。族籍は島根県平民。 出雲国楯縫郡平田村(島根県楯縫郡平田町、簸川郡平田町、平田市を経て現出雲市)出身。家は代々農業を営む。漢学を修める。治水を以て大いに名がある。 1894年、第4回衆議院議員総選挙で島根県第3区より選ばれて衆議院議員となる。国民協会、大手倶楽部に所属。第11議会解散後候補を伊藤啓一郎に譲る。 住所は島根県簸川郡平田町(のちの平田市、現・出雲市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
千家 尊福(せんげ たかとみ、弘化2年8月6日〈1845年9… 千家 尊福(せんげ たかとみ、弘化2年8月6日〈1845年9月7日〉 - 大正7年〈1918年〉1月3日)は、日本の宗教家、政治家。80代出雲国造、出雲大社宮司。神道大社教(1946年出雲大社教に改称)創立者で初代管長、元老院議官、貴族院議員、埼玉県知事(第4代)、静岡県知事(第4代)、東京府知事(第17代)、司法大臣(第14代)、東京鉄道株式会社社長などを歴任した。位階は従二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。 出雲大社の宮司を務める出雲国造家に生まれ、神道大社派を創始する。その後、神道大社教に改称し管長に就任するなど、教派神道たる出雲大社教の礎を築いた。元老院議官を経て、第1回貴族院男爵議員選挙にて貴族院議員に選出される。
7代 遠藤 嘉右衛門(えんどう かえもん、1844年10月2… 7代 遠藤 嘉右衛門(えんどう かえもん、1844年10月2日(弘化元年8月21日)- 1914年(大正3年)11月29日)は日本の地主、銀行家、政治家。貴族院多額納税者議員、遠藤嘉右衛門家7代当主、旧姓・神田。 のちの島根県で神田助左衛門の二男として生まれ、簸川郡今市町(現出雲市)の地主、6代・遠藤嘉右衛門の養子となる。後に家督を継承し嘉右衛門を襲名した。 1877年以降、島根県会議員、簸川郡会議員などを務め、補欠選挙で当選し1911年6月2日、貴族院多額納税者議員に任じられ、同年9月28日の任期満了まで一期在任した。その他、簸川銀行頭取などを務めた。 公益事業にも関心が高く、災害救援、貧民救済、公衆衛生・学校建設・道路修繕事業などに多額の寄付を行った
森野あるじ(もりの -5月24日-)は日本のFlashクリエ… 森野あるじ(もりの -5月24日-)は日本のFlashクリエーターである。島根県出雲市出身。 Flashムービーの作成やイラストなどを手がける。特にFlashムービーでは完成度の高いアニメーションを多用した本格的なものを制作する。青池良輔、ポエ山、FROGMANと共に『Flashアニメ四天王』の一人と呼ばれていた。 当時ギャグ・MAD系が主流だった日本Flashアニメ界に革命を巻き起こしたと言われる。 かつては印刷関係のデザイナーをしており、Webサイトのインターフェース用にMacromedia Flashを購入したことをきっかけにFlashアニメを作り始めたという。 代表作は『HANOKA〜葉ノ香〜』、『つきのはしずく』、『YUKINO』、『The Mother Mars』、『ホシノ☆オニオン』など。
川又 咲紀 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士、Yo… 川又 咲紀 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士、YouTuber。森雞二九段門下。女流棋士番号は56。島根県出雲市出身。つくば開成高等学校卒。同じく女流棋士の福間香奈は実姉。
アサダ ニッキ(9月19日 - )は、日本の漫画家。女性。島… アサダ ニッキ(9月19日 - )は、日本の漫画家。女性。島根県出雲市出身。血液型はA型。自画像はピンクのウサギ。 2000年ごろ、ネット上でイラストサイトを開設し、雑誌にイラストを投稿、4コマ漫画も掲載する(サイトは後に閉鎖)。その後同人活動を始め、4コマ誌にて商業デビューするも、仕事との兼ね合いもあり一旦商業活動を辞め、同人に戻った。同人時代はある「野球漫画」の二次創作同人誌を多数刊行し、コミックマーケットにも出展した。 2008年ごろ、読み切り作品にて商業誌再デビュー。2010年(平成22年)、「新世代ざんねんラブコメ」作品である「青春しょんぼりクラブ」が全3回の短期連載として『月刊プリンセス』に掲載され、さらに長期連載作品となる。
園山 真希絵 は、日本のタレント、料理研究家。島根県出雲市出… 園山 真希絵 は、日本のタレント、料理研究家。島根県出雲市出身、血液型A型、所属芸能事務所は株式会社SDMやサンズエンタテインメントを経てグローバルプロモーションと圭三プロダクションに所属。夫は作詞家・作曲家のTAKESHI。
大倉 一郎(おおくら いちろう)は、日本の工学者(アルミニウ… 大倉 一郎(おおくら いちろう)は、日本の工学者(アルミニウム構造学・繊維接着構造学・鋼構造学・橋工学)。学位は工学博士(大阪大学・1985年)。大阪大学大学院工学研究科准教授、アルミニウム橋研究会技術委員長。 島根県出雲市出身。大阪大学に入学し、工学部土木工学科にて学んだ。1977年、大阪大学を卒業し、そのまま同大学の大学院に進学した。大学院の工学研究科土木工学専攻にて学び、1979年に修士課程に修了した。なお、のちに大阪大学より、工学博士の学位を授与されている。 大阪大学大学院の修士課程を修了し、母校である大阪大学に採用され、工学部の助手として勤務する。1988年、大阪大学にて、工学部の講師に昇任する。
大村 広奈(おおむら ひろな)は、NHKのアナウンサー。 島… 大村 広奈(おおむら ひろな)は、NHKのアナウンサー。 島根県出雲市出身。甲南女子大学文学部日本語日本文学科(信時哲郎ゼミ)を卒業後、学生時代よりアルバイトしていた歯科医院に就職。 2023年4月、地域職員としてNHKに入局。初任地は松江放送局。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
青山 恵子(あおやま けいこ)は日本の声楽家、メゾ・ソプラノ… 青山 恵子(あおやま けいこ)は日本の声楽家、メゾ・ソプラノ歌手。 島根県出雲市出身。声楽を森山俊雄、須賀靖和、畑中更予から、邦楽を西垣勇三、平井澄子、民謡を本條秀太郎、早坂光枝から指導を受ける。東京藝術大学声楽科卒業。1987年、声楽では日本初の博士号を、テーマ「日本歌曲の歌唱法の実践的研究 - 伝統音楽との接点 -」で取得。東京藝術大学大学院博士課程修了。博士号取得記念リサイタル「安達ケ原の鬼女」(サントリーホール)を開催。 博士号取得後も洋楽と伝統音楽の歌唱法の融合を研究し、リサイタルや講演会等で成果を発表している。日本歌曲はもとより邦楽器伴奏の作品や語り物、モノオペラなど様々なジャンルに取り組む。
小野 尊光(おの たかてる)は、明治から昭和期の神職、政治家… 小野 尊光(おの たかてる)は、明治から昭和期の神職、政治家、華族。貴族院男爵議員。天葺根命95代。 出雲国神門郡日御碕(現島根県出雲市大社町日御碕)で日御碕神社神職、94代天葺根命・小野尊安の長男として生まれる。明治5年3月12日(1872年4月19日)父の隠居に伴い家督を継承し尊光と改名。1873年(明治6年)10月、華族に列し、1884年(明治17年)7月8日に男爵を叙爵した。 家督継承後、日御碕神社権宮司に任じられ、以後、同社権中講義、同宮司・権大講義、兼権少教正を歴任。この間、遷宮を行った。 1901年(明治34年)4月27日、日御碕神社宮司を辞任。同年6月6日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、1911年(明治44年)7月9日まで2期在任した。
佐々木 道彭(ささき どうほう)は、南北朝時代の武将。室町幕… 佐々木 道彭(ささき どうほう)は、南北朝時代の武将。室町幕府出雲国守護代、北朝三河守。名字は上郷とも号す。山名氏に仕え、和泉国守護・山名氏清と共に平尾合戦(1382年)で南朝の名将・楠木正儀を破り、南北朝内乱の終結の一翼を担った。後、軍記物語『明徳記』の有力武将「上郷入道」や、系図類に伝わる上郷氏の祖「上郷 通清」(かみのごう みちきよ)のモデルになった。通清は塩冶高貞(『太平記』『仮名手本忠臣蔵』で著名)の甥とされ、また、15世紀初頭に塩冶氏を再興した後塩冶氏の祖・塩冶満通の父と伝わる。そのため、塩冶 通清(えんや みちきよ)とも呼ばれる。 出雲国(島根県東部)の守護職は鎌倉時代においては宇多源氏の名門・佐々木氏の庶流である塩冶氏が相伝した(出雲源氏)。
多久和 千絵(たくわ ちえ)は、日本のシンガーソングライター… 多久和 千絵(たくわ ちえ)は、日本のシンガーソングライター、ピアニスト。島根県在住。 島根県出雲市出身。ピアノを4歳から始め、小・中・高校生活では吹奏楽に打ち込む。20代でバンドを結成して音楽活動を開始。2010年よりピアノの弾き語りを始める。日々の景色、心情の儚さなどをテーマに音楽を綴ることをモットーにし、「森の映画祭2015」参加したアニメ映画の音楽を付けたことから、映画音楽も手掛ける。近年は店舗BGMなども制作、多岐にわたり活動中。 2024年7月10日 ポップアップイベント開催 at下北沢BONUS TRACK 牧野容也と多久和千絵のお雑煮ラジオが電波を飛び出して横丁に。一夜限りのスナック営業「スナックお雑煮」や、牧野と多久和による投げ銭ライブ。