原田 武夫(はらだ たけお、1971年12月 - )は、シン… 原田 武夫(はらだ たけお、1971年12月 - )は、シンクタンク経営者、元外交官。株式会社原田武夫国際戦略情報研究所代表取締役CEO。 香川県高松市生まれ。桐朋中学校・高等学校卒業。 1993年、東京大学法学部を在学中、外交官試験に合格し、同大学を中退。外務省に外務公務員Ⅰ種職員として入省。経済局国際機関第二課に配属。1994年、在ドイツ日本国大使館に赴任。ベルリン自由大学、テュービンゲン大学、ドイツ外務省研修所で在外研修。有馬龍夫及び渋谷治彦両大使のもとで大使秘書官を務める。1998年、帰国後、欧亜局西欧第1課に異動。 2001年、大臣官房総務課配属、外務省機密費流用事件の内部調査メンバーとして調査にあたった。
古竹 孝一(ふるたけ こういち、1971年(昭和46年)7月… 古竹 孝一(ふるたけ こういち、1971年(昭和46年)7月27日 - )は、日本の実業家。株式会社NISSIN代表取締役、いすみ鉄道株式会社代表取締役社長。 香川県高松市出身。高松幼稚園、香川大学教育学部附属高松小学校・高松中学校、高松第一高等学校卒業。日本大学理工学部交通土木工学科卒業。東京交通短期大学卒業。1997年、日本大学大学院理工学研究科交通土木工学専攻終了。同大学院では桜工賞を受賞。 東京では単独浪人をし、翌年には昼間と夜学のダブルスクールを行い、在学中には道路公団関係コンサルタントに所属していた。学生時代には江戸千家宗家に通っており千葉県船橋市に在住。 大学院卒業後は日新グループ関連企業の株式会社タダノへ出向。
三好 啓介(みよし けいすけ、1969年9月18日 - )は… 三好 啓介(みよし けいすけ、1969年9月18日 - )は、日本の実業家。香川県出身。ジャフコグループ株式会社代表取締役社長。 香川県高松市出身。香川県立高松高等学校を経て、1993年上智大学法学部卒業。同年、日本合同ファイナンス(現:ジャフコ グループ)株式会社に入社。スタートアップ投資から事業立ち上げ、M&A、IPO実現等ベンチャー企業の成長戦略に携わる。2011年同社第二投資運用本部長、2013年同社執行役員投資担当、2015年同社執行役員投資担当兼投資部長、同年6月同社取締役投資担当兼投資部長、2018年取締役投資担当兼投資部長・パートナーを経て、2022年同社代表取締役社長に就任。
インタビューマン山下(インタビューマンやました、1968年〈… インタビューマン山下(インタビューマンやました、1968年〈昭和43年〉10月29日 - )は日本のお笑いタレント、フリー芸能記者、実業家。吉本総合芸能学院(NSC)大阪校10期生。本名は山下 栄緑(やました しげのり)。お笑いコンビ・ジャリズムのツッコミとして活動。当時の相方は、落語家の桂三度。 香川県高松市出身。大手前高松高等学校を経て、摂南大学法学部卒業。 大学卒業後の1991年(平成3年)4月にNSCに入学、同年11月に渡辺鐘と漫才コンビ「山下・渡辺」、後のジャリズムを結成するが、1998年(平成11年)12月に解散。解散後、芸名を本名から山下しげのりに改めた上でピン芸人となり、ルミネtheよしもとの新喜劇などで活動する。
柏野 宏之(かしの ひろゆき、1967年6月3日生)は、日本… 柏野 宏之(かしの ひろゆき、1967年6月3日生)は、日本の社会起業家・実業家・投資家。非営利型一般財団法人JATIC(日本先端技術国際インフラ協力機構)代表理事。日本と東南アジア諸国を舞台に、経済・教育・医療・インフラの分野で社会的インパクトを創出するプロジェクトを展開。「個人と社会」「生活の質(QoL)と幸福度(ウェルビーイング)」の両立を軸に、公益性と持続性を兼ね備えた「自立支援型社会モデルの共創」を推進している。 香川県高松市に生まれる。家業は飲食業。幼少期より仕入れ、接客、会計、調理などに広く従事した経験は、のちに「場の設計」が人間の行動と関係性に及ぼす影響を体感的に理解するきっかけとなった。
堀正明(ほり まさあき、1964年5月21日 - )は、日本… 堀正明(ほり まさあき、1964年5月21日 - )は、日本のエンターテインメントプロデューサー、音楽プロデューサー、作詞家、編集者、ラジオ番組ディレクター、実業家。香川県高松市出身。ハーモニック代表。 武蔵大学経済学部経営学科卒業。 音楽プロデュースを手掛けた今敏監督作品「Perfect Blue」はイギリスのフィルムメーカー誌で史上最高のアニメ25位にランキングされている。1994年に、ラジオの生放送中にインターネットでリクエスト曲を受け付けるというシステムを考案。FM東京「タウンミュージック」とパソコン通信NIFTYの音楽コミュニティを繋げた。これが日本初のラジオ番組生放送でネットリクエストを募る放送となった。
綾田 裕次郎(あやだ ゆうじろう、1959年〈昭和34年〉5… 綾田 裕次郎(あやだ ゆうじろう、1959年〈昭和34年〉5月10日 - )は、日本の経営者、銀行家。百十四銀行頭取、会長を務めた。 香川県高松市出身。父は百十四銀行頭取を務めた綾田修作。1982年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年4月に百十四銀行に入行した。2015年6月に取締役に就任し、2016年4月に専務を経て、2017年4月には頭取に就任。総合コンサルティング・グループへの転換を重視し、取引先のSDGsや事業承継支援などに注力した。 2024年4月1日、取締役会長。 2023年11月には高松商工会議所会頭にも就任。
住谷 幸伸(すみたに ゆきのぶ、1954年〈昭和29年〉8月… 住谷 幸伸(すみたに ゆきのぶ、1954年〈昭和29年〉8月7日 - )は日本の実業家、社会起業家、元政治家。平成レッグス株式会社代表取締役社長、日本スポーツ少年団常任委員。元高松市議会議員(4期、元議長)。元カマタマーレ讃岐代表取締役社長。 香川県高松市出身。高松商業高校ではサッカー部に所属し、高校総体に3年連続出場。3年生時は主将。1976年に弦打サッカースポーツ少年団を創設し、後身の指導に当たる一方、高松商高OBサッカークラブ(高商OBクラブ)の選手として第1回四国サッカーリーグ出場(その後、第2回、第5回に出場)。1980年、スポーツ少年団指導者協議会指導者研修で訪欧し先進的なスポーツクラブについて学ぶ。
多田野 宏一(ただの こういち、1954年7月3日 - )は… 多田野 宏一(ただの こういち、1954年7月3日 - )は、日本の実業家。タダノ代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、あおぞら銀行取締役。元日本建設機械工業会副会長。藍綬褒章受章。 香川県高松市生まれ。香川県立高松商業高等学校を経て、1977年一橋大学経済学部卒業。大学では体育会陸上ホッケー部に所属。大学卒業後、丸紅株式会社に入社し、ナイジェリアやマレーシアに駐在。 1988年株式会社タダノ入社。ドイツでのM&Aを手がけたのち、社長室長を務めた。1996年ドイツ・FAUN GmbH社社長に就任。2003年から株式会社タダノ代表取締役社長を務め、売上の海外比率を3分の2にまで引き上げるなど、海外展開を進めた。
石村 由起子(いしむら ゆきこ、1952年 - )は、日本の… 石村 由起子(いしむら ゆきこ、1952年 - )は、日本の経営者、空間コーディネーター。奈良市のカフェ「くるみの木」オーナーとして知られる。 香川県高松市に、いずれも中学校の体育教師であった両親のもとに生まれた。高校卒業後、大阪で店舗設計を学んだ。その後、結婚して奈良県奈良市に長く居住しており、同地を中心に事業を展開している。 1984年7月7日、31歳のときに雑貨店を併設したカフェ「くるみの木」を開業したが、当初は12席だけの小さな店舗だった 1994年に2店目の「くるみの木 フィールデイズ店」を出店し、1店目を「くるみの木 一条店」と改称、有限会社くるみの木を設立して社長となった。 カフェを経営しながら、自然を取り入れたライフスタイルを提唱し、著作が注目されるようになった。
岡内 欣也(おかうち きんや、1951年9月10日 - 20… 岡内 欣也(おかうち きんや、1951年9月10日 - 2013年12月24日)は、日本の実業家。元三菱UFJ信託銀行株式会社代表取締役社長。 香川県高松市出身。1974年東京大学法学部卒業、三菱信託銀行入行。国際業務部長、執行役員ロンドン支店長、常務取締役、専務などを経て、2008年から代表取締役社長を務め、アバディーン・アセット・マネジメントとの資本提携や、リーマン・ショック後の効率化による対応を行うなどした。2013年病没。享年62。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大西 大介(おおにし だいすけ、1941年(昭和16年)6月… 大西 大介(おおにし だいすけ、1941年(昭和16年)6月25日 - )は、日本の実業家。香川県高松市出身の名士。元カナック代表取締役会長・社長・相談役、名誉顧問、元カマタマーレ讃岐代表取締役会長、カマタマーレ讃岐後援会会長、元浜田恵造後援会会長、元玉翠会会長、元稲門会香川県支部支部長、西日本土木株式会社監査役、高松市トライアスロン協会名誉会長、盛和塾香川世話人、114あぐら会会長、香川県経営者協会会長、香川県経済同友会代表幹事、香川県ゴルフ協会会長 などを歴任した。 1960年3月(昭和35年) 高松高校卒業 (玉翠会会長) 1965年3月(昭和40年) 早稲田大学理工学部卒業 (稲門会香川県支部支部長) 1966年5月(昭和41年) 関西電業株式会社(現株式会社カナック)取締役 1988年5月(昭和63年) 株式会社カナック代表取締役社長 2007年5月(平成19年) 株式会社カナック代表取締役会長 2008年6月(平成20年) 株式会社カナック相談役 2014年6月(平成26年) 株式会社カナック名誉顧問(現任)
多田野 栄(ただの さかえ、1935年11月14日 - )は… 多田野 栄(ただの さかえ、1935年11月14日 - )は、日本の経営者。タダノ社長、会長を務めた。 香川県高松市出身。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日商岩井に入社。 1959年に多田野鉄工所(のちのタダノ)に転じ、1975年に取締役に就任し、1979年11月に常務、1985年11月に常務、1993年6月に副社長を経て、1997年6月には社長に就任。2003年6月に会長に就任し、205年3月からは相談役を務めた。 2004年4月に藍綬褒章を受章。
木村 道夫(きむら みちお、1932年8月28日- )は、… 木村 道夫(きむら みちお、1932年8月28日- )は、日本の経営者。太平洋セメント社長、会長を務めた。 香川県高松市出身。1955年に東京大学法学部を卒業し、同年に日本セメントに入社。1984年7月に取締役に就任し、1989年6月に常務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1992年6月には社長に昇格。1998年10月には太平洋セメント社長に就任。2002年4月に会長を経て、2008年6月には相談役に就任。 1997年4月に藍綬褒章を受章し、2003年4月に勲二等瑞宝章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
多田野 久(ただの ひさし、1931年12月15日 - 20… 多田野 久(ただの ひさし、1931年12月15日 - 2008年11月10日)は、日本の経営者。タダノ社長、会長を務めた。 香川県高松市出身。1951年に徳島大学工学部を中退し、同年に多田野鉄工所(のちのタダノ)に入社。 1977年に取締役に就任し、1979年11月に常務、1980年11月に専務を経て、1987年11月には副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格。1997年6月に会長を経て、2002年4月に取締役相談役に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 2008年11月10日悪性リンパ腫のために死去。76歳没。
辻 義文(つじ よしふみ、1928年2月6日 - 2007年… 辻 義文(つじ よしふみ、1928年2月6日 - 2007年2月11日)は、香川県生まれの日本の経営者。日産自動車の社長、会長、日本自動車工業会会長、日本経済団体連合会副会長を歴任。日産リバイバルプラン以前、1990年代の経営危機において、日産自動車座間工場閉鎖を始め大規模なリストラを敢行した。 香川県高松市出身。旧制高松中学、東京大学工学部を卒業後、1954年に日産自動車入社。生産畑を歩み、1992年同社社長就任、1996年に塙義一を後継社長として会長となり、日本自動車工業会の会長や日本経済団体連合会副会長も務めた。 石原俊、久米豊ら歴代日産社長の拡大路線による失敗を受けて社長となり、1990年代にかけて経営危機に陥った日産のリストラを推し進めた。
藤井 義弘(ふじい よしひろ、1926年1月16日 - 20… 藤井 義弘(ふじい よしひろ、1926年1月16日 - 2016年6月1日)は、日本の経営者。日立造船社長、会長を務めた。香川県高松市出身。 旧制高松中学校を経て、1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に三和銀行に入行。1971年11月に取締役に就任し、1974年7月に常務、1977年12月に専務を経て、1982年4月には副頭取に就任し、1985年6月には副会長に就任。1988年6月には日立造船社長に就任し、今日の主力事業である環境事業の祖を築き、経営の再建に尽力し、「中興の祖」として活躍した。また、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが大阪市に進出する計画が浮上した際には、新宮康男の要請に応じ、桜島工場を閉鎖し、土地を提供し、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの開業に後押しした。
小森 敏之(こもり としゆき、1922年(大正11年)3月5… 小森 敏之(こもり としゆき、1922年(大正11年)3月5日 - 1981年(昭和56年)11月8日)は、日本の実業家である。丸大食品の創業者として知られた。 香川県高松市に小森保とその妻のかずえの間に長男として生まれる。今宮第五尋常高等小学校卒業後、証券会社であった不破商店に勤務した。後に水産物加工業務に携わり、1954年(昭和29年)には大阪市内で魚肉ハム及びソーセージの工場の創設、経営に携わった。小森はその工場名を「丸大食品」と称し、1958年(昭和33年)に株式会社化された。 1961年(昭和36年)には、同社で製造されたハムやソーセージにおける独自の小売店への販売システムを導入し、パートタイム労働者への育成に貢献した。
福田 保朝(ふくだ やすとも、1913年2月19日 - 19… 福田 保朝(ふくだ やすとも、1913年2月19日 - 1994年9月7日)は朝日放送元社長。 香川県高松市出身。1936年に関西大学専門部卒業後、朝日新聞社へ入社。社会部次長、整理部次長をつとめた後、1951年に朝日放送設立に参加。放送部報道課長、編成局次長、総務局長、営業局長、1962年取締役、1968年常務、1971年専務、1974年9月副社長、1983年6月社長就任。1990年6月相談役就任。1994年9月、呼吸不全のため81歳で死去。 毎年、兵庫県西宮市の自宅の庭で500株以上のチューリップを植えて育てた。 1988年、勲二等瑞宝章受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
穴吹 夏次(あなぶき なつじ、1909年〈明治42年〉7月2… 穴吹 夏次(あなぶき なつじ、1909年〈明治42年〉7月29日 - 2000年〈平成12年〉10月24日)は、株式会社穴吹工務店元社長。地方の建築業者だった穴吹工務店を、全国展開のデベロッパーに成長させた。また、穴吹興産や学校法人穴吹学園の創業者でもある。位階は従六位。 穴吹喜作と穴吹ムメの長男として、香川県高松市に生まれる。 1930年1月から家業の土木建築業に従事した。1937年3月に、川添村立川添青年学校の教官に就任する。[要出典] 1940年6月に、京都府警察部で警察官となった[要出典]。太平洋戦争中は軍に召集され、ウォレアイ環礁(メレヨン島)で終戦を迎えた。1945年10月に復員して、実父の建設業を継承した[要出典]。
宮武 徳次郎(みやたけ とくじろう、1906年 <明治39年… 宮武 徳次郎(みやたけ とくじろう、1906年 <明治39年> 11月3日 - 1989年 <平成元年> 8月23日)は、日本の経営者。大日本製薬社長、会長を務めた。香川県高松市出身。位階は正五位。 1928年に高松高等商業学校を卒業し、同年に大日本製薬に入社。1947年に取締役に就任し、1949年に常務、1950年に専務を経て、1956年には社長に就任。社長在任時にはサリドマイド事件の対応に追われた1981年から1985年までに会長を務めた。 1977年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1989年8月23日心不全のために死去。82歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
加藤 常太郎(かとう つねたろう、1905年〈明治38年〉4… 加藤 常太郎(かとう つねたろう、1905年〈明治38年〉4月30日 - 1990年〈平成2年〉10月11日)は、日本の実業家、政治家。位階は正三位。加藤海運社長、宇部工業短期大学初代学長、参議院議員(1期)、衆議院議員(13期)、労働大臣(第34代)。 香川県高松市出身。先代・常太郎の長男として生まれ、襲名する。高松商業を経て、奉天外国語学堂支那語科を卒業。 父が急逝したため、24歳で家業を継ぎ、機帆船を主にした加藤海運社長となる。海運業に慣れてくると神戸に乗り出し、小型汽船70隻を統合し、日本近海汽船(現:川崎近海汽船)を設立。代表取締役になった。しかし、太平洋戦争が激しくなったことを受け、会社経営を友人に任せ帰郷した。
石井 健一郎 (いしい けんいちろう、1903年9月19日 … 石井 健一郎 (いしい けんいちろう、1903年9月19日 - 2001年4月29日)は、元大同特殊鋼社長。同社名誉会長。元日経連副会長。愛知県経営者協会元会長。香川県高松市出身。 1924年(大正13年)第一回選抜高校野球大会において、母校である高松商業の監督を務め優勝に導く。(大同特殊鋼 創業100周年特設サイト 選抜発祥の地) 1926年(大正15年)、名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業後、大同製鋼(現大同特殊鋼)に入社。モータリゼーション時代の到来を予見し、特殊鋼一貫製造拠点の知多工場を建設。また、巧みな手腕で業界再編成を推進。同社の礎を築き、同社“中興の祖”と称されている。
上枝 一雄(うええだ かずお、1903年(明治36年)1月2… 上枝 一雄(うええだ かずお、1903年(明治36年)1月20日 - 1987年(昭和62年)5月5日)は、日本の実業家。三和銀行元頭取。 香川県高松市出身。1934年に東京帝国大学法学部を卒業し、三和銀行の前身である三十四銀行に入行。取締役、常務、専務を経て、1957年11月から副頭取を務め、1960年5月から頭取に就任し、1971年9月までに務めた。 その一方で、1966年から1977年までに関西経済連合会副会長を務め、南海電気鉄道、江崎グリコ、関西電力の各取締役、毎日新聞社相談役、関西テレビ放送監査役などを歴任した。1973年に勲二等旭日重光章を受章した。 1987年5月5日脳卒中により兵庫県芦屋市内の自宅で死去。
芦原 義重(蘆原、あしはら よししげ、1901年 <明治34… 芦原 義重(蘆原、あしはら よししげ、1901年 <明治34年> 3月4日 - 2003年 <平成15年> 7月12日)は、昭和期の実業家。関西電力元社長・会長・名誉会長。位階は正三位。芦原義倫は四男。 香川県高松市出身。高松中学、旧制第六高等学校を経て、1924年3月京都帝国大学工学部電気工学科卒業。同年、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄、企業としては現・阪急阪神ホールディングス)に入社した。1942年の配電統制により関西配電へ引継採用され、工務部電務課長に就任した。1946年、同社常務取締役、1950年、同社取締役副社長。 1951年の電気事業再編成により、関西電力常務取締役に就任した。1959年に太田垣士郎の後任として取締役社長に就任し、黒部川開発を始めとした電源開発と共にいち早く原子力発電を導入した。
児玉 謙次(こだま けんじ、1871年12月18日(明治4年… 児玉 謙次(こだま けんじ、1871年12月18日(明治4年11月7日) - 1954年(昭和29年)2月13日)は、日本の実業家。 香川県高松市生まれ。高等商業学校附属外国語学校(のちの東京外国語学校)を経て、1892年高等商業学校(一橋大学の前身)卒。 会計検査院に勤務し、1893年横浜正金銀行(のちの東京銀行)入行。1922年同頭取。大蔵省顧問、中支那振興株式会社総裁、貴族院議員(1939年8月28日任命)などを歴任。1945年終戦連絡事務局総裁。1946年5月14日、貴族院議員を辞職した。 1954年2月13日歿。行年84歳。墓所は染井霊園1-イ-4-7。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
大場 長平(おおば ちょうへい、1859年1月28日(安政5… 大場 長平(おおば ちょうへい、1859年1月28日(安政5年12月25日)- 1916年(大正5年)8月10日)は、明治から大正初期の実業家・政治家。衆議院議員、香川県会議長。 讃岐国山田郡、のちの香川県山田郡林村(木田郡林村を経て現高松市)で、大場吉次郎の二男として生まれる。漢学を修めた。1889年(明治22年)6月、家督を相続した。 1889年、讃岐鉄道取締役に就任。その他、讃岐農工銀行頭取、韓国実業監査役、東讃電気軌道(現高松琴平電気鉄道)社長などを務めた。 政界では、六条村戸長、林村会議員、木田郡四ケ池普通水利組合常設議員などを務めた。香川県会議員に選出され、1899年(明治32年)10月21日、同議長に就任し同月27日まで7日間在任した。
椎名 秀胤(しいな ひでたね、1851年10月13日(嘉永4… 椎名 秀胤(しいな ひでたね、1851年10月13日(嘉永4年9月19日) - 1912年(明治44年)4月4日)は、日本の文筆家・漢文学者・実業家。筆名・雅号は南浦。海運業などで活躍した明治の実業家の一人。『南浦遺集』という書名はこの雅号に由来する。 子孫には、実業家で元日本鉱業株式会社の役員・椎名芳胤、音楽家・文筆家の菊村紀彦、元奥州大学(現・富士大学)教授で近代日本の図書館学等に貢献した椎名六郎らがいる。日本鉱業は新日鉱ホールディングスへと受け継がれ、日立製作所や日産自動車を生んだ第二次世界大戦前の新興財閥、日産コンツェルンの源流となった企業の一つであった。 讃岐高松(現在の香川県高松市)にある石清尾八幡宮の宮司・岡田秀高の次男として生まれる。