池本 宗太朗(いけもと そうたろう、1988年8月19日 -… 池本 宗太朗(いけもと そうたろう、1988年8月19日 - )は、日本のバスケットボール選手である。香川県東かがわ市(旧引田町)出身。ポジションはフォワード。 東かがわ市立引田中学校1年生の時、部活見学をしたことがきっかけでバスケットボールを始める。 香川県立三本松高等学校を経て進学した流通科学大学を2011年3月に卒業。プロ選手になる夢はあったが就職し、香川県リーグ1部のクラブチーム・リコークリッパーに所属。2011年と2012年の国民体育大会香川県選抜チームのメンバーに選出されている。2013年1月には四国クラブバスケットボール選手権大会で香川県勢16年ぶりの優勝に貢献し、3月に全日本クラブバスケットボール選手権大会に出場した。
川畑 勇一(かわばた ゆういち、1972年10月6日 - )… 川畑 勇一(かわばた ゆういち、1972年10月6日 - )は、香川県東かがわ市出身の元プロ野球選手(捕手)、スポーツトレーナー。1996年以降の登録名は川畑 勇市。 三本松高校では1年秋に4番・捕手として県大会決勝へ進出したが宮地克彦が先発した尽誠学園に大敗し、四国大会も初戦敗退。JR四国へ進み1993年の都市対抗野球にNTT四国の補強選手として出場、ドラフトで同期入団の山部太とバッテリーを組んだ。同年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団したものの、一軍の公式戦には出場することなく1997年に引退。 その後は鍼灸師・柔道整復師に転身。四国アイランドリーグ発足1年目の2005年3月から香川オリーブガイナーズのトレーナーとなる(本名で活動)。
東 哲也(あずま てつや、1965年7月7日 - )は、香川… 東 哲也(あずま てつや、1965年7月7日 - )は、香川県大川郡大内町(現:東かがわ市)出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 三本松高校では、エース吉井憲治を擁し1982年秋季四国大会1回戦に進むが、池田高の水野雄仁に完封を喫する。翌1983年春季県大会では決勝で尽誠学園に惜敗。夏も県大会で敗れ、甲子園には出場できなかった。 1983年のドラフト会議で阪急ブレーブスへ4位指名で入団。外野手に転向したが1軍に出場したのは1987年の1試合だけに留まり1989年を最後に引退した。
吉鷹 幸春(よしたか ゆきはる、1964年2月12日 -)は… 吉鷹 幸春(よしたか ゆきはる、1964年2月12日 -)は日本の柔道家。現役時代は71kg級の選手。身長169cm。得意技は背負投、巴投。現在は桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部の教授で、同学部の学部長を務めている。柔道部の男女総監督も務めており、関東学生柔道連盟会長、全日本学生柔道連盟理事も務めている。。 香川県東かがわ市出身、世界選手権78kg級で4連覇を達成した藤猪省太の出身校である名門の大川中学に入学してから柔道を始めたこともあって、中学時代はレギュラーになれなかった。その後、寒川高校に進むと力を付けて、3年の時にはインターハイ中量級で優勝を飾るまでになった。筑波大学に進学すると、正力杯・全日本学生体重別選手権大会71kg級で2年、3年と連覇するたが、4年時には全柔連と学柔連の紛争により同大会への出場が叶わず3連覇はならなかった。
林 康子(はやし やすこ、1943年7月19日 - )は、ソ… 林 康子(はやし やすこ、1943年7月19日 - )は、ソプラノ歌手。香川県東かがわ市出身。夫はバス歌手のジャンニコラ・ピリウッチ。藤原歌劇団団員。 香川県立高松高等学校から東京芸術大学を経て同大学院修了後、ミラノ・ヴェルディ音楽院、スカラ座のオペラ研修所に留学。柴田睦陸、ニコラ・ルッチ、リア・グァリーニに師事。 1968年日伊声楽コンコルソ第一位、1970年モンティキァーリ国際コンクールおよびパルマ国際オペラ歌手コンクール第一位、1971年ロニーゴ国際コンクール第一位、1972年イタリア国営放送ロッシーニ生誕180周年記念コンクール第一位。1982年イタリア金の射手座賞、1983年毎日芸術賞、1988年サントリー音楽賞を受賞。
神風 正一(かみかぜ しょういち、1921年10月19日 -… 神風 正一(かみかぜ しょういち、1921年10月19日 - 1990年5月15日)は、香川県大川郡三本松町(のちの東かがわ市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。相撲解説者。本名は赤沢 正一(あかざわ しょういち)。最高位は東関脇。身長179cm、体重98kg。得意手は左四つ、上手投げ、外掛け。 小学校時代は朝日新聞社の健康優良児に選ばれたという経歴をもち、運動神経抜群にして頭脳明晰、噂を聞きつけた横綱玉錦の熱心な勧誘に折れて1937年(昭和12年)5月場所に初土俵を踏む。福住(のちの玉乃海)と同期だった。入門に当たって玉錦には「勉強がしたければ大学だって行かせてやる」とも言われていたが、その玉錦の死後流石に大学は諦めた。
中原 淳一(なかはら じゅんいち、1913年〈大正2年〉2月… 中原 淳一(なかはら じゅんいち、1913年〈大正2年〉2月16日 - 1983年〈昭和58年〉4月19日)は、日本の画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーター、人形作家。 妻は宝塚歌劇団元男役トップスターの葦原邦子。長女芙蓉、長男洲一、次男蒼二、次女すみれの二男二女があり、長男は画家。姪はシャンソン歌手の中原美紗緒。俳優・声優の加古臨王は孫。 先祖は物部姓中原氏といわれる。 幼少の時より絵や造形に才能を示し、18歳の時、趣味で作ったフランス人形が認められて東京の百貨店で個展を開催。それがきっかけで雑誌『少女の友』の挿絵、口絵、表紙絵、付録等を手掛けるようになり、一世を風靡する人気画家となる。
野網 和三郎(のあみ わさぶろう、1908年〈明治41年〉3… 野網 和三郎(のあみ わさぶろう、1908年〈明治41年〉3月11日 - 1969年〈昭和44年〉10月2日)は、日本の水産家。香川県引田町(現在の東かがわ市)出身。愛称は、「ワーサン」。日本で初めてブリ(ハマチ)の養殖(畜養)に成功したことで知られる。 野網和三郎は1908年3月11日に香川県大川郡引田の「まるさ」と呼ばれる網元の三男として生まれる。小学校に入学すると、祖父を亡くし、翌年には叔父をコレラで亡くしている。そのため、叔父の息子を野網家で預かることになり、和三郎は母の実家に二年間ほど預けられた。 その後、親に頼み込み島根県の水産学校に進み、後に三重県の志摩水産学校に転校して卒業した。
志度 藤雄(しど ふじお、1901年 - 1986年)は、日… 志度 藤雄(しど ふじお、1901年 - 1986年)は、日本のフランス料理人。吉田茂が首相を務めていた際に官邸料理人の任に就き「吉田茂の料理番」、「日本のフレンチの草分け」、「フレンチの先駆者」、「ムッシュ志度」とも称される。 香川県大川郡三本松町(大内町を経て、現在の東かがわ市)で植田右衛門・かつ夫妻の間の8人兄弟の末っ子に生まれる。生後間もなく、志度繁太郎・まさ夫妻の三男として養子となる。 三本松尋常高等小学校を卒業後、義理の叔父が経営する神戸市の西洋料理屋「精養軒」へ住み込みで働く。4年以上勤めた後、先輩や友人の勧めでいくつか働き先を移り歩いた後、1921年に京都市の「萬葉軒」に就職する。
南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日… 南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。東京帝国大学の総長を務めた。位階は従二位。 無教会主義の立場から国家主義とマルクス主義を批判。サンフランシスコ講和条約をめぐっては全面講和を主張して内閣総理大臣吉田茂から「曲学阿世の徒」と罵られた。
保井 コノ(やすい コノ、1880年2月16日 - 1971… 保井 コノ(やすい コノ、1880年2月16日 - 1971年3月24日)は、日本の植物学者・細胞学者。理学博士(東京帝国大学・論文博士・1927年)。日本初の女性博士号取得者。東京女子高等師範学校教授(39歳)、お茶の水女子大学教授などを経て、お茶の水女子大学名誉教授(72歳)。男女差別の著しい時代に、女性科学者として多くのことに、日本初のという形容詞が付く先駆者の道を歩み、女性科学者の道を拓いた。保井の学位取得をきっかけに、他の分野でも女性博士が出るようになる。 1880年香川県生まれ。香川県師範学校を経て女子高等師範学校を卒業、教師となる。34歳で渡米し、シカゴ大学で細胞学、ハーバード大学で石炭学を研究。
宮脇 長吉(みやわき ちょうきち、1880年2月5日 - 1… 宮脇 長吉(みやわき ちょうきち、1880年2月5日 - 1953年2月16日)は、日本の陸軍軍人、政治家、実業家。最終階級は陸軍航空兵大佐。衆議院議員。紀行作家宮脇俊三の父。軍人時代に教え子だった佐藤賢了に黙れ事件を起こされるなど戦前は自由主義者で、そして戦後は元軍人であるがゆえに政治家としては不遇な立場に置かれてしまった。 愛媛県大川郡誉水村(現・香川県東かがわ市西部の一部)の農業・宮脇清吉の四男。兄弟には田中義一内閣や幣原喜重郎内閣等で大臣を務めた政治家の三土忠造(漢学者の家柄であった三土家の養子となった)、内務官僚として埼玉県や千葉県等の知事を歴任した宮脇梅吉(埼玉県知事時代に、初めて大宮・浦和・与野の「埼玉市」を構想した)がおり、地元では優秀な兄弟として知られ、後に雑誌『少年倶楽部』の「兄弟出世クラブ」というグラビアで紹介されるほどだった。
棚次 辰吉(たなつぐ たつきち、明治7年(1874年)10月… 棚次 辰吉(たなつぐ たつきち、明治7年(1874年)10月15日 - 1958年5月19日)は、日本の発明家、実業家。 東かがわ市における手袋産業の育ての親とされる人物である。東かがわ市の白鳥神社の敷地内にある手袋神社に銅像がある。 讃岐国大内郡松原村(現在の香川県東かがわ市松原)出身。明治22年に教蓮寺に奉公に出る。明治24年に大阪に行き、メリヤス商店に入り、従兄弟の両児舜礼の下で手袋などの製造販売を修得する。明治27年に独立した。明治30年にメリヤス加工のミシンを考案した。明治32年に教蓮寺内に積善商会を起こし、手袋の製造を始める。大正5年に大阪手袋工場を創業した。 その後、第一次世界大戦の特需により、東かがわ市内に手袋会社や工場が多く作られ、現在まで続く東かがわ市における手袋産業発展のきっかけになった。
三土 忠造(みつち ちゅうぞう、1871年8月11日〈明治4… 三土 忠造(みつち ちゅうぞう、1871年8月11日〈明治4年6月25日〉- 1948年〈昭和23年〉4月1日)は、明治から昭和にかけての日本の政治家。 讃岐国大内郡水主村(現在の東かがわ市)出身。 長年立憲政友会の衆議院議員として党内にて重きをなし、内閣書記官長を振り出しに文部大臣・大蔵大臣・逓信大臣・鉄道大臣・枢密顧問官・内務大臣(一時運輸大臣も兼務)を歴任した戦前政界の重鎮である。 讃岐国に中農階層の宮脇清吉の二男として生まれ、三土幸太郎(雅号は梅堂)の婿養子となる。三土家は地主階層に属し、経済的に余裕があったため、代々学問に励み、在郷の漢学者として知られる家柄であった。香川県尋常師範学校卒業後、一旦は小学校教員となるが、上京して東京高等師範学校に入り1897年(明治30年)に首席卒業を果たす。
平野川 善右エ門(ひらのがわ ぜんえもん、1863年(文久3… 平野川 善右エ門(ひらのがわ ぜんえもん、1863年(文久3年) - 1912年(明治45年)4月19日)は讃岐国大内郡引田村(現・香川県東かがわ市引田)出身の大相撲力士。本名は今出善藏。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 10代小野川に入門。1886年(明治19年)11月平野川 鹿藏(1894年(明治27年)4月まで番付では平の川または平ノ川と表記された)で四段目に初見。1890年(明治23年)8月には早くも入幕した。 167cm、103kg。突っ張りを得意とし、闘志に満ちた取り口は調子に乗ると実力以上の活躍を見せた。また立合いの汚い力士が多かった大阪相撲において立合いがきれいなことで知られた。1893年(明治26年)10月には8戦全勝を記録。
久米 通賢(くめ みちかた、もしくは つうけん、1780年(… 久米 通賢(くめ みちかた、もしくは つうけん、1780年(安永9年) - 1841年6月25日(天保12年5月7日))は、江戸時代の日本の発明家、暦学者、測量家、洋学者などである。通称は栄左衛門。 伊能忠敬よりも早く、日本初の実測地図を作った人物である。地元香川県では偉人として顕彰されており、「讃岐のエジソン」「塩田の父」などと称される。 1780年(安永9年)、讃岐国大内郡馬宿(現在の香川県東かがわ市)の農家に生まれる。幼少のころから利発で学問好きな子だったため、引田港から大坂に向かう船の舵取りも務めていた父の嘉兵衛は、大坂に行くたび通賢のために書物を買ってきていた。また、手先が器用で熊や獅子を粘土で作るのが得意だったため「獅子熊」と呼ばれていた。
笠置 シヅ子 は、日本の歌手、女優。本名は亀井 静子。戦前か… 笠置 シヅ子 は、日本の歌手、女優。本名は亀井 静子。戦前から戦後にかけて活躍し、特に戦後は「ブギの女王」として一世を風靡した。