宇都宮 照信(うつのみや てるのぶ、1949年12月24日 … 宇都宮 照信(うつのみや てるのぶ、1949年12月24日 - )は、日本の鉄道愛好家。 日本食堂(当時)・ジェイダイナー東海(現:ジェイアール東海パッセンジャーズ)で調理業務に携わる。退職後、九州鉄道記念館館長代理(のちに副館長)に就任した。 福岡県福岡市博多生まれ。 1965年の高校進学時には当時熊本にあった全寮制の鉄道学校を受験した が、合格後に工業高校に改組されてしまった ため、自宅近くの工業高校に進学。在学中は蒸気機関車の撮影に明け暮れたため、学業がおろそかになってしまい、卒業後に何度か日本国有鉄道(国鉄)の採用試験を受けたがすべて失敗に終わったという。1968年に高校を卒業後、少しでも蒸気機関車のそばにいたいという理由で九州整備に入社する が、たまたま通過した寝台特急「はやぶさ」の食堂車が目に留まったのをきっかけとして、1969年5月に日本食堂(当時)に入社し、新博多営業所に配属となる。
八木 誠(やぎ まこと、1949年(昭和24年)10月13日… 八木 誠(やぎ まこと、1949年(昭和24年)10月13日 - )は、日本の実業家。元関西電力代表取締役会長である。在任中善管注意義務違反により損害を与えたとして、関西電力から総額19億円を超える損害賠償請求訴訟を受けた。 非常勤で関西経済連合会の2025年日本国際博覧会担当副会長や、電源地域振興センターの会長、日本動力協会の副会長、日本原子力発電の取締役などを務め、原子力発電環境整備機構の評議員にもなっていた。大阪府高槻市在住。 福岡市出身。福岡県立修猷館高等学校を経て、1972年3月京都大学工学部電気工学科卒業。修猷館の同期には、大陽日酸代表取締役会長吉村章太郎、大阪証券取引所社長を務めた米田道生がいる。
植木 とみ子(うえき とみこ、1949年〈昭和24年〉8月1… 植木 とみ子(うえき とみこ、1949年〈昭和24年〉8月17日 - )は、日本の法学者。 福岡県福岡市出身。元長崎大学助教授、元財団法人福岡市文化芸術振興財団副理事長、元福岡市総合図書館長。
中牟田 俊男(なかむた としお、1949年7月21日 - )… 中牟田 俊男(なかむた としお、1949年7月21日 - )は、日本のシンガーソングライター、ギタリスト、作曲家であり、海援隊のメンバー。通称「ムーさん」。福岡県福岡市出身。 西南学院大学在学中の1971年に武田鉄矢を誘い、海援隊を結成。1972年にデビューする。武田は福岡県立筑紫中央高等学校の同級生。1982年にグループを解散後、『IT(イット)』『プレーン・グラス』などのアルバムをリリースした。『IT(イット)』では、海援隊時代の曲「涙がらがら」や武田がソロで歌った「声援」などをセルフカヴァーしている。1993年に海援隊を再結成する。その後、海援隊と並行してのソロ活動を、東京の「四谷コタン」を中心に展開。
武田 鉄矢(たけだ てつや、1949年〈昭和24年〉4月11… 武田 鉄矢(たけだ てつや、1949年〈昭和24年〉4月11日 - )は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者、作詞家。フォークグループ・海援隊のボーカル・リーダー。 代表曲に「母に捧げるバラード」、「あんたが大将」、「人として」、「贈る言葉」、「思えば遠くへ来たもんだ」(いずれも海援隊)などがある。 福岡県立筑紫中央高等学校卒業、福岡教育大学中退ののち名誉卒業(名誉学士であり、厳密には大学学部卒の扱いにはならない)。 長崎市亀山社中記念館名誉館長。 1949年(昭和24年)、福岡県福岡市博多区(出生当時は筑紫郡那珂町)生まれ。5人兄弟姉妹の末っ子で、12歳上の兄と3人の姉がいる。母・武田イクと父・嘉元は熊本県阿蘇郡南小国町中原字樋ノ口の出身。
はしもと てつじ(本名:橋本哲嗣、1949年 - 2000年… はしもと てつじ(本名:橋本哲嗣、1949年 - 2000年)は、日本の漫画家。福岡県福岡市出身。 福岡県立福岡高等学校卒業後に上京。1971年に漫画サンデーでデビューするが、真崎守と長谷川法世(高校の先輩でもある)のアシスタントを経た後、1978年頃に独立して本格的な創作活動に入る。
山田 順子(やまだ じゅんこ、1948年12月12日 - )… 山田 順子(やまだ じゅんこ、1948年12月12日 - )は、日本の英米文学翻訳家。 福岡県福岡市生まれ、福岡中央高校、立教大学社会学部卒業。1975年、ハンナ・セネシュの『ハンナの日記』(平安書店刊)にてデビュー。翻訳は、児童書からSF、ミステリーまで幅広い分野にわたっている。日本推理作家協会会員。 浅倉久志が中心となって、翻訳家の交流会「エイト・ダイナーズ」が、小尾芙佐、深町眞理子、大村美根子、山田順子、佐藤高子、鎌田三平、白石朗というメンバーで行われていた。 (ピアズ・アンソニイ、早川書房、ハヤカワ文庫FT) (フィリップ・プルマン、東京創元社、創元ブックランド) (ジェイニー・ボライソー、東京創元社、創元推理文庫) (デイヴィッド・アーモンド、東京創元社) この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
井上 友二(いのうえ ゆうじ、1948年10月19日 - )… 井上 友二(いのうえ ゆうじ、1948年10月19日 - ) は、日本の技術者。NTT取締役最高技術責任者や、トヨタIT開発センター代表取締役会長、情報通信技術委員会理事長、電子情報通信学会会長などを歴任した。 福岡県福岡市出身。1967年福岡県立修猷館高等学校卒業。1971年九州大学工学部電子工学科卒業。1973年九州大学大学院工学研究科修士課程電子工学専攻修了、日本電信電話公社入社。1986年九州大学工学博士。1997年日本電信電話国際本部担当部長。1998年日本電信電話マルチメディアネットワーク研究所所長。1999年NTTデータ技術開発本部副本部長、モンゴル科学技術大学名誉教授。2000年NTTデータ取締役技術開発本部副本部長兼ビジネス企画本部副本部長。
鈴木 英人(すずき えいじん、EIZIN、本名:同じ(英人の… 鈴木 英人(すずき えいじん、EIZIN、本名:同じ(英人の読み:ひでと)、1948年7月6日 - ) は、日本のイラストレーター。 福岡県福岡市出身。神奈川県立横須賀高等学校卒業。神奈川県逗子市在住。 1980年頃からイラストレーターとして活動を始める。鈴木のイラストは、『タンタン』の作者であるエルジェや、わたせせいぞうのように、グラデーションを実線で表すリーニュクレール様式が一つの特徴となっており、作中では車や海岸といったモチーフが良く使われる。 また、わたせや永井博のイラストとともに1980年代を象徴するイラストレーターとして認知されている。 特に初期の作品ではアメリカ西海岸を思わせる風景をモデルにしたイラストが多いと誤解されているが、実際に渡米しアメリカ西海岸を訪れて鈴木が目にしたのはアメリカではなく南欧スペインのような風景だった。
上田 清司(うえだ きよし、1948年〈昭和23年〉5月15… 上田 清司(うえだ きよし、1948年〈昭和23年〉5月15日 - )は、日本の政治家。国民民主党所属の参議院議員(2期)。同党副代表兼参議院議員副会長。 衆議院議員(3期)、埼玉県知事(第57・58・59・60代)、全国知事会会長(第12代)を歴任した。 福岡市生まれ、大牟田市育ち。福岡県立三池高等学校、法政大学法学部法律学科卒業。後、法政大学弁論部に所属。大学卒業後は早稲田大学大学院政治学研究科へ進学。大学院在学中に埼玉県所沢市で学習塾「向陽塾」を開業。また、これも大学院在学中の1976年(昭和51年)、新自由クラブの立党に参画する。1977年(昭和52年)、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。
赤川 次郎(あかがわ じろう、本名同じ、1948年〈昭和23… 赤川 次郎(あかがわ じろう、本名同じ、1948年〈昭和23年〉2月29日 - )は、日本の小説家。福岡県福岡市博多区出身。血液型はA型。桐朋高等学校卒業。父は元満洲映画協会、東映プロデューサーの赤川孝一。 3歳の頃に手塚治虫の漫画に影響を受け、小学生の時には漫画を描き始めるも挫折。中学時代に『シャーロック・ホームズの冒険』に出会い、3年生の時に見よう見まねで小説を書き始める。当時よく読んでいたジャンルに影響され、中世ヨーロッパの騎士の物語などを書いていた。空想好きの少年であったようで、恋愛も自分が空想していたとおりであったとエッセイに書いている。 父・赤川孝一は他に家庭を持っていたので別居しており、幼少時もほとんど顔を合わせていなかったが、転勤によって東京に引っ越したため、赤川は小学校の担任の薦めにより中高一貫教育の私立桐朋学園を受験することになる。
財津 和夫(ざいつ かずお、1948年2月19日 - )は、… 財津 和夫(ざいつ かずお、1948年2月19日 - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー、ラジオDJ、俳優。ポップスグループ「チューリップ」のリーダー。2004年から大阪芸術大学芸術学部音楽学科教授。血液型O型。和製ポール・マッカートニーと呼ばれる日本のメロディメーカー。
柴山 俊之(しばやま としゆき、1947年6月9日 - )は… 柴山 俊之(しばやま としゆき、1947年6月9日 - )は、日本のミュージシャン、作詞家。サンハウス、Zi:LiE-YA、Electric Mud、BLUES LION、Rubyなどのバンドを率い、ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。ボーカル、ハーモニカ、タンバリン、マラカスを担当。ステージネームは菊。 福岡県福岡市出身。福岡大学卒。剣道三段、ボイラー技士免許。福岡県立筑紫丘高等学校を1年1学期で退学後、福岡大学附属大濠高等学校へ転入。ダンスホールに入り浸る。ダンスホールのバンドでギターを弾いていた高校の同級生・笠原久義を偶然見かけたことからバンドに興味を持つ。当初はドラムを担当していたが、あるダンスパーティーでボーカルを務め(パーティーに来ていた女の子に声をかけられるなどで気をよくし)たことなどから、ボーカルにシフトする。
生田 悦子(いくた えつこ、1947年〈昭和22年〉4月8日… 生田 悦子(いくた えつこ、1947年〈昭和22年〉4月8日 - 2018年〈平成30年〉7月15日)は、日本の女優、モデル、タレント。本名同じ。福岡県福岡市出身。身長160cm(1967年1月)。 9歳の時に両親が離婚し、母方の祖父母の元で育つ。1963年に準ミス平凡に入選、その際にテレビ局のプロデューサーと知り合いになる。1964年、16歳で元母に銀座のクラブで働かされそうになるが、テレビ局のプロデューサーとの縁でモデル事務所に所属、ファッションモデルやCMタレントとして活躍。同年、TBS系の連続ドラマ『格言社長と実行社員』に出演。又、セイコーの腕時計のCMで人気をつかみ、1966年には松竹にスカウトされて入社、同年11月に映画『命果てる日まで』の主役で映画デビュー。
二宮 和弘(にのみや かずひろ、1946年11月28日 - … 二宮 和弘(にのみや かずひろ、1946年11月28日 - )は、日本の柔道家。1976年モントリオールオリンピック柔道男子93kg級金メダリスト。福岡県福岡市出身。柔道九段。 博多高校卒業後、天理大学を経て、正気塾にて岡野功に師事する。その後、当時の福岡県警柔道師範の誘いで、1972年4月より県警に入る。同年全日本選手権で3位入賞。 1973年のスイス・ローザンヌの世界選手権での無差別級で優勝、翌1974年の全日本選手権でも準優勝。永くライバル関係の上口孝文(同じく全日本柔道選手権準優勝経験者)を下して出場した1976年モントリオールオリンピックでは、当時の日本人選手が苦手にしていたクラスで金メダルを獲得。
井上 修(いのうえ おさむ、1946年7月20日 - )は、… 井上 修(いのうえ おさむ、1946年7月20日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ。
木村 一信(きむら かずあき、1946年4月24日 - 20… 木村 一信(きむら かずあき、1946年4月24日 - 2015年9月26日)は、日本近代文学研究者。学位は、文学博士(立命館大学・論文博士・2000年)。熊本県立熊本女子大学助教授・立命館大学教授などを経て、立命館大学名誉教授。 福岡市生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。2010年4月にプール学院大学・プール学院大学短期大学部学長に就任。2015年4月からは大阪成蹊短期大学学長。現職のまま、2015年9月26日午後11時34分大阪府の高槻赤十字病院にて、すい臓癌のため逝去。 主として中島敦を研究し、昭和初期の南方における文学について考究した。
田島 信元(たじま のぶもと、1946年 - )は、日本の心… 田島 信元(たじま のぶもと、1946年 - )は、日本の心理学者。白百合女子大学文学部児童文化学科発達心理学専攻教授。ご専門領域は、発達心理学と文化心理学など。博士(人間科学)。福岡県福岡市出身。
藤間 紀子(ふじま のりこ、1945年11月11日 - )は… 藤間 紀子(ふじま のりこ、1945年11月11日 - )は、日本の女性実業家。福岡県福岡市出身。福岡女学院中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。 高麗屋を陰で支え、株式会社松本幸四郎事務所の社長も務める。
太田 誠一(おおた せいいち、1945年〈昭和20年〉10月… 太田 誠一(おおた せいいち、1945年〈昭和20年〉10月30日 - 2024年〈令和6年〉12月4日)は、日本の政治家、経済学者。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。自由民主党所属で衆議院議員(8期)を務め、小渕内閣で総務庁長官、福田康夫改造内閣で農林水産大臣をそれぞれ歴任した。 財務行政に詳しく、大蔵政務次官(竹下改造内閣)、衆議院大蔵委員長、自民党財政部会長などを務めたほか、宏池会会長代行、自民党人権問題調査会会長なども歴任した。 福岡県福岡市出身(広島県生まれ)。父は元博多大丸会長の太田清之助。 太田家は、江戸期に遠賀から博多に出て、油屋で財を築いた初代清蔵以来、当主は清蔵を襲名している。
中川 八洋(なかがわ やつひろ、1945年1月20日 - )… 中川 八洋(なかがわ やつひろ、1945年1月20日 - )は、日本の政治学者、保守主義者。筑波大学名誉教授。外交史・戦史を含む国際政治学、英米系政治哲学および憲法思想、“皇位継承学”など。
進 千賀子(しん ちかこ、1944年3月6日 - )は、日本… 進 千賀子(しん ちかこ、1944年3月6日 - )は、日本の女優。 本名は同じ。中国・上海出身。福岡県福岡市育ち。福岡市立博多第二中学校、博多高等学校卒業。丹波プロに所属していた。 父親は共同通信社の記者で、第二次世界大戦後、家族とともに福岡県に引き揚げる。高校3年時に日活撮影所を見学した時にスカウトされる。1962年、高校卒業とともに日活に入社する。劇団民藝での養成期間を経て、同年、映画『若くて、悪くて、凄いこいつら』でデビューし、青春スターとして活躍する。1967年、東宝テレビ部に移籍するが、のちにフリーとなりテレビドラマで活躍した。 1978年、日高 千賀子名義で、海外ドラマ『チャーリーズ・エンジェル』の声優を担当する。
坂本 紘二(さかもと こうじ、1944年 - )は、日本の環… 坂本 紘二(さかもと こうじ、1944年 - )は、日本の環境学者。元下関市立大学学長、元山口大学監事。 日本統治時代の朝鮮京城(現:韓国ソウル)生まれ、福岡県福岡市育ち。 1973年3月、九州大学大学院工学研究科博士課程単位取得満期退学後、同大学工学部助手。1995年4月、下関市立大学教授。2007年4月、同学長(-2010年3月)。2010年4月 山口大学監事に就任。 環境学、土木技術論を専攻する観点から、市や県の施策や市民活動に参加。また、筑後川流域の水利や、「もたせ」にみられる治水システムに関する研究を行っている。下関市新市庁舎建設候補地検討委員会の委員長やごみ減量等推進審議会員、NPO法人「環境みらい」の理事長も務めている。
中島 昭彦(なかしま あきひこ、1944年 - )は、日本の… 中島 昭彦(なかしま あきひこ、1944年 - )は、日本の歯科医師・歯学者。九州大学大学院歯学研究院口腔保健推進学講座咬合再建制御学分野名誉教授。歯科矯正学の分野で知られる。 福岡県福岡市生まれ。1969年に九州歯科大学を卒業、同大学院進学後、1971年より九州大学助手、講師を務め、1992年より教授に就任。 1976年 九州歯科大学より 歯学博士号を与えられた。論文の題は 「咀嚼機能に関与する二、三の生理学的要因の分析 」。 この項目は、歯学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:歯学/Portal:医学と医療)。
古賀 義弥(こが よしや、1943年12月8日 - )は、日… 古賀 義弥(こが よしや、1943年12月8日 - )は、日本の作曲家、ギタリスト、演出家、ボイストレーナー。旧芸名:古賀 修。 福岡県福岡市出身。福岡大学法学部法律学科卒業。 音楽大学を志すも家族(特に姉)の反対により断念し、法学部に進学。地元の福岡でカントリーバンド「シュガーフット・ブラザース」を結成しボーカルを担当。1966年に渡辺プロダクションにスカウトされて上京、GSグループの「レオ・ビーツ」を結成し、ギター・ボーカルを担当。キングレコードから『霧の中のマリアンヌ』でデビュー。 1973年に渡辺プロから独立し、レオ・ビーツ6名のうち3名に新しいメンバー1名を加えて「ブルー・ジャッカス」結成。
楢崎 欣弥(ならざき きんや、1943年8月19日 - 20… 楢崎 欣弥(ならざき きんや、1943年8月19日 - 2019年3月15日)は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(2期)。 衆議院議員、社会民主連合書記長・副代表を務めた楢崎弥之助は父。母は、部落解放同盟執行委員長の松本治一郎の姪の長女である。名前は泉鏡花の『瀧の白糸』に登場する検事・村越欣弥に由来。 福岡県福岡市生まれ。東福岡高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。大学卒業後、農用地開発機械公団(現森林整備センター)勤務を経て、父・楢崎弥之助の秘書を務める。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で福岡3区から立候補したが、自由民主党の太田誠一に敗れ、落選した。福岡3区は、父・弥之助の選出選挙区であった旧福岡1区に含まれる。
田中 清士(たなか きよし、1943年5月16日 - )は、… 田中 清士(たなか きよし、1943年5月16日 - )は、日本のジャーナリスト。元日本放送協会職員。 1943年5月16日、福岡市生まれ。修猷館高等学校、慶應義塾大学卒。1968年NHK入局、青森局赴任。その後、東京社会部、九州沖縄報道統括、列島リレーニュース編集長、宮内庁キャップ、科学文化部長、水戸放送局長。退職後、NHK放送研修所教官。いのちを語り継ぐ美術館館長。特定非営利活動法人インファクト アドバイザー。 社会部記者としてロッキード事件の取材に従事。真山仁のノンフィクション書籍『ロッキード』の取材に応じ、1976年2月、チャーチ委員会証言の第一報を受けた直後に東京地検特捜部を取材した様子を回想している。
宮本 又郎(みやもと またお、1943年 - )は、日本の経… 宮本 又郎(みやもと またお、1943年 - )は、日本の経済学者・歴史学者。大阪大学名誉教授。学位は、経済学博士(大阪大学)。専攻は日本経済史。 福岡市生まれ。大阪府立池田高等学校を経て神戸大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程中退。神戸大学経済学部助手、大阪大学経済学部教授、同大学経済学部長、関西学院大学大学院経営戦略研究科教授を歴任。経営史学会会長、放送大学客員教授も務める。日本学術会議会員。企業家研究フォーラム会長。 父親の宮本又次も日本経済史の研究者。
久保田 勇夫(くぼた いさお、1942年(昭和17年)12月… 久保田 勇夫(くぼた いさお、1942年(昭和17年)12月6日- )は、日本の官僚、銀行家、西日本シティ銀行代表取締役会長。
江藤 漢斉(えとう かんさい、本名:江藤順一、旧芸名:江藤 … 江藤 漢斉(えとう かんさい、本名:江藤順一、旧芸名:江藤 漢、江藤 潤、1942年11月13日 - 2020年8月10日)は、日本の俳優。最終所属はアイティ企画。身長173cm、血液型A型。福岡県福岡市出身。福岡大学卒業。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
西村 英俊(にしむら ひでとし、1942年4月29日 - 2… 西村 英俊(にしむら ひでとし、1942年4月29日 - 2013年12月31日)は、日本の実業家。双日最高経営責任者(CEO)。西日本高速道路社長。
原田 種眞(はらだ たねまさ、1942年 - )は日本の歴史… 原田 種眞(はらだ たねまさ、1942年 - )は日本の歴史小説作家。福岡県福岡市生まれ。西南学院大学経営学部卒業。 会社勤務の傍ら執筆活動を行う。1989年(平成1年)、九州の戦国武将・立花宗茂の波乱の生涯を描いた『火の槍 立花宗茂』にてデビュー。主に史実に沿った歴史小説を手掛ける。 ※ 単行本の刊行順に記す。
南 将之(みなみ まさゆき、1941年7月8日 - 2000… 南 将之(みなみ まさゆき、1941年7月8日 - 2000年4月7日)は、日本の元バレーボール選手(元全日本代表)・指導者。元バレーボール全日本男子代表監督。 福岡県福岡市出身。福岡市立当仁小学校出身。福岡大大濠高校卒業後、1960年旭化成に入社、バレーボール部に入部。196cmの大型スパイカーとして活躍した。1961年全日本代表初選出。オリンピックでは1964年東京五輪で銅メダル、1968年メキシコ五輪で銀メダルを獲得。 そして1972年ミュンヘン五輪では念願の金メダルを獲得。特に準決勝のブルガリア戦では、相手チームのエース・ズラタノフの活躍で先に2セットを奪われて、絶体絶命の状況で第3セット途中から出場し、ミュンヘンの奇跡として語り継がれる逆転勝利の立役者となった。
坪井善道(つぼいよしみち、1941年- )は、日本の建築系都… 坪井善道(つぼいよしみち、1941年- )は、日本の建築系都市計画学者、都市計画家。日本大学名誉教授。一般財団法人 建築・まちづくり協力研究所理事・研究主幹。一級建築士・管理建築士。博士 (工学)。福岡県福岡市生まれ。父は東京大学名誉教授の構造家坪井善勝。兄は坪井善昭東京芸術大学名誉教授。 1965年、日本大学理工学部建築学科卒業。卒業論文は東京大学生産技術研究所教授の川股重也のもとで「壁式アパートを四階から五階にするための理論と実験」について。1967年、日本大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程修了。市川清志に師事(「大都市の構造」を修士論文のテーマにした。)。 大学院修了後、丹下健三・都市建築設計研究所(URTEC、現・丹下都市建築設計)に10年弱在職。
井川博年(いかわ ひろとし、1940年12月18日 - )は… 井川博年(いかわ ひろとし、1940年12月18日 - )は、日本の詩人。 福岡市生まれ。生家は船会社を営む。4歳より松江市に帰住。島根県立松江工業高等学校造船科卒。十代より俳句と詩を投稿。文通で丸山辰美、岡田隆彦を知る。1959年『現代詩手帖』で木原孝一の「現代日本新人詩選」に選ばれ、国井克彦、辻征夫を知り、『銛』結成に参加。1962年『見捨てたもの』刊行。高校卒業後は造船所勤務ののち多くの職を転々とする。20代後半には香港を放浪し、帰国後結婚、日中学院で中国語を学ぶ。30代より建築の設備設計に従事、後に会社自営。40代は個人誌『樽』を刊行。1989年頃より小沢信男の余白句会に加わる。2001年『そして、船は行く』で第2回山本健吉文学賞受賞。
四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 20… 四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 2025年3月9日[要出典])は、福岡県福岡市生まれ、ドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家。 早稲田大学第一文学部社会学科を卒業。講談社に勤務するが、友人の泉田昌慶が黒木和雄監督の助監督だったことから、岩波映画製作所の演出家たちを中心にした同人組織「青の会」に入会。 1965年に講談社を退社し、フリーの助監督として土本典昭に師事する。1969年に岩波映画で『カラーの眼』を初演出。 のち、「日本リクルートセンター」、小泉修吉の「グループ現代」などで、教育・環境・障害者などに関わる、多数の作品を演出。 また、1970年代初期には「ある日のヨーロッパ」(フジテレビ)などのテレビのミニ番組も制作。
井上 直幸(いのうえ なおゆき、1940年(昭和15年)1月… 井上 直幸(いのうえ なおゆき、1940年(昭和15年)1月11日 - 2003年(平成15年)4月22日)は、日本のピアニスト。 1940年(昭和15年)、 福岡県福岡市生まれ。大島正泰に師事し、1960年に桐朋学園大学短期大学部音楽学科を卒業。1964年、シュトゥットガルト音楽大学に入学し、A.エアフルト、H.ロイターに師事。1年後フライブルク音楽大学に移り、エディット・ピヒト=アクセンフェルトのもとで研鑽を積む。1969年(昭和44年)同大学を首席で卒業した。ケルンでデビュー・リサイタルを開いた後、ミュンヘン国際音楽コンクール入賞。 1970年、フライブルク音楽大学講師に就任。以降ヨーロッパ各地で多くの演奏会を行い、数々の放送にも出演した。
高木 誠(たかぎ まこと、1939年10月24日 - 201… 高木 誠(たかぎ まこと、1939年10月24日 - 2011年3月17日)は、日本の化学工学者。九州大学名誉教授。元公立大学法人福岡女子大学理事長兼学長。元日本分析化学会会長。 福岡県福岡市生まれ。1958年福岡県立修猷館高等学校を経て、1962年九州大学工学部合成化学科卒業。1967年九州大学講師。1968年九州大学大学院工学研究科修了、工学博士。同年九州大学助教授。1983年九州大学教授。1984年日本化学会無機分析部門賞受賞。1994年日本分析化学会賞受賞。2000年九州大学教育研究センター長、九州大学評議員。2001年日本分析化学会会長。2003年定年退職、九州大学名誉教授。2005年福岡女子大学学長。
前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、… 前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、日本のジャーナリスト・軍事評論家。元東京国際大学国際関係学部教授、元沖縄大学客員教授。専門は軍事・安全保障論。 福岡県福岡市生まれ。県立福岡高校卒業後、長崎放送に入社、放送記者となる。1971年に退社後、ジャーナリストとしての活動を始める。 日本社会党(現社会民主党)の安全保障問題に関するブレーンであり、日本とアメリカの軍事戦略に、その立場から平和主義を唱えて反対している。 2015年12月9日には憲政記念会館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく資金集めのパーティに参加している。
樋口 修吉(ひぐち しゅうきち、1938年3月2日 - 20… 樋口 修吉(ひぐち しゅうきち、1938年3月2日 - 2001年10月4日)は、日本の小説家。本名、黄田 康嗣(おうだ やすつぐ)。福岡県福岡市生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科及び法学部法律学科卒。 大学卒業後、三井物産に入社。無機化学品の輸出を担当。11年勤務した後退職。ヨーロッパ、南米などを放浪後、作家活動に入る。商社マン時代、銀座界隈でギャンブルに明け暮れた経験から、銀座を舞台とした作品が多い。またギャンブル小説の名手としても知られ、「真正都会無頼派」(安部譲二)と称される。 1981年、『ジェームス山の李蘭』で第36回小説現代新人賞を受賞。同作は第90回直木賞候補にも選ばれ、野沢尚脚本で映画化もされた。
鈴木 英夫(すずき ひでお、1938年2月24日 - 201… 鈴木 英夫(すずき ひでお、1938年2月24日 - 2015年3月9日)は、日本の官僚、経営者。福岡県福岡市出身。 1961年に早稲田大学理工学部を卒業し、同年に通商産業省に入省。立地公害局石炭課長、資源エネルギー庁石炭部産業課長、石炭部長、通商産業省官房審議官、技術総括審議官などを歴任し、1991年6月に立地公害局長に就任し、1992年6月をもって、退任。 石油公団理事を経て、1995年に三菱マテリアル常務に就任し、2000年には副社長に昇格した。2002年6月27日付で同社顧問と三菱原子燃料取締役社長に就任。 2008年に瑞宝中綬章を受章した。 2015年3月9日がんのために死去。77歳没。
箱島 信一(はこしま しんいち、1937年12月9日 - )… 箱島 信一(はこしま しんいち、1937年12月9日 - )は、日本のジャーナリスト。朝日新聞社元社長。公益財団法人日本対がん協会顧問、一般社団法人日本外交協会理事。福岡県福岡市東区出身。
池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月1… 池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月13日 - 2023年〈令和5年〉1月16日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 進学校・福岡高校では当初遊撃手であったが、1年次の1953年秋から投手に転向。2年次の1954年には夏の甲子園県予選で準決勝に進み、小倉高の畑隆幸と投げ合うが0-1で惜敗。その後も県予選で敗れ、甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は西鉄の誘いを断り、1956年に兄が講師をしていた明治大学へ進学。1年次の同年秋季リーグから投手陣の主軸となり、東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、2年次の1957年秋季に7勝を記録。長嶋茂雄らのいた立大には及ばぬも2位躍進に貢献したが、冬休みのランニング中に肉離れを起こす。
山内 豊徳(やまのうち とよのり、1937年1月9日 ‐ 1… 山内 豊徳(やまのうち とよのり、1937年1月9日 ‐ 1990年12月5日)は日本の官僚、元環境庁企画調整局長。
平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2… 平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2005年1月14日)は、日本の技術者、実業家。元ユニチカ代表取締役社長。高分子学会賞受賞。 福岡県福岡市出身。1961年九州大学工学部卒業、大日本紡績(のちのユニチカ)入社。新規キレート樹脂の開発とその利用技術に関する研究で昭和52年度高分子学会賞受賞。 1983年中央研究所第6研究室長。1986年スパンボンド生産開発部長。1991年取締役スパンボンド事業本部副本部長。1994年取締役中央研究所長。1996年常務取締役スパンボンド事業本部長。1999年常務取締役繊維事業本部長兼ユニチカファイバー代表取締役社長。 2000年から代表取締役社長を務め、建設部門からの撤退を行うなどした。
稲川 誠(いながわ まこと、1936年7月25日 - )は、… 稲川 誠(いながわ まこと、1936年7月25日 - )は、福岡県福岡市出身(満洲国新京生まれ)の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 父親が古河電工北京支店長で、満洲国新京で生まれ、小学3年までは中国北京で育った。少年時代は裕福であったが、9歳で終戦を迎え一変。中国軍に追い立てられて天津の収容所へ送られたが、そこで病に侵され生死をさまよった。父の背中から見た無数に横たわる病人の光景が強烈な記憶として残るが、その後は引揚船で佐世保に到着。初めて祖国の土を踏むが、引き揚げ後には母に「あなたを(中国に)置いていこうと思った」と告白されている。帰国後は父がサラリーマンであったため各地を回り、西南学院中学部時代には好投手として福岡県内で有名になった。
山本 哲也(やまもと てつや、1936年 – 2008年)は… 山本 哲也(やまもと てつや、1936年 – 2008年)は、日本の詩人。 福岡市生まれ。元第一経済大学(現 日本経済大学)教授。國學院大學文学部卒業後、福岡県立修猷館高等学校、福岡県立福岡高等学校の教諭を経て、第一経済大学の教員になる。 1963年(昭和38年)第3回現代詩手帖賞受賞[要出典](選者は野間宏、清岡卓行、吉野弘、長谷川龍生)。同年、吉野弘、大滝安吉、菅谷規矩雄らの復刊詩誌「谺」に参加。翌年、千々和久幸らと詩誌「砦」創刊。西日本新聞の詩時評を1987年から9年間にわたって連載した。1990年、文学批評誌「敍説」創刊に編集同人として参加。1995年4月、テレビ西日本の『モーニングミント』水曜コメンテーター(1996年3月まで)。
種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10… 種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10月17日 - )は、日本の実業家。元BMW東京社長。「日本教育再生機構」代表委員。教科書改善の会賛同者。元新しい歴史教科書をつくる会会長。 実業界から退いた後、東大の同級生で当時、新しい歴史教科書をつくる会の会長だった西尾幹二から「財務を見てくれ」と頼まれ、1999年(平成11年)3月に理事に就任、一時は副会長を務めた。日露戦争について研究し、著書『くたばれ!リストラ―日露戦争に学ぶ経営・人生』を出版したり、学会に呼ばれるなどした。 明石への隠居を決めていた2006年(平成18年)2月、つくる会の内紛で八木秀次が会長を解任されたあおりで、会長に担ぎ出された。
門田 照子(かどた てるこ、1935年4月9日 - 2022… 門田 照子(かどた てるこ、1935年4月9日 - 2022年1月1日)は、日本の詩人。福岡市出身。 福岡市出身。1954年福岡県立修猷館高等学校卒業、1997年、詩集『抱擁』で福岡県詩人賞、2004年『桜桃と夕日』で現代詩・平和賞、2015年『ロスタイム』で福岡市文学賞を受賞。2018年、福岡県詩人会 第三十三回先達詩人顕彰を受ける。 詩誌「東京四季」「花筏」同人。福岡県詩人会、日本詩人クラブ、日本現代詩人会、日本文藝家協会、福岡県文化連盟各会員、日本現代詩歌文学館評議員。 2022年1月1日、福岡市内の病院で死去。
長谷川 弘志(はせがわ ひろし、1935年2月5日 - 20… 長谷川 弘志(はせがわ ひろし、1935年2月5日 - 2023年4月27日)は、日本のアナウンサー、実業家。元・九州朝日放送(KBC)アナウンサー、元・KBCメディア社長。 福岡県福岡市出身。早稲田大学文学部を卒業後の1957年、九州朝日放送にアナウンサーとして入社。情報番組からスポーツ中継まで幅広いジャンルの番組を担当した。 スポーツアナウンサーとしては、地元の平和台球場を本拠地に使用していた西鉄(→太平洋クラブ→クラウンライター)ライオンズ戦中継の実況で人気を博していた。クラウンの後継球団・西武ライオンズの誕生で本拠地が平和台球場から西武ライオンズ球場(埼玉県所沢市)へ移転した1979年に運動部の記者へ異動したが、1980年4月からKBCラジオで『長谷川ひろし おはよう7』(平日7:00 - 9:00の生ワイド番組)のパーソナリティを8年間務めた。