丸山 翔大(まるやま しょうた、1998年8月22日 - )… 丸山 翔大(まるやま しょうた、1998年8月22日 - )は、福岡県豊前市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 三毛門小学校1年のときに「三毛門少年野球クラブ」で野球を始める。4年生までは捕手をしていたが、その後投手へと転向。吉富中学校時代に右肩を痛めて訪れたことを切っ掛けに、かつて田中総司の個人トレーナーを務めたスポーツトレーナー・江崎悟が院長を務める「えさき整骨院」で無料のサポートを受けるようになる。 中学卒業後は福岡県立小倉工業高等学校に進学し、サイドスローのフォームでエースとして活躍したが、3年の夏は4回戦で敗退した。家庭環境から就職を考えるも、江崎と相談の上、プロ入りを目指す。
野宮 有(のみや ゆう、1993年5月3日 - )は、日本の… 野宮 有(のみや ゆう、1993年5月3日 - )は、日本の小説家、漫画原作者。 福岡県豊前市出身。長崎大学経済学部卒業。携帯小説全盛の時代に流行にあやかろうと執筆活動を始めた。2018年の第25回電撃小説大賞で投稿作『シルバー・ブレット -SILVER BULLET-』が選考委員奨励賞を受賞し、翌年に同作を改題・改稿した『マッド・バレット・アンダーグラウンド』でデビューした。 2023年、『魔法少女と麻薬戦争』で少年ジャンプ+ × note 原作大賞の大賞を受賞。2025年、『殺し屋の営業術』で第71回江戸川乱歩賞を受賞。 学生時代に特に影響を受けた作家として、乙一、東山彰良、朝井リョウなどの名前を挙げているほか、影響を受けたライトノベルとして成田良悟の『バッカーノ!』を挙げている。
髙上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - … 髙上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - )は、日本の柔道家。福岡県豊前市出身。階級は66kg級。身長168cm。得意技は背負投。現在は旭化成に所属している。血液型はB型。 柔道は6歳の時に始めた。田原中学3年の時には全国中学校柔道大会の60kg級で優勝した。桐蔭学園高校2年の時には全日本ジュニアで3位となった。3年になると階級を66kg級に上げてインターハイでは2位となった。日本体育大学へ進学後、1年の時には講道館杯で3位となり、2年の時には優勝を果たした。その後出場したグランドスラム・東京では世界ランキング143位ながら、北京オリンピック60kg級で優勝した崔敏浩をはじめ、世界ランキング3位のアリム・ガダノフや元世界チャンピオンでランキング2位のハシュバータル・ツァガンバータル等を次々と破る快進撃を見せて、決勝でもランキング1位のムサ・モグシコフ相手に先に技ありを取られるも逆転の一本勝ちを果たしたことにより、世界ランキング上位3名を悉く破っての優勝を飾ることとなった。
高上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - … 高上 智史(たかじょう ともふみ、1991年12月7日 - )は、福岡県豊前市出身の、日本の柔道選手である。階級は66kg級。身長168cm。得意技は背負投。現在は旭化成に所属している。
加藤 大輔(かとう だいすけ、1980年7月27日 - )は… 加藤 大輔(かとう だいすけ、1980年7月27日 - )は、福岡県豊前市出身の元プロ野球選手(投手)。ニックネームは大加藤(大カトーに由来)。
大江 麻理子(おおえ まりこ、1978年10月21日 - )… 大江 麻理子(おおえ まりこ、1978年10月21日 - )は、テレビ東京報道局アナウンサー。福岡県豊前市出身。本名は松本麻理子(まつもと まりこ)で、旧姓が大江である。
中野 泰宏(なかの やすひろ、1977年(昭和52年)5月1… 中野 泰宏(なかの やすひろ、1977年(昭和52年)5月18日 - )は、関西棋院所属のプロ囲碁棋士。福岡県豊前市出身、森野節男九段門下。
鳥井田 淳(とりいだ あつし、1975年6月4日 - )は、… 鳥井田 淳(とりいだ あつし、1975年6月4日 - )は、アスレティックトレーナー。福岡ソフトバンクホークスに所属した。福岡県出身。 1975年、福岡県豊前市出身。福岡県立京都高等学校卒業。1998年北九州大学(現・北九州市立大学)法学部第一部法律学科卒業。インディアナ州立大学に留学し、プロトレーナーの勉学に励む。アメリカニューハンプシャー州立プリマウス大学院博士前期課程修了。2006年~2012年までアメリカ大リーグ3Aシラキュースでヘッドアスレチックトレーナーを経て、2013年福岡ソフトバンクホークスにてリハビリ・コンディショニングのコーチに就任。2024年限りで退団。
ひろえ 純(ひろえ じゅん、1967年5月5日 - )は、日… ひろえ 純(ひろえ じゅん、1967年5月5日 - )は、日本(福岡県豊前市出身)の歌手。本名は筒井 浩永。 元夫は元アイドルで俳優の新田純一。娘はグラビアアイドルの山口ゆう、山口ひかり。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
豊ノ海 真二(とよのうみ しんじ、1965年9月22日 - … 豊ノ海 真二(とよのうみ しんじ、1965年9月22日 - 2021年11月20日)は、福岡県豊前市大字松江出身で、二子山部屋と藤島部屋に所属した大相撲力士。本名は濱田 真二(はまだ しんじ)。最高位は西前頭筆頭(1992年9月場所)。現役時代の体格は190cm、225kg(最重量時は228kgで歴代10位、タイは春日山部屋に所属していた萬華城)で、藤島部屋・二子山部屋一の巨漢だった。得意手は左四つ、寄り、閂。 新十両昇進時から1990年7月場所までは、貴ノ浜真二の四股名であったが、翌9月場所より「豊ノ海真二(豊前の海に因む)」に改名した。 漁業を営む家庭に生まれた。家族の仕事柄上普段から魚を食べて育ち、太い骨格と丈夫な内臓を養った。
野中 哲照(のなか てっしょう、1961年 - )は、日本の… 野中 哲照(のなか てっしょう、1961年 - )は、日本の国文学者、國學院大學教授。 福岡県豊前市出身。1984年、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。1992年、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。同年、鹿児島短期大学専任講師、1995年、助教授。2000年、鹿児島国際大学国際文化学部教授。2010~14年、放送大学客員教授。2011~13年、西日本国語国文学会代表委員。2015年、國學院大學文学部日本文学科教授。 2013年「文学史的展開から見た前期軍記の研究」で早稲田大学博士(文学)。 窪田空穂賞、1991
市江 正彦(いちえ まさひこ、1960年1月2日 - )は… 市江 正彦(いちえ まさひこ、1960年1月2日 - )は、日本の経営者。スカイマーク代表取締役社長。福岡県出身。日本政策投資銀行元取締役常務執行役員。 1960年生まれ。福岡県豊前市出身。福岡県立京都高等学校卒業。東京大学法学部卒業。日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)に入行。取締役常務執行役員などを務める。その後、株式会社スカイマークに赴き、同社代表取締役社長に就任。 スカイマークの経営破綻を経て、2015年9月末に新たな経営体制で再出発し、同社長として就任。日本政策投資銀行では日本航空やAIRDOの再建に尽力、航空業界から一目置かれる。共同スポンサーとして、ANAホールディングスや三井住友銀行から、再生計画の遂行役を任ぜられる。
磯永 優二(いそなが ゆうじ、1955年〈昭和30年〉8月 … 磯永 優二(いそなが ゆうじ、1955年〈昭和30年〉8月 - )は、日本の政治家。豊前市議会議員(7期)。 1995年8月に福岡県豊前市八屋で生まれる。1974年3月に中津工業高等学校を卒業。1974年4月に豊前市役所に入庁した後、勤続22年で退職。 1996年3月、豊前市議会議員に初当選。2020年3月に7期目の豊前市議会議員に当選し、現在に至る。 血液型はA型。一見とっつきにくいが、人情深く、辛抱強い。 趣味はショッピング・ゴルフ・旅行。野球・料理・計算が早いことを特技としている。 公式サイトに掲載している政策は以下の通り 郷土芸能・文化、スポーツなどの推進とともに、各種文化・スポーツ団体を育成し、市民相互の親睦と文化・体育などの振興を行い、魅力あるまちづくりを行う。
石田 泰三(いしだ やすぞう、1934年6月11日 - )は… 石田 泰三(いしだ やすぞう、1934年6月11日 - )は、福岡県豊前市出身の元プロ野球選手(内野手)。
杉本 一義(すぎもと かずよし、1931年5月1日 - 20… 杉本 一義(すぎもと かずよし、1931年5月1日 - 2019年3月13日)は、日本の福祉学者。弘前学院大学名誉教授。 福岡県豊前市生まれ。1958年龍谷大学英文科卒、龍谷大学短期大学部助教授、教授。広島女子大学教授、立正大学社会福祉学部教授、第一福祉大学(現・福岡医療福祉大学)教授、同人間社会福祉学部長。弘前学院大学大学院教授、名誉教授、皇學館大学教授。広島都市学園大学学術顧問、社会福祉法人宇治福祉園理事長、日本カウンセリング学会名誉会員、京都いのちの電話理事。
相部 和男(あいべ かずお、1928年 - )は、日本の臨床… 相部 和男(あいべ かずお、1928年 - )は、日本の臨床心理学者。福岡県豊前市生まれ。 3歳の時に福岡県から満州の大連に家族と共に移り、1947年2月に出身地の福岡に引き揚げた。 少年院法務教官、保護観察所保護観察官を歴任した後、法務省福岡保護観察所調査連絡課長を最後に1989年退官。相部教育研究所所長を務めている。 過去には九州朝日放送で児童相談、テレビ西日本で教育相談を担当したこともある。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
渡辺 行男(渡邊 行男、わたなべ ゆきお、1926年8月16… 渡辺 行男(渡邊 行男、わたなべ ゆきお、1926年8月16日 - )は、日本近代政治史学者。 福岡県豊前市生まれ。明治大学文学部中退。衆議院事務局に入り、1977年より憲政記念館で憲政資料の調査・収集・展示に当る(企画調査主幹)。帰郷し福岡県豊前市立図書館長を経て著述業に専念する。
木部 シゲノ(きべ シゲノ、1903年(明治36年)11月1… 木部 シゲノ(きべ シゲノ、1903年(明治36年)11月12日 - 1980年(昭和55年)7月29日)は、日本の女性パイロットの草分けのひとりである。NHKの連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のモデルのひとりといわれる。 福岡県築上郡八屋町上町久保(後の豊前市)出身。3歳のときに一家で朝鮮の平安南道鎮南浦(後の北朝鮮南浦特別市)に移住し、父は海産物商を営んだ。シゲノは幼少から男まさりの気性であったとされる。 女学校を卒業後、1923年(大正12年)に上京しシゲノは、蒲田にあった日本自動車学校の航空科で航空力学や発動機学を学んだのち、同年5月5日に神奈川県橘樹郡潮田町(後の横浜市鶴見区)で開校した第一航空学校に入学。
阿藤 傳治(あとう でんじ、1900年(明治33年)10月2… 阿藤 傳治(あとう でんじ、1900年(明治33年)10月23日 - 1981年(昭和56年)12月14日)は、日本の実業家。朝日放送元会長。 福岡県豊前市出身。東京商科大学を卒業し、同年に住友銀行に入行。1955年1月に大阪テレビ放送常務に就任し、1959年に合併により、朝日放送常務に就任し、1964年から1968年までに専務を、1968年から1971年までに副社長を、1971年5月から1974年までに会長をそれぞれ務めた。その後は1975年5月までに取締役を務めた。 1981年12月14日急性心不全のために兵庫県宝塚市の自宅で死去。81歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
島田 芳文(しまだ よしふみ、1898年(明治31年)2月1… 島田 芳文(しまだ よしふみ、1898年(明治31年)2月11日 - 1973年(昭和48年)5月3日)は昭和期の作詞家。本名は島田義文。 福岡県豊前市黒土生まれ。島田芳文の実家は黒土の大地主の家であった。早稲田大学出身。中学時代に島田青峰、若山牧水に短歌を学ぶ。1927年(昭和2年)、処女詩集「農土思慕」刊行。 1929年(昭和4年)、コロムビアレコードの専属作詞家になる。1931年(昭和6年)には、古賀政男と組んだ一連の作品「キャンプ小唄」、「丘を越えて」、「スキーの唄」が大ヒット。藤山一郎の歌声でたくさんの人々に愛唱された。 1941年(昭和16年)に「雪の満州里」を発表後、しばらくの間作詞家としての活動を休業。
大河内 傳次郎(おおこうち でんじろう、新字体:伝次郎、18… 大河内 傳次郎(おおこうち でんじろう、新字体:伝次郎、1898年(明治31年)2月5日(戸籍上は3月5日)- 1962年(昭和37年)7月18日)は、日本の映画俳優。本名:大邊 男(おおべ ますお)。 戦前を代表する時代劇スターの一人であり、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。サイレント期は、伊藤大輔監督・唐沢弘光撮影のトリオで『忠次旅日記』『新版大岡政談』などの名作を生んだ。悲愴()感ただよう演技とスピード感あふれる殺陣で、従来の時代劇スターの定型を破り、人気を不動のものとした。当たり役は丹下左膳で、トーキー時代の作品では地元の豊前なまりで「シェイハタンゲ、ナハシャゼン(姓は丹下、名は左膳)」と言う決めゼリフで人気を得た。
大江 俊明(おおえ としあき、1894年〈明治27年〉9月2… 大江 俊明(おおえ としあき、1894年〈明治27年〉9月27日 - 1954年〈昭和29年〉4月10日)は、日本の実業家、政治家。昭和前期の福岡県築上郡八屋町(現在の豊前市)の名士。築上新聞および築上産業新聞の創刊者。株式会社大江印刷所社長。 父は美濃派俳諧の流れを汲む逸茂庵派四世の大江壽太郎。子供は1男2女あり、長男は大江俊信。曾孫が元テレビ東京アナウンサーの大江麻理子である。 「社会の先駆者」(築上新聞発刊の辞より)たる気概で築上新聞および築上産業新聞を創刊し、20数年にわたり自ら健筆を振るった。また、25歳頃より求菩提山の研究と復興開発を志し、そのため自ら将棋、囲碁、観劇を禁じて生涯尽力した。
為藤 五郎(ためとう ごろう、1888年(明治21年)2月1… 為藤 五郎(ためとう ごろう、1888年(明治21年)2月1日 - 1941年(昭和16年)7月4日)は、日本の教育者、政治家。 福岡県築上郡三毛門村(現在の豊前市)出身。福岡県師範学校を経て、1911年(明治44年)に東京高等師範学校を卒業。福岡県小倉師範学校教諭、鹿児島県師範学校教諭を経て、「東京日日新聞」記者となる。後に博文館に転じ、雑誌「中学世界」主筆、「太陽」編集長を務めた。関東大震災後、東京府嘱託となり、『大正大震災史』の著述に当たった。その後、教育週報社社長・主筆を務めた。 また社会民衆党中央執行委員となり、東京府会議員、東京市会議員に選出された。そのほか、衆議院議員総選挙にも2度出馬したがいずれも落選した。
矢頭 良一(やず りょういち、1878年(明治11年)6月3… 矢頭 良一(やず りょういち、1878年(明治11年)6月30日 - 1908年(明治41年)10月16日)は、日本の発明家。「漢字早繰辞書」や自働算盤と呼んだ機械式計算機を発明し、これらの製造、販売で得た資本をもとにして中学校時代から興味を持った鳥類の飛翔を研究し、動力航空機の発明を試みたが31歳で没した。 福岡県上毛郡黒土村(現在の豊前市)で、後に岩屋の村長となった父、道一、母、タミの長男として生まれた。久路土小学校と岩屋小学校を経て13歳の時、豊津中学校(現:福岡県立育徳館高等学校)に進んだが鳥の飛翔に関心を持ち、さらに研究するために16歳で退学し大阪へ出た。大阪で数学、工学や語学などの知識の必要性を痛感し、英国人の私塾にもかよって学習したと伝えられる。
桑名 伊之吉(くわな いのきち、明治4年5月17日(1871… 桑名 伊之吉(くわな いのきち、明治4年5月17日(1871年7月4日) - 昭和8年(1933年)7月14日)は、戦前日本の昆虫学者。農商務省植物検査所(植物防疫所の前身)初代所長、農学博士。専門はカイガラムシの研究。 福岡県出身で、ハワイ王国渡航後、アメリカ合衆国コーネル大学、スタンフォード大学で昆虫学を学び、帰国後、農商務省農事試験場で害虫防除研究に携わる。植物検査所長に就任してからは植物防疫に関わった。 子の桑名寿一は農林省蚕糸試験場病理部長、文化女子大学教授。 明治4年(1871年)5月17日、豊前国上毛郡黒土村(福岡県豊前市大字久路土)に生まれた。 明治21年(1888年)ハワイにおける日本人移民の噂を聞いて渡航を決意、父から受け取った100円を持って横浜に向かったが、旅券を所持しておらず、渡航を止められた。
神崎 勲(こうざき / かんざき いさお、1864年9月25… 神崎 勲(こうざき / かんざき いさお、1864年9月25日(元治元年8月25日)- 1954年(昭和29年)3月8日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。号・鶉迫。 豊前国上毛郡四郎丸村(現福岡県豊前市山田)で、酒造家・神崎栄蔵の長男として生まれる。蔵春園で学んだ。家業の他、小倉酒精社長、角屋酒造社長、八尾貯蓄銀行取締役、築上銀行取締役、八尾銀行取締役、宇島銀行取締役、宇島鉄道専務取締役などを務めた。 1907年、福岡県会議員に当選し立憲政友会に所属。1910年から1923年まで県会議長を務めた。その他、福岡県結核予防協会長、同山林会副会長、同教育会長、同実業団体連合会長、同酒造業組合会顧問などを歴任。
毛里 保太郎(もうり やすたろう、文久4年2月6日(1864… 毛里 保太郎(もうり やすたろう、文久4年2月6日(1864年3月13日) - 昭和13年(1938年)5月13日)は、衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 豊前国築城郡角田村(現在の福岡県豊前市)出身。15歳で京都に遊学した後、中江兆民の門で学んだ。1888年(明治21年)より京都日報の記者となり、1891年(明治24年)には静岡大勢新聞の主筆となった。翌年、門司新報社を起こして社長・主筆を務めた。 1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。合計で4期務めた。また門司市会議員、同参事会員も務めた。 革新官僚の毛里英於菟は次男。
友枝 梅次郎(ともえだ うめじろう、1860年3月9日(万延… 友枝 梅次郎(ともえだ うめじろう、1860年3月9日(万延元年2月17日) - 1920年(大正9年)11月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 豊前国上毛郡八屋村(福岡県築上郡八屋町、宇島市を経て現豊前市)で総庄屋の家に生まれた。漢学、英語、数学を学ぶ。村会議員、町村連合会議員、築城、上毛両郡連合会議員、筑豊鉱業組合会常議員を務め、また、鉱山を経営し、筑豊炭礦、小倉鉄道、宇島鉄道各(株)取締役、社団法人小倉競馬倶楽部理事となる。 1912年の第11回衆議院議員総選挙において小倉市選挙区から立憲政友会公認で立候補して初当選。第13回総選挙でも当選した。衆議院議員を2期務め、1920年の第14回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。