福永 哲郎(ふくなが てつろう、1968年〈昭和43年〉8月… 福永 哲郎(ふくなが てつろう、1968年〈昭和43年〉8月9日 - )は、日本の経産官僚。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1991年(平成3年)、東京大学経済学部を卒業。同年、通商産業省に入省。入省後、2012年通商政策局アジア大洋州課南西アジア室長、日本貿易振興機構日本機械輸出組合ブリュッセル事務所長、通商政策局サイバー国際経済統括官兼通商戦略室長、経済産業省大臣官房政策統括調整官(国際関係担当)などを歴任。 2020年(令和2年)6月24日、経済産業省大臣官房審議官(製造産業局・中小企業政策担当)兼首席通商政策統括調整官に就任。 2022年(令和4年)7月1日、経済産業省大臣官房審議官(通商政策局担当)に就任。
塩田 康一(しおた こういち、1965年〈昭和40年〉10月… 塩田 康一(しおた こういち、1965年〈昭和40年〉10月15日 - )は、日本の経産官僚、政治家。鹿児島県知事(公選第20-21代)。無所属。 鹿児島市生まれ。伊仙町立伊仙小学校、鹿児島市立草牟田小学校、ラ・サール中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。1988年(昭和63年)通商産業省(現・経済産業省)に入省し、人吉税務署長、在イタリア日本国大使館一等書記官、経済産業政策局地域経済産業政策課長、内閣府地方創生推進室次長、大臣官房審議官(産業保安担当)を務めた。2018年(平成30年)6月20日、九州経済産業局長に就任。2019年(令和元年)12月21日付けで経済産業省を退官。 三反園県政への懸念や不満を耳にするようになったとし、経済界や県人会関係者からも背中を押され、鹿児島県知事選挙への立候補を決意。
有村 正意(ありむら まさおき、1944年9月17日 - )… 有村 正意(ありむら まさおき、1944年9月17日 - )は、日本の官僚、実業家。 鹿児島県鹿児島市出身。1963年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1968年に東京大学法学部を卒業し、郵政省に入省。電気通信局電気通信事業部長、近畿郵政局長、通信政策局長を歴任し、2000年6月に退職。 アンダーコンサルティング顧問を経て、2002年7月にNTTドコモ関西の顧問に就任し、2003年からNTTドコモに併合される2008年までに社長を務めた。 東京海上日動火災保険顧問、大阪商工会議所情報・通信部会長、関西経済連合会情報通信委員会副委員長なども歴任した。 2015年春に瑞宝中綬章を受章した。
平田 辰一郎(ひらた しんいちろう、1940年8月4日 - … 平田 辰一郎(ひらた しんいちろう、1940年8月4日 - )は、日本の政治家、通産官僚。元衆議院議員(1期)。薬丸自顕流顕彰会顧問 鹿児島県鹿児島市出身。東京教育大学附属駒場高等学校卒業。1965年、東京大学工学部卒業。通商産業省に入省。 1981年4月18日、敦賀原子力発電所1号機内の一般排水路から放射性物質漏えい事故が発生。日本原子力発電株式会社による「事故隠し」が社会問題になるが、このとき平田は原子力発電運転管理課長として事故に対処した。資源エネルギー庁技術課長、新産業技術研究所長などを歴任。日本の原発推進におけるキーマンであったと言われる。 1986年7月の第38回衆議院議員総選挙の旧鹿児島1区に無所属で立候補し落選。
曾山克巳(そやま かつみ、1918年7月21日 - 2006… 曾山克巳(そやま かつみ、1918年7月21日 - 2006年4月15日)は、日本の郵政官僚。郵政事務次官などを務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1938年第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)文科卒業。東京帝国大学法学部政治学科在学中に高等試験に合格。東京帝大法学部政治学科を卒業し、1941年逓信省入省。 郵政省郵務局国際業務課長、郵務局次長、名古屋郵政局長。 1963年7月10日東京郵政局長。1964年5月27日 人事局長。1966年7月11日郵務局長。1969年11月21日郵政事務次官。1971年7月2日退官。 1974年日本電気(NEC)に入社し、常務、専務、副社長を歴任。1982年日本電気システム建設取締役会長。
八木 信雄(やぎ のぶお、1903年(明治36年)4月25日… 八木 信雄(やぎ のぶお、1903年(明治36年)4月25日 - 没年不明)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。黄海道知事。全羅南道知事。 鹿児島県鹿児島市生まれ。現在の鹿児島県奄美市名瀬出身。名瀬小学校2年の時の1910年(明治43年)8月に、八木彦助の養子となって上京。秋田県立秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)を経て、1923年(大正12年)第七高等学校造士館文科卒業。1925年(大正14年)高等試験行政科に合格し、翌年東京帝国大学法学部政治科を卒業する。朝鮮総督府に奉職し、黄海道、慶尚北道各警務課長、警務局勤務、黄海道警務部長、警務局警務課長などを経て、1942年(昭和17年)11月、警務局保安課長に任じた。
迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月… 迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月5日 - 1977年(昭和52年)7月25日)は、日本の大蔵官僚、弁護士、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 いわゆる「玉音放送」を起草した人物の一人として知られる。 内閣書記官長(第51代)、総合計画局長官、貴族院議員、衆議院議員(2期)、参議院議員(4期)、経済企画庁長官(第9・10代)、郵政大臣(第17代)、鹿児島工業短期大学学長(初代)などを歴任した。
棈松 熾(あべまつ さかん、1891年(明治24年)3月30… 棈松 熾(あべまつ さかん、1891年(明治24年)3月30日 - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚。 鹿児島県日置郡上伊集院村(現・鹿児島市)に生まれる。1909年(明治42年)2月、台湾総督府税関官吏に任ぜられ、府属、台北州属、総督官房秘書課勤務を経て、1928年(昭和3年)9月、地方理事官に進み、基隆市助役に就任した。1930年(昭和5年)4月、台北州羅東郡守、1931年(昭和6年)5月、高雄州潮州郡守を歴任し、1932年(昭和7年)4月に退官した。 退官後は、清水街長、台北市主事、台南商工会議所理事、花蓮港市会議員などを歴任した。
美座 流石(みざ さすが、1891年(明治24年)2月18日… 美座 流石(みざ さすが、1891年(明治24年)2月18日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。 鹿児島県鹿児島市出身。東京帝国大学法科大学政治科に学び、在学中の1916年(大正5年)に高等文官試験に合格し、翌年卒業した。道事務官、税関監視官、税関事務官、専売局事務官、咸鏡北道警察部長、慶尚北道警察部長、慶尚南道警察部長を歴任し、1931年(昭和6年)に欧米各国に出張した。帰国後、平安南道内務部長を経て、1932年(昭和7年)に京畿道内務部長となり、さらに京城税務監督局長に転じた。1936年(昭和11年)より平安北道知事となった。 1939年(昭和14年)に退官した後は、朝鮮マグネサイト開発社長、咸南鉄道会長を経て、戦後は三幸建設工業に入り、副社長、顧問を歴任した。
竹内 可吉(たけうち かきち、1889年(明治22年)2月2… 竹内 可吉(たけうち かきち、1889年(明治22年)2月28日 - 1948年(昭和23年)12月29日)は、日本の商工官僚。商工次官、企画院総裁、貴族院勅選議員。鹿児島県出身。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島第一中学校、第三高等学校を経て、1915年(大正4年)に東京帝国大学法科大学経済科を卒業して、農商務属となり、翌年に高等文官試験に合格した。以後、事務官、書記官、商工省工務局長、特許局長官、燃料局長官を経て、1936年(昭和11年)に商工次官に就任した。その後、臨時物資調整局次長、物価局次長を歴任して1939年(昭和14年)に退官した。 1940年(昭和15年)に企画院総裁に就任。
白男川 譲介(しろおかわ / しろおがわ じょうすけ、188… 白男川 譲介(しろおかわ / しろおがわ じょうすけ、1880年(明治13年)1月19日 - 1951年(昭和26年))は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事、鹿児島市長。旧姓・池田。 鹿児島県鹿児島市出身。池田休兵衛の四男として生まれ、1885年、母方の白男川渉の養子となる。第三高等学校を卒業。1906年、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業し、大阪市に入る。1909年12月、文官高等試験に合格。内務省に転じ沖縄県属となる。 以後、福井県三方郡長、富山県警察部長、新潟県警察部長、北海道庁土木部長、奈良県内務部長、京都府内務部長などを歴任。 1921年5月、床次竹二郎内務大臣により起用され福井県知事に就任。
岩元 禧(いわもと き、1879年(明治12年)7月2日 -… 岩元 禧(いわもと き、1879年(明治12年)7月2日 - 1944年(昭和19年)9月14日)は、日本の内務官僚。官選沖縄県知事、鹿児島市長。 鹿児島県鹿児島市出身。士族の四男として生まれる。第七高等学校の第1回卒業生。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した。内務省に入り、千葉県属、秋田県事務官、神奈川県理事官・視学官、香川県警察部長、島根県内務部長、茨城県内務部長を歴任。1923年(大正12年)から翌年まで沖縄県知事を務めた。1926年(大正15年)6月23日、休職満期となり退官した。 國學院大學・皇典講究所専務理事を経て、1933年(昭和8年)から1936年(昭和11年)まで第10代鹿児島市長を務めた。
押川 則吉(おしかわ のりきち、1863年2月7日〈文久2年… 押川 則吉(おしかわ のりきち、1863年2月7日〈文久2年12月19日〉 - 1918年〈大正7年〉2月18日)は、日本の農商務・内務官僚、政治家。官選県知事、製鉄所長官、貴族院議員。林野整理審査会長、日本大博覧会評議員、大礼準備委員なども務めた。位階および勲等は従三位・勲一等。 薩摩国鹿児島郡鹿児島城下加治屋町(現鹿児島県鹿児島市加治屋町)で、薩摩藩士・押川乙五郎の長男・千代太郎として生まれる。1880年6月、東京農林学校を卒業。1883年3月、農商務省御用掛として出仕。同年6月、農学士・農芸化学士の学位を取得。 1885年7月、新潟県御用掛に就任。1887年4月、農商務属として本省に復帰。
安立 綱之(あだち つなゆき、1859年12月8日(安政6年… 安立 綱之(あだち つなゆき、1859年12月8日(安政6年11月15日) - 1938年(昭和13年)12月2日)は、日本の内務官僚、政治家。警視総監、貴族院議員。旧名・国分彦七、迫田彦七、安立彦七。1889年6月、綱之と改名。 鹿児島城下城ヶ谷(現在の鹿児島市長田町)に薩摩藩士・国分市郎右衛門の三男として生まれる。明治4年10月(1871年)、長兄・国分友諒に伴われ上京し、共立学舎に入る。明治六年政変により兄・友諒が警察を辞し帰郷したのに同行。1874年5月、二人の兄、友諒、友実と共に台湾出兵に従軍。兄・友実は病死し、同年9月、鹿児島に帰還。1875年、兄・友諒の再度の上京に同行し、共立学舎に復して学んだ。
蒲生 仙(かもう せん、1856年(安政2年12月)- 19… 蒲生 仙(かもう せん、1856年(安政2年12月)- 1908年(明治41年)3月10日)は、明治期の官僚、政治家。衆議院議員。 薩摩国鹿児島郡荒田村(現在の鹿児島県鹿児島市)出身。1876年(明治9年)司法省法学校に入り法律と経済を学んだ。参事院議官補となり、1885年(明治18年)に伊藤博文が清に派遣された際に随行員を務めた。その後、法制局参事官に転じた。 1890年(明治23年)第1回衆議院議員総選挙に出馬し当選。4期務めた。この間、自由党、立憲革新党、立憲改進党、進歩党に所属した。 その後、拓殖務省参事官、同北部局長、内務省北海道局長を務めた。憲政本党常議員を務めた後、島津家経営の山ヶ野金山館長に就任した。
大山 綱昌(おおやま つなまさ、1853年12月24日(嘉永… 大山 綱昌(おおやま つなまさ、1853年12月24日(嘉永6年11月24日) - 1934年(昭和9年)10月18日)は、日本の官僚、政治家、警察官、陸軍軍人。貴族院議員、錦鶏間祗候。位階および勲等は正三位・勲二等。4県の知事を務めた。幼名・勘助。 陸軍元帥の大山巌の父大山綱昌とは同姓同名だが、直接的な血縁関係はない。 薩摩国鹿児島郡鹿児島近在西田村(現鹿児島県鹿児島市)で、鹿児島藩士、大山探賢の長男として生まれる。1875年(明治8年)、警視庁13等出仕となる。1877年(明治10年)、陸軍中尉に任官し西南戦争に出征。階級は陸軍憲兵大尉まで昇り、一等警視補に転じた。次いで、農商務省に移り、権少書記官、書記官、参事官、工務局次長、商工局次長、権大書記官を歴任。
安楽 兼道(あんらく かねみち、1851年1月13日〈嘉永3… 安楽 兼道(あんらく かねみち、1851年1月13日〈嘉永3年12月12日〉- 1932年〈昭和7年〉4月12日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、貴族院議員、警視総監、実業家、錦鶏間祗候。 薩摩藩士・新納一角の二男として薩摩国給黎郡喜入郷中名村麓(現在の鹿児島市喜入中名町)に生まれ、安楽兼通の養子となる。1871年(明治4年)4月、御親兵徴士として上京。1873年(明治6年)10月に除隊し帰郷したが、1874年(明治7年)11月に再上京した。 1875年(明治8年)3月、警視庁警部補に任官。以後、石川県三等警部兼金沢警察署長、石川県警察本署長、警視庁品川警察署長、高知県警察部長、熊本県警察部長、熊本県書記官などを歴任。
折田 彦市(おりた ひこいち、嘉永2年1月4日(1849年1… 折田 彦市(おりた ひこいち、嘉永2年1月4日(1849年1月27日) - 1920年(大正9年)1月26日)は、明治時代に活動した日本の教育者・文部官僚。旧制第三高等学校(三高/現・京都大学)の初代校長として知られている。その前身校も含めれば約30年間にわたって三高の校長を務め、同校の「自由の学風」を築いたとされる。 嘉永2年(1849年)1月4日 、薩摩藩士折田寧剛の四男として薩摩国鹿児島で生まれた。青年期までの名として彦市のほかに三之丞・権蔵があり、諱は年長であった。少年期には家族の縁に恵まれず、父は安政5年(1858年)に没し、母も慶応元年(1865年)に世を去っている。長兄の年昭に子がなかったため、その養子となっている。
河島 醇(かわしま あつし / じゅん、弘化4年3月6日(1… 河島 醇(かわしま あつし / じゅん、弘化4年3月6日(1847年4月20日) - 明治44年(1911年)4月28日)は、幕末から明治時代に活躍した武士(薩摩藩士)、官僚、政治家。衆議院議員、貴族院議員。幼名・新之丞。 薩摩藩士・河島新五郎長寛の長男として鹿児島長田町に生まれる。藩校造士館で学ぶ。戊辰戦争に従軍。明治2年(1869年)、昌平学校に入り、さらに川田甕江塾で学び、明治3年12月(1871年1-2月)にドイツへ留学し、ローレンツ・フォン・シュタインに学ぶ。 明治7年(1874年)3月に帰国。同年8月、外務省に入り八等出仕となる。9月、一等書記生に発令され、ドイツ公使館在勤を命ぜられた。
海江田 信義(かいえだ のぶよし、1832年3月13日〈天保… 海江田 信義(かいえだ のぶよし、1832年3月13日〈天保3年2月11日〉 - 1906年〈明治39年〉10月27日)は、日本の政治家、官僚。通称は武次(たけじ)。幕末期は有村俊斎の名で活動した。雅号は黙声、静山、孤松。 天保3年(1832年)、薩摩藩士・有村仁左衛門の長男として高麗町に生まれた。幼名は太郎熊。11歳の時、島津斉興の茶頭に出仕して茶坊主となり、俊斎と称した。 はじめ東郷実明に示現流剣術を学び、次いで薬丸兼義に薬丸自顕流剣術を学んだ。薬丸自顕流の伝承では道場破りに来たものの大山綱良に敗れて入門したとなっているが、俊斎は当時わずか15歳であり、史実かどうかは不明。 嘉永2年(1849年)、薩摩藩の内紛(お由羅騒動)に巻き込まれた有村父子は一時藩を追われ家は貧困の極みに陥るが、嘉永4年(1851年)、新藩主・島津斉彬によって藩に復帰、このとき俊斉は西郷吉之助(のち西郷隆盛)、大久保正助(のち大久保利通)、伊地知龍右衛門(のち伊地知正治)、税所喜三左衛門(のち税所篤)、吉井仁左衛門(のち吉井友実)長沼嘉兵衛(早世)らと『近思録』を輪読する会、いわゆる「精忠組」を結成、幕政改革や日本の近代化を考えるようになった。
安藤 則命(あんどう そくめい / のりみち、1828年4月… 安藤 則命(あんどう そくめい / のりみち、1828年4月19日(文政11年3月6日) - 1909年(明治42年)11月23日)は、幕末の薩摩藩士、明治期の警察官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、錦鶏間祗候。通称・十郎。従三位勲一等。 薩摩国鹿児島城下で薩摩藩士・安藤十郎の息子として生まれる。英学を修めて子弟に教授した。 明治維新後、新政府に出仕し、明治元年10月2日(1868年11月15日)東京府市中取締隊長に就任。以後、東京府監察、同大属、兼同第二大区総長、同第一大区総長、同権典事、同典事、同邏卒総長、警保助、司法中検事、権大警視、大警視、中警視、権中警視などを歴任。西南戦争に際し、新撰旅団の編成に尽力した。
大迫 貞清(おおさこ さだきよ、1825年6月22日(文政8… 大迫 貞清(おおさこ さだきよ、1825年6月22日(文政8年5月7日) - 1896年(明治29年)4月27日)は、幕末の薩摩藩士、明治の官僚・政治家。元老院議官、貴族院議員、子爵。 薩摩国鹿児島城下平之町に薩摩藩士・山之内立幹の四男として生まれ、大迫貞邦の養子となる。万延元年(1860年)から京都警備に従事。戊辰戦争では、二番遊撃隊隊長、そして東山道先鋒総督本営付として従軍した。 明治に入り薩摩藩の藩政改革に参政、権大参事として取り組む。明治5年(1872年)に陸軍少佐に任官し、中佐まで進み第1経営部司令官に就任。1874年(明治7年)1月に静岡県令に転じ、以後、文官として歩んだ。 1883年(明治16年)12月、警視総監に就任し、1885年(明治18年)12月、元老院議官を兼務した。
伊地知 正治(いじち まさはる / しょうじ)は、日本の武士… 伊地知 正治(いじち まさはる / しょうじ)は、日本の武士(薩摩藩士)、官僚、政治家、華族。諱は季靖。通称は龍右衛門、後に正治。正三位勲一等伯爵。家紋は宝結び。 戊辰戦争の白河口の戦いでは、わずか700の兵で、4倍弱にあたる2500名の幕府軍を撃破したことなどにより、「類いまれな軍略家」などという異名がある。また、片眼と片脚が不自由がなのにも関わらず新政府軍参謀として活躍したことにより、「薩摩の山本勘助 」などという異名もある。 薩摩藩士伊地知季平の次男として鹿児島城下千石馬場町に生まれる。幼名は竜駒。3歳の時に文字を読んで「千石の神童」と呼ばれるが、幼い頃に大病を患ったために片目と片足が不自由となる。
岩元達弘(いわもと たつひろ)は日本の財務官僚。大臣官房総合… 岩元達弘(いわもと たつひろ)は日本の財務官僚。大臣官房総合政策課長、防衛省大臣官房審議官(普天間飛行場代替施設建設担当)、近畿財務局長。(株)日本政策金融公庫専務。 鹿児島県鹿児島市出身。慶應義塾高等部、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。