愛川 陽菜(あいかわ はるな、2003年12月4日 - )は… 愛川 陽菜(あいかわ はるな、2003年12月4日 - )は、鹿児島県出身の女子サッカー選手。INAC神戸レオネッサ所属。サッカー日本女子代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 地元の鹿児島県いちき串木野市の神村学園中等部に進学。 高等部2年次からサッカー部キャプテンを務めた。 2022年1月9日に行われた第30回全日本高等学校女子サッカー選手権大会の決勝戦(ノエビアスタジアム神戸)で、互いに同年2月からINAC神戸レオネッサへの入団が決まっていた箕輪千慧がキャプテンを務める日ノ本学園高校と対戦し、85分に追加点となる2点目の得点をあげチームの16年ぶり3回目の優勝に貢献、前年のインターハイ初優勝と合わせて夏冬2冠を達成した。
上夷 克典(うええびす かつのり、1996年4月5日 - )… 上夷 克典(うええびす かつのり、1996年4月5日 - )は、鹿児島県いちき串木野市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ジュビロ磐田所属。ポジションはディフェンダー。 鹿児島城西高等学校では3年次に岩元颯オリビエ、長谷川雄志と共に全国高校サッカー選手権大会に出場。高校卒業後は明治大学に進学し同校のサッカー部でプレー。岩武克弥とセンターバックのコンビを組み、2018年には総理大臣杯優勝を果たした。 2019年シーズンより京都サンガF.C.に加入。2月24日、開幕戦のアルビレックス新潟戦で先発出場しプロデビューを果たした。第40節・琉球戦でプロA契約の条件となる900分間以上出場を達成した。負傷の影響もあり2年間で28試合の出場に留まったが、2020年オフにJ1複数クラブが獲得に動き争奪戦に発展した。
大六野 秀畝(だいろくの しゅうほ、1992年12月23日 … 大六野 秀畝(だいろくの しゅうほ、1992年12月23日 - )は、鹿児島県いちき串木野市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。鹿児島城西高等学校、明治大学卒業。旭化成陸上部に所属。2018年日本選手権10000m優勝者。また、2017年~2019年・2025年の4度、ニューイヤー駅伝優勝メンバーに名を連ねている。
赤﨑 秀平(あかさき しゅうへい、1991年9月1日 - )… 赤﨑 秀平(あかさき しゅうへい、1991年9月1日 - )は、鹿児島県いちき串木野市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。 小中学生時代はクラブチームのパルティーダ鹿児島でプレーし、高校は佐賀県立佐賀東高校に進学し、天皇杯にも出場。浦和レッズからもオファーを受けたが、2010年、筑波大学へ進学。1年生でレギュラーに定着し、2010年、2012年に関東大学サッカーリーグ戦得点王を獲得した。関東大学サッカー通算で74試合48得点を記録し、同リーグの通算最多得点(渡邉千真の37得点)を更新した。なお、大学2年間、風間八宏から指導を受けた。ユニバーシアード日本代表として2011年深圳大会、2013年カザン大会に出場し、2011年は優勝、2013年は大会得点王となった。
赤﨑 秀平(あかさき しゅうへい、1991年9月1日 - )… 赤﨑 秀平(あかさき しゅうへい、1991年9月1日 - )は、鹿児島県いちき串木野市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。ガンバ大阪所属。
堂園 彩乃(どうぞの あやの、1990年3月27日 - )は… 堂園 彩乃(どうぞの あやの、1990年3月27日 - )は、鹿児島県日置郡市来町(現いちき串木野市)出身の女子サッカー選手。ポジションはディフェンダー。スペインのUDタクエンセ(スペイン語版)に所属。 2008年、神村学園高等部から浦和レッドダイヤモンズ・レディースに加入。2010年にはU-20日本女子代表としてFIFA U-20女子ワールドカップに出場している。頭脳的なプレーでチームを支え、2度のリーグ優勝を経験。しかし、世代交代や希望と異なるポジションでのプレーに悩むようになり、2014年シーズン限りで現役を引退。 2015年6月、オルカ鴨川FCで現役復帰。ボランチとしてチームの中核となったが、秋頃にはサッカーをやっていることがきつくなり、チャレンジリーグ昇格を果たしたら辞めることを決める。
進垣 リナ(しんがき リナ、1988年11月23日 - )は… 進垣 リナ(しんがき リナ、1988年11月23日 - )は、日本の元女子プロレスラー、現2AWスタッフ。 2018年4月22日、後楽園ホール大会で同期の対笹村あやめ戦でデビュー。 4月30日、Blue Field大会でデビュー第2戦の対バンビ戦が行われた。 5月9日、アイスリボンの道場「レッスル武闘館」で行われたテキーラ沙弥プロデュース興行「P's Party」に参戦し雪妃真矢&つくし組と対戦。パートナーは尾崎妹加)。これが他団体初参戦となる。以降は「P's Party」レギュラーとなり、6月6日の大会ではつくしとシングルマッチで対戦。 6月に入り、練習中に脳震盪を起こしたため、大事を取り6月10日以降の試合を無期限欠場。
井上貴々(いのうえ たかたか、1984年7月1日 - )は、… 井上貴々(いのうえ たかたか、1984年7月1日 - )は、日本の俳優。本名は井上貴博(いのうえたかひろ)。タカ井上(たかいのうえ)としてお笑いライブに出演した経験もある。 鹿児島県串木野市(現・いちき串木野市)出身。現在は劇団シアターザロケッツの劇団員として役者活動をしている。 串木野市立串木野中学校、鹿児島県立川内商工高等学校機械科卒業。高校卒業後、上京し1年間株式会社一光でガソリンスタンドで就職。退社後、役者の道を目指し芸能事務所に入る。そこで知り合った事務所の先輩、荒木太朗と2009年に劇団TEAMtheROCKETS(チームザロケッツ)を立ち上げる。2013年、よりエンターテイメントに特化した舞台作品を創るため「劇団THEATER the ROCKETS」(現「劇団シアターザロケッツ」)を設立し活動を行っている。
宇都 格(うと いたる、1984年5月20日 - )は、鹿児… 宇都 格(うと いたる、1984年5月20日 - )は、鹿児島県いちき串木野市出身の元プロ野球選手(投手)である。現在はプロダーツプレイヤー、ダーツバーの経営者を務める。 高校では2年秋の県大会で準優勝。九州大会出場を果たしたが、準々決勝で長崎南山高に敗れセンバツ出場はならなかった。3年夏は県大会ベスト8に終わるが、長身から投げ下ろす、140km/h台後半の速球派として注目を集めた。 2002年のドラフト5位で近鉄に入団。新人年である2003年は二軍で6試合で防御率3.78とまずまずの成績を残すが翌2004年はイップス気味で制球難となり、7試合で防御率15.63と不調に終わる。2004年11月8日の選手分配ドラフトでオリックスへ移籍した。
竹中 茂雄(たけなか しげお、1975年2月6日 - )は、… 竹中 茂雄(たけなか しげお、1975年2月6日 - )は、「ひょう柄どんぶりの塩ラーメン屋さん一軒目」代表。 鹿児島県いちき串木野市出身。中学生より柔道を始める。 高校卒業後中華料理店にて修行を開始。修行の傍ら休日も県内外(岡山県、茨城県など)で料理を学ぶ。その姿勢が評価され[誰によって?]中国、ハワイなどでフード研修を通し帰国後店を任される[誰によって?]。 鹿児島で開催された、赤坂トゥーランドット脇屋友詞の中国料理イベントにてサポートスタッフとして参加。その後姶良市にて2004年に中華料理店「一軒目」をオープン。自身の弟がオープンスタッフとして手伝う。 しかし弟によるボヤ騒ぎにて店舗が火事になりかけ、弟は退職。
ジミー入枝(ジミーいりえだ、本名:入枝伸也(いりえだ しんや… ジミー入枝(ジミーいりえだ、本名:入枝伸也(いりえだ しんや)、1972年10月1日 - )は、鹿児島県を拠点に活動する日本のミュージシャン(ボーカリスト・シンガーソングライター)、ディスクジョッキー。南日本放送タレント(2020年10月~)の一員もある。 鹿児島県いちき串木野市出身。いちき串木野市観光大使。串木野まぐろ大使。曽於市PR大使。
節政 貴弘(せつまさ たかひろ、1972年〈昭和47年〉5月… 節政 貴弘(せつまさ たかひろ、1972年〈昭和47年〉5月19日 - )は、日本の元バスケットボール選手で現在は解説者。鹿児島県いちき串木野市出身。現役時代のポジションはポイントガード。着用していた背番号「8」は川崎ブレイブサンダースの永久欠番である。 小4でバスケを始め、九産大附九州高、中央大学を経て東芝(現:川崎ブレイブサンダース)に入社。ルーキーイヤーよりアシスト賞を獲得するなど個人タイトルも多数獲得し、2004-05シーズンにはスーパーリーグ優勝に貢献し、ベスト5に選ばれる。 全日本のメンバーとしても活躍し、1998年、2006年の2度の世界選手権などを経験している。 2008-09シーズンを以て現役引退を表明した。
濱涯 泰司(はまぎわ やすじ、1970年10月3日 - )は… 濱涯 泰司(はまぎわ やすじ、1970年10月3日 - )は、鹿児島県串木野市出身の元プロ野球選手(投手)。 串木野市立照島小学校2年生のころ、ボーイズリーグ「串木野黒潮」で野球を始める。鹿児島商工高等学校(現在の樟南高等学校)3年生の時にエースとして鹿児島大会ベスト4入りした。高校時代の同期に川名慎一がいる。 九州国際大学では3年秋の明治神宮大会初戦で東北福祉大学と対して完投するも伊藤博康の本塁打などで敗れた。4年生だった1992年春に九州六大学野球リーグタイ記録の9勝、リーグ最多記録の115奪三振を樹立し、ベストナイン3回。同年は大学選手権でも奈良産業大学相手に13奪三振を記録した。 1992年のNPBドラフト会議3巡目で地元の福岡ダイエーホークスへ指名されたことを機に入団。
尾上 克郎(おのうえ かつろう、1960年6月4日 - )は… 尾上 克郎(おのうえ かつろう、1960年6月4日 - )は、日本の特撮映画・テレビの特撮監督。鹿児島県出身。 鹿児島県いちき串木野市生まれ。学生時代に自主制作映画へ携わったのをきっかけに、テレビ番組の装飾・小道具を手掛ける大晃商会でアルバイトを入る。以後、映画、コンサートを中心に美術、装飾、特殊効果マンとして活躍。1982年の映画『爆裂都市 BURST CITY』で美術スタッフとして映画キャリアをスタートした。 1985年に特撮研究所所属となる。スーパー戦隊シリーズやメタルヒーローシリーズなどで操演技師を務めた後、1994年『ブルースワット』で特撮監督としてデビュー。東映特撮のデジタル化を推進した。
田畑 誠一(たばた せいいち、1939年〈昭和14年〉11月… 田畑 誠一(たばた せいいち、1939年〈昭和14年〉11月27日 - )は、日本の政治家。前鹿児島県いちき串木野市長(4期)。 鹿児島県串木野市(いちき串木野市)羽島地域の口之町出身。串木野市立羽島中学校(現・いちき串木野市立羽島中学校)卒業。運輸省海技大学校特修科卒業。 1975年(昭和50年)、串木野市議会議員に初当選。4期務めたのち、1991年(平成3年)に鹿児島県議会議員に初当選。県議時代は自由民主党に所属した。 2003年(平成15年)2月、串木野市長に初当選。 2005年(平成17年)10月11日、串木野市と日置郡市来町が合併し、いちき串木野市が誕生。これに伴って11月13日に行われた市長選挙で初当選。
久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の… 久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の教育者、作家。都立高等学校校長等を歴任。 鹿児島県いちき串木野市出身。鹿児島県立串木野高等学校卒業。1962年東京大学理学部地学科を卒業し、都立高校教諭となる。都立北園高校教頭などを経て、都立足立高校校長に就任する。その後、都立日比谷高校校長となり、1993年~1997年まで全国高等学校体育連盟会長を兼務した。退任後は警視庁教育参与を務めるなど要職を歴任した。 また、松崎陽平名義の小説『狂いだすのは三月』で1977年第14回文藝賞を受賞した。
福島 幸夫(ふくしま さちお、1907年11月8日 - 19… 福島 幸夫(ふくしま さちお、1907年11月8日 - 1983年2月13日)は、日本の検察官、弁護士。東京地検特捜部初代部長、検事正(佐賀地検、新潟地検)、最高検検事等を歴任した。 鹿児島県日置郡串木野村(後の串木野市、いちき串木野市)出身。1928年に第七高等学校造士館文科を卒業。1930年11月、高等試験司法科合格。1931年3月に東京帝国大学法学部を卒業し、同年6月に司法官試補となる。1933年9月、東京地方裁判所予備検事に任官され、11月より横浜地方裁判所予備検事。1934年4月、前橋区裁判所検事に任官され、1936年4月より千葉区裁判所検事、1937年7月より東京区裁判所検事。1939年10月、司法省刑事局事務官となる。
満留 正光(みつどめ まさみつ、1907年2月27日 - 1… 満留 正光(みつどめ まさみつ、1907年2月27日 - 1993年10月24日)は日本の政治家。鹿児島県串木野市長(3期)。串木野市名誉市民。 鹿児島県日置郡串木野村(串木野町、串木野市を経て現いちき串木野市)荒川に生まれる。1919年3月に荒川尋常小学校(現いちき串木野市立荒川小学校)を卒業し、三井鉱山の串木野鉱山西山坑勤務を経て、1920年10月串木野村役場職員に採用される。働きながら串木野村立公民学校で学び、1927年卒業。1932年9月鹿児島県庁職員に採用され転任。働きながら鹿児島法学院で学ぶ。戦後、鹿児島県の内務部、議会調査局、出納長室、教育委員会事務局(教育庁)の中の各課長などを経て、1955年12月24日串木野市助役に就任。
奥田 栄之進(おくだ えいのしん、1864年3月11日(元治… 奥田 栄之進(おくだ えいのしん、1864年3月11日(元治元年2月4日) - 1945年(昭和20年)1月7日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(4期)。 奥田清蔵の二男として、薩摩鹿児島藩領日置郡串木野郷麓(鹿児島県日置郡串木野町、串木野市を経て現いちき串木野市)に生まれる。1881年(明治14年)7月、家督を相続する。おじ奥田直之助の跡を継いで1898年(明治31年)鹿児島県会議員に当選。副議長を経て、1902年(明治35年)同議長に就任。同参事会員も務めた。 1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙では鹿児島県郡部から出馬し当選する。
長谷場 純孝(はせば すみたか、1854年4月27日〈嘉永7… 長谷場 純孝(はせば すみたか、1854年4月27日〈嘉永7年/安政元年4月1日〉- 1914年〈大正3年〉3月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、衆議院議長(第14代・第17代)、文部大臣(第22代)を歴任。 薩摩国串木野郷(後に鹿児島県日置郡串木野村、串木野町、串木野市を経ていちき串木野市)上名の麓集落(現:いちき串木野市麓)に生まれる。父は鹿児島藩の郷士。1869年(明治2年)、薩摩藩校造士館の学寮に入り学ぶ。 1871年(明治4年)に東京に上京し西郷隆盛、川路利良の知遇を受ける。1872年(明治5年)、警視庁の羅卒(巡査)となり、翌年権少警部、少警部に進む。1874年(明治7年)、依願退官し鹿児島県に帰り、鹿児島県教授に任じられる。
高崎 親章(たかさき ちかあき/しんしょう、1853年6月7… 高崎 親章(たかさき ちかあき/しんしょう、1853年6月7日(嘉永6年5月1日) - 1920年(大正9年)12月27日)は、日本の江戸~大正時代の武士(鹿児島藩士)・警察官(警察官僚)・政治家。貴族院議員。幼名は半十郎。 薩摩国日置郡市来郷の湊町(鹿児島県日置郡西市来村、市来町を経て現いちき串木野市内)生まれ。高崎親廣の長男。内務省警視庁に入庁。初任は警部補。1876年(明治9年)、同郷の同僚である中原尚雄らと共に、墓参のため帰郷した。実際は、下野していた西郷隆盛の実情を視察するため川路利良大警視の密命を受けたものであった。ところが、西郷の私学校から武器・弾薬を勝手に持ち出したため、私学校の生徒らに捕らえられた。
海江田 平治(かいえだ / かえだ へいじ、1852年7月2… 海江田 平治(かいえだ / かえだ へいじ、1852年7月26日(嘉永5年6月10日) - 1913年(大正2年)7月22日)は、明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。 廻船問屋「かねひら」の当主海江田平右衛門の長男として薩摩鹿児島藩領日置郡市来郷湊村東町(西市来村、市来町を経て現いちき串木野市)に生まれる。家督を継いだ後、1895年(明治28年)西市来村の第3代村長に就任した。商家の子弟教育のための共立学舎の創設に尽力した。 1897年(明治30年)鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。
高崎 親廣(たかさき ちかひろ、1819年(文政2年) - … 高崎 親廣(たかさき ちかひろ、1819年(文政2年) - 1877年(明治10年)6月26日)は、日本の武士(鹿児島藩士)。高崎親広。通称は九郎左衛門。長男に高崎親章。薩摩国(鹿児島県)日置郡市来郷出身。 藩校造士館で学び、1839年(天保10年)には大坂留守居の高崎金之進に従い上坂。京都・大坂で遊学した。帰藩後八田知紀に国学・和歌を学んだ後、市来郷で学舎を開いて子弟を教育した。 尊皇家で、毎朝皇居の方角を向いて遙拝し、決してその方角に足を向けて寝ることはなかった。しかし幕末の討幕運動は、故郷を離れられず、もっぱら子の親章に託していたという。1863年、薩英戦争に藩士として参戦。 明治維新後も故郷を離れなかったが、新政府への忠誠心は厚かった。
飯山 裕志 は、鹿児島県日置郡市来町 出身の元プロ野球選手(… 飯山 裕志 は、鹿児島県日置郡市来町 出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、コーチ。右投右打。