島森 路子(しまもり みちこ、1947年1月17日 - 20… 島森 路子(しまもり みちこ、1947年1月17日 - 2013年4月23日)は、日本の広告評論家・エッセイスト・編集者。月刊誌『広告批評』の2代目編集長・発行人を務めた。 秋田県横手市出身。秋田県立横手高等学校を経て、1969年に立教大学社会学部を卒業。講談社に入社し、児童図書(子ども向け百科事典や絵本)などの編集に関わった。 1971年、天野祐吉のマドラ・プロダクションに移る。『キャッチフレーズ3000選』『今日の広告』の編集に携わりながら、広告評論活動も開始した。1979年、天野と共に『広告批評』を創刊。副編集長・メインインタビュアーを経て、1988年に天野から編集長を引き継いだ。 1990年にはフジテレビ「FNN NEWSCOM」のキャスターを務めたほか、TBSテレビ「ブロードキャスター」などでコメンテーターとしても活動した。
高平 哲郎(たかひら てつお、1947年1月3日 - )は、… 高平 哲郎(たかひら てつお、1947年1月3日 - )は、日本の編集者・放送作家・劇作家・演出家。 晶文社を創立した小野二郎は義兄にあたる。東京都杉並区出身。 1953年、学習院初等科の試験に落ち、むさしの学園小学校に入学。父は高円寺で産婦人科を営んでいたが大の映画好きで、高平の少年時代、一家は毎週末には銀座か新宿の映画館に出かけて、映画を見ていた。裕福な家庭であったため、1953年の日本テレビ開局の年にはすぐテレビが購入され、高平は落語や演芸も好きとなる。 一橋大学社会学部卒業。 1956年から始まった「東宝ミュージカル」開始とともに、小学生のうちから通いつめ、中学2年生でアチャラカ喜劇の集大成作品『雲の上団五郎一座』を見る。
浅見 雅男(あさみ まさお、1947年 - )は、日本の編集… 浅見 雅男(あさみ まさお、1947年 - )は、日本の編集者、著述家。 東京都生まれ。1970年慶應義塾大学経済学部卒業。文藝春秋に入社、多くの書籍(文春新書ほか)・雑誌の編集に携わりつつ、皇族、華族制度を軸とした近現代史の研究・著述に従事している。同社の役員を務め、2009年に退職した。 森村誠一の担当編集者だった時期があり、森村の作品『太陽黒点』の主人公・浅見隆司のモデルとなった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
二階堂 卓也(にかいどう たくや、1947年 - )は、日本… 二階堂 卓也(にかいどう たくや、1947年 - )は、日本の映画評論家、雑誌編集者。本名、大塚 公平(おおつか こうへい)。 上智大学文学部新聞学科卒業。小学校時代より映画に親しみ、新東宝、東宝時代劇、日活アクション、やくざ映画、香港活劇、そして、マカロニウエスタンに代表されるヨーロッパの娯楽映画全般と、世間がB級、C級と評する映画、ピンク映画などを徹底的に見続け、評論活動を展開。 一方、昭和40年代中頃から秋田書店にて、壁村耐三の下で『週刊少年チャンピオン』『月刊少年チャンピオン』編集者として活動していた。両誌では、古賀新一『エコエコアザラク』、どおくまん『暴力大将』『熱笑!! 花沢高校』、内崎まさとし『らんぽう』、小山田いく『すくらっぷ・ブック』などを担当。
塩澤 幸登(しおざわ ゆきと、1947年 - )は、日本の著… 塩澤 幸登(しおざわ ゆきと、1947年 - )は、日本の著作家・編集者。 東京都世田谷区出身。早稲田大学文学部西洋史学科卒業。出版社勤務を経て2002年より著作家としての活動を開始した。 黒澤明、野球などについて執筆。
成田守正(なりた もりまさ、1947年- )は、フリー編集者… 成田守正(なりた もりまさ、1947年- )は、フリー編集者。宮城県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、1971年、講談社入社。「小説時代」「群像」「文庫出版部」再び「小説現代」を経て、1986年よりフリー編集者に。さまざまなジャンルの書籍編集に従事。
五十嵐 隆夫(いがらし たかお、1947年 - )は、講談社… 五十嵐 隆夫(いがらし たかお、1947年 - )は、講談社の漫画編集者。『週刊少年マガジン』の編集長を11年にわたって務めた。 1947年生まれ。1966年3月、埼玉県立浦和商業高等学校を卒業する。高校卒業直後に、講談社に入社する。1967年、『天才バカボン』の担当編集者として、赤塚不二夫の担当となる。『天才バカボン』では、『イガラシ記者』、あるいは名前をもじって『デガラシ記者』『トウガラシ記者』、『バカラシ記者』で登場することもあった。1981年から1986年にかけて第3代『月刊少年マガジン』の編集長に就任。1986年、第6代『週刊少年マガジン』編集長に就任する。在任中には『金田一少年の事件簿』が大ヒットしたほか、『はじめの一歩』などのスポーツ漫画、『疾風伝説 特攻の拓』などのヤンキー漫画でもヒット作が生まれ、1990年代の第2次黄金期へと導いた。
国田 昌子(くにた まさこ、1947年 - )は、日本の書籍… 国田 昌子(くにた まさこ、1947年 - )は、日本の書籍編集者、プロデューサー。 1947年(昭和22年)長野県松本市生まれ。1965年(昭和40年) 長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1969年(昭和44年) 成蹊大学文学部卒業、徳間書店に入社。徳間書店編集課長。三浦しをん、森村誠一などの編集を担当する。日本ペンクラブ委員。 1975年(昭和50年)国田が28歳の時、同い歳の映画監督手塚正己がはじめて撮った自主製作映画『M子』の主演を務めた。また、三浦しをん氏の原作『神去なあなあ日常』を映画化した『WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常』(2014年5月10日公開、配給:東宝、監督:矢口史靖、主演:染谷将太、長澤まさみ、伊藤英明)のDVDでは、三浦しをん(原作)×細谷まどか(プロデューサー)×国田昌子(徳間書店編集担当)による、“女子会オーディオコメンタリ―”が収録されている。
三浦 雅士(みうら まさし、1946年12月17日 - )は… 三浦 雅士(みうら まさし、1946年12月17日 - )は、日本の編集者、文芸評論家、舞踊研究者。日本芸術院会員。1978-80年は執筆時に今井裕康というペン・ネームを使用した。 「ユリイカ」「現代思想」の編集長を経て評論家に。文学、芸術、思想を中心に批評活動を展開する。著書に『メランコリーの水脈』(1984年)、『小説という植民地』(1991年)、『考える身体』(1999年)、『人生という作品』(2010年)など。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校卒業。 1969年、青土社創業とともに入社、『ユリイカ』創刊に参画。1972年より『ユリイカ』編集長。1975年より『現代思想』編集長。1982年退社。
目黒 考二(めぐろ こうじ、1946年10月9日 - 202… 目黒 考二(めぐろ こうじ、1946年10月9日 - 2023年1月19日)は、日本のエッセイスト・文芸評論家・編集者。 ペンネームに北上 次郎(きたがみ じろう)、藤代 三郎(ふじしろ さぶろう)などがある。 日本推理作家協会会員。 著書を数多くものしており、初めはジャンルごとに異なるペンネームを使っていた。 など。他に、榊吾郎、館六郎、車堂郎のペンネームを使用した。私小説の目黒考二とミステリー文学評論家の北上次郎、競馬評論家の藤代三郎が主に使われ、自分でも収拾がつかなくなったため他ペンネームはほぼ使われていない。のち群一郎の「群」は、群ようこの作家デビューに際して贈られた。 東京都生まれ、明治大学文学部卒業。
島本 和彦(しまもと かずひこ、1946年8月18日 - )… 島本 和彦(しまもと かずひこ、1946年8月18日 - )は、東京都世田谷区出身のバスケットボール編集者、解説者。月刊バスケットボールの初代編集長を務めた。NHK-BS放送などでNBAやスポナビライブのBリーグで解説をしており、現在、NBAファンクラブの「HOOPHYSTERIA」代表も務めている。以前はbjリーグ・大分ヒートデビルズのエグゼクティブPRディレクターも務めていた。東京都世田谷区出身。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
松山 猛(まつやま たけし、1946年8月13日 - )は日… 松山 猛(まつやま たけし、1946年8月13日 - )は日本の作詞家、ライター、編集者。京都府京都市生まれ。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒。 ザ・フォーク・クルセダーズおよびサディスティック・ミカ・バンドの黒幕的存在であり、「イムジン河」の作詞者。後に、『BRUTUS』その他の雑誌の編集を務め、常に日本の音楽およびファッションをリードしてきた。 ザ・ドッグ・パウンドのDj2highは息子。 作詞を手がけたザ・フォーク・クルセダーズのデビュー曲『帰って来たヨッパライ』(1967年)が大ヒットする(同曲は元々アマチュア時代のザ・フォーク・クルセダーズの自主制作盤アルバム『ハレンチ』収録、後にプロデビュー・シングル曲になった)。
菊池 夏樹(きくち なつき、1946年(昭和21年)6月26… 菊池 夏樹(きくち なつき、1946年(昭和21年)6月26日 - )は、日本の編集者、出版社経営者。高松市菊池寛記念館名誉館長、文藝春秋社友。東京都生まれ。立教大学法学部卒業。菊池寛の孫にあたる。 1969年(昭和44年)文藝春秋入社。営業局、広告局、小説誌「オール讀物」編集部、「月刊コミックビンゴ」編集長、コミックス発行人、文春ネスコ発行人を経て、 文藝振興事業局局長、財団法人日本文学振興会(芥川龍之介賞・直木三十五賞・菊池寛賞)社内委員、松本清張賞・大宅壮一ノンフィクション賞事務局責任者を歴任。2007年(平成19年)に退社。 2011年(平成23年)よりフォーテックデザイン勤務。また香川県高松市菊池寛記念館名誉館長、出版社・ジュリアンの代表取締役。
ターザン 山本(ターザン やまもと、1946年4月26日 -… ターザン 山本(ターザン やまもと、1946年4月26日 - )は、日本の元プロレス編集者。山口県岩国市生まれ。 本名は山本 隆司(やまもと たかし)。身長178cm。愛称はターザン、ター山、落武者等。 山口県立岩国高等学校卒業、立命館大学文学部中国文学専攻中退ののち、映写技師を経て、1977年に新大阪新聞社に入社した。『週刊ファイト』のプロレス担当記者を務める。 1980年にベースボール・マガジン社へ移籍する。1987年、『週刊プロレス』の編集長に就任し、のちには『格闘技通信』の編集長も兼任、“活字プロレス”、“密航”などの流行語を生む。また、『週刊プロレス』の発行部数(公称40万部)を背景に、新興団体SWSに対するバッシング・四天王プロレスの評価・インディ団体FMWのプッシュなどを行い、プロレス界に大きな影響を与えた。
鶴ケ谷 真一(つるがや しんいち、1946年2月10日 - … 鶴ケ谷 真一(つるがや しんいち、1946年2月10日 - )は、日本のエッセイスト、編集者。出版社「パピルス」主宰。 東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。2000年『書を読んで羊を失う』で日本エッセイストクラブ賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
田村 雅之(たむら まさゆき、1946年1月22日- )は、… 田村 雅之(たむら まさゆき、1946年1月22日- )は、日本の詩人、編集者。砂子屋書房代表。 群馬県生まれ。1970年、明治大学商学部商学科卒業、国文社編集部に入社。1974年、文芸雑誌「磁場」編集長となる。1981年、太宰治のデビュー作『晩年』などを出版した砂子屋書房を引き継ぐかたちで、代表取締役となる。72年「風」同人。76年「方法的制覇」創刊。「鷭」などを経て「花」「ERA」同人。2001年の『鬼の耳』で横浜詩人会賞受賞。2016年の『碓氷』で萩原朔太郎賞候補。
中野 和雄(なかの かずお、1946年1月8日 - 2023… 中野 和雄(なかの かずお、1946年1月8日 - 2023年7月)は、日本の編集者。佐賀県武雄市出身。早稲田大学卒業。 集英社に入社し『週刊少年ジャンプ』編集部に配属。ギャグ漫画家の発掘に才能を見せ、吉沢やすみ、コンタロウ、小林よしのり、ゆでたまごの担当編集者を務めた。 『週刊少年ジャンプ』副編集長を経て、『フレッシュジャンプ』副編集長、のちに2代目編集長を歴任。だが、新人漫画家の育成を目的として創刊された『フレッシュジャンプ』が徐々に本来の趣旨を超えて独立志向を強めたため、上司の西村繁男により「週刊少年ジャンプの編集方針の支障になっている」と判断され、休刊に追い込まれる。 『フレッシュジャンプ』編集長から解任された中野は、集英社の子会社である集英社インターナショナルに出向し、『コミック格闘王』編集長などに就いていた。
西井 一夫(にしい かずお、1946年1月1日 - 2001… 西井 一夫(にしい かずお、1946年1月1日 - 2001年11月25日)は日本の写真評論家、編集者。 東京都江戸川区小岩に生まれ、1952年までそこで育つ。1968年、慶應義塾大学経済学部卒業。 弘文堂新社編集部を経て、1969年に毎日新聞社出版局入社。「サンデー毎日」「毎日グラフ」記者を経て「カメラ毎日」編集部に入り、1983年から1985年休刊まで同誌編集長。1989年に「写真の会」を結成し「写真の会賞」を主催。 1996年、毎日新聞社出版局クロニクル編集長としてシリーズ「20世紀の記憶」全20巻を立ち上げ、2000年12月、同シリーズの完結後に選択定年退職。食道癌で死去。 癌発見後、死去までの2ヶ月を河瀬直美がドキュメンタリー映画『追憶のダンス』として撮影した。
芦原 伸(あしはら しん、1946年 – )は、日本の紀行作… 芦原 伸(あしはら しん、1946年 – )は、日本の紀行作家、ノンフィクション作家で、元雑誌編集者。 三重県生まれ、本籍は京都府京丹後市峰山町、育ちは名古屋市。名古屋市立菊里高等学校を経て、1966年北海道大学に入学する。1970年、北海道大学文学部(露文科)を卒業。上京後、週刊誌記者などを経て、1972年、鉄道ジャーナル社編集部入社、『旅と鉄道』の創刊期デスクを勤める。 1976年、フリーランスライターとして独立。1979年、創作集団「グループ・ルパン」を主宰。1982年、株式会社ルパンを設立、代表取締役社長に就任。2007年、株式会社天夢人Temjinを設立し、代表取締役社長に就任。復刊「旅と鉄道』、『SINRA』の編集長を務める。
高橋輝次(たかはし てるつぐ、1946年 - )は、編集者、… 高橋輝次(たかはし てるつぐ、1946年 - )は、編集者、文筆家。 三重県伊勢市に生まれ、神戸市で育つ。1968年に大阪外国語大学英語科卒業後、協和銀行勤務。 1969年に創元社に入社するも1992年には病気のために退社し、フリーの編集者となる。古本についての編著をなす。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大窪 一志(おおくぼ かずし、1946年 - )は、日本のフ… 大窪 一志(おおくぼ かずし、1946年 - )は、日本のフリー編集者、著述家、翻訳家、左翼活動家。 神奈川県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。実存哲学を専攻。 筑摩書房、日本生協連広報室などの編集者を経てフリーの編集者・著述家として活動する。
林 信夫(はやし のぶお、1946年- )は大阪府生まれの編… 林 信夫(はやし のぶお、1946年- )は大阪府生まれの編集者、イベント・プロデューサー。 「21世紀ディレクターズユニオン」代表。「日本コナモン協会」理事。 大学在学中の1971年、「プレイガイドジャーナル」に参加。1972年に同志社大学文学部国文学科卒業。同年に二代目編集長となり、1976年までつとめる。 主に演芸欄を担当。香川登志緒に目をかけられて「同時代芸人」という連載を行い、まだ無名の笑福亭鶴瓶にインタビューするなどした。 また、劇団黒テント、つかこうへい劇団、東京ヴォードヴィルショーなどの演劇公演、映画『ガキ帝国』(井筒和幸監督)『唐獅子株式会社』(監督曽根中生)のプロデューサーとしても活動。
酒井 京子(さかい きょうこ、1946年 - )は、千葉県出… 酒井 京子(さかい きょうこ、1946年 - )は、千葉県出身の編集者。法政大学経済学部を卒業後、株式会社童心社に入社。編集者として約200冊の絵本と、約100の紙芝居を担当。編集長を経て代表取締役社長に就任、現在は童心社会長、紙芝居文化の会 代表、公益財団法人いわさきちひろ記念事業団監事、国立リハビリテーションセンター講師。 1946年千葉県に生まれる。1968年法政大学経済学部卒業後、新宿区四谷(当時)の株式会社童心社に入社。編集者として絵本と紙芝居の編集に携わる。初めての仕事が、いわさきちひろ/画による『宮沢賢治 花の童 話集』。以来、古田足日・田畑精一/さく『おしいれのぼうけん』(単独製作部数 220 万部)いわむらかずお「14ひきのシリーズ」(海外版も含め総製作部数 1000 万部) などのロングセラー絵本の編集など、編集者として約200冊の絵本と、約100の紙芝居を担当する。
石﨑 孟(いしざき つとむ、1946年 - )は、日本の実業… 石﨑 孟(いしざき つとむ、1946年 - )は、日本の実業家、編集者。マガジンハウス元代表取締役社長、一般社団法人日本雑誌協会元理事長。 1946年、東京都港区出身。1969年3月、立教大学経済学部経済学科卒業。 同年4月、平凡出版(現・マガジンハウス)入社。『an・an』『クロワッサン』『POPEYE』『BRUTUS』などの編集に携わる。 1987年、同社書籍出版局編集長、1995年、企画制作局局長、2000年、取締役書籍出版局局長を歴任。 2002年12月、同社代表取締役社長に就任。一般社団法人日本雑誌協会理事長も務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
坂井 宏先(さかい ひろゆき、1946年 - 2014年4月… 坂井 宏先(さかい ひろゆき、1946年 - 2014年4月18日)は愛知県新城市出身の編集者、出版社経営者。ポプラ社元代表取締役社長。 家具屋の家庭に生まれる。本来は小説家志望で、早稲田大学教育学部卒業後に女子美術大学付属高等学校で1年間教鞭を執りつつ小説を書いたが、作家の道を断念し、1972年、ポプラ社に中途入社。 初めは倉庫に配属され、砂埃の舞う劣悪な環境に憤りを感じて「オレが社長になって、この会社を変えてやる」と宣言。1974年、「同族会社の悲劇」と題する意見書を経営陣に提出し、同族経営だったポプラ社の体質を批判したために当時の社長から解雇されそうになった。また、労働組合のない同社で「社員の会」を結成し、労使交渉に乗り出して「代表取締役ヒラ社員」と呼ばれた。
元木 昌彦(もとき まさひこ、1945年11月24日 - )… 元木 昌彦(もとき まさひこ、1945年11月24日 - )は、日本の編集者、ライター。 1966年、早稲田大学商学部入学。1970年、講談社入社。1990年、『FRIDAY』編集長。1992年、『週刊現代』編集長( - 1997年)。1999年、「Web現代」編集長。2007年、「オーマイニュース」日本版編集長( - 2008年)。後に社長も務める。
和多田 進(わただ すすむ、1945年10月5日 - 201… 和多田 進(わただ すすむ、1945年10月5日 - 2016年6月22日)は、日本のジャーナリスト、編集者、実業家。晩聲社創立者、週刊金曜日初代編集長・社長。筆名に轍寅次郎(わだち とらじろう)。 1945年、北海道十勝管内幕別町札内に生まれる。中学3年の時、60年安保闘争のデモに参加。北海道帯広柏葉高等学校時代に民青同盟に加入し、1963年、日本共産党入党(党費滞納を理由に30代半ばで除名)。 1968年に法政大学社会学部を卒業し、サイマル出版会、総合雑誌「時代」編集部を経て、1972年徳間書店グループの現代史出版会の設立に参加。1976年にルポルタージュ専門の出版社「晩聲社」を創立する。1988年、編集プロダクション「鐵五郎企画」を創設。
松田 武己(まつだ たけみ、1945年8月5日 - )は、日… 松田 武己(まつだ たけみ、1945年8月5日 - )は、日本の著作家、編集者。NPO法人不登校情報センター理事長。 ペンネームは五十田猛(いそた たけし)。ペンネームの由来は同市の五十猛(いそたけ)地区から。 島根県大田市出身。大阪市立大学経済学部二部中退。医療機関に16年勤務のあと、教育系出版社あゆみ出版で編集業務に15年間従事。その後、任意団体として不登校情報センターを設立して代表に。同センターのNPO法人化にともない、理事長に就任。 1983年 月刊雑誌『子どもと教育』編集長。1992年 不登校のネットワーク誌『こみゆんと』創刊。 1995年 不登校情報センターを設立。2000年 月刊誌『ひきコミ』創刊・編集長。
夜久 弘(やく ひろし、1945年3月1日 - 2015年1… 夜久 弘(やく ひろし、1945年3月1日 - 2015年1月2日)は、日本の漫画編集者、漫画原作者、スポーツライター。ペンネームに但馬弘介。日本文芸社の創業者夜久勉の養子(旧姓:藤原)。 兵庫県朝来郡和田山町(現:朝来市)林垣生まれ。1963年兵庫県立八鹿高等学校卒業。 養父が創立した日本文芸社で長年、漫画雜誌の編集者を務める(経営権は相続しなかった)。『漫画ゴラク』編集者時代に『野望の王国』などを担当。『カスタムコミック』の副編集長時代に、つげ義春に作品を依頼し、それが縁で1984年、つげの作品をメインとする漫画雑誌『COMICばく』を創刊、1987年まで編集長を務めた。 『COMICばく』終刊後、退職。
島崎 保久(しまざき やすひさ、1945年 - )は、東京都… 島崎 保久(しまざき やすひさ、1945年 - )は、東京都在住の作家・ジャーナリスト・編集者。ワークショップエンターテイナー島崎直也は次男。
後藤 広喜(ごとう ひろき、1945年 - )は日本の漫画雑… 後藤 広喜(ごとう ひろき、1945年 - )は日本の漫画雑誌編集者。『週刊少年ジャンプ』の第4代編集長。 山形県鶴岡市出身。1970年に東京教育大学(現・筑波大学)を卒業して集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部へ配属され、「アストロ球団」(遠崎史朗・中島徳博)、「さわやか万太郎」(本宮ひろ志)、「ドーベルマン刑事」(武論尊・平松伸二)、「私立極道高校」(宮下あきら)、『キャッツ♥アイ』(北条司)などを担当。中島徳博の初代担当者として有名である。その後、副編集長を経て1986年から1993年までに週刊少年ジャンプ編集長を務め、生え抜き編集長第一号となった。 後に集英社取締役を経て、2002年9月、集英社の子会社である創美社(現・集英社クリエイティブ)に常務取締役として出向。
近藤 勝重(こんどう かつしげ、1945年 - 2024年5… 近藤 勝重(こんどう かつしげ、1945年 - 2024年5月10日)は、日本のジャーナリスト、編集者、コラムニスト。サンデー毎日編集長、毎日新聞客員編集委員を務めた。 愛媛県新居浜市出身。愛媛県立西条高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業した。愛媛県を放送対象地域に定めている南海放送の記者を経て、1969年に毎日新聞へ入社した。 毎日新聞大阪本社社会部への配属後は、警察担当記者を10年ほど務めた後に、遊軍記者として1980年代に関西で頻発した大事件(グリコ・森永事件や豊田商事事件など)を取材した。また、関西の芸能・文化に対する造詣が深く、「大阪スペクタクル」(三省堂)「やすし・きよしの長い夏 ― 大阪狂騒曲」(新潮社)「笑売繁盛 ― よしもと王国」(毎日新聞社)などを著した。
前田 速夫(まえだ はやお、1944年10月26日 - )は… 前田 速夫(まえだ はやお、1944年10月26日 - )は、日本の編集者、評論家。 福井県に生まれる。東京大学文学部英米文学科を卒業した。1968年に新潮社に入って文芸編集者となり、初めて担当した作家は武者小路実篤だった[要出典]。1995年から2003年まで『新潮』編集長を務め、平野啓一郎が持ち込んだ『日蝕』の原稿を一挙に掲載した[要出典]。この間、1987年に「白山の会」を結成して白山信仰などの研究の場とした。 退社後は法政大学ほかで講師となり、民俗学などの著作を刊行した[要出典]。2005年に『余多歩き菊池山哉の人と学問』で読売文学賞を受賞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
松谷 孝征(まつたに たかゆき、1944年9月24日 - )… 松谷 孝征(まつたに たかゆき、1944年9月24日 - )は、日本の漫画編集者、アニメーションプロデューサー、実業家。神奈川県横浜市出身。株式会社手塚プロダクション代表取締役社長。 1967年に中央大学法学部を卒業後、学生時代からの劇団を続けていたが頓挫し、一時期ホームレス状態になる。その後、新聞販売店や訪問販売会社など職を転々とし、先輩のつてで実業之日本社に入社して『漫画サンデー』編集部に配属され、谷岡ヤスジ、小島功、鈴木義司、手塚治虫らの担当編集者となる。 1973年4月、手塚プロダクションに入社し、手塚治虫のマネージャーを務める。1985年4月より同社代表取締役社長に就任。手塚治虫原作のアニメのプロデューサーを数多く手がける。
青木 健(あおき けん / たけし、1944年9月21日 -… 青木 健(あおき けん / たけし、1944年9月21日 - 2019年12月)は、日本の詩人、作家、文芸評論家、編集者。 朝鮮京城生まれ、岐阜県育ち。岐阜県立岐阜高等学校を経て、名古屋大学法学部卒業。河出書房に入社し、小島信夫や大岡昇平などを担当する。1984年、「星からの風」で第16回新潮新人賞受賞。愛知淑徳大学非常勤講師、中原中也の会理事、小島信夫文学賞選考委員。 『季刊文科』80号(鳥影社、2020年3月)で追悼小特集が組まれた。
小出 宣昭(こいで のぶあき、1944年(昭和19年)9月1… 小出 宣昭(こいで のぶあき、1944年(昭和19年)9月12日 - )は、日本の新聞編集者、経営者。中日新聞社副会長、前社長。 2004年5月22日、小泉再訪朝当日の朝刊「編集局デスク」に、中日新聞名古屋本社編集局長として「首相訪朝に想う」と題する署名記事を掲載。その中で『5人の人々(注:拉致被害者)も、1年8カ月前の本紙報道にあるように「本人たちの希望もあり」、10日前後で家族のいる平壌にいったん帰るつもりだったと考える方が、人間の心情からいって自然である。それを言えなくしてしまった「何か」が、いまの日本にはある。拉致という国家犯罪に怒り、憎むことは当然の国民感情だ。しかし、それも度が過ぎるとかえって第三者の共感を呼ばないのは、北朝鮮をめぐる6カ国協議でなかなかこの問題が取り上げられなかったことでも分かる。
高橋 一清(たかはし かずきよ、1944年8月5日 - )は… 高橋 一清(たかはし かずきよ、1944年8月5日 - )は、日本の編集者。松江観光協会観光文化プロデューサー。元『別冊文藝春秋』編集長。島根県益田市出身。早稲田大学第一文学部卒。日本ペンクラブ会員。堀川潭はおじに当たる。 1967年、早稲田大学第一文学部を卒業後、文藝春秋に入社。『文學界』『オール讀物』『文藝春秋』『別冊文藝春秋』などの編集部、出版部に配属され、多くの作家デビューに携わる。1990年、『別冊文藝春秋』の編集長に就任。1994年、文春文庫の部長に就任。1996年、文藝振興部長に就任。日本文学振興会事務局を担当。1997年から日本文学振興会理事となる。 2005年、文藝春秋を退社し、地元島根県益田市へUターン。
小高 賢(こだか けん、1944年7月13日 - 2014年… 小高 賢(こだか けん、1944年7月13日 - 2014年2月10日)は、日本の編集者・歌人。本名・鷲尾賢也。 東京都本所区(現・墨田区)生まれ。兄の鷲尾悦也は第3代日本労働組合総連合会会長。東京都立両国高等学校、慶應義塾大学経済学部卒。キヤノンを経て講談社に入社し、編集者として勤務。週刊現代編集部、講談社現代新書編集長、学術局長、学芸局長、取締役、顧問などを歴任。「選書メチエ」シリーズや「現代思想の冒険者たち」シリーズを発足させた。 1972年、歌人馬場あき子に出会い作歌を始める。78年「かりん」創刊に参加。2000年『本所両国』で第5回若山牧水賞受賞。本名での出版時評なども行い、編集者仲間で行う「いける本大賞」の発起人の一人でもある。
高橋 秀元(たかはし ひではる 1944年5月13日-)は、… 高橋 秀元(たかはし ひではる 1944年5月13日-)は、日本の編集者、著述家。 編集工学研究所特別研究員、松岡正剛とともに『 遊 』出版メンバー。 主な仕事は『情報の歴史』(NTT出版)『解釈の冒険 情報とシステム』(NTT出版)「『生命・AI・物語』 / 情報編集としての物語を考える」(記号学会)「 九州大学『 空海の言語論にふれる 』」「 編集学校 輪読座 『 聖徳太子と日本唯識を読む』」『反構造としての笑い-破壊と再生のプログラム』(NTT出版 )中でも執筆の『滑稽と烏滸』は山口昌男が高く評価。 岡山県、大連出身。父の転勤により大連で生まれる[要出典]。早稲田大学文学部東洋史。 取材先の中村元東京大学インド哲学研究室にて資料書籍閲覧自由の許可をもらう。
晋樹 隆彦(しんじゅ たかひこ、1944年〈昭和19年〉5月… 晋樹 隆彦(しんじゅ たかひこ、1944年〈昭和19年〉5月9日 - 2026年3月11日)は、日本の歌人、出版人、編集者。ながらみ書房社長。歌誌「心の花」選者。本名は及川勝利(おいかわ かつとし)、編集者としての名義は及川隆彦(おいかわ たかひこ)。 1944年(昭和19年)5月9日、千葉県匝瑳郡野栄町(現・匝瑳市)に生まれる。法政大学文学部日本文学科卒業。 「えろちか」編集長(駿河台書房)、「短歌現代」編集長(短歌新聞社)などを経て、1985年(昭和60年)にながらみ書房を設立し、1989年に月刊「短歌往来」を創刊。2013年(平成25年)10月に、歌集『浸蝕』で第18回若山牧水賞を受賞する。
宇山 日出臣(うやま ひでお/ひでおみ、1944年4月9日 … 宇山 日出臣(うやま ひでお/ひでおみ、1944年4月9日 - 2006年8月3日)は、日本の文芸編集者。本名、宇山秀雄。戸川安宣とともに、ミステリ小説のジャンル「新本格」の仕掛け人として知られる。 京都市出身。同志社大学を卒業後、三井物産に入社するが、2年後の1969年、中井英夫『虚無への供物』を文庫化したいという思いから、講談社に途中入社する。すぐに星新一宅を訪れて、1971年『エヌ氏の遊園地』を講談社文庫から刊行。1974年3月、『虚無への供物』を講談社文庫のAXシリーズ(日本SF・ミステリのレーベル)の最初の本として刊行開始し、また同1974年に「海外SF・ミステリのレーベル」であるBXシリーズも刊行開始する。
伊藤 玄二郎(いとう げんじろう、1944年2月10日 – … 伊藤 玄二郎(いとう げんじろう、1944年2月10日 – )は、編集者・エッセイスト。かまくら春秋社代表取締役、星槎大学教授。日本ペンクラブ会員、鎌倉ペンクラブ会長。 神奈川県鎌倉市出身。中央大学法学部政治学科卒業。河出書房新社勤務を経て、里見弴の勧めを受けて1970年かまくら春秋社を設立、月刊「かまくら春秋」を創刊。1989年、「かまくら春秋」にて、NTT全国タウン誌フェスティバル・タウン誌大賞を受賞。ポルトガル国立リスボン工科大学客員教授。早稲田大学客員教授、関東学院大学教授、2014年星槎大学教授。2004年、ポルトガル政府よりエンリケ航海王子勲章コメンダドール章を受章。2019年、神奈川文化賞受賞。
松岡 正剛(まつおか せいごう、1944年〈昭和19年〉1月… 松岡 正剛(まつおか せいごう、1944年〈昭和19年〉1月25日 - 2024年〈令和6年〉8月12日)は、日本の実業家、編集者、著述家。株式会社松岡正剛事務所代表取締役、編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長、連志連衆會理事、角川武蔵野ミュージアム初代館長。 京都府京都市出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。 雑誌編集、書籍や映像の企画・構成など多方面で活躍。各界の研究者と交流し、情報文化の考察を深め、独自の日本文化論も展開する。著書に『知の編集術』『日本数寄』(2000年)、書評『千夜千冊』(2006年)など。 京都の呉服屋に生まれる。3歳の時、父親の仕事の都合で東京府日本橋区日本橋芳町に転居。
角南 攻(すなみ おさむ、1944年1月1日 - 2014年… 角南 攻(すなみ おさむ、1944年1月1日 - 2014年8月7日)は、漫画編集者。愛知県名古屋市出身。早稲田大学卒業。『週刊ヤングジャンプ』2代目編集長、『ビジネスジャンプ』初代編集長。『トイレット博士』のスナミ先生のモデルとして知られる。 生家は古くから続く医者の家系で、9代前の先祖は杉田玄白とも面識があったという。叔父は長崎大学医学部で形成外科として名を馳せた。母親は岡山県鏡野町の豪農の家系で6世紀からたたら製鉄と薬師の秘宝が伝わっていた。父親の先祖は同県の児島の出身で、材木屋と塩田経営を行う豪商であったという。[要出典]また父親は京都帝国大学経済学部を卒業するが就職難に遭い、倉敷市役所に勤めていた際に先輩から誘われて名古屋市役所に務め、定年になるまで出世していった。
筒井 ガンコ堂(つつい がんこどう、本名:筒井 泰彦(つつい… 筒井 ガンコ堂(つつい がんこどう、本名:筒井 泰彦(つつい やすひこ) 1944年 - )は、日本の編集者、エッセイスト。 佐賀県杵島郡北方町(現武雄市北方町)出身。京都大学法学部卒業。卒業後、平凡社に入社。2年目に雑誌『太陽』編集部に配属され嵐山光三郎と席を並べる。嵐山が編集長となったときにはデスクに指名された。その後、平凡社が経営危機に見舞われると、嵐山光三郎らと青人社の創立に参加。『DoLiVe 月刊ドリブ』の2代目編集長となる。 その後、佐賀新聞社で文化部長・論説委員・社長室長を歴任を経て、福博総合印刷が発行した「FUKUOKA STYLE」の編集長を務めた。 筒井ガンコ堂のペンネームで食に関するエッセイなどを執筆している。
沢近 十九一(さわちか とくいち、1944年 - )は、日本… 沢近 十九一(さわちか とくいち、1944年 - )は、日本の編集者、科学ジャーナリスト、翻訳家。「澤近十九一」の表記もある。 東京生まれ。東京都立大学大学院中退。 1973年より自然誌「アニマ」の編集陣に参画、1981年より編集長。1994年よりマイクロソフト・デジタル百科事典「エンカルタ」プロジェクト・マネージャー。 総合企画会社「エス・プロジェクト」代表。新樹社の編集長。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
阿久津 邦彦(あくつ くにひこ、1944年 - )は、日本の… 阿久津 邦彦(あくつ くにひこ、1944年 - )は、日本の漫画編集者。『週刊少年チャンピオン』三代目編集長。 埼玉県出身。早稲田大学に7年在学した後、1969年に秋田書店に入社。『まんが王』、『漫画HOT』を経て、『週刊少年チャンピオン』の編集者に。壁村耐三編集長のもと「壁村組」の一番打者と呼ばれ、壁村の後を継いで1981年から1983年まで『週刊少年チャンピオン』の編集長を務めた。以降、『プレイコミック』『ファミコンチャンピオン』などを手掛けたが、壁村が1985年に編集長へ復帰した際には、サポート役として阿久津も副編集長に一時復帰している。 編集者としては『がきデカ』(山上たつひこ)、『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ)、『恐怖新聞』(つのだじろう)、『ふたりと5人』(吾妻ひでお)などの大ヒット作を世に送り出した。
佐藤 嘉尚(さとう よしなお、1943年11月8日 - 20… 佐藤 嘉尚(さとう よしなお、1943年11月8日 - 2011年11月19日)は、秋田県出身の作家、編集者。筆名に里井鵠治(サトイ コウジ)がある。 秋田県山本郡二ツ井町(現在の能代市二ツ井町)に生まれる(なお、日外アソシエーツ現代人物情報は「秋田県山本郡響村に出生」としている)。秋田県立秋田高等学校を経て、浪人時代に山下力と知り合う。 1966年に慶應義塾大学文学部国文科を中退して東京新宿の小出版社である大光社に入社。最初に企画した丸山明宏(後の美輪明宏)著『紫の履歴書』がベストセラーになったため、1969年、入社3年目で編集長に昇進。金子光晴の『人非人伝』、吉行淳之介『生と性』『なんのせいか』、大岡昇平の『戦争』、泉靖一や西江雅之などの共著『構造主義の世界』、大島渚の『青春』や、中原弓彦の『笑殺の美学』などを刊行。
岡崎 英生(おかざき ひでお、1943年8月11日 - )は… 岡崎 英生(おかざき ひでお、1943年8月11日 - )は、日本の編集者、漫画原作者、フリーライター。山形県山形市生まれ。 早稲田大学仏文科卒業。少年画報社で漫画雑誌『ヤングコミック』編集部勤務。1971年退社。その後、劇画原作者、フリーライターとなる。 宮谷一彦の実録漫画『ライク ア ローリング ストーン』には、本人役で出演している。
寺﨑 央(てらさき ひさし、別名:H・テラサキ、1943年2… 寺﨑 央(てらさき ひさし、別名:H・テラサキ、1943年2月23日 - 2012年12月16日)は、フリーの雑誌編集者である。ムック「Made in U.S.A. catalog 1975」をつくり、「MEN’S CLUB」「平凡パンチ」「POPEYE」「BRUTUS」などの雑誌を舞台に活動した。「テラ」「テラさん」の愛称がある。 北海道空知郡芦別町にて医師の父のもとに生まれた。芦別小学校、新宿区立落合第二小学校(編入)、落合中学校、私立海城高等学校を経て、1961年に日本大学芸術学部放送学科に入学した。 1965年、婦人画報社へ入社した。「MEN'S CLUB」編集部に配属され、小林泰彦、斎藤融、中原幹生、芦澤一洋、長濱治を知る。