青井健(あおい たけし、1977年8月5日 - )は、岐阜県… 青井健(あおい たけし、1977年8月5日 - )は、岐阜県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー。 小中学校では攻撃的ミッドフィールダーを務めていたが、帝京高校サッカー部所属時にディフェンダーにコンバート。2年時に第73回選手権で準優勝、3年時に高円宮杯第6回大会でベスト4に入る活躍を見せた。 卒業後東京ガスへ入社し、東京ガスサッカー部およびFC東京でプレー。1999年、負傷を頻発させたこともあって現役を引退。 2003年よりFCディバインのチーム代表として、育成年代のサッカー指導にあたっている。
福島 大地(ふくしま だいち、1977年8月1日 - )は、… 福島 大地(ふくしま だいち、1977年8月1日 - )は、日本の元サッカー選手。神奈川県出身。ポジションはフォワード。 中央大学から2000年にヴァンフォーレ甲府に入団。その後横浜スポーツ&カルチャークラブ( Y.S.C.C.横浜)にも在籍し、背番号10を着けた。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
大久保 毅(おおくぼ たけし、1977年7月30日 - )は… 大久保 毅(おおくぼ たけし、1977年7月30日 - )は鹿児島県出身、サッカー指導者。日本サッカー協会公認A級コーチ。 鹿児島県内のクラブチームなどを指導した後、2008年よりV・ファーレン長崎のコーチに就任。 2009年6月4日、東川昌典の監督解任に伴って長崎の監督に就任したが、同年6月30日に一身上の都合により、監督を辞任した。 2013年、FC KAGOSHIMAのコーチ就任。同年6月にFC KAGOSHIMAの監督に就任した。 2014年、FC KAGOSHIMAとヴォルカ鹿児島が統合して発足した鹿児島ユナイテッドFCの初代監督に就任。2014年シーズンをもって契約満了により鹿児島Uの監督を退任し、2015年より鹿児島Uのアカデミーダイレクター兼U-18監督に就任した。
樹森 大介(きもり だいすけ、1977年7月28日 - )は… 樹森 大介(きもり だいすけ、1977年7月28日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。サッカー指導者。 群馬県のサッカー強豪校、前橋商業高校から専修大学へ進学。当初、プロへの意識は低かったが、4年生の時にはユニバーシアードに選ばれ、同大の天皇杯全日本サッカー選手権大会出場にも貢献するなどの実績を残す。こうした活躍が湘南ベルマーレのスカウトの目にとまり、入団が決定した。湘南では出場機会を得たもののレギュラーに定着することはできず、2002年に戦力外通告を受け退団。 翌2003年より水戸ホーリーホックへ移籍。同年は全試合に出場し4得点を挙げるなどチームに大きく貢献。2004年も主力として33試合に出場していたがシーズン終了後に戦力外通告を受け退団。
竹谷 睦(たけや まこと、1977年7月27日 - )は、神… 竹谷 睦(たけや まこと、1977年7月27日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。 桐光学園高校では同学年に鈴木勝大、1学年下に中村俊輔と佐原秀樹がいた。高校卒業後は、国士舘短期大学に進学。短大卒業後は、国士舘大学の2年生に編入した。そのため同年齢の佐伯直哉と鈴木は1学年上にあたり、1歳下の木谷公亮は同学年である。大学を卒業後、2001年にJ2リーグの水戸ホーリーホックに入団。1年目から19試合に出場した。しかし、シーズン終了後に退団した。 水戸退団後は、東洋大学体育会サッカー部コーチ、神奈川県教員サッカークラブでのプレーを経て、2014年4月から神奈川県立湘南高等学校に赴任し、同校サッカー部の監督に就任した。
中野 吉之伴(なかの きちのすけ、1977年7月27日 - … 中野 吉之伴(なかの きちのすけ、1977年7月27日 - )は、秋田県出身のサッカー指導者、ジャーナリスト。ドイツ在住。 武蔵大学人文学部欧米文化学科卒業後、育成層指導のエキスパートになるためにドイツへ。地域に密着したアマチュアチームで経験を積みながら、2009年7月にドイツサッカー協会公認A級ライセンス獲得(UEFA-Aレベル)。SCフライブルクU15チームでの研修を経て、元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFCでU16監督、翌年にはU16/U18総監督を務める。2013-14シーズンはドイツU19・3部リーグ所属FCアウゲンでヘッドコーチ、練習全般の指揮を執る。底辺層に至るまで充実したドイツサッカー環境を、どう日本の現場に還元すべきかをテーマにしている。
千葉 直樹(ちば なおき、1977年7月24日 - )は、宮… 千葉 直樹(ちば なおき、1977年7月24日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロサッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者、ファッションモデル、ローカルタレント。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 1996年、東北学院高校から当時ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)所属のブランメル仙台に入団。クラブ名称が「ベガルタ仙台」に変更された後も移籍せず、引退まで仙台に在籍し続けた。チームのJ1初昇格(2001年J2最終節)、2年後のJ2降格(2003年J1・2ndステージ最終節)、7年ぶりのJ1復帰(2009年J2第48節)ならびにJ2初優勝(同年J2最終節)の全てを経験した唯一の選手である。
三都主 アレサンドロ(さんとす あれさんどろ、Santos … 三都主 アレサンドロ(さんとす あれさんどろ、Santos Alessandro、1977年7月20日 - )は、ブラジルパラナ州マリンガ出身 の元サッカー選手。 元日本代表でキャップ数82 は歴代15位。2001年11月12日、日本国籍に帰化し、現在はブラジルと二重国籍。帰化前の本名はアレサンドロ・ドス・サントス(Alessandro dos Santos)、当時の登録名はアレックス(Alex)。 利き足は左。ポジションは左ウィングバック、攻撃的MFとしての出場のほか、清水在籍時にはフォワード、名古屋加入以後はセンターハーフ、日本代表では左サイドバックでも出場した。 16歳のときにサッカー留学生として日本の明徳義塾高校に入学し、97年に清水に加入。
金本 圭太(かねもと けいた、1977年7月13日 - )は… 金本 圭太(かねもと けいた、1977年7月13日 - )は、広島県広島市出身 の元サッカー選手(MF)、サッカー指導者。 現九州総合スポーツカレッジ専任講師、同校サッカー部監督。 幼少期は生口島瀬戸田町で育つ。瀬戸田町立瀬戸田中学校(尾道市立瀬戸田中学校)卒業。サッカー部ではキャプテンを務めた。同級生およびサッカー部の同期にはプロレスラーの男色ディーノがいた。 広島県立広島皆実高等学校出身。高校の2年先輩に下田崇、1年先輩に山根巌、1年後輩に梅田直哉、2年後輩に的場千尋がいる。高校3年時にはキャプテンを務めた。 1996年、地元サンフレッチェ広島へ加入する。同期入団は、服部公太・影山貴志・高田純・松永一慶・山口哲治・秋満勝二・上田実。
大石 玲(おおいし りょう、1977年7月13日 - )は、… 大石 玲(おおいし りょう、1977年7月13日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の元サッカー選手。現役時代のポジションは、DF。 清水商業高校を卒業後、清水エスパルス、水戸ホーリーホックなどでプレー、Jリーグ2試合に出場した。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
深澤 仁博(ふかさわ まさひろ、1977年7月12日 - )… 深澤 仁博(ふかさわ まさひろ、1977年7月12日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手。 静岡学園高等学校卒業。1996年に横浜マリノス(1998年から横浜F・マリノス)に入団。その年の8月からJリーグ海外留学制度の適用を受けてアルゼンチンのCAリーベル・プレートで1年間技術研修を受け、1997年6月に横浜Mへ復帰。その後1999年1月から半年、スペインのテネリフェに留学した後、三たび横浜F・マリノスに復帰するが、横浜FMではスタメンに定着できず、リーグ戦は13試合出場3ゴールに留まる。 2000年6月よりアルビレックス新潟に期限付き移籍で加入し、翌年も期間を延長し、2002年より完全移籍。
森川 拓巳(もりかわ たくみ、1977年7月11日 - )は… 森川 拓巳(もりかわ たくみ、1977年7月11日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 静岡学園高等学校時代からDFとしてサッカーを続け、同高校3年時に出場した1995年度の第74回全国高等学校サッカー選手権大会では、同学年の石井俊也や2学年下の南雄太とともに活躍し、準決勝では東福岡高等学校にPK戦で勝利し、決勝では鹿児島実業と引き分けて両校優勝に輝いた。 1996年、高校卒業と同時にJリーグの柏レイソルに入団。同年にリーグ戦初出場を記録し、公式戦出場がなかった2年目の1997年にはシーズンオフにブラジルへの3ヵ月留学へ派遣 されるなど、若手DFとしてクラブから期待され、翌1998年にはリーグ戦の半数以上に当たる20試合に出場するまでの成長を見せた。
卜部 太郎(うらべ たろう、1977年7月11日 - )は、… 卜部 太郎(うらべ たろう、1977年7月11日 - )は、日本・兵庫県明石市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 1996年にセレッソ大阪のユースチームからトップチームへ昇格し、1998年まで在籍。1999年にモンテディオ山形に移籍、2000年にオーストラリア下部リーグのロッチデール・ローヴァーズFC(en:Rochedale Rovers Football Club)に移籍した。ロッチデールではセミプロ選手としてクラブスポンサーの家具会社で職人として働きつつ、サッカー選手としてプレーし、また同クラブのジュニアチームのコーチを務めている。 2008年度限りで引退し、ジュニアチームのコーチは引き続き務めている。
入江 徹(いりえ とおる、1977年7月8日 - )は、静岡… 入江 徹(いりえ とおる、1977年7月8日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー。 2007年シーズンオフに所属していたガンバ大阪から戦力外通告を受け、この年をもって現役を引退。 引退後の2008年からアルビレックス新潟のアカデミーや女子チームを指導した(指導チーム・役職は#指導歴を参照)。 2015年には自身が監督を務めていた新潟U-18をチーム初となるプレミアリーグ昇格へ導いた。 2019年末に新潟を退団。新潟U-18の監督時にトップチーム昇格を果たした選手として宮崎幾笑、長谷川巧、岡本將成、本間至恩、藤田和輝がいる。 2020年からはファジアーノ岡山のアカデミーを指導し、同年末に退団した。
大西 昌之(おおにし まさゆき、1977年7月5日 - )は… 大西 昌之(おおにし まさゆき、1977年7月5日 - )は、北海道出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。選手時代のポジションはFW。 室蘭大谷高等学校から愛知学院大学に進学。2000年にJ1リーグの横浜F・マリノスに加入するも出番がなく1年で退団した。翌年にJ2リーグのアルビレックス新潟に加入し、リーグ13試合に出場したが1年で引退した。 現役引退後は奥大介が監督に就任した多摩大学目黒中学校・高等学校サッカー部で塩川岳人とともにコーチを務め、永田羽竜を指導した。その後、同校で保健体育の教師をしながら、男子サッカー部監督を経て女子サッカー部監督に就任した。
金川 幸司(かながわ こうじ 、1977年7月4日 - )は… 金川 幸司(かながわ こうじ 、1977年7月4日 - )は、大阪府東大阪市出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。ポジションはフォワード。日本サッカー協会公認C級コーチ。 阪南大学では関西学生サッカーリーグで2年連続得点王を獲得。2000年に大宮アルディージャに加入。しかし大宮では出番に恵まれず、2001年6月にJFLのNTT西日本熊本に期限付き移籍し、中心選手として活躍したが同年末に所属元の大宮から戦力外通告を受ける。NTT西日本熊本などから移籍のオファーがあったものの、海外に新天地を求めオーストラリア・クイーンズランド州のパインリバース(英語版)に移籍し、2005年までプレーした。 2006年よりセレッソ大阪のサッカースクールコーチを務め、2016年より大宮のジュニアコーチを務めている。
平間 智和(ひらま ともかず、1977年6月30日 - )は… 平間 智和(ひらま ともかず、1977年6月30日 - )は、宮城県柴田郡柴田町出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 東北高校から1993年に横浜マリノスに加入。1999年はモンテディオ山形、2000年はベガルタ仙台にそれぞれ期限付き移籍。2001年は横浜F・マリノスに復帰。 2002年、コンサドーレ札幌に期限付き移籍で加入し、2003年より完全移籍。 2004年6月にアルビレックス新潟に加入。同年限りで契約満了、2005年からはJFLのFCホリコシ、ソニー仙台でプレー。 2007年をもって現役を引退して、2008年から日本サッカー協会に職員として勤務。
桜井 啓(さくらい けい、1977年6月30日 - )は、千… 桜井 啓(さくらい けい、1977年6月30日 - )は、千葉県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。 2000年にJ2リーグ・ベガルタ仙台に加入したが同年をもって引退した。
要田 勇一(ようだ ゆういち、1977年6月25日 - )は… 要田 勇一(ようだ ゆういち、1977年6月25日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 愛称は「ヨーダ」で、これはスター・ウォーズ・シリーズの登場人物マスター・ヨーダに掛けてある。試合前の選手紹介ではこれをもじった紹介がなされていた。 J1からJ2、JFL、地域リーグ、果ては海外リーグと数多くのチームを渡り歩いてきた選手である。ジェフユナイテッド市原・千葉では主にスーパーサブとして起用されていた。ピッチに登場すると相手DFに積極的なプレスをかけ、攻撃時では泥臭いプレーもいとわずにゴールへ向かう。千葉時代にはイビチャ・オシム監督(元日本代表監督)の信頼も厚く、点を取りに行く時間帯に投入される事が多かった。
宮崎 健治(みやざき けんじ、1977年6月24日 - )は… 宮崎 健治(みやざき けんじ、1977年6月24日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 国見高校、関西学院大学を卒業後、2000年にJ1リーグの京都パープルサンガに加入。1年目の開幕戦でデビューし、18試合に出場した。しかし、クラブはJ2リーグに降格。2001年は4試合に出場、シーズン終了後に退団した。
中島 雄太(なかじま ゆうた、1977年6月22日 - )は… 中島 雄太(なかじま ゆうた、1977年6月22日 - )は、神奈川県綾瀬市出身の元サッカー選手。
上田 実(うえだ みのる、1977年6月20日 - )は、東… 上田 実(うえだ みのる、1977年6月20日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。現在は第一学院高等学校勤務。 1996年、サンフレッチェ広島に練習生として入団。同期は、服部公太、影山貴志、金本圭太、高田純、松永一慶、山口哲治、秋満勝二。プロ契約までに至らなかった。 現在は第一学院高等学校勤務。サッカー指導者としては、三菱養和サッカースクール、十文字中学校・高等学校女子サッカー部などでGKコーチを務めている。
上田 晋也(うえだ しんや、1977年6月20日 - )は、… 上田 晋也(うえだ しんや、1977年6月20日 - )は、滋賀県五個荘町(現、東近江市)、栗東市 出身の元サッカー選手。
船越 優蔵(ふなこし ゆうぞう、1977年6月12日 - )… 船越 優蔵(ふなこし ゆうぞう、1977年6月12日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、フォワード(FW) 。S級指導者ライセンス所持)。 1993年、U-17世界選手権で初のベスト8に入ったU-17日本代表の中心選手。中田英寿・宮本恒靖・松田直樹・戸田和幸などメンバーが揃うチームのエースストライカーであった。1995年サンフレッチェ広島の今西和男総監督は、高木琢也の後継者として船越に目をつけスカウトしようとしていた。その際、船越は海外留学を強く希望していたが、今西には「コミュニケーション能力が備わってない状況で海外留学させる気はない」ポリシーがあったため手を引いた。
小針 清允(こばり きよみつ、1977年6月12日 - )は… 小針 清允(こばり きよみつ、1977年6月12日 - )は、東京都板橋区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはGK。
岡澤 和彦(おかざわ かずひこ、1977年6月10日 - )… 岡澤 和彦(おかざわ かずひこ、1977年6月10日 - )は、愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)出身の元サッカー選手。
村松 大介(むらまつ だいすけ、1977年6月8日 - )は… 村松 大介(むらまつ だいすけ、1977年6月8日 - )は、静岡県出身のサッカー指導者。JFA 公認S級コーチ。
大塚 慶輔(おおつか けいすけ、1977年6月2日 - )は… 大塚 慶輔(おおつか けいすけ、1977年6月2日 - )は、北海道出身のサッカー指導者。 2000年に日本体育協会公認アスレティックトレーナー、2007年にJFA公認B級コーチライセンスの資格を取得。 アルビレックス新潟、ジェフユナイテッド千葉でフィジカルコーチを歴任し、2013年はモンテディオ山形のフィジカルコーチに務めた。 2014年より、FC町田ゼルビアのフィジカルコーチに就任。
西 政治(にし まさはる、1977年5月29日 - )は、福… 西 政治(にし まさはる、1977年5月29日 - )は、福岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。 東福岡高校では1年よりレギュラーとなり、全国高等学校サッカー選手権大会にも出場した。第72回大会ベスト4。第74回大会ベスト4。1996年にアビスパ福岡に入団。また、U-20サッカー日本代表にも選出され、1997 FIFAワールドユース選手権に出場した。1999年に中京大学に進学して、在学中に教員免許を取得した。 2007年より京都先端科学大学(旧称:京都学園大学)の講師となり、併せて同大学サッカー部のコーチを務めている(後に監督に就任)。
井上 敦史(いのうえ あつし、1977年5月28日 - )は… 井上 敦史(いのうえ あつし、1977年5月28日 - )は、埼玉県新座市出身の元サッカー選手。現役時のポジションはゴールキーパー。 浦和市立高校時代から活躍して国体埼玉県選抜に選ばれる。筑波大学では4年次に関東大学リーグ優勝、インカレ準優勝などに貢献した。2000年にコンサドーレ札幌入団。しかし、佐藤洋平が正GKにいたため出場機会は無く、若手の藤ヶ谷陽介の台頭もあって2003年に戦力外となる。 その後トライアウトを経て2004年にJFLの横河武蔵野FC に加入した。移籍後は正GKとして活躍し2005年には副主将、2006年には主将を務めた。 2007年にJリーグ参入を目指すガイナーレ鳥取に移籍。
中丸 貴之(なかまる たかゆき、1977年5月28日 - )… 中丸 貴之(なかまる たかゆき、1977年5月28日 - )は、神奈川県出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。
柳沢 敦(やなぎさわ あつし、1977年5月27日 - )は… 柳沢 敦(やなぎさわ あつし、1977年5月27日 - )は、富山県射水郡小杉町(現・射水市)出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時のポジションは主にフォワード(FW)。元日本代表。 J1リーグ在籍17年連続ゴールのリーグ記録を持つ(2014年時点)。2002年と2006年にはFIFAワールドカップを経験している。 妻はモデルの小畑由香里。 1977年生まれ。当時父親は地元の運送会社に勤めていたが、後にラーメン店を開いた。柳沢は小学校1年になると小杉SSCに入団してサッカーを始め、中学時代にはFCひがしジュニアユースに所属し、U-15日本代表に選出されている。富山第一高等学校では3年連続で国体および高校総体への出場を経験し、高校3年時の高校選手権では超高校級選手として大会の目玉となりJリーグのスカウトの注目を集めた。
影山 貴志(かげやま たかし、1977年5月27日 - )は… 影山 貴志(かげやま たかし、1977年5月27日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手。 マンマークと空中戦に強さを見せるDF。 1996年にサンフレッチェ広島へ入団。その年の開幕戦にいきなり抜擢され、その後4試合連続で先発出場。その後は主力の怪我が回復したためポジションを失う。 1997年の終わりに本人の希望で大学進学への道を選択する。1998年に阪南大学へ入学、1999年ユニバーシアード代表、2000年全日本学生選抜にも選出された。 2001年に地元セレッソ大阪に加入。即戦力として期待されながらも出場はなし。翌2002年からは佐川急便大阪SCに、2007年から合併に伴い佐川急便SC(現SAGAWA SHIGA FC)に所属。
平瀬 智行(ひらせ ともゆき、1977年5月23日 - )は… 平瀬 智行(ひらせ ともゆき、1977年5月23日 - )は、鹿児島県出身 の元サッカー選手。ポジションはFW。 鹿児島市立西陵小学校、鹿児島市立西陵中学校を卒業。1993年、鹿児島実業高等学校に入学。1年生時は2学年上の城彰二と2トップを組む。3年時の第74回高校サッカー選手権で優勝(静岡学園高と両校優勝)を果たすと、1996年に鹿島アントラーズへ入団。同期に柳沢敦や池内友彦がいる。1998年にはブラジルのCFZ・ド・リオへ留学を果たし、1999年、当時の代表監督フィリップ・トルシエに見込まれ、シドニーオリンピック予選の代表に選出された。アジア予選ではゴールを量産し、チーム最多の17得点を挙げる活躍を見せ、本戦出場の原動力となった。
中払 大介(なかはらい だいすけ、1977年5月22日 - … 中払 大介(なかはらい だいすけ、1977年5月22日 - )は、神奈川県出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 SAGAWA SHIGA FC所属の中払伸吾は実弟。 静岡県立清水東高等学校を経て、1996年にこの年からJリーグに参入したアビスパ福岡に入団。山下芳輝、久永辰徳らとともに、福岡期待の若手としてチームに貢献した。しかし、チームは成績がなかなか上向かず、何度もJ2降格の危機を迎え、ついに2001年に降格を迎えた。これを機に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に移籍。 京都では2002年シーズンの天皇杯の優勝を経験したが、昇格と降格も2度ずつ経験することになる。
シュナイダー 潤之介(しゅないだー じゅんのすけ、1977年… シュナイダー 潤之介(しゅないだー じゅんのすけ、1977年5月22日 - )は東京都新宿区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
生津 将司(いきつ しょうじ、1977年5月20日 - )は… 生津 将司(いきつ しょうじ、1977年5月20日 - )は、福岡県出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。 東福岡高校では、ボランチや攻撃的なMFとして活躍。同期には、小島宏美、山下芳輝、西政治らがいた。1年時と3年時には全国高校サッカー選手権でベスト4のメンバーだった。3年時には初戦から準決勝までP.Kキッカーであった。
岡村 政幸(おかむら まさゆき、1977年5月18日 - )… 岡村 政幸(おかむら まさゆき、1977年5月18日 - )は、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身の元サッカー選手。
榎本 潤(えのもと じゅん、1977年5月13日 - )は、… 榎本 潤(えのもと じゅん、1977年5月13日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。現役時のポジションはフォワード(FW)。 高校時代は大宮東高校でプレー。2年生時に全国高校選手権に出場。1996年、獨協大学に進学し体育会サッカー部に所属。 1999年6月、大学在学のままJリーグ・FC東京へ加入。同年8月15日のJ2・第21節モンテディオ山形戦でループシュートによるVゴールでの決勝点を挙げた。2000年、J1・1stステージ第10節清水エスパルス戦で攻守ともに活躍できなかったことから評価を落とし、同年の公式戦出場はこの1試合に留まった。翌2001年は腰痛によるリハビリが続き、この年限りで契約非更新となり退団した。
迫井 深也(さこい しんや、1977年5月8日 - )は、広… 迫井 深也(さこい しんや、1977年5月8日 - )は、広島県出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現Jリーグ・横浜F・マリノスヘッドコーチ。 順天堂大学で主将を務め、2000年にJ1昇格初年度を控えるFC東京へ入団。大卒即戦力ルーキーとしてFW戸田光洋と共に期待されての入団であった。しかしJ1を戦うFC東京ではレギュラー獲得には至らず、J2への期限付き移籍も経験。レンタル先では、2001年・2002年には横浜FCでセンターバックとしてフル回転し、2004年にはモンテディオ山形で右サイドバックのレギュラーをつかみ実力を発揮したが、レンタルから復帰したJ1の舞台では「貴重なバックアッパー」の域を脱する事が出来なかった。
廣山 望(ひろやま のぞみ、男性、1977年5月6日 - )… 廣山 望(ひろやま のぞみ、男性、1977年5月6日 - )は、千葉県袖ケ浦市出身の元サッカー選手、現指導者。ポジションはミッドフィールダー。(JFA公認S級コーチ) 千葉県市原市生まれ。幼稚園時に袖ケ浦市へ転居した頃からサッカーを始めた。習志野市立習志野高等学校では1995年に高校総体で優勝、また千葉県選抜として参加した第50回国民体育大会では少年男子の部で優勝した。習志野高校のサッカー部員は普通科ではなく商業科に進学するのが普通だったが、廣山は普通科に在籍し、3年間の評定平均値は4.8で学年1位であった。 1996年にジェフユナイテッド市原に入団。同時に千葉大学教育学部保健体育学科に推薦入学し、初の現役「国立大生Jリーガー」として話題となった。
桜井 孝司(さくらい たかし、1977年5月4日 - )は、… 桜井 孝司(さくらい たかし、1977年5月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。 1995年の第74回全国高等学校サッカー選手権大会では、南雄太、石井俊也、塩川岳人、森川拓巳らと共に全国優勝を果たした。 卒業後横浜フリューゲルスに入団。程なくアルゼンチンのクラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタにサッカー留学を行った。帰国した翌年の1999年元日の天皇杯優勝を最後にチームは消滅。1999年はコンサドーレ札幌と契約したが、旧フリューゲルス選手の中では契約先が最後に決まった選手である。 現在は㈱ラベッタの代表として、サッカースクールの運営・コーチ・全国各地で行われるサッカークリニックなどサッカーの普及活動を行っている。
菊池 完(きくち かん、1977年5月3日 - )は、東京都… 菊池 完(きくち かん、1977年5月3日 - )は、東京都西東京市出身のサッカーおよびフットサルの選手。ポジションはディフェンダー。 大学卒業後に下部リーグやフットサルで活躍し、30歳になって初めてJリーグのプロ選手になった、異色の経歴を持つサッカー選手である。 サッカーの強豪校で知られる都立久留米高校サッカー部でプレーした後、関東大学サッカーリーグ所属の亜細亜大学に進み、関東大学選抜にも選ばれた。しかし卒業後はJリーグ入りが叶わず、関東サッカーリーグに加盟する青梅FCに入団した。青梅FCには5シーズン所属し、2002年には関東リーグ優勝を果たしたが、関東代表として参加した全国地域リーグ決勝大会では1次リーグ敗退となり、日本フットボールリーグ(JFL)昇格を逃した。
鈴木 正人(すずき まさひと、1977年4月28日 - )は… 鈴木 正人(すずき まさひと、1977年4月28日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手(ゴールキーパー)。 1993年に「市船」の愛称で知られ、既に全国屈指の強豪校として名を馳せていた船橋市立船橋高校に入学。学校は1年時からの3年間全てで高校サッカー出場を果たしている。2年時の第73回大会では優勝を果たしたが、1学年上の伊藤竜一の控えであった。3年時はレギュラーを掴み第74回大会に出場したものの、準々決勝で東福岡高校にPK戦の末屈し、大会連覇を逃した。1学年上に森崎嘉之、同学年に砂川誠、1学年下に北嶋秀朗らが在籍していた。卒業後の1996年に専修大学に進学。在学中は天皇杯にも出場した。 2000年に、当時J2所属の湘南ベルマーレに入団。
本間 幸司(ほんま こうじ、1977年4月27日 - )は、… 本間 幸司(ほんま こうじ、1977年4月27日 - )は、茨城県日立市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。水戸ホーリーホックゼネラルマネージャー (GM) 。 J2リーグ最多出場記録保持者(2025シーズン終了時点)。実妹はバレーボール、ビーチバレーボール、ビーチテニス選手の本間江梨。 水戸短期大学附属高等学校から1996年に浦和レッズに加入。出場機会に恵まれず、1999年7月に当時日本フットボールリーグ (JFL) 所属の水戸ホーリーホックに移籍した。 2011年10月23日、J2第32節・ロアッソ熊本戦で、史上3人目のJ2通算400試合出場を達成した。GKの記録達成、また初出場から現在まで単一クラブでの記録達成は史上初。
須藤 大輔(すどう だいすけ、1977年4月25日 - )は… 須藤 大輔(すどう だいすけ、1977年4月25日 - )は、神奈川県横浜市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 2007年Jリーグカップ得点王。ピアニストの須藤千晴は妹。 甲府のマッチデープログラム「ヴァンすぽ!」7号(2003年5月17日発行)のインタビューコーナーで小学2年生でサッカーを始め、小学5、6年生の頃サッカー選手を目指そうと考えたと答えている。 桐光学園高校では中村俊輔の1年先輩にあたる。高校1年次で桐光学園高校初となる全国高等学校サッカー選手権大会(第72回大会)出場に導くが、3回戦で奥大介擁する神戸弘陵高校にPK戦の末敗れる。翌年のインターハイでは桐光学園初のベスト16。
冨田 大介(とみた だいすけ、1977年4月24日 - )は… 冨田 大介(とみた だいすけ、1977年4月24日 - )は、山口県宇部市出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 宇部高校から一般入試で筑波大学へ進み、卒業後水戸ホーリーホックに入団。入団当時のポジションはボランチ。1年目より守備の中心選手として活躍。2001年シーズン途中よりディフェンスにコンバート。 2004年シーズン、当時J2の大宮アルディージャに移籍し、レギュラーとしてシーズンを通して活躍。その年の大宮のJ1昇格へ貢献。その後も守備の要、チームの精神的支柱として活躍していたが、2009年をもって退団。 2010年よりヴィッセル神戸へ完全移籍するが6試合の出場に留まり、2011年よりヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。
江口 倫司(えぐち ともじ、1977年4月22日 - )は、… 江口 倫司(えぐち ともじ、1977年4月22日 - )は、兵庫県出身の元Jリーグのサッカー選手(FW)、指導者。 1996年に関西学院大在学中にヴィッセル神戸でデビュー。 1997年の神戸がJの連敗記録を更新しかけたゲームで得点しチームを勝利に導いている。福岡移籍後の2002年7月24日のセレッソ大阪戦にてハットトリックを達成。 2003年に現役を引退後、休学中だった大学に復学。また2004年よりヴィッセル神戸のサッカースクール事業部コーチとなる。
佐藤 隆治(さとう りゅうじ、1977年4月16日 - )は… 佐藤 隆治(さとう りゅうじ、1977年4月16日 - )は、愛知県一宮市出身の元サッカー審判員。元プロフェッショナルレフェリー、元国際審判員。知多郡阿久比町在住。 小学校からサッカーを始め、愛知県立一宮高等学校・筑波大学時代まではサッカーを続けていたが、選手としてプレーを続けるのは諦め現役引退。地元に戻って高校教員として活動し、指導時に役立てるために地域協会の主催試合まで審判できる2級審判員の資格までは取得していたが、2002年に地元愛知県で行われた上川徹の講演を聴いてプロフェッショナルレフェリーの道を目指すことを決める。審判を目指し始めた年齢としては比較的高かったが、2004年に日本サッカー協会(JFA)が開設した審判員養成機関「レフェリーカレッジ」を受講し、同年12月に1級審判員に登録された。
石原 孝尚(いしはら たかよし、1977年4月8日 - )は… 石原 孝尚(いしはら たかよし、1977年4月8日 - )は、愛知県春日井市出身のサッカー指導者。現在はサッカーの指導の他、自身がチームビルディングの際に大切にしてきたことを「Happy First ~ひとりひとりを大切にすること~」と定義し、自治体、企業、学校等、様々な組織で講演活動を行っている。ひとりひとりが「自分らしさ」を叶えることの大切さ、そして「NAKAMA」(仲間)の大切さを日本だけでなく世界に発信している。 2000年、金沢大学教育学部卒業 2003年、筑波大学大学院体育研究科修士課程修了。 同年、前橋育英高校サッカー部コーチ 元日本代表細貝萌・田中亜土夢らを指導。 2005年、帝京高校教諭兼サッカー部コーチ 専任教諭として日ハム杉谷拳士・阪神原口文仁、サッカー部コーチとして清水エスパルスの大久保択生・名古屋グランパスエイトの稲垣祥など多くのプロ選手や、新宿歌舞伎町ホストで起業家のROLANDらを指導。