大塚 真司(おおつか しんじ、1975年12月29日 - )… 大塚 真司(おおつか しんじ、1975年12月29日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 習志野高校在学時の1992年に第71回全国高等学校サッカー選手権大会に出場してベスト4の成績を残した。高校卒業後、ジェフユナイテッド市原に加入。高校の同級生に岩瀬健がいる。 1997年に出場機会を求め、川崎フロンターレに移籍。持ち前の豊富な運動量を生かし、主にボランチとして活躍。98年にはJ1参入決定戦1回戦に出場。99年のチームのJ1昇格に貢献した。その後大宮アルディージャ・モンテディオ山形・コンサドーレ札幌と渡り歩き、長年の経験を生かした読みの鋭いプレーで、いずれのチームでも中心選手として活躍した。
伊藤 健一(いとう けんいち、1975年12月23日 - )… 伊藤 健一(いとう けんいち、1975年12月23日 - )は、神奈川県相模原市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 ポジションは、DF。
佐藤 大実(さとう おおみ、1975年12月22日 - )は… 佐藤 大実(さとう おおみ、1975年12月22日 - )は、岩手県紫波郡紫波町出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード・ミッドフィールダー。 紫波町立紫波第一中学校、読売クラブユース(藤沢商高)を経て、1994年から1997年まで日本電装/デンソーに所属。1998年にサガン鳥栖へ移籍して2005年まで在籍。2006年はグルージャ盛岡に所属した。
金子 誠(かねこ まこと、1975年12月9日 - )は、神… 金子 誠(かねこ まこと、1975年12月9日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 桐蔭学園高校、駒澤大学卒業。 1998年にジャパンフットボールリーグのヴァンフォーレ甲府に加入。1999年からはJ2リーグでプレーし103試合に出場した。
斉藤 雅人(さいとう まさと、1975年12月1日 - )は… 斉藤 雅人(さいとう まさと、1975年12月1日 - )は、大宮アルディージャ所属の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。現役時代は、Jリーグで数少ない、プロ契約をしていないサラリーマン選手だった。
下田 崇(しもだ たかし、1975年11月28日 - )は、… 下田 崇(しもだ たかし、1975年11月28日 - )は、日本の元プロサッカー選手(GK)、指導者。広島市南区上東雲町出身。広島県立広島皆実高等学校卒業。元日本代表。 現サッカー日本代表・U-21サッカー日本代表のゴールキーパーコーチ。 実家は喫茶店を経営。小さいころは野球少年で、リトルリーグで外野手やキャッチャーとしてレギュラーだった。サッカーをやっていた兄の影響もあり、小学4年生からサッカーに転向しフォワードやミッドフィールダーとしてプレー、中学では攻撃的なミッドフィールダーとしてプレー。 1991年、高校に入学。監督の勧めで1年時から本格的にゴールキーパーを始めた。1993年3年生の時に香川・徳島国体選抜として出場したことが唯一の全国大会での成績。
岸 一美(きし かずみ、1975年11月25日 - )は、日… 岸 一美(きし かずみ、1975年11月25日 - )は、日本の元女子サッカー選手。元サッカー日本女子代表。現役時代のポジションはフォワード。 本庄第一高等学校で女子サッカー部に所属し、卒業後は宝塚バニーズレディースサッカークラブ、浦和レイナスFCでプレー。2000年、2001年と2年連続で日本女子サッカーリーグ敢闘賞を受賞した。 サッカー日本女子代表では、1998年5月21日、アメリカ合衆国代表との試合でデビューした。その後、12月の1998年アジア競技大会にも出場した。大会では2試合に出場し、グループリーグ3試合目のベトナム戦では2得点をあげた。日本は3位だった。2001年まで通算で9試合に出場し、2得点した。
熊谷 雅彦(くまがい まさひこ、1975年11月23日 - … 熊谷 雅彦(くまがい まさひこ、1975年11月23日 - )は、神奈川県藤沢市出身の元サッカー選手である。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 藤沢西高校、中央大学を経て、1998年に柏レイソルに加入。しかしリーグ戦出場は2年間で1試合にとどまり、1999年シーズン終了後に契約非更新となった。 2000年に当時関東リーグに所属していた佐川急便東京SCに移籍。中心選手として活躍し、チームのJFL昇格に貢献。2001年のJFL開幕戦から試合に出場し続け、2001年と2002年にJFLベストイレブンを2年連続受賞。2004年にはJFLの連続試合出場記録を更新。その後も記録を更新し続けたが、2005年6月に当時九州リーグに所属していたロッソ熊本(現・ロアッソ熊本)へ移籍し、連続試合出場は117試合で途絶えた。
大森 健作(おおもり けんさく、1975年11月21日 - … 大森 健作(おおもり けんさく、1975年11月21日 - )は、愛媛県西予市(旧・東宇和郡野村町)出身のサッカー解説者、スポーツキャスター、元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。西予市立野村中学校、愛媛県立南宇和高等学校卒業。
金 晃正(きん てるまさ、キム・ファンジョン、1975年11… 金 晃正(きん てるまさ、キム・ファンジョン、1975年11月19日-)は、大阪府出身で韓国籍(在日韓国人)の元サッカー選手、サッカー指導者。JFA Aジェネラルライセンス所持。 選手時代は、FWとして活躍。阪南大学では関西学生リーグ得点王を2回、MVPを1回獲得し、1998年にジェフユナイテッド市原 に入団。ジェフでは出番が少なかったが、2000年にヴァンフォーレ甲府 へと移籍して、31試合に出場。2001年はシーズン途中の4月に韓国の蔚山現代ホランイに移籍した。 翌2002年も現役続行を目指していたが所属クラブが決まらず、セレッソ大阪下部組織のコーチに就任。一転して指導者となる。
佐藤 城介(さとう じょうすけ、1975年11月19日 - … 佐藤 城介(さとう じょうすけ、1975年11月19日 - )は、徳島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 徳島市高時代の1年先輩に吉成浩司、同級生に本田征治、1年後輩に藤田聡、2年後輩に藤本主税らがいる。 ガンバ大阪に2年間在籍したものの公式戦出場は果たせず、1999年シーズンオフに現役引退。引退後は地元徳島に戻り、高校教諭として学生の指導に奮闘している。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
下川 誠吾(しもかわ せいご、1975年11月17日 - )… 下川 誠吾(しもかわ せいご、1975年11月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 中学生の時にサッカーを始める。その後は北陽高校を経て、桃山学院大学に進学し体育会サッカー部に入部。2年次(1995年)の夏にセレッソ大阪の練習に参加し、翌1996年にC大阪に加入した。当時正GKだったジルマールが退団後の1997年の2ndステージから武田治郎や武田亘弘らを抑え正GKに定着。110試合連続先発出場を果たすなど 長年正GKを務めていたが、2003年途中から若手の多田大介の台頭により出場機会が減少。シーズン終了後に戦力外通告を受け、C大阪を退団した。
宇野 涼子(うの りょうこ、1975年11月9日 - )は、… 宇野 涼子(うの りょうこ、1975年11月9日 - )は、神奈川県相模原市出身の元女子サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 相模原SCでプレーし、相模原市立相陽中学3年生のころ日本女子サッカーリーグ(JLSL/L・リーグ/なでしこリーグ)の読売サッカークラブ女子・ベレーザ(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ)に入団した。また神奈川県立新磯高等学校、亜細亜大学へと進学した。 1991年には日本代表に初選出され、1995年の第2回FIFA女子世界選手権(女子W杯)スウェーデン大会にも出場した。またリーグ戦でも1991年から3年連続でベストイレブンに選出された。 2000年、この年にL・リーグへ参入したYKK東北女子サッカー部フラッパーズへ移籍。
伊藤 壇(いとう だん、1975年11月3日 - )は、北海… 伊藤 壇(いとう だん、1975年11月3日 - )は、北海道札幌市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、クラーク記念国際高等学校サッカー部監督。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 日本、シンガポール、オーストラリア、ベトナム、香港、タイ、マレーシア、ブルネイ、モルディブ、マカオ、インド、ミャンマー、ネパール、カンボジア、フィリピン、モンゴル、ラオス、ブータン、スリランカ、東ティモール、グアム、サイパンの22の国・地域のリーグでプレーした。 登別大谷高等学校3年時に第72回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。葛野昌宏は高校の同級生に当たる。仙台大学を経て、1998年にブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)に入団。
北島 義生(きたじま よしお、1975年10月29日 - )… 北島 義生(きたじま よしお、1975年10月29日 - )は、茨城県常総市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 学生時代は部活ではなくクラブチームでサッカーをしていた。高校卒業後はトステムに入社。同社で働きながら、県リーグのトステムSCでサッカーを続けた。当時トステムSCの指導にあたっていた元中国代表選手のつてで、中国の広東クラブへと渡り、ここで念願のプロサッカー選手となった。 1997年にJFLの大分トリニティ(現在の大分トリニータ)を経て、1998年に水戸ホーリーホックに加入。1999年のJ2元年はヴァンフォーレ甲府にレンタル移籍するもの、翌2000年から再び水戸ホーリーホックで活躍し、2006年から湘南ベルマーレに移籍することが発表された。
白石 尚久(しらいし たかひさ、1975年10月28日 - … 白石 尚久(しらいし たかひさ、1975年10月28日 - )は、香川県高松市出身のサッカー指導者。 小学生の頃からサッカーをしたいと思っていたが、本格的にサッカーを始めたのは高校3年生のとき。明治大学に進学後サッカー部への入部を試みるも不合格となり、アルゼンチンに渡りヒムナシアU-20に練習生として参加、リザーブチームを含め4年間サッカー留学する。大学卒業後フランスに渡り、セミプロとして3年間を過ごし、27歳で現役引退。 引退後に帰国し、広告代理店の電通に勤務、サッカー事業局に所属する。この時にプライベートでインターンとして海外クラブに出向き、フェイエノールトや当時アーセナルの監督だったアーセン・ベンゲルと交流し、指導者の道を目指し始める。
熊谷 浩二(くまがい こうじ、1975年10月23日 - )… 熊谷 浩二(くまがい こうじ、1975年10月23日 - )は、青森県十和田市出身の元サッカー選手。サッカー指導者。青森県立三本木農業高等学校を卒業後、鹿島アントラーズ、ベガルタ仙台で活躍した。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。 2000年度の鹿島アントラーズ三冠達成時のレギュラーメンバーであり、サイドバックからセカンドストライカーまでこなすユーティリティプレイヤーとして活躍した。この年、出身地である十和田市より市民栄誉賞を授与されている。 三本木農高では全国高校サッカー選手権大会に3年間出場することができなかったが、ユース代表としては1995年のワールドユースで代表のキャプテンも務め、中田英寿らと共に世界を相手にベスト8という成績を残した。
越智 新次(おち しんじ、1975年10月15日 - )は、… 越智 新次(おち しんじ、1975年10月15日 - )は、愛媛県周桑郡丹原町(現・西条市)出身 の元サッカー審判員。 丹原東中学校でサッカーを始め、東予工業高校(現・東予高校)に進学。高校では全国選手権準優勝経験もあるサッカー部に入部するが、70人以上の部員の中でレギュラーの座が遠く、4級審判員の資格を取得して審判員の道を目指す。 高校卒業後は建設業(左官・外装工事・屋根工事)の越智建装で働きながら審判員の資格を取得。1999年に1級審判員の資格を取得し、翌年から日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の副審を担当する。2008年からはJ1の試合も担当するようになった。 2013年に日本サッカー協会 (JFA) からの推薦 により、国際サッカー連盟 (FIFA) 選出の国際審判員(副審)に登録された。
秋葉 忠宏(あきば ただひろ、1975年10月13日 - )… 秋葉 忠宏(あきば ただひろ、1975年10月13日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー(センターバック)。 船橋市立船橋高等学校から1994年にジェフユナイテッド市原に入団。1995年からレギュラーとなり、主にボランチとして活躍。同年U-20日本代表として1995 FIFAワールドユース選手権に出場し、センターバックとしてチームの準々決勝進出に貢献した。翌1996年にはアトランタオリンピックのアジア予選を突破し、日本の28年ぶりの五輪出場に貢献。本大会のメンバーにも選出された。しかしナイジェリアとの試合でスタメンの田中誠の負傷退場によって急遽出場するもオウンゴールを犯してしまい、結果的にこの1失点が響き2勝しながらもグループリーグ敗退となった。
宮下 真洋(みやした まさひろ、1975年10月10日 - … 宮下 真洋(みやした まさひろ、1975年10月10日 - )は、北海道出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 北海道出身、札幌第一高校、国士舘大学を卒業後、ジャパンフットボールリーグの大宮アルディージャに入団。1999年にJ2リーグに昇格。主にミッドフィールダーとしてプレー、J2リーグで45試合に出場した。プロ引退後は平本大介とともに埼玉サッカークラブでもプレーした。
斎藤 豪人(さいとう ひでと、1975年10月9日 - )は… 斎藤 豪人(さいとう ひでと、1975年10月9日 - )は、日本の政治家、サッカー指導者。埼玉県越谷市議会議員(1期)。 1994年から1995年までの浦和レッドダイヤモンズ所属の元プロサッカー選手。ポジションはMF。埼玉県深谷市出身。 大学進学を考えていたが、レッズにスカウトされて入団。184cmの大型選手で運動量が豊富で期待されていたが、怪我などの理由により2年間で戦力外となった。 引退後はフットサルコートを経営のかたわら、JFAこころのプロジェクト夢先生やレッズ関連の教室、OB戦出場などの活動を行う。 2023年、越谷市議会議員選挙に立候補し、47人中32位の得票で当選(定数32)。
森岡 隆三(もりおか りゅうぞう、1975年10月7日 - … 森岡 隆三(もりおか りゅうぞう、1975年10月7日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。 一般受験で桐蔭学園高校に入学。中学時代のポジションはMFで無名の存在であったが、高校時代に当時監督の李国秀に見出されDFにコンバート。これがサッカー選手としての成功の礎となった。 1994年に鹿島アントラーズに入団。1995年途中に清水エスパルスにレンタル移籍しそこで頭角を現しそのまま清水へ完全移籍をする。 2005年8月28日(大宮アルディージャ戦/熊谷スポーツ文化公園陸上競技場)、試合終了後に競技場内のトイレの壁を蹴って破損、3試合の出場停止処分を受けた。
山木 里恵(やまき りえ、1975年10月2日 - )は、千… 山木 里恵(やまき りえ、1975年10月2日 - )は、千葉県出身の元女子サッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー。 小学校3年生の時に部活でサッカーを始める。市川市立第八中学校に在籍していた頃、日産FCレディースに加入。1989年の第1回日本女子サッカーリーグ (JLSL) でヤングプレーヤー賞を受賞した4選手のうちの1人となった。 昭和学院高等学校に在籍中の1993年には日本代表に選出され、マレーシアのクチンで開催された第9回アジア女子選手権のチャイニーズタイペイ戦で初出場を果たした。 1994年、日産FCレディースの廃部により日興證券女子サッカー部ドリームレディースへ移籍。
阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、… 阿久津貴志(あくつ たかし、1975年9月28日 - )は、神奈川県高座郡寒川町の元サッカー選手、元フットサル選手である。ポジションはゴレイロ。 2010年よりFリーグ湘南ベルマーレGKコーチ。 寒川町立旭小学校2年生からサッカーを始める。寒川町立旭が丘中学校、帝京高校から国士舘大学を経てアルビレックス新潟に練習生として加入。いわばエリートコースである。(本契約には至らず)。佐川急便東京SCに移籍し引退。 その後、esporte藤沢でフットサル転向し、湘南ベルマーレの前身であるP.S.T.C.LONDRINAに入団。別名「ロンドリーナの師範ゴレイロ」と呼ばれ、2003年には全日本フットサル選手権大会優勝に導いた。
川勝 博康(かわかつ ひろやす、1975年9月19日 - )… 川勝 博康(かわかつ ひろやす、1975年9月19日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者。京都府出身。現在、京都サンガF.C.のコーチを担当。 同志社大学在学中の1997年にはユニバーシアード代表シチリア大会の日本代表に選ばれた。 大学を卒業後、1998年に京都パープルサンガに入団した。プロ4戦目で初先発だった福岡戦で、決勝ゴールを決めた。これが、リーグ戦の唯一の得点となった。現役生活は短かったが、引退後すぐに京都パープルサンガのスタッフに就任した。現在、京都サンガF.C.の下部組織のコーチを担当している。日本サッカー協会公認B級ライセンスをもつ。それと同時に京都のサッカーのジュニアユースクラブであるルセーロ京都のサポートスタッフも務めている。
遠藤 彰弘(えんどう あきひろ、1975年9月18日 - )… 遠藤 彰弘(えんどう あきひろ、1975年9月18日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町(現:鹿児島市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 実弟の遠藤保仁も元プロサッカー選手。横浜在籍時、ガンバとの対戦は兄弟対決として注目されることも多かった。 1994年にJリーグの横浜マリノス(後の横浜F・マリノス)に入団。長きに渡りレギュラーとして活躍した。2004年には中村俊輔の移籍で空いた10番も付けたが、2005年には故障に加え、補強選手や若手の台頭もあって出場機会が激減。7月にヴィッセル神戸へ完全移籍。2008年に契約満了で退団後、5月13日に引退を発表した。
佐藤 真一(さとう しんいち、1975年9月14日 - )は… 佐藤 真一(さとう しんいち、1975年9月14日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元Jリーグのサッカー選手(FW)。現在はサガン鳥栖U-18コーチ。 佐賀県立佐賀商業高等学校出身。後にサガン鳥栖でチームメイトとなった片渕浩一郎とは同級生で、彼らの学年は3年連続インターハイと冬の全国選手権に出場した。高校卒業後にセレッソ大阪に入団したが出場機会を得られず、鳥栖フューチャーズが解散した後を受け発足したサガン鳥栖に移籍した。
山田 暢久(やまだ のぶひさ、1975年9月10日 - )は… 山田 暢久(やまだ のぶひさ、1975年9月10日 - )は、静岡県藤枝市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー、フォワード。元日本代表。弟の山田智紀は元プロサッカー選手。 1994年の入団以来、浦和レッズ一筋でプレーしたバンディエラである。 1994年に藤枝東高校から浦和レッズに入団。デビュー当時はフォワードで福田正博と2トップを組むこともあったが、1995年以降は主に右サイドバックや右ウイングバックとしてプレーしている。その他にもトップ下、ボランチ、センターバックなど、ゴールキーパーを除くあらゆるポジションで起用される。 2003年は日本代表の右サイドバックに定着した。
桜井 直人(さくらい なおと、1975年9月2日 - )は、… 桜井 直人(さくらい なおと、1975年9月2日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元プロサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 浦和レッズ時代はサテライト暮らしの不遇な日々を送っていたが、1999年途中にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)へレンタル移籍後に本領を発揮してレギュラーの座を獲得。翌2000年からはV川崎へ完全移籍となった。2005年に地元の大宮アルディージャに移籍。同年にはレッズでチームメイトだった永井雄一郎共に、ジーコ・ジャパンのトレーニングキャンプに選出されるも、メンバーとしては残れなかったため、公式試合には出場していない。2007年以降出場機会が激減。
三上 和良(みかみ かずよし、1975年8月29日 - )は… 三上 和良(みかみ かずよし、1975年8月29日 - )は、日本の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック、センターバック)。埼玉県出身。 実弟は、元プロサッカー選手で指導者の三上卓哉。 桐蔭学園高等学校、駒澤大学を経て、1998年にヴィッセル神戸に加入。2000年、期限付き移籍によりヴェルディ川崎でプレー。2001年に神戸に復帰後、同年7月からシーズン終了までジェフユナイテッド市原に期限付き移籍。 2002年より横浜F・マリノスに完全移籍。2003年限りで横浜FMと契約満了となり、2004年は大分トリニータに完全移籍。 2005年、大宮アルディージャに完全移籍。
前田 義貴(まえだ よしき、1975年8月29日 - )は、… 前田 義貴(まえだ よしき、1975年8月29日 - )は、佐賀県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。 佐賀県杵島郡白石町出身。龍谷高校から福岡大学に進み、在学中の1997年にサガン鳥栖に入団。2001年まで在籍。翌2002年はアルエット熊本に半年在籍の後引退した。引退後の2003年、Jリーグキャリアサポートセンターの紹介でサッカーの雑誌やウェブなどを扱うフロムワンに入社。編集者として『CALCIO 2002』、『soccerz』(副編集長)などを担当したほか、多目的フットサルコート『キャプテン翼スタジアム』の支配人を務めた。また同時にスカパー!サッカー中継のレポーターとしても活動し、2006年ドイツワールドカップカウントダウン番組や、Jリーグのピッチレポーターを担当している。
川口 能活(かわぐち よしかつ、1975年8月15日 - )… 川口 能活(かわぐち よしかつ、1975年8月15日 - )は、静岡県富士市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。スポーツ科学者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。 学位は修士(スポーツ科学)(早稲田大学・2023年)。 FIFAコンフェデレーションズカップ2001ベストイレブン、AFCアジアカップ2004ベストイレブンなどの受賞歴を持つ。国際Aマッチ出場数は日本代表歴代3位、同ゴールキーパー歴代1位の116試合を記録。4大会連続でFIFAワールドカップメンバーに選出されている(1998年 W杯フランス大会、2002年 W杯日韓大会、2006年W杯 ドイツ大会、2010年W杯 南アフリカ大会)。
荒谷 弘樹(あらたに ひろき、1975年8月6日 - )は、… 荒谷 弘樹(あらたに ひろき、1975年8月6日 - )は、富山県高岡市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 元日本代表FW柳沢敦は高校の2期後輩にあたる。高校卒業後1994年に浦和レッドダイヤモンズに入団。しかし田北雄気・土田尚史の前に出場機会は全くなく、1998年に川崎フロンターレに期限付き移籍 するも浦上壮史の控えに終わる。1999年に大宮アルディージャに移籍したがここでも白井淳の控えとなり、正GKはおろか第2GKすらままならない時期が続いた。 しかし白井引退後の2002年に公式戦初出場するとその年12試合に出場して徐々に頭角を現す。2003年は川島永嗣にポジションを奪われるが、川島が名古屋グランパスエイトに移籍した2004年からは完全に正GKの座を射止め、ようやく「守護神」と呼ばれるようになった。
長橋 康弘(ながはし やすひろ、1975年8月2日 - )は… 長橋 康弘(ながはし やすひろ、1975年8月2日 - )は、静岡県富士市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 小学校からサッカーを始め、東海大学第一中学校から静岡北高等学校を経て1994年清水エスパルスに入団した。2年目の1995年シーズンにリーグ戦29試合に出場したが、その後は怪我などの影響もあり低迷期に入る。 1997年、当時ジャパンフットボールリーグの川崎フロンターレに移籍すると、すぐさまレギュラーの座を確保。以来、9年間の長きに渡り、基本的には右サイドのレギュラーポジションを守り通している。2006年11月24日、引退を表明。 引退後は川崎フロンターレの下部組織のコーチ、監督を歴任し、2025年よりトップチームコーチに就任。
増田 亜矢子(ますだ あやこ、1975年7月31日 - )は… 増田 亜矢子(ますだ あやこ、1975年7月31日 - )は、神奈川県綾瀬市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。 中学・高校時代はバレーボール部に所属していた。東京女子体育短期大学入学後よりサッカーを始めて、1996年に東京女子体育大学サッカー部に入部した。1997年の全日本大学女子サッカー選手権大会で準優勝した。 短大卒業後の1998年に読売ベレーザ(現:日テレ・東京ヴェルディベレーザ)に入団。2004年にYKK AP東北女子サッカー部フラッパーズに移籍したが、同年に廃部となった。2005年にフラッパーズを承継する形で東京電力女子サッカー部マリーゼが発足すると同チームに所属。
廣長 優志(ひろなが ゆうじ、1975年7月25日 - )は… 廣長 優志(ひろなが ゆうじ、1975年7月25日 - )は、大阪府枚方市出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ボランチ)、DF(センターバック)。 小学校1年生の時に地元の枚方FCでサッカーを始める。 桐蔭学園高校に進学後、1年生からスタメンを獲得。2年生の時にはドイツ遠征で活躍し、ブンデスリーガの強豪VfBシュトゥットガルトから年俸2000万円にものぼる獲得オファーもあった。 自身はVfBシュトゥットガルトへの入団に前向きだったが、同校サッカー部の監督であった李国秀のもとにオファーが来ていたヴェルディ川崎へ入団することとなった。 ヴェルディでは初年度から出場機会を掴むと活躍が認められ、同年にU-23日本代表に選出。
鳥羽 俊正(とば としまさ、1975年7月16日 - )は、… 鳥羽 俊正(とば としまさ、1975年7月16日 - )は、日本の元サッカー選手。 1998年に水戸ホーリーホックに入団。2000年にクラブはJ2リーグに昇格。2000年3月19日、水戸ホーリーホックのJ2初ゴールを決める。2003年の終わりに引退。 引退後は山形県の高校教諭となり、2005年より米沢中央高等学校のサッカー部の監督に就任。2013年には第92回全国高等学校サッカー選手権大会山形県予選において初優勝している。また、併せて2016年から2018年に山形県国体少年男子の監督、2020年から2021年に山形県サッカー協会技術委員長を務める。2022年より水戸ホーリーホックのアカデミーにおいてヘッドオブコーチングに就任。
久保井 秀昭(くぼい ひであき、1975年7月10日 - )… 久保井 秀昭(くぼい ひであき、1975年7月10日 - )は、兵庫県美方郡美方町(現・美方郡香美町)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
岩瀬 健(いわせ けん、1975年7月8日 - )は、千葉県… 岩瀬 健(いわせ けん、1975年7月8日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者。 1994年に浦和レッズに入団。同期には山田暢久などがいる。1995年に途中出場を果たす。1996年は怪我がちだったバインに代わり、背番号10をつけてスタメン出場を果たし、10節のマリノス戦ではJリーグ初ゴールを決めた。 のちに大宮アルディージャに在籍。引退後はPREDATOR FUTSAL CLUB(現:バルドラール浦安フットボールサラ)でフットサルに転向しフットサル日本代表にも選ばれた。その後、浦和レッズハートフルクラブや下部組織でコーチを務め、2013年からは柏レイソルのアカデミーで指導者を務めた。
小菊 昭雄(こぎく あきお、1975年7月7日 - )は、兵… 小菊 昭雄(こぎく あきお、1975年7月7日 - )は、兵庫県神戸市出身の元アマチュアサッカー選手、サッカー指導者。J2リーグ、サガン鳥栖監督。 滝川第二高校出身で、高校時代は黒田和生から指導を受けた。中盤の選手で、高校1年生の時に全国高校選手権の登録メンバーに入ったが、出場機会は皆無だった。高校2年生で、父親を病気で亡くした。[要出典] 1994年、愛知学院大学に入学。 プロ選手になるのは難しいという立場を理解するようになった。「サッカーの近くで仕事がしたい」という夢を知っていた友人(当時のセレッソ大阪社長鬼武健二の息子)に紹介され、セレッソ大阪に手紙を書いて面接に臨んだ。 卒業直前の1998年2月からセレッソ大阪下部組織のコーチにアルバイト採用され、子供たちを教えるところからスタートした。
堀井 岳也(ほりい がくや、1975年7月3日 - )は、山… 堀井 岳也(ほりい がくや、1975年7月3日 - )は、山梨県甲府市出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW。 1984年に貢川サッカースポーツ少年団に入団。昭和町立押原中学校を経て山梨県立韮崎高等学校に入学してサッカー部に入部。在学中、1991年、1993年の2回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。中田英寿は1年後輩。卒業後は青山学院大学に入学し、サッカー部でプレーした。 大学卒業後地元山梨県に戻り、当時旧JFL所属だったヴァンフォーレ甲府に入団。翌年甲府は新設されたJリーグ2部に参入した。堀井は2年間で49試合に出場して合計8得点を挙げた。 2000年にモンテディオ山形に移籍。2001年9月、コンサドーレ札幌にレンタル移籍で加入した。
寺田 周平(てらだ しゅうへい、1975年6月23日 - )… 寺田 周平(てらだ しゅうへい、1975年6月23日 - )は、日本の元プロサッカー選手。サッカー指導者。現役時のポジションはディフェンダー。神奈川県横須賀市出身。 日産自動車サッカー部の下部組織で本格的にサッカーを始める。その後、神奈川県立横須賀高等学校から東海大学へ進学。在学中はサッカー部自体は関東2部や神奈川県リーグに所属していたが、1995年に開催されたユニバーシアード福岡大会でサッカー競技代表の中心選手として日本の大会初優勝に貢献し、プロからも注目を浴びる。卒業後は日産サッカー部の後身、Jリーグの横浜マリノス(現在の横浜F・マリノス)への入団が内定していたが、メディカルチェックで頸椎に問題が発見されて不合格となり、1年間の浪人生活を過ごした。
城 彰二(じょう しょうじ、1975年6月17日 - )は、… 城 彰二(じょう しょうじ、1975年6月17日 - )は、北海道室蘭市生まれ、鹿児島県姶良郡加治木町(現:姶良市)育ちの元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。元日本代表。 1998年ワールドカップフランス大会日本代表メンバー。 北海道に生まれる。小学生時代にサッカーのビデオを借りてフランク・オルデネビッツ(後にチームメイトとなる)のプレーに熱中していた。中学生の時に名古屋市立日比野中学校を経て両親の出身地である鹿児島県へ引っ越す。 姶良市立加治木中学校、鹿児島実業高等学校卒業。 鹿児島実業高校サッカー部では松澤隆司監督の指導を受け、2年先輩に前園真聖や藤山竜仁や遠藤拓哉(遠藤彰弘・遠藤保仁の兄)、同学年に遠藤彰弘や横山博敏、2年後輩に平瀬智行などがいた。
西島 健介(にしじま けんすけ、1975年6月9日 - )は… 西島 健介(にしじま けんすけ、1975年6月9日 - )は、京都府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
吉田 明博(よしだ あきひろ、1975年5月28日 - )は… 吉田 明博(よしだ あきひろ、1975年5月28日 - )は香川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。現在は、高松大学サッカー部監督。
藤崎 義孝(ふじさき よしたか、1975年5月16日 - )… 藤崎 義孝(ふじさき よしたか、1975年5月16日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。日本サッカー協会公認S級コーチ。 鹿児島実業高校3年次には城彰二や野見山秀樹らと共に高校総体準優勝、全日本ユース準優勝、高校選手権ベスト4進出に貢献した。 鹿屋体育大学を経て1998年にアビスパ福岡へ入団。2002年には主将を務めるが、そのオフに解雇。現役を引退後は福岡の下部組織を指導し、2014年からはアカデミーダイレクターを務めた。2019年6月からは福岡のトップチームのコーチに就任した。
横山 博敏(よこやま ひろとし、1975年5月9日-)は、鹿… 横山 博敏(よこやま ひろとし、1975年5月9日-)は、鹿児島県姶良市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 長男の横山歩夢(ベルギー・チャレンジャープロリーグ・ヨング・ヘンク所属)、次男の横山夢樹(セレッソ大阪所属)、共にプロサッカー選手。 加治木町立加治木中学校、鹿児島実業高等学校、大阪商業大学を経て1998年にJリーグのジェフユナイテッド市原へ入団。2年間所属したのち2000年に日本フットボールリーグ(JFL)・横浜FCに移籍し、Jリーグ入りに貢献した。その後も横浜FCの主力として活躍したが、若手の台頭で出場機会が減少したため、活躍の場を求めて2004年にヴァンフォーレ甲府にレンタル移籍。
大久保 誠(おおくぼ まこと、1975年5月3日 - )は、… 大久保 誠(おおくぼ まこと、1975年5月3日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者。長崎県出身。現・BRISTOLサッカースクール代表。 福岡大学在学中の1997年にはユニバーシアード代表シチリア大会の日本代表に選ばれている。 大学を卒業後1998年にサンフレッチェ広島に加入。同期入団は、石川裕司、池端陽介、植田元輝、大畑隼哉、行友亮二、秋元雅博、山下一弥。主力として入団当初から攻撃的なMFで試合出場し、周囲にも期待されていたが、度重なる怪我に加え、その年の途中から加入した山口敏弘、翌年に加入した藤本主税のためにレギュラー確保にまでいたらなかった。2000年に怪我が原因で引退。 その後は地元へ帰っていたが、2004年から2008年まで名古屋グランパスエイト下部組織のコーチとして活躍。
清水 和男 (しみず かずお、1975年4月30日-) は、… 清水 和男 (しみず かずお、1975年4月30日-) は、日本の元サッカー選手。 1975年4月30日、静岡県生まれ。浜松市立高台中学校、静岡県立浜名高校卒業後、1994年にジャパンフットボールリーグ(JFL)のセレッソ大阪に入団。セレッソは1994年にJFLで優勝し、1995年からJ1リーグに昇格した。清水は1996年シーズンまでほとんど試合には出場できなかったが、1997年シーズンには数試合に出場。1998年からはサイドバックとして多くの試合で活躍。清水の出場の機会は2001年に減少し、セレッソも2001年シーズンの終わりにJ2リーグに降格。同シーズンの終わりに引退した。
片渕 浩一郎(かたふち こういちろう、1975年4月29日 … 片渕 浩一郎(かたふち こういちろう、1975年4月29日 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ベガルタ仙台ヘッドコーチ。現役時代のポジションはフォワード (FW) 。 佐賀商業高校から東海大学を経て、1998年に地元・佐賀県のサガン鳥栖に加入。翌1999年、開幕初年度のJリーグディビジョン2 (J2) 第3節・コンサドーレ札幌戦で、J2第1号となるハットトリックを達成した。黎明期の鳥栖でレギュラーとして活躍したが、2001年は2度の右膝の手術の影響もあり出場機会が減少。2002年、アルビレックス新潟に移籍したが、同シーズン終了後に27歳で現役を引退した。 引退直後の2003年より、新潟ユースのコーチに就任して指導者としてのキャリアを開始。