小見川 道大(おみがわ みちひろ、1975年12月19日 -… 小見川 道大(おみがわ みちひろ、1975年12月19日 - )は、日本の元男性総合格闘家、柔道家。茨城県出身。土浦日本大学高等学校、国際武道大学卒業。NEO JUDO ACADEMEY 小見川道場主宰。 小学校1年から柔道を始める。土浦日大高校では、同じ柔道部所属の桜井"マッハ"速人、レスリング部の宮田和幸と同級生であった。国際武道大学時代には野村忠宏、中村行成に勝利したこともある。同じ吉田道場所属だった中村和裕は大学の後輩にあたる。大学卒業後は、綜合警備保障で柔道を続けた。1998年2月、ハンガリー国際66kg級優勝、2002年1月、日本国際66kg級優勝、8月柔道ワールドカップ国別団体選手権大会で決勝戦では巴投で一本勝ちし金メダルを獲得。
窪田 和則(くぼた かずのり、1975年12月13日 - )… 窪田 和則(くぼた かずのり、1975年12月13日 - )は、神奈川県川崎市出身の柔道選手。現役時代は78kg級の選手。173cm 小学校2年の時に柔道を始める。国士舘中学時代には大きな実績はなかったが、国士舘高校3年の時にインターハイ中量級で優勝を果たした。 国士舘大学に入学後、2年の時に学生体重別に優勝した勢いで、ユニバーシアードではオール一本勝ちで優勝を飾った。さらに講道館杯でも優勝するが、この階級には古賀稔彦がいたためにアトランタオリンピック代表にはなれなかった。 1997年には1つ年上のライバルである瀧本誠と世界選手権代表の座を争うも、ドイツ国際、体重別と決勝で瀧本に敗れて代表にはなれず。
山下 まゆみ(やました まゆみ、1975年11月22日 - … 山下 まゆみ(やました まゆみ、1975年11月22日 - )は、岐阜県高山市出身の日本の元柔道選手。身長170cm、体重100kg。得意技は大外刈り。 叔父に誘われたのがきっかけで小学校2年次より地元の道場で柔道を始め、高山市立中山中学時代に岐阜県体重別選手権で優勝した。 中学卒業後は父親の「岐阜県外で柔道をやりなさい」という指導方針もあり、当時全国的にも名の知れた兵庫県の夙川学院高校に進学。3年次に全国高校選手権で準優勝したほか、ドイツジュニア国際大会で3位入賞を果たす。この高校時代の事を山下は「一番頑張ったですし、一番厳しかった時代」と述懐している。 1994年に高校を卒業すると、福岡・純真女子短期大学(現・純真短期大学)に進学する。
浅見 重紀(あさみ しげき、1975年11月21日 - )は… 浅見 重紀(あさみ しげき、1975年11月21日 - )は、兵庫県出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級と66kg級。現役時代は身長173cm。 荒井中学3年の時に全国中学校柔道大会の65kg級で2位になった。高砂高校3年の時にインターハイの軽中量級で優勝を飾った。さらに全日本ジュニア65kg級でも優勝した。1994年には天理大学へ進学すると、2年の時には全日本ジュニアで2位だった。4年の時には正力杯で優勝すると、正力国際の66kg級でも決勝で世界チャンピオンである韓国の金赫に背負投で一本勝ちして優勝を飾った。1998年には大阪府警の所属になると、体重別で3位になった。講道館杯では決勝で横浜そごうの鳥居智男に敗れて2位だった。
木屋 好絵(きや よしえ、1975年11月15日 -)は北海… 木屋 好絵(きや よしえ、1975年11月15日 -)は北海道根室市出身の日本の柔道家。72kg超級及び78kg超級の選手。身長167cm。 柔道は6歳の時に父親の影響で始めた。根室市立啓雲中学から釧路湖陵高校へ進むと、2年の時に高校選手権72kg超級で5位になった。1994年には筑波大学へ進学すると、2年の時に優勝大会で3位となった。3年の時には無差別で争われる全日本学生選手権の準決勝で拓殖大学3年の妹尾ひでみに敗れるも3位となると、世界学生では個人戦の無差別で2位、団体戦で3位となった。4年の時には優勝大会で3位だったが、全日本学生選手権では決勝で東和大学4年の山下まゆみを判定で破って優勝を飾った。
井上 智和(いのうえ ともかず、1975年10月31日 -)… 井上 智和(いのうえ ともかず、1975年10月31日 -)は宮崎県出身の日本の柔道家。現役時代は100kg級の選手。身長183cm。弟はシドニーオリンピック100kg級で優勝した井上康生。義妹はタレントの東原亜希。 柔道は小学校3年の時に始めた。小学校6年の時には当時小学校3年生だった弟に投げられたという。大宮中学から宮崎日大高校に進むと、3年の時にインターハイ軽重量級で決勝まで進むが、埼玉栄高校2年の中野尚信に注意で敗れた。明治大学に進学すると、3年の時に優勝大会決勝で東海大学に敗れるが2位になった。4年の時には正力杯95kg級を制して、この年東海大学に入学して95kg超級で優勝した弟とともに兄弟優勝を果たした。
江上 忠孝(えがみ ただたか、1975年10月24日 -)は… 江上 忠孝(えがみ ただたか、1975年10月24日 -)は福岡県久留米市出身の日本の柔道家。現役時代は100kg超級の選手。身長185cm。組み手は左組み。得意技は袖釣込腰。
谷 亮子(たに りょうこ、1975年9月6日 - )は、日本… 谷 亮子(たに りょうこ、1975年9月6日 - )は、日本の柔道家、政治家。福岡県福岡市出身。旧姓は田村(たむら)。柔道選手としてはオリンピックで2度、世界選手権で7度金メダルを獲得した。2018年1月には、女子としては極めて異例の飛び昇段で六段になった。 2010年の第22回参議院議員通常選挙で民主党の比例候補として当選し参議院議員として政界入り。民主党スポーツ議員連盟会長、日本未来の党幹事(遊説担当)、生活の党と山本太郎となかまたち副代表兼参議院幹事長などを歴任した後、改選となる2016年の第24回参議院議員通常選挙には立候補しなかった。 帝京大学文学部卒業、日本体育大学大学院修了。夫は元プロ野球選手で東芝社会人野球部エグゼクティブアドバイザーの谷佳知(2003年結婚)。
二宮 美穂(にのみや みほ、1975年(昭和50年)8月22… 二宮 美穂(にのみや みほ、1975年(昭和50年)8月22日 - )は、日本の柔道選手。熊本県菊池郡大津町出身。身長167cm、体重95kg。得意技は大内刈。 中学生の時に柔道を始めて、熊本県立阿蘇高等学校に入学後は全国大会でも活躍するようになり日本体育大学体育学部武道学科に進学。1995年(平成7年)の福岡国際では日本選手がそれまでなかなか勝てなかった中国の張穎を破り2位に入った。 1997年(平成9年)の全日本選手権では高校時代からのライバルである阿武教子を実に11度目の対戦にして初めて破り、優勝を果たした。世界選手権では2階級で代表になり、72kg超級では準決勝でオリンピックチャンピオンである中国の孫福明を見事な体落で破り、決勝でも地元フランスのクリスティーヌ・シコに技ありを奪ってリードしていたが、逆転負けを喫して2位に終わった。
大野 義啓(おおの よしひろ、1975年8月14日 - )は… 大野 義啓(おおの よしひろ、1975年8月14日 - )は兵庫県出身の元柔道家。鍼灸師。柔道整復師。在日韓国人3世で本名は姜義啓朝: 강의계。 韓国の100kg超級および無差別級の柔道代表として2000年アジア柔道選手権大会銅メダル、1999年夏季ユニバーシアード銅メダル、2001年世界柔道選手権大会無差別級ベスト8。 在日韓国人3世として明石市に生まれる。小学5年生の時に地元道場、陽明館に通う。中学卒業後は岡山県作陽高等学校を経て天理大学体育学部に進学、卒業後はダイコロに所属。韓国代表として1999年夏季ユニバーシアード100kg超級で銅メダル、2000年アジア柔道選手権大会100kg超級でも銅メダルを獲得。
小山 昌規(こやま まさのり、1975年8月9日 - )は、… 小山 昌規(こやま まさのり、1975年8月9日 - )は、北海道出身の日本の柔道家。81kg級の選手。身長175cm。 栄南中学から札幌第一高校へ進むと、3年の時にはインターハイ中量級の準々決勝で優勝候補筆頭である東海大相模高校3年の藤田博臣を一本背負投の技ありで破るも、準決勝で国士舘高校3年の窪田和則に背負投の有効で敗れて3位だった。 1994年に近畿大学へ進学すると、2年の時に優勝大会で3位になった。4年の時には講道館杯81kg級決勝でJRAの瀧本誠に敗れて2位だった。 1998年には大阪府警の所属となった。1999年の体重別では決勝で瀧本に敗れた。全国警察柔道選手権大会では3位だった。2001年の体重別では決勝でアトランタオリンピック71kg級金メダリストである旭化成の中村兼三を破って初優勝を飾るが、実績面で中村に及ばないことから世界選手権代表には選出されなかった。
妹尾 ひでみ(せお ひでみ、1975年8月8日 - )は鹿児… 妹尾 ひでみ(せお ひでみ、1975年8月8日 - )は鹿児島県阿久根市出身の日本の柔道家。72kg超級の選手。現役時代は身長185cm。体重120kg。足のサイズは30cm。兄は伊勢ノ海部屋の元力士であった。 阿久根小学校5年の時に兄の影響で三笠少年柔道団で柔道を始めた。阿久根中学時代は九州大会で3位になるが、その当時の体重は実に173kgもあったという。私立柳川高校に入学すると体重は120~130kgで落ち着くことになったが、2年までは巨体をもてあまして練習も捗らず、また部内の層が厚いこともあって控えだった。3年になってようやくレギュラー選手になり、金鷲旗とインターハイ団体戦では同級生の全国高校選手権72kg級チャンピオンの佐藤和恵や、1年後輩で超高校級の全日本選手権チャンピオンの阿武教子らとともに活躍して優勝に貢献した。
藤本 聰(ふじもと さとし、1975年8月2日 - )は、徳… 藤本 聰(ふじもと さとし、1975年8月2日 - )は、徳島県徳島市生まれの男性柔道家。5歳のときに柔道を始める。児童期に不慮の事故(学友との遊びで目に小石が当たる)に遭い左目を負傷。児童期から青年期にかけ徐々に視野が狭くなり視力も低下。後天性視覚障害。 2004年のアテネ大会でパラリンピック三連覇を達成し同年に徳島県民栄誉賞を受賞。国体柔道成年男子の部で徳島県代表として先鋒(60kg以下級)で参加(1995年 福島、1997年 大阪、1999年 熊本)。視覚障害者柔道で89連勝の記録を持つ。2008年のパラリンピック北京大会ではパラリンピック四連覇が掛かっていたが、決勝でアルジェリアのサイド・アリ・ラムリに敗退し銀メダルに終わる。
鈴木 香苗(すずき かなえ、1975年6月8日 -)は京都府… 鈴木 香苗(すずき かなえ、1975年6月8日 -)は京都府出身の日本の柔道家。72kg超級及び78kg超級の選手。現役時代は身長168cm。体重110kg。 湊川女子高校から湊川女子短大へ進んだ。2年の時に正力杯の78kg超級に出場すると、準決勝で優勝候補である日体大2年の二宮美穂に有効で勝利するも、決勝では拓殖短大2年の妹尾ひでみに送襟絞で敗れて2位だった。体重無差別で争われる全日本学生選手権では決勝で帝京大学1年の外岡裕子と対戦すると、払腰で技ありを先取しながら崩上四方固で逆転負けを喫した。1996年にはミキハウスの所属となった。1997年の実業個人選手権では決勝でコマツの国吉真子に敗れた。
武田 淳子(たけだ あつこ、1975年4月28日 -)は、神… 武田 淳子(たけだ あつこ、1975年4月28日 -)は、神奈川県横須賀市出身の日本の柔道家。現役時代は52kg級および57kg級の選手。現在は三浦学苑高校女子柔道部監督を務めている。 小学校2年の時に父親に勧められて柔道を始めた。大津中学から日大藤沢高校に進学すると、1年の時に全国高校選手権52kgで優勝を果たした。2年の時にはインターハイ女子団体戦で3位入賞を飾った。さらに全日本女子柔道強化選手選考会で3位となり、福岡国際代表に選ばれるが3回戦で敗れた。1994年には埼玉大学に進学すると、5月の体重別で初優勝を飾った。しかし、10月の広島アジア大会では決勝で韓国の玄淑姫に合技で敗れて2位に終わった。
小嶋 新太(こじま あらた、1975年4月24日 - )は、… 小嶋 新太(こじま あらた、1975年4月24日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道選手である。階級は100kg級。身長180cm。 弦巻中学に入学して講道学舎の所属となると、3年の時には近代柔道杯とマルちゃん杯の団体戦で2位になった。全国中学校柔道大会には都予選で国士舘中学に敗れて出場できなかった。世田谷学園高校へ進むと、1年の時には金鷲旗で3位、インターハイ団体戦では決勝で天理高校と対戦すると、大将戦で190cm、150kgの竹之下勝正に崩袈裟固で敗れて2位に終わった。全国高校選手権の団体戦では1学年上の瀧本誠や小斎武志とともに活躍して優勝した。2年の時には金鷲旗とインターハイでも優勝して、5年ぶり3度目の高校団体3冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した。
佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長… 佐野 奈津子(さの なつこ、1975年1月24日 - )は長崎県出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級と70kg級の選手。身長171cm。なお、48kg級で活躍していた長井淳子とはいとこにあたる。 三井楽中学から柳川高校へ進むと、1年の時には早くも先輩の松永真里子や国吉真子らとともに、金鷲旗での優勝に貢献した。新設されたインターハイ女子団体戦決勝の夙川学院高校戦では1年生ながら代表戦に出場して、同じく1年生の吉田早希と対戦するが判定で敗れて2位に終わった。全国高校選手権の66kg級では優勝を飾った。2年の時には金鷲旗で2連覇を果たした。インターハイの団体戦では予選リーグで夙川学院高校と同じブロックに入ってしまったこともあって、得失点差で決勝トーナメントに進めなかった。
木下勇人(きのした はやと、1975年~)は日本の税理士、公… 木下勇人(きのした はやと、1975年~)は日本の税理士、公認会計士、元柔道家。愛知県津島市出身。 1994年、愛知県立旭丘高等学校卒業。1999年、南山大学経営学部卒業。 2003年に監査法人トーマツ名古屋事務所に入所。フィナンシャル・ソリューションズ部に配属される。 2005年、税理士法人トーマツ名古屋事務所への転籍を経て、2008年に公認会計士木下事務所・木下勇人税理士事務所を開設。2009年には、税理士法人レディング代表社員へ就任。
大石 公平(おおいし こうへい、1975年 - )は日本の柔… 大石 公平(おおいし こうへい、1975年 - )は日本の柔道家。愛知県大府市出身。 父親の大石康は大成中学校・高等学校柔道部と提携する大石道場の指導者。姉の大石愛子は1994年のアジア大会66kg級で金メダルを獲得した。次女の大石いづみは大成高校女子柔道部監督を経て、龍谷大学で指導にあたっている。 星城高校3年の時にインターハイの軽量級に出場するも予選リーグで敗れた。愛知大学時代には正力杯東海地区予選の60kg級で3連覇を果たした。 1997年にはダイコロの所属となると、実業個人選手権66kg級で2年連続3位になった。1999年にはバンコク国際柔道大会で優勝した。 2001年に大成中学及び高校の教員になると、柔道部のコーチとなった。
野村 忠宏(のむら ただひろ、1974年12月10日 - )… 野村 忠宏(のむら ただひろ、1974年12月10日 - )は、日本の男性柔道家。医学博士。ミキハウス所属。柔道七段。得意技は背負投。身長164cm、体重62kg。
瀧本 誠(たきもと まこと、1974年12月8日 - )は、… 瀧本 誠(たきもと まこと、1974年12月8日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。茨城県岩井市(現・坂東市)出身。柔道五段。2000年シドニーオリンピック柔道男子81kg級金メダリスト。 2000年シドニーオリンピックの際には、当時の柔道家では珍しい茶色に染めた髪、国歌斉唱時に手を胸に置く仕草などユニークなエピソードをマスコミに提供。「柔道界の異端児」とも評された。柔道家時代の得意技は、袖釣り込み腰、内股。 総合格闘技に転向・引退後、柔道指導者として活動している。 実家は青果店を経営。たまたま客に柔道の先生がいて誘われたのがきっかけで、6歳(小学1年)の時に柔道を始める。中学入学と同時に上京、講道学舎に入門(吉田善行、小斎武志、大山峻護らが同期)。
中市 陽子(なかいち ようこ、1974年(昭和49年)12月… 中市 陽子(なかいち ようこ、1974年(昭和49年)12月3日 - )は大阪府出身の日本の柔道家。66kg級及び70kg級の選手。身長163cm 箕面第一中学から箕面学園高校へ進むと、1年と2年の時に高校選手権66kg級の決勝で、柳川高校の佐野奈津子に有効と判定でそれぞれ敗れた。 1993年に拓殖短期大学へ進学すると、1年の時に正力杯と強化選手選考会で3位になった。2年の時にはイギリス国際に出場するが、決勝で地元イギリスのカレン・ロバーツに敗れた。体重別で3位になるが、強化選手選考会では決勝で住友海上の木本奈美に敗れて2位だった。 1995年には拓殖大学に編入することになった。3年の時には体重別の決勝であさひ銀行の石橋千里に敗れた。
真壁 友枝(まかべ ともえ、1974年11月28日 -)は、… 真壁 友枝(まかべ ともえ、1974年11月28日 -)は、岡山県勝田郡勝央町出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長151cm。得意技は大車、背負投、出足払。 小学校2年の時に地元の勝央町スポーツ少年団にて兄と一緒に柔道を始め、6年生からは隣接する津山市の福岡道場にて柔道に打ち込んだ。1990年4月、勝央中学校を卒業して岡山東商業高校に進学すると、2年生の時には全国高校選手権の48kg級では5試合を勝ち抜き優勝した。高校も卒業に近づいた頃、周囲の関係者や持田典子の勧めもあり、また、柔道で海外遠征に行きたいという望みも手伝って真壁は住友海上火災保険(現・三井住友海上火災保険)への入社を希望した。
久保田 有希(くぼた ゆうき、1974年8月28日 - )は… 久保田 有希(くぼた ゆうき、1974年8月28日 - )は、日本の女性総合格闘家、柔道家。静岡県沼津市出身。
赤野 仁美(あかの ひとみ、1974年7月27日 - )は、… 赤野 仁美(あかの ひとみ、1974年7月27日 - )は、日本の女性元柔道家、総合格闘家。大阪府大阪市出身。元Smack Girlミドル級王者。 中学1年から柔道を始め、夙川学院高校、日本体育大学でも柔道を続けた。 セコム柔道部時代は2000年のイタリア国際柔道大会で優勝、全日本の強化選手に選ばれるなど活躍。その後、柔道をやめ音楽活動などをしていたが、高校の同級生だった藤井惠が在籍していたAACCにダイエット目的で入門した。 2004年11月26日、G-SHOOTOでの藪下めぐみ戦で総合格闘技デビューするも判定負け。 2005年年8月17日、国立代々木競技場第二体育館大会で開催されたSMACKGIRL 2005 〜Dynamic!!〜でのThe Next Cinderella Tournament 2005の59kg級トーナメント決勝で端貴代に一本勝ちし優勝。
繁昌 久哲(はんじょう ひさのり、1974年6月15日 -)… 繁昌 久哲(はんじょう ひさのり、1974年6月15日 -)は鹿児島県出身の日本の柔道家。95kg級の選手。身長175cm。 小学校5年の時には田崎柔道スポーツ少年団の一員として全国少年柔道大会の団体戦に出場すると、決勝で東福岡柔道教室の深川幸太郎に袈裟固で一本勝ちするも、他のメンバーが敗れて2位にとどまった6年の時には全国少年柔道大会の団体戦決勝で石川県の岩井柔道塾を破って優勝すると、個人戦でも決勝で東福岡柔道教室の深川を判定で破って2冠を達成した。 田崎中学2年の時には全国中学校柔道大会の個人戦78kg超級決勝で、古蔵中学3年の真喜志慶治を破って優勝を飾った。団体戦は3位だった。3年の時には全国中学校柔道大会の個人戦78kg超級決勝で八代第三中学3年の上水研一朗を破って2連覇を達成したが、団体戦では昨年に続いて3位だった。
上水 研一朗(あげみず けんいちろう、1974年6月7日 -… 上水 研一朗(あげみず けんいちろう、1974年6月7日 -)は、日本の柔道家。現役時代は95kg超級の選手。現役時代は身長183cm。体重125kg。得意技は内股、大内刈、体落。2025年現在、東海大学体育学部武道学科教授。さらに男子柔道部監督も務めている。 熊本県出身。柔道は小学校5年の時に始めた。父親が柔道部監督を務めていた八代第三中学3年の時には全国中学校柔道大会78kg超級で2位になった。 東海大学付属相模高校に進学。高校1年の時に全国高校選手権団体戦で2位。高校2年の時は金鷲旗で優勝を飾った。全国高校選手権では個人戦決勝で天理高校1年の牧野貴仁に判定で敗れると、団体戦でも2位に終わった。
木本 奈美(きもと なみ、1974年5月31日 -)は、山口… 木本 奈美(きもと なみ、1974年5月31日 -)は、山口県防府市出身の日本の柔道家。現役時代は63kg級の選手。得意技は内股。身長160cm。現姓は手島。 柔道は10歳の時に近所の友達に誘われて始めた。宇部商業高校2年の時に全国高校選手権61kg級で優勝を飾った。世界ジュニア代表選考大会で優勝を果たすが、世界ジュニアでは5位に終わった。1993年には住友海上に入社した。1994年には階級を66kg級に上げると、全日本女子柔道強化選手選考会で優勝を飾った。1995年から全国女子柔道体重別選手権大会で2連覇を達成した。1997年5月の体重別では初優勝を飾って世界選手権代表に選出された。しかし、10月の世界選手権では初戦で韓国の曺敏仙に敗れた。
徳野 和彦(とくの かずひこ、1974年5月1日 - )は、… 徳野 和彦(とくの かずひこ、1974年5月1日 - )は、愛媛県伊予市出身の日本の柔道家。現役時代は60kg級の選手。現在はコマツ女子柔道部の助監督を務める。 新田高等学校時代はインターハイ2位止まりだったが、東海大学入学後1年生で早くも学生体重別に優勝して注目されるようになり、その後着実に力を付けアトランタオリンピックも代表候補の一人になったが、代表にまでは至らず。 しかしそれ以降は野村忠宏の最大のライバルとして立ちはだかることになり、バンコクアジア大会では圧倒的な強さで優勝を飾り、翌年にはついに野村を破って世界選手権代表になり、そこでも順調に勝ち上がり、キューバのマノロ・プロ相手の決勝でも優位に試合を進めながらも、一瞬の隙をつかれて敗れる。
小齊武志(こざい たけし、1974年4月23日 - 2006… 小齊武志(こざい たけし、1974年4月23日 - 2006年11月8日)は、福岡県出身の柔道家(四段)、格闘家。 小学校で柔道を始め、講道学舎へ入門。瀧本誠、吉田善行、大山峻護らと同期となる。この由縁により、大山のセコンドにつくことも多かった。 世田谷学園高校の柔道部では、高校三冠を果たした。 福岡大学卒業後、NEXCO(東日本高速道路)柔道部に在籍。100kg級で井上康生、鈴木桂治らとしのぎを削った。 1998年1月24日、ロシア国際柔道の100kg級に出場し、3位入賞。準々決勝では日本デビュー前のエメリヤーエンコ・ヒョードルに一本勝ち。のちに「ヒョードルを倒した男」と呼ばれることとなった。
藤本 哲子(ふじもと のりこ、1974年3月19日 - )は… 藤本 哲子(ふじもと のりこ、1974年3月19日 - )は広島県出身の日本の柔道家。66kg級の選手。身長166cm 黒瀬中学から千葉県の松戸馬橋高校へ進んで柔道部監督の菊川慶一の指導を受けると、1年の時には高校選手権の66kg級で決勝で熊本西高校2年の宮家江美を技ありで破って優勝を飾った。2年の時には高校選手権の準々決勝で柳川高校1年の佐野奈津子に判定で敗れて5位に終わった。 1992年には東海大学へ進学すると、1年の時には正力杯の決勝で福岡大学3年の多田尾優子を破って優勝した。優勝大会の決勝では国士舘大学と対戦して室勝美を技ありで破って1-1にしたものの、大将戦でエースの松尾徳子が相手エースの五十嵐準子に技ありで敗れたために2位に終わった。
有川 光誠(ありかわ こうせい、1974年2月27日 - )… 有川 光誠(ありかわ こうせい、1974年2月27日 - )は、宮崎県出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級及び90kg級の選手。身長は174cm。得意技は背負投。 宮崎日大高校3年の時にはインターハイの軽中量級で決勝まで進むが、後にアトランタオリンピック71kg級で金メダルを獲得することになる東海大第五高校3年の中村兼三に判定で敗れた。 1992年には日本大学へ進学した。なお、大学の1年後輩には後にシドニーオリンピックの81kg級で金メダルを獲得することになる瀧本誠がいた。3年の時には優勝大会で3位となった。4年の時には階級をそれまでの78kg級から86kg級に上げると、正力杯で優勝を飾った。
長井 淳子(ながい あつこ、1974年1月14日 - )は、… 長井 淳子(ながい あつこ、1974年1月14日 - )は、日本の柔道家。埼玉県上尾市出身。身長155cm。階級は48kg級、得意技は大外刈、内股。婚姻後の氏名は中村 淳子。なお、66kg級と70kg級で活躍していた佐野奈津子とはいとこにあたる。 柔道は早稲田大学時代に全日本学生柔道優勝大会などで活躍していた父親が指導員を務めていた上尾市柔道教室で、2歳上の姉の亮子に次いで始めた。小学校2年の時だった。上尾市立東中学校時代は軟式テニスに夢中になった。高校では柔道とテニスどちらを選択するか迷ったものの、姉が全国大会で活躍していた事などにも触発されて柔道を選んだ。柔道の強豪校として知られる埼玉栄高校から熱心に勧誘されたものの、上尾高校に進学することを決めた。
眞喜志 慶治(まきし よしはる、1973年11月13日 - … 眞喜志 慶治(まきし よしはる、1973年11月13日 - )は、日本の柔道家(2017年4月現在、七段)。沖縄県那覇市出身。苗字は、正確には旧字体「眞喜志」を使う。 沖縄尚学高等学校柔道部の監督を務めていた父親の影響で小学校4年の時に柔道を始めた。この当時から高校生に混じって練習をしていた。本人によれば、いつのまにかやらされていた感じで、本当はあまりやりたくもなかったし、楽しくもなかったという。しかし、小学校6年の時に県大会で優勝したあたりから、自分には柔道しかないと思い始めた。 沖縄尚学中学に入学すると、2年の時には全国中学校柔道大会の78kg超級で3位になった。3年の時には小学生の時の同級生で後に大相撲に転進することになる阿嘉宗彦が柔道を始めたことにより、団体戦で一緒に試合に出ることを目的に、阿嘉の在籍する古蔵中学へ転向した。
矢野 智彦(やの ともひこ、1973年10月31日 - )は… 矢野 智彦(やの ともひこ、1973年10月31日 - )は福岡県出身の日本の柔道家。身長176cm。得意技は寝技。現在は環太平洋大学の柔道部監督を務めている。 洞北中学校から静岡県の東海大一高校へ進むが、この当時は大きな実績を上げることはなかった。 1992年に国際武道大学へ進むと、寝技の名手として知られる柏崎克彦の指導を受けて、1年の時にジュニア体重別71kg級で3位、2年の時には優勝を飾った。ブルガリア国際でも優勝した。3年の時には講道館杯で3位となった。4年の時には正力杯の決勝で東海大学4年の中村兼三と寝技のスペシャリスト同士の対戦となるが、判定で敗れて2位に終わった。 1996年には東芝プラント建設の所属となった。
中村 兼三(なかむら けんぞう、1973年10月18日 - … 中村 兼三(なかむら けんぞう、1973年10月18日 - )は、日本の柔道家。アトランタオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト。福岡県福岡市出身。東海大学卒業。身長178cm。得意技は内股、寝技。兄の佳央、行成とともに中村三兄弟と呼ばれた。
園田 隆二(そのだ りゅうじ、1973年9月16日 - )は… 園田 隆二(そのだ りゅうじ、1973年9月16日 - )は、福岡県大牟田市出身の柔道家。明治大学経営学部卒業。柔道全日本女子代表監督、警視庁警察官(役職は警視庁警務部教養課柔道指導室助教、階級は巡査部長)を務めた。2023年現在はパーク24柔道部の女子監督。 福岡県大牟田市三里町に生まれる。大牟田市立中友小学校1年生の時、道場に通う友人の縁で尚武館道場にて柔道を始めた。1986年の春に大牟田市立船津中学に進学するが、この中学に柔道部はなかったため、引き続き尚武館で稽古に励む。日本中学校体育連盟の大会に出るため船津中に形だけの柔道部を作ってもらい、1人で個人戦に出場。中学3年の時に全国大会の軽量級で優勝した。
国吉 真子(くによし まこ、1973年9月4日 -)は日本の… 国吉 真子(くによし まこ、1973年9月4日 -)は日本の柔道家。沖縄県出身。72kg超級の選手。現役時代は身長174cm、体重90kg。 柳川高校へ進むと、2年の時には新設された女子団体戦の金鷲旗で3年の松永真里子や1年の佐野奈津子とともに活躍して優勝を勝ち取った。同じく新設されたインターハイ女子団体戦では決勝で夙川学院高校と対戦すると、代表戦で佐野が吉田早希に判定で敗れて2位にとどまった。高校選手権の72kg超級では優勝を飾った。3年の時には金鷲旗で2連覇を果たした。インターハイの団体戦では予選リーグで夙川学院高校と同じブロックに入ってしまったこともあって、得失点差で決勝トーナメントに進めなかった。
中橋 治美(なかはし はるみ、1973年8月16日 - )は… 中橋 治美(なかはし はるみ、1973年8月16日 - )は香川県坂出市出身の日本の柔道家。61kg級の選手。身長166cm。得意技は大内刈、袖釣込腰。兄は1992年の嘉納杯86kg級及び2008年の第1回世界型選手権の固の形で優勝した中橋政彦。 実家は中橋産業を経営している。柔道は兄の影響で10歳の時に坂出柔道協会で始めた。坂出中学から高松商高に進むと、1年の時に全国高校選手権61kg級で2位となった。3年の時には全日本女子柔道強化選手選考会で3位に入った。福岡大学へ進むと、2年の正力杯では決勝で埼玉大学4年の北爪弘子に敗れて2位だった。3年の時には拓殖大学4年の宮家江美を破って優勝を飾った。
石橋 千里(いしばし ちさと、1973年8月15日 -)は、… 石橋 千里(いしばし ちさと、1973年8月15日 -)は、東京都豊島区池袋出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級の選手。身長166cm。段位は四段。現姓は通場。 小学校4年の時にロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した山下泰裕をテレビで見て柔道に興味を抱き、自宅近くにあった山口香の出身道場として知られる豊道館西村道場で柔道を始めることになった。池袋中学から修徳高校に進むと、1年の時に全国高校選手権66kg級で3位となった。3年の時にはインターハイ団体戦と国体少年女子の部でそれぞれ3位になった。卒業後は埼玉大学で野瀬清喜の指導を受けたかったものの、弟の高校進学と重なったために断念して、埼玉大学とも交流のあるあさひ銀行所属となった。
中野 陽一(なかの よういち、1973年8月1日 - )は熊… 中野 陽一(なかの よういち、1973年8月1日 - )は熊本県出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長177cm。 託麻中学から東海大第二高校を経て、1992年には東海大学へ進学した。同期には後にアトランタオリンピックの71kg級で金メダルを獲得することになる中村兼三などがいた。3年の時には正力杯の78kg級で優勝を飾った。嘉納杯では決勝で高校時代からのライバルである福岡大学3年の中嶋靖宏を終了直前に背負投の有効で破ると、試合終了直後には両足を前後に開脚する「コミカルジャンプ」を3度も繰り広げるパフォーマンスを演じて見せた。なお、表彰式ではプレゼンターとして登場した読売ジャイアンツ監督の長嶋茂雄にメダルを授与された。
藤原 孝子(ふじわら たかこ、1973年6月19日 -)は兵… 藤原 孝子(ふじわら たかこ、1973年6月19日 -)は兵庫県出身の日本の柔道家。身長162cm。現役時代は56kg級と61kg級の選手。 城内中学から夙川学院高校へ進むと、1年の時に全国高校選手権56kg級の初戦で敗れた。2年の時には新設されたインターハイ女子団体戦で同級生の須磨谷真住や1年後輩の吉田早希とともに活躍して決勝まで進むと、柳川高校戦で松永真理子を横四方固で破るも、須磨谷が佐野奈津子に上四方固で敗れたために代表戦となり、吉田が佐野との1年生同士の対決を判定ながら制して初代チャンピオンとなった。強化選手選考会では準決勝で日大2年の天野安喜子を上四方固で破るなど全て一本勝ちで決勝まで進むが、柳川高校3年の松永に効果で敗れて2位にとどまった。
窪田 茂(くぼた しげる、1973年6月11日 - )は、静… 窪田 茂(くぼた しげる、1973年6月11日 - )は、静岡県富士市出身の日本の柔道家。現役時代は100kg級の選手。身長187cm。得意技は内股。 柔道は小学校4年生の時に始めた。中学には柔道部がなかったのでバスケットボール部に所属していた。3年の時に全国中学校柔道大会に出場するが、上位には進めなかった。東海大相模高校に進むと、1年の全国高校選手権団体戦では2位になった。2年の時には金鷲旗決勝の大将戦で世田谷学園高校エースの田辺勝を合技で破ってチームを優勝に導いた。インターハイ団体戦でも優勝を飾った。全国高校選手権個人戦無差別では、準決勝で71kg級の選手である東海大第五高校の中村兼三を技ありで破ると、決勝でも沖縄尚学高校の真喜志慶治を判定で破って優勝するが、団体戦では決勝で沖縄尚学高校と対戦すると、真喜志に判定で敗れてチームも2位に終わった。
鳥居 智男(とりい ともお、1973年5月20日 - )は石… 鳥居 智男(とりい ともお、1973年5月20日 - )は石川県金沢市出身の日本の柔道家。66kg級及び73kg級の選手。身長170cm。六段。東海大学大学院出身。 柔道は5歳の時に始めた。ロンドンオリンピック柔道57kg級金メダリストの松本薫と同じ岩井柔道塾出身。紫綿台中から石川県立工業高校に進むと、3年の時にはインターハイの軽中量級に出場するが、決勝トーナメント2回戦で東海大第五高校の中村兼三に判定で敗れて5位に終わった。東海大学進学後、4年の時には正力杯65kg級で優勝を飾った。 卒業後は上組所属になると、1997年から実業個人で3連覇を飾った。なお、この大会は2006年からも4連覇を飾っており、計7回の優勝を果たすことになった。
大森 千賀子(おおもり ちかこ、1973年4月19日 -)は… 大森 千賀子(おおもり ちかこ、1973年4月19日 -)は岡山県出身の日本の柔道家。現役時代の階級は52kg級。身長は164cm。 岡山東商業高校2年の時に高校選手権52kg級の2回戦で敗れた。1992年に岡山商科大学へ進むと、4年の時には全国女子体重別で3位となった。1996年にはミキハウスの所属となると、1997年の実業個人選手権では決勝で会社の同僚である吉田清美に敗れて2位だった。全国女子体重別では決勝で吉田を破って全国大会初優勝を果たした。福岡国際では決勝まで進むも、ダイコロの永井和恵に敗れて2位にとどまった。 (出典、JudoInside.com)
中嶋 靖宏(なかしま やすひろ、1973年4月16日 - )… 中嶋 靖宏(なかしま やすひろ、1973年4月16日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長172cm。 甘木中学から柳川高校へ進むと、後に60kg級の世界チャンピオンとなる園田隆二の同期となった。2年の時には新人体重別78kg級で3位に入った。1992年に福岡大学へ進学すると、1年の時にジュニア体重別で3位、2年の時には2位となった。3年の時には講道館杯で決勝まで進むが、名張高校教員の堀越英範に敗れて2位だった。グッドウィルゲームズでは2位、体重別と正力杯では3位となった。国別団体世界一を決める第一回のワールドカップ国別団体戦のメンバーにも選ばれるが、2回戦でロシアに敗れるも、その後敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。
阿武 美和(あんの みわ、1973年4月5日 -)は、山口県… 阿武 美和(あんの みわ、1973年4月5日 -)は、山口県阿武郡福栄村出身の日本の柔道家。現役時代は56kg級の選手。身長158cm。妹の阿武教子は2004年アテネオリンピック柔道の78kg級チャンピオン。現姓は澤田。 幼少の頃に萩道場で柔道を始めて、2歳年上の兄である貴宏や3歳年下の妹である教子とともに全国各地の小学生大会で活躍していた。福川中学2年の時には無差別の全日本選手権に出場するが、3回戦で日体大3年の持田典子に内股で敗れた。強化選手選考会では2位となり、中学2年ながら福岡国際に出場すると、初戦で前年の世界チャンピオンであるイギリスのアン・ヒューズ、準決勝で世界チャンピオンであるフランスのカトリーヌ・アルノーをそれぞれ破る健闘を見せるが、決勝で韓国の鄭善溶に効果を取られて敗れた。
松本 勇治(まつもと ゆうじ、1973年3月6日 - )は、… 松本 勇治(まつもと ゆうじ、1973年3月6日 - )は、神奈川県出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級及び90kg級の選手。身長は174cm。 上菅田中学から東海大相模高校へ進むと、1年の時に全国高校選手権の団体戦で3位になった。2年の時には決勝で世田谷学園高校に敗れて2位だった。3年の時には金鷲旗で優勝すると、インターハイでは個人戦の軽重量級と団体戦でも優勝して2冠を達成した。 1991年には東海大学へ進学すると、2年の時には全日本ジュニアの86kg級で優勝を飾った。4年の時には講道館杯の決勝で、大学の2年先輩となる世界チャンピオンの中村佳央に敗れるも2位となった。優勝大会では3位だった。
新田 雅史(にった まさし、1973年2月24日 -)は石川… 新田 雅史(にった まさし、1973年2月24日 -)は石川県出身の日本の柔道家。現役時代は71kg級及び73kg級の選手。身長は171cm。
衛藤 由佳(えとう ゆか、1973年2月9日 - )は、福岡… 衛藤 由佳(えとう ゆか、1973年2月9日 - )は、福岡県甘木市出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長155cm。姉の衛藤裕美子も48kg級で活躍していた。 3姉妹の次女として、柔道は小学校1年の時に始めた。甘木中学から1つ年上の姉の裕美子が在籍していた柳川高校へ進むと、2年の時に全国高校選手権48kg級で3位になった。3年の時には強化選手選考会の3回戦で城香中学3年の田村亮子に技ありで敗れると、その後の3位決定戦でも姉の裕美子に判定で敗れた。1991年に高校を卒業してミキハウス所属となるが、最初の2年間は結果を残せずにいた。しかし、1993年にフランスから帰国した村上清がミキハウスのコーチに就任したことから、村上の徹底的な指導を受けて打倒田村を目指すことになった。