渡邉 貴介(わたなべ たかすけ、1943年(昭和18年)1月… 渡邉 貴介(わたなべ たかすけ、1943年(昭和18年)1月2日 - 2001年(平成13年)8月18日)は、日本の観光計画、リゾート計画、都市計画、地域計画、国土計画の専門家で、都市計画家、観光学者。東京工業大学大学院情報理工学研究科教授。工学博士。 熊本市の出身。熊本県立熊本高等学校から東京大学工学部都市工学科に進み、学科の第一期卒業生となる。その後同大大学院修士課程修了後、1971年に博士課程を満期退学(1976年、工学博士の学位を東京大学より取得)。1971年4月より東京工業大学工学部助手。1973年4月から1976年10月までラック計画研究所に所属した後、1976年11月に東京大学講師となり大学に復帰。
柳沢 厚(やなぎさわ あつし、1943年 - )は、日本の都… 柳沢 厚(やなぎさわ あつし、1943年 - )は、日本の都市計画家。C-まち研究室代表。横浜国立大学講師。足立区都市計画審議会委員、藤沢市都市計画審議会委員、小田原市都市計画審議会委員、武蔵野市まちづくり条例検討委員会委員長。都市計画中央審議会委員、国土審議会土地政策分科会企画部会低・未利用地対策検討小委員会委員長を歴任。日本都市計画学会、日本都市計画家協会理事。長野県生まれ。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
渡辺 みえこ(わたなべ みえこ、1943年(昭和18年) -… 渡辺 みえこ(わたなべ みえこ、1943年(昭和18年) - )は、日本の詩人、画家、評論家。 東京深川区(現深川)生まれ。慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。武蔵野美術大学油絵専攻卒業。横浜国立大学大学院修士課程修了。1997年『女のいない死の楽園 供犠の身体 三島由紀夫』で第1回女性文化賞受賞。油絵では、1967年新世紀美術協会奨励賞。1980年新世紀美術協会文房堂賞。参加詩誌に「にゅくす」「言葉の会」「ぐるうぷ・ふみ」「舟」「青い花」。現在「歴程」「いのちの篭」同人。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本美術家連盟会員。 三島由紀夫の女性嫌悪、村上春樹の『ノルウェイの森』におけるレズビアンに対する差別的な描き方を批判した。
浦口 醇二(うらぐち じゅんじ、1943年 - )は、日本の… 浦口 醇二(うらぐち じゅんじ、1943年 - )は、日本の都市計画家。地域プランナー。株式会社かいアソシエイツを主宰、芝浦工業大学非常勤講師、東京芸術大学非常勤講師で専門はまちづくり、地域環境計画。東京都生まれ。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
丸茂 弘幸(まるも ひろゆき、1943年 - )は、日本の都… 丸茂 弘幸(まるも ひろゆき、1943年 - )は、日本の都市計画家。 神奈川県に生まれる。東京大学工学部都市工学科を卒業後、同大学院修士課程を修了した。 インドの都市計画・建築大学研究員、フィンランドのP・アホラ建築事務所、イギリスのミルトン・ケインズ開発公社、広島大学講師を経て、関西大学工学部建築学科教授となる。 この間、1987年9月に、論文「大学の物的成長に伴う立地形態の変動現象とキャンパスの建詰り現象に関する研究」で東京大学より工学博士号を取得した。 著書に『都市のデザイン―“きわだつ”から“おさまる”へ』(学芸出版社、2002年)がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
曾宮夕見(そみや ゆみ、1943年 - )は日本の画家。父は… 曾宮夕見(そみや ゆみ、1943年 - )は日本の画家。父は洋画家の曾宮一念。 1943年東京都神田に生まれた。1945年、父曾宮一念と静岡県富士宮市に疎開、1965年、武蔵野美術大学造形学部油絵科卒業、1976年、東京、大阪、浜松、名古屋で個展を開催、その後、銀座兜屋画廊、静岡松坂屋、名古屋兜屋画廊にて個展。
浅野 光行(あさの みつゆき、1943年- ) は、日本の土… 浅野 光行(あさの みつゆき、1943年- ) は、日本の土木系都市計画家。交通工学者。早稲田大学名誉教授、都市・地域研究所顧問。日本都市計画学会会長を歴任。 参照。1968年早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程修了。首都高速道路公団。1976年建設省土木研究所道路部主任研究員。1978年建設省建築研究所都市施設研究室室長。1980年工学博士。1992年 筑波大学社会工学系教授併任。1993年早稲田大学理工学部土木工学科(現・社会環境工学科)教授。1996年マサチューセッツ工科大学(米国)都市研究・計画学部客員研究員。1999年から2001年都市計画学会副会長。2002年から2003年都市計画学会会長。
大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋… 大津 英敏(おおつ えいびん、1943年 - )は、日本の洋画家。日本芸術院会員、多摩美術大学名誉教授、独立美術協会会員。 学生時代は山口薫に師事。1970年代には『毬シリーズ』と呼ばれる幻想的な作品を制作していた。1979年の渡仏後、2人の娘を彼女をモデルにした『少女シリーズ』を描きはじめる。現在も家族を題材にした淡い色調の作品が多いが、風景画にも取り組んでいる。作風にはバルテュスの影響があるといわれている。また渋谷駅構内にはステンドグラスを使った壁画作品が設置されている。
梅澤 忠雄(うめざわ ただお、1943年 - )は、日本の都… 梅澤 忠雄(うめざわ ただお、1943年 - )は、日本の都市計画家。工学博士。元東京大学大学院工学系研究科教授。東京都出身。 大川端リバーシティ21、幕張メッセ・幕張新都心、筑波テクノパークなど、多数の大規模都市開発をプロデュース。
小林 重敬(こばやし しげのり、1942年9月3日 - )は… 小林 重敬(こばやし しげのり、1942年9月3日 - )は、日本の都市計画家、都市計画学者。東京都市大学都市生活学部教授。工学博士。 東京都生まれ。東京大学工学部都市工学科卒業。同大学大学院博士課程修了。横浜国立大学大学院工学研究科教授などを経て、2008年、東京都市大学都市生活学部教授。 この間、国土交通省などの審議会に参加し、土地政策や都市政策、国土政策などの政策づくりに関わる。
松井 守男(まつい もりお、1942年7月25日 - 202… 松井 守男(まつい もりお、1942年7月25日 - 2022年5月30日)は、愛知県豊橋市出身の画家。フランスを拠点に活動した。 1942年、愛知県豊橋市生まれ。実家は魚屋だった。豊橋市立北部中学校卒業、愛知県立豊橋東高等学校卒業。高校では美術部に所属。二浪して、1963年に武蔵野美術大学造形学部油絵科に入学。1967年、同大を首席で卒業したことで、パリ行きの航空券を獲得した。同年、フランス政府奨学生として渡仏し、パリを拠点に制作活動を始めた。同地ではアカデミー・ジュリアンやパリ国立美術学校でデッサンを学び直した。 サロン・ド・メへの招待、印象派発祥の画廊ギャラリー・ベルネーム=ジュンネでの個展、エールフランスの機内装飾を担当するも、画家としての地位を確立できずに苦悩していた。
眞海 恭子(しんかい きょうこ、1942年(昭和17年)3月… 眞海 恭子(しんかい きょうこ、1942年(昭和17年)3月29日)は、日本の作家、画家。 子供時代を長崎県壱岐で過ごし、1965年東京の武蔵野美術学校を卒業後、アカデミー・デ・ボザールに学び、以後パリに住む。1971年、ドイツの演出家Wolfram Mehringと結婚。1990年以来ドイツに住み国立劇場などで舞台装置、衣装を手がけながら現在はフライブルグで小説と絵の制作を続けている。
内田 雄造(うちだ ゆうぞう、1942年3月4日 - 201… 内田 雄造(うちだ ゆうぞう、1942年3月4日 - 2011年1月26日)は、日本の都市計画家。都市計画の教育者。 東洋大学ライフデザイン学部人間環境デザイン学科、福祉社会デザイン研究科 人間環境デザイン専攻教授。筑波大学大学院非常勤講師。工学博士。国立歴史民俗博物館プロジェクト研究員。財団法人国際東アジア研究センター主任研究員。 自治労自治研まちづくり部会助言者、東日本部落解放研究所理事長、アジア居住ネットワーク・メンバーで、専門は都市マスタープラン策定など都市計画、住民参加のまちづくり論、日本の近代都市計画史から歴史的なまちなみの保全、住宅計画とくに被災時の仮設市街地の計画に関する事例研究から不良住宅改良事業における不良住宅地区の環境整備計画、また災害に強いまちづくり、中心市街地活性化など。
上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版… 上矢 津(かみや しん、1942年 − )は、日本の画家、版画家、現代美術家。 1942年東京都杉並区に生まれる。小学校低学年より油彩をはじめ、中学、高等学校の頃は抽象画を描く。 東京都立工芸高等学校卒業後、東京写真専門学校へ通う。画家・小野木学(叔父)の思想概念に影響を受けた。 国画会展、モダンアート展へ抽象絵画を出品。写真製版による捺染技術を知り、シルクスクリーン技法に興味を示す。 1960年代以後、美術界は写真の時代に入り、ベンヤミンの著書「複製技術時代の芸術」などに翻弄され芸術はアウラを超え「写真」と「版画」の時代に変革していった[独自研究?][要出典]。 そんな中で上矢津も油彩の抽象絵画から離れ、剥製や標本の写真をシルクスクリーンに転写、1970年『シリーズ博物詩』を制作。
木村 英輝(きむら ひでき、1942年 - )は、大阪府泉大… 木村 英輝(きむら ひでき、1942年 - )は、大阪府泉大津市出身の画家。元音楽プロデューサー。京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)卒業。 大学卒業後、ロック音楽プロデューサーとなる。1970年代後半から1980年代は、広告やポスターのデザインも含めたコンセプチュアルデザイナーとして活躍する。60歳から画家になることを宣言した。 大阪府泉大津市に生まれる。1965年(昭和40年) 京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)工芸科デザイン専攻卒業。非常勤講師として大学に残る。その後、ロックプロデューサー・コンセプチュアルデザイナーとして活躍する。 2001年(平成13年) 画家宣言。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
鈴木 崇英(すずき たかひで、1942年 - )は、日本の都… 鈴木 崇英(すずき たかひで、1942年 - )は、日本の都市計画家。株式会社UG都市建築、日本ERI株式会社創業者。東京生まれ。 日本の都市デザインの草分けとして幕張新都心(千葉)、六甲アイランド(神戸)、シーサイドももち(福岡)などの大規模埋め立て地における新市街地計画やウォーターフロントの都市開発の先駆けとなる佃島のリバーシティ21などを構想立案。とくに幕張新都心は、集合住宅によって市街地を形成する日本初の都市デザインとして高く評価されている。またアクトシティ浜松ガレリアモールといったアトリウム、さらにリサーチパーク、コンベンションなどの数々の新しい施設·空間を提案し、日本の都市デザインの発展に貢献してきた。
西村 光人(にしむら こうじん、1942年 - )は、日本画… 西村 光人(にしむら こうじん、1942年 - )は、日本画家。滋賀県大津市生まれ。晨鳥社に入塾し、山口華楊に師事する。風景画を得意とする。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
楠瀬 康璽(くすのせ こうじ、1942年 - )は、高知県高… 楠瀬 康璽(くすのせ こうじ、1942年 - )は、高知県高知市出身の植物モチーフを得意とする日本の水彩画家、イラストレーター。本名は、楠瀬 浩二(くすのせ こうじ)。
島 眞一(しま しんいち, Shin-ichi SHIMA,… 島 眞一(しま しんいち, Shin-ichi SHIMA, 1942年 – 2008年11月30日)は、東京都出身の画家。武蔵野美術大学卒業。武蔵野美術大学教授。 1942年に東京都台東区根岸に生まれ、7歳の時に国立市に引っ越した。1966年に武蔵野美術大学造形学部美術科彫刻専攻を卒業。卒業制作は大学に買い上げられている。同1966年に美術科助手に就任し、1971年まで武蔵野美術大学で助手を務めた。 助手の任期を終えた1971年には美術研修を目的としてスペインに渡り、マドリード、クエンカ、バレンシアなどで精力的に作品を制作して個展やグループ展を行った。作品制作に加えて、アルタミラ洞窟壁画からスペインの現代美術に至るまでのスペイン絵画の特質について研究している。
田主 誠(たぬし まこと、1942年 - 2023年3月17… 田主 誠(たぬし まこと、1942年 - 2023年3月17日)は、日本の版画家、エッセイスト。本名・誠稔=のぶとし。 1942年京都府舞鶴市生まれ。 1969年から国内の現代日本美術展、日動版画グランプリ展、シェル美術賞展、北陸中日展、日本版画展などで入選および受賞を重ねる。 1995年、ニューヨーク国際メディアフェスティバル銀賞受賞。1999年から川端康成作品シリーズを発表。 2003年〜2004年、NHK総合テレビ「4時です 上方倶楽部」にレギュラー出演し、西国札所巡礼の木版画を発表。 著書に『川端少年の歩いた道』『世界民族博物誌』『心の旅 西国三十三所』『山頭火の風景』など。また『梅棹忠夫著作集』(全23巻)など数多くの学術書の挿画装幀を手掛ける。
タイガー立石(タイガー たていし、1941年12月20日 -… タイガー立石(タイガー たていし、1941年12月20日 - 1998年4月17日)は、日本の画家、漫画家、絵本作家、陶芸家。本名、立石紘一(たていし こういち)。 筑豊の伊田町(現福岡県田川市)に生まれる。戦後復興から高度成長期の時代に少年期を過ごし、映画や昭和歌謡などに囲まれて過ごした。武蔵野美術短期大学への進学・上京を期に美術活動を開始する。最初は本名で活動し、1963年の読売アンデパンダン展でデビュー。画家中村宏と「観光芸術協会」を結成、わずか2年で解散するも中村とともにアバンギャルドな作風と活動方針(雑踏の中で自作を掲げて歩く路上歩行展など)で一時代を築いた。この時代の立石は和製ポップアートの先駆けと評される。
山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1941年12月3日 - 2… 山脇 百合子(やまわき ゆりこ、1941年12月3日 - 2022年9月29日)は、日本の絵本作家、挿絵画家。結婚前の姓は大村。カトリック教徒。 東京府出身。東京都立西高等学校、上智大学外国語学部フランス語科卒。高校三年の頃より童話の挿絵や絵本の仕事を多く手がける。20代前半で結婚、3児の母。 児童文学者の実姉・中川李枝子との共著も多く、『ぐりとぐら』(福音館書店)は海外にも翻訳されている。 1967年『ぐりとぐらのおきゃくさま』で厚生大臣賞受賞。2013年に菊池寛賞を受賞。他受賞多数。 2022年9月29日午後8時32分、シェーグレン症候群の衰弱により、死去。80歳没。
久木田 禎一(くきた ていいち、1941年11月23日 - … 久木田 禎一(くきた ていいち、1941年11月23日 - 2007年6月12日)は、日本の都市計画家。 長野県に生まれる。1966年に東京大学工学部都市工学科を卒業後、同大学大学院工学系研究科修士課程に進み、1968年に中退した。建築・都市専門雑誌「造(ぞう)」編集長を経て、1971年に東京にて都市計画事務所・地域づくりのプランニング会社の「邑設計事務所」(後に邑計画と改称)を東京で設立し、代表取締役となる。1977年に岩手県盛岡市に事務所を移し、以降は主に岩手県内の都市づくり、まちづくりのプランニングから都市景観づくり、商店街の活性化など多数のプロジェクトにかかわる。 このほか、NBN代表、有限会社バイオラボ代表取締役、国土交通省地域振興アドバイザー、岩手県政策評価委員会副委員長、盛岡市総合交通施策懇談会座長・盛岡商工会議所都市交通問題特別委員会委員長、岩手県公共事業評価委員会委員長、(財)いわて産業振興センタープロジエクトマネージヤー みちのく国際ミステリー映画祭ゼネラル・プロデューサー、地域プランナー。
木口 敬三(きぐち けいぞう、1941年10月6日-)は、日… 木口 敬三(きぐち けいぞう、1941年10月6日-)は、日本の画家、美術講師。 岡山県倉敷市において、銅版画を中心に制作活動を行うとともに、美術系大学受験を主目的とした画塾「木口美術研究所」で講師活動を行っている。演出家・劇作家の危口統之の父。 岡山県倉敷市出身。岡山県立倉敷青陵高等学校を経て、1966年武蔵野美術大学洋画科主席卒業。フランス政府私費留学試験合格後、1968年から1972年にかけて2度のフランス・ヨーロッパ留学を行う。その後倉敷市に戻り、1970年代前半ごろより地域の専門学校や高校などで美術指導を開始。1984年に画塾「木口美術研究所」を設立。以後銅版画を中心とした作品制作ならびに、美術系大学受験を志す高校生の指導を中心に、地域の芸術・文化活動に尽力している。
平松 礼二(ひらまつ れいじ、1941年9月3日 - )は、… 平松 礼二(ひらまつ れいじ、1941年9月3日 - )は、日本画家。本名:平松邦夫。多摩美術大学教授、了徳寺大学学長を歴任。岩彩、箔、墨、コラージュ等、多彩な技法を駆使した21世紀を代表する日本画家のひとりである。 東京都中野区出身。愛知県名古屋市で育ち、愛知県立旭丘高等学校美術科、愛知大学法経学部卒業。 横山操に私淑し、1960年より青龍社展に出品。青龍社解散後は創画会を経て無所属で作品を発表していく。ライフワークとなる「路」シリーズがスタートした30代後半には、新たな日本画を生み出そうとした日本画家の研究グループ「横の会」結成に参加。40代には日本画家の登竜門である山種美術館賞展大賞受賞など著名な美術賞を総なめにする。
竹内 浩一(たけうち こういち、1941年8月28日 - )… 竹内 浩一(たけうち こういち、1941年8月28日 - )は、日本の画家。 京都府京都市生まれ。日展審査員、晨鳥社会員。
田渕 俊夫(たぶち としお、1941年8月15日 - )は、… 田渕 俊夫(たぶち としお、1941年8月15日 - )は、日本の画家。日本芸術院会員。 東京市江戸川区出身。1965年、東京藝術大学美術学部日本画科卒業。1967年、同大学大学院日本画専攻修了。師系は平山郁夫。 1968年、再興第53回日本美術院展覧会で初入選し、1982年と1985年に日本美術院賞(大観賞)受賞。その後も数々の受賞歴を重ねた。 1995年より東京藝術大学教授、1996年より日本美術院評議員となり、2005年に東京藝術大学理事・副学長、2006年に日本美術院理事に就任。現在は、日本美術院同人・代表理事(理事長)および東京藝術大学名誉教授を務める。2019年、文化功労者顕彰。2022年、旭日中綬章受章。
石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月2… 石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月20日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者、ナレーター、画家、作詞家。石坂ミュージカル・エンタープライズ社長。2015年10月からプロダクション尾木に所属。 本名は武藤 兵吉(むとう へいきち)で、親しい芸能人には「兵ちゃん」と呼ばれる。画家として1974年から1985年まで二科展に連続入選している。プラモデルの愛好家としても知られる。 東京府東京市京橋区木挽町(現:東京都中央区銀座)生まれの大田区田園調布出身。小さき花の幼稚園、大田区立田園調布小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。神奈川県横浜市在住。
難波田 史男(なんばた ふみお、1941年4月27日 - 1… 難波田 史男(なんばた ふみお、1941年4月27日 - 1974年1月29日)は、日本の洋画家。東京都世田谷区経堂出身。絵画作品のほか、没後に出版された日記集(「終着駅は宇宙ステーション」、結果的に唯一の自叙伝になった)もある。
山岡 義典(やまおか よしのり、1941年4月12日 - )… 山岡 義典(やまおか よしのり、1941年4月12日 - )は日本の市民活動家、都市計画家、地域研究者。法政大学名誉教授。専門は非営利組織論、都市・地域計画論。助成財団センター理事長、市民社会創造ファンド運営委員長、日本NPOセンター顧問、シューレ大学アドバイザー。 旧満洲国(現・中国東北部)生まれ、広島で育つ。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院数物系研究科にて都市計画学を専攻。大学院在籍中に、太田博太郎のもとで「妻籠宿保存計画」の策定、丹下健三のもとで「大阪万国博覧会会場計画」の策定に関わる。 1969年から都市計画設計研究所にて都市計画の実務に従事。1977年、トヨタ財団プログラムオフィサー(のちにプログラムディレクター)。
坂爪 厚生(さかづめ あつお、1941年(昭和16年) - … 坂爪 厚生(さかづめ あつお、1941年(昭和16年) - )は、日本の銅版画家。群馬県沼田市生まれ。 群馬県立沼田高等学校を経て、1965年、京都大学工学部合成化学科を卒業。大学在学中より西洋画に興味を持ち始め、はじめは油画や半立体の作品を制作していたが1968年頃からメゾチント技法による銅版画を始める。1970年からは日本版画協会展への出品を始め、以降連年同会展に出品し、1974年に同会会員となり現在に至る。1985年には大英博物館で開催された現代日本版画展に出品した。 その他多数の画廊で個展開催 京都市美術館、京都国立近代美術館、京都文化博物館、大阪府立現代美術センター、東京都現代美術館、福岡市美術館、栃木県立美術館、愛知県美術館、大分県立美術館、いわき市立美術館、青梅市立美術館、大英博物館、スミソニアン博物館 他
高松 潤一郎(たかまつ じゅんいちろう、1941年 - )は… 高松 潤一郎(たかまつ じゅんいちろう、1941年 - )は、日本の油彩画家。 北海道小樽出身。1960年に東京都立豊島高等学校を卒業し、1964年に立教大学理学部数学科を中退。 以後、油彩で幻想絵画を描き続けている。親が早くに死去したため、母親の弟である映画俳優の室田日出男と長く一緒に生活した。
磯見 輝夫(いそみ てるお、1941年(昭和16年) - )… 磯見 輝夫(いそみ てるお、1941年(昭和16年) - )は、日本の版画家。愛知県立芸術大学学長を務めた。木版画を主に制作。作品の主題は主に「人物、花、樹木」である。1978年頃から合板ではなく杉板を使いはじめ、板と板との継ぎ目や板目の違いによる刷りムラも独自の技法として取り込み、墨一色の力強くプリミティブな作風を確立している。 東京芸術大学では山口薫に油彩を学ぶ。大学院時代から版画制作をはじめ、非常勤講師だった小野忠重、当時博士課程に在籍していた小山松隆から木版画の手ほどきをうける。4人兄弟の末弟で、兄に上智大学文学部名誉教授の磯見辰典、横浜国立大学教育学部名誉教授・磯見昭太郎、医師の磯見明がいる。
井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )… 井上紫城(いのうえ しじょう、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の画家。福岡県北九州市出身。日本美術院院友、日府展専務理事、日府賞受賞、外務省買い上げ作品に選出。 1941年、福岡県北九州市に生まれる。1967年、東京芸術大学大学院日本画科を修了する。在学中に日本美術院展に入選し、日本美術院院友となる。1978年、日府展専務理事に就任し、日府賞を受賞する。1998年、「北の朝」が外務省に買い上げられた。2022年、Art Collectors 完売作家に掲載。その後もグループ展の主宰や個展を全国で続ける。 花鳥風月をモチーフに、自然の息遣いをとらえた日本画として紹介されている。古来からの花鳥風月の枠に縛られない桜、椿、薔薇、富士、鯉、猫などを題材にした作品が掲載されており、柔らかな題材を金箔や日本画の技法でまとめた作品が特徴。
塚田 稔(つかだ みのる、1941年 - )は、日本の脳科学… 塚田 稔(つかだ みのる、1941年 - )は、日本の脳科学者、画家。工学博士、医学博士。 脳科学に情報理論いち早く取り入れた先駆者の一人。また時空間学習則の提唱者でもある。 長野県生まれ。1971年、東北大学大学院工学研究科博士課程修了。東北大学工学部助手、玉川大学工学部助教授、同大学工学部教授、同大学脳科学研究所教授を経て、玉川大学脳科学研究所客員教授、玉川大学名誉教授。 専門は生体情報工学、記憶と学習の計算モデルと実験、脳のダイナミック情報表現。 日本神経回路学会論文賞、神経情報処理国際会議功績賞、電子情報通信学会フェロー称号を授与される。 絵画では日本画府洋画部専務理事、審査員を務めている。
難波 平人(なんば ひらと、1941年- )は、山口県出身の… 難波 平人(なんば ひらと、1941年- )は、山口県出身の洋画家、教育者。二紀会委員・監事、広島大学名誉教授。中国文化賞を受賞。 1941年に山口県熊毛郡上関町白井田に生まれる。1964年には広島大学教育学部美術科を卒業する。翌年には同大学の研究生を修了。後に広島大学大学院教育学研究科造形芸術教育学講座の教授として後身を育成する。2004年、広島大学退官記念の作品展を東京芸術劇場、広島県民文化センターで開催。 現在は、二紀会委員、広島大学名誉教授、日本美術家連盟会員、中国新聞情報文化センター講師、NHK文化センター講師を務め、波の会を主催している。 1975年に第18回安井賞展に出品し、受賞候補となる。
池谷 孝子(いけや たかこ、1941年 - )は、洋画家。洋… 池谷 孝子(いけや たかこ、1941年 - )は、洋画家。洋画家櫻井慶治に師事。東京都在住。新世紀美術会会員、武蔵野美術大学を修了。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本の… 下嶋 哲朗(しもじま てつろう、1941年 - )は、日本のノンフィクション作家、画家。沖縄県をテーマとした著作で知られる。 長野県上田市に生まれる。中学1年生の時に上京する。武蔵野美術大学油絵学科を中退。 1975年から約1年間石垣島に妻子とともに移住した。この移住で沖縄の歴史や文化への興味を抱く。 1983年、沖縄県の洞窟「チビチリガマ」の調査を地元住民らとともにおこない、沖縄戦時に壕内で集団自決があったことを明らかにした。下嶋はもともと、アメリカ合衆国施政下でおこなわれた沖縄本島からの移民の調査のために沖縄を訪れ、出会った読谷村出身の女性から聞いた断片的な話をきっかけに関係者への聞き取りを重ねて証言を引き出し、それをもとに壕内の調査で自決を裏付けた。
坪井善道(つぼいよしみち、1941年- )は、日本の建築系都… 坪井善道(つぼいよしみち、1941年- )は、日本の建築系都市計画学者、都市計画家。日本大学名誉教授。一般財団法人 建築・まちづくり協力研究所理事・研究主幹。一級建築士・管理建築士。博士 (工学)。福岡県福岡市生まれ。父は東京大学名誉教授の構造家坪井善勝。兄は坪井善昭東京芸術大学名誉教授。 1965年、日本大学理工学部建築学科卒業。卒業論文は東京大学生産技術研究所教授の川股重也のもとで「壁式アパートを四階から五階にするための理論と実験」について。1967年、日本大学大学院理工学研究科建設工学専攻修士課程修了。市川清志に師事(「大都市の構造」を修士論文のテーマにした。)。 大学院修了後、丹下健三・都市建築設計研究所(URTEC、現・丹下都市建築設計)に10年弱在職。
橘 与四郎(たちばな よしろう、1941年 - 2016年7… 橘 与四郎(たちばな よしろう、1941年 - 2016年7月17日)は、兵庫県三田市出身の画家。スペインのガリシア州ア・コルーニャ県に居住して製作していた。 父は画家の橘央(たちばななかば)であり、父から美術を学んだ。 1962年(昭和37年)、美術学校で美術を学ぶため東京へ向かった。パウル・クレーの絵画に出会い傾倒した。1969年(昭和44年)、ヨーロッパを旅行することを計画し、スペインで数多くの町を歩きまわった。その後、ドイツのハンブルクやキールの町に定住し、ドイツの現代美術(ミュンヘン派)の動きを学んだ。1973年(昭和48年)までドイツに滞在した後、ノルウェーに滞在して風景画を描いた。
延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2… 延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2018年2月8日)は、日本の建築家、都市研究者、都市計画家、教育者、地域プランナー、地域活動家。専攻は生活空間計画学。工学博士。 まち育ての研究と実践、人材育成のほかに各地で「幻燈会」を開いて啓蒙に努める自称「まち育ての語り部」。大阪府大阪市生まれ。 その他、まちの縁側GOGO、神戸市真野地区まち育て、武蔵野市公団緑町団地共同建替、高知赤岡町まち育て等、各地で数多くの地域づくり、まちづくり実践に努める。
バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11… バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11月11日 -)は、日本の漫画家、画家。本名、吉元 正(よしもとただし)。1960〜1970年代にかけて巻き起こった劇画ブームの全盛期を築いた漫画家のひとり。代表作に『柔俠伝』シリーズ、『どん亀野郎』、『黒い鷲』、『賭博師たち』など。 満洲奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)生まれ、鹿児島県指宿市育ち。鹿児島県立指宿高等学校卒業後、武蔵野美術大学西洋画科へ入学。柔道は黒帯を保有。 公益社団法人日本漫画家協会理事。2005年から2012年までは大阪芸術大学キャラクター造形学科にて教授を務めた。妻は日劇ミュージックホールでトップダンサーとして活躍し、2022年には第25回岡本太郎現代芸術賞で岡本太郎賞を受賞した、刺繍家・吉元れい花。
合田 佐和子(ごうだ さわこ、1940年10月11日 - 2… 合田 佐和子(ごうだ さわこ、1940年10月11日 - 2016年2月19日)は、日本の女性画家。 前夫との間に一女あり。三木富雄は2人目の夫で、その間に生まれたのが合田ノブヨである。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月… 山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月3日 - )は、日本の洋画家。東京学芸大学名誉教授、立軌会同人。東京都江戸川区出身。 日本橋芳町より京都市右京区御室へ移転。東京都中野区東中野へ移転。 東京都立武蔵丘高等学校、東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻卒(林武教室)。東京藝術大学大学院修了(牛島憲之教室)。 中学校の美術部で初めて油彩画を描き、高校の美術部に所属し石膏デッサンに夢中になる。東京藝術大学の大学院修了後、同大学に勤務し、その間に牛島憲之に風景画の指導を受ける。 1969年にフランス政府給付留学生として渡仏。マルセーユ芸術建築学校(ビュッス教室)に学ぶ。グループ十騎会(髙島屋東京日本橋店、~2015年)に参加。
上野 紀子(うえの のりこ、1940年9月29日 - 201… 上野 紀子(うえの のりこ、1940年9月29日 - 2019年2月28日)は、日本の絵本作家、画家。本名は中江紀子。 埼玉県生まれ。日本大学藝術学部美術学科。1973年『ELEPHANT BUTTONS』でデビュー。大学の同級生・中江嘉男(なかえよしを)と結婚し、中江が文、上野が絵を描いて絵本を合作。1975年、ねずみくんシリーズの第1作となる『ねずみくんのチョッキ』で講談社出版文化賞受賞。1987年『いたずらララちゃん』で絵本にっぽん賞、2005年中江とともに巖谷小波文芸賞受賞。 中江のほか、あまんきみこ、舟崎靖子などの作品にも挿絵を描く。挿絵の代表作として、あまんきみこ『ちいちゃんのかげおくり』(あかね書房 1982)などがある。
和歌山 静子(わかやま しずこ、1940年〈昭和15年〉7月… 和歌山 静子(わかやま しずこ、1940年〈昭和15年〉7月24日 - 2024年〈令和6年〉1月8日)は、日本の挿絵画家、絵本作家。京都府京都市生まれ。神奈川県逗子市に在住していた。 幼少期を函館市で過ごし、戦後間もなく国立市の小学校に入学した。武蔵野美術学校を目指すべく吉祥女子高等学校に進学し、美術部へ入部する。1962年、武蔵野美術短期大学デザイン美術科を卒業。 フリーのデザイナーやイラストレーターとして活動していた1966年、デザイン会社からあかね書房に和歌山の絵を斡旋してもらったことがきっかけで、児童文学者の寺村輝夫に見出され、学習研究社の雑誌に連載する『こびとのピコ』の挿絵を担当する事となった。
和田 恵秀(わだ けいしゅう、1940年7月18日 - )は… 和田 恵秀(わだ けいしゅう、1940年7月18日 - )は、日本の画家、俳優、声優、歌手。本名は和田 一壮(わだ かずお)。東京都出身。日本漫画家協会会員。
清水 正教(しみず まさのり、1940年7月 - )は、日本… 清水 正教(しみず まさのり、1940年7月 - )は、日本の画家(油画)。皇學館大学名誉教授。
柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月3… 柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月30日 - )は、日本の版画家、美術家、学者。武蔵野美術大学造形学部教授。 静岡県浜松市にて誕生。浜松市立高等学校を経て、1965年、東京藝術大学大学院を修了。その後、アメリカ合衆国ニューヨーク州に渡り、デザイン、版画といった美術への造詣を深める。帰国後は静岡県掛川市に居を構えアーティストとして活躍し、精力的に作品を発表する。 東京芸術大学では林武に油彩を学び、当時「最も影響を受けたのはゴーギャン」「版画の様々な制約の中自分が日常感じている矛盾、情念的なものをどれだけ表現出来るか」に意欲がわき、版画を志す。(「出会い」 静岡新聞 1982年1月12日) 東京芸術大学四年から大学院時代に、駒井哲郎に銅版画のてほどきをうける。
薮内 正幸(やぶうち まさゆき、1940年〈昭和15年〉5月… 薮内 正幸(やぶうち まさゆき、1940年〈昭和15年〉5月23日 - 2000年〈平成12年〉6月18日)は、日本の動物画家、絵本作家。 絵の技術は独学だが動物学者の今泉吉典の元で標本画の基礎を習得。「僕は毛描き」と言うほど鳥や動物の羽毛や毛の一本一本まで丹念に描くため、図鑑の挿絵は精緻でありながら親しみ深く暖かい。描いた絵は1万点を超える。サントリーによる「愛鳥キャンペーン」の新聞広告で1973年(昭和48年)度朝日広告賞第2部グランプリ、1983年『コウモリ』で第30回サンケイ児童出版文化賞、1989年(平成元年)『日本の恐竜』が第9回吉村証子記念日本科学読物賞、1992年『野鳥の図鑑』で国際児童図書評議会(IBBY)オナーリスト賞受賞。