桂 春若(かつら はるわか、1951年11月1日 - )は大… 桂 春若(かつら はるわか、1951年11月1日 - )は大阪府泉佐野市出身の、上方落語の落語家。本名は西口 雅彦(にしぐち まさひこ)。出囃子は『供奴』。松竹芸能所属。上方落語協会会員。妻は1973年5月に結婚した元漫才師の木村リップ・チップのチップ[要出典]。 子供のころは立川談志のファンであった。1967年に大阪の御堂会館で『笑点』の公開収録が行なわれた際に、高校を無断欠席の上で観覧して楽屋で弟子入り志願しようと待ち伏せしたものの、すでに談志が楽屋を後にしていたため出会えず、結局弟子入りは叶わなかった。その日の収録2本目で演芸コーナーを務めたのが3代目桂春団治であった(演目は『代書屋』)。
柳家 〆治(やなぎや しめじ、1951年7月28日 - )は… 柳家 〆治(やなぎや しめじ、1951年7月28日 - )は、山形県新庄市出身の落語家。落語協会所属の真打。本名:高山 安彦。出囃子:『御所のお庭』。紋:『羽団扇』。 落語家になる前は信用金庫に勤めていた。 1973年4月に十代目柳家小三治に入門し、一番弟子となる。前座名は「小りた」。初高座は1974年11月2日、上高田寄席で「道灌」。 1978年9月、古今亭菊弥、林家正雀、立川談之助と共に二ツ目昇進、「〆治」と改名。 1987年3月に金原亭馬治、古今亭菊龍、菊弥改め古今亭志ん彌と共に真打昇進。
古今亭 八朝(ここんてい はっちょう、本名:丸山 美治〈まる… 古今亭 八朝(ここんてい はっちょう、本名:丸山 美治〈まるやま みはる〉、1951年〈昭和26年〉7月19日 - 2023年〈令和5年〉6月26日)は、東京都豊島区出身の元落語家。落語協会所属。出囃子は『雛鶴三番叟』。 東京都立明正高等学校卒業後1970年4月に三代目古今亭志ん朝に入門。1973年5月に志ん吉の名で前座になり、浅草演芸ホールにて初高座を務める。 1975年11月、林家らぶ平、柳家さん光と共に二ツ目昇進、八朝に改名。 1984年9月に林家種平、桂藤兵衛と共に真打昇進。 2003年4月、黒門亭運営委員長に就任。2005年に黒門亭運営実行委員会実行委員長に就任。2006年と2007年の二年連続で落語協会「円朝まつり」実行委員長を務める。
三林 京子(みつばやし きょうこ、1951年7月17日 - … 三林 京子(みつばやし きょうこ、1951年7月17日 - )は、日本の女優、落語家、声優・ナレーター。本名、宮永 佳代子。 大阪市住吉区(現・住之江区)粉浜出身。米朝事務所所属。文化審議会委員と大阪府教育委員、大阪芸術大学短期大学部専任教授などを歴任した。 実父は文楽の人形遣いで人間国宝の二世桐竹勘十郎。弟は同じく人形遣いの三世桐竹勘十郎(前名・吉田簑太郎)。同二世吉田簑太郎は甥に当たる。 文楽の人間国宝の家に生まれ育ったが、子供時代にNHK大阪放送児童劇団に入団。大谷中学校在学中の1965年より、東宝所属の大物女優・山田五十鈴に師事した。 1970年に大谷高等学校を卒業後、東宝演劇部と契約。
立川 談四楼(たてかわ だんしろう、1951年6月30日 -… 立川 談四楼(たてかわ だんしろう、1951年6月30日 - )は、日本の落語家、作家。本名∶高田 正一。出囃子は『喜撰』。落語立川流所属。群馬県邑楽郡邑楽町生まれ。 1970年3月群馬県立太田高等学校卒業と同時に、立川談志に入門。前座名は寸志。前座時代には林家種平、林家公平、柳家ほたるの4人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコードを出している。 1975年11月∶二ツ目昇進。談四楼と改名。1980年、NHK新人落語コンクール優秀賞受賞。 1983年、落語協会での真打昇進試験において、談四楼と兄弟子の小談志(後に談志門下を離れ喜久亭寿楽になる)が不合格になる。これをきっかけに談志は弟子をつれて落語協会を離れ、落語立川流を結成。
古今亭 菊丸(ここんてい きくまる、1951年4月1日 - … 古今亭 菊丸(ここんてい きくまる、1951年4月1日 - )は、広島県呉市出身の落語家。落語協会所属。出囃子は『勧進帳』。紋は『鬼蔦』。 崇徳高等学校卒業。広島修道大学在学中の1975年11月に二代目古今亭圓菊に入門、古今亭志ん八と共に楽屋入りし菊助と名乗る。翌年3月に広島修道大学商学部商業学科を卒業し、11月に池袋演芸場にて『たらちね』で初高座。 1980年6月、古今亭志ん八、古今亭菊松、金原亭駒平と共に二ツ目昇進、菊之助を襲名。 1990年3月に林家しん平、林家錦平、橘家半蔵とともに真打昇進。菊丸に改名。 趣味∶ハワイ旅行、ゴルフ。お気に入りのアロハシャツがユニクロでも買えることに気づいてショックを受けているらしい。
6代目 笑福亭 松喬(しょうふくてい しょきょう、1951年… 6代目 笑福亭 松喬(しょうふくてい しょきょう、1951年2月10日 - 2013年7月30日)は、兵庫県小野市出身の落語家。本名∶高田 敏信。血液型はAB型。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員。出囃子は「高砂丹前」。 実家は理髪店。12歳で父親と死別する。父親からは神戸松竹座に何度も連れられた。父親不在のため高校進学を断念、神戸市内の理髪店で働いた。就職後も寄席通いを続けていた。そんなときに見た6代目笑福亭松鶴の「相撲場風景」に「これなら自分でも出来る」と考える。6代目松鶴のもとに自作の落語(自身が落語家に入門を申し込むストーリー)を送りつけ、その後6代目松鶴の自宅や道頓堀角座の楽屋を訪問して弟子入りを許される。
四代目 春雨や 雷蔵(はるさめや らいぞう、1951年1月2… 四代目 春雨や 雷蔵(はるさめや らいぞう、1951年1月27日 - )は落語家。東京都葛飾区出身。本名∶山田 良平。落語芸術協会所属。出囃子は「本調子かっこ」。 古典落語、五代目古今亭今輔作の新作落語両方演じる。
4代目春雨や雷蔵(はるさめや らいぞう、1951年1月27日… 4代目春雨や雷蔵(はるさめや らいぞう、1951年1月27日 - )は落語家。東京都葛飾区出身。本名は山田 良平。落語芸術協会所属。出囃子は「本調子かっこ」。
露の 新治(つゆの しんじ、1951年〈昭和26年〉1月8日… 露の 新治(つゆの しんじ、1951年〈昭和26年〉1月8日 - )は、大阪府大阪市生野区生まれの上方落語の落語家。本名∶前川 弘行。出囃子は『金毘羅船々』。 大阪府立生野高等学校を経て、大阪市立大学文学部中国文学科を卒業した。在学中は「大衆芸能研究会」を設立して、落語を演じる。 落語家志望だったが「堅気の仕事ではない」という理由でサラリーマンや家業の手伝いをした。1975年12月に林家染三に入門、「林家しん三」を名乗る。染三入門後の1976年8月から奈良市立春日中学校の夜間学級設立運動に参加する。この運動参加により「やりたいことをやるべきだ」と考えを改めた。1977年10月に「林家さん二」に改名した。
4代目 桂 小文枝(よんだいめ かつら こぶんし、1951年… 4代目 桂 小文枝(よんだいめ かつら こぶんし、1951年1月5日 - )は、日本の落語家。本名は立入 勉三。所属事務所は吉本興業。上方落語協会会員(相談役)。上方落語を聴く会会長(副会長は桂小枝)。大阪府大阪市城東区出身。現在[いつ?]は大阪府豊中市在住[要出典]。2019年2月までの高座名は桂きん枝(一時期別の高座名を名乗ったこともある。詳細は後述)。 お笑いコンビ・バンビーノの藤田裕樹は、甥(姉の子)にあたる[要出典]。 本名の苗字の「立入」は母方の姓で母は滋賀県の出身、父は畳職人をしていた[要出典]。 成城工業高校卒業後にエレベーター会社に勤めるが退職し、1969年7月、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)に入門。
桂 きん枝(かつら きんし、1951年1月5日 - )は、日… 桂 きん枝(かつら きんし、1951年1月5日 - )は、日本の落語家。本名は立入 勉三(たちいり べんぞう)。所属事務所は吉本興業。上方落語協会会員(理事)。上方落語を聴く会会長(副会長は桂小枝)。大阪市城東区出身。現在は、大阪府豊中市在住。
桂 小軽(かつら おかる、1950年12月23日 - )は大… 桂 小軽(かつら おかる、1950年12月23日 - )は大阪市出身の落語家。本名∶西裏 文雄。出囃子は『大拍子』。 子供のころNHK大阪児童劇団で活動。 1968年4月、関西大学経済学部入学し、1972年に卒業。 1971年3月、5代目桂文枝(当時:3代目桂小文枝)に入門。 1977年2月6日に放送された桂三枝(現:6代桂文枝)司会の『いたずらカメラだ!大成功』の番組でライオンがいる檻の中に何も説明も無いまま放り込まれライオンに襲われ怪我をした。桂小軽はこの時にライオンの前爪で右脇腹を引っかかれ流血したがスタッフは助けたりしないで笑って見ているだけだったという。この出来事については桂小軽の所属する芸団協がテレビ局へ抗議する事態にまで発展した。
春風亭 一朝(しゅんぷうてい いっちょう、1950年12月1… 春風亭 一朝(しゅんぷうてい いっちょう、1950年12月10日 - )は、東京都足立区出身の落語家。落語協会所属。本名、浮ヶ谷 克美(うきがや かつみ)。 出囃子は『菖蒲浴衣』。
春風亭 一朝(しゅんぷうてい いっちょう、1950年12月1… 春風亭 一朝(しゅんぷうてい いっちょう、1950年12月10日 - )は、日本の落語家。落語協会所属。本名:浮ヶ谷 克美。 出囃子は『菖蒲浴衣』。東京都足立区出身。 東京都立化学工業高等学校在学中の1968年3月、五代目春風亭柳朝に入門。1970年4月に前座になる。前座名:朝太郎。 1973年9月に三遊亭勝馬、柳家せん八と共に二ツ目昇進、一朝に改名。大師匠彦六が、若い頃に稽古をつけて貰っていた「三遊一朝」の名を貰っている。1980年3月、弟弟子春風亭小朝が一朝よりも先に真打に昇進する。 1982年12月に初代古今亭志ん五、七代目三遊亭圓好、四代目吉原朝馬、三代目三遊亭小金馬(勝馬改め)、柳家せん八、六代目古今亭志ん橋、立川談生、立川左談次、六代目立川ぜん馬とともに真打に昇進する。
立川 左談次(たてかわ さだんじ、1950年12月2日 - … 立川 左談次(たてかわ さだんじ、1950年12月2日 - 2018年3月19日)は、落語家。本名∶山岡 通之。東京都調布市出身。落語立川流に所属。出囃子は『あの町この町』。「駄句駄句会」同人で、俳号は「斜断鬼」。 1968年4月、七代目立川談志に入門し、前座名「談奈」を名乗る。当時は落語協会に所属していた。同年、談志出演の映画『昭和元禄ハレンチ節』にワンシーンながら出演。 1973年9月、二ツ目昇進し「立川左談次」に改名。 1982年12月に初代古今亭志ん五、六代目古今亭志ん橋、春風亭一朝、柳家せん八、三代目三遊亭小金馬、四代目吉原朝馬、七代目三遊亭圓好、六代目立川ぜん馬、立川談生と共に真打昇進。
桂 米輔(かつら よねすけ、1950年11月17日 - )は… 桂 米輔(かつら よねすけ、1950年11月17日 - )は大阪府大阪市住之江区出身の落語家。本名は古山 元昭。大阪府立茨木高等学校卒業。 1970年4月、3代目桂米朝に入門。同年10月の京都東山安井金比羅会館での「桂米朝落語研究会」にて初舞台。米朝事務所所属。上方落語協会理事。自称コボちゃん似、愛称は「ポンちゃん」。 江戸落語の噺家で落語芸術協会理事の桂米助と読みが同じだが、こちらはヨネスケを名乗る方が多い。 川柳結社「二匹目のどぜう」会長。笛の名手としても知られ、その教えを受けた上方落語家は数多い。天満天神繁昌亭の落語家入門講座の講師。
林家 源平(はやしや げんぺい、1950年9月3日 - )は… 林家 源平(はやしや げんぺい、1950年9月3日 - )は、日本の落語家・俳優・タレントである。本名∶富永 久三男。愛媛県宇和島市(旧:三間町地域)出身。出囃子∶「供奴」。紋∶「花菱」。落語協会所属の真打。 愛媛県立三間高等学校中退。かつて二所ノ関部屋に所属する力士であったが、同部屋の麒麟児和春に簡単に投げ飛ばされて相撲の道を諦め廃業した[要出典]。 1969年1月に初代林家三平に入門し、1972年に前座となる。前座名は「げん平」。1974年5月に二ツ目に昇進し「源平」と改名。それと並行して俳優としても活動する。1980年に三平が急死し、兄弟子の林家こん平の預かり弟子となる。 1983年9月に柳家小里ん、蝶花楼花蝶、林家正雀と共に真打昇進する。
古今亭 志ん彌(ここんてい しんや、1950年8月6日 - … 古今亭 志ん彌(ここんてい しんや、1950年8月6日 - )は、落語協会所属の落語家。東京都荒川区日暮里出身。本名∶成島 寛。出囃子は『元禄花見踊り』、紋は『裏梅』。 浦和南高校、拓殖大学商学部卒業後1974年2月、二代目古今亭圓菊に入門。菊弥と名乗り5月に楽屋入り、前座となる。 1978年9月、柳家〆治、林家正雀、立川談之助と共に二ツ目昇進。 1987年3月、金原亭馬治、古今亭菊龍、柳家〆治と共に真打昇進。志ん彌と改名。 高校生時代は浦和南高校でサッカー選手として国体・インターハイなどで活躍。現在でもサッカーが得意で、春風亭正朝、ホームラン・勘太郎らと共にプレーしている。 浅草演芸ホール8月中席で毎年行われる住吉踊り連の主任・頭取りをしている。
笑福亭 仁福(しょうふくてい じんぷく、1950年7月13日… 笑福亭 仁福(しょうふくてい じんぷく、1950年7月13日 - )は、日本の落語家。本名・柴田 賢治(しばた けんじ)。 京都府生まれ。血液型はA型。大阪学院大学卒業後、1972年4月1日に3代目笑福亭仁鶴に入門。所属事務所は吉本興業(2007年10月 - 2019年6月は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー)。上方落語協会会員。チャリティーで落語会を開催する「上方落語喜講」のメンバー。笑福亭仁智、笑福亭仁勇、松旭斎小天正とのコントグループ「大阪パイレーツ」を結成している。読売ジャイアンツのファンである。 1984年に5代目桂文枝(当時3代目小文枝)によって結成された草野球チーム。メンバーは若手落語家から中堅の落語家、講談師、知人などで構成されている。
七代目 桂 才賀(かつら さいが、1950年〈昭和25年〉7… 七代目 桂 才賀(かつら さいが、1950年〈昭和25年〉7月12日 - 2025年〈令和7年〉2月21日)は、東京都大田区出身の落語家。落語協会所属。本名∶谷 富夫。出囃子は「野毛山」、紋は「鬼蔦」。 1969年3月、自由ヶ丘学園高校卒業後九代目桂文治に入門を申し込んだところ、「入門したければ自衛隊に3年入隊なさい」と言われ海上自衛隊へ入隊(舞鶴101期)し、3年の任期(一般隊員としての1任期)を満了まで勤め上げた後、再度文治の門を叩いた。3年前、文治は断り文句のつもりで自衛隊に入れとの発言をしており、完全に忘れていたという。1972年3月、九代目桂文治に入門。前座名は兄弟子・桂文七の前座名でもある「文太」を名乗る。
笑福亭 呂鶴(しょうふくてい ろかく、1950年6月22日 … 笑福亭 呂鶴(しょうふくてい ろかく、1950年6月22日 - )は、兵庫県宝塚市出身の落語家。本名∶松岡 孝。血液型はA型。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員。出囃子『小鍛冶』。 2021年現在、6代目笑福亭松鶴の4番弟子。プロ野球は読売ジャイアンツのファン。 1969年、6代目笑福亭松鶴に入門。 かつてラジオパーソナリティーとしても活躍した。ラジオ大阪の朝番組「水本貴士の大阪1310」でアッポコピーナッツというギャグを流行らせようとした。「平成15年度大阪文化祭奨励賞」受賞 。現在は天満天神繁昌亭や地域寄席を中心に活躍しているほか、ワッハ上方などで独演会を開いている。 この呂鶴以前に実際に呂鶴を名乗った人物がいる。
夢月亭 清麿(むげつてい きよまろ、1950年5月16日 -… 夢月亭 清麿(むげつてい きよまろ、1950年5月16日 - )は、東京都渋谷区出身の落語家。落語協会所属。本名∶池谷 実。出囃子∶『串本節』。 早稲田大学第一文学部卒業後1973年3月、五代目柳家つばめに入門、前座名「雪之丞」。1974年9月、つばめ死去により、大師匠五代目柳家小さん門下に移籍。 1978年3月に金原亭馬治、古今亭菊龍と共に二ツ目昇進、亡き師匠である五代目柳家つばめの二ツ目名「夢月亭歌麿」と改名。 1989年3月に林家鉄平と共に真打昇進、「夢月亭清麿」と改名。2020年より落語協会監事を務める。 落語協会事務所で、落語協会百周年記念興行の話し合いをしている時に脳疾患(脳梗塞)で倒れたため、2023年11月以降休演。
6代目 三遊亭 円(圓)楽(ろくだいめ さんゆうてい えんら… 6代目 三遊亭 円(圓)楽(ろくだいめ さんゆうてい えんらく、本名:會 泰通(あい やすみち)、1950年2月8日 - )は、落語家。円楽一門会所属(マネジメントはオフィスまめかな)。2010年3月1日、初名の三遊亭楽太郎(さんゆうていらくたろう)から師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名。しかし、「落語界では旧字体の<圓>の字をよく使うが、常用漢字の<円>で通す」と表明しており「三遊亭円楽」を名乗るという。出囃子は師匠5代目三遊亭圓楽と同じ『元禄花見踊』(以前は『花が咲き候』を使用)。
おきらく亭 はち好(おきらくてい はちこう、本名:中川 功、… おきらく亭 はち好(おきらくてい はちこう、本名:中川 功、1950年1月22日 - 2021年4月7日)は、千葉県・市川市出身の落語家。フリーの落語家として沖縄を中心に活躍した。 生家は豆腐店を営んでいた。 亡くなって一年後の2022年4月9日、那覇市の達磨院で、おきらく亭一門による一周忌一門会が催された。 一門の「おきらく亭すい好(本名:宜野座 一)」は、大阪府池田市で開催されている社会人落語日本一決定戦に第1回から出場、2022年12月に開催された第14回大会で池田市長賞を受賞、沖縄からの出場者として初入賞。2024年の第16回大会では準優勝となった。
五所の家 小禄(ごじょのや ころく、1949年12月4日 -… 五所の家 小禄(ごじょのや ころく、1949年12月4日 - )は、京都府京都市出身の落語家。本名は高橋 平明。 京都産業大学卒業。はじめは露の五郎に師事し、後に笑福亭松之助に再入門。弟弟子の明石家さんまの大ブレイクであまり目立たなかったが、京都新京極の京都花月劇場をホームグラウンドとして、独演会を開くなど活躍した。松之助・さんま同様、上方落語協会には所属していない。 デビュー当初はタレント志望が強かったが、新作落語・古典落語ともに演じた。さんまと京都で落語2人会をやったこともあり(客として、やしきたかじんと当時の愛人の2人だけに行ったこともあり、さんまはそれを恩義に感じている)、さんまが巨人の小林繁の形態模写をしたのに対して、張本勲の形態模写をした。
金原亭 駒三(きんげんてい こまぞう、1949年〈昭和24年… 金原亭 駒三(きんげんてい こまぞう、1949年〈昭和24年〉10月29日 - )は、落語協会所属の落語家。佐賀県嬉野市塩田町出身。本名∶広橋 明洋。出囃子∶井出の山吹、定紋∶裏梅。 東京都立葛飾野高等学校卒業後1967年2月、十代目金原亭馬生に入門。翌々年1月、前座となり「駒三」と名乗る。 1972年11月に柳家さん喬、五街道雲助、柳家さん治、三遊亭梅生、立川談十郎、三遊亭楽松と共に二ツ目昇進。 1982年4月に三遊亭小歌、初代月の家小圓鏡、柳家さん枝、林家えび蔵、林家ばん平と共に真打昇進。
鈴々舎 馬桜(れいれいしゃ ばおう、1949年10月23日 … 鈴々舎 馬桜(れいれいしゃ ばおう、1949年10月23日 - )は、東京都台東区出身の落語家。落語協会所属。本名∶木村 高男。出囃子は『将門』。紋は『折鶴』。 1969年3月に七代目立川談志に入門、前座名談吾。1972年11月より金原亭小駒と共に楽屋入りし前座修行を開始。 1975年5月に六代目古今亭志ん橋、蝶花楼花蝶、林家源平、立川小談志と共に二ツ目昇進、談生と改名。1981年にNHK新人落語コンクール優秀賞を受賞。 1982年12月に初代古今亭志ん五、七代目三遊亭圓好、四代目吉原朝馬、春風亭一朝、三代目三遊亭小金馬、柳家せん八、六代目古今亭志ん橋、立川談生、立川左談次、六代目立川ぜん馬で真打昇進。
柳家 喜多八(やなぎや きたはち、1949年10月14日 -… 柳家 喜多八(やなぎや きたはち、1949年10月14日 - 2016年5月17日)は、東京都練馬区出身の落語家。落語協会所属の真打。本名∶林 寬史。出囃子は『梅の栄』、亭号紋(ていごうもん)は『丸に三つ柏』。 学習院大学落語研究会出身であったことから、愛称は『殿下』。高座で自らを「柳之宮喜多八殿下」と名乗ることもあった。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
4代目林家 染丸(はやしや そめまる、1949年(昭和24年… 4代目林家 染丸(はやしや そめまる、1949年(昭和24年)10月10日 - )は、大阪市西成区天下茶屋出身の落語家。本名は木村 行志(きむら こうし)。出囃子は『正札付』。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会理事。
林家 かん平(はやしや かんぺい、1949年9月9日 - )… 林家 かん平(はやしや かんぺい、1949年9月9日 - )は、神奈川県厚木市出身の落語家。本名:渋谷 一男。出囃子は『金毘羅船々』。 1949年9月9日、長崎県高島町で誕生し、1955年に神奈川県厚木市に転居。1968年に神奈川県立大和高等学校を3期生として卒業。 1972年に七代目橘家圓蔵に入門、前座名は橘家六蔵。 1977年に桂文太、入船亭扇好、林家時蔵と共に二ツ目に昇進。1980年5月に師匠圓蔵が死去。 兄弟子の初代林家三平門下となるが間もなく三平も死去したため12月に林家こん平門下となる。 1985年に古今亭志ん輔、四代目桂三木助、七代目桂才賀(桂文太→古今亭朝次改め)、入船亭扇遊(扇好改め)、林家時蔵、柳家三寿、林家らぶ平、柳家小ゑん、春風亭正朝と共に真打昇進、林家かん平と改名。
桂 歌春(かつら うたはる、1949年9月9日 - )は、日… 桂 歌春(かつら うたはる、1949年9月9日 - )は、日本の落語家。宮崎県東臼杵郡富島町(現在の日向市)出身。落語芸術協会所属、同協会理事。本名:田代 修吉。出囃子は『さわぎ』。 宮崎県立延岡西高等学校卒業。1970年、西南学院大学2年生の時に上京し、二代目桂枝太郎に弟子入りし桂枝八を名乗る。その後、師匠・枝太郎の死去に伴い、兄弟子である三代目桂圓枝の預かり弟子を経て桂歌丸門下に移って「歌はち」と改名。 1985年、三遊亭金遊と共に真打昇進し歌春と改名。二代目桂枝太郎の最後の弟子にして、歌丸一門の惣領弟子に当たる。 枝八時代にTBSテレビの公開生番組『ぎんざNOW!』の司会者(メイン司会者だったせんだみつおの補佐役として番組の盛り上げ役担当)を務めた。
三笑亭 夢之助(さんしょうてい ゆめのすけ、1949年〈昭和… 三笑亭 夢之助(さんしょうてい ゆめのすけ、1949年〈昭和24年〉6月5日 - )は、元落語家、元タレント。北海道札幌市出身(南富良野町生まれ)。本名∶佐藤 信夫。出囃子∶『奴の行列』。 1968年に三笑亭夢楽に入門、前座名「夢九」。 1972年、二ツ目昇進し「夢之助」に改名。 1983年に四代目春雨や雷蔵、二代目柳亭小痴楽、古今亭寿輔、桂京丸、五代目春風亭柳條、三遊亭春馬と共に真打昇進。 タレントとしてはアートプロモーションに所属し、2015年頃までは落語芸術協会の理事も務めていたが、2019年頃に同協会を退会して引退した。若手時代から親交のあった桂米助と三遊亭小遊三がYouTubeの対談で明かしたところによると、夢之助は肺気腫を患って次第に寄席へ出演しなくなり、講演程度の活動は続けるとしていたものの、最終的に同協会へ名跡返上の手紙を出し、完全に廃業したという。
四代目 吉原 朝馬(よしわら ちょうば、1949年5月18日… 四代目 吉原 朝馬(よしわら ちょうば、1949年5月18日 - )は、千葉県多古町出身の落語家、俳優。出囃子は『吉原雀』。落語協会、VALQANプロモーション所属。本名:佐藤 武。 千葉県立佐原高等学校卒業後1968年5月、十代目金原亭馬生に入門。翌年1月、前座となる。前座名は「駒八」。 1973年4月に柳家さん枝、林家辰平と共に二ツ目昇進。 1982年12月に初代古今亭志ん五、六代目古今亭志ん橋、七代目三遊亭圓好、春風亭一朝、三代目三遊亭小金馬、柳家せん八、立川談生、立川左談次、六代目立川ぜん馬と共に真打昇進、四代目吉原朝馬を襲名。 2021年、「ストップ・オレオレ詐欺47~家族の絆作戦~」プロジェクトチームの特別防犯支援官に任官。
露の 慎悟(つゆの しんご、1949年1月21日 - 201… 露の 慎悟(つゆの しんご、1949年1月21日 - 2018年2月21日)は、兵庫県宝塚市出身の落語家。本名は紺井 重一。 吉本所属。師匠の五郎が吉本を抜けた後もしばらくは吉本だったが競艇の仕事をメインにするためフリーになる。繁昌亭が出来たころから再び落語を演じる機会が増え、他門の若手に稽古を付けたりもしていた。上方落語協会会員。 兵庫県立宝塚高等学校卒業で、桂小枝は後輩に当たる。1967年3月、2代目桂小春団治(後の2代目露の五郎兵衛)に入門、「桂団平」を名乗る。翌年、師匠が露の五郎を襲名したことにより「露の団平」と改名、さらに「露の新五」となり1983年に現在の芸名となる。 露の五郎兵衛門下の二番弟子だが、兄弟子が「立花家千橘」を名乗っており、「露の」の屋号を持つ噺家としては最古参である。
桂 文珍(かつら ぶんちん、1948年〈昭和23年〉12月1… 桂 文珍(かつら ぶんちん、1948年〈昭和23年〉12月10日 - )は、日本の落語家、タレント、司会者。出囃子は『圓馬囃子』。 兵庫県多紀郡篠山町(現:丹波篠山市)福井出身。血液型はA型。2人兄妹の長男(妹1人)。吉本興業所属。大芋小学校、東雲中学校(現:篠山東中学校)、篠山鳳鳴高校を経て、大阪産業大学卒。「桂珍幻彩」の名で高座に上がることもある。 香港を訪問した後、ラジオ番組などで「桂文珍」の漢字を広東語で読んだ「クワイマンツアン」と自己紹介していたこともある。 実家は農家。幼い頃はパイロットに憧れていたが、大学に入学してすぐに父が病気で倒れ、仕送りがストップし、ガソリンスタンドでの住み込みのアルバイトを余儀なくされる。
三笑亭 夢太朗(さんしょうてい ゆめたろう、1948年12月… 三笑亭 夢太朗(さんしょうてい ゆめたろう、1948年12月3日 - )は、落語家。落語芸術協会理事、日本演芸家連合会長。東京都大田区出身。本名∶大石 雅一。出囃子は『勧進帳・舞の合方』、定紋は『夢』の字。 日本学園高等学校卒業。放送作家の高田文夫は高校の同級生。 1967年2月に三笑亭夢楽へ入門し、3月に前座となり夢二と名乗る。 1971年4月、二ツ目昇進。 1981年4月、三遊亭栄馬、桂南八と共に真打昇進し、夢太朗に改名。 2017年8月、四代目三遊亭金馬から引き継ぎ、日本演芸家連合第六代会長に就任。
林家 種平(はやしや たねへい、1948年11月25日 - … 林家 種平(はやしや たねへい、1948年11月25日 - )は、落語家である。落語協会所属の真打。本名:瀬戸口 次男。紋は『花菱』。出囃子は『木賊刈』。 鹿児島県熊毛郡南種子町島間(種子島)出身。1967年、鹿児島県立南種子高等学校卒業。 1969年、初代林家三平に入門する。種子島出身なので、種平と命名された。初高座は、1970年8月、目黒名人会にて。前座時代には立川寸志、林家公平、柳家ほたるの4人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコードを出している。 1974年、林家上蔵と共に二ツ目に昇進。 1985年に桂藤兵衛、古今亭八朝と共に真打昇進。 趣味は、ゴルフ。種子島観光協会「種子島観光大使」。
林家 ばん平(はやしや ばんぺい、1948年11月18日 -… 林家 ばん平(はやしや ばんぺい、1948年11月18日 - )は、元落語家。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
柳家 小袁治(やなぎや こえんじ、1948年(昭和23年)1… 柳家 小袁治(やなぎや こえんじ、1948年(昭和23年)10月12日 - )は、東京都千代田区外神田(神田末広町)出身の落語家。落語協会所属。本名∶関根 誠。出囃子は『おはん』。 千代田区立芳林小学校(現在の千代田区立昌平小学校)、千代田区立練成中学校(現在の千代田区立神田一橋中学校)、東京都立三田高等学校卒業。 高校卒業後の1967年、当時二ツ目で「さん治」といった柳家小三治に弟子入り志願するも、まだ二ツ目で弟子が取れなかったため、その師匠の五代目柳家小さんに入門することを勧められて小さんに入門。前座名「マコト」を名乗る。 1972年11月に柳家さん喬、五街道雲助、金原亭駒三、三遊亭梅生、立川談十郎、三遊亭楽松と共に二ツ目昇進。
桂 富丸(かつら とみまる、1948年10月11日 - )は… 桂 富丸(かつら とみまる、1948年10月11日 - )は、東京都江東区深川出身、落語芸術協会所属の落語家。出囃子は『深川くづし(お富さん)』。本名∶松井 正夫。 1970年12月、四代目桂米丸に入門、前座名・桂麦夫を名乗る。 1976年4月、二ツ目に昇進し、桂富丸と改名。 1985年5月、桂伸乃介と共に真打に昇進。 米丸の弟子らしく、一貫して新作落語中心の高座を務めている。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:舞台芸術/PJ:お笑い)。
三遊亭 右紋(さんゆうてい うもん、1948年10月2日 -… 三遊亭 右紋(さんゆうてい うもん、1948年10月2日 - 2014年1月23日)は、落語芸術協会所属の落語家。東京都中野区出身。本名∶中沢 輝夫。出囃子は『野球拳』。 明治学院大学卒業。三代目柳家権太楼とは明治学院大学落研の同期で、卒業後は大手アパレル企業に就職したが、権太楼(当時ほたる)から三代目三遊亭圓右を紹介されて1972年4月に入門、「右紋」を名乗る。1976年11月、二ツ目昇進。1987年5月、柳亭楽輔と共に真打昇進。 2014年1月23日、胃がんのため死去。65歳没。 バンジョーを高校時代からやっており、このことからトランペットを買った同じ協会の三遊亭小遊三から協会員で作るデキシーバンド(にゅうおいらんず)の話を出され、結成する。
立川 龍志(たてかわ りゅうし、1948年9月17日 - )… 立川 龍志(たてかわ りゅうし、1948年9月17日 - )は、東京都墨田区出身の落語家。本名:大塚 渉。落語立川流所属。出囃子:『砧』。 安田学園高等学校の後輩には三代目古今亭圓菊、九代目春風亭柳枝がいる。
十代目 土橋亭 里う馬(どきょうてい りゅうば、1948年9… 十代目 土橋亭 里う馬(どきょうてい りゅうば、1948年9月16日 - )は、埼玉県岩槻市出身の落語家。本名∶帯津 和夫。落語立川流所属。出囃子は『都囃子』。立川談志没後に落語立川流の代表を務めた。 1967年3月、七代目立川談志に入門。前座名は「談十」。立川談志に初めて入門した直弟子であり、談志一門における事実上の総領弟子。 1972年11月に柳家さん喬、五街道雲助、柳家さん治、金原亭駒三、三遊亭梅生、三遊亭楽松と共に二ツ目に昇進、「立川談十郎」と改名。 1981年9月に林家九蔵、柳家さん八、柳家小袁治と共に真打昇進。十代目土橋亭里う馬を襲名。談志直系の弟子の真打昇進者1号となった。1983年、師匠と共に落語協会を脱退。
林家 パー子(はやしや パーこ、本名:佐藤 粋子、1948年… 林家 パー子(はやしや パーこ、本名:佐藤 粋子、1948年〈昭和23年〉8月13日 - )は、日本のタレント、落語家、写真家、コーディネーター。東京都北区赤羽出身。夫は兄弟子でタレントの林家ペー。夫とともにP&P企画所属。明るいキャラクターと独特な笑い声で、デビュー当初よりお茶の間の人気となった。 元々は演歌歌手を目指しており、タレントになる前は作詞家・石坂まさをに弟子入りし、歌のレッスンを受けていた(藤圭子は妹弟子である)。石坂は、以前から初代林家三平と大の仲良しで家族ぐるみの付き合いがあった。 1968年のある日、石坂に連れられて根岸(台東区)にある三平の自宅に訪れると、三平の妻・海老名香葉子に気に入られた。
4代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1948年7月20日… 4代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1948年7月20日 - )は、大阪府北河内郡寝屋川町(現・寝屋川市)出身の落語家。 桂春団治の当代である。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会相談役。本名∶山城 彰。出囃子は「野崎」。 大阪府立桜塚高等学校在学中の1965年10月、3代目桂春団治宅に電話し入門志願した。しかし春団治から「わしの家はうどん屋やない」とつき返され、数日後に道頓堀角座で出待ちし弟子入りした。高座名は桂春章。1967年3月に高校卒業後、正式に入門し内弟子生活を送る。初舞台は1968年の新世界新花月だったが、途中で施設が火事になった。 1968年2月に4代目桂春之助に改名。テレビ番組「2時のワイドショー」では、ミヤコ蝶々から「はるさん」と呼ばれ、ダメ出しをされる役割で知られた。
笑福亭 仁扇(しょうふくてい にせん、1948年5月20日 … 笑福亭 仁扇(しょうふくてい にせん、1948年5月20日 - )は滋賀県出身の落語家、タレント。本名∶西河 重利。 滋賀県立能登川高等学校卒業後、1972年4月1日に笑福亭仁鶴に入門。所属事務所は吉本興業。上方落語協会会員。草野球チーム「モッチャリーズ」メンバー。デビュー当初からタレントとしても活躍。父は元市議会議員(後に県会議員)。 2017年7月より奇数月に一度、百年長屋(大阪環状線・玉造)にて「長屋寄席」を催している。
クーペ(Coupe、1948年4月18日 - 2020年9月… クーペ(Coupe、1948年4月18日 - 2020年9月2日 )は、日本の男性歌手で元落語家。本名・外浜(本間)良介、山口県下関市出身。 裕福な家庭に育ち、18歳の時に上京、チャーリー石黒に弟子入りするが「お前は、歌よりも話のほうが面白い」と初代林家三平を紹介され入門。当時、サニー・クーペに乗っていて、そこから「林家クーペ」と命名。 落語をやっていたが、酒やギャンブルにのめりこむなど素行不良のため、9度も破門と再入門を繰り返し、ついには落語界から追放。妻子もあったが離婚し「落伍者」になった。 その後、離婚した妻についていった娘(ヘアメイクアーチストとなっていた)からの手紙を受け取ったことをきっかけに、それをもとにした歌詞を作り、音楽上のパートナーの女性が曲をつけ、東京都多摩市でライブハウスを経営しながら、歌手活動を開始した。
ヨネスケ(1948年4月15日 - )は、千葉県市原市出身の… ヨネスケ(1948年4月15日 - )は、千葉県市原市出身の落語家、タレント。
月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年〈昭和23年〉2月… 月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年〈昭和23年〉2月23日 - )は、上方の落語家。上方落語協会顧問。出囃子は『夫婦萬歳』。大阪府大阪市福島区出身、大阪市福島区在住。吉本興業所属。浪商高等学校(現:大阪体育大学浪商高等学校)出身。関西学院大学経済学部オープンカレッジコース(1年)修了。弟子の月亭八光は長男。 子供の頃は病気がちだった。父親は銀行員、母は大衆演劇のファンで、八方が売れてからは地元福島区でお好み焼き屋を営んでいた。妻は大衆演劇出身で、九州にいた頃には吉本新喜劇の木村進と共演経験もあった。 八方自身の子供の頃の夢は、プロ野球選手と漫才師であった。まずはプロ野球選手を目指そうと浪商高校に進学するものの、周りのレベルの高さから夢を断念(2学年上には主将の高田繁がいる)。