ホリ・ヒロシ(1958年1月1日 - )は神奈川県横須賀市出… ホリ・ヒロシ(1958年1月1日 - )は神奈川県横須賀市出身の人形作家・衣装デザイナー。青山学院大学経済学部出身。マネージメントはオスカープロモーション。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
職業がデザイナー:1,089人
ホリ・ヒロシ(1958年1月1日 - )は神奈川県横須賀市出… ホリ・ヒロシ(1958年1月1日 - )は神奈川県横須賀市出身の人形作家・衣装デザイナー。青山学院大学経済学部出身。マネージメントはオスカープロモーション。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木原 庸佐(きはら ようすけ、1958年 - )は、イラスト… 木原 庸佐(きはら ようすけ、1958年 - )は、イラストレーター、キャラクターデザイナー。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業。有限会社ケロケロキング代表取締役。 『ポンキッキーズ』(フジテレビ)発の人気キャラクター、『ゴー!ゴー!コニーちゃん』や、『かいじゅうステップ ワンダバダ』(NHK Eテレ)、UHA味覚糖のお菓子ぷっちょから生まれた「ぷっちょるず」などのキャラクターを手掛ける。 早稲田大学漫画研究会出身。集英社『セブンティーン』、学年誌など雑誌のカットやイラストから活動を開始。 フジテレビのステーションブレイクに採用された「ウクレレマン」から映像分野へのキャラクター制作を開始。1994年、『ポンキッキーズ』に提供したキャラクター、「GO! GO! コニーちゃん」で広く名を知られるようになる。
曽我部 司(そがべ つかさ、1958年 - )は、日本のジャ… 曽我部 司(そがべ つかさ、1958年 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、デザイナー。 北海道出身・在住。北海道札幌東高等学校卒業。1991年から取材活動を開始し、パプアニューギニアのフリ族や旧ユーゴスラビアの民族紛争を取材。94年春にボスニア・ヘルツェゴビナ郊外のスレブレニッツァの取材中に被弾して帰国。その後、チェコ共和国のプラハに取材の地を求める。 チェコ共和国での5年間の取材の後、2000年、『ホッケー69-チェコと政治とスポーツと』を発表し、本作で第9回開高健賞奨励賞を受賞した。2003年には、徹底した取材と検証による書き下ろし作品『北海道警察の冷たい夏-稲葉事件の深層』を発表。
大貫 卓也(おおぬき たくや、1958年 - )は、日本のク… 大貫 卓也(おおぬき たくや、1958年 - )は、日本のクリエイティブディレクター、アートディレクター、グラフィックデザイナー。大貫デザイン代表。多摩美術大学教授。 東京都出身。桐朋高校、多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業(1980年)。同年博報堂入社。新人の頃に任されたとしまえんの仕事でいきなり東京ADC賞を受賞。以降次々と話題作を世に出し「クリエイティブの博報堂」の象徴的存在となる。当時大貫が在籍していた同社の「宮崎グループ」は金鳥のCMなどで知られる電通関西「堀井組」と並ぶ名物チームとして業界にその名を轟かせ、優秀な美大生たちが次々と就職した。そのシンプルで強力な作風は佐藤可士和を初めとする多くのグラフィックデザイナーに影響を与えた。
尾沢 敏明(おざわ としあき、1958年 - 2021年10… 尾沢 敏明(おざわ としあき、1958年 - 2021年10月12日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、政治家。本名は尾澤 敏明(おざわ としあき)。選挙活動等では尾沢 としあき(おざわ としあき)と表記されることもある。 東京都稲城市議会議員(1期)などを歴任した。 1958年(昭和33年)、東京都新宿区にて生まれた。3歳で父を亡くし、以降は母がアパート経営で生計を支えていた。その後、南多摩郡稲城町に転居し、稲城市立稲城中学校、東京都立府中東高等学校を卒業した。1979年(昭和54年)に桑沢デザイン研究所を卒業し、アド・プロジェクトに入社した。その後、クリエイト・リキに移った。
左合 ひとみ(さごう ひとみ、1958年 - )は、日本のグ… 左合 ひとみ(さごう ひとみ、1958年 - )は、日本のグラフィックデザイナー。株式会社左合ひとみデザイン室代表取締役。大阪芸術大学短期大学部客員教授。新潟県燕市の洋食器ブランド「enn」・広島県宮島のもみじ饅頭の「藤い屋」、栃木県下野市の海老原ファームの野菜ブランド「エビベジ」他の『地産デザイン』で地方創生に尽力している。 富山県生まれ岐阜県育ち。1976年、岐阜県立岐阜高等学校を卒業。1980年、東京藝術大学美術学部を卒業。パルコ広告制作局、カメレオンを経て、1989年7月14日、株式会社左合ひとみデザイン室を設立。2003年より2013年までグッドデザイン賞審査委員を務めた。 以下は「第4回エコ・プロダクツデザインコンペ2010」審査員プロフィールによる。
原 研哉(はら けんや、1958年 - )は、岡山県岡山市出… 原 研哉(はら けんや、1958年 - )は、岡山県岡山市出身のグラフィックデザイナー。 武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科教授、株式会社日本デザインセンター代表取締役。日本グラフィックデザイナー協会副会長を務める。広告のほか、アートディレクション、企画、運営も担当。日本的な感性で、余白を生かしたデザインが特徴。 人間の感覚の探究、新素材の魅力の発見など、多彩な発想で活躍。日本人の美意識にもこだわる。現代をデザインの観点から評する著作も多い。 岡山市立弘西小学校、同市立旭中学校、岡山県立岡山操山高等学校を卒業。高校の同級生に、作家の原田宗典、政治学者の山口二郎、元参議院議員の姫井由美子。 1983年武蔵野美術大学大学院修了。
秋田 寛(あきた かん、1958年 - 2012年10月16… 秋田 寛(あきた かん、1958年 - 2012年10月16日)は、日本のグラフィックデザイナー。東京造形大学元教授。デザイン事務所「アキタ・デザイン・カン」代表。 兵庫県出身。東京造形大学デザイン学科卒業。卒業後に田中一光デザイン室の試験を受けて不合格となり、学生時代にアルバイトをしていた株式会社プラントピアに就職して3年間ほど務めた。その後田中一光デザイン室を経て、1991年アキタ・デザイン・カン設立。日本グラフィックデザイナー協会新人賞、1993年東京アートディレクターズクラブ原弘賞、1996年ニューヨークADC銀賞、1994年現代日本日本デザイン展(韓国国立現代美術館)出品、グラフィック・ウェイブ1997出品、1999年個展「YAKUMONO」など、受賞・展覧会多数。
まつやま たかし(本名:松山孝司、1957年〈昭和32年〉1… まつやま たかし(本名:松山孝司、1957年〈昭和32年〉11月17日 - )は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー。岐阜県在住。 関市立関商工高等学校、日本デザイナー学院名古屋校イラストレーション専科を卒業。1978年、広告代理店に勤務。鳥山明から直々にスカウトを受け、1981年にバード・スタジオへ転職。鳥山の2代目アシスタントとして、『Dr.スランプ』後半から『ドラゴンボール』までの作品に関わる。『Dr.スランプ』ではペンギン村の建物や風景、『ドラゴンボール』では亀仙人の家、ナメック星などの背景画を担当。また、『Dr.スランプ』作中に本人として登場している。 イラストレーターとして独立。
加藤 靖隆(かとう やすたか、1957年5月11日 - 20… 加藤 靖隆(かとう やすたか、1957年5月11日 - 2014年9月10日 )は、東京都品川区生まれのアートディレクター、グラフィックデザイナー。株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントを経て、1994年5月11日に有限会社ゴースト・ランチ・スタジオ設立、主宰。 ロサンゼルスのロッド・ダイヤー・デザイン事務所、東京の日本デザインセンター、エピックレコードジャパン、ソニー・ミュージックレコーズなどの勤務を経て、1994年にフリーのグラフィックデザイナーとなる。1982年発売のシャネルズ(現:ラッツ&スター)のアルバム『SOUL SHADOWS』を皮切りに、本格的にジャケット・デザインを始める。
太田 岳(おおた がく、1957年1月31日 - )は、日本… 太田 岳(おおた がく、1957年1月31日 - )は、日本のCIデザイナー。 日本デザインセンター ブランドデザイン研究所 クリエイティブディレクター。 北海道伊達市出身。武蔵野美術大学卒業。アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン(L.A.)卒業。CBS、S&Oコンサルタント、プリモ・アンジェリなど、ニューヨーク、サンフランシスコでCIデザイン会社数社に勤務。帰国後、日本デザインセンターに入社。
南井健治(みない けんじ、1957年〈昭和32年〉 - )は… 南井健治(みない けんじ、1957年〈昭和32年〉 - )は日本の鉄道車両デザイナーである。 京都府京都市生まれ。京都府立山城高等学校、京都市立芸術大学卒。 1979年(昭和54年)京都市立芸術大学卒業後は近畿車両に入社。 鉄道国際デザインコンペティション「ブルネル賞」を1994年に受賞した、JR西日本の281系電車「はるか」の開発にも携わる。 担当した車両はJR九州の783系電車、JR北海道のフラノエクスプレス、特急「サンダーバード」シリーズの681系と683系、221系や223系などの新快速シリーズと共に281系「はるか」、283系「オーシャンアロー」も担当。 私鉄のプロジェクトでは、近畿日本鉄道のデザインに従事し、シリーズ21各形式、初代アーバンライナーとアーバンライナーnextも手掛けている。
藤田 重信(ふじた しげのぶ、1957年 - )は、日本の書… 藤田 重信(ふじた しげのぶ、1957年 - )は、日本の書体デザイナー。フォントワークス所属。 福岡県生まれ、筑陽学園高等学校デザイン科卒。レタリングの授業での教師のアドバイスから、高校を卒業してすぐの1975年に株式会社写研文字デザイン部門に入社。1998年にフォントワークス株式会社に入社し、筑紫書体ほか数多くの書体開発を行う。
清水 泰博(きよみず やすひろ、1957年 - )は日本の建… 清水 泰博(きよみず やすひろ、1957年 - )は日本の建築士、デザイナー。京都府出身。 プロダクトからインテリア、建築、ランドスケープ、都市環境デザインまでを手がける建築士、デザイナー。 1957年生まれ、京都府京都市出身。父は金属彫刻家の清水九兵衛。1981年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1983年東京芸術大学大学院美術研究科修了。黒川雅之建築設計事務所を経てSESTA DESIGNを設立。 2002年に東京芸術大学デザイン科助教授に就任。 主な作品は「御母衣ダムサイドパーク・御母衣電力館」(岐阜県)、「月見橋」(静岡県)、「平和の交響」(兵庫県)など。環境芸術大賞受賞(1991、95)ほか受賞。
澁谷 克彦(しぶや かつひこ、1957年 - )は、東京都出… 澁谷 克彦(しぶや かつひこ、1957年 - )は、東京都出身の日本のグラフィックデザイナー。2017年の独立まで、資生堂宣伝部で多くのブランド広告などを手がけた。女子美術大学教授。 1957年東京生まれ。1981年東京藝術大学デザイン科卒業。同年、資生堂宣伝部入社。化粧品をはじめとした広告デザイン、アートディレクション、CIデザインなどを多数手がける。2012年、資生堂のグローバルブランド「SHISEIDO」のイメージポスターで第14回亀倉雄策賞を受賞。 2017年3月に資生堂を退社、フリーとなる。同年4月より女子美術大学教授。
板東 孝明(ばんどう たかあき、1957年 - )は日本のグ… 板東 孝明(ばんどう たかあき、1957年 - )は日本のグラフィックデザイナー。武蔵野美術大学基礎デザイン学科教授。同大学で向井周太郎に学ぶ。卒業後、清原悦志の下でタイポグラフィを学び、1985年に独立、郷里の徳島に事務所を開設。デザイナーとして多くのブックデザイン、CI、ポスターなどを手がける。近年はバックミンスター・フラーの シナジェティクス理論、次世代のOSとして「竹」という素材に着目し、研究、応用開発に従事している。美脚。
田坂 好生(たさか よしお、1957年 - )は、建築家、デ… 田坂 好生(たさか よしお、1957年 - )は、建築家、デザイナー。一級建築士。クリスチャン。静岡市出身。 野村設計時代(1981〜1984) この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山中 俊治(やまなか しゅんじ、1957年 - )は日本のイ… 山中 俊治(やまなか しゅんじ、1957年 - )は日本のインダストリアルデザイナー。東京大学生産技術研究所教授。 愛媛県出身。エンジニアリングとアートの接点としてのデザインを主軸とし、機構設計までこだわりのあるデザインを多く提案している。千葉工業大学未来ロボット技術研究センター (fuRo) 等のロボットのデザインも手がける。日本産業デザイン振興会グッドデザイン賞審査副委員長、審査委員を歴任。 学生時代には東大まんがくらぶに所属し、スポーツ漫画を描いていた。プロの漫画家を目指したこともある。「ものづくりと絵を描くことの中間点」にある仕事としてインダストリアルデザインに興味を持ったという。日産自動車にデザイナーとして入社する際、ポートフォリオを持っていなかったが、学生時代に書き溜めた漫画を見せた。
原 正次(はら まさつぐ、1956年7月20日 - )は日本… 原 正次(はら まさつぐ、1956年7月20日 - )は日本のジュエリーデザイナー。 日本人で初めてパリ・オートクチュール・コレクションにてジャン・ルイ・シェレルのジュエリー部門のデザインをした。 代表作は、人間工学に基づき、指に沿うよう楕円形に設計された<APIリング>である。これは構造上の特許を取得している。 ㈱セスタディカラッチジャパンHP「Designer's Profile」(http://www.karati.net/jp/profile.html) 時計宝飾美術新聞社「情報ア・ラ・カルト!!」2007年7月5日 Gulf Times新聞社「Gem of a Designer」2009年2月20日 MPP-ME社「Karati sets its sights on the Middle East」2010年1月30日 Fashion Street「セスタ・ディ・カラッチ、パリ・オートクチュールコレクションに初参加」]2003年2月14日
長澤 均(ながさわ ひとし、1956年3月30日 - )は、… 長澤 均(ながさわ ひとし、1956年3月30日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、ファッション史家、オンライン古書店mondo modern(モンド・モダーン)運営者。 埼玉県出身。武蔵野美術大学卒業。1981年にカルチャー雑誌『papier colle』を創刊し、また、同名のデザイン事務所を設立した。4号で廃刊すると創刊号で告知した同誌は1996年の3号まで刊行され、4号目は刊行されていない。川崎市市民ミュージアムでの「バウハウス展」など、展覧会の図録やポスターを制作しているほか、デザインやファッションに関する論考を雑誌に寄稿している。著書に『倒錯の都市ベルリン』や『昭和30年代モダン観光旅行』などがある。
稲吉 紘実(いなよし ひろみ、1956年(昭和31年) - … 稲吉 紘実(いなよし ひろみ、1956年(昭和31年) - )は、日本のCIデザイナー。ブランディングデザイナー、グラフィックデザイナー、アートディレクター、クリエイティブ・ディレクター、ソーシャルデザイナー、芸術家、絵本作家、児童文学作家、教授、音楽監督。 グラフィックデザイン、特にマーク・ロゴを中心とした企業、団体のコーポレートアイデンティティ(Corporate Identity,CI)デザインを1980年代後半から、個人のパーソナルマーク-PI(Personal Identity)デザインも1990年代後半から行う。
駄場 寛(だば かん、1956年 - )はイラストレーター、… 駄場 寛(だば かん、1956年 - )はイラストレーター、CGデザイナー。通称ダバカン。愛媛県出身。大阪芸術大学デザイン学科卒。上京後、出版社などを経てフリーとなる。
中村 元(なかむら はじめ、1956年 - )は、日本各地の… 中村 元(なかむら はじめ、1956年 - )は、日本各地の水族館で開業・リニューアル時に展示施設のデザイン・構成などのプロデュースを業として手がけるフリーランスの「水族館プロデューサー」である。水族館に関する一般向けの書籍の執筆を手がけるエッセイストとしても活動している。特定非営利活動法人伊勢志摩バリアフリーツアーセンター理事長。NPO法人 伊勢志摩NPOネットワークの会会長。東京コミュニケーションアート専門学校教育顧問(ドルフィントレーナー学科講師)。 大学でマーケティングを学んだ中村元は、生き物や水族館は全く知らなかったが、鳥羽水族館に勤務して創設者で初代館長中村幸昭の影響を受け頭角を現し、鳥羽水族館のリニューアルに成功する。
難波 治(なんば おさむ、1956年 - )は、日本のカーデ… 難波 治(なんば おさむ、1956年 - )は、日本のカーデザイナー。スズキやSUBARUといった自動車メーカーのデザイナー、コンサルタントとして活動したのち、東京都立大学の教員(教授)となる。 1956年(昭和31年)に生まれる。出身地は東京都で、筑波大学では芸術専門学群生産デザインを専攻。卒業後の1979年(昭和54年)4月に鈴木自動車株式会社(現・スズキ株式会社)へと入社した。軽自動車のマイティボーイやアルト(2代目)、セルボモード、ワゴンRの開発に関与。スケッチから起こしたコンセプトカー「R/S1」は第26回東京モーターショーに出展され、自動車雑誌『カーグラフィック 1986年1月号』の表紙を飾るほどの注目を集めた。
奥 明栄(おく あきよし、1956年 - )は、日本の自動車… 奥 明栄(おく あきよし、1956年 - )は、日本の自動車技術者、レーシングカーデザイナー、実業家。京都市出身。同志社大学理工学部中退。 2025年現在は東レ・カーボンマジック代表取締役社長を務める。 大学で自動車部に在籍していたことから、大学3回生のときにその流れで童夢でアルバイトを始める。結局大学は中退し、そのまま童夢に就職。以後童夢でレーシングカーの設計に従事し、童夢が開発を受託していたトヨタのグループCカーなどを担当。1990年代に童夢が独自開発していた一連のフォーミュラカーでは設計主任(チーフデザイナー)を務めた。 2001年に、童夢が外部のレーシングカー製造会社(有限会社ウィスカー)を買収し「童夢カーボンマジック」として子会社化すると、同社の社長に就任。
天野 忠夫(あまの ただお、1956年 - )はミラノを拠点… 天野 忠夫(あまの ただお、1956年 - )はミラノを拠点とする日本人のデザイナー。1987年よりイタリアと日本で活動開始。1991年よりStudioTAD (ミラノ)代表。師事したイタリア人建築家やデザイナーの影響で、プロダクト・デザインからインテリア・空間デザイン、景観デザインまで手がける。ローゼンタール社(独)から日本人として初めて陶磁器のシリーズが製品化される。作品はデザイン・ミュージアム(ロンドン)などに展示され、雑誌ドムスで紹介される。空間デザインではミラノサローネでのレクサス展などの展示会・見本市での企画・運営を担当。ミラノ工科大学などで教育活動にも従事。デザイン誌などに寄稿。特にミラノサローネは1987年より継続して視察し、2005年よりミラノサローネの主催者COSMITの日本マーケットPRのコンサルタントを担当。
深澤 直人(ふかさわ なおと、1956年 - )は、日本のプ… 深澤 直人(ふかさわ なおと、1956年 - )は、日本のプロダクトデザイナー。日本民藝館館長。多摩美術大学副学長。2022年、一般財団法人THE DESIGN SCIENCE FOUNDATION 設立。 山梨県出身。山梨県立甲府工業高等学校卒業。御茶の水美術学院で浪人生活を送る。多摩美術大学美術学部プロダクトデザイン科卒。 人の想いを可視化する静かで力のあるデザインに定評があり、国際的な企業のデザインを多数手がける。電子精密機器から家具、 インテリアに至るまで手がけるデザインの領域は幅広く多岐に渡る。デザインのみならず、その思想や表現などには国や領域を超えて高い評価を得ている。 ±0デザイナー。
木村 博之(きむら ひろゆき、1956年 - )は、日本のグ… 木村 博之(きむら ひろゆき、1956年 - )は、日本のグラフィックデザイナー。株式会社チューブグラフィックス代表。 日本におけるインフォグラフィックスの第一人者。 1956年、宮城県女川町生まれ。宮城県石巻高等学校、明治大学卒。 1986年2月25日に株式会社チューブグラフィックスを設立し、代表取締役を務める。 1998年に長野オリンピックにて競技インフォグラフィックスをコンセプトとする『長野オリンピック公式ガイドブック』をはじめとする企画デザインを制作した。 光村図書出版の令和2年度版小学校教科書「国語」の小学校4年向け教科書に著作「思いやりのデザイン」が掲載されている。 現在はインフォグラフィックスやコンセプトデザインを提供する本職の他に、1998年から千葉大学工学部デザイン工学科非常勤講師、2012年から東北工業大学ライフデザイン学部クリエイティブデザイン学科非常勤講師、2015年から明治大学情報コミュニケーション学部兼任講師を務め、社会人向けのセミナーやワークショップも開いている。
吉谷桂子(よしや けいこ、1955年12月25日 - )は、… 吉谷桂子(よしや けいこ、1955年12月25日 - )は、日本の園芸研究家、ガーデンデザイナー。 1955年12月25日、東京都新宿区生まれ。日本大学芸術学部美術学科ヴィジュアルデザイン科卒。広告美術デザイナーを経て1992年にイギリスに渡る。帰国後、イギリスでの滞在経験を生かし、園芸関係の分野でデザイン、著作などを行う。
山口 裕子(やまぐち ゆうこ、1955年10月24日 - )… 山口 裕子(やまぐち ゆうこ、1955年10月24日 - )は、高知県高知市出身のキャラクターデザイナー。第3代ハローキティデザイナー。サンリオ所属。サンリオでの役職は取締役キャラクター制作部長。 中学2年生のとき、美術の先生に美大進学を勧められ、高校に入ると同時にデッサン教室に通い始める。高校3年生のとき、「HOW ABOUT MILK?」という猫の絵で高知県の県展の褒状を受賞。女子美術大学に合格し、大学進学のために上京する。1978年、女子美術大学芸術学部産業デザイン科デザイン専攻卒業。 1978年、サンリオに入社。1980年、ハローキティの3代目デザイナーに就任する。本人によれば、最初はキティはあまり好きではなく、キキララのほうが好きだったという。
おーくん・あきら(1955年8月30日 - )は、日本のデザ… おーくん・あきら(1955年8月30日 - )は、日本のデザイナー、アートディレクター、デザイン教育者、大学教員。本名は、大久保 晃。元サンミュージックプロダクション所属。特定非営利法人「日本障害者芸術支援協会」理事長、湘南スタジオ代表。 東京都文京区出身。1974年、東京都立大泉高等学校卒業。1975年、筑波大学芸術専門学群入学。デザイン学者の高山正喜久に師事し、構成学を専攻する。筑波大学卒業後、特殊法人国際協力事業団(JICA・現在の国際協力機構)から中米のホンジュラス共和国に派遣され、ホンジュラス国立自治大学、ホンジュラス国立美術学校にて2年間デザイン教育に携わる。1981年に帰国後、デザイン業務、制作・発表とデザイン教育を続ける。
土居 孝幸(どい たかゆき、1955年6月30日 - )は、… 土居 孝幸(どい たかゆき、1955年6月30日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、キャラクターデザイナー。別名に土井バグユキ。 愛媛県宇和島市出身。千葉県立木更津高等学校、早稲田大学法学部卒業。早稲田大学漫画研究会出身。通称「どいん」、「土居ちゃん」。血液型はB型。 ハドソンのコンピュータゲーム「桃太郎シリーズ」(『桃太郎伝説』・『桃太郎電鉄』など)のキャラクターデザインや『ジャンプ放送局』の作画で知られる。 早稲田大学時代に漫画研究会に所属。大学卒業後、イラストレーターとして活動。また、漫画家としての活動経験もあり、1981年、月刊少年誌『少年ジェッツ』(白泉社)にて「ぶりっ子!リトル」(創刊号から連載)、月刊少年誌『100てんコミック』(双葉社)で「3年B組ガジャ夫くん」を連載した。
成願 義夫(じょうがん よしお、1955年6月10日 - )… 成願 義夫(じょうがん よしお、1955年6月10日 - )は、日本の着物図案家、伝統文様研究家、和装研究家、壁面装飾画家、アートディレクター、グラフィックデザイナー、伝統産業商品開発アドバイザー。 和文化デザイン思考講師。株式会社京都デザインファクトリー社長。
鳥山 明(とりやま あきら、1955年〈昭和30年〉4月5日… 鳥山 明(とりやま あきら、1955年〈昭和30年〉4月5日 - 2024年〈令和6年〉3月1日)は、日本の漫画家、デザイナー。 プロダクションはBIRD STUDIO(バード・スタジオ)。愛知県西春日井郡清洲町(現・清須市)出身。妻は少女漫画家のみかみなち。 代表作の『Dr.スランプ』の累計発行部数は3000万部を記録、『ドラゴンボール』は2億6000万部を記録、『ドラゴンクエストシリーズ』は、8,800万本の出荷本数を記録している。 日本の漫画が海外で「MANGA」と呼ばれ、世界に広まるきっかけを作った先駆者であり、数多くの文化に影響を与え、「伝説の漫画家」「史上最も影響力のある漫画家」と評価されている。
高田 明美(たかだ あけみ、1955年3月31日 - )はア… 高田 明美(たかだ あけみ、1955年3月31日 - )はアニメや装幀画で活動する日本のイラストレーター、宝飾デザイナー。
保坂 嘉弘(ほさか よしひろ、1955年3月30日 - )は… 保坂 嘉弘(ほさか よしひろ、1955年3月30日 - )は、日本の雑誌編集者、ゲームデザイナー、実業家。株式会社マッグガーデン代表取締役会長。持株会社であるIGポートの取締役を兼任。 秋田県出身。亜細亜大学経済学部卒業後、漫画原作者、ゲームデザイナーを経て1984年にエニックス(現スクウェア・エニックス)入社。元々はゲームプロデューサーであったが、コミック部門創設に参加し、『月刊少年ガンガン』の初代編集長となる。『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』の作家を主軸に、『週刊少年ジャンプ』など既存の少年誌や児童誌を参考にしつつ、ファンタジー色の強い少年漫画とギャグ漫画を前面に押し出して混沌とした独特の誌面を作り上げた。
大石 一雄(おおいし かずお、1955年2月23日 - )は… 大石 一雄(おおいし かずお、1955年2月23日 - )は、日本の玩具工業デザイナー。 東京都出身。プレックスに所属し、超合金をはじめとする男児キャラクター商品デザインに数多く携わった。 少年時代から車や飛行機を描くのを好み、『サンダーバード』や映画『2001年宇宙の旅』を見て、宇宙船の設計に憧れを持ち、工業デザインにも目覚める。少年時代から居住している世田谷区周辺には円谷プロ、東宝ビルト、栄スタジオ、エキスプロなど特撮関連のプロダクションが数多く存在し放課後によく見学に訪れ特撮製作の現場にも親しんだ。高校時代から工業デザイナーを志望し、大学は日本大学芸術学部美術学科工業デザインコースに入学する。
兼子 真也(かねこ しんや、1955年1月6日 - )は、日… 兼子 真也(かねこ しんや、1955年1月6日 - )は、日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、造形作家。E.ART.H (アース) 代表。山形県河北町出身。血液型はO型。 兼子一は従伯父、兼子仁は再従兄。
佐藤 卓(さとう たく、1955年 - )は、日本のグラフィ… 佐藤 卓(さとう たく、1955年 - )は、日本のグラフィックデザイナー。パッケージデザイン、グラフィックデザイン、アートディレクションを中心に活動する。東京都杉並区出身。TSDO Inc.主宰、21_21 DESIGN SIGHTディレクター・館長、日本グラフィックデザイン協会(JAGDA)六代目会長、京都芸術大学学長。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」のアートディレクター、「デザインあneo」総合指導。 東京ADC・東京TDC・JAGDA・日本デザインコミッティー・AGI会員。 1955年、東京都生まれ。練馬区立関町北小学校、練馬区立石神井西中学校、東京都立豊多摩高校(第26期生)卒業。御茶の水美術学院を経て、東京芸術大学に入学。
山﨑 和彦(やまざきかずひこ、1955年 - )は、日本の研… 山﨑 和彦(やまざきかずひこ、1955年 - )は、日本の研究者・編集者・教育者・デザイナー。千葉工業大学教授、武蔵野美術大学教授を歴任。 学位は博士(芸術工学)(神戸芸術工科大学・2002年)。神奈川県平塚市生まれ。 神奈川県立平塚江南高等学校卒業(1974年)。東京理科大学理学部応用数学科中途退学(1975年)。京都工芸繊維大学工芸学部意匠工芸科卒業(1979年)。 神戸芸術工科大学大学院芸術工学研究科博士課程単位取得満期退学(2001年)。神戸芸術工科大学大学院芸術工学研究科より博士(芸術工学)の学位を取得(2002年)。東京大学大学院新領域創成科学研究科博士後期課程単位取得満期退学(2006年)。
古場田 良郎 (こばた よしろう、1955年 - )は、日本… 古場田 良郎 (こばた よしろう、1955年 - )は、日本のプロダクトデザイナー。デザインコンサルタント。 公益社団法人日本インダストリアルデザイナー協会正会員、公立大学法人金沢美術工芸大学非常勤講師。
中山 眞琴(なかやま まこと、1955年 - )は、日本の建… 中山 眞琴(なかやま まこと、1955年 - )は、日本の建築家・インテリアデザイナー。北海道出身。株式会社中山眞琴アーキテクツ代表。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
永島譲二(ながしま じょうじ、1955年 - )は、ドイツ・… 永島譲二(ながしま じょうじ、1955年 - )は、ドイツ・ミュンヘン在住の自動車デザイナー。 カーグラフィック誌で「名車の残像」を連載した後単行本として上梓、現在は同誌で「駄車・名車・古車 デザイナー的見解」を連載中。 東京生まれ。高校1年生の頃デザイン雑誌を見ていて千駄ヶ谷にあったデザインスクールを見つけ、その自動車デザイン科に週1回ほど通ったという。1978年に武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科卒業後、ミシガン州デトロイトに親戚がいたことから訪ねて行くのを兼ねてウェイン州立大学(Wayne State University )に進学した。1980年初夏に同大学工業デザインの修士課程を修了し、オペルに就職した。
森 まさあき(もり まさあき、1955年 - 2025年3月… 森 まさあき(もり まさあき、1955年 - 2025年3月24日)は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。静岡県静岡市出身。本名、森雅章。 東京造形大学名誉教授。日本アニメーション協会副会長。数多くのSFX(特殊効果映像)、アニメーションCMを手がける。日本におけるクレイアニメーションの第一人者。 中央大学商学部会計学科卒業。レイ・ハリーハウゼンに触発されて、大学在学中から8mmフィルムによるコマ撮り怪獣映画の自主制作を独学にて始める。「CMシリーズ」(1976年)でFUJI FILM主催 FUJI8mmコンテスト1977年「学生賞」、「麻婆豆腐との遭遇」(1977年)でPARCO主催JPCFコンテスト1977年「PARCO賞」など受賞。
荻野 いづみ(おぎの いづみ、1954年12月30日 - )… 荻野 いづみ(おぎの いづみ、1954年12月30日 - )は、日本のファッションデザイナー。ファッションブランドANTEPRIMA(アンテプリマ)のクリエイティブ・ディレクターを務める。1998年からミラノコレクションに公式参加している。 夫はフェニックス・ホールディングス会長の荻野正明。 東京都出身。新宿の一等地に土地を保有する裕福な家庭の長女として誕生する。祖父は銀座で帯屋・帯吉(おびよし)を営んでいた。学生時代には同店にてアルバイトをし、日本の伝統美に触れながら自然にビジネスセンスを培った。中学から成城学園に進学する。 内部進学した成城大学文芸学部3年時、20歳で学生結婚。事業家である夫の仕事の都合で渡米(大学は1976年に中退)。
土井中 照(どいなか あきら、1954年12月28日 - )… 土井中 照(どいなか あきら、1954年12月28日 - )は、日本の著作家、グラフィックデザイナー、プランナー。本名、田中 晃(たなか あきら)。 愛媛県今治市出身。同志社大学文学部中退。同県松山市のデザイン会社でデザイナー、プランナー、その後田窪工業所で宣伝課長を務める。2002年にフリーライターとして独立。四国にまつわる歴史と文化の豊富な知識を活かし、執筆のみならず商品開発、ウェブサイト作成、CD制作、講演、テレビ・ラジオ出演など活動は多岐にわたり、地元メディアから「愛媛の雑学王」とも呼ばれる。 1980年にパルコ出版主催の日本パロディ展でポスター「I LOVE TOKYO」が佳作、2003年に今治城築城・開町400年シンボルマーク公募で最優秀賞。
隈 研吾(くま けんご、1954年〈昭和29年〉8月8日 -… 隈 研吾(くま けんご、1954年〈昭和29年〉8月8日 - )は、日本の建築家(一級建築士)、デザイナー。株式会社隈研吾建築都市設計事務所主宰。東京大学特別教授。高知県立林業大学校校長。岐阜県立森林文化アカデミー特別招聘教授。一般社団法人日本ウッドデザイン協会会長。福岡県北九州市アドバイザー。 1990年代半ば以降(ゆすはら座関連設計以降)、木材を使うなど「和」をイメージしたデザインを旨としており、「和の大家」とも称される。著名な親族として、妻・篠原聡子(建築家)のほか、遠い親戚の後藤勇吉(航空機パイロット)がいる。 神奈川県横浜市港北区大倉山出身。三菱金属鉱業(現・三菱マテリアル)のサラリーマンであった父親(長崎県大村市出身で東京・日本橋育ち 先祖は大村藩の重臣)が45歳の時の息子で、医院を営んでいた母方の祖父が建てた大倉山駅近くの古い家で育つ。
廣村 正彰(ひろむら まさあき、1954年8月6日 - )は… 廣村 正彰(ひろむら まさあき、1954年8月6日 - )は、日本のグラフィックデザイナー。愛知県安城市出身。 田中一光に師事。同デザイン室を経て、1988年に廣村デザイン事務所を設立。日本デザイナー協会新人賞、N.Y.ADC 9th International Annual Exhibition銀賞受賞、2008年 KU/KAN賞受賞、2009年 毎日デザイン賞受賞など受賞多数。サインデザインを数多く手がけている。東京工芸大学芸術学部教授(~2018年)、多摩美術大学美術学部客員教授(2016年~)、名古屋造形大学客員教授として出講するほか、特種東海製紙など多くでアートディレクター(AD)を務める。
石橋勝久 (いしばし かつひさ、1954年7月6日 - )は… 石橋勝久 (いしばし かつひさ、1954年7月6日 - )は、日本の画家・グラフィックデザイナー。フォトコラージュ、フォトモンタージュ作品でデビュー。ドイツ留学からの帰国後は油彩にて具象や抽象画を描く。大学、専門学校で非常勤講師を務める傍ら、絵画教室(ABC美術研究所)を主宰し、自ら指導している。 愛知県碧南市で出生後、武蔵野美術大学油絵学科卒業。名古屋デザイナー学院(1995年~2007年)名古屋総合デザイン専門学校(1996年~2005年)名古屋芸術大学にて講師を勤める。1994年エンバ美術コンクール国立国際美術館賞をはじめに連続9回受賞する。1996年大阪トリエンナーレ1996̶絵画(関西ドイツ文化センターデュッセルドルフ特別賞)を受賞し、ドイツ留学。
黒澤 和子(くろさわ かずこ、1954年4月29日 - )は… 黒澤 和子(くろさわ かずこ、1954年4月29日 - )は、日本の映画衣裳デザイナー、エッセイスト。 東京都出身。黒澤明の長女。兄は黒澤久雄。元夫は俳優の加東大介の息子の加藤晴之。長男は俳優加藤隆之、次男は画家加藤秀之。三男は黒澤爽。 成城学園高等学校中退、サン・デザイン研究所、伊東衣服研究所デザイン課卒業、イタリア在住後デザイン会社を設立も、母の死を機に黒澤プロダクションを手伝う。 父黒澤明存命中は株式会社黒澤プロダクションにて、父の秘書的仕事をする。1988年父親の進言で映画界に入り、『夢』から黒澤組の衣裳担当。 2019年、『万引き家族』の衣裳デザインで第69回芸術選奨文部科学大臣賞(映画部門)受賞。