上野火山(うえの かざん、1958年12月14日 - )は、… 上野火山(うえの かざん、1958年12月14日 - )は、日本の劇作家・翻訳家・演出家・俳優。「Drama Project 空中スケッチ」主宰。法政大学文学部日本文学科「比較演劇学」講師。 岩手県出身。岩手県立一関第一高等学校卒。 慶應義塾大学文学部哲学科在学中より、演劇活動を開始し、演出家・奈良橋陽子に師事。演劇集団UPS(あっぷす)の創設に参加。Method Acting(メソッド演技法)を修得し、俳優としてキャリアを積む。その後、ドラマ性の高い脚本と音楽性の高い演出で独自の世界を創造している。 父は作家・上野霄里。動物行動学者・上野吉一は実弟。
池田 政之(いけだ まさゆき、1958年11月28日 - )… 池田 政之(いけだ まさゆき、1958年11月28日 - )は、日本の脚本家、劇作家、演出家。兵庫県西脇市出身。劇団NLT文芸演出部所属。日本演劇協会会員(1995年)。日本劇作家協会会員(2011年)。日本舞踊藤間流名取。 兵庫県立西脇高等学校、京都産業大学を卒業。劇団NLT入団。1985年『物言へぬ鸚鵡の兄弟』で劇作家デビュー。 1989年(平成元年)にNLT退団、フリーとなり、主に商業演劇で活躍。東西ほとんどの大劇場から、新劇、小劇場、時代劇、現代劇、喜劇、悲劇などジャンルを一切問わない幅の広さがある。その後、2006年(平成18年)にNLT文芸演出部に復帰。 2011年(平成23年)に地元である兵庫県西脇市より西脇市文化賞、2016年(平成28年)に中村美律子『長編浪曲歌謡・無法松の恋〜松五郎と吉岡夫人』で第58回日本レコード大賞企画賞(作詞担当)、2019年(平成31年)『やっとことっちゃうんとこな』他の作・演出で第20回テアトロ演劇賞を受賞、2025年(令和7年) 演劇論文『弁慶の足 ~十三代目市川團十郎白猿はなぜ左足を上げたのか』にてシアターアーツ賞佳作受賞。
山内 ケンジ(やまうち ケンジ、1958年11月2日 - )… 山内 ケンジ(やまうち ケンジ、1958年11月2日 - )は、日本のCMディレクター、舞台演出家、劇作家、映画監督。本名は山内 健司(読み同じ)で、かつてはこの名義で活動。 1958年東京都生まれ。早稲田大学卒業。1983年、電通映画社入社。1992年フリーを経て、黒田秀樹事務所所属(2019年まで)。CMのみならず、ショートフィルムや舞台の作・演出もこなす。 演劇公演を行う際のユニット名は、城山羊の会。2008年に深浦加奈子が死去するまで、脚本・演出=山内ケンジ、主演=深浦加奈子、を定則に公演を行ってきた。 演劇に携わるようになってからは、劇団青年団に同姓同名の役者がいるため、名義を「山内ケンジ」と片仮名表記するようになった。
鎌田 真由美(かまた まゆみ、1958年10月8日 - )は… 鎌田 真由美(かまた まゆみ、1958年10月8日 - )は、日本のミュージカル女優、振付家、演出家、ミュージカル俳優の育成者である。 1977年劇団四季入所。『Cats』日本オリジナルキャスト。『ウエストサイド物語』『コーラスライン』等でメインキャストを演じ、カンパニー内でダンスキャプテン、講師としてダンス指導に尽力、13年間劇団四季のダンス強化に努めた。1990年劇団四季退団。 後、振付家として、ミュージカル、コンサート、テーマパーク等を手掛け、その作品は、文化庁芸術祭賞、読売演劇大賞優秀作品賞等を受賞している。2006年、チャリティーミュージカルユニット「CARE-WAVE-AID」設立のための実行委員会を設立。
松村 あゆみ(まつむら あゆみ、1958年9月22日 - )… 松村 あゆみ(まつむら あゆみ、1958年9月22日 - )は、日本テレビ制作局ドラマセンター調整担当副部長所属のテレビプロデューサー、脚本家、演出家である。東京都出身。 1982年、早稲田大学仏文科卒業後、日本テレビに入社。入社後はテレビドラマのアシスタントディレクター・アシスタントプロデューサーを経て1987年、若手ディレクターの登用のフレッシュドラマシリーズ『ガラスの観覧車』で演出デビュー。 以後は、火曜サスペンス劇場や2時間ドラマなどのプロデューサーを担当している。
水田 伸生(みずた のぶお、1958年8月20日 - )は、… 水田 伸生(みずた のぶお、1958年8月20日 - )は、テレビドラマ演出家、映画監督。元日本テレビ放送網執行役員情報・制作局専門局長、元日テレアックスオン執行役員。 広島県広島市南区出身。広島市立舟入高等学校(28期生)時代はバレーボール部で全国大会にも出場した。原田真二は高校の同級生。日本大学芸術学部演劇学科卒業後、1981年に日本テレビに入社した。入社後はテレビドラマの制作に携わる。『池中玄太80キロ』等の助監督を経て、明石家さんまと組んだ『恋も2度目なら』(1995年)、『恋のバカンス』(1997年)、『甘い生活。』(1999年)のチーフ演出等で注目を集め、『奇跡のロマンス』(1996年)、『お熱いのがお好き?』(1998年)等、主にホームコメディを得意とした。
二代目 一条 さゆり(にだいめ いちじょう さゆり、1958… 二代目 一条 さゆり(にだいめ いちじょう さゆり、1958年8月9日 - )は、日本の女優、新劇女優、ストリッパー、コラムニスト、著作家、作家、脚本家、演出家、香港映画研究家、中国問題評論家。 1980年代初め頃から萩尾なおみ名義でピンク映画を中心に活躍。その後ストリッパーに転身して、その世界では伝説的な存在であった、一条さゆりの二代目を襲名した。本名は萩尾菜穂美。 ストリップとしての出し物は、ろうそくを片手に持ち、自らの体に蝋を振りかけるという初代から受け継いだろうそくショー、縄による縛りなどのSMパフォーマンスの他、水割りの入った巨大なワイングラスの中に入って、グラスをレンズ代わりにして下半身を客に大きく見せて、わかめ酒は観客にふるまうという芸があった。
鴻上 尚史(こうかみ しょうじ、1958年8月2日 - )は… 鴻上 尚史(こうかみ しょうじ、1958年8月2日 - )は、日本の劇作家・演出家である。元・日本劇作家協会会長(代表理事)、日本劇団協議会・日本演出者協会理事。桐朋学園芸術短期大学演劇専攻名誉教授。株式会社サードステージ代表取締役。執筆・インタビュー・講演は株式会社サードステージがマネジメント。その他、株式会社ホリプロのマネジメントにより、 テレビ・ラジオなどへも出演している。 愛媛県新居浜市生まれ。 両親はともに小学校の教師で、日教組の組合員だった。当時の日教組は政府・文部省と激しく対立しており、教育委員会に組合員切り崩しの見せしめで、四国山脈の奥地にある小学校に飛ばされた。その間の数年間は米穀店を営んでいた祖父母に育てられた。
高泉 淳子(たかいずみ あつこ、1958年7月26日 - )… 高泉 淳子(たかいずみ あつこ、1958年7月26日 - )は、日本の女優、劇作家、演出家。宮城県古川市(現在の大崎市古川)出身。 早稲田大学社会科学部卒業後の1983年、白井晃とともに遊◎機械/全自動シアターを結成。おもに「家族」をテーマにした戯曲を数多く発表する。同劇団の看板役者として子供から老人まで様々な役柄を演じ分ける。舞台『僕の時間の深呼吸』から登場した、チリチリ頭に黒ブチ眼鏡の小学生「山田のぼる」が当たり役となり、外見から「日本一ランドセルが似合う女優」とも評された。山田のぼるを主人公とした戯曲を数本作るとともに、1993年10月から1994年9月にかけては、そのキャラクターのままフジテレビの子供番組『ポンキッキーズ』にMCとしても出演した。
川下 大洋(かわした たいよう、1958年7月3日 - )は… 川下 大洋(かわした たいよう、1958年7月3日 - )は、俳優、ナレーター、劇作家、演出家。演劇集団「Piper」および「大田王」のメンバー。2023年からフリーランス。(旧所属事務所は吉本興業/Showtitle) 別名ドナインシタイン博士。旧芸名ははりけーん・ばんび。愛称は「ハカセ (Doc)」、「大洋さん」。 長崎県長崎市出身。ラ・サール中学校・高等学校を経て、1983年に京都大学理学部を卒業。1978年から劇団そとばこまちに所属し、はりけーん・ばんびの名前で辰巳琢郎(当時 つみつくろう)・上海太郎・生瀬勝久(当時 槍魔栗三助)・山西惇らと共に活動、50数本の公演に出演した。 1988年に退団後、芸名を本名の「川下大洋」に改め、芝居バンドでのライブ活動や劇団MOTHER、笑殺軍団リリパットアーミー、劇団M.O.Pなどの劇団への客演を経て1997年には劇作家・演出家の後藤ひろひとと「Piper」を結成、翌98年より吉本興業所属となる。
今村 ねずみ(いまむら ねずみ、1958年(昭和33年)6月… 今村 ねずみ(いまむら ねずみ、1958年(昭和33年)6月11日 - )は、日本の俳優、演出家。THE CONVOYの主宰者。本名、今村昌宏。 高校卒業後に上京し、夢の遊眠社に2年程在籍ののちタップダンサー募集の広告で応募したところ見事合格、赤坂のTap Tipsに入る。1985年4月から半年間、2代目いいとも青年隊を務める。Tap Tipsでタップダンサー兼ウェイターとして、1日3回のステージを年間300日など厳しい修行をこなす。そこで定休日の日曜日に店長に頼み、そのときの従業員だった仲間と自分のショーを開催したのが「THE CONVOY SHOW」の始まりとなる。1986年瀬下尚人、石坂勇らと正式にTHE CONVOYを立ち上げ、主宰者となる。
鎌仲 ひとみ(かまなか ひとみ、1958年6月11日 - )… 鎌仲 ひとみ(かまなか ひとみ、1958年6月11日 - )は、日本のドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家、多摩美術大学美術学部芸術学科非常勤講師。 富山県氷見市生まれ。富山県立氷見高等学校、早稲田大学第二文学部卒業。大学時代は早稲田大学探検部に所属。男友達の自主映画を手伝ううちに、ドキュメンタリー映画作家を志望する。 大学卒業後、「グループ現代」「岩波映画」等の契約助監督を経て、バリ島を舞台とした自主制作監督作品「スエチャおじさん バリ/夢/うつつ」により、1991年文化庁芸術家海外派遣助成金を受け、カナダ国立映画製作所へ渡る。その後ニューヨークでメディア・アクティビスト集団「ペーパー・タイガー・テレビ」に参加。
唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - … 唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - 2024年9月24日)は、日本のカルト物件評論家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、劇作家、演出家。元朝日新聞書評委員。 サブカルチャー、カルトとされる文化や物件について幅広い関心を持つ。書籍・映像・音楽・雑貨など昭和期における事物を今日的視点からB級文化として紹介することをライフワークとしていた。また、オタク文化の評論家として、各種メディアでのコメンテーターや、日本オタク大賞といったイベントの審査員を務めた。 北海道札幌市東区出身。本人の主張するところによれば、札幌光星高等学校、青山学院大学文学部教育学科卒業。東北薬科大学薬学部中退。
中野 彰子(なかの あきこ、1958年5月9日 - )は、日… 中野 彰子(なかの あきこ、1958年5月9日 - )は、日本の女性アニメーター、作画監督、演出家、キャラクターデザイナー、アニメ監督、小説家。三重県名張市出身。 大阪市立大学を中退後、アニメーターとなる。スタジオジュニオに入社し、1983年のテレビアニメ『伊賀野カバ丸』で作画監督を担当。 1986年には劇場版『世紀末救世主伝説 北斗の拳』に原画として参加。1987年公開のGAINAX制作による劇場アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』に原画として参加し、この作品を機にフリーランスとして独立した。同年には『マップス 伝説のさまよえる星人たち』(劇場版)や『アニメ80日間世界一周』にも原画として携わっている。
星 護(ほし まもる、1958年4月23日 - )は、日本の… 星 護(ほし まもる、1958年4月23日 - )は、日本のテレビドラマ演出家・映画監督。共同テレビジョン部長待遇ゼネラルディレクター。新潟県出身。 新潟市立上所小学校、新潟大学教育学部附属新潟中学校、新潟県立新潟高等学校を経て早稲田大学卒業。 映像に強いこだわりを見せる監督で、熱烈なファンが数多く存在する。代表作に『世にも奇妙な物語』、『僕の生きる道』、『名探偵金田一耕助』シリーズ、映画『笑の大学』、映画『僕と妻の1778の物語』など。2012年に6年ぶりに『高校入試』にて連続ドラマの演出を担当。これまで手掛けた連続テレビドラマではすべてパイロット演出を務めている数少ない監督の一人であったが、2015年放送の『癒し屋キリコの約束』では初のセカンドディレクターを務めた(チーフディレクターは星田良子)。
野村 精司(のむら せいじ、1958年4月3日 - 2020… 野村 精司(のむら せいじ、1958年4月3日 - 2020年3月30日 )は、石川県金沢市出身の映画監督、演出家、ストーリーデザイナー、地域活性プロデューサー、作詞家、作家、料理デザイナーである。小説、エッセイなど文芸関係ペンネームは野村生一、作詩、シナリオ、絵本原作などペンネームは海野セイウチとしている。 映画俳優で、伝説のテレビ番組 11PM(藤本義一司会)のサントリーオールードのバーテンとして登場していた父(飲食店経営)の影響を受け、映像関係に興味を持ち、大阪芸術大学映像計画学科に入学。シナリオライターの依田義賢や、黒澤組カメラマンの宮川一夫、映画評論家の滝沢一らに師事。その影響を大きく受け、東映京都撮影所でのアルバイトから、卒業後は、制作や美術を担当。
伊沢 勉(いざわ べん、1958年2月14日 - )は、日本… 伊沢 勉(いざわ べん、1958年2月14日 - )は、日本の男性俳優、演出家、作家、声優。
竹林 紀雄(たけばやし のりお、1958年2月12日 - )… 竹林 紀雄(たけばやし のりお、1958年2月12日 - )は、日本のテレビ演出家、TVプロデューサー、放送作家。特に、ドキュメンタリーの構成・演出に定評がある。文教大学情報学部メディア表現学科長・教授、文教大学大学院情報学研究科教授、文化庁芸術祭執行委員、日本映画監督協会理事、湘南総合研究所所長。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)生まれ。大学入学のために上京した1979年春より、自主映画制作団体 『都会村』を設立・主宰し、8ミリ映画の制作を始める。1981年より2年間、イメージフォーラム付属映像研究所で、松本俊夫、金井勝、かわなかのぶひろ、鈴木志郎康、萩原朔美、松田政男、そして寺山修司などから、実験映画を中心にアートとしての映像表現を学ぶ。
羽生 まゆみ(はにゅう まゆみ、女性、1958年2月9日 -… 羽生 まゆみ(はにゅう まゆみ、女性、1958年2月9日 - )は日本の劇作家、演出家、小説家。 劇団「羽生一家玉組」主宰。劇団PinkNoise演出家。 大分県出身。大阪芸術大学時代に学生演劇サークル劇団群に在籍し役者としての活動を始める。のち、京都小劇場、劇団赤らべる社を経て上京。十月劇場入団。 1995年『Take a life』で初の脚本・演出を手がける。同作品をきっかけにプロデュース公演の演出が続き、1997年『がぶり寄る恋』に出演した役者たちによって、羽生一家玉組が結成される。以来、「羽生一家玉組」全公演の脚本・演出を手がける。 2017年、劇団PinkNoiseの演出家となる。
宮本 亞門(みやもと あもん、1958年〈昭和33年〉1月4… 宮本 亞門(みやもと あもん、1958年〈昭和33年〉1月4日 - )は、日本の演出家。 東京都・中央区銀座生まれ。ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎等、ジャンルを越える演出家として国内外で幅広い作品を手がけている。これまでの演出作品数は120本以上(再演作品含む)。株式会社ホリプロ スポーツ文化部所属。2019年9月8日より宮本亜門から「宮本亞門」へ改名した。 2022年6月、映画「カラテキッド」(邦題 : ベストキッド)をミュージカル化した「The Karate Kid The Musical」を米・セントルイスのカークウッドパフォーミングアーツセンターで世界初演をし、そのあとオンブロードウェーを目指す予定。
難波 一弘(なんば かずひろ、1958年(昭和33年)1月1… 難波 一弘(なんば かずひろ、1958年(昭和33年)1月1日 - )は、元・TBSホールディングス 取締役、TBSテレビ常務取締役、TBSビジョン代表取締役社長、ドリマックス・テレビジョン取締役、テレビドラマ演出家。広島県福山市出身。 広島大学附属福山高等学校を経て一橋大学卒業後、1980年TBS(現・TBSホールディングス)に入社。同期に井川泉(現・テレビユー山形エグゼクティブアドバイザー)、吉崎隆(元執行役員制作局長、プロデューサー、2016年に定年退職)、新田良一(現・テレビユー福島代表取締役社長)らがいる。また、日本テレビ編成局専門局長の土屋敏男は一橋大学の1期先輩である。 入社後は上司だった居作昌果や桂邦彦の下でAD修行をして「8時だョ!全員集合」「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」等のバラエティ番組を担当した。
今西 隆志(いまにし たかし、1957年11月23日 - )… 今西 隆志(いまにし たかし、1957年11月23日 - )は、アニメ監督、演出家、プロデューサー。大阪府出身。日本大学芸術学部卒。 『装甲騎兵ボトムズ』の制作進行、『機甲界ガリアン』の設定制作などを経て、OVA『装甲騎兵ボトムズ ザ・ラストレッドショルダー』で演出助手、OVA『装甲騎兵ボトムズ レッドショルダードキュメント 野望のルーツ』で演出を担当。元 サンライズデジタル制作部部長。戦国武将と同姓同名の大熊 朝秀(おおくま ともひで)というペンネームを用いることがある。 夫人は富野由悠季監督作品などで色彩設定を担当した今西清子(旧姓・高島)。 自身が監督した作品については本項では省く。 ※を付した作品以外は「大熊朝秀」名義。
八木橋 修(やぎはし おさむ、1957年11月5日 - )は… 八木橋 修(やぎはし おさむ、1957年11月5日 - )は、日本の演出家・俳優である。劇団スーパー・エキセントリック・シアター創立メンバー。株式会社スーパーエキセントリックシアター代表取締役社長。公益社団法人日本劇団協議会監事。 東京都新宿区出身。日本大学経済学部卒。娘は女優の八木橋里紗。 1979年に劇団スーパー・エキセントリックシアター創立に参加。旗揚げ公演からほとんどの公演に俳優・演出・プロデュースとして参加している。2004年からは株式会社スーパーエキセントリックシアター代表取締役を務めていた。 俳優・ナレーション・声優として活動のほか、南青山少女歌劇団、ザ・ストライプス、中山美穂のライブやコンサートなど八木橋が所属する劇団以外の興業の演出も行っている。
西山 水木(にしやま みずき、本名:西山 水木、1957年1… 西山 水木(にしやま みずき、本名:西山 水木、1957年11月1日 - )は、日本の女優、演出家。ラ・カンパニー・アン主宰。有限会社ジェイ.クリップ所属。 佐賀県三養基郡基山町出身。両親共に中学校教員。そのようなことから子供の頃は、将来は学校の先生にと漠然と思っていたという。 佐賀県立鳥栖高等学校卒業、桐朋学園芸術短期大学芸術科卒業。短大在学中に劇団青年座の舞台公演を観て惹かれたことで、短大卒業後に青年座に入団。 特技は九州方言、ダンス。
園田 英樹(そのだ ひでき、1957年9月22日 - )は、… 園田 英樹(そのだ ひでき、1957年9月22日 - )は、日本の脚本家、演出家、小説家。佐賀県鳥栖市出身。 佐賀県立鳥栖高等学校卒業。私立探偵になるが、浮気調査に飽きて明治大学政治経済学部に入学。在学中はアングラ演劇に明け暮れ、のちに卒業。「天井桟敷」出身の童話作家・森忠明、劇団「日本」の演出家・三原四郎に脚本・演出を師事。系譜としては寺山修司の孫弟子となる。 テレビアニメの脚本を手がけるようになったのは、森忠明に小山高生を紹介されたことがきっかけである。当初は小山が構成を担当していた「手塚治虫のドン・ドラキュラ」(1982年)で脚本家デビューするはずだったが、担当広告代理店が倒産した影響で番組が打ち切りとなり、本作でのデビューにはならなかった(同じく脚本家の中弘子、照井啓治も園田と同様に当番組でデビューする予定だった)。
秋山 シュン太郎(あきやま しゅんたろう、1957年8月29… 秋山 シュン太郎(あきやま しゅんたろう、1957年8月29日 - )は、日本の劇作家・演出家。元『一心寺シアター倶楽』プロデューサー。元『なにわ人形芝居フェスティバル』『中高年ミュージカル劇団 発起塾』代表。『劇団★虚航船団パラメトリックオーケストラ』座付作家。 大学在学中の1981年「人力ヒコーキのバラード」でキャビン'85戯曲賞佳作受賞。シュン太郎劇団を旗揚げ、同作品の作・演出、オレンジルーム(現:HEPHALL)での上演でデビュー。ストレート芝居を得意とするも、ミステリー、ミュージカル台本、TV,ラジオドラマなどの台本も手がける。 第一回オレンジ演劇祭で、辰巳琢郎、いのうえひでのり(劇団新感線)、渡辺いっけい、筧利夫などと演劇祭を開催。
河野 圭太(こうの けいた、1957年8月16日 - )は、… 河野 圭太(こうの けいた、1957年8月16日 - )は、日本の演出家、ドラマディレクター。東京都出身。東海大学海洋学部卒業。 大学卒業後制作会社に所属し、テレパックに派遣スタッフで務めるなどフリーランスの時期を経て、ベイシスに入社。テレパック時代からの知己である若松節朗の下で助監督としてのキャリアを重ね、30歳のときに若松がチーフ監督を務めた『オレの妹急上昇』でデビューを果たす。1991年夏頃までは助監督兼任ディレクターとしてキャリアを積み重ね、同年『しゃぼん玉』にて連続テレビドラマで初のローテーション監督に就任(因みにこの作品のチーフ監督も若松である)。以降『しゃぼん玉』から2008年『鹿男あをによし』に到るまでフジテレビ系列の連続テレビドラマを毎年18年連続で担当していた(この記録は2008年で途切れた)。
鄭 義信(チョン・ウィシン/てい よしのぶ、정의신、1957… 鄭 義信(チョン・ウィシン/てい よしのぶ、정의신、1957年7月11日 - )は、劇作家、脚本家、演出家。兵庫県姫路市出身。韓国籍。 戦後、不法居住者が多く集まっていた姫路城の敷地内で生まれる。鄭の一家は現地で石垣を壊し、庭にするなどしていたという。姫路市立飾磨高等学校を経て同志社大学文学部中退後、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)美術科卒業。松竹で美術助手を務めた後、1987年劇団「新宿梁山泊」を旗揚げ、座付き作家となる。1994年、『ザ・寺山』で岸田國士戯曲賞受賞。1995年新宿梁山泊退団。邦画の脚本を担当するようになる。俳優として活動することもある。 2007年、新宿梁山泊が『それからの夏』を上演しようとし、鄭は自身の著作権を主張してこれを差し止めたが、金守珍を代表とする新宿梁山泊は、この戯曲が劇団の共同制作であることを主張し、自主上演権を求めて提訴した。
白井 晃(、1957年5月21日 - )は、日本の俳優、演出… 白井 晃(、1957年5月21日 - )は、日本の俳優、演出家。レコンオフィス所属。 京都府出身。大阪府立天王寺高等学校、立命館大学を経て転学して早稲田大学教育学部卒業。 父親は電気技師で『プロポーズ大作戦』の「フィーリングカップル5x5」の電光板を作った。立命館大学に在籍の時、たまたま早稲田大学生による演劇を観て「同じ大学生なのに、ここまでできるのか」と感化され、「このメンバーと演劇をやりたい」と思い早大への入学(厳密には転学)を決意。翌年の受験で合格し、入学時より早大演劇研究会に所属。 早大卒業後、電通PRセンター(現・電通パブリックリレーションズ)勤務を経て、1983年12月高泉淳子とともに劇団「遊◎機械/全自動シアター」を結成、1984年3月旗揚げ公演。
中藪 規正(なかやぶ のりまさ 1957年5月2日 - )は… 中藪 規正(なかやぶ のりまさ 1957年5月2日 - )は、日本のプロデューサー、演出家、民俗芸能研究者である。一般社団法人 文化財共働代表理事。 山形県米沢市で出生。東京都狛江市で育つ。1970年に自由学園男子部普通科に入学。その後東京都立狛江高等学校を卒業した。[要出典] 1982年に早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業して、同大学大学院文学研究科芸術学専攻に進み、1984年に博士課程前期を修了した(文学修士)。早稲田大学大学および大学院在学中の1981年より1984年まで指導教授鳥越文藏の勧めで、本田安次が企画した同学坪内博士記念演劇博物館による全国20個所の民俗芸能映像記録の作業に参加した。
山崎 清介(やまさき せいすけ、1957年3月28日 - )… 山崎 清介(やまさき せいすけ、1957年3月28日 - )は日本の俳優、演出家。福岡県北九州市出身。 福岡大学の演劇部、青年座養成所を経て、1984年に劇団EDメタリックシアターを結成。 1991年からはグローブ座カンパニーに参加し、出口典雄、ペーター・ストルマーレ、ジェラード・マーフィー、ロベール・ルパージュなどの演出するシェイクスピア作品に出演。 1995年から始まった「子供のためのシェイクスピアシリーズ」に初回から参加し、第2回公演「十二夜」からは演出も担当する。 2008年からはチェーホフ作品の演出にも取り組む。 テレビでは、1987年から1993年までフジテレビの子供番組「ひらけ!ポンキッキ」にレギュラー出演した。
小松 杏里(こまつ あんり、男性、1957年2月4日 - )… 小松 杏里(こまつ あんり、男性、1957年2月4日 - )とは、東京都渋谷区出身の劇作家・演出家・編集者である。演劇プロジェクト月光舎の主宰であり、ドワンゴクリエイティブスクール講師。現在は福岡県久留米市在住。
落合 正幸(おちあい まさゆき、1957年 - )は、日本の… 落合 正幸(おちあい まさゆき、1957年 - )は、日本のテレビドラマの演出家、脚本家、映画監督。共同テレビジョン所属を経てフリー。 東京都出身。日本大学藝術学部卒。星護とともに独特の演出方法で知られた。代表作のテレビドラマ『世にも奇妙な物語』では、35作(番組歴代最多演出数)を監督した。 2003年、共同テレビを退社し、映画監督活動を開始。『感染』はアメリカでも上映された。 共同テレビ退社以降同社とは全く関わりがなかったが、2012年に9年ぶりに『世にも奇妙な物語』の一話「ヘイトウイルス」でタッグを組みドラマのメガホンをとった。 2度結婚しており、元妻は共同テレビの親会社であるフジテレビでアナウンサーを務めた寺田理恵子と女性作家である梅田みか。
宮沢 章夫(みやざわ あきお、1956年12月9日 - 20… 宮沢 章夫(みやざわ あきお、1956年12月9日 - 2022年9月12日)は、日本の劇作家、演出家、作家。遊園地再生事業団主宰。早稲田大学文学学術院教授。 1956年、静岡県掛川市生まれ。多摩美術大学美術学部建築科中退。大学在学中、映像演出研究会で8ミリ映画の制作をする。大学を中退し、それからしばらく定職に就かなかったものの、24歳になってから執筆活動を開始した。吉田照美のてるてるワイドの構成作家を経て、1985年、大竹まこと、きたろう、斉木しげる、いとうせいこう、竹中直人、中村ゆうじらとパフォーマンスユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成して活動した。1988年、放送関連の仕事などそれまでしていた仕事をすべて辞め、マダガスカルに数ヶ月滞在した。
長谷川 孝治(はせがわ こうじ、1956年10月23日 - … 長谷川 孝治(はせがわ こうじ、1956年10月23日 - 2023年1月21日)は、日本の劇作家・演出家。「弘前劇場」主宰。青森県立美術館舞台芸術総監督。 青森県浪岡町(現青森市)生まれ。1978年、立正大学文学部哲学科に入学、福士賢治(俳優)、野村眞仁(舞台監督)らと劇団「弘前劇場」を旗揚げ。当初は弘前市を本拠地とし、現在は青森市。 1995年「職員室の午後」で第1回日本劇作家協会最優秀新人戯曲賞受賞。2001年、『FRAGMENT VII「アザミ」』で第46回岸田國士戯曲賞にノミネートされる。 2012年、大林宣彦監督『この空の花 長岡花火物語』の脚本を執筆、2015年長谷川の「なななのか」を原作とした『野のなななのか』が制作された。
五味 一男(ごみ かずお、1956年〈昭和31年〉8月10日… 五味 一男(ごみ かずお、1956年〈昭和31年〉8月10日 - )は、日本の演出家、プロデューサー、著作家、作詞家、漫画原作者。 公益財団法人読売日本交響楽団評議員。ほか肩書きは日テレアックスオン執行役員・ジェネラルクリエイター、日本テレビ放送網(株)前上席執行役員・編成局および制作局エグゼクティブ・ディレクター・プロデューサー。 血液型はO型。テレビの演出家、プロデューサーとして、かつて担当していた6番組のうち5番組の視聴率が20%超えて次々と大ヒット番組として話題に。合計100%を越えることから「視聴率100%男」とも呼ばれた。また自身の著書のタイトルにもなっている「視聴率男」「生涯打率No.1」などと取材されるとき見出しで使われることが多い。
村松 利史(むらまつ としふみ、1956年8月5日 - )は… 村松 利史(むらまつ としふみ、1956年8月5日 - )は、新潟県長岡市出身の俳優、脚本家、演出家、構成作家。身長170 cm、体重55 kg。趣味は読書、散歩、喫茶店巡り。 新潟県立六日町高等学校卒業。学生時代から『MBSヤングタウン』『オールナイトニッポン』などのラジオ番組でハガキ職人として活躍。 大学へ進学したものの舞台俳優を志して中退し、劇団東京ヴォードヴィルショーに入団(在籍中には『山口良一のオールナイトニッポン』に構成作家として参加しており、愛称は「ヘンリー」「モンリー(ニソクサンモンリー)」だった)。 『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』も担当し、鶴光とはMBSヤングタウン以来、DJとはがき職人としての縁があり、構成作家として参加する様になり「感慨無量です」と村松自身が話していて、鶴光からは「役者くずれの放送作家」と呼ばれていた。
如月 小春(きさらぎ こはる、本名:楫屋 正子〈かじや まさ… 如月 小春(きさらぎ こはる、本名:楫屋 正子〈かじや まさこ〉、出生名:伊藤 正子、1956年2月19日 - 2000年12月19日)は、劇作家、演出家、エッセイストである。東京都杉並区出身。東京女子大学文理学部哲学科卒業。 1970年代後半から劇作家・演出家として活動し、野田秀樹・渡辺えり子らとともに小劇場第三世代の旗手として注目された。また、エッセイストとしての著作も多く、司会者・コメンテーターなどとしてもテレビにも出演していたほか、アジア女性演劇会議実行委員長・日本ユネスコ国内委員会委員・兵庫県立こども館演劇活動委員・立教大学講師なども歴任した。 小学校時代を中野区の哲学堂公園付近、中学・高校時代を武蔵野市の成蹊中学校・高等学校で過ごし、その間、同校と交換留学制度のあるオーストラリアのニューサウスウェールズ州カウラ高等学校に留学した。
大地 丙太郎(だいち あきたろう、1956年1月13日 - … 大地 丙太郎(だいち あきたろう、1956年1月13日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、撮影監督である。 群馬県高崎市出身。別名義に小池 彰(こいけ あきら)。 1976年育英工業高専グラフィック工学科、1978年東京写真大学短期大学部写真応用科卒業後、舞台写真家志望だったが、同年に清水達正の東京アニメーションフィルム(アニメーション撮影会社)に入社、初仕事は『未来少年コナン』の撮影で、アニメの撮影の仕事を5年ほど続けるが、一時転職してビデオ制作会社で実写のカラオケビデオ等を撮影していた時期もあった。 1991年、夢がないと絶望して勤め先を退社、ゲーム制作会社に勤めるが半年で元の会社に出戻る。
野田 秀樹(のだ ひでき、1955年12月20日 - )は日… 野田 秀樹(のだ ひでき、1955年12月20日 - )は日本の俳優、劇作家、演出家。多摩美術大学教授。東京芸術劇場芸術監督。朝日賞選考委員(2015年度より)。
上杉 祥三(うえすぎ しょうぞう、1955年12月14日 -… 上杉 祥三(うえすぎ しょうぞう、1955年12月14日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家。 兵庫県出身。甲南大学法学部卒業。オフィスPSC所属。演劇ユニット「トレランス」主宰。妻は女優の長野里美。 1981年青年座俳優養成所卒。同年に野田秀樹率いる劇団夢の遊眠社に入団。皿洗いのバイトをしながら演劇活動を続け、当時1300円のチケットだった遊眠社を日本で有数のトップ劇団へと成長させる。劇団の看板俳優として活躍。 1988年には上杉祥三プロデュースチーム結成。在団中よりシェイクスピア作品に傾倒し、1991年よりグローブ座カンパニーの座長としてシェイクスピアレパートリー公演を開始。若手随一のシェイクスピア俳優として注目される。
堤 幸彦(つつみ ゆきひこ、1955年11月3日 - )は、… 堤 幸彦(つつみ ゆきひこ、1955年11月3日 - )は、日本の演出家、映画監督。オフィスクレッシェンドの取締役。三重県四日市市生まれ、愛知県名古屋市千種区出身。活動初期は、堤ユキヒコ名義を使用した。 三重県四日市市に生まれ、6歳のときに父親の仕事の都合で愛知県名古屋市に引っ越した。名古屋市立田代小学校、名古屋市立城山中学校、私立愛知高等学校と進学し、高校を卒業する18歳まで名古屋で過ごした。高校時代からロックに傾倒し、はっぴいえんどに憧れて上京を希望し、法政大学社会学部社会学科へ進学する。大学在学中は当時の学生運動にも参加したが、3年の頃にそれが終わり、拠りどころを失くした堤は大きな挫折感を味わい、大学を中退する。
ラサール 石井(、1955年10月19日 - )は、日本のお… ラサール 石井(、1955年10月19日 - )は、日本のお笑いタレント、声優、俳優、司会者、脚本家、演出家、著作家、政治家、コラムニスト。社会民主党所属の参議院議員(1期)、社会民主党副党首。第23回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。 ラ・サール高等学校卒業、早稲田大学第一文学部除籍。石井光三オフィス所属。 大阪府大阪市住吉区帝塚山出身。大阪市立住吉小学校、住吉中学校卒業。快活で、児童会の会長に立候補して当選するほど目立つ子どもであった。松竹新喜劇や吉本の漫才を見て育ち、姉に連れられて宝塚歌劇団も鑑賞していた。コメディアンに憧れはあったが、クラスには必ず自分よりも面白い子がおり、二番手では無理であろうとあきらめていた。
麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、1955年10月11日 - … 麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、1955年10月11日 - )は、日本の女優、歌手、演出家。本名は藤井 佳代子(一時、田島 佳代子が本名だった時代もある)。
山下 悟(やました さとる、1955年9月8日 - )は、舞… 山下 悟(やました さとる、1955年9月8日 - )は、舞台演出家。東京都生まれ。演劇集団円演出部所属。円に所属し下記作品の演出をする傍ら、演出助手としても数多くの木村光一の作品に参加し、木村が代表をつとめていた地人会にて二本の作品の演出を担当。 駒場東邦高等学校、早稲田大学第二文学部演劇学科卒業。大学を卒業した1979年に演劇集団円の養成所入所。1982年、演劇集団円の演出部会員となる。1995年から1年間、文化庁在外研修員としてロンドンに滞在。現在和光大学及び淑徳大学にて非常勤講師も務める。 演劇集団円の演出部に所属しながら、2000年から『メリーさんの羊を上演する会』を俳優の山口眞司、制作の高木由起子と共にユニットを組み、俳優三谷昇と共に2012年まで別役実作『メリーさんの羊』を上演してきたが、同作品の上演について10年間の休眠期間を取るとし、2013年から新たに『山の羊舍』(命名者:三谷昇)として年に数本の上演を目指し活動を開始している。
李 泰栄(り たいえい、韓国名、朝: 이태영, イ・テヨン … 李 泰栄(り たいえい、韓国名、朝: 이태영, イ・テヨン 1955年7月11日 - )は日本のCMディレクター・演出家である。 東京都中央区出身。青山学院大学卒業。 東京・銀座で貿易会社を営む在日韓国人の子として生まれる。青山学院初等科からそのままエスカレーター式に大学に入学するも、当時は国籍差別の影響が大きく、就職口が少なかったため、同大学卒業間際に日本総天然色出身のCMディレクター、高杉治朗により設立されたCM制作プロダクション、CMランドにアルバイトとして入社する。 入社当初は制作部門に配属されると共に、上司の高杉から毎回のように説教されていたという。のちに高杉に企画部門への異動を懇願し、試験を受けて異動を果たすと共に地道な下積み期間を経て、1981年に独立し、CM企画オフィス「ももプラン」を設立。
小池 修一郎(こいけ しゅういちろう、1955年3月17日 … 小池 修一郎(こいけ しゅういちろう、1955年3月17日 - )は、日本の劇作家・舞台演出家。東京都出身。慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学文学部卒業。宝塚歌劇団所属。 慶應義塾大学文学部在学中に演劇研究会で活動する。当時はアングラ演劇の旗手・唐十郎に傾倒しており、宝塚の舞台はアングラ演劇などとほぼ対極の特殊な世界と考えていたという。しかし、宝塚歌劇の東京公演を観劇する機会があり(本人は立ち見料金が安かったからと回想)、題材に合わせてスターたちが日本人にも外国人にもなりきる姿に新鮮さを感じて印象が変化、その後宝塚観劇を重ねるようになる。東京宝塚劇場で演出助手の募集広告を見つけ、大学を卒業した1977年、宝塚歌劇団に演出助手として就職を果たす。
斉木 燿(さいき よう、1955年3月 - 2014年11月… 斉木 燿(さいき よう、1955年3月 - 2014年11月)は、日本の小劇場演劇における演出家、劇作家、役者である。 演劇ユニット「morning landscape」は、1993年に結成。約20作品の上演を行った。主な上演は以下の通り。 演劇以外にも、TVドラマ・映画の脚本を執筆した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大石 哲史(おおいし さとし、1955年2月23日 - )は… 大石 哲史(おおいし さとし、1955年2月23日 - )は、日本の歌手、俳優、演出家。オペラシアターこんにゃく座副代表。 古刹勧修寺の中にある一寺、仏光院に生まれ育つ。祖母は尼僧の大石順教。幼少の頃より畠山みどりの歌に魅せられ、歌謡曲を歌うようになる。中学の頃には親戚に買ってもらったギターに夢中になり、高校では合唱部に入ったことで林光の合唱曲「蹄鉄屋の歌」に出会う。この合唱部の指導をしていた林浅子の勧めで、本格的に歌を勉強することになる。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのレコードに衝撃を受け、バリトン歌手になることを強く目指し始める。京都市立芸術大学を卒業後は一旦教職に就くが、関西二期会や京都オペラグループに所属しながら演奏活動を続ける。
西瀧 順二(にしたき じゅんじ、1955年2月19日 - )… 西瀧 順二(にしたき じゅんじ、1955年2月19日 - )は、兵庫県神戸市出身の日本のテレビプロデューサー、演出家。大阪芸術大学卒業。 1977年にテレビ制作会社イースト大阪支社入社、大阪で始まった讀賣テレビ『ワイドショー今』ADを担当。半年後、東京本社に異動。TBSにて、『飛べ!孫悟空』『欽ちゃんのこれが1番!!』『8時だョ!全員集合』などのAD担当。1983年12月イーストロサンゼルス支局長として渡米、ディレクターとしてNTV『エッ!うそーホント?』MBS『世界まるごとHOWマッチ』などを担当帰国後、CBC『すばらしき仲間』NTV『oh!たけし』などの演出をてがけ1989年04月 制作管理部長。