Tommy(トミー、1966年11月10日 - )は、プロレ… Tommy(トミー、1966年11月10日 - )は、プロレスのレフェリー、元女子プロレスラー。本名:柳下 まさみ(やぎした まさみ)。 1982年、全日本女子プロレスに入団。体重が増えなかった事もあり一年遅れ昭和58年組となる(同期には後にブル中野となる中野恵子)。9月23日、埼玉県戸田市スポーツセンター大会での中野恵子相手の1対2変則マッチ(パートナーは小松美加)でデビューするが挫折し、レフェリーに転向。 和田京平の指導を仰ぎ、同年10月1日、岡山県和気町大会でレフェリーデビューを果たした。 1989年、全女を退団してトミー蘭としてジャパン女子プロレスで裁く。 ジャパン女子崩壊後はLLPW旗揚げに参加してメインレフェリーとなる。
戸田 秀雄(とだ ひでお、1966年11月4日 - )は、日… 戸田 秀雄(とだ ひでお、1966年11月4日 - )は、日本の男性プロレスラー。国際プロレスプロモーション所属。イベント企画「ちがさきプロレス」の代表を務める。神奈川県茅ヶ崎市東海岸出身。 1966年、神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。幼い頃は喘息を患っており、身体も小さかった。特にこれといった将来像も無く少年時代を過ごし、フリーターとなる。26歳のときに見かねた母から茅ヶ崎市内のスポーツクラブに誘われ、そのスポーツクラブで働いていたプロレスラーと出会う。自分と全く違う肉体に感銘を受け、自分のトレーニングを開始。そのプロレスラーとの交流が生まれ、試合にもついて行くようになった。 1997年3月総合格闘技道場に入門する。
小川 良成(おがわ よしなり、1966年11月2日 - )は… 小川 良成(おがわ よしなり、1966年11月2日 - )は、日本の元男性プロレスラー。最終所属プロレスリング・ノア。茨城県北相馬郡取手町(現在の取手市)出身、血液型B型。 1984年に全日本プロレスに入門。1985年9月3日、岩手県宮古市の宮古駅前サンプラザ駐車場特設リングの笹崎伸司戦でデビューした。天龍源一郎の付き人を務め、その流れで1987年には天龍同盟入りを果たす。小川も、なかなか体重が増えなかったことと肘の故傷に泣かされ伸び悩んだ時期もあったが、その分テクニックを身につけジュニアヘビー級のレスラーとして活躍した。1990年、天龍源一郎をはじめSWSへ選手が大量離脱した後、団体内の流れが超世代軍と鶴田(正規)軍の抗争中心になった際には、小川はジャンボ鶴田が率いる鶴田軍に加わった(鶴田軍を母体とした聖鬼軍の誕生後は聖鬼軍の一員となる)。
金本 浩二(かねもと こうじ、朝: 김일우、1966年10月… 金本 浩二(かねもと こうじ、朝: 김일우、1966年10月31日 - )は、韓国の男性プロレスラー・YouTuber。兵庫県神戸市長田区出身。血液型AB型。 小学6年から柔道を経験し、大阪芸術大学芸術学部環境計画学科(2004年度より環境デザイン学科)を卒業。学生時代(大阪芸術大学 柔道部所属)よりプロレスラーに憧れて栗栖正伸トレーニングジムで半年間トレーニングを積んで1990年6月に新日本プロレスへ入門する。11月7日に和歌山・岩出町立町民総合体育館での小原道由戦でデビューした。当初から「生涯一ジュニア(ヘビー級)」を宣言する。 1991年にメキシコに武者修行へ行き、1992年に帰国後「3代目タイガーマスク」に抜擢されるが、自身のスタイルとアクロバットを主体とするタイガーマスクとのギャップに悩み、1年もしないうちに覆面を脱いだ。
高山 善廣(たかやま よしひろ、1966年9月19日 - )… 高山 善廣(たかやま よしひろ、1966年9月19日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、俳優。東海大学付属相模高等学校、東海大学文学部文明学科卒業。東京都墨田区出身。血液型O型。個人事務所「高山堂」に所属。マネジメントはハイタイド。 高校時代はラグビー部に、大学時代はアメリカンフットボール部に所属。湘南海岸でライフガードのアルバイト経験を持つ、元ライフセイバーでもある。 20歳のとき大学を休学し、第1次UWF(興行活動停止後の新日本プロレスとの業務提携時代)の入門テストに合格する。入門後、ラグビー時代に負った肩の負傷が再発したことを言い出せず、一か月弱で脱退する。のちにライフガードのアルバイト中、UWFの先輩である宮戸優光と偶然再会し交流を続けたが、当時の新生UWFブームは傍観した。
セッド・ジニアス(Sad Genius、1966年9月1日 … セッド・ジニアス(Sad Genius、1966年9月1日 - )は、日本のプロレスラー。本名:渡邊 幸正(わたなべ ゆきまさ)。実家は山梨の代々武家。 1985年、タイガーマスクを引退した佐山サトルのスーパータイガージムでシューティング(現修斗)を学ぶ。1987年、ルー・テーズへコンタクトを取り、流智美を仲介に入れ、テーズの下で修行する。その後、高野兄弟率いるPWCに入団。しかし社長レスラーでもある高野俊二の放漫経営により、ギャラの全額未払いで逆に会場費などを立て替させられるも一切支払って貰えずに負債を抱えた。 1995年、セッド・ジニアス(悲しき天才)と改名し、UNW(United Nations Wrestling=国連プロレス)を旗揚げ。
佐々木 健介(ささき けんすけ、1966年〈昭和41年〉8月… 佐々木 健介(ささき けんすけ、1966年〈昭和41年〉8月4日 - )は、日本のタレント、元男性プロレスラー、実業家。福岡県福岡市南区出身。血液型B型。 IWGPヘビー級王座、三冠ヘビー級王座、GHCヘビー級王座と合わせて、史上初のメジャー3大シングル・タイトルを戴冠する快挙(メジャー完全制覇)を成し遂げた。 2014年2月13日、現役引退を発表し、28年のプロレス生活に終止符を打った。引退後は健介オフィスに所属し、主にタレント活動を行っている。妻は全日本女子プロレス出身の元プロレスラーで健介オフィス代表取締役の北斗晶(佐々木久子)。長男の妻は女子プロレスラーの凛 福岡市立花畑中学校時代から柔道を始める。
神崎 文枝(かんざき ふみえ、1966年8月4日 - )は、… 神崎 文枝(かんざき ふみえ、1966年8月4日 - )は、日本の保育士、元女子プロレスラー。身長156cm、体重55kg、血液型AB型。東京都江東区出身。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
飯塚 高史(いいづか たかし、本名および旧リングネーム:飯塚… 飯塚 高史(いいづか たかし、本名および旧リングネーム:飯塚 孝之(いいづか たかゆき)、1966年8月2日 - )は、日本の男性プロレスラー。北海道・室蘭市出身。血液型B型。最終所属は新日本プロレス。 北海道室蘭東高等学校時代はバスケットボール部に所属。当時のニックネームは「ハルク」だった。1985年5月、新日本プロレスに入門。1986年11月2日、野上彰(現:AKIRA)戦にてデビュー。若手時代の1989年、馳浩と共に行ったグルジアでのサンボ修行により、グラウンドレスリングの高度な技術を習得、道場ではコーチを務めた時期もある。また、その技術を買われてパンクラスのリングにて鈴木みのると「キャッチレスリング」(打撃無しルール)で対戦している。
直井 敏光(なおい としみつ、1966年5月6日 - 199… 直井 敏光(なおい としみつ、1966年5月6日 - 1993年1月8日)は、大阪府高槻市出身の元プロレスラー。 学生時代の1988年、パワーリフティングの全日本学生選手権で優勝の実績を持つ。 1992年、SWSに練習生として入門したが、正式デビューする前にSWSは崩壊してしまう。その後『道場・檄』『パライストラ』のメンバーが中心となって設立したNOWの所属選手となる。 1992年8月9日、後楽園ホールでのプレ旗揚げ戦で鶴見五郎とエキシビジョン・マッチを行い、同年10月26日、後楽園ホールでの畠中浩(現:畠中浩旭)戦で正式デビュー、将来を嘱望されていた。 しかし年が明けた1993年1月8日、前日の福井県鯖江市での興行を終えて、団体内の人手不足もありリング機材を乗せたトラックを運転して、川畑輝(現:川畑輝鎮)とともに帰京する途中、敦賀市の北陸自動車道上り線で道路の右側斜面に衝突し横転事故を起こした。
エル・サムライ(1966年4月19日 - )は、日本の男性覆… エル・サムライ(1966年4月19日 - )は、日本の男性覆面レスラー。岩手県花巻市出身。血液型B型。本名:松田 納(まつだ おさむ)。 専修大学北上高等学校でレスリング部に所属。インターハイ・国体に出場するなど活躍。 1985年4月、新日本プロレスに入門。同期に飯塚孝之(後に飯塚高史)がいる。 1986年7月24日、船木優治戦でデビュー。 1991年3月、メキシコへ初遠征。UWAエリアを中心に活動し、マスクマンエル・サムライ(文字通りスペイン語で「侍」)となる。 1992年3月に凱旋帰国し、帰国当初はレイジング・スタッフと試合を行うことが多く、サムライもほぼ毎回のようにマスク剥ぎに遭う。同年4月、第三回TO OF THE SUPER Jr.に初出場。
松永 光弘(まつなが みつひろ、1966年3月24日 - )… 松永 光弘(まつなが みつひろ、1966年3月24日 - )は、日本の元プロレスラー、実業家(飲食店経営)。有限会社ミスターデンジャー代表取締役。通称「ミスター・デンジャー」。 中京高等学校(現:中京大学附属中京高等学校)、中京大学出身。齋藤彰俊、紀藤真琴、野中徹博と同期。高校時代、相撲でインターハイベスト32。大学時代に久島海と対戦経験がある。相撲に見切りを付けたのには山響親方(元大関・朝潮、現在は高砂親方)が久島海を「大相撲にはあれぐらいの体はざらにいる。」と辛辣に評したことが影響している。 空手に転じ、寛水流空手、誠心会館知多支部長(士道館杯にて全日本3位)を経る。 FMWの旗揚げに誠心会館所属として参戦、旗揚げ戦の1989年10月6日の名古屋市露橋スポーツセンター大会においてデビュー(対ビリー・マック戦)。
AKIRA(アキラ、1966年3月13日 – )は、日本の男… AKIRA(アキラ、1966年3月13日 – )は、日本の男性プロレスラー、俳優。本名:野上 彰(のがみ あきら)。プロレスラーとしてはMAKAIに所属、俳優としてはアキラノガミの名前で浅井企画に所属している。千葉県習志野市出身。血液型O型。 1984年、新日本プロレスに入門する。同期には、武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、船木誠勝らがいた。福岡県立久留米体育館における武藤敬司戦でデビュー。船木誠勝と組み、タッグでU.W.F.の安生洋二・中野龍雄組と好試合を連発し、前座を沸かせる。その後欧州武者修行を経て、凱旋帰国と同時に第16代IWGPジュニアヘビー級王座を奪取。この頃、東京ドーム大会で、連獅子風のコスチュームで隈取を施しAKIRAとして試合を行ったこともある。
立野 記代(たての のりよ、1965年12月1日 - )は、… 立野 記代(たての のりよ、1965年12月1日 - )は、日本の元女子プロレスラー。栃木県足利市出身。 1981年、全日本女子プロレス入団。デビュー戦は同年7月12日、地元足利市民体育館興行での対坂本一恵戦である。同年の新人王決定トーナメントでは準優勝を飾る。 1982年8月10日、福島市体育館で長与千種の保持する全日本ジュニア王座に挑戦。大方の予想を覆し、強引な押さえ込みでベルトを奪取した。以降順調に4度の防衛を重ねたが、1984年正月、数年前のトラウマの払拭に臨んだ長与のハーフハッチの前に陥落。王座を明け渡した。 1986年1月、長与千種の膝負傷で返上となったクラッシュギャルズのWWWA世界タッグ王座を、山崎五紀とのコンビでブル中野、コンドル斉藤と争い、新王者に。
風間 ルミ(かざま ルミ、本名:斉藤 ルミエ〈さいとう ルミ… 風間 ルミ(かざま ルミ、本名:斉藤 ルミエ〈さいとう ルミエ〉、1965年11月28日 - 2021年9月21日)は、日本の元女子プロレスラー、元女子シュートボクサー、タレント。東京都台東区出身。血液型B型。 1982年、高校生の時に友人に誘われて始めたキックボクシングで在学中にプロデビュー。 1985年にはシーザー武志に声をかけられシュートボクシング(SB)に入り。SB初の女子試合に出場、美少女シュートボクサーとして雑誌のグラビアを飾り人気アイドルとなる。 1986年、ジャッキー佐藤に誘われプロレスへ転向、ジャパン女子プロレスに入団。 同年8月17日、ジャパン女子プロレス後楽園ホール大会でプロレスラーとしてデビュー。
泉田 純(いずみだ じゅん、1965年10月28日 - 20… 泉田 純(いずみだ じゅん、1965年10月28日 - 2017年1月25日ごろ)は、日本の元男性プロレスラー。元大相撲力士。宮城県栗原郡一迫町(現在の栗原市)出身。全日本プロレス、プロレスリング・ノアに所属していた。血液型B型。 宮城県築館高等学校時代は、相撲部に所属していた。東京農業大学を2年で中退して大相撲の東関部屋に入門し、高見将(たかみしょう)の四股名で1986年3月場所初土俵。後の取材では祖父も急死しており、その分父が苦労する姿を見て来たので、自分も頑張らねばという気持ちがあったことが明らかになり、それが入門の動機になっている。その後、四股名を青雲龍(せいうんりゅう)、武蔵海(むさしうみ)と改名して幕下まで進んだ。
平野 勝美(ひらの かつみ、1965年9月27日 - 202… 平野 勝美(ひらの かつみ、1965年9月27日 - 2024年)は、日本のプロレスラー。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
橋本 真也(はしもと しんや、1965年7月3日 - 200… 橋本 真也(はしもと しんや、1965年7月3日 - 2005年7月11日)は、日本の男性プロレスラー。岐阜県土岐市出身。血液型AB型。 中学時代に父が失踪し、母子家庭で育つが中京商業高等学校在学時に母を亡くした。両親とは縁が薄く、養育したのは実質的に祖母であった。学生時代に柔道を始めたが、両親との縁が薄く家族や仲間の温かみを求めていたことと、柔道の先生から父性の厳しさを教えられたことが、その後も橋本の人格形成に影響を与えたという分析もある。アントニオ猪木に憧れるようになり、1984年(昭和59年)4月に新日本プロレスに入門。同期は武藤敬司、蝶野正洋、船木優治、野上彰。入門初日に後に闘魂三銃士のユニットを組む蝶野と洗濯機の順番を巡って乱闘を起こした。
中野 龍雄(なかの たつお、1965年6月16日 - )は、… 中野 龍雄(なかの たつお、1965年6月16日 - )は、日本のプロレスラー。茨城県下妻市出身。身長172cm、体重88kg。現在のリングネームは中野 巽耀(たつあき、"巽の部首は己でなく巳が正しい表記")。 学生時代は柔道に打ち込む傍ら、藤波辰爾にあこがれプロレスラーを志す。中学3年生時に地元市議会議員を通じ国際プロレスを紹介され、ラッシャー木村に入門を直訴したが、体が小さかったためかなわなかった。 その後上京し、仕事の傍らトレーニングを積み、当時木村が所属していた旧UWFの入門テストに合格する。テストの場には木村も姿を見せ、中野の姿を見るとうれしそうに微笑んだという。 1984年8月29日、高崎市中央体育館における廣松智戦でデビュー。
川畑 輝鎮(かわばた きしん、1965年4月29日 - )は… 川畑 輝鎮(かわばた きしん、1965年4月29日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名は川畑 輝(かわばた ひかる)。鹿児島県大島郡出身。血液型O型。 専修大学時代は相撲部に在籍し、全国学生相撲大会115kg以下級で3位の実績を持つ。 1991年2月のSWS第2回新人公募に合格し入門。9月16日、SWS福井市体育館大会における対片山明&山中鉄也戦で本名の「川畑輝」としてデビュー(パートナーは平井伸和)。 1992年6月のSWS崩壊後はNOWに合流した。しかし、旗揚げ直後となる1993年1月8日、前日の福井県鯖江市での興行を終えて、直井敏光が運転するリング機材を乗せたトラックで帰京する途中、敦賀市の北陸自動車道上り線で道路の右側斜面に衝突し横転事故を起こし、福井県武生市内の病院に救急搬送された。
佐野 巧真(さの たくま、1965年2月2日 - )は、日本… 佐野 巧真(さの たくま、1965年2月2日 - )は、日本の元男性プロレスラー。北海道苫小牧市出身、神奈川県川崎市在住。血液型A型。プロレスラーとしてのキャリアにおいて、様々なリングネームを名乗っている。本名および旧、最終リングネームは佐野 直喜(さの なおき)。最終所属フリー。 苫小牧西高校卒業と同時に新日本プロレスに入門。1984年3月3日、後楽園ホールで佐野 直喜(さの なおき)として仲野信市戦でデビュー。下記の獣神サンダー・ライガーの中身である山田恵一とは同学年で同期で、同じ日にデビューした。この際、アントニオ猪木から、佐野と山田がデビューしたい会場を選ぶ事を許され、共に後楽園ホールを選んだ。
高階 由利子(たかがい ゆりこ、1965年1月8日 - )は… 高階 由利子(たかがい ゆりこ、1965年1月8日 - )は、日本の元女子プロレスラー。千葉県松戸市出身。合同会社「オフィスTAKAGAI」で代表兼マネージャーを務める。 1977年、小学6年生の時に全日本女子プロレスの第1回新人オーディションを受験し合格するが、中学卒業後まで入門を待たされる。 1980年、15歳で全日本女子プロレスの昭和55年組として入門。8月8日、田園コロシアム大会の対坂本和恵戦でデビュー。その後、ナンシー久美率いる「レッド・フェニックス」に所属。 1982年9月28日、千葉公園体育館大会で立野記代の持つ全日本ジュニア王座に挑戦するが、20分時間切れ引き分けで獲得ならず。その後、11月に胸部を負傷。
長与 千種(ながよ ちぐさ、1964年12月8日 - )は、… 長与 千種(ながよ ちぐさ、1964年12月8日 - )は、日本の女子プロレスラー、実業家、女優。長崎県大村市出身。女子プロレスラーのカリスマの一人とされる。 父親は競艇選手の長與繁。 競艇選手として財を成した父がいる裕福な漁師の家庭に生まれ、10歳まで何不自由なく育ったが、小学5年生の時に父が「保証倒れ」で億単位の借金を背負った。一家は離散し、4年間で親戚の家を5軒たらい回しにされた。 食べるのにも不自由する生活を送り、親戚から厄介者扱いされたため、居場所が無いと感じた長与は中学1年生になると勉強をしなくなり、学業成績は急降下した。成績が悪いという理由で血がにじむほど殴る数学教師が嫌で学校にも行かなくなった。
菊地 毅(きくち つよし、1964年11月21日 - )は、… 菊地 毅(きくち つよし、1964年11月21日 - )は、日本の男性プロレスラー。宮城県仙台市出身。血液型B型。 小中学生の頃はスイミングクラブに通い、一級下のクラスには齋藤彰俊がいた。大東文化大学へ進学後はレスリング部で活躍。1986年の全日本学生選手権フリースタイル100kg級に出場し優勝を果たした。その前年まで、このクラスを連覇していたのは本田多聞であった。 1987年にジャンボ鶴田の紹介で全日本プロレスに入門。1987年12月、後楽園ホールでの『ハル薗田選手夫妻を偲ぶメモリアル・セレモニー』でのバトルロイヤルで小橋健太と共にデビューし、1988年2月に滋賀県栗東町民体育館の百田光雄戦で本デビュー。
神取 忍(かんどり しのぶ、1964年〈昭和39年〉10月3… 神取 忍(かんどり しのぶ、1964年〈昭和39年〉10月30日 - )は、日本の女子プロレスラー、元政治家。所属団体はLLPW-X。通称、ミスター女子プロレス。本名、神取 しのぶ(読み同じ)。 町道場出身の柔道家時代を経て、1986年にジャパン女子プロレスから女子プロレスラーとしてデビュー。1992年のLLPWの旗揚げに参加し、2002年より同団体の代表を務める。2004年から政治活動を開始し、2006年に繰上げ当選。2010年まで参議院議員を務めた。2024年時点で現役を引退しておらず、プロレスラーのまま還暦を迎えた。 中学3年生の頃に、町道場で柔道を始める。柔道部がない女子高校に進学したため、町道場で柔道を続けた。
幸村 ケンシロウ(ゆきむら ケンシロウ、1964年8月28日… 幸村 ケンシロウ(ゆきむら ケンシロウ、1964年8月28日 - )は、日本のプロレスラー。本名:幸村 賢一郎(ゆきむら けんいちろう)。
藤原 健(ふじわら たけし、男性、1964年7月24日 -)… 藤原 健(ふじわら たけし、男性、1964年7月24日 -)は、愛媛県越智郡大三島町(現・今治市)出身の空手家・柔道家・グレコローマンレスラー・キックボクサー・格闘家。 芦原会館創始者・初代館長の芦原英幸は師匠である。 更にはサウンドエンジニア・プロデューサー・プロドライバーである。 1969年(昭和44年)初頭より喧嘩十段と云われた天才空手家、芦原英幸より極真空手を学ぶ。 小学生の時第一回全世界空手道選手権大会を応援観戦為上京した際、極真会館大山倍達館長より 「極真空手はねぇ、総合武道だよー、空手向上の為にキックボクシング・柔道・レスリング何でもやりなさい。 そして、空手で一番強く成りなさい」と言われた。
片山 明(かたやま あきら、1964年7月12日 - )は、… 片山 明(かたやま あきら、1964年7月12日 - )は、新日本プロレス、SWSに所属したプロレスラー。
大矢 剛功(おおや ひさかつ、1964年7月2日 - )は、… 大矢 剛功(おおや ひさかつ、1964年7月2日 - )は、日本のプロレスラー。石川県金沢市出身 で、現在は兵庫県神戸市在住。身長185cm、体重105kg。現在はフリーとして、主戦場とする北都プロレスのほか各プロレス団体に参戦している。かつての本名は大矢健一であったが、法的手続きを執り、本名も大矢剛功に変更している。 藤花学園尾山台高等学校卒業後、神戸市の体育専門学校を経て、1985年に新日本プロレスに入門。 1986年4月20日、木更津市倉形スポーツ会館において蝶野正洋戦でデビューしたが、ドン荒川が開発した新技の実験台にされたりしていた。その後、右腕の怪我で一年休場し、新日本より退団を言い渡されたが選手会の仲立ちで退団は撤回された。
永友 香奈子(ながとも かなこ、1964年4月20日 - )… 永友 香奈子(ながとも かなこ、1964年4月20日 - )は、北海道函館市出身の元女子プロレスラー。 函館大学付属柏稜高校ではハンドボール部で活躍。 卒業後はジャッキー佐藤に憧れ、全日本女子プロレスに昭和58年組として入門。同期にブル中野、小倉由美、小松美加、後にレフェリーに転じる柳下まさみ。 1983年6月24日、函館市民体育館での小倉由美戦でデビュー。 小松美加とのタッグ「オペロン同盟」で活躍した。 1986年、6月後楽園ホール大会で小松美加と組んで、全日本タッグ選手権の初代王者チーム小倉由美、永堀一恵に挑戦。永友のタイムアップ寸前の押さえ込みにより、王座を獲得した。小松との「オペロン同盟」は実力よりキャラクターの魅力で人気があった。
川田 利明(かわだ としあき、1963年12月8日 - )は… 川田 利明(かわだ としあき、1963年12月8日 - )は、日本の男性プロレスラー、実業家、調理師、タレント。栃木県下都賀郡大平町(現:栃木市)出身。タレントとして太田プロダクションに所属。血液型O型。2010年をもってプロレスラーとしては事実上引退状態となっている。 「名勝負製造機」とも称される試合巧者振りと、キック主体のレスリングスタイルが特徴であった。 中学時代からプロレスラーを志し、野球部・相撲部に所属していた。2004年に同じ太田プロダクション所属のスマイリーキクチ・有吉弘行と対談を行った際には、中学2年生の時点で身長は公表しているプロフィールと同じ183cmもあり、現在も当時と変わっていないと川田も発言している。
蝶野 正洋(ちょうの まさひろ、1963年〈昭和38年〉9月… 蝶野 正洋(ちょうの まさひろ、1963年〈昭和38年〉9月17日 - )は、日本の男性プロレスラー、YouTuber。アメリカ合衆国ワシントン州シアトル出身、東京都(渋谷区、三鷹市)育ち。血液型O型。 父は愛媛県新居浜市出身で、日本製紙の前身企業のひとつ・山陽国策パルプ専務を務めた蝶野照正。母は愛媛県大洲市出身で医者の家系であった。兄と姉がいる。父の赴任先であるアメリカ合衆国ワシントン州シアトルで3人兄弟の末子として生まれた。2歳半で帰国し、以後は神奈川県川崎市多摩区、東京都渋谷区、三鷹市で過ごす。アメリカと日本の多重国籍であったが帰化[要出典]している。 目黒区たちばな幼稚園、渋谷区立猿楽小学校、三鷹市立北野小学校、三鷹市立第五中学校、三鷹市立第六中学校、東京都立永山高等学校卒業。
大刀光 電右エ門(たちひかり でんえもん、1963年9月12… 大刀光 電右エ門(たちひかり でんえもん、1963年9月12日 - )は、千葉県千葉市出身の元大相撲力士、プロレスラー。本名は河原 修(かわはら おさむ)。 1963年9月12日に千葉県千葉市で、母親がスナックを経営している家に三男として生まれる。小学校高学年では少年野球で速球派投手として活躍していたが、千葉市立花園中学校では一転してバレーボール・サッカーなど様々な球技を行っていた。中学校時代のある日、教師から半ば強引に参加を誘われた相撲の全国大会へ出場するなど、次第に相撲を始めるようになった。 安田学園高等学校進学後は相撲部に所属し、1年先輩である寺尾常史から稽古を付けられていたが、寺尾が2年生で中退したことで河原も1年生の11月に中途退学、スナックを廃業した母親が勤務する千葉畜産工業に就職した。
サンボ浅子(サンボあさこ、1963年8月27日 - 2004… サンボ浅子(サンボあさこ、1963年8月27日 - 2004年5月18日)は、日本のプロレスラー。本名:浅子 文晴(あさこ ふみはる)。 中学2年生より柔道を始め、柔道家を経て1982年の世界サンボ選手権で活躍後、第一次UWFやジャパン女子プロレスの営業マンとして勤務していたが、1989年10月に大仁田厚が旗揚げしたFMWへ初期のレスラーとして参加。12月1日に対徳田光輝戦でプロデビュー。 大仁田厚・ターザン後藤に次ぐ「FMW第3の男」と呼ばれ、明るく憎まれない人柄とサンボ仕込みのファイトスタイルで、ファンに親しまれて大仁田軍団の一員として活躍する。しかし持病の糖尿病で体調を崩してしまい、1995年1月5日に行われた後楽園ホール大会の大仁田戦で現役を引退する。
ターザン後藤( - ごとう、本名:後藤 政二(ごとう まさじ… ターザン後藤( - ごとう、本名:後藤 政二(ごとう まさじ)、1963年8月16日 - 2022年5月29日)は、日本の元プロレスラー、元大相撲力士。静岡県島田市出身。入場曲は「汚れた英雄」。 中学校を卒業後、15歳の時に九重部屋へ入門。後藤(ごとう)の四股名で1979年年3月場所より初土俵を踏む。同部屋には後の横綱となる北勝海や、小結の孝乃富士(安田忠夫)がいる。しかし同年の11月場所をもって廃業を決め、最高位は序二段95枚目だった。島田市出身者として初の力士誕生でもあり、当時後藤の実家にも地元マスコミの取材が来たという。 大相撲を短期間で廃業した理由として、同じく角界出身で全日本プロレス入門時に教育係だったグレート小鹿によると「後藤の足裏が土俵の土によって切れやすく、そこに塩が染みて痛くなり相撲に集中出来ず、体質が合わなかった」と語っている。
本田 多聞(ほんだ たもん、1963年8月15日 - )は、… 本田 多聞(ほんだ たもん、1963年8月15日 - )は、日本の男性プロレスラー。元レスリング選手、元陸上自衛官。フリーランス。血液型B型。 神奈川県横浜市出身。土浦日本大学高等学校、日本大学卒業。 父は1964年東京オリンピックへの出場歴があるカヌー選手・本田大三郎。プロサッカー選手・本田圭佑の実父は従兄弟にあたる。 父から「レスリングで優勝できなければ大相撲へ入門させる」と脅され、必死にレスリングの練習に励んだ。中学時代から自衛隊の練習に参加するなど、早くからレスリングの素質を見出された。日大在学時にロサンゼルスオリンピックレスリング・フリースタイル100kg級で5位入賞(高校・大学の同窓に小林孝至がいる)、その後自衛隊体育学校に特体生で入校。
ライオネス飛鳥(ライオネスあすか、本名:北村 智子(きたむら… ライオネス飛鳥(ライオネスあすか、本名:北村 智子(きたむら ともこ)、1963年7月28日 - )は、日本の元女子プロレスラー、タレント、実業家。東京都練馬区生まれ、埼玉県蓮田市育ち。パーフィットプロダクション所属。 蓮田市立黒浜中学校を経て、埼玉県立蓮田高等学校を中退後、1980年に全日本女子プロレスに入団する。入団テストではトップの成績で、すぐれた運動神経であり、技もすぐに覚えるエリートであった。同年5月10日に同期の奥村ひとみ、師玉美代子との巴戦でデビュー。後にリングネームを改めて、後に親友となる長与千種とのクラッシュギャルズで一大ブームを巻き起こす。1981年には全日本ジュニア王座、1982年には全日本シングル王座を獲得した。
仲野 信市(なかの しんいち、1963年3月14日 - )は… 仲野 信市(なかの しんいち、1963年3月14日 - )は、日本の男性プロレスラー。佐川急便セールスドライバー。 神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。身長185cm、体重110kg。血液型O型。
武藤 敬司(むとう けいじ、1962年12月23日 - )は… 武藤 敬司(むとう けいじ、1962年12月23日 - )は、日本の元男性プロレスラー、俳優、タレント。山梨県富士吉田市出身。最終所属はプロレスリング・ノア。 1990年代から2000年代にかけてプロレス界を牽引した闘魂三銃士の1人。山梨県・石川県観光大使。武藤塾塾長。娘はシンガーソングライターの霧愛(むぅあ) こと武藤愛莉。 出生時は4000gの体重があった。富士吉田市立下吉田第一小学校2年生のときに、ドラマ「柔道一直線」を見て柔道を習い始める。学年で一番背が高く大柄であったが、バク転やバク宙、鉄棒の大車輪を器用にこなす運動神経の持ち主であった。小学校5年生で柔道と並行して少年野球チームにも入り、エースで4番を任された。
茂木 正淑(もてぎ まさよし、1962年11月24日- )は… 茂木 正淑(もてぎ まさよし、1962年11月24日- )は、日本のプロレスラー。
スーパーライダー(1962年11月9日 - )は、日本の覆面… スーパーライダー(1962年11月9日 - )は、日本の覆面レスラー。本名:渡部 優一(わたなべ ゆういち)。武道団体・掣圏真陰流興義館の館長。元プロ総合格闘家で修斗初代ウェルター級チャンピオン。栃木県足利市出身。 1993年10月28日、谷津嘉章が設立したプロレス団体「SPWF」に仮面ライダー的マスクを被ったホッパーキングとして登場。野鳥の森とーぶ福寿殿駐車場で行われた興行で、鶴見五郎・大矢剛功とタッグを組み、三浦博文、川端輝鎮、丸山昭一組を相手にデビュー戦を行った。 その後、プロレスショップの助言を受けて、1996年1月25日の「PWC」北沢タウンホール大会よりリングネームをスーパーライダーに改名。
ジャンボ堀(ジャンボほり、1962年(昭和37年)9月25日… ジャンボ堀(ジャンボほり、1962年(昭和37年)9月25日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名:堀 あゆみ(ほり あゆみ)。 中学生の頃はバレーボールに打ち込んでいた。 フジテレビで全日本女子プロレスのオーディションが開かれると聞き「アイドルに会える」という安易な考え方で受けて一発で合格した。当時はプロレスを全く知らず、「ビューティペア」をアイドルだと思っていた。そして審査員だったビューティペアのジャッキー佐藤に「履歴書の記述よりも背が低いのでは」と問われ、逆に「上げ底の靴を履いているのでは」と言い返し、ヒールの靴を脱いだジャッキー佐藤の隣に立ったら、172cmの身長であったジャンボ堀の方が背が高かった。
山崎 一夫(やまざき かずお、1962年8月15日 - )は… 山崎 一夫(やまざき かずお、1962年8月15日 - )は、整体師、鍼灸師、タレント、元男性プロレスラー。血液型B型。YouTuber。東京都港区出身。愛称は山ちゃん。ワールドプロレスリングの解説を務めていた。 東京都港区麻布十番生まれ。しばしば、山崎は「『いいところに住んでいたんだね』と言われるが、チンチン電車が走っているぐらいで何もなかった。唯一、これっていうのは東京タワーが近くに見えるぐらい」と生育環境を語っている。父親はパイプ加工企業に勤めていた会社員であった。5歳の時、世田谷区の九品仏に引っ越している。中学時代に友人にプロレスラーになりたいと言ったところ、新日本プロレスの道場を勧められ、そこで練習生としてトレーニングを始めた。
三沢 光晴(みさわ みつはる、1962年6月18日 - 20… 三沢 光晴(みさわ みつはる、1962年6月18日 - 2009年6月13日)は、日本のプロレスラー。本名:三澤 光晴(みさわ みつはる)。1981年に全日本プロレスにてデビュー。同団体のトップレスラーとして活躍した後、2000年にプロレスリング・ノアを旗揚げ。レスラー兼社長として同団体を牽引。2009年6月13日、試合中リング禍により死去。46歳没。
デビル雅美(デビルまさみ、1962年1月7日 - )は、日本… デビル雅美(デビルまさみ、1962年1月7日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名:吉田 雅美(よしだ まさみ)。福岡県北九州市若松区出身。身長168cm、体重91kg。怪奇派レスラー『スーパーヒールデビル雅美』としての顔も持つ。独身。 リングネームは高橋 雅美→天神マサミ→デビル雅美と変遷。デビル雅美という名前は、当時所属していた全日本女子プロレスのヒールだからという判断に由来する。 2008年12月30日の後楽園興行にて引退。女子プロレス第1次全盛期から一度も引退せず活動した唯一のレスラー。日本の女子プロレスラーにおいて最長の活動歴を持つ。 中学校時代は吹奏楽部に所属。家計を助けるため高校を1年で中退した。
大森 ゆかり(おおもり ゆかり、芸名:大森友伽里、1961年… 大森 ゆかり(おおもり ゆかり、芸名:大森友伽里、1961年(昭和36年)12月21日 - )は、日本の元プロレスラー、元タレント。第74代WWWA世界タッグ王者、第76代WWWA世界タッグ王者、第33代WWWA世界シングル王者。ニックネームはナツコ、女力道山。北海道札幌市出身。 1961年(昭和36年)12月21日、北海道札幌市に生まれる。格闘技好きの父の勧めで幼少期から柔道やわんぱく相撲に出場していた。 1980年(昭和55年)、鏡山親方を後見人として、全日本女子プロレスへ入門。同期にはクレーン・ユウ、ダンプ松本、長与千種、ライオネス飛鳥らがいる。同年入門者はのちにトップ選手へ成長し、「昭和55年組」と呼ばれるようになった。
金沢 克彦(かなざわ かつひこ、1961年12月13日 - … 金沢 克彦(かなざわ かつひこ、1961年12月13日 - )は、プロレス・格闘技ライター、編集者。北海道帯広市出身。青山学院大学経営学部卒業。 週刊ゴング編集部時代はGK(ゴング金沢)と呼ばれ、現在もその呼称で呼ばれることが多い。眼鏡と長髪が特徴。 1986年に新大阪新聞社へ入社し、東京支社で同社発行の週刊ファイト編集部記者となる。1989年に日本スポーツ出版社へと引き抜かれ入社、同社発行の週刊ゴング編集部入り。週刊ゴング編集部時代は担当の新日本プロレス贔屓の筆で知られた。当時、新日本プロレスの現場責任者であり、マスコミとは一線を画していた長州力に食い込んで信頼関係を築き、数々の単独インタビューの機会を得た。
高木 功(たかぎ いさお、1961年11月8日 - )は、大… 高木 功(たかぎ いさお、1961年11月8日 - )は、大阪府守口市出身の男性プロレスラー、元大相撲力士。嵐のリングネームでの活動が知られている。 「空爆重戦車」のニックネームを持つヘビー級の選手で、かつては全日本プロレス、ドラディションに所属、主戦場としていた。 大相撲時代では高田川部屋に所属し、四股名は卓越山 吾郎(たくえつやま ごろう)であった。当時は、身長187cm、体重148kg。最高位は西十両5枚目(1985年11月場所)。得意技は突き、押し。 知人の紹介で中学卒業と同時に同じ守口市出身の元大関・前の山の高田川部屋に入門。1977年3月場所に「前の光 功」(まえのひかり いさお)の四股名で初土俵を踏んだ。
ジャガー横田(ジャガーよこた、1961年7月25日 - )は… ジャガー横田(ジャガーよこた、1961年7月25日 - )は、日本の女子プロレスラー、タレント。本名:木下 利美(きのした りみ)、旧姓:横田(よこた)。所属団体はワールド女子プロレス・ディアナ。ホームページは、ジャガー横田.com。 4人姉妹の末娘として誕生。荒川区立尾久西小学校、荒川区立第七中学校卒業。中学当時は卓球部に所属していた。卓球で淑徳高等学校への推薦入学が内定していたが、家庭の経済的負担を軽減するために辞退し、全日本女子プロレス入りする。その時の動機は「これは私にもできそう」ということだった。 1977年6月28日、大田区体育館大会で全日本女子プロレスからデビュー。身長160cmという女子レスラーとしては体格は小柄で軽量の持ち主ながら、その気迫迫るファイトは「女子プロレス界一のストロングスタイル」と評され、これまでに初代全日本ジュニア王者、初代全日本シングル王者、第29代・31代WWWA世界シングル王者など数々のタイトルを所持している。
田上 明(たうえ あきら、1961年5月8日 - )は、日本… 田上 明(たうえ あきら、1961年5月8日 - )は、日本の元男性プロレスラー、元大相撲力士、実業家、飲食店経営者。埼玉県秩父市出身。血液型A型。身長191cm、体重115kg。大相撲力士 - プロレスラー時代は身長192cm、体重120kg。 力士時代は押尾川部屋所属で四股名は玉麒麟 安正(たまきりん やすまさ)。最高位は西十両6枚目(1987年1月場所)。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。 全日本プロレスの運営会社・全日本プロ・レスリング株式会社の取締役、プロレスリング・ノアの運営会社・株式会社プロレスリング・ノアの代表取締役社長、事業を譲渡されたノア・グローバルエンタテインメントの相談役を歴任した。