中谷 千代子(なかたに ちよこ、1930年1月16日 - 1… 中谷 千代子(なかたに ちよこ、1930年1月16日 - 1981年12月26日)は、日本の画家、絵本作家。 1930年1月16日、東京府生まれ。東京府立第十一高等女学校(現東京都立桜町高等学校)卒業後、東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵科に進学。美術学校在学中は梅原龍三郎に師事した。後に詩人として活躍する岸田衿子は同級生で、親友となった。美術学校卒業後、先輩だった中谷貞彦と結婚。 在学中から子どもに絵を教える中で、子どもの絵の表現から学んでいたが、1957年ごろから絵本の仕事に興味を持つ。岸田に誘われて、福音館書店の編集長松居直を訪ね、絵本を作ることになる。 最初の作品は『ジオジオのかんむり』(「こどものとも」52号(1960年7月号))で、主人公のライオンのジオジオを描くために動物園でイメージに合うライオンを探し、原画は7回描きなおした。
今井 珠泉(いまい しゅせん、1930年1月14日 - 20… 今井 珠泉(いまい しゅせん、1930年1月14日 - 2023年1月15日)は、日本の画家。広島市立大学名誉教授、尾道市立大学名誉教授。本名は、今井昭吾。 福島県白河市生まれ。1947年、旧制白河中学校(現 白河高等学校)を卒業。1956年、東京藝術大学美術学部日本画科卒業。在学中は、前田青邨に師事した。 同年、院展に「禮拝」が初入選。1969年、愛知県立芸術大学助教(- 1971年)。1978年と1988年に紺綬褒章を受章する。1992年・1994年・1999年の三度にわたり、日本美術院賞(大観賞)を受賞する。2003年10月30日、日本美術院同人に推挙される。2009年、院展に出品した「静日(イヌワシ)」「静夜(流氷)」が文部科学大臣賞を受賞する。
西原 清之(にしはら きよゆき、1930年-2019年)は日… 西原 清之(にしはら きよゆき、1930年-2019年)は日本の建築家、都市計画家(一級建築士、技術士)。東京大学の丹下健三研究室で大学院を修了、しばらくしてカナダに渡りトロント大学の講師を務めてから、ヨーロッパ中近東を経て帰国した。帰国後は西原研究所(Nishihara Planning Systems inc.)を設立し、建築設計監理を主な業務として活躍したが、先進事例の少なかった国営公園(400ha)、レクリエーション都市(1,200ha)などの余暇施設整備にも積極的に取り組んだ。また各省庁の大規模開発のF/S(フィジビリティスタディ)を作成するという未踏領域の開拓にもかかわるなど、ミニ・シンクタンク的役割も果たしてきた。
宮原 麗子(みやはら れいこ、1930年(昭和5年) - 2… 宮原 麗子(みやはら れいこ、1930年(昭和5年) - 2021年12月(令和3年)、旧姓高橋)は、日本の洋画家、女流画家協会委員、一水会委員である。神奈川県川崎市に居住した。 長野県岡谷市生まれ。。父は岸田劉生に師事し一水会会員、日展委嘱作家であった洋画家の高橋貞一郎、弟は女子美術大学名誉教授の洋画家高橋靖夫である。因みに麗子の名は、父が岸田劉生の娘麗子から名づけたと言われている。 1949年(昭和24年) 長野県岡谷東高等学校卒業。高校在学中に長野県美術展(県展)に入選するなど若いころから、その才能を発揮していた。その後女子美術大学洋画科入学。在学中から一水会展と女流画家協会展へ作品を出品しはじめ、本格的に絵の道を志すようになった。
小森園 綾子(こもりその あやこ、神保 綾子〈じんぼう あや… 小森園 綾子(こもりその あやこ、神保 綾子〈じんぼう あやこ〉、1930年 - 1994年1月)は、日本の洋画家。鹿児島県とパリで活動。 鹿児島県出身。鹿児島県立甲南高等学校で美術部に所属。同高校から東京都の女子美術大学に進学。東京では春田安喜子のアパートに住み込みで師事。また、海老原喜之助、吉井淳二の知遇も得て師事する。1954年に女子美術大学を卒業し、教師となる。 1953年と1954年に独立展入選。1954年の第9回南日本美術展で奨励賞受賞。1955年から1962年まで二科展入選。1958年の第13回南日本美術展で県知事賞(最高賞)受賞。1961年、二科会のパリ留学生に選ばれ、1962年にフランスへ渡る。
野々内 良樹(ののうち よしき、1930年 - 2009年)… 野々内 良樹(ののうち よしき、1930年 - 2009年)は、京都府出身の日本画家。日展会員。 父親は、日本画家の野々内保太郎。 この項目は、日本の文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 日本・ウィキプロジェクト 日本文化)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
藤田 ミラノ(ふじた ミラノ、1930年〈昭和5年〉 - )… 藤田 ミラノ(ふじた ミラノ、1930年〈昭和5年〉 - )は、日本の画家、イラストレーター。ヨーロッパではMIRA FUJITA(ミラ・フジタ)の名前で活動した。日本では雑誌や小説に描かれた少女のイラストで、ヨーロッパでは若い女性の道化師などを描いたポスターやさまざまなグッズで知られる。 書家の藤田讃陽の長女として香川県に生まれる。本名は藤田久美。就学前に東京都武蔵野市に転居する。子どもの頃は読書好きで、絵では父親の買ってきた『講談社の絵本』の梁川剛一の絵が好きだった。女学生時代には放課後の琴の稽古などをさぼって、友達と捕物帖や探偵小説、怪奇小説などを一緒に読んでいたが、少女小説はその存在すら知らなかった。
番匠谷 尭二(ばんしょうや ぎょうじ、1930年 - 199… 番匠谷 尭二(ばんしょうや ぎょうじ、1930年 - 1999年)は、日本の都市計画家、建築家。 シリアの二大都市であるダマスカス、アレッポの現行都市計画の礎をつくった人物。 1930年、立教大学教授番匠谷英一の次男として誕生。 1953年東京工業大学工学部建築学科卒業。清家清に師事。 渡仏し、エコール・デ・ボザール、フランスのCIAM系アトリエ「ATBAT」に学ぶ。 その後北アフリカに渡り、アルジェの共生住宅集合住宅プロジェクト計画に参画。続いて1967年、国連開発計画UNDPの専門家として、シリアに赴任。1960年代にベイルート、ダマスカスの都市計画をミッシェル・エコシャールらとともに策定。
平野 杏子(ひらの きょうこ、1930年 - )は、日本の画… 平野 杏子(ひらの きょうこ、1930年 - )は、日本の画家、造形作家。大久保作次郎、三岸節子に師事。 1930年、神奈川県伊勢原市の事業家の家に生まれる。1962年より平塚市にアトリエを構え、初期は具象的な風景や静物に才能を見せながら、次第に仏教に傾倒し、抽象的な作風の大作を発表するようになる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
瀬本 容子(せもと ようこ、1930年(昭和5年) - )は… 瀬本 容子(せもと ようこ、1930年(昭和5年) - )は、日本の画家及び、芸術家。岡山県倉敷市生まれ。 中世からルネッサンスにかけての古典技法で、板やガラス、羊皮紙にテンペラ画を描く 。ラピスラズリやローズマダー、イカの墨等を原料として絵の具に使用し、額も制作している。銀座を中心に各地で個展を開催しており、主に幻想的な女性や子供、果実や風景等、多くの作品を制作する。 1930年、岡山県浅口郡玉島町に、五人兄弟の長女として生まれる。父親は証券業を営んでいた。 東京都にある自由学園女子部に入学し、学生時代には倉敷市にある大原美術館で白樺派の武者小路実篤や志賀直哉、梅原龍三郎、安井曾太郎の座談会やラザール・レビィのピアノ演奏に触れ、芸術を身近に感じることで画家になることを決意する。
白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年1… 白鳥 三郎(しらとり さぶろう、1930年 - 2018年10月22日)は、日本生まれの画家であり、独立美術協会の審査員を務めた経歴を持つ。宮城県古川市(現:大崎市古川)出身。戦後の日本美術界において独自の画風を確立し、数々の展覧会で評価された。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)の出身、宮城県古川高等学校を卒業後東京芸術大学(旧東京美術学校)に進学。大学では日本画と洋画の基礎を学びながら、美術史に関心を深めた。在学中に樋口加六、海老原喜之助ら日本の美術界の著名な画家に師事。これにより白鳥は、フランスの巨匠アンリ・ルソーや藤田嗣治(レオナール・フジタ)の影響を受けた芸術潮流を間接的に受け継ぐこととなった。
川上 秀光(かわかみ ひでみつ、1929年10月19日 - … 川上 秀光(かわかみ ひでみつ、1929年10月19日 - 2011年9月11日)は、日本の都市計画家。都市計画学者。東京大学名誉教授。 京都府出身。1954年東京大学工学部建築学科卒業。その後、大学に残り研究に従事。 1963年、東京大学助教授。1971年「都市基本計画の目標設定・構成内容と関連諸計画」で東大工学博士。1975年教授。1988年退官、名誉教授、芝浦工業大学教授。 1981年、建築審議会委員。1981年から1984年まで、日本都市計画学会学術委員長、1985年副会長、1987年会長。 その他都市域の研究代表や都市圏や環境計画の体系化の研究、特に東京に関する要職として東京都長期計画専門委員会委員、新長期構想懇談会委員、東京湾未来像、隅田川将来像、都民大学設定懇談会委員、東京湾地域の開発・環境保全専門部会長を歴任した。
宇佐美 江中(うさみ こうちゅう、1929年(昭和4年)9月… 宇佐美 江中(うさみ こうちゅう、1929年(昭和4年)9月1日 - )は愛知県出身の日本の日本画家。本名は豊。社団法人日展会員を経て日展理事、日春展顧問。 1929年(昭和4年)9月1日、愛知県に生まれる。愛知県立松蔭高等学校卒業。始め川合玉堂、後に奥田元宋に師事。 1962年(昭和37年)「凪」が新日展に入選。以後1993年(平成5年)第25回日展にて日展会員賞、1997年(平成9年)第29回日展にて文部大臣賞。 2004年(平成16年)、2003年(平成15年)第35回改組日展出品作「暮れゆく函館」が平成15年度(第60回)日本芸術院賞。
小崎 隆雄 (こさき たかお、1929年7月29日 - 20… 小崎 隆雄 (こさき たかお、1929年7月29日 - 2015年9月21日) は、日本の洋画家である。 東北大学教育学部卒。大学時代から、洋画家杉村惇(仙台市名誉市民)に師事。大学卒業後、中学校の美術教師をしながら宮城県仙台市太白区にて活動。絵画を制作し、日展、日洋会展、河北展、県芸術展などで作品を発表した。 1973年に第1回東北・北海道選抜美術展出品し、1978年に日展新人選抜展出品。1982年に日洋会展審査員となる。 1985年から1990年まで、「仙台市彫刻のある街づくり」委員を務める。1985年から1998年まで宮城県美術館協議会の委員を務める。 1988年から1992年まで、仙台市勤労者美術展の審査員を務める。
本間 武男(ほんま たけお、1929年7月14日 - 200… 本間 武男(ほんま たけお、1929年7月14日 - 2006年11月24日)は、日本のイラストレーター、画家。北海道余市町出身 1929年(昭和4年)、北海道余市町に生まれる。 日本水彩画会の宮崎信義に師事。広告会社のイラストレーターとして活動したのち北海道を放浪。苫小牧市へ転居。 東京、銀座、日本橋、横浜各地で個展を開催。雪の北海道をテーマに全国各地で版画展を開催。 1981年(昭和56年)、故郷余市町へ油絵を贈呈、紺綬褒章を受章。 1982年(昭和57年)、新宿センタービル51階朝日生命ギャラリー、池袋西武、銀座松坂屋、札幌三越にてパステル画展開催。 1985年(昭和60年)、郵政省お年玉付き年賀はがき原画制作。
村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月1… 村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月15日 - )は、日本の洋画家。石川県金沢市出身。
村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月1… 村田 省蔵(むらた しょうぞう、1929年(昭和4年)6月15日 - 2018年(平成30年)7月14日)は、日本の洋画家。石川県金沢市出身。 2013年(平成25年)に石川県立美術館で開催された『村田省蔵展 -画業60年の歩み-』では「卓抜な描写力と師・小絲に鍛えられた深い色彩を両輪」「美しい自然を賛美して描くものと、近景をクローズアップし、自己の感興や思いを述べるものとがある」「多彩かつ濃厚な色彩と緊密な構図は村田様式」 と評されている。 1929年(昭和4年)6月15日、石川県金沢市にて生糸問屋を営む生家の五男として生まれる。1942年(昭和17年)、石川県立金沢第二中学校へ入学。1944年(昭和19年)海軍飛行予科練習生として滋賀航空隊に入隊する。
大政 穗積(おおまさ ほづみ、1929年6月12日 - 20… 大政 穗積(おおまさ ほづみ、1929年6月12日 - 2007年9月19日)は、日展会友として京都、奈良、愛媛県の神社仏閣、鎧、風景等を画き続けた京都市在住の日本画家である。特に人物画は妻と幼子を描いた1点のみであり、今も大政邸に保管されている。 1929年愛媛県松山市に生れる。小野竹喬に師事し、1952年京都市立美術大学(現:京都市立芸術大学)日本画科を経て制作活動を続ける。1959年京展 市長賞受賞を受賞し、福田平八郎に認められる。翌年以降は1960年京展 NHK賞受賞、1961年京展 紅賞受賞、1962年朝日新人展 招待出品をし、1963年に日展初入選する。以降入選回数25回。また、同年からの3年間の第1回京都秀作展、第2回京都秀作展、第3回京都秀作展推薦出品をする。
篠崎 輝夫(しのざき てるお、1929年6月2日 - 200… 篠崎 輝夫(しのざき てるお、1929年6月2日 - 2005年10月29日)は、日本の洋画家。千葉県生まれ、光風会常務理事、日展評議員などを歴任する。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
石阪 春生(いしさか はるお、1929年5月6日 - 201… 石阪 春生(いしさか はるお、1929年5月6日 - 2019年12月24日)は、日本の洋画家。小磯良平の弟子。新制作協会会員。 兵庫県神戸市兵庫区出身。1951年(昭和26年)関西学院大学経済学部卒業。詩人の竹中郁は叔父。 自らに内在する「永遠の女性像」を探求した「女のいる風景」シリーズで、神戸を代表する画家の一人として関西を中心に幅広く知られている。その作風は、白を基調とした瀟洒な色調の画面に、都会の憂愁を感じさせる中世ヨーロッパ風の人形のような女性たちを、油彩・版画・素描・コラージュといったさまざまな手法を用いて、繊細かつ幻想的な筆致で描くものであった。 神戸市湊西区(現・兵庫区)の製粉業を営む商家に生まれる。
大歳 克衛(おおとし かつえ、1929年(昭和4年)4月16… 大歳 克衛(おおとし かつえ、1929年(昭和4年)4月16日 - 2014年(平成26年)6月8日)は、広島県出身の洋画家である。広島市立大学名誉教授、尾道市立大学名誉教授。中国文化賞を受賞。 1929年(昭和4年)4月16日、安佐郡緑井村(現・広島市安佐南区緑井)に生まれる。1948年(昭和23年)、旧制崇徳中学校を卒業。1954年(昭和29年)には東京芸術大学油絵科卒業。梅原龍三郎に師事する。1956年(昭和31年)より国画会に出品し初入選。1958年(昭和33年)、「海の詩」などで国画会新人賞を受賞する。翌年には安井賞候補にも選ばれる。 1962年(昭和37年)には国画会会員となり、1964年(昭和39年)より1年間パリに滞在。
熊谷 榧(くまがい かや、1929年4月3日 - 2022年… 熊谷 榧(くまがい かや、1929年4月3日 - 2022年2月24日)は、日本の画家。日本山岳画協会会員。東京都出身。 画家・熊谷守一の次女として東京都に生まれる。1951年、日本女子大学卒業。二児の母。 20代より山に魅せられ、多くの山を巡るうち自然と絵を描き始める。次第に父親と同じ「画家」という道を歩み出す。時同じく山スキーのとりこになり1960年代には既にヨーロッパの雪山をガイド付きで滑る。当時、日本人女性がひとりで欧州のスキーツアーを組むことはごく稀であった。 1977年、父・熊谷守一の死後、東京都豊島区千早にあった守一の旧居跡地に熊谷守一美術館を1985年創立。「父は画家だった。画家は絵だけが残ればよい。
川﨑 春彦(かわさき はるひこ、1929年3月17日 - 2… 川﨑 春彦(かわさき はるひこ、1929年3月17日 - 2018年10月2日)は、日本画家。位階は従四位。日本藝術院会員。 東京都杉並区出身。父は川﨑小虎。父方の曽祖父は川崎千虎。兄は川崎鈴彦という日本画家の一家に生まれ、長女の川崎麻児も日本画家となった。親戚に元京成電鉄社長の川﨑千春。 父と義兄の東山魁夷に師事。東京美術学校(現東京藝術大学)卒。日展を中心に日本画院展、日本美術協会展などで活躍。 戦時中に父・小虎などと一家で山梨県中巨摩郡落合村(現・南アルプス市)へ疎開し、復員してきた兄・鈴彦や義兄・東山魁夷などと共に自然の写生を励んだことから画才が開いた。代表作の「朝明けの湖」など、力強い色彩による自然の生命力あふれる風景画で知られ、特に富士山を描いた多くの作品を残した。
藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)… 藤田 吉香(ふじた よしか、1929年(昭和4年2月16日)- 1999年(平成11年5月25日))は、福岡県久留米市櫛原町生まれの洋画家。 県立中学明善校(現福岡県立明善高等学校)卒 九州大学工学部造船科(専門部)卒 (1948年) 松田塾にて松田実に洋画の指導を受ける(1949年) 東京芸術大学美術学部芸術学科卒(1955年) スペインの王立サン・フェルナンド美術アカデミーヘ留学(1962年-1966年) 国画会会員。京都造形芸術大学名誉教授。群を抜く描写力と清澄な色彩で「静」でありながら、圧倒する存在感をもつ静物画が多数。また、中央にモチーフを配し単色の背景というシンプルな画面構成であり、抽象画的な感覚も持ちあわせながらも、古典的な技法にもすぐれ各所でその力量を窺うことができる。
青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 -… 青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 - 1998年4月11日)は、僧侶、画家。大本山妙尊寺(三重県)、総本山龍覚寺・慈雲院(山梨県)、妙海寺(山口県)管主。 現代美術協会設立に参加その後、一線美術会に移籍。美術家として多くの作品を残している。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
梵天 太郎(初代 梵天)(ぼんてん たろう、1929年1月5… 梵天 太郎(初代 梵天)(ぼんてん たろう、1929年1月5日 - 2008年6月30日)は、日本の刺青師、画家、劇画家、デザイナー、漫画家。 凡天 太郎と表記する場合もある。少女漫画を描く時は石井 きよみ(いしい きよみ、まれに清美とも表記)のペンネームを使用。刺青師としては彫清(ほりきよ)を名乗った時期もある。本名は田中 清美(たなか きよみ)。 「刺青=極道者」というマイナスイメージを払拭し、絵で肌を飾るという「最も原始的なファッション」としての刺青を世に認知させるために尽力した。刺青のファッション性を向上させるために、刺青を「肌絵」「スキン・イラストレーション」と呼び、刑罰としての「入れ墨」と、装飾としての「刺青・文身」の歴史的区別を説いた。
中村 英夫(なかむら ひでお、1929年 - 2024年)は… 中村 英夫(なかむら ひでお、1929年 - 2024年)は、日本の洋画家・絵物語作家・挿絵画家。北海道、信州など、日本の各地の渓流、海、民家、富士を写実的なタッチで描く。 現在の東京都中央区入船で生まれ育つ。実家は製本工場で、製本師・装丁家の中村重義の三男。名付け親は、書物研究家・「書物展望社」の齋藤昌三であった。 明治大学政経学部を卒業。連合国軍最高司令官総司令部に1年間勤務した後、実家の製本工場の関係で秋田書店に創業時に入社。社員として勤務しながら独学で学んだ絵で『譚海』誌に絵物語を描く。社外の仕事がきっかけとなり秋田書店社長から独立を勧められ、退社して専業の絵物語作家となった。中本達也(元多摩美術大学教授、第3回安井賞受賞者)と舞台美術の仕事にも携わる。
上田 薫(うえだ かおる、UEDA, Kaoru、1928年… 上田 薫(うえだ かおる、UEDA, Kaoru、1928年〈昭和3年〉12月4日 - 2025年9月26日)は、洋画家。茨城大学名誉教授。 東京都渋谷区代々木出身。妻は上田葉子。日本のスーパーリアリズムの第一人者である。ただし、上田自身は自らの作風は抽象絵画であり、リアリズムとは大きく異なると語っている。代表作は、中学校や高等学校の美術の教科書にも掲載された割れた生玉子の殻から中身が落ちる瞬間を描いた作品である。ほかにもスプーンですくい取られたアイスクリーム、シャボン玉、ゼリー、水の流れといった作品も高く評価されている。 1928年(昭和3年)東京都出身。医学部受験に失敗した時期に富永惣一と出会い、東京藝術大学に進学する。
渡辺悟仙(わたなべごせん・本名「昌男」 1928年(昭和3年… 渡辺悟仙(わたなべごせん・本名「昌男」 1928年(昭和3年)11月26日 - 2000年(平成12年)8月22日)は、福井県福井市出身の日本を代表する世界的水墨画家。「日本南画院」元理事長。「福井県水墨画協会」創立者 兼 初代会長。紺綬褒章受章者。 生まれながらにして画才をもち、少年期には父である久吉(雅号・旭光)や文人画家の小川春峰に日本画の手ほどきを受け、青年期には南画家である飯原如堂に習う。雅号「静山」。拓殖大学卒業後、福井県庁に勤めるかたわら画家への夢があきらめきれず、1969年(昭和44年)、 馬来田愛岳(社団法人日本南画院理事)や鳥海二楽子(社団法人日本南画院常務理事)に師事。雅号を「悟仙」と改める。
薮崎 昭(やぶざき あきら、1928年(昭和3年)8月19日… 薮崎 昭(やぶざき あきら、1928年(昭和3年)8月19日 - )は日本の油彩画家。本来の表記は藪崎。 1928年8月、福岡県久留米市で生まれる。本籍は静岡県焼津市。3歳の時、静岡市に移り、1941年、静岡市立城内尋常小学校卒業。1945年3月、静岡県立静岡中学校(61回)卒業。五年制の中学を戦争の激化で四年で繰り上げ卒業となり、1年上級の60回と同時に卒業した。終戦後間もなく父を亡くしたが、医者の兄が復員し生活できるようになると「公立なら美術学校に入ってもよい」と言われた。東京美術学校は当時、新制大学への移行の為募集せず、翌年受験規則書を取り寄せると、受験資格が学歴11年となっており、旧制中学繰り上げ卒業のため、受験に必要な学歴が一年足りず、新制となっていた母校に三年次編入した。
池田 龍雄(いけだ たつお、1928年(昭和3年)8月15日… 池田 龍雄(いけだ たつお、1928年(昭和3年)8月15日 - 2020年11月30日)は、日本の画家。 佐賀県西松浦郡二里村(現伊万里市二里町)に生まれる。父は清、母はチサ、五男二女の長男。 1935年(昭和10年)4月には佐賀県二里尋常高等小学校に入学する。同年秋には福岡日々新聞社(現在の西日本新聞社)主催の児童スケッチ大会において三等銅メダルを受賞している。幼少期には『子供の科学』に親しみ、自然科学に関心を持ったという。 1941年(昭和16年)4月には佐賀県立伊万里商業学校へ入学する。1943年(昭和15年)には海軍航空隊に入隊し、第13期海軍飛行予科練習生として鹿児島海軍航空隊に配属される。
麻田 鷹司(あさだ たかし、1928年(昭和3年)8月8日 … 麻田 鷹司(あさだ たかし、1928年(昭和3年)8月8日 - 1987年(昭和62年)7月1日)は、昭和時代の日本画家。父は日本画家の麻田辨自、弟は洋画家の麻田浩。義弟は、国文学者・万葉学者の佐竹昭広、本名は麻田 昂(読み同じ)。風景画を描き、晩年には出身地の京都を主に描く。
神谷 宏治(かみや こうじ、1928年8月7日 - 2014… 神谷 宏治(かみや こうじ、1928年8月7日 - 2014年10月2日)は日本の建築家、都市計画家。丹下健三の下で浅田孝、大谷幸夫、磯崎新らと共に都市と建築の設計に従事し、丹下が主宰したURTEC((株)都市・建築設計研究所)の初代代表取締役(1961-1971)として活躍。丹下の最高傑作と目される国立代々木競技場(1964)の設計チーフを務めた。退社後、日本大学教授としてコーポラティブハウスを発展させたコープタウンの普及に尽力し、丹下の建築哲学の継承という難題に貴重な手がかりを与えた。日本建築学会特別賞(国立代々木競技場)、建築業協会賞(香川県立体育館)、科学技術庁長官賞(万国博大屋根の巨大架構)。
今井 俊満(いまい としみつ、1928年5月6日 - 200… 今井 俊満(いまい としみつ、1928年5月6日 - 2002年3月3日)は、日本の画家。アンフォルメルの画家として、日本とパリを拠点に活動した。息子の今井アレクサンドル、今井龍満(りゅうま)も画家。 父俊雄と母綾野の次男。京都市に生まれ、幼い時に大阪市の船場安土町に転居。大阪市立船場尋常小学校を卒業すると、1941年に上京して旧制武蔵高等学校尋常科に入学した。武蔵高校在学中から絵を描き始め、荻太郎、梅原龍三郎、安井曾太郎などに師事。1948年に武蔵高校を卒業した。 高校卒業後の1948年10月には第12回新制作派協会展で入賞。1950年には東京藝術大学美術学部油絵科で1年間派遣学生として学び、1952年にはフランスに私費留学し、ソルボンヌ大学文学部に学ぶ。
笹口 淳(ささぐち すなお、1928年4月13日 - )は、… 笹口 淳(ささぐち すなお、1928年4月13日 - )は、日本の画家。2018年2月現在、大東文化大学美術部コーチ。白日会が主催する白日会展で第60回内閣総理大臣賞を受賞。 1928年4月13日に父・笹口正雄、母・笹口りゑの次男として長崎県東彼杵郡折尾瀬村(現在の佐世保市三川内地域)に生まれる。 小学校を卒業した後、長崎師範学校の予科に入学した。在学中に学徒動員で、三菱兵器で魚雷作りをする。 1945年8月9日、長崎市への原子爆弾投下により被爆。大村の海軍病院に入院し、退院後、自宅で原爆療養(この間に父の笹口正雄は戦死)。自宅療養中、折原東範と出会い、人生を考える糸口を得る。 師範学校卒業時に平塚益徳に出会い、人生の課題を自覚する。
黒沢 吉蔵(くろさわ きちぞう、1928年4月11日 - 2… 黒沢 吉蔵(くろさわ きちぞう、1928年4月11日 - 2009年2月22日)は、日本画家。 1928年に福島県郡山市で生まれる。東京芸術大学の日本画科を卒業し、1955年、1965年、1966年の3回にわたり新制作協会の日本画部新作家賞を受賞している。 2009年2月22日に心筋梗塞のため死去した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
久里 洋二(くり ようじ、1928年4月9日 - 2024年… 久里 洋二(くり ようじ、1928年4月9日 - 2024年11月24日)は、日本のアニメーション作家、イラストレーター、絵本作家、洋画家。一コマ漫画家としても活動している。本名:栗原 英夫(くりはら ひでお)。 2016年以降、クリ ヨウジ、または姓名の間に中黒を入れたクリ・ヨウジの名義を併用して活動している。 福井県今立郡鯖江町(のちの鯖江市)出身。父は軍人。陸軍幼年学校の受験に失敗後、旧制福井県立武生中学校(のちの福井県立武生高等学校)へ入学。中学時代に終戦を迎えた。1947年、京都市美術学校の入学試験に合格するが、父親が公職追放となり、学費の目処が立たなくなったために進学を断念し、郷里で様々な職業について家計を助けた。
堂本 尚郎(どうもと ひさお、1928年〈昭和3年〉3月2日… 堂本 尚郎(どうもと ひさお、1928年〈昭和3年〉3月2日 - 2013年〈平成25年〉10月4日)は、京都市出身の洋画家、文化功労者。東京都在住。 日本画家・堂本印象の甥。父は堂本四郎。妻は洋画家の洋画家の毛利眞美。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
鴨居 玲(かもい れい、男性、1928年2月3日 - 198… 鴨居 玲(かもい れい、男性、1928年2月3日 - 1985年9月7日)は、日本の洋画家である。社会や人間の闇を描いた画家であった。 下着デザイナーの鴨居羊子は姉。 石川県金沢市生まれ。1941年、旧制金沢中学校(現在の金沢高等学校)に入学。1946年、金沢市立金沢美術工芸専門学校(現在の金沢美術工芸大学)に入学。宮本三郎に師事する。1950年、金沢市立金沢美術工芸専門学校洋画科専攻を卒業。二紀会同人に推挙される。1952年、芦屋・田中千代服装学園の講師となる。 1959年、31歳で初渡欧。1961年に帰国し、二紀会を退会。1964年、創作活動に行き詰まり、南米、フランスの首都パリ、イタリアの首都ローマを渡り歩く。
不動 茂弥(ふどう しげや、1928年1月11日 - 201… 不動 茂弥(ふどう しげや、1928年1月11日 - 2016年12月15日)は、戦後活躍した日本画家である。 1928年1月11日兵庫県三原郡賀集福井(現・南あわじ市)に生まれ、京都市で育つ。1944年京都市立絵画専門学校(45年に京都市立美術専門学校と改称。現・京都市立芸術大学)入学。戦中、東京近辺の陸軍の諸学校へ教材用掛図の作成に学生の勤労動員として派遣される。戦後1947年学内で行なわれた作品展への出品をきっかけに、同校の三上誠や山崎隆、星野眞吾らと親交を深める。1948年同校日本画科を卒業。 同1948年3月同校卒業生の日本画家・洋画家・陶芸家によってパンリアルを結成。翌1949年陶芸家たちの脱退に伴い、日本画家たちによってパンリアル美術協会を結成。
岡田 新一(おかだ しんいち、1928年1月9日 - 201… 岡田 新一(おかだ しんいち、1928年1月9日 - 2014年10月27日)は、日本の建築家、都市計画家。日本芸術院会員。茨城県水戸市生まれ。 1945年、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。同期に建築学者の鈴木成文がいる。旧制静岡高等学校を経て、1955年に東京大学工学部建築学科を卒業。1957年に東京大学大学院修士課程を修了し、鹿島建設に入社した。 その後留学。1963年にイェール大学建築芸術学部大学院を修了し、帰国後の1969年、独立して岡田新一設計事務所を設立した。 2014年、呼吸不全のため死去。享年87(満86歳没)。
川村 親光(かわむら ちかみつ、1928年 - 2020年)… 川村 親光(かわむら ちかみつ、1928年 - 2020年)は、埼玉県出身の画家。第4代埼玉県美術家協会会長。一水会特別会員。 北足立郡浦和町(のち浦和市)に生まれ、埼玉県立浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)を卒業、叔父の洋画家関口隆嗣の紹介で寺内萬治郎の指導を受けた。日展初入選後は高田誠に師事し、一水会への出品を続けた。 作品の一部は埼玉県立近代美術館に収蔵されている。
マサ アカシ(まさ あかし、本名:明石正義、(あかしまさよし… マサ アカシ(まさ あかし、本名:明石正義、(あかしまさよし)1928年 - 2023年)は、水彩画家、イラストレーター、ファッションデザイナー。イラスト専門学校マサモードアカデミー主宰。明石マサとも。 日本のファッション・イラストレーターの草分け的存在。 この項目は、ファッション関係の人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル ファッション)。
真野 岩夫(まの いわお、1927年(昭和2年)11月28日… 真野 岩夫(まの いわお、1927年(昭和2年)11月28日 - 2014年5月27日)は日本の画家。京都市立芸術大学名誉教授、国画会会員。抽象絵画を得意とした。正四位。 京都府出身、京都市立美術大学卒業。1953年より京都市立芸術大学で教鞭をとり1988年(昭和63年)から1992年(平成4年)までの4年間、大学院美術研究科長を務めロイヤル・カレッジ・オブ・アートとの間の交流協定締結に力を尽くした。1993年(平成5年)3月に退職。同年4月から同大名誉教授。2007年(平成19年)に瑞宝中綬章を受章した。 2009年(平成21年)、京都市在住の長男より滋賀県長浜市に抽象画14点が寄贈された。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11… 岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11月25日 - 2009年 <平成21年> 11月7日)は、日本の画家、日本芸術院会員、文化功労者。位階は正四位。旭日重光章。 大分県日田市出身。京都府京都市に在住していた。大分県立日田中学校、京都市立美術専門学校卒。 1927年に現在の大分県日田市豆田町に生まれる。幼少の頃は、学校に行く前に魚釣りのに行くほど川が大好きな少年だった。晩年水辺に緑の山や季節の花を描いた小品を制作したが、それは全て魚釣りをするときの視点に基づいている。14歳の時に真珠湾攻撃が勃発、父親の勧めで17歳にして自ら入隊を志願。終戦までの1年5ヶ月の間に滋賀県で訓練を受けた後、盛岡、福生、万世、横田と日本各地を転々と移動。
加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 - 20… 加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 - 2004年4月6日)は、日本画家、版画家である。京都府京都市上京区相国寺東門前町生まれ。 祖父・田辺玉田は北陸若狭の出身で、京都で活動の後、旅をしながら各地の風景を描いていく「旅の絵師」となり、旅先の一つ、広島県で結婚し、父・田辺勝也も広島で生まれた。祖父は広島を中心に中国地方で画家として活躍し、作品が二点広島県立美術館に収蔵されている。父は幼少期を広島で過ごした後に父(又造の祖父)と共に京都に移り住み加山勝也と改名。西陣織の図案家(デザイナー)となり、1927年、又造は京都で生まれた。 京都市立美術工芸学校(現 京都市立銅駝美術工芸高等学校ならびに京都市立芸術大学)、東京美術学校(現 東京芸術大学)を卒業。
小野 州一(おの しゅういち、1927年9月3日 - 200… 小野 州一(おの しゅういち、1927年9月3日 - 2000年4月1日)は、日本の洋画家。
寺司 勝次郎(てらし かつじろう、1927年8月1日 - 2… 寺司 勝次郎(てらし かつじろう、1927年8月1日 - 2015年4月3日)は、大分県大分市出身の版画家。昭和36年棟方志功らの日本版画会創立に参加し、一貫して屋根瓦を題材とした作品を発表した。 以下、公式ウェブサイトによる。 大分県大分市三ケ田町の呉服店の次男として生まれる。大分県立大分中学校(現:大分県立大分上野丘高等学校)に進学するが、4年生だった1943年の2学期より大日本帝国海軍航空隊に志願入隊する。5ヶ所の航空隊勤務を経て特攻訓練中に入院した。終戦後の1945年9月に復員する。11月に大分経済専門学校(現:大分大学経済学部)1年に編入する。 1948年に大分経専を卒業後は家業の呉服商、銀行員、会社員、不動産業を経験する。
清原 啓一(きよはら けいいち、1927年6月27日 - 2… 清原 啓一(きよはら けいいち、1927年6月27日 - 2008年10月11日)は、洋画家、日本芸術院会員。 富山県砺波市出身。辻永、新道繁に師事し、1959年日展特選、1994年日展内閣総理大臣賞、日展常務理事、顧問。2002年日本芸術院賞・恩賜賞、芸術院会員。光風会常務理事。花と鶏を描く。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小尻 源峰(こじり げんぽう、1927年<昭和2年>5月12… 小尻 源峰(こじり げんぽう、1927年<昭和2年>5月12日 - 2011年<平成23年>3月13日)は日本画家である。師は森谷南人子。広島県尾道市出身で現在は岐阜県在住。 白峰会会長。等迦会特別会員。弟子は星月ノ友(旧雅号・小尻紗弘) 1927年(昭和2年)に広島県尾道市で生まれる。幼い頃にリウマチ熱にかかり、心臓弁膜症という重い障害が残る。6歳まで尾道市で過ごすが、父親の転勤のため大阪府島屋町へ転居する。室戸台風の被害に遭い、家が廃屋となった為、一時吹田町に転居する。その後、再び島屋町に戻り、島屋小学校へ転校後、卒業。 西野田工業高校に進学するが、1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争が勃発し、在学中に志願兵として、広島の呉海兵団に入隊。