佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24… 佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24日 - 2009年(平成21年)7月15日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。札幌高等検察庁検事長、参議院議員(2期)を務めた。 宮城県仙台市出身。仙台一高、東北大学法学部卒業。1955年に司法修習生。1957年に検察庁に入り、札幌地検検事、法務省刑事課長、東京地検刑事部長、横浜地検検事正、最高検刑事部長、札幌高検検事長などを歴任。 東京地検特捜部では、1972年の沖縄返還交渉での西山事件の捜査を担当し、起訴状を書いた。起訴状に記された「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」という起訴理由は、世論を国家が密約を結んだことの是非から、西山太吉の私的なスキャンダルに向けさせた。
野間 友一(のま ともいち、1932年10月5日 - 201… 野間 友一(のま ともいち、1932年10月5日 - 2012年5月17日)は日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、通算5期)。日本共産党和歌山県副委員長。 兵庫県多紀郡篠山町(現・丹波篠山市)出身。早稲田大学法学部を卒業後、総評弁護団及び自由法曹団に参加。1972年の衆院選に和歌山1区から出馬し初当選、和歌山県初の共産党国会議員となった。以後衆議院議員を5期務めるが、1990年の衆院選で落選する。 2002年10月28日、「古希団員」として表彰を受ける。議員引退後は、和歌山県和歌山市の「きのくに法律事務所」に勤務していた。
山崎 武三郎(山﨑 武三郎。、やまさき たけさぶろう、193… 山崎 武三郎(山﨑 武三郎。、やまさき たけさぶろう、1932年9月14日 - 2003年7月9日)は、元衆議院議員(4期)、弁護士。田中派。 鹿児島県指宿市生まれ、鹿児島県立指宿高等学校卒業。上京して働きながら大学で学び、1955年(昭和30年)に中央大学法学部を卒業。1963年(昭和38年)弁護士登録。
五十嵐 二葉(いがらし ふたば、1932年8月20日 - )… 五十嵐 二葉(いがらし ふたば、1932年8月20日 - )は、日本の人権派弁護士。山梨学院大学教授を務めた。 群馬県出身。旧姓藤井。1957年中央大学文学部卒、1962年同法学部卒。法学者風早八十二と結婚し、風早二葉を名乗るが、その後離婚。五十嵐氏と結婚し、現在に至る。 ロス疑惑事件の弁護を担当しマスコミで有名になるが、その後三浦和義と対立し解任に追い込まれる。後に三浦について「子供がそのまま大人になったような人。」と酷評し物議をかもした。一連のオウム真理教事件の際、長女を拉致した容疑で逮捕・起訴された鹿島とも子の弁護などを担当した。
和田 啓一(わだ けいいち、1932年(昭和7年)7月13日… 和田 啓一(わだ けいいち、1932年(昭和7年)7月13日 - )は、日本の元裁判官・弁護士。元高松地方裁判所所長。和田啓一法律事務所所長。横浜弁護士会所属。北海道大学法学部卒業。北海道出身。 この他、司法研修所教官も務める 父は、元酪農学園大学教授の和田数雄。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は… 河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は、日本の弁護士・元最高裁判所判事。京都大学卒業。 旧制第三神戸中学校(在学中に新制兵庫県立長田高等学校へと移行)を卒業。京都大学法学部では商法学者の大隅健一郎に師事し、在学中に司法試験に合格。 1955年京大卒業。いったん裁判官になったが家庭の事情で弁護士に転身。大阪弁護士会副会長などを歴任し、関西では経済通として知られた弁護士だった。阪神タイガースのランディ・バースの契約問題やイトマン事件にも関わった。弁護士業務のポリシーとして「依頼者と共に苦しんだり悩んだりして、司法の分野では社会と一番密着できる。記録の中から、当事者の姿が見える仕事ができれば」と語った。
菅野 義章(すがの よしあき、1932年6月6日 - 201… 菅野 義章(すがの よしあき、1932年6月6日 - 2016年8月24日)は日本の政治家、弁護士、税理士。前橋市議(1期)、群馬県議(5期)、第74代群馬県議会議長を歴任した。 1932年6月6日、前橋市萱町(現千代田町)に生まれる。1951年、群馬県立前橋高等学校卒業。1958年、京都大学法学部卒業。京都大学では猪木正道に教えを受けた。1965年、司法試験に合格する。1968年、群馬弁護士会に所属して、菅野義章法律事務所を開設した。 1969年、前橋市議会議員選挙に立候補して初当選した。1971年、群馬県議会議員選挙立候補のため、市議を辞職した。同年の群馬県議会議員選挙では落選。1975年4月13日、前橋市選挙区から立候補して初当選を果たし、2期務める。
山田 博(やまだ ひろし、1932年5月30日 - )は、日… 山田 博(やまだ ひろし、1932年5月30日 - )は、日本の裁判官、弁護士。家庭裁判所調査官研修所長や、最高裁判所事務総局家庭局長、京都家庭裁判所長、浦和家庭裁判所長を歴任した。 神奈川県生まれ。1955年名古屋大学法学部卒業。1963年裁判官任官、大阪地方裁判所判事補。家庭裁判所調査官研修所教官、最高裁判所事務総局家庭局付、最高裁判所事務総局家庭局第三課長、最高裁判所事務総局家庭局第一課長、東京家庭裁判所部総括判事、東京地方裁判所部総括判事、家庭裁判所調査官研修所長、最高裁判所事務総局家庭局長、京都家庭裁判所長等を経て、浦和家庭裁判所長を最後に依願退官し、1997年日本大学教授に就任。のち、弁護士、家庭問題情報センター理事長を歴任。
竹下 守夫(たけした もりお、1932年5月18日 - )は… 竹下 守夫(たけした もりお、1932年5月18日 - )は、日本の法学者、弁護士。専門は民事手続法。一橋大学名誉教授、学校法人駿河台大学顧問、日本学士院会員。法務省特別顧問。社団法人商事法務研究会理事。
舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月1… 舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉1月4日)は、日本の弁護士、埼玉弁護士会会長、関東弁護士会連合会常務理事、日本弁護士連合会常務理事、政治家。埼玉県議会議員。埼玉県川越市長。義父は衆議院議員松山義雄。息子は元埼玉県議会議員舟橋一浩。 栃木県栃木町(現栃木市)生まれ。中央大学法学部卒業を経て1961年4月に弁護士登録。1963年4月に埼玉県議会議員に初当選して当選3回、この間1976年の衆院選では義母の松山千恵子(衆議院議長松永東の娘)の後継候補として埼玉2区から出馬するが落選、程無くして新自由クラブに加わった。1993年2月に小宮山重四郎系と社会党などの支援で、前県議の中野清を破って川越市長に就任し以後4期16年在任した。
近藤 忠孝(こんどう ただたか/ちゅうこう、1932年4月2… 近藤 忠孝(こんどう ただたか/ちゅうこう、1932年4月2日 - 2013年6月5日)は、日本の弁護士、政治家。参議院議員(日本共産党公認)を3期務めた。全国公害弁護団連絡会議初代幹事長。 1932年4月2日、東京都北区にて化学工場の労働者の子として生まれる。東京都立大学 (1949-2011)(現首都大学東京)人文学部を卒業後の1960年に日本共産党へ入党。1962年には弁護士を開業、黒田法律事務所(現東京法律事務所)へ入り各種労働事件の弁護を担当する。1965年に青年法律家協会議長、1968年にはイタイイタイ病弁護団副団長に就き、裁判で全面勝訴を勝ち取る。イタイイタイ病裁判では、「勝利するためには被害者のいる現地・富山で弁護士として活動することがどうしても必要」として、一家で当時居住していた東京都から富山へ移住しており、NHK歴史情報番組「その時歴史が動いた 苦しむ患者を救いたい~イタイイタイ病裁判・弁護士たちの闘い~」(2007年3月7日放映)にゲスト出演し当時の状況を証言した。
星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日… 星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日 - 2014年(平成26年)4月10日)とは、日本の弁護士(登録番号:21388、新潟県弁護士会)、政治家。衆議院議員(3期)、新潟県小千谷市市長(4期)を歴任した。元秘書に、金融担当大臣を歴任した民主党元衆議院議員中塚一宏。 新潟県立小千谷高等学校を経て、1960年、中央大学法学部卒業。 1962年、司法試験に30歳で合格。 1965年、司法修習17期を修了(同期に松本啓二弁護士)し、東京弁護士会に入会。 1975年、小千谷市長に就任(以後4期務める)。同年、東京弁護士会を退会。 1989年5月31日、小千谷市長を辞職。同年10月、保守系無所属新人候補の政策集団自由連合の旗揚げに参加。
矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 202… 矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 2021年12月5日)は、日本の政治家・弁護士・平和運動家・作家。参議院議員(4期)、初代新社会党委員長。矢田部理法律事務所代表。茨城県大子町出身。 茨城県大子町出身。茨城県立太田第一高等学校から中央大学法学部に進学。在学中から左翼思想に傾倒し、活動にいそしむ。苦学の末、司法試験に合格する。司法修習所での研修を経て、弁護士開業。 1974年、第10回参議院議員通常選挙の茨城県選挙区に日本社会党から立候補し、当選。以後、改選数2で、「自民党と社会党の指定席」と言われた同選挙区で4回の当選を果たす。その間、党内では茨城県本部委員長となり、左派系の論客として知られ、参議院では予算委員会等での自民党政権追及に活躍、「参院の爆弾男」と呼ばれた。
敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017… 敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017年9月12日)は、日本の元検察官、弁護士。 1932年2月13日福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、九州大学法学部法律学科卒業。1956年検事任官。1957年ハーバード大学ロースクール留学。
丹宗 朝子(たんそう ともこ、1932年1月16日 - )は… 丹宗 朝子(たんそう ともこ、1932年1月16日 - )は、日本の裁判官、弁護士。浦和地方裁判所長や東京高等裁判所部総括判事、男女共同参画審議会委員などを務めた。福岡県出身。 大学在学中に司法試験に合格。女性裁判官が地方裁判所長になるのは丹宗が2人目で、家庭裁判所長も含めると4人目。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 200… 池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 2006年5月25日)は、日本の弁護士、元政治家。参議院議員(1期)。 愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)出身。1956年中央大学法学部卒業。法政大学の講師などを経て、1969年弁護士登録。1984年法曹政治連盟会長に就任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区から連合推薦で立候補し、自由民主党公認で現職の檜垣徳太郎元郵政大臣を破って初当選。連合参議院(後の民主改革連合)の結成に参加。民主改革連合の幹事長などを務めた。1995年の第17回参議院議員通常選挙で再選を目指したが自由民主党公認の塩崎恭久に敗れて落選、政界から引退した。
牧口 準市(まきぐち じゅんいち、1931年(昭和6年)8月… 牧口 準市(まきぐち じゅんいち、1931年(昭和6年)8月20日 - 2024年(令和6年)8月28日)は、日本の弁護士。北海学園大学出身の生え抜き法曹の一人。札幌弁護士会所属。専門は、商事全般(商法・倒産法・民事再生法)と日本法制史(明治期北海道の司法制度)。在野で北海道の法制史を研究。弁護士法人成蹊総合法律事務所の所長を務めた。 北海道古宇郡泊村出身。1949年(昭和24年)札幌地方裁判所岩内支部に事務官として入所。1960年(昭和35年)北海学園大学経済学部2部中退。札幌地方裁判所書記官などを経て、司法試験に合格。1969年(昭和44年)弁護士登録。 1979年(昭和54年)札幌弁護士会副会長。
荒巻 禎一(あらまき ていいち、1931年(昭和6年)7月2… 荒巻 禎一(あらまき ていいち、1931年(昭和6年)7月22日 - )は、日本の政治家、弁護士。元京都府知事。 旧制福岡県中学修猷館(現・福岡県立修猷館高等学校)4年修了、旧制福岡高等学校1年修了、九州大学法学部卒業
井田 恵子(いだ けいこ、1931年(昭和6年)6月21日 … 井田 恵子(いだ けいこ、1931年(昭和6年)6月21日 - 1993年(平成5年)12月1日)は日本の弁護士。元日本弁護士連合会事務総長。北海道釧路市生まれ。 1954年北海道大学法学部卒。1956年同大学院法学研究科民法学専攻修了。1958年(昭和33年)弁護士登録。1968年(昭和43年)独立して弁護士事務所を開く。1970年専修大学法学部非常勤講師( - 1973年)。1975年日本弁護士連合会女性の権利委員会委員。1977年東京女子大学文理学部非常勤講師( - 1980年)。1982年(昭和57年)拘禁二法案反対運動組織を立ち上げる。1984年北海道大学法学部非常勤講師( - 1985年)。
内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日… 内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日本の弁護士、政治家。日本共産党所属の元参議院議員(2期)。日本共産党名誉幹部会顧問。日本平和委員会代表理事。自由法曹団本部常任幹事。 東京都中央区出身。1952年明治大学法学部卒業後、同大学講師にて教鞭を執りながら弁護士として活動。恵庭事件や砂川事件、長沼ナイキ基地訴訟など憲法裁判で弁護団に関わったほか、恵庭裁判の過程で統幕会議事務局長を法廷で証人喚問、自衛隊による有事研究(三矢研究)を明らかにしたことでも知られる。 1974年の参院選に全国区から立候補し初当選。2期12年参議院議員を務めたが、1989年の参院選で落選するとそのまま政界を引退する。
石川 元也(いしかわ もとや、1931年2月9日 - )は、… 石川 元也(いしかわ もとや、1931年2月9日 - )は、日本の弁護士。日弁連刑事法制委員会委員長、法務省法制審議会刑事法部会委員、自由法曹団団長などを歴任した。 長野県松本市に生まれる。松本第二中学(現:長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1954年に東京大学法学部を卒業。学生時代にはメーデー事件で逮捕されたことがある。 1957年大阪弁護士会に弁護士登録。以降は証拠開示をはじめとする多くの新判例を引き出し、戦後の刑事訴訟法を憲法に基づいて実質化していく実践的な活動に尽力していく。 刑事弁護人の在り方について教えを受けた人物として毛利与一を挙げている。
山本 博(やまもと ひろし, 1931年2月6日 - 202… 山本 博(やまもと ひろし, 1931年2月6日 - 2024年1月17日)は、日本の弁護士、著作家、翻訳家、ワイン評論家。日本労働弁護団名誉会長、日本輸入ワイン協会会長、世界ソムリエコンクール日本代表審査委員、一般社団法人「日本ワインを愛する会」会長。東京ドイツワイン協会名誉顧問。 日本でもっともワイン関連著作の多い人物であるとされている。 1931年、神奈川県横浜市の伊勢佐木町にある商家(自転車屋)の生まれ。旧制中学3年だった14歳の時に太平洋戦争終戦を迎え、戦後にはサイクリングクラブを設立している。旧制中学卒業後、昼間は英語の通訳養成学校に通い、夜間は早稲田大学夜間部に通った。学生時代には学生演劇活動も行っており、後に劇団四季の顧問となっている。
伴 昭彦(ばん あきひこ、1931年2月2日 - 2023年… 伴 昭彦(ばん あきひこ、1931年2月2日 - 2023年12月4日)とは、日本の弁護士。新潟県弁護士会会長、日本弁護士連合会常務理事、新潟明訓高等学校理事長を務めた。新潟県新潟市出身。
中田 直人(なかた なおと、1931年1月24日 - 200… 中田 直人(なかた なおと、1931年1月24日 - 2009年2月3日)は、石川県出身の弁護士である。元茨城大学・関東学院大学教授。
猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9… 猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9日 - 2007年〈平成19年〉1月28日)は、日本の政治家、弁護士。中央大学卒業。公明党参議院議員(2期)。 娘は東京都副知事の猪熊純子。 1931年、群馬県北群馬郡子持村(現・渋川市)の農家に生まれる。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て1953年中央大学法学部を卒業。小学校教諭、弁護士を務める。東京都港区西新橋に猪熊重二法律事務所を設立。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として立候補したが落選する。1986年7月6日、第14回参議院議員通常選挙に、比例区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降2期)。
新井 章(あらい あきら、1931年〈昭和6年〉1月2日 -… 新井 章(あらい あきら、1931年〈昭和6年〉1月2日 - 2025年〈令和7年〉1月27日)は、日本の法学者、弁護士。茨城大学名誉教授。 群馬県高崎市末広町に生まれる。高崎市立北小学校、旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1954年(昭和29年)に東京大学法学部を卒業。1953年(昭和28年)司法試験に合格し、1956年(昭和31年)第二東京弁護士会登録の弁護士となる。1959年(昭和34年)から日本教職員組合の顧問弁護士。 砂川事件・朝日訴訟・堀木訴訟・全逓中郵事件・家永教科書裁判など数々の憲法裁判に携わる。茨城大学人文学部教授、1996年定年退官、名誉教授。
三浦 久(みうら ひさし、1931年1月1日 - 2024年… 三浦 久(みうら ひさし、1931年1月1日 - 2024年4月3日)は、日本の政治家、弁護士。元衆議院議員(日本共産党所属、通算5期)。日本共産党名誉幹部会顧問。 秋田県北秋田郡阿仁合町(阿仁町を経て現在は北秋田市)出身。1954年明治大学法学部を卒業後、弁護士となる。総評弁護団にて三井三池争議の弁護を担当していた縁で北九州市に居住、同地に弁護士事務所を開設。地元北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)から西日本一帯に広まったカネミ油症事件では弁護団の副団長も務めた。 1971年の北九州市長選に社共共闘で出馬するも無所属現職の谷伍平(自民、民社推薦)に敗れる。翌年の総選挙で旧・福岡4区から出馬し初当選を果たす。
國生 一彦(こくしょう かずひこ、1931年 - )は、日本… 國生 一彦(こくしょう かずひこ、1931年 - )は、日本の弁護士。國生法律事務所所長。
伊東 すみ子(いとう すみこ、1931年 - 1997年)… 伊東 すみ子(いとう すみこ、1931年 - 1997年)は、日本の弁護士、裁判官。 戦後日本の女性法曹として、先駆的な存在とされる[要出典]。1985年から1987年にかけて、国際連合総会の日本政府代表としても活動した。 静岡県に生まれる。1954年に東京大学法学部を卒業して、女性として戦後初の学士助手となる。同年、司法試験に合格後、1958年に司法修習生となり、1960年4月に弁護士登録した。 東京家庭裁判所調停委員ののち、東京高等裁判所判事、宇都宮家庭裁判所所長等を歴任した。 また、婦人問題懇話会(のち日本婦人問題懇話会)の発足当時からの会員として女性の地位向上にかかる活動に携わり、大学婦人協会会長、国際女性の地位協会会長を務めた。
萩原 金美(はぎわら かねよし、1931年〈昭和6年〉 - … 萩原 金美(はぎわら かねよし、1931年〈昭和6年〉 - 2017年〈平成29年〉11月9日)は、日本の法学者、裁判官のち弁護士。神奈川大学教授、法学部長を歴任し、同名誉教授。スウェーデン司法研究、民事訴訟法研究、調停を含むいわゆるADR研究など研究対象は多岐にわたる。 1931年、群馬県群馬郡滝川村八幡原(現・高崎市)の農家に生まれる。旧制佐波農業学校(現・群馬県立伊勢崎興陽高等学校)を経て、旧制中央大学法学部専門部卒業後(最後の卒業生)、新制中央大学3年に編入、在学中の1951年に司法試験合格。1953年中央大学卒業、1954年裁判官任官。同年、判事補として赴任した仙台地裁家裁の古川支部においていわゆる松山事件に左陪席として関与し、死刑判決を下した。
小長 啓一(こなが けいいち、1930年12月12日 - )… 小長 啓一(こなが けいいち、1930年12月12日 - )は、日本の官僚、弁護士。 元通商産業事務次官。AOCホールディングス会長、同台経済懇話会代表幹事、経済産業調査会会長、東急元取締役。 岡山県備前市生まれ。陸軍幼年学校を経て、旧制岡山県西大寺中学校(現・岡山県立西大寺高等学校)、旧制第六高等学校から新制岡山大学法文学部に進み、1953年に卒業。同期には吉永祐介(検事総長)、1年後輩に奥山雄材(郵政事務次官)がいた。 猛勉強の末に在学中に国家公務員上級職(法律職)試験と旧司法試験に合格していたが、「先の戦争は、日本が石油を押さえられて軍部が突っ走ったために起きた。今後、資源のない日本が世界で生き残っていくためには貿易立国しかない」という思いから、1953年通商産業省に入省した。
熊川 次男(くまかわ つぎお、1930年〈昭和5年〉11月3… 熊川 次男(くまかわ つぎお、1930年〈昭和5年〉11月30日 - )は、日本の弁護士(登録番号:8186)、政治家。衆議院議員(4期)、大蔵政務次官(第2次中曽根内閣)、総務政務次官(竹下内閣)、衆議院環境委員長などを歴任。 群馬県吾妻郡嬬恋村に、父・熊川博、母・のいの子として生まれる。叔父は群馬県議会議員を務めた熊川良太郎。群馬県立中之条農業学校を経て、1954年中央大学法学部卒業。1958年に司法試験合格。1959年、早稲田大学大学院法学研究科を修了。 1961年前橋市に熊川弁護士事務所を設立。税理士としても登録。群馬法律専門学校講師、前橋市労働教育委員などを歴任する。 1971年に群馬県議会議員に当選。
溝口 喜文(みぞぐち よしふみ、1930年(昭和5年)10月… 溝口 喜文(みぞぐち よしふみ、1930年(昭和5年)10月13日 - )は、日本の弁護士。 東京都出身。中央大学法学部卒業。東京弁護士会副会長、関東弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会常務理事などを歴任した。 山路ふみ子文化財団理事をつとめ、2011年山路ふみ子文化財団特別賞を受賞した。
加藤 良三(かとう りょうぞう、1930年9月25日 - 2… 加藤 良三(かとう りょうぞう、1930年9月25日 - 2016年11月6日)は、日本の法学者(商法・消費者保護法)、弁護士(横浜弁護士会所属)。博士(法学)。Dマル合教授。関東学院大学名誉教授。関東学院大学法学部初代法学部長、同法科大学院初代法科大学院研究科長。瑞宝小綬章受章。 1997年、大学設置審議会においてDマル合教授 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 202… 福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 2025年2月8日)は、日本の裁判官、公証人、弁護士。富山弁護士会所属。自衛隊違憲判決を初めて下した判事である。海軍兵学校、京都大学法学部出身。 富山市出身。旧制富山中学を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校入学(78期)、306分隊に所属。終戦後、1953年(昭和28年)京都大学法学部卒業。裁判所書記官を務めながら司法試験に合格。 1959年(昭和34年)、第11期司法修習修了。1969年(昭和44年)、判事。1969年(昭和44年)9月14日、札幌地方裁判所で長沼ナイキ訴訟を裁判長として担当していた福島に対し、当時札幌地裁所長であった平賀健太が、原告の申立を却下するよう示唆した書簡を渡す(平賀書簡問題)。
和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 20… 和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 2018年10月10日)は、日本の推理作家・弁護士。本名は古屋峻三。別名として夏目 大介(なつめ だいすけ)。写真家としての顔も持ち、日本図書館協会選定図書の写真集『日本の原風景』(1993年)も発表している。 大阪府大阪市出身。1955年(昭和30年)に京都大学法学部を卒業し中部日本新聞の記者となるが、友人から月刊文芸誌『宝石』を見せられ推理小説の魅力にとりつかれる。1960年(昭和35年)に同誌の宝石賞に応募し候補作に選ばれる。応募作『紅い月』は本名の滝井峻三名義で『宝石』に掲載され作家としてデビューした。「生まれて初めて書いた小説が雑誌に掲載されたときの私の感動は、一生涯、忘れることができないものとなりました」と和久は語っている。
松尾 千秋(まつお ちあき、1930年〈昭和5年〉5月21日… 松尾 千秋(まつお ちあき、1930年〈昭和5年〉5月21日-)は、日本の弁護士。1953年3月、中央大学法学部卒業。新しい歴史教科書をつくる会の長崎支部長、日本会議の長崎副会長、統一協会系組織の日韓トンネル研究会の参与を務めていた。 2007年4月に発生した長崎市長射殺事件の銃撃犯と30年来の付き合いがあり、私選弁護人を務めたことがある。また、市道工事現場での事故をめぐり、同容疑者から市側を告訴する相談を受けていたことを明らかにしている。
花見 忠(はなみ ただし、1930年2月15日 - )は、労… 花見 忠(はなみ ただし、1930年2月15日 - )は、労働法学者、弁護士。上智大学名誉教授。法学博士(東京大学)。名誉法学博士(ルーヴァン大学)。専門は、労働法及び労使関係。特に、使用者の懲戒権、雇用平等の研究、ILO条約と日本の団結権に関する研究など。東京都出身。
山田 二郎(やまだ じろう、1930年 - )は、京都府出身… 山田 二郎(やまだ じろう、1930年 - )は、京都府出身の法学者、弁護士(登録番号:19081)。租税訴訟学会会長。 京都大学法学部卒、裁判官、訟務検事、東海大学教授などを歴任。 租税実体法、租税手続法、租税争訟法等に関する論文多数。企業法務に関するスペシャリスト。 日本の租税訴訟領域における第一人者。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
奈良 次郎(なら じろう、1930年 - )は、日本の弁護士… 奈良 次郎(なら じろう、1930年 - )は、日本の弁護士、元判事、法学者。筑波大学、日本大学で教授として教鞭をとった。次女の奈良希愛はピアニスト。 1952年、東京大学法学部卒業。1954年、判事補に任官し、以降、最高裁判所調査官、大阪地方裁判所判事、東京高等裁判所判事等を歴任。1990年に判事を退官し、筑波大学教授。1995年、筑波大学を退官し、日本大学法学部教授に転じるとともに、弁護士登録。2000年、日本大学法学部教授を退任、以降は講師として法学部、法科大学院で教鞭をとる。四樹総合法律会計事務所、第二東京弁護士会所属。
山口 和男(やまぐち かずお、1930年 - 2024年)は… 山口 和男(やまぐち かずお、1930年 - 2024年)は、日本の弁護士、大学講師。元裁判官、元公証人。 佐世保高等物理学校卒業後、日本大学法学部に進学。 1961年に判事補に任官し、那覇、東京、横浜の各地方裁判所民事部部総括や、東京地裁商事部部総括、旭川地裁所長などを歴任。また数多くの法律実務書の執筆・編集に関わった。 1992年、退官して公証人に。2000年から弁護士。篠崎・進士法律事務所所属。日本大学法学部法科大学院で非常勤講師。
木下 元二(きのした もとに、1929年(昭和4年)11月3… 木下 元二(きのした もとに、1929年(昭和4年)11月3日 - 2004年(平成16年)12月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、通算2期)。兵庫県の戦後初の自由法曹団員でもある。 兵庫県神戸市出身。旧制六甲中学校を経て、1949年(昭和24年)立命館大学専門部法政科を卒業。神戸市内で中学校教諭を2年間務める。その後司法試験に合格し1956年(昭和31年)4月に神戸弁護士会へ入会、1969年(昭和44年)には同会副会長を務める。この間総評系の法律事務所を自由法曹団所属の弁護士らと設立する。 1971年(昭和46年)第9回参議院議員通常選挙(兵庫県地方区、共産党)で落選。
松尾 和子(まつお かずこ、1929年10月31日 - 20… 松尾 和子(まつお かずこ、1929年10月31日 - 2024年4月10日)は、日本の弁護士、弁理士。中村合同特許法律事務所に所属した。 知的財産法に関する実務の第一人者として知られ、日本商標協会の設立、2005年の知的財産弁護士ネットワーク創設に携わる。内閣府知的財産戦略会議メンバー、経済産業省産業構造審議会知的財産政策部会委員など公職も務めた。 森永製菓副社長・取締役、秋田県醗酵工業社長を務めた白川順一の四女。夫は松尾浩也東京大学名誉教授。 2024年4月10日、死去。満94歳没。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
長戸路 政行(ながとろ まさゆき、1929年8月13日 - … 長戸路 政行(ながとろ まさゆき、1929年8月13日 - )は、日本の弁護士。敬愛大学名誉教授。 千葉県千葉市生まれ。長戸路政司の三男。千秋、長戸路信行の弟。1955年東京大学法学部卒。東京弁護士三会交通事故処理委員、毎日新聞社交通事故法律相談所嘱託相談員、千葉敬愛経済大学教授、千葉県土地収用委員、千葉県建築紛争審査委員。1996年兄信行の死による学校法人千葉敬愛学園理事長・敬愛大学学長。2001年退任。2009年4月旭日中綬章受章。
中坊 公平(なかぼう こうへい、1929年〈昭和4年〉8月2… 中坊 公平(なかぼう こうへい、1929年〈昭和4年〉8月2日 - 2013年〈平成25年〉5月3日)は、日本の弁護士(大阪弁護士会)。法学士(京都大学)。元日弁連会長。新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)特別顧問。 森永ヒ素ミルク中毒事件や豊田商事事件の被害者救済に弁護団長、破産管財人として尽力し、日本弁護士連合会会長や整理回収機構の初代社長を務めた。 1999年に設置された司法制度改革審議会において委員として参加し、法科大学院や裁判員制度の導入に尽力した。戦後日本を代表する弁護士であり、「平成の鬼平」とマスコミ各社に名付けられ呼ばれた。 京都府京都市で、父・中坊忠治、母・富の次男として生まれる。
名本 公洲(なもと きみくに、1929年7月12日 - )は… 名本 公洲(なもと きみくに、1929年7月12日 - )は、日本の弁護士、大蔵官僚。日本銀行政策委員会大蔵省代表委員、全国地方銀行協会副会長などを務めた。 東京大学法学部法律学科在学中に司法試験と国家公務員六級職試験に合格。東大法学部法律学科を卒業し、1953年4月 大蔵省入省(管財局外国財産補償課)。1959年10月 足利税務署長。 その後は主計局給与課長補佐、主計局主計官補佐(防衛係主査)、外務省在インド大使館一等書記官などを務める。 1971年7月 大臣官房参事官。1972年1月1日 人事院事務総局給与局給与第二課長。1973年7月23日 主計局主計官(地方財政、大蔵、補助金担当)。1975年7月10日 環境庁企画調整局企画調整課長。
岡村 勲(おかむら いさお、1929年4月27日 - 202… 岡村 勲(おかむら いさお、1929年4月27日 - 2025年2月24日)は、日本の弁護士。日本弁護士連合会副会長や全国犯罪被害者の会(あすの会)代表幹事を歴任。 高知県出身。一橋大学経済学部卒業後、一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。田中誠二ゼミ出身。1956年に旧司法試験に合格。1959年以降弁護士として活動し、第一東京弁護士会会長や日本弁護士連合会副会長、法務省法制審議会委員を歴任。1988年に発生した上海列車事故では日本弁護団団長を務めた。 1997年10月、自身の妻が、山一證券問題に際して逆恨みした男性によって殺害された(岡村勲弁護士夫人殺害事件)。これによって、岡村は犯罪被害者の遺族となり、犯罪被害者の権利向上活動に携わるようになる。
尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 20… 尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 2014年3月9日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所裁判官を務めた。位階は正三位。 明治から戦後まで衆院議員を務め「憲政の神様」と呼ばれた政治家・尾崎行雄の孫である。戦時中に祖父が起訴された尾崎不敬事件で、一審は有罪だったが大審院では逆転無罪となった時に「戦争中のひどい時代に立派な判決を出す人がいる」と感銘を受けたという。 三重県出身。尾崎行雄と繁の二男・彦麿の長男として生まれる。旧制宇治山田中学校(49期)、旧制成蹊高等学校(23回生)を経て、1953年に東京大学法学部卒業。 嘱託尋問調書の証拠能力を否定したロッキード事件「丸紅ルート」の大法廷判決、靖国神社などへの玉串料の公費支出を違憲とした愛媛県靖国神社玉串料訴訟の大法廷判決に関わったほか、裁判長として「がん告知義務訴訟」などの判決に携わった。
庭山 英雄(にわやま ひでお、1929年〈昭和4年〉1月1日… 庭山 英雄(にわやま ひでお、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の法学者(刑事訴訟法・冤罪事件)、弁護士。法学博士。「狭山事件の再審を求める市民の会」代表。 群馬県伊勢崎市生まれ。旧制群馬県立桐生中学校、学習院高等科を経て、1960年京都大学法学部を卒業。1963年一橋大学大学院法学研究科刑事法学修士課程修了、1966年同博士課程満期退学。指導教官は植松正。1979年「民衆刑事司法の動態の研究」で法学博士(京都大学)の学位を取得。 1966年中京大学法学部助教授、1971年同教授、1981年から1983年まで同学部長。1983年から香川大学法学部教授、1985年から1987年まで同学部長。
松永 光(まつなが ひかる、1928年〈昭和3年〉11月23… 松永 光(まつなが ひかる、1928年〈昭和3年〉11月23日 - 2022年〈令和4年〉10月11日)は、日本の政治家、弁護士。公益財団法人日本武道館会長(第8代)。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(10期)、大蔵大臣(第104代)、通商産業大臣(第50代)、文部大臣(第106代)、衆議院予算委員長・建設委員長、美しい日本の憲法をつくる埼玉県民の会会長などを歴任した。 衆議院議長、文部大臣、衆議院議員を務めた松永東は養父。 長崎県南高来郡南串山村(現・雲仙市)生まれ。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。1947年に東京都立九段中学校を卒業し、中央大学法学部法律学科に進学。その後、早稲田大学第二法学部法律学科に編入し、1951年に卒業した。