平子 裕基(ひらこ ひろき、1982年8月6日 - )は、北… 平子 裕基(ひらこ ひろき、1982年8月6日 - )は、北海道音更町出身の日本の男子スピードスケート選手。 白樺学園高等学校を経て明治大学1年時に2002年ソルトレークシティオリンピック5000mに出場。結果は17位に終わった。在学中全日本スピードスケート距離別選手権大会5000mで連覇。2003年アジア冬季競技大会(日本、青森)10000mで金メダルを獲得した。 大学卒業後は2006年から帯広市の開西病院に勤務。全日本スピードスケート選手権大会で3連覇を果たす。2007年アジア冬季競技大会(中国、長春)5000m金メダル。 2009年は世界距離別選手権10000m9位、アジア選手権総合2位となる。
出島 茂幸(でじま しげゆき、1982年5月13日 - )は… 出島 茂幸(でじま しげゆき、1982年5月13日 - )は、北海道釧路市出身の元スピードスケート選手である。 釧路市立鳥取西中学校-北海道釧路商業高等学校-専修大学-株式会社開発計画研究所-十六銀行。 2010年バンクーバーオリンピック代表に選ばれ、男子5000m27位、男子パシュート8位となった。
安田 直樹(やすだ なおき、1982年4月14日 - )は、… 安田 直樹(やすだ なおき、1982年4月14日 - )は、千葉県我孫子市出身のスピードスケート選手である。東海大三高、日体大、たてしなクラブ所属。174cm、65kg。トリノ五輪直前で出場資格を失った悲劇の選手として知られる。 東海大三高3年時にインターハイ5000mで準優勝。全日本ジュニアでは総合優勝に輝き、世界ジュニアに出場。 その後日本体育大学体育学部体育学科に進学し、2003年に青森で開催された冬季アジア大会の10000mで銅メダルを獲得。 2005年にトリノ五輪を目指すため大学を休学し、アルピコ(当時)の外ノ池信平(外ノ池亜希の父)監督が指導するたてしなクラブを練習拠点とする。 トリノ五輪では男子団体追い抜きのメンバーに一度選ばれていたが、IOCの選手総数抑制に伴い国際スケート連盟(ISU)が参加標準記録を引き上げたため、大会直前で五輪出場資格を失い、無念の帰国となってしまった。
高橋 知幸(たかはし ともゆき、1982年2月2日 - )は… 高橋 知幸(たかはし ともゆき、1982年2月2日 - )は、東海テレビに所属するアナウンサー、ショートトラックスピードスケート選手。元新潟放送アナウンサー。 東京都羽村市出身。少年期からスポーツ好き。小学生の時に少しの間卓球クラブに所属おり、ショートトラックは小学4年時から始めた。明法中学・高等学校へ進学し、中学時代は学校のサッカー部でフォワードを務めた。ストライカータイプではなく、ボールを追いかけ回し、ゴールが近いところでシュートを打つプレースタイルであった。こうしたスポーツを通じた経験や羽村市が制作するテレビはむらの取材を受けたこと等から、東洋大学進学後は「スポーツの感動を伝える仕事をしたい!」とマスメディア志望の動機を固め、テレビ朝日アスクでアナウンスの技術を学ぶ。
渡邊 ゆかり(わたなべ ゆかり、1981年4月28日 - )… 渡邊 ゆかり(わたなべ ゆかり、1981年4月28日 - )は、北海道稚内市出身の女子競輪選手、元女子スピードスケート選手。 競輪選手としては、日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)102期生、日本競輪選手会新潟支部所属(登録地は山梨県)。また、選手登録名は渡辺ゆかりとしている。 白樺学園高等学校を経て、富士急行に所属していた。2009-2010シーズン終了後、富士急スケート部を退部した。
宮崎 今佐人(みやざき けさと、1981年4月4日 - )は… 宮崎 今佐人(みやざき けさと、1981年4月4日 - )は、日本・群馬県吾妻郡嬬恋村出身のスピードスケート選手。2006年トリノオリンピック男子5000m・団体追い抜き代表。群馬県立嬬恋高等学校・明治大学・群馬県スケート連盟所属を経て一時緑陽会に席を置いた後、再び群馬県連盟所属。5000m、10000mの長距離を得意とする。
小林 和朗(こばやし かずあき、1981年4月2日 - )は… 小林 和朗(こばやし かずあき、1981年4月2日 - )は、日本のスピードスケート選手、元世界選手権日本代表。
及川 佑(おいかわ ゆうや、1981年(昭和56年)1月16… 及川 佑(おいかわ ゆうや、1981年(昭和56年)1月16日 - )は、北海道中川郡池田町生まれのスピードスケート選手。500メートル前日本記録保持者(34秒27) 北海道池田高校から山梨学院大学へ進学。その後、びっくりドンキー所属を経て、現在は大和ハウス工業株式会社所属。 大学在学中の就職活動において、スケート部を持つ企業からは選手待遇での誘いがなく、このまま無ければ大学でスケートを引退する予定だった。 しかし就職活動中、びっくりドンキーの一般社員としての役員面接の際、「トリノオリンピックに出場します」と想いを述べ、元体操選手だった庄司昭夫社長にその意気込みを買われ入社。 大学卒業後も競技生活を続行している。
大菅 小百合(おおすが さゆり、1980年10月27日 - … 大菅 小百合(おおすが さゆり、1980年10月27日 - )は、日本の元スピードスケート選手、元自転車競技選手。北海道標津郡標津町出身。マネージメント会社はボリバレント 幼少期は習い事として空手・水泳・習字・算盤をチャレンジした。空手は小学生の時に選手権大会に出場、妹の淳子も出場している。スピードスケートの強豪である白樺学園高等学校を卒業した後、1999年に三協精機製作所(現在の日本電産サンキョー)に入社。2002年ソルトレークシティオリンピックで五輪初出場を果たした。 その後、トレーニングの一環で行っていた自転車競技・トラックレースでも頭角を現し、2002年の釜山アジア大会500mタイムトライアルで、当時同種目世界記録保持者の江永華に次いで2位。
新谷 志保美(しんや しほみ、1979年8月10日 - )は… 新谷 志保美(しんや しほみ、1979年8月10日 - )は、日本の女子スピードスケート選手である。筑波大学体育専門学群卒業。156cm、51kg。現姓は神津。 長野県上伊那郡宮田村出身。兄は長野県の中学校教師で社会科を教えている。小学二年生のとき、父が経営するクラブでスケートを始める。1995年の全国中学校スケート大会で500m・1000mの2冠を達成。 多くのスポーツ名門校からの誘いを蹴り、スポーツ界では無名だった地元進学校の長野県伊那北高等学校に進学。1996・97年の高校総体500mで連覇。 筑波大学進学後も学生スプリント2年連続完全制覇など学生タイトルを総なめにする。卒業後、竹村製作所へ入社。
田村 直也(たむら なおや、1979年6月18日 - )は、… 田村 直也(たむら なおや、1979年6月18日 - )は、日本のショートトラックスピードスケート選手。兵庫県丹波篠山市出身。長野オリンピック、ソルトレークシティオリンピックに出場した。 関西スピードスケートクラブに所属し、1996年の世界ジュニア選手権で総合3位。三田学園高校在学中の1998年2月に18歳で長野オリンピックに出場。1000mで準決勝まで進出して5位入賞。2001年12月16日にワールドカップ・アムステルダム大会1000mで初優勝。2002年、ソルトレークシティオリンピックに出場し、1000mで7位となり2大会連続で入賞。 現役引退後、スピードスケートトレーナーや医療機関、福祉施設に勤務した。
妹尾 栄里子(せお えりこ、1979年3月12日 - )は、… 妹尾 栄里子(せお えりこ、1979年3月12日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道帯広市出身。 白樺学園高等学校を卒業後王子製紙に入社、その後松本電気鉄道(のちのアルピコ交通)へ移籍した。アルピコが廃部となった後再び王子製紙所属となった。 2002年ソルトレイクシティオリンピック代表に選ばれ、女子3000m19位となった。 2006年トリノオリンピック代表に選ばれ、女子3000m20位タイとなった。 2007年-2008年シーズン終了後、現役を引退した。
外ノ池 亜希(とのいけ あき、1979年3月3日 - )は、… 外ノ池 亜希(とのいけ あき、1979年3月3日 - )は、長野県上伊那郡辰野町出身のスピードスケート選手である。所属はアルピコ→ストロングスアスリートクラブ。父はコーチでもある外ノ池信平。 東海大学付属第三高等学校在学時1996年アジア冬季競技大会に出場、1000mと1500mで銀メダルを獲得した。18歳で1998年長野オリンピック出場、1500mで16位となった。以降2002年ソルトレークシティオリンピック、2006年トリノオリンピックと3大会連続出場。ソルトレイクシティでは女子1000メートルにて1分14秒64の日本記録で7位に入賞。 2006年現役引退を表明。その後江連忠ゴルフアカデミーに入門、「チーム・江連」の一員となり、プロゴルファーを目指し修行を積んでいる。
篠原 祐剛(しのはら ゆうごう、1978年11月2日 - )… 篠原 祐剛(しのはら ゆうごう、1978年11月2日 - )は、長野県原村出身の元ショートトラックスピードスケート選手。山梨学院大学卒。1998年長野オリンピック、2002年ソルトレークシティオリンピックと、計2度の冬季オリンピックに出場。現在、山梨学院大学スケート部コーチ。
勅使川原 郁恵(てしがわら いくえ、1978年10月27日-… 勅使川原 郁恵(てしがわら いくえ、1978年10月27日-)は、日本の元ショートトラックスピードスケート選手。マネジメント契約先はスポーツビズ。 愛知女子高等学校、中京大学卒業。中学2年でショートトラック全日本選手権で総合優勝を果たし、高校1年から5連覇を達成。また、1996年の世界ショートトラックジュニア選手権においては、日本人としては唯一、総合優勝を果たしている。冬季オリンピックは長野、ソルトレーク、トリノの3大会に出場し、長野では500m6位、1000m5位、3000mリレー4位、ソルトレークでは1000m17位、3000mリレー4位、トリノでは1500m17位に終わり、メダル獲得はならなかった。
今井 裕介(いまい ゆうすけ、1977年9月20日 - )は… 今井 裕介(いまい ゆうすけ、1977年9月20日 - )は、日本の元スピードスケート選手、元競輪選手。長野県南佐久郡臼田町(現・佐久市)出身。身長175cm、体重75kg。 佐久長聖高等学校時代はショートトラックスピードスケート選手。ショートトラックでは全日本選手権を制し日本代表を経て山梨学院大学入学後にスピードスケートに転向。長野オリンピックでは1000m11位、1500m16位、ソルトレークシティオリンピックでは1000m15位、1500m34位。トリノオリンピックでは1000m20位、1500m34位。 2001年3月、同種目で1分45秒49の日本新をマークした。世界歴代2位に相当する好記録。
小沢 幸(おざわ さち、1976年12月23日 - )は、… 小沢 幸(おざわ さち、1976年12月23日 - )は、日本のショートトラックスピードスケート選手。1997年世界ショートトラックスピードスケート選手権大会3000mリレー銅メダリスト。1998年長野オリンピック代表選手で、同大会の3000mリレーの4位入賞メンバーである。 東京都北区赤羽[要出典]に生まれる。幼少期よりスケートを始め、本格的にスケート競技に打ち込むため長野県の佐久長聖高校に進学した[要出典]。 山梨学院大学に進み、1年時の1995年に世界ショートトラックスピードスケート選手権大会の日本代表となる。翌年の本番では個人総合17位であった。長野県で開催された1997年10月の同大会では3000mリレーメンバーとして3位に入賞した。
伊藤 大理(いとう ひろみち、1976年10月23日 - )… 伊藤 大理(いとう ひろみち、1976年10月23日 - )は元スピードスケート選手で、現在は長野県を登録地(日本競輪選手会新潟支部所属)とする競輪選手。 かりがね自転車競技場をホームバンクとしている。 スピードスケート選手時代、1999年に大韓民国春川市で行われた第4回アジア冬季競技大会・1500mで3位に入った。この他、真駒内選抜スピードスケート競技会での優勝経験を有する。 冬季アジア大会の銅メダル獲得を契機に、競輪選手への転身を決意。同じくスピードスケートから競輪へ転身した市村和昭(競輪学校48期生)に師事し、日本競輪学校第85期適性試験に合格。 2000年8月8日、立川競輪場でデビューし、初勝利も同日。
羽石 国臣(はねいし くにおみ、1975年1月6日 - )は… 羽石 国臣(はねいし くにおみ、1975年1月6日 - )は、日本の元スピードスケート選手で、競輪選手。 栃木県日光市出身。日光高校を経て日本大学へと進学。スケートに専念できる就職口がなかったため、大学卒業後は、地元・日光の鉄工所でアルバイトをしながら一人で練習を行なう。その後、三協精機製作所(現 ニデックインスツルメンツ)に入社。 1998年12月の長野大会に、ISUワールドカップとして初参加し、500mで3位に入る。翌1999年3月に行われたローズビルの同大会・500mでは、長野オリンピック・500m銀メダリストのジェレミー・ウォザースプーン(2位)を破り優勝。 2001年の全日本スプリントスピードスケート選手権大会で総合3位に入り、清水宏保、武田豊樹、堀井学とともに、2002年のソルトレイクシティオリンピック・500mの日本代表として出場、12位となる。
田畑 真紀(たばた まき、1974年11月9日 - )は、日… 田畑 真紀(たばた まき、1974年11月9日 - )は、日本の女子スピードスケート選手及び同自転車競技選手。 北海道勇払郡むかわ町(旧・鵡川町)生まれ。駒澤大学附属苫小牧高等学校出身。同校スピードスケート部監督。富士急、ダイチを経て日本建物管財に所属。短距離から長距離までこなすオールラウンダー。
糸川 敏彦(いとかわ としひこ、1974年9月20日 - )… 糸川 敏彦(いとかわ としひこ、1974年9月20日 - )は、北海道斜里郡清里町出身の元スピードスケート選手である。とかちチームAA所属。 清里町立光岳小学校、清里町立清里中学校から白樺学園高校に進み、1992年アルベールビルオリンピックに最年少で出場。 専修大学在学中にも1994年リレハンメルオリンピック出場を果たし、5000mで6位に入賞するとともに日本新記録をマークした。 卒業後はコクドに入社。1998年長野オリンピック出場は逃したが、2002年ソルトレークシティオリンピックで2大会ぶり出場を果たした。 2014年ソチオリンピックと2018年平昌オリンピックではコーチを担当した。 2003年、コクドを退社。
三宮 恵利子(さんみや えりこ、1974年9月19日 - )… 三宮 恵利子(さんみや えりこ、1974年9月19日 - )は、スケートコメンテーター、ローカルタレント、元スピードスケート選手。トヨタ自動車所属。
野明 弘幸(のあけ ひろゆき、1974年8月24日 - )は… 野明 弘幸(のあけ ひろゆき、1974年8月24日 - )は、長野県出身の男性スピードスケート選手。1998年長野オリンピック、2002年ソルトレイクシティオリンピックスピードスケート日本代表。長野県岡谷南高等学校を経て日本体育大学卒業。妻は元スピードスケート選手で、1992年アルベールビルオリンピック、1998年長野オリンピックのスピードスケート日本代表の上原三枝。娘の野明花菜もスピードスケート選手で、2026年ミラノ・コルティナオリンピックのスピードスケート日本代表である。 長野県諏訪郡原村に生まれた。世界ジュニア選手権では2位となり、1994年世界選手権では5位。1994年12月のISUワールドカップ男子1500mメートルでは、日本人選手初の中長距離種目優勝を飾った。
清水 宏保(しみず ひろやす、1974年〈昭和49年〉2月2… 清水 宏保(しみず ひろやす、1974年〈昭和49年〉2月27日 - )は、日本の元スピードスケート選手、医学者、スポーツキャスター、タレント、実業家。学位は博士(医学)(弘前大学・2023年)。 北海道帯広市出身。有限会社Shimizu所属 兼取締役。1998年長野オリンピックで金メダル1個、銅メダル1個、2002年ソルトレークシティオリンピックで銀メダルを獲得した。身長は162cm。タレント専属契約はエイベックス・マネジメント・エージェンシー。 実家は建設会社。葵幼稚園、帯広市立栄小学校、帯広市立帯広第一中学校、白樺学園高等学校、日本大学文理学部卒業。三協精機、NECを経て、現在は株式会社コジマに所属するプロのスケーターである。
宗像 記子(むなかた のりこ、1974年1月30日 - )は… 宗像 記子(むなかた のりこ、1974年1月30日 - )は、スピードスケート選手。北海道新得町出身。 白樺学園高等学校卒業。1992年に富士急行に入社。全日本実業団スピードスケート競技会で3000mで優勝、1994年の世界スピードスケート世界選手権で総合4位となった。1998年の長野オリンピックでは3000mに出場し18位だった。 夫はカナダ代表のマイク・アイルランド(英語版)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
白幡 圭史(しらはた けいじ、1973年10月8日 - )は… 白幡 圭史(しらはた けいじ、1973年10月8日 - )は、日本のスピードスケート選手。専門は長距離。北海道釧路市出身。最終学歴は専修大学卒業。 北海道釧路商業高等学校、専修大学をへてコクドに所属。大学・実業団と黒岩彰の指導を受け、長い体躯を生かしたダイナミックなスケーティングで日本の長距離界をリードした選手である。 現役時代168cm・68kgと小柄ながらも、高地合宿や低酸素供給マシンを始めとする理論的なトレーニングと序盤から後半に向けタイムを上げていく、独特の走法及び世界一とも呼ばれたスケーティング技術で、長く一線級に留まった。 釧路商業高校在学中(3年生)に1992年アルベールビルオリンピック初出場、1994年リレハンメルオリンピックには選出されなかったが、1998年長野オリンピック代表に選出されメダルも期待されたが惜しくも逃している。
堀井 学(ほりい まなぶ、1972年〈昭和47年〉2月19日… 堀井 学(ほりい まなぶ、1972年〈昭和47年〉2月19日 - )は、日本の政治家、元スピードスケート選手、元1000m世界記録保持者。1994年のリレハンメルオリンピックで銅メダルを獲得した。 衆議院議員(4期)、内閣府副大臣、外務大臣政務官、北海道議会議員(2期)、北海道オリエンテーリング協会会長などを歴任。 北海道室蘭市輪西町に市役所の職員だった父・治年と、母・和子の長男として生まれる。小学4年からスピードスケートを始める。室蘭市立白鳥台小学校、本室蘭中学校を卒業後、白樺学園高等学校に入学。その後専修大学商学部へ進学。1994年3月、専修大学商学部商業学科を卒業し同年4月に王子製紙入社。
島崎 京子(しまざき きょうこ、1972年1月7日 - )は… 島崎 京子(しまざき きょうこ、1972年1月7日 - )は北海道河東郡音更町出身の元スピードスケート選手。現姓名は杉山 京子(すぎやま きょうこ)。身長159cm、体重57kg。
井上 純一(いのうえ じゅんいち、1971年12月26日 -… 井上 純一(いのうえ じゅんいち、1971年12月26日 - )は、日本のスピードスケート選手。埼玉県秩父市出身。 中学1年からスピードスケートを本格的にはじめ、県立秩父農工高校3年時にインターハイ3位となり、日本大学文理学部体育学科に進学。大学時代国内ではインカレ4連覇を飾り、大学2年時にアルベールビルオリンピック500m銅メダリスト。アルベールビル・リレハンメル、長野と3大会連続でオリンピックに出場した。 2000年に現役を引退し、西武グループの関連会社で人事部門などを経て、2013年に埼玉西武ライオンズ事業部長。
山本 宏美(やまもと ひろみ、1970年4月21日 - )は… 山本 宏美(やまもと ひろみ、1970年4月21日 - )は、北海道白老郡白老町出身の元スピードスケート選手。1994年リレハンメルオリンピック銅メダリスト。現姓・山中。 3歳頃からスケートを始める。白老中学校1年の時に全国中学校体育大会で優勝した。駒大苫小牧高校を卒業後、王子製紙に入社し、全日本スピードスケート選手権などで活躍。スピードスケートの種目では主に中・長距離を得意とした。 だが1992年の年明けに脳腫瘍を患い入院。1993年春頃には左足首の靱帯を断裂する大怪我を追い手術を受ける。このケガを機に、足に負担が掛からない小刻みなピッチ走法に変えた所、これが功を奏してスピードスケートの自己記録を次々と更新し、翌1994年に自身初の冬季オリンピック日本代表に選出された。
椿 文子(つばき あやこ、1969年12月3日 - )は、日… 椿 文子(つばき あやこ、1969年12月3日 - )は、日本のショートトラックスピードスケート選手(冬季五輪日本代表選手)。農業家(北海道指導農業士)・教育者・スケート指導者(日本スケート連盟強化コーチ)。鵡川農業協同組合(JAむかわ)理事を務めた。 北海道勇払郡鵡川町(現・むかわ町)の生まれ。少女のころスケートを始め、瞬く間に全国大会で活躍した。 1994年、リレハンメルオリンピックに日本代表として出場。500mに出場した。同年、外ノ池亜希、新谷志保美らとともに長野県スケート連盟栄光賞を受ける。1998年、長野オリンピックに日本代表として出場。500mに出場した。 2006年、トリノオリンピック日本代表コーチ。
清水 祥之(しみず よしゆき、1969年11月21日 - )… 清水 祥之(しみず よしゆき、1969年11月21日 - )は、日本の元スピードスケート選手。 カルガリーオリンピック代表。現在はスピードスケートコーチである。群馬県群馬郡榛名町(現・高崎市)出身。群馬県立榛名高等学校、日本大学卒業。 1988年、群馬県立榛名高等学校3年でカルガリーオリンピック代表に選出される。これは、男子選手としては1952年のオスロオリンピックに五味芳保が出場して以来36年ぶり2人目の高校生代表であり、話題を集めた。カルガリーオリンピックではスピードスケート男子1500mと5000mに出場した。同郷の黒岩宗久・黒岩康志とともにメダル獲得が期待されたが、重圧に屈し、1500m 22位、5000m 32位に終わった。
楠瀬 志保(くすのせ しほ、本名:森野志保、1969年10月… 楠瀬 志保(くすのせ しほ、本名:森野志保、1969年10月23日 - )はスピードスケート選手。リレハンメル冬季五輪におけるスピードスケート競技スピードスケート女子1000メートルで6位入賞した元オリンピック選手。北海道別海町出身。駒澤大学附属苫小牧高等学校、日本体育大学卒業。 息子の森野太陽もスピードスケート選手。
黒岩 敏幸(くろいわ としゆき、1969年2月27日 - )… 黒岩 敏幸(くろいわ としゆき、1969年2月27日 - )は、日本のスピードスケート選手。群馬県嬬恋村出身。1992年アルベールビルオリンピック500m銀メダリスト。1992年アルベールビルオリンピック・1994年リレハンメルオリンピック・長野と3大会連続でオリンピックに出場した。1990年代を代表する名選手である。
河合 季信(かわい としのぶ、1967年12月19日 - )… 河合 季信(かわい としのぶ、1967年12月19日 - )は、愛知県名古屋市出身のショートトラックスピードスケート選手。1985年、愛知県立瑞陵高等学校2年の時に世界選手権で個人総合優勝。1986年アジア冬季競技大会では500m銀メダル。筑波大学体育専門学群に進学し、1987年には2度目の個人総合優勝を果たすなど、日本のショートトラックの黄金期を支えたスケーターである。1988年カルガリーオリンピック(公開競技)ではメダルを期待されたが、500m8位であった。1991年冬季ユニバーシアードでは1000m、1500mで銅メダルを獲得、1992年アルベールビルオリンピック5000mリレーで銅メダルを獲得し、この年限りで競技から引退。
黒岩 悟(くろいわ さとる、1967年5月2日 - )は、1… 黒岩 悟(くろいわ さとる、1967年5月2日 - )は、1980年代後半から1990年代前半にかけて活躍した日本のスピードスケート選手。群馬県立嬬恋高等学校から専修大学を経て、ミズノ入社。群馬県吾妻郡嬬恋村出身。カルガリー五輪代表の黒岩康志は実兄。引退後はミズノスタッフとして活躍中。
佐藤 和弘(さとう かずひろ、1967年4月6日 - )は、… 佐藤 和弘(さとう かずひろ、1967年4月6日 - )は、北海道出身の元スピードスケート選手である。 釧路短期大学附属高等学校-専修大学-コクド1990年アジア冬季競技大会男子5000m、男子10000mともに金メダル獲得。1991年冬季ユニバーシアード男子5000m銀、男子10000m金メダル獲得。1992年アルベールビルオリンピック代表に選ばれ、男子10000m5位入賞。同種目日本勢初の入賞を果たした。1500mは28位、5000mは17位だった。 1994年リレハンメルオリンピック代表に選ばれ、男子5000m、10000mともに13位だった。
宮部 保範(みやべ やすのり、1966年11月5日 - )は… 宮部 保範(みやべ やすのり、1966年11月5日 - )は、東京都出身の元スピードスケート選手である。
関 ナツエ(せき なつえ、1966年6月10日 - )は、北… 関 ナツエ(せき なつえ、1966年6月10日 - )は、北海道鵡川町(現・北海道むかわ町)出身のスピードスケート・自転車競技選手である。三協精機(現日本電産サンキョー)所属。 駒大苫小牧高校ではインターハイ1500mで3連覇を達成。1988年カルガリーオリンピックに1500m・3000m・5000mで出場し、同年に開催されたソウルオリンピックにも自転車ロードレースで出場した。高校の2年先輩でもある橋本聖子とともに、日本人初の夏冬オリンピック出場となった。
三谷 幸宏(みたに ゆきひろ、1966年4月22日 - )は… 三谷 幸宏(みたに ゆきひろ、1966年4月22日 - )は、北海道河東郡音更町出身の元スピードスケート選手で、元競輪選手。日本競輪学校第67期生。師匠は穴田勝彦(13期)。競輪選手時代は日本競輪選手会北海道支部所属。ホームバンクは函館競輪場。 白樺学園高等学校時代、第11回全日本スプリントスピードスケート選手権大会において、当時日本の第一人者である黒岩彰の同大会3連覇を阻んで総合優勝。また、法政大学時代の第13回も総合優勝を果たす。 1986年に行われた世界スプリントスピードスケート選手権大会では総合6位。 1987年に行われた世界スプリントスピードスケート選手権大会では、1000mで1位を記録した他、総合でも3位(優勝は黒岩彰)に入る。
黒岩 康志(くろいわ やすし、1965年9月27日 - )は… 黒岩 康志(くろいわ やすし、1965年9月27日 - )は、1980年代後半から1990年代にかけて活躍した日本のスピードスケート選手。カルガリーオリンピック日本代表。群馬県吾妻郡嬬恋村出身。群馬県立嬬恋高等学校、専修大学卒業。黒岩悟は弟。 専大4年次の1988年、全日本スプリント選手権で総合5位に入り、カルガリーオリンピック代表に選出される。カルガリーオリンピックでは男子500mに出場。11位に入る健闘をみせた。専大卒業後、国土計画に入社。1989年の全日本スプリント選手権で総合優勝を飾る。カルガリーオリンピックでは優勝候補の一角であったダン・ジャンセンと同走。第一コーナーでジャンセンが転倒し、黒岩も巻き込まれ転倒した。
石原 辰義(いしはら たつよし、1964年3月24日 - )… 石原 辰義(いしはら たつよし、1964年3月24日 - )は、佐賀県佐賀市出身の元ショートトラックスピードスケート選手。西濃運輸所属。その後米国資本の外資系生命保険会社に勤務。現在マニュライフ生命に勤務。 1986年世界ショートトラックスピードスケート選手権大会総合優勝。 デモンストレーション競技だった1988年カルガリーオリンピックでは500mで銅メダル、1000m4位、1500m8位、3000m7位だった。 1992年アルベールビルオリンピックの男子5000mリレーで赤坂雄一・河合季信・川崎努とともに銅メダリストとなった。男子1000mでは15位。1994年リレハンメルオリンピックにも出場、5000mリレー5位となった。
浜谷 公宏(はまや きみひろ、1963年3月21日 - )は… 浜谷 公宏(はまや きみひろ、1963年3月21日 - )は、日本のスピードスケート選手。専門は中距離。北海道根室市出身。最終学歴は専修大学卒業。 北海道根室高等学校・専修大学卒業後、ミズノに入社。1984年サラエボオリンピック、1988年カルガリーオリンピック代表に選出された。高校在学中は、夏は野球、冬はスケートで活躍した。1994年リレハンメルオリンピックでは、テレビ中継の解説を務め「良いですよ」のコメントで話題を呼んだ。現在日本スケート連盟職員である。
北沢 欣浩(きたざわ よしひろ、戸籍上の表記は北澤 欣浩、1… 北沢 欣浩(きたざわ よしひろ、戸籍上の表記は北澤 欣浩、1962年8月4日 - )は、北海道釧路市出身の元スピードスケート選手。「キンコウ」の愛称で知られていた。
鈴木 靖(すずき やすし 1962年〈昭和37年〉5月15日… 鈴木 靖(すずき やすし 1962年〈昭和37年〉5月15日 - )は、北海道鵡川町(現北海道むかわ町)出身のスピードスケート選手。 1962年(昭和37年)5月15日、北海道勇払郡鵡川町(現むかわ町)出身。駒澤大学附属苫小牧高等学校を経て三協精機(現日本電産サンキョー)へ入社。 高校時代よりスピードスケート選手として頭角を現し、高校1年時に2000mリレーにて高校日本新記録を樹立、その後も、500m1000mで表彰台に上る。数々の世界大会に出場。1984年のサラエボオリンピック日本代表として男子500mに出場した。500m、1000m両距離に強さがあったスプリンター。 1983年ドイツ国際大会・中国国際大会では500m優勝の実績もある。
今村 俊明(いまむら としあき、1962年5月11日 - )… 今村 俊明(いまむら としあき、1962年5月11日 - )は、長野県岡谷市出身の元スピードスケート選手、実業家。 岡谷南高校1年時の第28回インターハイ5000m、3年時の第30回大会10000mで優勝。 日本大学在学中の1984年サラエボオリンピックに出場、5000m26位、10000m23位となった。1984年の第53回全日本スピードスケート選手権大会総合優勝。日大卒業後の1985年春三協精機に入社。現役引退後は同チームコーチ・監督。 2002年、ソルトレークシティオリンピック日本選手団スピードスケート代表コーチ。2006年、トリノオリンピック日本選手団スピードスケート代表コーチ。2010年、バンクーバーオリンピック日本選手団スピードスケート代表監督。
黒岩 彰(くろいわ あきら、1961年9月6日 - )は、1… 黒岩 彰(くろいわ あきら、1961年9月6日 - )は、1980年代に活躍した日本のスピードスケート選手で、現在は日本スケート連盟強化副部長。現役引退後は、西武ライオンズ球団代表を務めた経歴を持つ。 群馬県吾妻郡嬬恋村出身。嬬恋村立干俣小学校の頃からスポーツは得意だったが、唯一スケートだけは同級生の女子に勝てなかった。中学校でスケート部に入部、2年生の時に軽井沢で行われた大会の500mで45秒8の記録で優勝、中学3年の時には、42秒8の群馬県中学記録を作った。群馬県立嬬恋高等学校に進学、1年の時にインターハイの500mで5位、2年の時に優勝した。レークプラシッドオリンピック出場を目指したが、逃している。
篠原 雅人(しのはら まさひと、1961年5月10日 - )… 篠原 雅人(しのはら まさひと、1961年5月10日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道幕別町出身。 白樺学園高等学校を経て王子製紙に入社。 インターハイでは1年時に1000m、2年時に10000m、3年時に5000mと10000mを制した。 1983年の第52回全日本スピードスケート選手権大会総合優勝。1984年サラエボオリンピックに出場、5000m24位、10000m26位となった。また1986年アジア冬季競技大会5000mで金メダルを獲得した。
黒岩 美智子(くろいわ みちこ、1958年〈昭和33年〉11… 黒岩 美智子(くろいわ みちこ、1958年〈昭和33年〉11月20日 - )は、昭和時代の日本のスピードスケート選手。 群馬県吾妻郡嬬恋村大笹に生まれる。嬬恋西中学校を経て群馬県立嬬恋高等学校に入学。中高を通じて入澤孝一の指導を受ける。嬬恋高校在学中は同校女子スケート部がインターハイ全国総合優勝を果たす原動力となった。 1977年(昭和52年)に西武不動産に入社。鈴木恵一の指導を受ける。 1978年(昭和53年)、軽井沢国体女子500mで優勝したのを皮切りに同種目で6連覇。1983年(昭和58年)地元で開催されたあかぎ国体では選手宣誓を務め、同大会の女子2000mリレーで優勝を飾ったのを最後に引退。
市村 和昭(いちむら かずあき、1957年8月11日 - )… 市村 和昭(いちむら かずあき、1957年8月11日 - )は、長野県軽井沢町出身の元スピードスケート選手、元競輪選手。日本競輪学校第48期生。長野県軽井沢高等学校、明治大学出身。