小山田 いく(おやまだ いく、1956年6月10日 - 20… 小山田 いく(おやまだ いく、1956年6月10日 - 2016年3月23日)は、日本の漫画家。代表作に『すくらっぷ・ブック』など。本名は田上 勝久(たがみ かつひさ)。同じく漫画家のたがみよしひさは実弟。 長野県小諸市生まれ。小諸市立坂の上小学校、小諸市立芦原中学校、長野工業高等専門学校機械工学科卒業。卒業後の1979年、本名で描いた『五百羅漢』(『別冊ビッグコミック』12月1日号)で漫画家デビュー(これ以前にも“幻のデビュー作”として、第4回小学館新人コミック大賞を受賞した「菩薩」がある)。同年、「12月の唯」(第13回「週刊少年チャンピオン新人まんが賞」佳作)で小山田いく名義に変更し『週刊少年チャンピオン』にてデビューした(同期の受賞者は、入選の神矢みのる、佳作の木村和昭など)。
さい ふうめい(1956年(昭和31年)5月24日 - )は… さい ふうめい(1956年(昭和31年)5月24日 - )は、日本の漫画原作者、ギャンブル評論家。本名の竹内 一郎(たけうち いちろう)名義で劇作家・演出家・評論家としても活動しており、非言語コミュニケーションを扱った『人は見た目が9割』(2005年)がベストセラーになった。宝塚大学教授。 福岡県久留米市出身。浅野高校、横浜国立大学教育学部心理学科卒業。2005年、「ストーリーマンガの誕生 : 手塚治虫の表現技法に関する実証研究」で博士(比較社会文化)(九州大学)。 九州大谷短期大学助教授をへて宝塚造形芸術大学教授、校名変更で現職。 大学在学中の1977年に、劇団「早稲田小劇場」で鈴木忠志に師事。
魚柄 仁之助(うおつか じんのすけ(ペンネーム)1956年4… 魚柄 仁之助(うおつか じんのすけ(ペンネーム)1956年4月21日 - )は日本の食生活研究家、エッセイスト、漫画原作者、ペーパーナイフアーティスト。 福岡県北九州市戸畑区に生まれる。実家は大正7年創業の日本料理店。 小学生時代、針金が左目に刺さる事故で左目を失明。中学生時代から独学で自転車・ラジオ・時計の修理、ギターの修理と演奏に熱中する。当時から中古自転車・中古ギターを修理・売買し、中学3年生からはキャバレーのギター演奏のアルバイトも行っていた。 1975年、福岡県立戸畑高校卒業後、宇都宮大学農学部に入学。実家の仕送りには頼らず、ギター弾きや建築現場の養生作業、旅館の配膳アルバイトをしながら1981年に古物商免許を取得し、貯金200万円を元手に宇都宮市でバイク店を開いた(共同経営)。
奥友 志津子(おくとも しづこ、1956年4月1日 - 20… 奥友 志津子(おくとも しづこ、1956年4月1日 - 2026年6月25日)は、日本の女性漫画家。岩手県遠野市出身。 1975年、集英社の少女誌『りぼん』増刊夏の号にて「ねじれた時間」でデビュー。初期は主に『りぼん』や『りぼん』増刊号などで読み切りを掲載後、秋田書店の少女雑誌である『ボニータ』や『ひとみ』を中心に連載していた。代表作は通巻5冊の単行本が発行された「ドリーマー」シリーズ。 2010年から2014年まで、自らのブログ上で作品を発表していた(不定期)。 2026年6月25日に永眠したことを、同年7月5日に漫画家の中村理恵がXで報告した。70歳没。 ※出版社の明記がない作品は秋田書店発行。
江口 寿史(えぐち ひさし、男性、1956年〈昭和31年〉3… 江口 寿史(えぐち ひさし、男性、1956年〈昭和31年〉3月29日 - )は、日本の漫画家・イラストレーター。妻は元アイドルの水谷麻里。血液型はO型。代表作に『ストップ!! ひばりくん!』、『すすめ!!パイレーツ』、『江口寿史の爆発ディナーショー』など。女性画に定評がある。 熊本県水俣市生まれ。1963年に放映が始まったTVアニメーション『鉄腕アトム』で漫画の存在を知り、さらに雑誌『少年』の『鉄腕アトム』の連載により漫画に夢中になる。読み始めの頃、一番好きだったのは同誌連載の関谷ひさしの『ストップ!にいちゃん』だったという。少しのちにちばてつやの大ファンとなる。 中学2年生の終わりに父親の転勤で千葉県野田市に転居。
石坂 啓(いしざか けい、1956年3月28日 - )は、日… 石坂 啓(いしざか けい、1956年3月28日 - )は、日本の漫画家、作家。愛知県名古屋市出身。女性。雑誌『週刊金曜日』の編集委員や、ピースボート水先案内人を務めるほか、テレビにコメンテーターとして出演している。既婚で一児の母。本名、立川啓子。旧姓、福田。
和気 一作(わけ いっさく、1956年3月26日 - 202… 和気 一作(わけ いっさく、1956年3月26日 - 2025年11月15日以前)は、日本の漫画家。高知県室戸市出身。 榊まさる・青柳裕介のアシスタントを経てヤングコミックで発表した『愛宕橋』でデビュー。倉科遼原作の作品が多い。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
高橋 葉介(たかはし ようすけ、1956年(昭和31年)3月… 高橋 葉介(たかはし ようすけ、1956年(昭和31年)3月15日 - )は、日本の漫画家、漫画原作者。本名は高橋 庸介。代表作に怪奇幻想マンガ『夢幻紳士』シリーズや学園ホラーマンガ『学校怪談』や『もののけ草紙』などがある。 母の実家のある長野県で出生し、幼少期は東京都青梅市で育ち、建築業の父とともに、武蔵野市武蔵境、豊島区池袋、神奈川県相模原市に移る。小学生の頃からマンガを描き始め、高校時代から集英社や小学館に投稿を始める。 駒澤大学時代に水野流転が主宰する同人誌『楽書館』に参加、秋田書店の『少年チャンピオン』編集部にストーリー漫画を書いて持ち込んだが、担当編集者の綿引勝美が辞めたため、朝日ソノラマに『無題』『ここに愛の手を』を持ち込み、担当編集者の原田利康に認められ、1977年大学4年の時に『マンガ少年』8月号掲載の「江帆波()博士の診療室」でデビュー。
バトルロイヤル風間(バトルロイヤルかざま、1956年3月12… バトルロイヤル風間(バトルロイヤルかざま、1956年3月12日 - )は日本の漫画家。本名は風間雄吉。プロレス、将棋、落語の漫画絵を多数描いている。日本落画家協会会員。 法政大学卒業。在学中は漫画研究会に所属(在学中の先輩にながいのりあきがいる)。出版社に入社して編集者として小中学生向けの宅配問題集を作った。 退社して、出版社(毎日コミュニケーションズ)での先輩(大崎千明)が編集者として創刊した「週刊将棋」で4コマ漫画「オレたち将棋ん族」を連載開始。2016年の休刊まで長期連載した(1990年に将棋ペンクラブ大賞特別賞を受賞)。他にも『将棋世界』にも連載をもち、かつては『近代将棋』や『将棋マガジン』でも漫画やコラムを執筆していた。
猫十字社(ねこじゅうじしゃ、1956年3月6日 - )は、日… 猫十字社(ねこじゅうじしゃ、1956年3月6日 - )は、日本の漫画家。本名:森島利永子。 長野県飯田市出身。1978年(昭和53年)、「天使の一日」でデビュー。同年から白泉社『花とゆめ』『LaLa』等に「黒のもんもん組」「小さなお茶会」を発表する。1990年には同人誌「動じん誌」を発行する。 独特の言語感覚で同時代には先鋭的なギャグ漫画と評された「黒のもんもん組」や、温かいメルヘンな絵柄で日常的な生活が描かれる4コマ漫画でありながら、4コマの連続で多様なメタファーを含む寓話的エピソードも出現する「小さなお茶会」などの作品を発表している。 その後は少女漫画をベースに、幻想的で壮大なスケールのファンタジー作品「幻獣の國物語」などを発表している。
太刀掛 秀子(たちかけ ひでこ、1956年2月13日 - )… 太刀掛 秀子(たちかけ ひでこ、1956年2月13日 - )は、日本の漫画家。愛称「デコたん」。1970年代から1980年代にかけて、集英社の月刊漫画雑誌『りぼん』で少女漫画作品を発表する。 広島県呉市出身。1973年、広島県立広高等学校在学中に『雪の朝』で「りぼん新人漫画賞」で大賞を受賞し、同作品でデビュー。初の大賞受賞者となった。以後、『りぼん』とその姉妹誌に作品を発表、当時の「おとめちっく」路線の担い手として活躍する。その間に広島女学院大学に進学する。 陸奥A子・田渕由美子らと同じ「おとめちっく」路線に分類されるが、繊細なタッチの絵柄で少女らしい淡い恋心を描きつつ、病気や死、児童虐待、家族の絆など、重い題材を扱ったシリアスで内省的な作品も多い。
長崎 尚志(ながさき たかし、1956年1月14日 - )は… 長崎 尚志(ながさき たかし、1956年1月14日 - )は、日本の漫画編集者・漫画原作者・漫画プロデューサー・小説家。名古屋造形大学元客員教授。 宮城県仙台市出身。幼い頃は名古屋、東京、横浜、金沢などで過ごす。1980年小学館入社。『ビッグコミック』『週刊少年サンデー』『ビッグコミックオリジナル』『ビッグコミックスペリオール』などの編集を担当する。1999年7月『ビッグコミックスピリッツ』編集長に就任。2001年に小学館を退社、フリーとなり、以降は漫画原作者として活動する。東周斎雅楽(とうしゅうさい がらく)、 江戸川啓視(えどがわ けいし)、リチャード・ウーなど複数のペンネームで多くの作品を手掛ける。
三山 のぼる(みやま のぼる、1956年1月7日 - 200… 三山 のぼる(みやま のぼる、1956年1月7日 - 2007年12月2日)は、日本の漫画家。 熊本県八代市出身。高卒後に上京してデザイン会社に勤務したのち、村野守美に師事し、池沢さとしのアシスタントを経て、1981年に週刊少年ジャンプにて「男文太」でデビュー。代表作に『メフィスト』など。 2007年に急性心不全で急逝した。
たなか 亜希夫(たなか あきお、1956年1月6日 - )は… たなか 亜希夫(たなか あきお、1956年1月6日 - )は、日本の漫画家。 宮城県石巻市出身。小池一夫の主宰した漫画・劇画製作者を養成する私塾「劇画村塾」出身。代表作は『軍鶏』など。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
末松 正博(すえまつ まさひろ、1956年1月2日 - )は… 末松 正博(すえまつ まさひろ、1956年1月2日 - )は、日本の漫画家。血液型A型。 日本大学法学部卒業後いったん就職して、1984年にデビューした。1985年より連載を開始した『右曲がりのダンディー』は、大手広告代理店勤務のエリートサラリーマンを主人公に、バブル期の流行や世相を積極的に取り入れ、時代を象徴する作品として好評を博し、1989年には映画化された。 スタイリッシュな絵柄とテンポのよいギャグが特徴のコメディ作品を得意とする。また芸能プロダクションを舞台にした『1973 KHIMAIRA』のように全編シリアスなハードボイルド調の作品や、硬軟を巧みに織り交ぜた探偵もの『勝手にしやがれ』のような作品も手がけている。
高橋 広(たかはし ひろし、1956年 - )は、日本の漫画… 高橋 広(たかはし ひろし、1956年 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。 岩手県湯田町(現在の西和賀町)出身で、現在は埼玉県吉川市在住。 岩手県立黒沢尻工業高等学校卒業後、大日本印刷に入社。1975年に退社後、ちばあきおのアシスタントとなる。1978年、『すぎ鉄砲』で第17回手塚賞佳作を受賞し、1980年に『トライ!』でデビューする。 代表作に七三太朗原作の『イレブン』(月刊少年ジャンプ)がある。
唯 登詩樹(ゆい としき、1956年 - )は、日本の漫画家… 唯 登詩樹(ゆい としき、1956年 - )は、日本の漫画家。京都府出身で、現在も同地で活動中。 京都産業大学法学部を卒業後、書店でのアルバイトを経て京都伝統工芸のテキスタイルデザイナーとして7年間勤務。その間に漫画雑誌への投稿を続けていた。 かつてはアダルト作品を唯登詩樹名義で、その他の作品を加藤雅基(かとう まさき)名義で発表していたが、現在は唯登詩樹で統一している。 活動初期からMacintoshを作画に用いていることでも有名で、同社のパソコンを自作にしばしば登場させている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
岡本 螢(おかもと ほたる、女性、1956年 - )は、劇作… 岡本 螢(おかもと ほたる、女性、1956年 - )は、劇作家、脚本家、漫画原作者、作家。東京都中央区日本橋出身。なお、岡本蛍という表記は誤りである[疑問点 – ノート]。 日本大学藝術学部演劇学科卒業。1975年、19歳の時に「半変化束恋道中」でテアトル・エコー創作戯曲募集入選。 江戸を舞台としたミュージカル作品を発表し劇作家として活躍。その後はテレビ・ラジオドラマの原作脚色にも携わる。 1992年、映画化された代表作『おもひでぽろぽろ』で日本アカデミー賞特別賞受賞。 読売演劇大賞の選考委員を務めた。 伊東四朗 - えなりかずき - 魁三太郎 - 桜金造 - 重田千穂子 - 前田吟 - 杉浦日向子 石原詢子 - 香西かおり - 伍代夏子 - 坂本冬美 - 長山洋子 - 藤あや子 浅茅陽子 - 篠田拓馬 - 竹下景子 - 野川由美子 - 松金よね子 - 由紀さおり 井上頌一 - 海老原靖芳 - 大橋泰彦 - 岡本螢 - 小澤寛 - 数原晋 - 清水東 - 滝大作 - 藤野浩一 捨てられて - みれん酒 - 夜桜お七 コメディー道中でござる - NHK総合 瀬川瑛子 - 田川寿美
堀田 あきお(ほった あきお、本名:堀田 明夫〈読み同じ〉、… 堀田 あきお(ほった あきお、本名:堀田 明夫〈読み同じ〉、1956年 - )は、日本の男性漫画家。北海道夕張市生まれ。4歳から東京・世田谷で育つ。 妻は漫画原作者の堀田かよで、1999年ごろ以降、ほとんどの堀田あきおの漫画作品で原作を担当。群馬県伊勢崎市出身。 1978年、手塚プロダクションに入社し、手塚治虫に師事。 同期・同僚に石坂啓、高見まこ、わたべ淳、きよみず・あや、上野義幸がいる。アシスタントとしての先輩に鈴木和夫、伴俊男、広井てつおなどがいる。 『ブラック・ジャック』の担当編集者だった秋田書店の伊藤嘉彦(元幻冬舎コミックス社長)の紹介で、伊藤の上司である青木和夫が担当に付き、『少年チャンピオン増刊』の読切漫画『天使の翼』でデビューする。
ラズウェル 細木(ラズウェル ほそき、本名:窪田 京一、19… ラズウェル 細木(ラズウェル ほそき、本名:窪田 京一、1956年 - )は、日本の漫画家。旧ペンネームはくぼたケーガ。 山形県米沢市出身。山形県立米沢興譲館高等学校卒業。早稲田大学教育学部国語国文科卒業。東京都練馬区在住。 代表作に『酒のほそ道』『パパのココロ』など。 早稲田大学在学中、漫画研究会に所属していたが、本人は漫画を描く先輩の姿を見て漫画家にはなりたくなかったという。卒業後にカットやイラストの仕事をこなしているうちに、くぼたケーガ名義で麻雀漫画でデビュー(1983年)。大のジャズファンであり、レコードコレクターでもある。ジャズ業界の知識を援用して音楽方面に取材した作品を複数発表している。
なかはら かぜ(1955年12月23日 - )は、日本の漫画… なかはら かぜ(1955年12月23日 - )は、日本の漫画家・イラストレーター。山口県厚狭郡山陽町(現山陽小野田市)出身。山口県立厚狭高等学校、大阪芸術大学芸術学部油絵専攻卒業。周南公立大学特任教授。(公社)日本漫画家協会中国支部長。 大学在学中に漫画家を志し、1977年に原田武明名義で応募した『ゆきげしき』で小学館第18回ビッグコミック賞佳作入選。卒業後の1980年には『Good-byヴィーナス』で集英社第14回月例ヤングジャンプ賞佳作入選。漫画以外にもCDのジャケットイラストや絵本の挿絵などを執筆しているほか、テレビのコメンテーターやラジオのパーソナリティなど、幅広く活動している。2005年から特任教授として徳山大学に招かれた。
はしもと みつお(本名:橋本 光男、1955年11月5日 -… はしもと みつお(本名:橋本 光男、1955年11月5日 - )は、日本の漫画家。埼玉県狭山市出身。男性。『ミーニャの願い』で1976年の第11回手塚賞佳作を受賞し、翌年の「少年ジャンプ」増刊号に掲載された『二人はライバル』でデビュー。その後活動の場を小学館の児童・少年誌、次いで小学館の青年誌に移す。 作品に『いつも放課後』『築地魚河岸三代目』などがある。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
小林 たつよし(こばやし たつよし、1955年11月3日 -… 小林 たつよし(こばやし たつよし、1955年11月3日 - )は、日本の漫画家。静岡県浜松市出身。本名、小林辰禎。静岡県立浜松西高等学校・中等部、明治大学政治経済学部卒。主に小学館の雑誌や刊行物を中心に執筆。
むつ 利之(むつ としゆき、1955年10月10日 - )は… むつ 利之(むつ としゆき、1955年10月10日 - )は、日本の漫画家。 青森県むつ市出身。青森県立田名部高等学校卒。1979年に「GOGO!ピンクソックス」にてデビュー。 代表作に、第13回講談社漫画賞少年部門を受賞した「名門!第三野球部」などがある。同作を執筆するまではお色気ギャグ漫画を中心として執筆していた。 「たたけよ、されば開かれん」が座右の銘で、作品中にたびたびこの言葉が使われている。
金井 たつお(かない たつお、1955年10月7日 - )は… 金井 たつお(かない たつお、1955年10月7日 - )は、日本の漫画家。山形県山形市出身。血液型B型。本名は金井龍郎。 1971年、週刊少年ジャンプ月例新人賞「ヤングジャンプ賞」に入選。翌年、同誌1972年17号に「金井龍郎」名義で入選作の『太陽に泳げ』が掲載された。同名義では1977年に、少年少女向けレーベルの集英社モンキー文庫で『ああ無情』のコミカライズを描き下ろしている。 山形県立山形中央高等学校卒業後、約2年間の本宮ひろ志のアシスタントを経て、1977年に「金井たつお」名義で『ホールインワン』連載開始。連載デビュー作にして代表作となった。 アシスタントとして師事した本宮ひろ志に加え、本宮夫人のもりたじゅんの影響も強く受けており、ゴルフ漫画だった『ホールインワン』もスポーツ描写より、柔らかいタッチの美少女描写が評判となっていた。
今野 敏(こんの びん、1955年9月27日 - )は、日本… 今野 敏(こんの びん、1955年9月27日 - )は、日本の小説家、元漫画原作者、武道家。本名は敏(さとし)。血液型はO型。 北海道三笠市に生まれ、高校の教師をしていた父親の転勤に伴い、岩見沢市、江差町で育つ。函館ラ・サール高等学校、上智大学文学部新聞学科卒業。中学は剣道部、高校・大学は茶道部(裏千家)、高校では他に演劇部、大学では空手同好会(糸東流で伊藤四郎師範に師事)に所属。函館ラ・サール高校では1年次のみ大部屋寮生活を経験しており、「流行作家は伊達じゃない」及び「寮生 一九七一年、函館。」にて在寮当時の様子が描かれている。 上智大学在学中の1978年に『怪物が街にやってくる』で第4回問題小説新人賞を受賞しデビュー。
のむら しんぼ(1955年(昭和30年)9月24日 - 、本… のむら しんぼ(1955年(昭和30年)9月24日 - 、本名:野村 伸(のむら しん))は、日本の漫画家。 北海道茅部郡南茅部町(現・函館市)出身。函館ラ・サール高等学校卒業。立教大学文学部仏文科中退。血液型はAB型。 立教大学時代に初めて触れた青年漫画に衝撃を受けて漫画家を目指し、大学2年の時に漫画研究会に入る。大学3年生の時に似顔絵描きのアルバイトをしていた際に弘兼憲史に声を掛けられ、アシスタントとなる。大学在学中の1979年(昭和54年)、『ケンカばんばん』(『コロコロコミック』)でデビュー。1980年(昭和55年)からは同誌で『とどろけ!一番』を連載する。立教大学は漫画の世界に本格的に入ったため通わなくなり、5年間在籍した後は中退した。
平松 伸二(ひらまつ しんじ、1955年8月22日 - )は… 平松 伸二(ひらまつ しんじ、1955年8月22日 - )は、日本の漫画家。岡山県高梁市出身、東京都葛飾区柴又在住。血液型はO型。代表作に『ドーベルマン刑事』『ブラック・エンジェルズ』『マーダーライセンス牙』など。妻は漫画原作者の安江うに。日本漫画家協会・参与。 中学生の頃から漫画を描き始める。岡山県立高梁高等学校1年生の時に描いた『勝負』(『週刊少年ジャンプ』1971年50号掲載)でデビュー。在学中に5~6本の読み切りが載り、編集者である後藤広喜にスカウトされて上京。中島徳博のアシスタントとして働いたのち、1974年『ドーベルマン刑事』で連載デビュー。 法で裁けない悪党・外道を徹底的に叩き潰す主人公たちの活躍を描いた作品が多い一方、『リッキー台風』(プロレス)や『どす恋ジゴロ』(相撲)といった格闘技漫画も少なからず描いており、両作品ともセクシー描写が多く導入されている。
中崎 タツヤ(なかざき タツヤ、1955年8月11日 - )… 中崎 タツヤ(なかざき タツヤ、1955年8月11日 - )は、日本の漫画家。 愛媛県西予市生まれ、愛知県育ち。名古屋市立工芸高等学校卒業。 1978年、『無題』(『週刊漫画TIMES』)でデビュー。代表作に『身から出た鯖』『じみへん』など。いわゆる不条理漫画ブームの頃に登場したが、逆に条理を徹底的に詰めるスタイルを好み、登場人物が議論したり自問自答したりする描写が多い。代表作の『じみへん』というタイトルはジミ・ヘンドリックスの通称から取ったもの。 作品にスクリーントーンをほとんど使用せず、使用した際にコマ枠に「トーン初使用」と走り書きをしたこともある。 1992年、『問題サラリーMAN』で第38回文藝春秋漫画賞受賞。
土居 孝幸(どい たかゆき、1955年6月30日 - )は、… 土居 孝幸(どい たかゆき、1955年6月30日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、キャラクターデザイナー。別名に土井バグユキ。 愛媛県宇和島市出身。千葉県立木更津高等学校、早稲田大学法学部卒業。早稲田大学漫画研究会出身。通称「どいん」、「土居ちゃん」。血液型はB型。 ハドソンのコンピュータゲーム「桃太郎シリーズ」(『桃太郎伝説』・『桃太郎電鉄』など)のキャラクターデザインや『ジャンプ放送局』の作画で知られる。 早稲田大学時代に漫画研究会に所属。大学卒業後、イラストレーターとして活動。また、漫画家としての活動経験もあり、1981年、月刊少年誌『少年ジェッツ』(白泉社)にて「ぶりっ子!リトル」(創刊号から連載)、月刊少年誌『100てんコミック』(双葉社)で「3年B組ガジャ夫くん」を連載した。
佐々木 淳子(ささき じゅんこ、1955年6月23日 - )… 佐々木 淳子(ささき じゅんこ、1955年6月23日 - )は、日本の漫画家。血液型はAB型。 東京都目黒区出身。実家はだんご店。東京デザイナー学院アニメーション科を卒業しており、学院在籍中は漫画研究会に所属していた。アシスタントを経て、1977年、『週刊少女コミック増刊号』掲載の『キムのゆうれい』でデビュー。小学館、新書館、角川書店、あおば出版など、活動の場は幅広い。 漫画家の酒井美羽とは東京デザイナー学院で同じ科にいた。一時期は美内すずえ、樹村みのりのアシスタントを経験している。 異世界を舞台とするSFジャンルの作品を得意とし、また夢、時間がテーマの作品が多い。代表作に『ダークグリーン』など。
おおにし真(おおにし まこと、1955年〈昭和30年〉5月2… おおにし真(おおにし まこと、1955年〈昭和30年〉5月28日 - )は日本の漫画家。北海道芦別市出身の双子座。O型。女性。既婚で、本名は西江真理子(旧姓:大西)。ペンネームは旧姓の"大西"と、"真理子"から一文字のみ使って"真(まこと)"とした。 小学校4、5年の時に、樹村みのり の『雨』という作品を読んだことが漫画家を目指したきっかけである。同じ頃、漫画家志望だった青木庸と文通をするようになった、という。 中学・高校と札幌の女子高で6年間寄宿舎で勉強・生活し、1975年に女子美術短期大学に入学。在学中の1977年、「涙にさよならを告げたくて」で月刊mimi 5月号でデビュー。当初は漫画家になる予定はなく、1年ほど絵画をやったのち、人物を造形するのが好きだったので、彫塑を履修していたが、卒業間際にデビューが決まったのだという。
笹生 那実(さそう なみ、1955年5月27日 - )は、日… 笹生 那実(さそう なみ、1955年5月27日 - )は、日本の漫画家、同人作家。夫は漫画家の新田たつお。 小学生の時、美内すずえの『山の月と子だぬきと』に衝撃を受けてファンになり、小学校6年生で漫画を描き始める。中学進学と共に『別冊マーガレット』への投稿を始め、中学校3年生で別冊マーガレット「まんがスクール」の佳作と銀賞を受賞。神奈川県立鶴見高等学校に進学、漫画研究会を設立する。高校3年生のとき、『別冊マーガレット』1973年8月号において「風に逢った日」でデビュー。当時のペンネームは笹尾なおこ。同年の夏、くらもちふさこと共に美内すずえの元でアシスタントを務めた事をきっかけとして、多くの少女漫画家のアシスタントを経験しつつ、笹生那実あるいは、さそうなみのペンネームで『花とゆめ』『別冊ビバプリンセス』『JOURすてきな主婦たち』などの雑誌に、1987年頃まで作品を発表する。
くらもち ふさこ(本名:倉持 房子、1955年〈昭和30年〉… くらもち ふさこ(本名:倉持 房子、1955年〈昭和30年〉5月14日 - )は、日本の漫画家。東京都渋谷区出身。武蔵野美術大学中退。 1972年、『別冊マーガレット』(集英社)に掲載された『メガネちゃんのひとりごと』でデビュー。代表作に『いつもポケットにショパン』、『天然コケッコー』、『花に染む』などがある。愛称はふーちゃん。 主に1980年代を中心に少女まんがの日常心理の表現技法に影響を残し、三原順「はみだしっ子」にくらもちふさこがモデルであるフーちゃんが登場する。鈴木光明が運営していた三日月塾メンバーのひとりであり、同じく同塾メンバーであった笹尾なおこ(現・笹生那実。入塾およびデビューはくらもちの方が先)と共に美内すずえのアシスタント をしていたことがある。
谷口 敬(たにぐち けい、1955年(昭和30年)5月6日 … 谷口 敬(たにぐち けい、1955年(昭和30年)5月6日 - )は、日本の漫画家。 山形県上山市出身。鶴岡工業高等専門学校電気工学科卒業。デビュー時のペンネームは野島 みちのり。本名の木村 二三夫名義、また、平田 のりお、谷口 敬子 のペンネームを使用したこともある。ペンネームの由来は、山形放送ラジオで若者向け番組のパーソナリティを務めていた谷口圭から。 萩尾望都に影響を受けて漫画家を志す。1979年、エロ劇画誌『漫画エロジェニカ』に掲載の『扉の少女』でデビュー。同誌を発行していた海潮社は程なく倒産してしまうが、豊島ゆーさくの推薦で檸檬社発行のエロ劇画誌『漫画大快楽』に招かれ、初期の代表作となる『水の戯れ』を発表するなど、漫画家としての経歴を本格的にスタートさせる。
鳥山 明(とりやま あきら、1955年〈昭和30年〉4月5日… 鳥山 明(とりやま あきら、1955年〈昭和30年〉4月5日 - 2024年〈令和6年〉3月1日)は、日本の漫画家、デザイナー。 プロダクションはBIRD STUDIO(バード・スタジオ)。愛知県西春日井郡清洲町(現・清須市)出身。妻は少女漫画家のみかみなち。 代表作の『Dr.スランプ』の累計発行部数は3000万部を記録、『ドラゴンボール』は2億6000万部を記録、『ドラゴンクエストシリーズ』は、8,800万本の出荷本数を記録している。 日本の漫画が海外で「MANGA」と呼ばれ、世界に広まるきっかけを作った先駆者であり、数多くの文化に影響を与え、「伝説の漫画家」「史上最も影響力のある漫画家」と評価されている。
寺沢 武一(てらさわ ぶいち、男性、1955年〈昭和30年〉… 寺沢 武一(てらさわ ぶいち、男性、1955年〈昭和30年〉3月30日 - 2023年〈令和5年〉9月8日)は、日本の漫画家。北海道旭川市出身。代表作である『コブラ』は全世界での発行部数が5,000万部を超えるヒットを記録している。 1955年3月30日、北海道旭川市に出生。札幌育ち。本名は「武一(たけいち)」。 1974年、北海道旭川東高等学校卒業。浪人時代、他に仕事が無かったことから、漫画家を志す。本来は医学部志望だった。 1976年、手塚プロダクションのアシスタント募集のために投稿したマンガが手塚治虫の目に止まり、手塚治虫に師事。上京し、手塚プロダクション・漫画部スタッフとして働いた。 1977年、マンガ「大地よ、蒼くなれ」が第13回手塚賞佳作に入選。
田中 しょう(たなか しょう、1955年2月20日 - )は… 田中 しょう(たなか しょう、1955年2月20日 - )は、日本の4コマ漫画家。長野県佐久市出身。本名は田中省三。長野県岩村田高等学校卒業、千代田デザイナー学院中退。 牧野圭一のプロダクションに所属後、1979年に葉月シモン名義の「ハート泥棒レビアン」で『週刊マーガレット』の新人賞に佳作入選。デビュー作となる。 その後『週刊マーガレット』誌上に作品が掲載され、短編集としてコミックス化もされたが少女漫画家としての活動を休止。田中しょうにペンネームを変え1983年より4コマ漫画を描くようになる(その当時の別ペンネームに駒場峻がある)。作風も大きく変わり、植田まさしの絵柄に類似した作風と植田の需要を補完する「植田まさしフォロワー」作家の第一人者として、長きにわたり活躍することとなっていった。
泉 晴紀(いずみ はるき、1955年2月11日 - )は、日… 泉 晴紀(いずみ はるき、1955年2月11日 - )は、日本の漫画家。石川県金沢市出身。和泉晴紀名義でも活動。本名は泉靖紀、ペンネームはアルバイトの現場で間違えて「晴紀」と呼ばれたことから。一時期頭髪を赤く染めていたことから、「レッドマン」とも。最初の妻は泉と離婚した後に漫画を描き始め、『モーニング』のちばてつや賞を受賞して漫画家デビューした。2番目の妻は同じく漫画家の山崎紗也夏。 美学校で赤瀬川原平の「絵・文字工房」を卒業後、1981年、美学校の同期生、久住昌之とコンビを組み、泉昌之として『ガロ』誌に漫画を持ち込み、漫画家デビューする。初の週刊連載は『ダンドリ君』。 それと並行して、「泉晴紀」「和泉晴紀」単独の漫画やエッセイ、挿絵やポスター等のデザインの仕事でも活躍している。
せがわ 真子(せがわ まこ、1955年1月15日 - )は、… せがわ 真子(せがわ まこ、1955年1月15日 - )は、日本の女性漫画家。同志社大学卒業。 1974年1月、『週刊少女コミック』(小学館)に掲載された『あこがれのウィング氏へ』にてデビュー 。 以後『月刊プリンセス』、『ひとみ』(秋田書店)を中心に活躍。 代表作は『青春はラブ♥40』、『ときめいて♥パコ』、『花詩集』など。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
いがらし みきお(本名:五十嵐 三喜夫、1955年1月13日… いがらし みきお(本名:五十嵐 三喜夫、1955年1月13日 - )は、日本の男性漫画家。宮城県加美郡中新田町(現:加美町)出身。 幼少期に難聴を患い、現在も難聴が続いている。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)にある宮城県古川工業高等学校中退後、広告代理店・印刷所勤務を経て、1979年に三流劇画誌『漫画エロジェニカ』に投稿した『80,その状況』で、24歳で漫画家デビューを果たす。 その後、4コマ漫画雑誌に連載された『ネ暗トピア』が大ブレイク。過激なギャグに加え、予想のつかない展開と奇抜なアイディアなど従来の4コマ漫画の世界にない斬新な内容が評判を呼び、その後も『かかってきなさい』『家宝』など多くの連載と単行本を上梓する人気漫画家となった。
ハン 角斉(ハン かくさい、1955年 - )は日本の漫画家… ハン 角斉(ハン かくさい、1955年 - )は日本の漫画家。 北海道上川郡新得町出身。幼少期から絵を好み、父に買ってもらった『鉄腕アトム』のキャラクターを模写していた。小学1年生の頃から漫画家を目指し、子供の頃に『COM』を読んだことでもそう思うようになり、絵を褒められていく中でストーリーのある作品を描きたいと考えていた。 だが高校生で頭打ちを感じ、投稿もしていたがどうしても他と似てしまう画の個性のなさ、物語も作れないと才能がなかったと諦め、そのまま漫画から遠ざかっていく。以降は数年おきに漫画を描いても途中で放置していた。新得町立屈足小学校、大樹町立大樹中学校、北海道大樹高等学校を卒業、東京へ行き鍼灸、指圧マッサージを覚えて柔道整復師の資格も取り29歳のときに帰郷。
岩井 渓(いわい けい、 1955年 - )は、日本の漫画家… 岩井 渓(いわい けい、 1955年 - )は、日本の漫画家。男性。血液型B型。宮城県仙台市出身、東京都世田谷区在住。 仙台育英高校在学中に矢口高雄の『釣りキチ三平』に感銘を受け、卒業後に上京、1983年まで矢口高雄プロダクションのアシスタントとなる。高校時代からしばらく「風間真理(かざましんり)」というペンネームを使った事もあった。自然・釣り関連の漫画や絵の他に、学習漫画(集英社の歴史・文学系など)を手がける。 自身のYoutubeチャンネル「TAMAリバーチャンネル」で、多摩川河川敷などでの活動の様子や、携わったイラストや漫画の仕事について動画で紹介している。
井浦 秀夫(いうら ひでお、1955年 - ) は、日本の漫… 井浦 秀夫(いうら ひでお、1955年 - ) は、日本の漫画家。長野県上高井郡小布施町出身。長野県長野高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。 予備校、大学時代を通して朝日新聞社の新聞奨学生であった。早稲田大学在学中は早稲田大学漫画研究会に所属した。 早大漫研OBである東海林さだおのアシスタントを経て1979年に『私は人を殺した』(ホラーサスペンス)で双葉社の漫画アクション新人賞を受賞、プロデビューを果たす。 以後は読み切りで小気味の良いコメディーを執筆していたが、新人中学教師雨宮公平の奮戦期を描いた『雨森公平 先生です!』、高校生カップルの何気ないながら思春期に成長していく様子をみずみずしく描いた『やる気のまんま』(Weekly漫画アクション)をゲスト連載し、これらの作品は単行本も発売された。
剣名 舞(つるぎな まい、1955年 - )は、日本の漫画原… 剣名 舞(つるぎな まい、1955年 - )は、日本の漫画原作者。男性。東京都葛飾区出身。中央大学卒業。株式会社剣名プロダクション代表取締役。大阪芸術大学キャラクター造形学科客員准教授。プロデビュー講座主宰。日本漫画家協会員。劇画村塾2期生。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
いわしげ 孝(いわしげ たかし、1954年〈昭和29年〉12… いわしげ 孝(いわしげ たかし、1954年〈昭和29年〉12月31日 - 2013年〈平成25年〉3月6日)は、日本の漫画家。鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島工業高等学校を経て二松學舍大学卒。血液型AB型。デビューから十数年は本名の岩重 孝(読みは同じ)で活動していた。 高校時代の1970年(昭和45年)に『週刊少年ジャンプ』(集英社)の第5回新人漫画賞で「小さな命」が入選、審査員である本宮ひろ志から「彼の作品は生命が感じられるね」と評価された。この作品が翌1971年の同誌正月号に掲載され、デビューを果たす。 当時のいわしげは意欲的に漫画を描いており、同じ年に「スクラップ」も同誌の上期手塚賞で佳作に選ばれたほか、続く下期手塚賞でも「ブルースを歌う少女」が佳作に選ばれている。
吉田 まゆみ(よしだ まゆみ、1954年12月19日 - )… 吉田 まゆみ(よしだ まゆみ、1954年12月19日 - )は、日本の漫画家。東京都世田谷区出身。 水野英子や西谷祥子に憧れて小学生の頃から漫画を描き始め、高校入学後『週刊マーガレット』や『りぼん』に作品を投稿するようになり、賞金で小遣いを稼ぐようになった。高校卒業後、1973年に『朋の願いはいつ…』(週刊少女フレンド)が入選し、同作で漫画家デビュー。1975年に「mimi」(講談社)で連載を開始した『年下のあンちくしょう』がヒットして『雨の中のあンちくしょう』などシリーズ化された。 『れもん白書』(1979年連載開始、『mimi』講談社)で1980年度(第4回)講談社漫画賞(少女部門)を受賞。
田渕 由美子(たぶち ゆみこ、1954年11月26日 - )… 田渕 由美子(たぶち ゆみこ、1954年11月26日 - )は、少女漫画家。主に1970年代から1985年頃までの期間に活躍した、少女漫画誌『りぼん』の看板作家の一人。その後は小説や雑誌のイラストなど以外は作品の発表が無かったが、1995年以降、女性誌を中心に漫画家としての活動を再開している。 兵庫県出身。大阪府立豊中高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。1969年に『りぼん』マンガスクールに入賞。1970年『りぼんコミック』11月増刊号で「ママって不思議」で漫画家デビュー。1973年に早稲田大学に入学し、童謡研究会に所属。上京後から本格的な執筆活動を始め、『りぼん』『りぼんオリジナル』等に作品を発表。
三浦 みつる(みうら みつる、1954年11月25日 - )… 三浦 みつる(みうら みつる、1954年11月25日 - )は、日本の元漫画家。神奈川県横浜市中区本牧間門出身。本名:三浦 満(読み同じ)。男性。血液型はO型。代表作に『The・かぼちゃワイン』など。 1971年、神奈川県立磯子工業高等学校在学中に「世にも不幸な男の話」で『週刊少年ジャンプ』(集英社)のヤングジャンプ賞を受賞。高校卒業後にサラリーマンを経て、手塚プロダクションのアシスタントを経験。1973年、『さまよう箱は』で第6回手塚賞佳作。1975年、『僕は狂わない』で第9回手塚賞佳作を受賞。 1983年、『The・かぼちゃワイン』で第7回(昭和58年度)講談社漫画賞少年部門受賞。 2017年12月、クラウドファンディング自主制作本『バック・トゥ・The♡かぼちゃワイン』発売。
中田 雅喜(なかた あき、1954年11月7日 - )は、日… 中田 雅喜(なかた あき、1954年11月7日 - )は、日本の漫画家、小説家、時代劇映画研究者。京都府京都市出身。女性。夫は漫画家の横山えいじ。 京都市立日吉ヶ丘高等学校 美術コース日本画科、嵯峨美術短期大学染織学科卒業。 作画グループで活動したのち、1980年、「コミックトム」(潮出版社)にてデビュー。上京し、マンガ仲間の夢野一子、笹尾菜穂子、いくたまき、佐々木淳子、浅川まゆみ、小野ぬいらと高田馬場に共同仕事場を借りる。『漫画ブリッコ』に大塚英志の依頼で執筆したマニアックなパロディ漫画『桃色三角』を執筆した。 代表作は『純情ももいろ日記』(「リイドコミック」連載)。 SF漫画やエッセイ漫画、更に成人漫画を描くかたわら、ファンである月形龍之介や天津敏に代表する時代劇俳優に関連した著書も刊行している。