こうま・すう(1947年11月22日 - )は日本の漫画家。… こうま・すう(1947年11月22日 - )は日本の漫画家。島根県大田市出身、男性。他にこうます信行のペンネームを持つ。本名は幸増信行。 芳文社の漫画雑誌『コミックマガジン』でデビュー。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ:漫画家)。
川北 亮司(かわきた りょうじ、1947年10月31日 - … 川北 亮司(かわきた りょうじ、1947年10月31日 - )は、日本の児童文学作家、童話作家、漫画原作者、脚本家、エッセイスト。作者名は「かわきたりょうじ」「川北りょうじ」「川北亮司」。東京都荒川区出身、早稲田大学卒業。 [20代] 1967(昭和42)年〜1976(昭和51)年 [30代] 1977(昭和52)年〜1986(昭和61)年 [40代] 1987(昭和62)年〜1996(平成8)年 [50代] 1997(平成9)年〜2006(平成18)年 [60代] 2007(平成19)〜2016(平成28) [70代] 2017(平成19)〜 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
つりたくにこ(1947年10月25日 - 1985年6月14… つりたくにこ(1947年10月25日 - 1985年6月14日)は、日本の女性漫画家。風木繭(かぜきまゆ)、はざまくにこ(はざまくに子)などの名義も用いていた。 1947年、兵庫県高砂町東宮町(現・高砂市)に生まれた。中学時代に水木しげる、白土三平、平田弘史、さいとう・たかをなどの漫画に親しみ、自らも創作活動を始めた。高砂中学校、高砂高校と進学し、この頃には既に『少女フレンド』などに原稿の持込みをしていた。 1965年に、青林堂が漫画雑誌『ガロ』を創刊。新人募集を行っていた同誌に、つりたは「人々の埋葬/神々の話」を持ち込み、掲載された。その翌年に高校を卒業、上京した。 上京後は講談社や若木書房などにも、はざまくにこ(はざまくに子)名義で少女マンガを描いていた。
蛭子 能収(えびす よしかず、1947年〈昭和22年〉10月… 蛭子 能収(えびす よしかず、1947年〈昭和22年〉10月21日 - )は、日本の漫画家、タレント、エッセイスト。ファザーズコーポレーション所属。 1947年(昭和22年)10月21日熊本県天草市生まれ。長崎県長崎市育ち。両親は徳島県出身である。8歳上の姉と5歳上の兄を持つ末っ子として誕生する。長崎市立戸町小学校、長崎市立戸町中学校卒業[要出典]。、長崎商業高等学校卒業後、地元の看板店に就職するも、つげ義春の『ねじ式』に衝撃を受けて1970年に上京し、看板屋、ちり紙交換、ダスキンのセールスマンなどの職を経て『月刊漫画ガロ』(青林堂)1973年8月号掲載の入選作『パチンコ』で漫画家デビュー。その後、3年間の休筆期間を経て伝説的編集者の高杉弾と山崎春美の依頼により1979年に伝説的自販機本『Jam』(ジャム出版)でプロの商業漫画家として再デビューする。
坂田 信弘(さかた のぶひろ、1947年10月11日 - 2… 坂田 信弘(さかた のぶひろ、1947年10月11日 - 2024年7月22日)は、熊本県熊本市出身のプロゴルファー、漫画原作者。 ジュニア・ゴルファー育成組織である「坂田ジュニアゴルフ塾」主宰。長男がいる。 尼崎北高校卒業後は京都大学文学部東洋史学科に進学するが、在学中に親が亡くなり、残った家族に仕送りをするために中退。 中退後はいくつかの職業を経た後にプロゴルファーを目指し、1969年に自衛隊体育学校に特別体育課程学生として入隊して基礎体力作りに転じると、坂田曰く「国防意識に欠けた2等兵であったが、匍匐前進だけは部隊一の速さを持つ」陸上自衛隊員となる。 1971年に陸上自衛隊を満期除隊により退官すると、栃木県の鹿沼カントリー倶楽部に押しかけ入社し、キャディをしながらゴルフに打ちこむ。
山岸 凉子(やまぎし りょうこ、1947年〈昭和22年〉9月… 山岸 凉子(やまぎし りょうこ、1947年〈昭和22年〉9月24日 - )は、日本の漫画家。北海道空知支庁管内(空知郡)上砂川町出身。北海道札幌旭丘高等学校、北海道女子短期大学(現・北翔大学短期大学部)美術科卒業。萩尾望都・大島弓子・竹宮惠子らと共に「花の24年組」と呼ばれる一人。 1969年、「レフトアンドライト」で、漫画家デビュー。1971年から連載されたバレエ漫画『アラベスク』で注目され、1980年から連載された『日出処の天子』は、1983年に第7回講談社漫画賞を受賞した。1977年から連載された『妖精王』は、1988年にアニメ化。2000年から『舞姫 テレプシコーラ』の連載を開始し、同作で、2007年に第11回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。
弘兼 憲史(ひろかね けんし、1947年9月9日 - )は、… 弘兼 憲史(ひろかね けんし、1947年9月9日 - )は、日本の漫画家。山口県岩国市出身。有限会社ヒロカネプロダクション(自身の個人事務所)代表取締役。徳山大学客員教授。山口大学客員教授を務めた。BS日本番組審議会委員。2023年4月時点で、日本漫画家協会理事。 代表作は『課長島耕作』シリーズ、『人間交差点』『黄昏流星群』など。 松下電器産業(現在のパナソニックホールディングス)に3年間勤務した経歴を持つ。しかし、人生のその時々で「楽しさ」を判断基準としていた弘兼は、「(会社員は)俺の仕事じゃない、やっぱり漫画を描きたい」と判断し、退職して漫画家に転じたという。当時、大手企業のサラリーマン経験がある漫画家はまだ少なく、その先駆けとなった人物である。
大島 弓子(おおしま ゆみこ、1947年〈昭和22年〉8月3… 大島 弓子(おおしま ゆみこ、1947年〈昭和22年〉8月31日 - )は、日本の女性漫画家。栃木県大田原市出身。萩尾望都・山岸凉子・竹宮惠子らと共に「花の24年組」と呼ばれる一人。 1947年(昭和22年)8月31日 、栃木県大田原市にて生まれる。栃木県立大田原女子高等学校卒業。 1968年、短期大学在学中に初めて持ち込みをした作品『ポーラの涙』が『週刊マーガレット』春休み増刊に掲載され、デビューを果たす。以降、『週刊マーガレット』や『週刊少女コミック』『別冊少女コミック』、『週刊セブンティーン』、『LaLa』『ASUKA』などで活動する。 漫画家になろうと思ったことは一度もなく、好きで描いているうちに独立した生活がそれで可能になっただけであるとのこと。
河合 一慶(かわい かずよし、「かわい いっけい(漢字は左記… 河合 一慶(かわい かずよし、「かわい いっけい(漢字は左記と同一)」名義でも活動、1947年8月31日 - 2012年10月5日、本名:渡辺 功(わたなべ いさお))は、新潟県三島郡寺泊町(現・新潟県長岡市)出身の児童漫画家である。血液型はAB型。多摩美術大学デザイン科中退。 美術大学中退後、1969年に漫画家としてデビュー。デビュー作は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)に掲載された『泣くな!兵吉』。 デビュー当時のペンネームは「手無 功」で、その後「大貫一星」を経て1979年より上記のペンネームを使用していた。 2012年10月5日、逝去。65歳没。
谷口 ジロー(たにぐち ジロー、男性、1947年〈昭和22年… 谷口 ジロー(たにぐち ジロー、男性、1947年〈昭和22年〉8月14日 - 2017年〈平成29年〉2月11日)は、日本の漫画家。鳥取県鳥取市出身。 鳥取商業高校を卒業後に京都の繊維会社に就職したが、漫画家を目指して1966年に上京し、石川球太のアシスタントとなり漫画の技術を学ぶ。1971年に『嗄れた部屋』が『週刊ヤングコミック』に掲載されたのちに、上村一夫のアシスタントを経て独立した。以後、関川夏央ら漫画原作者と組み、青年向け漫画でハードボイルドや動物もの、冒険、格闘、文芸、SFと多彩な分野の作品を手がける。 描く絵は、ジャン・ジロー(メビウス)やフランソワ・シュイッテンなどバンド・デシネの作家から影響を強く受け、インタビューでは「日本で一番影響を受けているんじゃないか」と語っている。
あだち 勉(あだち つとむ、1947年〈昭和22年〉8月1日… あだち 勉(あだち つとむ、1947年〈昭和22年〉8月1日 - 2004年〈平成16年〉6月18日)は、日本の漫画家。群馬県伊勢崎市出身。本名は安達 勉(読み同じ)。当初のペンネームはあだちつとむ。『タッチ』の作者であるあだち充は実弟。 10代の頃より貸本漫画誌の読者コーナーに投稿を始める。才能が認められ、高校生で東京漫画出版社『新爆笑ブック』や日の丸文庫『QP』に執筆するなど、貸本漫画家としてデビューする。高校卒業後に上京、広告会社でデザイナーとして働くが、プロを目指して漫画家としての活動を再開。集英社『少年ブック』の新人漫画賞をきっかけに、大手出版各社で読み切りや短期連載を行う。 1971年、『週刊少年サンデー』に短期連載された『タマガワ君』を見た赤塚不二夫から絵の上手さを認められ、以前から担当であった武居俊樹を介してアシスタントに誘われ、フジオ・プロダクションに参加。
西岸 良平(さいがん りょうへい、1947年7月30日 - … 西岸 良平(さいがん りょうへい、1947年7月30日 - )は、日本の漫画家。男性。東京都世田谷区出身。代表作は『三丁目の夕日(夕焼けの詩)』、『鎌倉ものがたり』など。 高校・大学時代の同級生にミュージシャンの細野晴臣がいる。当時漫画家を目指していた細野は、西岸の才能に感服した事で漫画家の道を諦めて音楽の道に進む決意をしたと言う。
南 伸坊(みなみ しんぼう、本名: 南 伸宏、1947年6月… 南 伸坊(みなみ しんぼう、本名: 南 伸宏、1947年6月30日 - )は、日本の編集者、イラストレーター、エッセイスト、漫画家。本の装幀も多数手掛ける。 ペンネームは、宮武外骨の『滑稽新聞』に登場する絵師、「墨池亭黒坊」に因んで、本名の伸宏をもじったもの。エッセイに自らイラストをつける手法により、「イラストライター」と自称する。あたたかみのある描線の似顔絵や、シンプルながら洗練された装幀で知られる。第29回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。 『ハリガミ考現学』での貼紙の研究により、赤瀬川原平が提唱した路上観察学会にも参加。丸刈りでおむすび型の頭をトレードマークにしており、これを強調した自画像イラストでも知られる。
本宮 ひろ志(もとみや ひろし、本名: 本宮 博(読み同じ)… 本宮 ひろ志(もとみや ひろし、本名: 本宮 博(読み同じ)、1947年6月25日 - )は、日本の漫画家。千葉県千葉市出身。葛飾区立小松中学校卒業。埼玉県立浦和高等学校(通信制)中退。代表作は、『男一匹ガキ大将』、『俺の空』、『サラリーマン金太郎』など多数。妻は、漫画家のもりたじゅん。「菅直人元首相の復活に期待する会」の発起人の一人。
武論尊(ぶろんそん、本名:岡村 善行(おかむら よしゆき)、… 武論尊(ぶろんそん、本名:岡村 善行(おかむら よしゆき)、男性、1947年6月16日 - )は、日本の漫画原作者。血液型はO型。別ペンネームは史村 翔(ふみむら しょう)。 代表作に『ドーベルマン刑事』、『北斗の拳』、『サンクチュアリ』、『HEAT-灼熱-』など多数。 長野県南佐久郡野沢町(現・佐久市)出身。 貧しい農家の末っ子で、佐久市立野沢中学校を卒業後、家庭の事情などもあり高校へは進学しなかった。 15歳の時に自衛隊生徒として熊谷基地の航空自衛隊に入隊。自衛隊時代は三等空曹として福岡県と佐賀県の境にある航空自衛隊背振山レーダー基地に勤務。よど号事件発生時にもレーダーの運用を行っていた。 7年間在職した自衛隊を除隊後、コンピュータの専門学校に通ったが、1971年の暮れ頃、自衛隊生徒時代の同期であった本宮ひろ志の仕事場にアシスタントとして転がり込む。
はるき 悦巳(はるき えつみ、1947年5月28日 - )は… はるき 悦巳(はるき えつみ、1947年5月28日 - )は、日本の漫画家。男性。 本名は非公開。元々、ペンネームは春木 悦巳という表記だったが、1977年にデビュー作『政・トラぶっとん音頭』が第1回平凡劇画賞で佳作入選して、その賞状が贈られた時、名前が青木悦巳と誤記されたため、以降ははるき悦巳をペンネームとした。 「自分は生来の怠け者で、面倒くさいことはイヤだ」というのが持論。趣味はジャズレコード鑑賞と映画鑑賞や小説を読むことで、その他にあまりお金の使い道がないという。ヘビースモーカーでタバコは一日に何箱も吸うほどだが、酒は全く飲めない下戸である。パソコンを使わないためインターネットにうとく、携帯電話も苦手である。
植田 まさし(うえだ まさし、本名:植松 正通〔うえまつ ま… 植田 まさし(うえだ まさし、本名:植松 正通〔うえまつ まさみち〕、1947年5月27日 - )は、日本の漫画家。血液型はA型。4コマ漫画で知られ、作品に『まさし君』、『フリテンくん』、『コボちゃん』、『かりあげクン』、『おとぼけ課長』などがある。既婚。 サラリーマンの父(1990年に77歳で死去)のもと東京都世田谷区奥沢で生まれ、幼少の一時期、父の実家がある香川県木田郡三木町で育った。三人兄弟の末っ子。絵を描くのが好きな子供だったが、漫画については「友達の家とか床屋にあればちょっと読むくらい」「新聞に載ってる4コマ漫画しか知らなかった」と、あまり関心が無かった。 世田谷区立奥沢小学校、大田区立大森第七中学校を経て、都立田園調布高校に入学。
蛭田 充(ひるた みつる、1947年4月24日 - )は、福… 蛭田 充(ひるた みつる、1947年4月24日 - )は、福島県いわき市出身の漫画家。本名は蛭田幸充(ひるた ゆきみつ)、別名:浅井ゆきお、浅井幸雄、旭日充、浅井孝男。 小沢さとるのアシスタントを経て、1968年ダイナミックプロ入社。1970年『七〇式戦闘機』(少年ジャンプ)でデビュー(浅井ゆきお 名義)。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
松森 正(まつもり ただし、1947年4月22日 - )は、… 松森 正(まつもり ただし、1947年4月22日 - )は、日本の漫画家。広島県生まれ、熊本県玉名市出身。 高校時代にデザイナーを目指し、美術部に入部して絵を描き始める。貸本漫画の読者コーナーにイラストを多数投稿し、常連投稿者として有名になる。高校卒業後、佐藤まさあきの仕事場に押しかけ、アシスタントに採用される。女性が描くのが不得意な佐藤に代わって、女性キャラを担当。 2年ほどアシスタントを務めた後、1968年に「黒い疾走の終わり」(『ヤングコミック』)で漫画家デビュー。1971年には『週刊少年キング』で「木曜日のリカ」(原作:小池一雄)を連載、以降、主に劇画雑誌で活躍。1998年より『漫画サンデー』(実業之日本社)で連載した「湯けむりスナイパー」がヒットし、テレビドラマ化されている。
花輪 和一(はなわ かずいち、1947年4月17日 - )は… 花輪 和一(はなわ かずいち、1947年4月17日 - )は、日本の漫画家。北海道在住。 1970年からイラストレーターとして活躍し、『月刊漫画ガロ』1971年7月号掲載の『かんのむし』で漫画家としてデビュー。伊藤彦造ら大正モダニズムの影響の濃い画風が特徴。 初期にはエログロナンセンス的作風で猟奇的な物語を、活動中期以降は主に平安〜室町時代の日本を舞台にした怪奇かつファンタジー色が強く宗教的救済をテーマとした物語を、緻密で濃厚なタッチで描いている。ベースとなるテーマが人間の「業」である作品が多い。 埼玉県大里郡寄居町出身。中学生になってから伊藤彦造などによる絵物語の挿絵に大きな影響を受け、絵を描くことへ没頭するようになる。
所 ゆきよし(ところ ゆきよし、本名:片山 喜之(かたやま … 所 ゆきよし(ところ ゆきよし、本名:片山 喜之(かたやま よしゆき)、1947年4月15日 - 2023年9月16日)は、日本の漫画家。愛知県名古屋市出身。南山大学経済学部卒業。血液型AB型。 大学在学中より地元誌に風刺画を描く。会社員を経て、1978年に独立。1985年3月より毎日新聞にて、亡くなるまで続く連載を開始。同紙では政治家の似顔絵も担当した。 ペンネームは、名前を考えていた際に自決のニュースを聞いた作家・三島由紀夫に因み、本名を逆さにし「ゆきよし」(由紀夫・死)とした。2009年度、毎日新聞に連載している政治漫画が評価され第38回日本漫画家協会賞大賞を受賞した。 2023年9月16日午後11時53分、胃がんのため東京都の自宅で死去。
いけうち 誠一(いけうち せいいち、1947年4月3日 - … いけうち 誠一(いけうち せいいち、1947年4月3日 - )は、日本の漫画家。山梨県都留市出身。本名は池内 誠一。 高校卒業後、白土三平に師事しアシスタントを務める。その後、1967年、『悪魔船』が講談社まんが新人賞に入選しデビュー。この作品は『別冊少年マガジン』に掲載された。1983年4月から『週刊パーゴルフ』に連載されていた『中島常幸の劇画レッスン』をきっかけにゴルフ漫画で活動を始めた。 現在[いつから?]、『ゴルフレッスンプラス』にて『ゴルフは気持ち』を連載中。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
高橋 春男(たかはし はるお、1947年〈昭和22年〉3月3… 高橋 春男(たかはし はるお、1947年〈昭和22年〉3月30日 - 2024年〈令和6年〉1月12日)は、日本の漫画家である。 東京都八王子市出身。東京都立八王子工業高等学校卒業。25歳から28歳頃まで三鷹東映で映写技師として働き、『仁義の墓場』や『トラック野郎』などを掛けた。OH!プロダクションでアニメーターとして働き、『ルパン三世』(TV第1シリーズ)などに参加した後、1978年に漫画家デビュー。 『週刊文春』連載の4コマ漫画『いわゆるひとつのチョーさん主義』など、総合誌での連載が主であり、有名人の似顔絵による1コマあるいは数コマのカットと、社会風刺コラムを合わせた作風を確立している。『いわゆるひとつのチョーさん主義』では長嶋茂雄、松井秀喜、谷亮子が特にキャラクターとして登場。
みなもと 太郎(みなもと たろう、1947年〈昭和22年〉3… みなもと 太郎(みなもと たろう、1947年〈昭和22年〉3月2日 - 2021年〈令和3年〉8月7日)は、日本の漫画家。京都府京都市出身。本名は浦 源太郎(うら げんたろう)。ペンネームは本名の「源」を読み替えたもの。代表作は『ホモホモ7』『風雲児たち』。 京都市上京区(現在の北区域)に生まれる。常に走り回っていたような落ち着きがない子どもであったが、2歳の頃に漫画に触れて絵を描き始め、中学の3年間では授業中ほとんど漫画を描いていた。 京都市立日吉ヶ丘高校美術課程に進学。漫画家になることを反対していた姉から大学への進学を強硬に勧められるも、美術大学は漫画家への理解を欠くこと、当時は漫画家デビューは20歳までと相場が決まっていたことを知り、漫画家への道を絶望視する。
はしもと いわお(本名:橋本 巌、1947年〈昭和22年〉1… はしもと いわお(本名:橋本 巌、1947年〈昭和22年〉1月18日 - )は、日本の漫画家、元山口県楠町議会議員。山口県宇部市出身。桜美林大学文学部卒業。 高校卒業後、ひよこ鑑定士の資格を取得。青年海外協力隊としてインドに渡り、現地で2年ほどひよこの雌雄鑑定を指導した。帰国後、桜美林大学中国文学科に入学。大学卒業後はヨーロッパを放浪する。 1975年(昭和50年)、週刊マーガレットに4コマ漫画「ドラキュラベイビー」を”しもどんど”名義で発表してデビュー。1978年(昭和53年)、佐藤利夫との共同作品「正月休みと仲間たち」で第9回赤塚賞準入選。1983年(昭和58年)、「どてらネコ」で第29回文藝春秋漫画賞を受賞。
矢代 まさこ (やしろ まさこ、1947年(昭和22年)1月… 矢代 まさこ (やしろ まさこ、1947年(昭和22年)1月13日 - )は、日本の漫画家。愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身。1976年から1978年にかけて一時期睦月とみのペンネームで執筆していた。夫は漫画家の山本まさはる。 子供の頃に手塚治虫、水野英子、ちばてつや、新城さちこらの漫画に影響を受け漫画家を志す。 1962年(昭和37年)、金園社の貸本『すみれ』に掲載された『ちいさな秘密』でデビューし、翌年大阪に転居。その後、おもに若木書房の貸本を中心に作品を発表。1964年(昭和39年)、新城さちこの弟の山本まさはると結婚。1964年から1966年に発表した「ようこシリーズ」(全28巻)で作家としての地位を確立する。
土屋 慎吾(つちや しんご、1947年 - )は、日本の漫画… 土屋 慎吾(つちや しんご、1947年 - )は、日本の漫画家、官能劇画家、似顔絵師。 愛知県犬山市出身。1947年(昭和22年)生。 滝高等学校卒業後、東京デザインカレッジ在学中に水木しげるのアシスタントになる。 『ゲゲゲの女房』時代後期(1967年 - 1970年)つげ義春、鈴木翁二らと机を並べる。 少年サンデー第3回新人漫画賞受賞。 ぼくらマガジンコミックス『タイガーマスク(8)』に掲載された『海の鎖』でデビュー。 その後、青年誌、官能劇画誌、自販機雑誌等に執筆。特集本も多数発売されたが、『お検査して』第4集が発禁となる。 現在は、愛知県犬山市犬山城城下町にて、似顔絵を描きながら新作自伝『ゲゲゲのアシスタント』など描き下ろし作品を執筆中。
南 一平(みなみ いっぺい、本名:荒木紀章、1947年-)は… 南 一平(みなみ いっぺい、本名:荒木紀章、1947年-)は、日本の漫画家、風景画家。日本漫画家協会会員。 金光学園高等学校を卒業後、専門学校東京デザイナー学院へ進学。東京デザイナー学院在学中に月刊漫画ガロで漫画家としてデビューし同誌新人賞を受賞する。以後、週刊少年ジャンプ、月刊少年ジャンプ、漫画ゴラクで連載を持つ。 1975年、『熱球の果てに…』で手塚賞佳作を受賞。 1980年代中頃、故郷の笠岡市にUターンし、知人に勧められ風景画を描くようになる。 1999年から2004年にかけて中国新聞井笠おかやま版で連載「みちくさ紀行」シリーズで挿絵を担当した。 岡山県川上町、岡山県新庄村、京都府八幡市などの地域プランナーの他、おかやま山陽高等学校、総合学園ヒューマンアカデミー広島校にて講師を務めている。
黒田 クロ(くろだ クロ、本名:黒田 悟、1947年 - )… 黒田 クロ(くろだ クロ、本名:黒田 悟、1947年 - )は、日本の漫画家。イラストレーター。徳島県出身。徳島県立徳島東工業高等学校(現在の徳島県立徳島科学技術高等学校)卒業。 徳島東工業高校を卒業後、大阪のメーカー会社に勤務。その後、大阪の河原デザインスクールに入学。後に黒田クロとして漫画家デビューする。1978年に松下幸之助商学院講師に就任。 株式会社「クロデザインスタジオ」を設立し、PHP研究所発行のイラスト作成で活躍する。企業や教育委員会などで販売促進や地域振興の講演を全国で行っている。
浦野 千賀子(うらの ちかこ、1946年12月20日 - )… 浦野 千賀子(うらの ちかこ、1946年12月20日 - )は、日本の女性漫画家。大阪府門真市出身。 貸本漫画で漫画家としてデビューした。代表作『アタックNo.1』は1969年にアニメ化され、一大バレーボールブームを巻き起こすに至った。 夫は漫画家の名胡桃ゆう(2009年6月死去)。浦野の作品のストーリー、ネームの多くは夫が担当していたという。漫画家のさだやす圭は義弟(夫の弟)である。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
聖 日出夫(ひじり ひでお、1946年12月8日 - 201… 聖 日出夫(ひじり ひでお、1946年12月8日 - 2016年3月10日)は、日本の漫画家。 北海道札幌市出身。本名:米浜裕暁(よねはま・ひろあき)。北海道札幌南高等学校卒業。 大学を受験するために上京するが、失敗。そのまま東京に居続け、1968年『一発野郎』で漫画家としてデビューした。 代表作に『なぜか笑介』『だから笑介』。両作品とも主人公の大原笑介の仕事ぶりを描いたサラリーマン漫画。連載のほぼ毎回、上司の高山課長が「あんたは…だからねーッ!」などと言うのに対して、「ズッ」と斜め後ろ45度の方向にコケて終わるのが特徴的で、当時は他の漫画にパロディとして使われたりした。 谷山浩子のバックバンドでギターを務めたミュージシャンの弟がいる。
吉田 光彦(よしだ みつひこ、1946年12月5日 - )は… 吉田 光彦(よしだ みつひこ、1946年12月5日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。岩手県盛岡市出身。盛岡市立高等学校、多摩美術大学卒。 1972年に「黒の手帖」6月号にてイラストレーターとしてデビューし、1975年には「ガロ」8月号から『殴者(ボクサー)』で漫画家としてデビューする。 劇団夜行館、演劇舎蟷螂などのポスターを多数手掛け、演劇舎蟷螂の「銀幕迷宮」や高取英の「少年極光都市」では舞台美術も手掛けた。また、寺山修司に多大な影響を受けており、「週刊大衆」の寺山の連載「誰か夢なき」のイラストを手掛けたことを皮切りに、寺山の著作のイラストを多数手掛けた。 大学時代の同級生には、はるき悦巳がいた。
立原 あゆみ(たちはら あゆみ、1946年〈昭和21年〉11… 立原 あゆみ(たちはら あゆみ、1946年〈昭和21年〉11月27日 - )は、日本の漫画家。千葉県安房郡富浦町(現・南房総市)出身。男性。千葉県立成東高等学校卒業後、日本大学芸術学部美術学科卒業。 ペンネームの由来は、立原道造と、彼の作品における「あゆ」より。 デザイン関係のイラストを描いていた頃に少女漫画家のもりたじゅんに薦められ、漫画制作を開始。月刊少女漫画誌『りぼん(本誌)』(集英社)の「りぼん漫画スクール」で投稿を重ね、1969年7月号発表の第3回りぼん新人まんが賞では『白い世界』が努力賞(本名:市川洋一名義)を、翌1970年9月号では『すみれ先生』が佳作を得る(ペンネーム:立原あゆみ名義)。
灘 しげみ(なだ しげみ、1946年〈昭和21年〉11月24… 灘 しげみ(なだ しげみ、1946年〈昭和21年〉11月24日 - )は、日本の女性漫画家。現在の静岡県磐田市出身。 1964年、少女漫画家を目指して『新児童少女漫画界』に入会(1969年夏に卒業)。 1966年、貸本少女誌『ゆめ』(若木書房)81号掲載の「明日は青空」にて漫画家デビュー。 1968年、灘しげみのペンネームで『週刊少女フレンド』38号(9月17日号)掲載の「青空にジャンプ!」にて雑誌デビュー。 1969年、スカイダイビングを題材にした日本初の少女航空漫画「青空へOK!」を、『少女コミック』4~6号に連載。 続けて7号から『週刊少女コミック』71年12号まで計57回連載されたバレーボール漫画「勝利にアタック!」が大ヒットし、 一躍人気漫画家となるも、貸本から雑誌への過渡期の時代ゆえか現在まで単行本化されていない。
樋口 雅一(ひぐち まさかず、1946年11月18日 - )… 樋口 雅一(ひぐち まさかず、1946年11月18日 - )は、山梨県都留市出身のアニメーター、アニメーション演出家、アニメーション監督、漫画家である。日本漫画家協会会員。 小学生の時に一家は東京に移る。映画会社に勤めていた父の影響で小学生の時から映画好きで、高校生の時は年間300本ほど観ていたという。その頃『S-Fマガジン』誌上でテレビアニメ放映開始前の『鉄腕アトム』の試写会開催を知り、ここでの新鮮な驚きが「観る側から作る側になりたくなった」と心が変わり、アニメ業界に入る決心をする。 高校を卒業後、東映動画と虫プロダクションを受けるもいずれも不合格、そのような中で竜の子プロダクション(タツノコプロ)に採用されて入社。
佐々木 マキ(ささき マキ、1946年10月18日 - )は… 佐々木 マキ(ささき マキ、1946年10月18日 - )は、日本の漫画家、絵本作家、イラストレーター。「佐々木マキ」は筆名で、フランスのレジスタンス勢力マキ団から取られている。 男性。兵庫県神戸市出身。京都府京都市在住。 1966年、『ガロ』掲載の「よくあるはなし」で漫画家としてデビュー、同誌を中心に実験的な漫画家として活躍。1973年からは絵本の分野に活動の場を移し、『やっぱりおおかみ』や、『ムッシュ・ムニエル』シリーズ、『ぶたのたね』シリーズ、『ねむいねむいねずみ』シリーズなど、ナンセンスな味わいのある絵本を多数発表している。また村上春樹の著作をはじめとして、イラストレーターとして多数の装画や挿絵を手がけている。
石井 隆(いしい たかし、1946年7月11日 - 2022… 石井 隆(いしい たかし、1946年7月11日 - 2022年5月22日)は、日本の漫画家、脚本家、映画監督。本名・石井 秀紀。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第二高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。 早稲田大学ではシナリオ研究会に所属していたが、学生運動に巻き込まれることを嫌い、革マル派の影響が薄かった映画研究会へ転属。在学中から後に脚本家となった金子裕と組んで、雑誌のライターやカメラマンで生活していた。 卒業後の1970年、『事件劇画』誌で出木英杞のペンネームで劇画漫画家としてデビュー。1975年頃より主に「ヤングコミック」誌等で執筆する。自作『天使のはらわた』(1977年)が大ヒットし、1978年から日活ロマンポルノにてシリーズ映画化される。
齋藤 なずな(さいとう なずな、1946年3月30日 - )… 齋藤 なずな(さいとう なずな、1946年3月30日 - )は、日本の漫画家。静岡県富士宮市出身、東京都多摩市豊ヶ丘在住。代表作に『恋愛烈伝』『迷路のない町』などがある。京都精華大学マンガ学部で講師を務める。 静岡県立富士高等学校出身。文京区白山で暮らしながら共立女子短期大学に通い、卒業後にイラストを描く仕事に就く。浅野八郎の本の手相を描く仕事をしていた。 1987年、40歳の時に漫画を描く決意をし、『ダリア』で『ビッグコミック』新人賞を受賞してデビュー。多摩に移住し、作品を執筆。 『ビッグコミックオリジナル増刊号』2018年1月号にてシリーズ連載『ぼっち死の館』を開始。2018年3月、『恋愛烈伝』以来20年ぶりとなる単行本『夕暮れへ(英語版)』を刊行。
高階 良子(たかしな りょうこ、1946年2月18日 - )… 高階 良子(たかしな りょうこ、1946年2月18日 - )は、日本の少女漫画家。千葉県銚子市出身。 初期の代表作「リリ」が若木書房の『ゆめ』に掲載されデビューした。その後、雑誌界へ活動の場を移し、『なかよし』に江戸川乱歩原作の『黒とかげ』(原題:『黒蜥蜴』)、『血とばらの悪魔』(原題:『パノラマ島奇談』)、横溝正史原作の『血まみれ観音』(原題:『夜光虫』)などを連載、ジャンルをミステリに移した。 代表作は『マジシャン』、『地獄でメスがひかる』、『はるかなるレムリアより』、『ピアノソナタ殺人事件』など。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
きむら はじめ(1946年〈昭和21年〉1月3日 - 200… きむら はじめ(1946年〈昭和21年〉1月3日 - 2004年〈平成16年〉12月7日)は、漫画原作者。本名菅 伸吉()。きむらはじめ以外にも木村 元(読み同じ)、勝鹿 北星()、ラデック・鯨井()などのペンネームで活動していた。 千葉県生まれ。1967年小樽商科大学卒業後、電通に入社。PR担当として働く傍ら、漫画原作を手がけるようになる。代表作は、『ゴルゴ13』、『なんか妖かい!?』、『ホットDOC』、『MASTERキートン』、『SEED』など。歴史、国際情勢、文化人類学、動物行動学、環境保護などの幅広い取材知識を元にした、人情味あるストーリーが特徴であった。 2004年12月7日、癌で死去、享年58。
きむら はじめ(1946年1月3日 - 2004年12月7日… きむら はじめ(1946年1月3日 - 2004年12月7日)は、漫画原作者。本名菅伸吉(すが しんきち)。きむらはじめ以外にも勝鹿北星(かつしか ほくせい)、ラデック・鯨井(ラデック・くじらい)などのペンネームで活動していた。
ウノ・カマキリ(1946年1月1日 - )は、日本の漫画家。… ウノ・カマキリ(1946年1月1日 - )は、日本の漫画家。本名、宇野文雄。主に『東京新聞』などに一コマ漫画と、書籍のイラストなどを描く。日本漫画家協会協会員、協会理事も歴任した。 愛知県碧海郡知立町(現・知立市)に生まれる。父親は小学校の教員。知立町立知立小学校3年生のときに岡崎市に引っ越す。中学のとき「カマキリ」とあだ名をつけられる。 愛知県立岡崎北高等学校在学中、名古屋市で開かれたオノレ・ドーミエの展覧会を見て「これだ」と思い、プロを目指す。阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業。アニメーション制作会社のTCJ映画部(現・エイケン)にアニメーターとして勤務。久里洋二のアニメーションに憧れ退社。イラスト作成に没頭し、描きためた作品を持って久里を訪ねる。
松尾 龍之介(まつお りゅうのすけ、1946年 - )は、日… 松尾 龍之介(まつお りゅうのすけ、1946年 - )は、日本の漫画家、評論家。長崎市生まれ。1969年北九州市立大学外国語学部卒。1971年上京。漫画家・杉浦幸雄に認められる。主に「漫画社」を中心に仕事をする。江戸時代のオランダ関係の研究も行う。元、日蘭学会会員。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
新里 堅進(しんざと けんしん、1946年 - )は、日本の… 新里 堅進(しんざと けんしん、1946年 - )は、日本の漫画家。沖縄県那覇市壺屋出身。沖縄県在住。 沖縄県立那覇商業高等学校に在学中、『サブマリン707』や『紫電改のタカ』などを読み、漫画家を志す。卒業後、タクシー運転手など様々な職を経験しながら独学で漫画を描き、1973年に沖縄戦を題材とした『沖縄決戦』でデビュー。以来、沖縄をテーマとした作品を数多く発表している。1982年、『ハブ捕り』で第11回 日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。
永井 豪(ながい ごう、本名:永井 潔〈ながい きよし〉、1… 永井 豪(ながい ごう、本名:永井 潔〈ながい きよし〉、1945年〈昭和20年〉9月6日 - )は、日本の漫画家。勲等は旭日小綬章。石川県輪島市出身。血液型はO型。 石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』でデビュー。代表作に『ハレンチ学園』『あばしり一家』『デビルマン』『マジンガーZ』『キューティーハニー』など。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、後続の漫画家に大きな影響を与えた。ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画までシームレスにこなすという点でも異色の存在である。また1972年の『デビルマン』以降、多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっている。
長谷川 法世(はせがわ ほうせい、1945年9月6日 - )… 長谷川 法世(はせがわ ほうせい、1945年9月6日 - )は、日本の漫画家。福岡県福岡市博多区出身。 福岡県立福岡高等学校を卒業後、大学受験のため上京するが、1968年に『正午の教会へ』(COM)が月例新人賞受賞。その後1972年の『痴連』で本格的デビュー。 代表作に『博多っ子純情』(双葉社『漫画アクション』に1976年から1983年まで連載)がある。『博多っ子 - 』は、福岡・博多に住む中学生の男女の青春群像を描いた作品として人気を集め、ハウス食品のインスタントラーメン『うまかっちゃん』のCMキャラクターにもなった。これまで発表された作品の殆どは、故郷の福岡市を舞台にした作品が多い。 漫画家の活動の他、テレビ番組の司会者としても活躍し、『ニュースやきたてマドレーヌ』(テレビ朝日)や『長谷川法世ときめきポテト』(九州朝日放送)では総合司会を担当した。
黒鉄 ヒロシ(くろがね ヒロシ、1945年8月3日 - )は… 黒鉄 ヒロシ(くろがね ヒロシ、1945年8月3日 - )は、日本の男性漫画家、コメンテーター。テレ朝チャンネル放送番組審議会委員。高知県高岡郡佐川町出身。本名:竹村 弘(たけむら ひろし)。
大谷 昭宏(おおたに あきひろ、1945年〈昭和20年〉7月… 大谷 昭宏(おおたに あきひろ、1945年〈昭和20年〉7月8日 - )は、日本のジャーナリスト、元新聞記者、漫画原作者。実弟は元最高裁判所判事の大谷剛彦。 東京都目黒区出身。目黒区立第十中学校、早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学卒業後の1968年4月、読売新聞社に入社、徳島支局勤務。1970年、大阪読売社会部(警察担当)へ異動。上司である黒田清と共に「黒田軍団」の一員として、数多くのスクープ記事を取材。1980年より、朝刊社会面コラム『窓』を7年間にわたって担当。 1987年、黒田が当時:取締役論説委員長で現在主筆である渡邉恒雄との社内政治対立から大阪読売を退社した際、行動を共にし、黒田と共に黒田ジャーナルを設立。
青木 雄二(あおき ゆうじ、1945年6月9日[要検証 – … 青木 雄二(あおき ゆうじ、1945年6月9日[要検証 – ノート] - 2003年9月5日)は、日本の漫画家・エッセイスト。京都府加佐郡大江町(現・福知山市)生まれ。岡山県久米郡久米南町出身。
成田 アキラ(なりた あきら、1945年4月9日 - )は日… 成田 アキラ(なりた あきら、1945年4月9日 - )は日本の漫画家。佐賀県唐津市生まれ。東京都在住。既婚。 都立小石川高校卒業。明治大学工学部電気工学科卒業。日本艶主党党首。 佐賀県唐津市生まれ。中学1年生までを唐津で過ごす。1958年、両親が子供を大学へ行かせるために家族で上京。東京に転居。都立小石川高校、明治大学卒。明治大学で電気工学科へ進学したのは「この世は何で出来上がってるのか」を知りたくて、「この世は電気ででき上ってるんじゃないか」と考え、入学した。叔父でもある漫画家ムロタニ・ツネ象の下で漫画修行をする。26歳でデビュー作「チポー星のやつら」が園山俊二の目にとまり、それがきっかけで漫画サンデーで「フリフリダムダム」を2年間連載するが、性器を模ったキャラクターを主人公とするなど、あまりに内容が「前衛的」「飛んでる」という理由で打ち切りとなる。