塚原 頌平(つかはら しょうへい、1992年7月8日 - )… 塚原 頌平(つかはら しょうへい、1992年7月8日 - )は、茨城県結城市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 絹川小学校時代から野球を始めるが、野球より空手に打ち込み、関東大会で優勝経験を持つ。結城南中学校時代からは軟式野球部に所属。 つくば秀英高等学校2年生時の秋以降、公式戦全6試合で58回2/3を投げて投球回を上回る60三振を奪い、一部では「茨城のドクターK」とも評された。3年生時の夏の甲子園・茨城大会では初戦に先発登板し、2回2/3を投げ6失点でチームも敗れた。高校生時に直球の最速は146km/hを記録。 2010年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズに4巡目で指名。契約金4,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。
市口 侑果(いちぐち ゆか、1992年7月3日 - )は、大… 市口 侑果(いちぐち ゆか、1992年7月3日 - )は、大阪府八尾市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。ビックカメラ高崎ビークイーン所属。ソフトボール日本代表。2021年開催の東京オリンピック金メダリスト。 姉の影響で6歳からソフトボールを始める。子供の頃からオリンピック出場を夢見ていた。 地元の大阪市立緑中学校を卒業後、千葉県の木更津総合高等学校に進学。2009年、高校2年生の時にU-19日本代表に選出される。2010年には全国高校選抜大会で優勝。 2011年、日本リーグの強豪ルネサスエレクトロニクス高崎に入団。同年、U-19日本代表で世界ジュニア選手権準優勝。 2013年にはトップ代表に初選出。
松澤 裕介(まつざわ ゆうすけ、1992年7月1日 - )は… 松澤 裕介(まつざわ ゆうすけ、1992年7月1日 - )は、愛知県春日井市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球指導者。左投左打。NPBでは育成選手であった。C.L.C代表。 春日井市立中部中学校時代は、春日井リトルシニアに所属。 誉高時代は、1番センターとしてレギュラーの座をつかんだが、3年夏は西春高校に敗れて3回戦敗退。その後、東海地区大学野球連盟に所属する朝日大学に入学するが、打撃タイトルなどを獲得することはできなかった。 2015年、四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズへ入団した。 2015年は、主に中堅手としてレギュラーに定着し、68試合の出場で打率.275、10本塁打、43打点、1盗塁の成績で打点王に輝いた。
松澤 裕介(まつざわ ゆうすけ、1992年7月1日 - )は… 松澤 裕介(まつざわ ゆうすけ、1992年7月1日 - )は、愛知県春日井市出身のプロ野球選手(外野手)である。
長﨑 望未(ながさき のぞみ、1992年6月19日 - )は… 長﨑 望未(ながさき のぞみ、1992年6月19日 - )は、愛媛県新居浜市出身の女子ソフトボール選手(外野手)。元トヨタ自動車レッドテリアーズ所属。元ソフトボール日本代表。JD.LEAGUEブランドアンバサダー。 愛媛県新居浜市出身。小学校3年生からソフトボールを始める。男子に混じり、6年生の時には4番バッターとなった。中学時代には全国中学校ソフトボール大会に出場。京都西山高等学校在学中の2008年にはインターハイ優勝に大いに貢献した。 高校卒業後の2011年にトヨタ自動車に入団。ルーキーイヤーから日本リーグ優勝の原動力となり、自らも本塁打王・打点王・ベストナイン賞・新人賞の四冠に輝いた。新人での四冠達成は山田恵里以来9年ぶり。
玉井 大翔(たまい たいしょう、1992年6月16日 - )… 玉井 大翔(たまい たいしょう、1992年6月16日 - )は、北海道常呂郡佐呂間町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 佐呂間小学校1年の時に「佐呂間ライオンズ」で野球を始め、佐呂間中学校時代は軟式野球部に所属し、地区2回戦が最高成績。旭川実業高等学校進学後は1年秋の支部予選に背番号18で初のベンチ入りを果たすも、同級生に鈴木駿平と成瀬功亮がおり、公式戦の登板は2年秋の全道大会準々決勝の北照戦が最後。3年夏の甲子園は背番号11も登板機会はなかった。高校卒業後、東京農業大学生物産業学部(北海道網走市)へ進学する。 大学進学後は1年時の春季リーグ開幕戦、北海道教育大学函館校戦で先発を任されるとリーグ史上7人目のノーヒットノーランを達成。
中島 彰吾(なかしま しょうご、1992年6月15日 - )… 中島 彰吾(なかしま しょうご、1992年6月15日 - )は、福岡県小郡市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時代に、実兄と共に味坂クラブで野球をスタート。小郡市立宝城中学校で軟式野球部へ所属すると、1年時から三塁手兼投手、1年秋からエースとして活躍した。 大牟田高校への進学後は、右翼手としての起用を経て、2年秋からエースの座を確保。しかし、在学中は春夏ともに、全国大会への出場経験がなかった。 福岡大学への進学後は、主に救援投手として、九州六大学野球のリーグ戦で登板。2年時と3年時には明治神宮野球大会での救援登板も果たしたが、リーグ戦では通算18試合の登板で1勝2敗にとどまった。梅野隆太郎・信楽晃史は、いずれも1年先輩に当たる。
前川 恭兵(まえがわ きょうへい、1992年6月9日 - )… 前川 恭兵(まえがわ きょうへい、1992年6月9日 - )は、大阪府藤井寺市出身の元プロ野球選手(投手)。
中原 大樹(なかはら だいき、1992年6月6日 - )は、… 中原 大樹(なかはら だいき、1992年6月6日 - )は、鹿児島県姶良郡姶良町(現:姶良市)出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。右投右打。プロでは育成選手であった。 帖佐中時代は軟式野球部に所属。鹿児島城西高時代は、2年時から4番として活躍。夏の鹿児島予選では、準々決勝の伊集院高戦で2打席連続本塁打を放つも、決勝で樟南高に敗れた。翌年の1月、練習中に右足首を骨折し全治6ヶ月の大怪我を負ってしまう。夏は絶望と見られていたが、トレーニングに励み大会に出場するも、調子を取り戻すことはできずベスト8で敗退した。高校通算36本塁打。 2010年、10月28日に行われたプロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから育成2位指名を受けた。
谷口 雄也(たにぐち ゆうや、1992年6月1日 - )は、… 谷口 雄也(たにぐち ゆうや、1992年6月1日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(外野手)。愛称は「谷口きゅん」。
中村 奨吾(なかむら しょうご、1992年5月28日 - )… 中村 奨吾(なかむら しょうご、1992年5月28日 - )は、兵庫県三木市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。
川崎 ひかる(かわさき ひかる、1992年5月28日 - )… 川崎 ひかる(かわさき ひかる、1992年5月28日 - )は、日本の女子プロ野球選手。香川県出身。
安江 嘉純(やすえ よしずみ、1992年5月26日 - )は… 安江 嘉純(やすえ よしずみ、1992年5月26日 - )は、愛知県豊明市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。
森本 将太(もりもと しょうた、1992年5月25日 - )… 森本 将太(もりもと しょうた、1992年5月25日 - )は、福井県坂井市出身のプロ野球選手(投手)。
石岡 諒太(いしおか りょうた、1992年5月25日 - )… 石岡 諒太(いしおか りょうた、1992年5月25日 - )は、中日ドラゴンズに所属する兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。
三ツ俣 大樹(みつまた たいき、1992年5月11日 - )… 三ツ俣 大樹(みつまた たいき、1992年5月11日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 6歳の時に、岡田彰布のサインボールでキャッチボールしたのをきっかけに葛飾アニマルズで野球を始め、中学時代は江戸川南シニアでプレーする。 修徳高では投手兼遊撃手、エースで4番として活躍。2年夏に都大会ベスト8、3年春では都大会準優勝をしており、この大会では被本塁打が2回戦の明星高校戦の1本だけという結果であり、球威・制球が抜群で非常に飛びにくい球筋であった。この大会をきっかけに少しずつブレイクしていった。3年夏には決勝戦の山下幸輝擁する関東一高戦で好投を見せる。打っては7回に逆転適時打を放つも8回に足がつってしまい降板、その後サヨナラで敗れて甲子園を逃す。
江村 直也(えむら なおや、1992年5月6日 - )は、千… 江村 直也(えむら なおや、1992年5月6日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(捕手)。
山野 恭介(やまの きょうすけ、1992年5月6日 - )は… 山野 恭介(やまの きょうすけ、1992年5月6日 - )は、大分県別府市出身の元プロ野球選手(投手)。2014年から広島東洋カープ打撃投手。
加藤 匠馬(かとう たくま、1992年4月29日 - )は、… 加藤 匠馬(かとう たくま、1992年4月29日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(捕手)。
西田 明央(にしだ あきひさ、1992年4月28日 - )は… 西田 明央(にしだ あきひさ、1992年4月28日 - )は、京都府京都市伏見区出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)、コーチ。右投右打。 小学1年生の時に京都の伏見桃山クラブで投手として野球を始める。京都の伏見中学校時代は京都ファイターズに所属、主に捕手でプレーした。 河上敬也監督に誘われ北照高校へ野球留学。1年春から長打力を期待され、捕手以外のポジション(二塁手、三塁手、外野手)で出場。2年秋の新チームから主将として捕手へ戻った。打っては3番打者として勝負強い打撃で、9試合9打点を記録し、北海道大会優勝に貢献。秋だけで14本塁打を量産。守ってはエース・又野知弥を好リードし、春夏連続甲子園出場を果たした。
木村 謙吾(きむら けんご、1992年4月20日 - )は、… 木村 謙吾(きむら けんご、1992年4月20日 - )は、宮城県塩竈市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。プロでは育成選手であった。東北楽天ゴールデンイーグルス所属当時のニックネームは「冷蔵庫」「キムケン」「ボブ」。 小学1年時から野球を始める。中学時代は、塩釜中央シニアに所属する。 仙台育英高校に進学すると、1年時の春からベンチ入り。夏の第90回全国高等学校野球選手権記念大会では、宮城代表になったチームの一員として、甲子園球場での全国大会を初めて経験した。1回戦では西勇輝擁する菰野高校戦で初登板を果たし、2回戦の中村悠平擁する福井商業戦では1点リードの5回1アウト満塁から登板し、同点となる押し出しのフォアボールを出すが、後続を打ち取り、直後に打線が2点を勝ち越し。
福田 将儀(ふくだ まさよし、1992年4月17日 - )は… 福田 将儀(ふくだ まさよし、1992年4月17日 - )は、千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 小学校2年生の時に「松尾キングスターズ」で野球を始め、当時は投手と遊撃手。松尾中学校時代は「九十九シニア」で投手としてプレーした。習志野高校では1年生で主に中堅手のレギュラーになった。2年生時の春の選抜大会の1回戦で「7番・中堅手」、2回戦では「4番・中堅手」で先発出場し、計8打数3安打1本塁打1打点、打率.375の成績だった(チームは2回戦敗退)。3年生時の夏の甲子園・千葉大会では準決勝で成田高校に3-4で敗れた。野球部の同期には山下斐紹がいる。 中央大学では1年生時の春に中堅手のレギュラーを獲得し、2年生時の秋季リーグで東都大学野球リーグのベストナイン(外野手)を獲得した。
宮國 椋丞(みやぐに りょうすけ、1992年4月17日 - … 宮國 椋丞(みやぐに りょうすけ、1992年4月17日 - )は、沖縄県糸満市生まれ、沖縄県糸満市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 「國」の字は旧字体であるため、メディアによっては「宮国」と表記されることもある。 石川県金沢市生まれ。兄の影響で小学1年生で野球を始める。高嶺中学校時代は軟式野球部に所属。 糸満高校では沖縄県1年生大会決勝で興南高校に投げ勝ち、7年ぶりの優勝に貢献。2年春からエースとして活躍し、3年夏には県大会決勝に進むも島袋洋奨を擁する興南高校に敗れた。高校の1学年下には神里和毅がいた。 2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議にて読売ジャイアンツから2位指名を受け、契約金6000万円、年俸600万円で入団に合意。
西野 颯(にしの はやて、1992年4月16日 - )は、プ… 西野 颯(にしの はやて、1992年4月16日 - )は、プロ野球選手(内野手)。ベースボール・チャレンジ・リーグの滋賀ユナイテッドベースボールクラブに所属している。
西川 遥輝(にしかわ はるき、1992年4月16日 - )は… 西川 遥輝(にしかわ はるき、1992年4月16日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属する和歌山県紀の川市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。
河田 直人(かわだ なおと、1992年4月15日 - )は、… 河田 直人(かわだ なおと、1992年4月15日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)。 生光学園高等学校時代は通算27本塁打を放つ。 愛知学院大学に進んだが、早期のNPB入りを目指して2年の途中で中退し、自主トレーニングをしながら独立リーグに進むことを決める。 2012年12月におこなわれた四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験。リーグへの入団が内定し、高知ファイティングドッグスから1位指名を受けて入団した。 2013年は開幕戦に3番でスタメン出場。全試合に出場し、打率.276、4本塁打、41打点の成績で打率はリーグ8位であった。2014年は4番を打ち、リーグ3位となる打率.316の成績を残した。
ルシアノ・フェルナンド(Luciano Fernando、1… ルシアノ・フェルナンド(Luciano Fernando、1992年4月13日 - )は、ブラジル、マットグロッソ・ド・スル州カンポ・グランデ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。NPBでの登録名はフェルナンド。 両親はブラジル人だが父方の曽祖母が日本人で、自身は日系4世にあたる。ブラジル国籍であるが、日本の中学校・高等学校に通算3年間以上在学しているため、外国人枠の制約を受けない。 5歳の時に両親と共に群馬県太田市へ移住し、宝泉南小学校4年生の時に「宝南スピリット」で野球を始め、当時は投手と捕手を務めていた。宝泉中学校野球部では投手、捕手、外野手を務める。桐生第一高校では2度の骨折を経験。
木南 了(きなみ りょう、1992年4月10日 - )は、東… 木南 了(きなみ りょう、1992年4月10日 - )は、東京都出身の元社会人野球選手(捕手)。右投右打。日本通運硬式野球部に所属していた。 中野区立江古田小学校時代に軟式野球を始め、中野区立北中野中学校では東京和泉シニアに所属。 千葉経済大学附属高校時代、正捕手としてチームを引っ張り、3年夏に2年ぶりの県ベスト8進出を達成した。 帝京大学時代は、1年時からリーグ戦に出場。2年春から正捕手、4年春からキャプテンを務め、2年秋、4年春の2度十傑入りの実績を残した。また、大学4年時リーグ選抜に選ばれオーストラリア遠征にも参加している。 大学卒業後は、日本通運に入社。1年目から公式戦に出場し、同年夏の都市対抗を予選1打席の出場で終え、秋の日本選手権で2大大会デビューを果たした。
田中 英祐(たなか えいすけ、1992年4月2日 - )は、… 田中 英祐(たなか えいすけ、1992年4月2日 - )は、兵庫県高砂市出身の元プロ野球選手(投手)、右投右打。京都大学から直接NPBの球団へ入った最初の選手で、2017年に現役を引退してからは三井物産に勤務している。 高砂市立米田西小学校4年の時に「塩市少年野球団」で野球を始め主に捕手 で三塁手、外野手なども経験したが、白陵中学校への入学後に投手へ転向した。 白陵高等学校への進学後は、1年生の秋からエースとして活躍。しかし、2年時の全国高等学校野球選手権大会兵庫大会で3回戦まで勝ち残ったことが最高。3年夏の甲子園は県大会初戦で敗退し、在学時には春夏ともに甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。
橋爪 大佑(はしづめ だいすけ、1992年3月30日 - )… 橋爪 大佑(はしづめ だいすけ、1992年3月30日 - )は、大阪府出身のプロ野球選手(内野手)。
運天 ジョン・クレイトン(うんてん ジョン・クレイトン、19… 運天 ジョン・クレイトン(うんてん ジョン・クレイトン、1992年3月27日 - )は、沖縄県宜野湾市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 父親がアメリカ人で母親が日本人。そのため、父親との会話は英語と日本語の半々で行っている。 父親の影響で小学2年から我如古ファイターズで投手として野球を始め、中学時代は硬式・宜野湾ポニーズに所属していた。その容姿や長い手足を持つ体形、投球フォームから「沖縄のダルビッシュ有」の異名をとる。 2007年に浦添工業高校に入学。当時は下半身が弱く体が出来上がっていない状態でありながら145km/hの球を投じ、1年の夏には沖縄尚学高校を相手に140km/h台の直球で打者5人から4三振を奪うも敗退。
横山 弘樹(よこやま ひろき、1992年3月12日 - )は… 横山 弘樹(よこやま ひろき、1992年3月12日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 実父は高校野球の経験者。小学生時代から軟式野球を始めると、宮崎市立赤江東中学校時代には宮崎リトルシニアに所属した。宮崎日大高への進学後は、九州大会で準々決勝にまで残ったものの、甲子園球場との全国大会と縁がなかった。 桐蔭横浜大学への進学後は、神奈川大学野球リーグ戦へのデビューが3年時の春にまで持ち越されるほど、制球難の克服に時間を要した。3年秋にはチームが明治神宮大会で優勝するが同級生の右投手・小野和博(SUBARU)がフル回転して本大会での登板はなし。4年時に頭角を現すと、チームの春秋連覇に貢献して大学選手権では2回戦の愛知大戦では先発7回1/3を無失点に抑えるも準々決勝・亜大戦で延長10回から救援登板するもサヨナラ負け。
黒沢 征治(くろさわ せいじ、1992年3月12日 - )は… 黒沢 征治(くろさわ せいじ、1992年3月12日 - )は、日本の競輪選手、元社会人野球選手(投手)。茨城県鉾田市出身。日本競輪選手会埼玉支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第113期生。妻は同じく競輪選手の黒沢夢姫(114期。旧姓、吉田)。 常磐大学高等学校では茨城県大会ベスト16が最高で甲子園出場経験はなし。 常磐大学時代は直球が最速152Km/hを記録し、プロ野球のスカウトから注目されるも、プロ志望届を提出せずに社会人野球のHondaに入社した。 Hondaではスピードが売りだった一方でコントロール不足を露呈し、チームは都市対抗野球大会や社会人野球日本選手権大会に連続出場したが、自身に活躍の機会はなくわずか2年で退部。
三浦 伊織(みうら いおり、1992年3月11日 - )は、… 三浦 伊織(みうら いおり、1992年3月11日 - )は、日本の女子プロ野球選手。愛知県出身。
佐藤 明義(さとう あきよし、1992年3月3日 - )は、… 佐藤 明義(さとう あきよし、1992年3月3日 - )は、北海道砂川市出身の元アマチュア野球選手(投手)、監督。2022年から2023年まで、すながわリバーズの監督を務めた。 小学生時代は砂川スティッカーズで、中学生時代は砂川中学校の野球部で野球をプレー。 砂川高等学校では1年秋から主戦投手としてほとんどの試合で登板。身長166cmと小柄ながら、右腕エースとして活躍した。高校卒業後は上京し、創価大学に進学。東京新大学野球連盟所属の野球部でも投手としてプレー。4年生のときに同部が出場した第62回大学選手権ではベンチ入りするも、同期には石川柊太がおり、同大会での登板の機会は無かった。 大学卒業後は航空自衛隊に入隊し、北海道に戻る。
原口 文仁(はらぐち ふみひと、1992年3月3日 - )は… 原口 文仁(はらぐち ふみひと、1992年3月3日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身の元プロ野球選手(捕手・内野手 )。右投右打。野球講演家・野球解説者・野球評論家として活動。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 読売ジャイアンツ(巨人)の正捕手だった阿部慎之助への憧れが高じて、小学4年時に、軟式野球チームの寄居ビクトリーズ(現在のキングフィッシャーズ)で捕手として野球生活を始めた。埼玉県寄居町立城南中学校在学中には、寄居リトルシニア(現在の深谷彩北リトルシニア)で一塁手としてプレー。中学校からの卒業を機に、帝京高校(東京都板橋区)へ進学した。進学の決め手になったのは、中学3年時に世田谷西シニアとの試合で放った本塁打で、同チームの監督としてこの一打を目にした蓬萊昭彦(元・西武ライオンズ)が帝京高校硬式野球部監督(いずれも当時)の前田三夫に原口の入部を推薦したという。
荒道 好貴(あらみち よしたか、1992年2月28日 - )… 荒道 好貴(あらみち よしたか、1992年2月28日 - )は、青森県八戸市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。 6歳から兄の影響で野球を始め、小学3年の時に野球部所属し、中学1年の時に外野手から内野手へ転向。 八戸工業高等学校に進学し、高校1年春にベンチ入りし、オープン戦では当時同学年の花巻東の菊池雄星と1年生対決。結果は、ピッチャーゴロ。 八戸工業大学に進学し、50m走6秒、遠投115mという俊足強肩として活躍。1年春の時からベンチ入りし、2年の北東北大学野球春季リーグ2部では、首位打者、打点王、盗塁王、最優秀選手とDHのベストナインを、獲得した。4年秋には打率.447をマークし、自身初の二塁手部門のベストナイン、に選出。
杉浦 稔大(すぎうら としひろ、1992年2月25日 - )… 杉浦 稔大(すぎうら としひろ、1992年2月25日 - )は、北海道帯広市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 妻はフリーアナウンサーで、モーニング娘。元メンバーの紺野あさ美。 小学校3年生から野球を始め、中学時代は軟式野球部に所属していた。野球と並行し、中学時代までアイスホッケー選手としても活躍した。帯広大谷高等学校野球部3年時には決勝まで進んだ。しかし、決勝で後に大学でチームメイトとなる柿田竜吾を擁する旭川大学高等学校に敗れた。その後、プロ志望届を提出したが指名漏れとなる。 高校卒業後は東都大学野球連盟に加盟する國學院大學(文学部)に進学。硬式野球部では、竹田利秋(1年の春季までは監督、後に総監督)の指導を受ける。
東 弘明(あずま ひろあき、1992年2月20日 - )は、… 東 弘明(あずま ひろあき、1992年2月20日 - )は、滋賀県近江八幡市出身のプロ野球選手(内野手)。
大山 唯(おおやま ゆい、1992年1月23日 - )は、日… 大山 唯(おおやま ゆい、1992年1月23日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)、監督。 愛称(ニックネーム)は「おーちゃん」。 小学校時代は入間川ベアーズ、中学時代は、狭山リトルシニアでプレーをし、高校時代と大学時代は、それぞれ花咲徳栄高校及び尚美学園大学の女子硬式野球のチームでプレーしていた。 2014年、ノース・レイアに入団。プロ1年目からレギュラーの座を掴むと、瞬く間に中軸打者にのし上がり、全試合に出場。リーグ5位の打率.359・同4位タイの33安打・同1位タイの17四球を記録し、非凡なバッティング技術を発揮して同年の最優秀新人賞に選出された。また、一塁手部門でベストナインにも選出され、ルーキーながらリーグを代表する選手の1人として大活躍した。
松崎 啄也(まつざき たくや、1992年1月20日 - )は… 松崎 啄也(まつざき たくや、1992年1月20日 - )は、栃木県鹿沼市出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手)。 鹿沼市立菊沢東小学校の2年次より菊東スポーツで野球を始め、鹿沼市立北中学校に在学時は鹿沼ボーイズに所属した。 作新学院高等学校では3年次の夏に4番として活躍し、第91回全国高等学校野球選手権大会に同高は31年ぶりの甲子園出場を果たした。同大会の1回戦で長野日大に敗れるものの、4番捕手で先発出場して、3安打1打点の成績を残した。 作新学院大学に進学後、日本製紙石巻に入社した。捕手として所属していたが、2015年は主に一塁手での出場が多かった。 2015年10月22日、ドラフト会議において読売ジャイアンツに8位指名を受けて入団。
南川 忠亮(みなみかわ ただすけ、1992年1月13日 - … 南川 忠亮(みなみかわ ただすけ、1992年1月13日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校3年生の時に野球を始め、高松市立古高松中学校では捕手としてプレー。 香川県立高松工芸高等学校では1年生の時に投手に転向し、同年の秋季大会よりベンチ入り。2年生時の第90回全国高等学校野球選手権記念大会香川大会では救援で2試合に登板した。同年秋からエースとなり。3年生時の第91回全国高等学校野球選手権大会香川大会では準々決勝までの3試合に登板して防御率0.69、準決勝の対高松商業戦で11回を投げて2失点、チームはサヨナラ負けする。 高校卒業後はJR四国に就職し、野球部に所属。
森 唯斗(もり ゆいと、1992年1月8日 - )は、徳島県… 森 唯斗(もり ゆいと、1992年1月8日 - )は、徳島県海部郡海南町(現:海陽町)出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。右投右打。 浅川小学校1年生の時に外野手として野球を始め、4年生の時に投手になった。6年生の時には徳島県の少年野球の王者を決める「こども野球のつどい」で優勝。決勝では杉本裕太郎と対戦している。海陽中学校では軟式野球部に所属していた。 徳島県立海部高校では1年生の時にベンチ入りし、2年生の秋には背番号1をつけていた。3年生時の夏の甲子園・徳島大会では2試合に救援登板し、無失点だったが、チームは3回戦で敗れ、甲子園出場経験はない。 高校卒業後、当時クラブチームであった三菱自動車倉敷オーシャンズに入部。
寺田 光輝(てらだ こうき、1992年1月5日 - )は、三… 寺田 光輝(てらだ こうき、1992年1月5日 - )は、三重県伊勢市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 内科・胃腸内科の医師として、伊勢市内で病院を開業している実父の長男として出生。伊勢市立厚生小学校(厚生イーグルス)3年時に軟式野球を始め、伊勢市立厚生中学校進学後は軟式野球部へ所属した。 三重県立伊勢高等学校への進学後は硬式野球部へ入部。甲子園球場での全国大会と無縁であったが、3年時の春季三重県大会では、チームを準決勝にまで導いた。 高校卒業後は三重大学教育学部に進学したが、「レベルの高さに圧倒された」とのことで、入学から2か月後に休学。祖父や叔父なども医師であったことを背景に、一時は医学部への転部を検討していた。
高野 圭佑(たかの けいすけ、1991年12月28日 - )… 高野 圭佑(たかの けいすけ、1991年12月28日 - )は、広島県呉市出身の野球選手。元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校から軟式野球を始め、中学時代は1年時のみ呉昭和シニアに所属もそれ以降は退団。広島県立呉工業高等学校では、県大会2回戦が最高で甲子園出場はなかった。 四国学院大学では1年秋からリーグ戦に出場。3、4年春にベストナイン、最多勝3回、最多奪三振1回。2年から3年連続で大学選手権で登板し、3、4年時は先発したがいずれも初戦敗退。大学卒業後、西日本旅客鉄道に入社。なお、同期入社に杉本裕太郎がいた。同社在籍時は硬式野球部における活動の傍ら、広島地区に導入された新型電車227系の愛称名制定にも携わっていた。
石川 柊太(いしかわ しゅうた、1991年12月27日 - … 石川 柊太(いしかわ しゅうた、1991年12月27日 - )は、東京都品川区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 品川区立立会小学校2年生から「元芝ハヤブサ」で野球を始め、中学までは「水神ファイターズ」で軟式野球をやっていた。 総合工科高へ進学。3年春夏ともに都大会8強入りの実績を残した。東東京大会4回戦高輪高等学校戦では5安打完封勝利を記録した。受験シーズンの頃は、周囲から石川の実力ではレギュラー昇格が無理な大学もいくつかあると見られていた。 創価大学進学後は、先輩の小川泰弘の卒業後から登板機会が増え、4年の大学選手権では初戦で高野圭佑がエースの四国学院大学に完封勝利。
森原 康平(もりはら こうへい、1991年12月26日 - … 森原 康平(もりはら こうへい、1991年12月26日 - )は、広島県福山市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 野球好きの祖父の影響で軟式野球を始める。本人は6歳だった1998年時点では、まだ野球に興味はなく、地元・広島に本拠地(広島市民球場)を置く広島東洋カープにも興味はなく、水泳と陸上を掛け持ちし始めていた時期だったと語っている。その後、カープのファンになり、また小学6年生のころに自身の最大の親友が野球を始めたことに影響され、自身も野球を始めた。小学生時代は中条少年野球クラブ、中学校への在籍中は軟式のクラブチーム「神辺レッズ」で捕手としてプレー。中学2年時に「神辺レッズ」の監督だった三原新二郎の勧めで投手に転向した。
信樂 晃史(しがらき あきふみ、1991年12月26日 - … 信樂 晃史(しがらき あきふみ、1991年12月26日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属する宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(投手)。
大村 孟(おおむら はじめ、1991年12月21日 - )は… 大村 孟(おおむら はじめ、1991年12月21日 - )は、福岡県鞍手郡小竹町出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。 東筑高では、4番を打って3年夏は県大会ベスト8。 高校卒業後は、国立の福岡教育大学に進学し福岡六大学リーグに加盟している硬式野球部に入部。1年次から公式戦に出場し、4年次の2013年春季は打率.385をマーク。チームから唯一、ベストナインに選出された。プロ志望届を提出するも、2013年のプロ野球ドラフト会議で指名は無かった。 大学卒業後は、社会人野球の九州三菱自動車に入団。販売店の営業マンとして勤務しながら、正捕手としてプレーする。しかし、在籍していた2014年と2015年は、都市対抗野球と日本選手権ともに九州地区予選で敗退し、2大大会本戦出場は果たせなかった。
平井 克典(ひらい かつのり、1991年12月20日 - )… 平井 克典(ひらい かつのり、1991年12月20日 - )は、愛知県一宮市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。ラグナ・ユニオン・コットンファーマーズ所属。 NPBのパシフィック・リーグにおける、シーズン最多登板数記録保持者。 一宮市立浅野小学校を卒業後、一宮市立南部中学校へ進学し、愛知江南ボーイズの第18期生として所属した。 飛龍高等学校では、1年夏からベンチ入りを果たす。2年夏には、チームのベスト4入りに貢献した。しかし、3年夏は登板機会がなく、チームも3回戦で敗退。在学中は控え投手だった。 高校卒業後、愛知産業大学経営学部総合経営学科へ入学。3年春には当時2部リーグだったチームのリーグ優勝に貢献した。