時永 淑(ときなが ふかし、1922年2月9日 - 1990… 時永 淑(ときなが ふかし、1922年2月9日 - 1990年4月26日)は、日本の経済学者。元法政大学教授。古典派経済学、マルクス経済学を研究。 岡山県赤磐郡赤坂町(現・赤磐市)出身。1951年東京大学経済学部卒業。1952年法政大学経済学部助手、1955年助教授、1963年教授、1975年経済学部長となる。1990年、急性腎不全のため逝去。
職業が経済学者:2,177人
時永 淑(ときなが ふかし、1922年2月9日 - 1990… 時永 淑(ときなが ふかし、1922年2月9日 - 1990年4月26日)は、日本の経済学者。元法政大学教授。古典派経済学、マルクス経済学を研究。 岡山県赤磐郡赤坂町(現・赤磐市)出身。1951年東京大学経済学部卒業。1952年法政大学経済学部助手、1955年助教授、1963年教授、1975年経済学部長となる。1990年、急性腎不全のため逝去。
羽鳥 卓也(はとり たくや、1922年 - 2012年[要出… 羽鳥 卓也(はとり たくや、1922年 - 2012年[要出典])は、日本の経済学者、岡山大学名誉教授。アダム・スミス、デヴィッド・リカードなどの古典派経済学を研究した。 岐阜県生まれ。1947年、慶應義塾大学経済学部卒業。専修大学経済学部助教授、福島大学経済学部助教授、1962年、「古典経済学の研究」で名古屋大学経済学博士。福島大教授、岡山大学法文学部教授。1985年経済学史学会代表幹事。1988年、定年退官、熊本学園大学教授。
久留島 陽三(くるしま ようぞう、1922年 - )は、マル… 久留島 陽三(くるしま ようぞう、1922年 - )は、マルクス経済学者。岡山大学名誉教授、福山平成大学名誉学長。 広島県生まれ。東京帝国大学在学中の1943年12月に学徒出陣で軍に入隊。1945年12月復学。1947年東京帝国大学経済学部卒業。学部で大河内一男のゼミに所属し、職工農家の調査を実施。ゼミ生の田添京二、大塚斌とともに学生労働問題研究会をつくり、労働組合の実態調査を実施。前者は「「職工農家」に関する研究――N工場における調査を中心として」、後者は「戦後日本労働組合の動向」として大河内一男編『戦後社会の実態分析』(日本評論社、1950年)にまとめられた。1949年東京帝国大学特別研究生(前期)修了。
林 善茂(はやし よししげ、1922年 - 2013年)は日… 林 善茂(はやし よししげ、1922年 - 2013年)は日本の経済学者、北海道大学名誉教授。専門は、農業経済学・アイヌ民族文化研究。北海道小樽市生まれ。 1938年に北海道帝国大学予科農類に入学し、1943年に北海道帝国大学農学部農業経済学科を卒業した。卒業後、農学部で研究生や助手となり、1948年8月に助教授に就任している。 1953年、新設された北海道大学経済学部に転じた。1962年に北海道大学で農学博士号を取得した。翌年、教授に昇格した。 1972年、北海道大学の評議員に選出される。1976年に北海道大学経済学部長に就任した。部長在職中の1977年に講義で「北海道経済史は辺境における開発の歴史として見ていくことであり、主体は日本人であってアイヌではない」「アイヌの歴史は切り捨てる」、また和人男性が蝦夷地に来た頃に彼らと結婚したアイヌ女性を「占領軍時代のパンパンと同じ」などの発言をおこなったことが学生やアイヌの反発を招き、糾弾として教室に封鎖される事態となった(機動隊により救出)。
三木 毅(みき たけし、1922年〈大正11年〉 - 202… 三木 毅(みき たけし、1922年〈大正11年〉 - 2023年〈令和5年〉12月2日)は、日本の経済学者。経済学博士(北海道大学)・医学博士(札幌医科大学)。専門は医療経済学・中国経済論・環境衛生論。札幌医科大学名誉教授・元旭川大学及び旭川大学女子短期大学部学長。北海道厚田村出身。 『北海道人物・人材リスト 2004 な-わ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
白石 孝(しらいし たかし、1921年11月21日 - 20… 白石 孝(しらいし たかし、1921年11月21日 - 2013年10月17日)は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授および杏林大学名誉教授。専門は国際経済学、国際貿易論。 1921年に東京市日本橋に生まれる。1934年に明治学院中等部に入学し、翌年に慶應義塾普通部に編入する。1941年に慶應義塾大学経済学部に進学し、岩田仭のゼミで指導を受ける。1943年に同大学を卒業し、同年に南貿汽船株式会社に入社、その後兵役に服す。1945年に慶應義塾大学旧制大学院に入学し、1947年に慶應義塾大学経済学部副手、1949年に同経済学部助教授、1958年に同商学部教授となる。1960年に経済学博士の学位を取得、1964年に慶應義塾志木高等学校校長を兼任する。
館 龍一郎(たち りゅういちろう、1921年9月11日 - … 館 龍一郎(たち りゅういちろう、1921年9月11日 - 2012年2月11日)は、日本の経済学者(金融論・財政学)。勲等は勲二等。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。日本学士院会員。 日本銀行での勤務を経て、東京大学経済学部教授、東京大学経済学部学部長、青山学院大学国際政治経済学部教授、財政金融研究所所長などを歴任した。 父は館哲二(内務官僚・参議院議員)。長男は館直彦(医学者・精神科医)。 館哲二(内務官僚・参議院議員)の長男として横浜市で生まれる。1944年、東京帝国大学経済学部卒。戦後すぐ日本銀行勤務経験もあった。1950年、東京大学助教授。1961年、東京大学教授。1984年、東京大学を退官し青山学院大学教授。
東井 正美(とおい まさみ、1921年9月10日 - 201… 東井 正美(とおい まさみ、1921年9月10日 - 2016年8月4日)は、日本の経済学者。関西大学名誉教授。専門は農業経済学。 大阪府生まれ。旧制金鐘中等学校、1947年関西大学経済学部を卒業。京都大学大学院経済学研究科で山岡亮一の下農業経済学を専攻し、1950年より母校の関西大学経済学部で教鞭を執り、1961年教授就任。『日本の農業政策』で経済学博士の学位を取得。1996年勲三等瑞宝章受章。 アメリカ農業問題に関して先駆的業績を残し、日本農業経済学会理事、関西農業経済学会(現:地域農林経済学会)副会長などを歴任。関西大学では経済学部長を務め、学長事務代行を一時兼務するなどして、大学紛争の収拾に奔走した。
関田 英里(せきた ひでさと、1921年(大正10年)9月1… 関田 英里(せきた ひでさと、1921年(大正10年)9月1日 - 2002年(平成14年)10月30日)は、日本の経済学者。元高知大学学長、同大学名誉教授。専門は経済史、農業経済学。高知県生まれ。 1921年9月1日、高知県長岡郡大篠村大埇(現南国市)において、海軍武官の父関田繁里と母豊榮の長男として生まれる。幼少期は郷里で祖父母のもとに過ごし、1927年に父母のもとへ上京。1934年3月、東京市世田谷区立八幡尋常小学校を卒業。同年4月、父の赴任先の長崎県立佐世保中学校を受験し入学。1935年秋頃、父の転勤に伴い麻布中学校に転入。1937年夏頃、父の死に伴い帰郷し高知県立高知城東中学校に転入。
高嶋 正彦(たかしま まさひこ、1921年〈大正10年〉8月… 高嶋 正彦(たかしま まさひこ、1921年〈大正10年〉8月9日 - 2004年〈平成16年〉7月8日)は、日本の農学者・経済学者。専門は農業経済学。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授、元釧路公立大学学長。位階は正四位。指導教授は松田武雄。門下生に出村克彦。 『北海道人物・人材リスト 2004 あ-そ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
横山 保(よこやま たもつ、1921年5月28日 - 199… 横山 保(よこやま たもつ、1921年5月28日 - 1996年7月30日)は、日本の経済学者・統計学者。大阪大学名誉教授、高岡短期大学初代学長・名誉教授。博士。数理経済学者として日本の戦後初期の経済学発展に大きく貢献した。 神奈川県生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業。第七高等学校造士館 (旧制)理科甲類に1940年4月入学、1942年9月卒業。東京帝国大学理学部数学科に1942年10月入学、1945年9月卒業。1946年2月1日に関東学院中学部講師嘱託となり、6月1日に関東学院工業専門学校講師に転任、12月1日に同校教授に昇任し1949年3月31日まで務める。1949年度は新制静岡県立富士高等学校に教諭として勤務。
梅村又次(うめむら またじ、1921年4月18日 - 200… 梅村又次(うめむら またじ、1921年4月18日 - 2006年12月29日)は、日本の経済学者。学位は、農学博士(九州大学・論文博士・1961年)(学位論文「賃金・雇用・農業」)。一橋大学名誉教授。 栃木県出身。1945年九州帝国大学農学部卒、1961年「賃金・雇用・農業」で九州大学より農学博士の学位を取得。1948年経済安定本部物価局勤務、1949年労働省労働統計調査部、1951年一橋大学経済研究所助教授となり、教授。1974年所長。1985年定年退官し、名誉教授、創価大学経済学部教授。1998年退職。1964年『戦後日本の労働力』で第5回エコノミスト賞受賞。1971年『労働力の構造と雇用問題』で日経・経済図書文化賞受賞。
塩田 庄兵衛(しおた しょうべえ、1921年4月15日 - … 塩田 庄兵衛(しおた しょうべえ、1921年4月15日 - 2009年3月20日)は、日本のマルクス主義経済学者、社会運動史・労働運動史研究者。学位は経済学博士(立命館大学、1987年)。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授、立命館大学名誉教授。 昭和34年労働運動史研究会を設立。40年日本科学者会議常任幹事。平和・大衆運動にも参加した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐藤 武男(さとう たけお、1921年3月31日 - )は、… 佐藤 武男(さとう たけお、1921年3月31日 - )は、日本の経済学者、東京学芸大学名誉教授、関東学園大学名誉学長。 愛知県名古屋市出身。1942年東京帝国大学経済学部卒、東京学芸大学助教授、教授、1984年定年退官、関東学園大学教授、1994年学長を経て、名誉学長となる。1997年勲三等旭日中綬章受勲。近代経済学が専門。
杉山 忠平(すぎやま ちゅうへい、1921年3月7日 - 1… 杉山 忠平(すぎやま ちゅうへい、1921年3月7日 - 1999年3月21日)は、日本の経済学者。英国経済学史専攻。一橋大学社会科学古典資料センター第2代主任教授、経済学史学会代表幹事、経済資料協議会会長等を歴任。東京経済大学名誉教授、静岡大学名誉教授。日本学士院賞受賞。 静岡県沼津市出身。旧制沼津中学(現静岡県立沼津東高等学校)を経て、東京商科大学(現一橋大学)在学中、学徒出陣で第3師団野戦重砲兵第3連隊入隊。結核で除隊後、1945年に大学を卒業し、沼津の芝浦工作機械(現芝浦機械)入社。吹田順助ゼミ出身。 1947年退社、日本大学専任講師。専門部教授、教養部助教授、静岡大学助教授を経て、一橋大学大学院に内地留学し大塚金之助に師事。
入江節次郎(いりえ せつじろう、1921年2月9日- )は、… 入江節次郎(いりえ せつじろう、1921年2月9日- )は、日本の経済学者、同志社大学名誉教授。 岡山市生まれ。1944年東京帝国大学法学部卒。1980年「帝国主義論への道」で大阪市立大学経済学博士。同志社大学経済学部助教授、教授、92年定年退任、名誉教授。
江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12… 江見 康一(えみ こういち、1921年(大正10年)1月12日 - 2011年12月22日)は日本の経済学者。財政学専攻。生存科学研究所理事長。一橋大学・帝京大学名誉教授。
青木 外志夫(あおき としお、1921年1月8日 - 200… 青木 外志夫(あおき としお、1921年1月8日 - 2006年9月6日 )は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。元経済地理学会会長。 孫はメモリーアスリートの青木健。 滋賀県犬上郡彦根町(現・彦根市)生まれ。旧制・滋賀県立彦根中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)を経て、1941年に旧制・彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)を卒業。同年、旧制・東京商科大学(現・一橋大学)に進学するも、1943年12月、学徒出陣により歩兵第一五一連隊に応召。1944年に半年繰上げで卒業となる。1945年9月に歩兵第四四三連隊より復員し、1949年東京商科大学研究科に特別研究生として入学。1954年に同研究科(5年課程)を修了後、一橋大学経済学部助手、専任講師、助教授を経て、1965年に教授昇任。
岡田 純一(おかだ じゅんいち、1921年1月2日 - 19… 岡田 純一(おかだ じゅんいち、1921年1月2日 - 1988年1月20日)は、日本の経済学者。 東京市小石川区(現東京都文京区)生まれ。1944年早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1966年「経済学における人間像」で関西学院大学経済学博士。白百合短期大学助教授、聖心女子大学助教授、早稲田大学商学部教授を務め、在職中に67歳で死去した。キリスト教に関心が深かった。
永田 正臣(ながた まさおみ、1921年 - 1985年11… 永田 正臣(ながた まさおみ、1921年 - 1985年11月15日)は、日本の経済学者。 早稲田大学政治経済学部卒、1968年「明治期経済団体の研究 日本資本主義の確立と商業会議所」で商学博士。駒澤大学経済学部教授。経済学部学部長。
中鉢 正美(ちゅうばち まさよし、1920年12月30日 -… 中鉢 正美(ちゅうばち まさよし、1920年12月30日 - 2013年7月11日)は、日本の経済学者、経済心理学研究者、慶應義塾大学名誉教授。 「生活」をキーワードに、心理学・生態学の視点を加えて人間の経済行動を学際的に研究し、「生活構造論」の方法を確立する傍ら、行政の各種諮問委員として幅広くフィールドワークを行い、日本の社会政策、社会保障の充実に寄与した。元(財)地域開発研究所所長。第4回今和次郎賞受賞。 (「回想・林試の森」(1995)P.203~205より作成) 趣味は、動物生態・能面鑑賞。 カトリック目黒教会(聖アンセルモ教会)の教会員であり、自身の洗礼名もアンセルモ(アンセルムス)。
古谷 弘(ふるや ひろし、1920年12月9日 - 1957… 古谷 弘(ふるや ひろし、1920年12月9日 - 1957年8月23日)は、日本の経済学者。元・東京大学教授。専門は線型分析。静岡県御殿場生まれ。
和泉 雄三(いずみ ゆうぞう、1920年〈大正9年〉11月1… 和泉 雄三(いずみ ゆうぞう、1920年〈大正9年〉11月13日 - 2001年〈平成13年〉4月25日)は、日本の経済学者。専門は、港湾経済学・交通学。函館大学名誉教授・元函館大学学長。北海道出身。 この他、青函連絡船を守る会会長も務めた(1981年から1988年まで) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
岡 茂男(おか しげお、1920年9月30日 - 1992年… 岡 茂男(おか しげお、1920年9月30日 - 1992年12月14日)は、日本の経済学者。経済学博士(九州大学)。大分県大分郡庄内町(現由布市)出身。 1939年に大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)、1941年に大分高等商業学校を卒業。 1943年、学徒として出陣。翌年、大日本帝国海軍海軍対潜学校卒業。1945年には海軍中尉となるが、終戦で復員。 1946年、九州帝国大学法文学部経済学科を卒業。翌年、九州大学経済学部助手となる。1952年、武蔵大学経済学部専任講師。1953年に同助教授、1958年に教授。1961年、同学生部長。 1966年11月、九州大学にて「戦後日本の関税政策」で経済学博士号を取得。
氏原 正治郎(うじはら しょうじろう、1920年8月2日 -… 氏原 正治郎(うじはら しょうじろう、1920年8月2日 - 1987年8月21日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。愛知県出身。 東京帝国大学経済学部卒。同助手、1949年東京大学社会科学研究所助手、1951年助教授、1962年教授、1968年所長事務取扱、1969-1970年所長、1981年定年退官、名誉教授。雇用促進事業団雇用職業総合研究所長。1987年死去。叙正四位、勲二等瑞宝章追贈。 実態調査によって戦後の労働問題を追究、労使慣行の解明、社会保障や高齢者雇用の政策立案に尽くした。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
小島 清(こじま きよし、1920年5月22日 - 2010… 小島 清(こじま きよし、1920年5月22日 - 2010年1月7日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。専門は国際経済学。 1920年愛知県名古屋市中区流町の困窮小売商・瀬見井家に生まれる。1938年愛知県商業学校(現愛知県立愛知商業高等学校)卒業(首席)。同年小島家の養子となる。1938年名古屋高等商業学校(現名古屋大学)に無試験入学、1941年同卒業、1943年9月東京商科大学(現一橋大学)(赤松要ゼミナール)を繰り上げ卒業、同年同大特別研究生となる。大学附属東亜経済研究所所員時代、江口定条初代如水会理事長が軍需省から大学キャンパスを守るため、キャンパス内に学生などが住めるよう設立した如水寮に居住。
山崎 隆三(やまざき りゅうぞう、1920年4月16日 - … 山崎 隆三(やまざき りゅうぞう、1920年4月16日 - 2011年3月10日)は、日本の農業経済学者。経済学博士(大阪市立大学・論文博士・1962年)。大阪市立大学名誉教授。孫はフリーアナウンサーの伊東紗冶子。 大阪市出身。1942年大阪商科大学卒。兵役ののち、大阪商大事件で拘束。1946年大阪商大助手。1949年大阪市立大学経済学部助教授。1962年教授。同年「地主制成立期の農業構造」で大阪市立大学より経済学博士の学位を取得。1982年定年退官、名誉教授。名城大学商学部教授。1993年退職、名誉教授。
杉原 四郎(すぎはら しろう、1920年(大正9年)3月30… 杉原 四郎(すぎはら しろう、1920年(大正9年)3月30日 - 2009年(平成21年)7月24日)は、日本の経済学者・思想史家。専攻は経済学史・社会思想史・経済思想史。甲南大学・関西大学名誉教授。 京都市で生まれる。1929年第三高等学校を卒業し、京都帝国大学経済学部に進学。柴田敬のゼミナールで学んだ。1941年に学士試験に合格し、翌年卒業。 1942年から京都帝国大学経済学部助手を務めた。1950年に退官し、関西大学経済学部教授に転じた。在任中は同学部長も務めた。1956年、学位論文『ミルとマルクス:現代経済思想の二大源流に関する比較研究』を関西大学に提出して経済学博士号を取得。1970年に関西大学を退職し、名誉教授となった。
井野 隆一(いの りゅういち、1920年3月30日 - 20… 井野 隆一(いの りゅういち、1920年3月30日 - 2001年7月1日)は、日本の農業経済学者、マルクス主義者、日本共産党員。 東京府豊多摩郡生まれ。父は井野碩哉。1942年東京帝国大学経済学部卒、農林省に入り応召。1946年日本農業研究所勤務、日本共産党に入る。1958年東京経済大学専任講師、1961年助教授、1965年教授。1973年退職、日本農業研究所に戻る。農民運動全国連合会顧問。野呂栄太郎賞を二度受賞した。墓所は多磨霊園。
柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本… 柴田 裕(しばた ひろし、1920年3月1日 - )は、日本の経済学者。 山形県酒田市出身。1942年東京商科大学(現一橋大学)卒。1969年「多数国貿易の理論」で大阪市立大学経済学博士。富山大学経済学部助手、講師、助教授、教授。大阪市立大学教授、84年定年退官、名古屋学院大学教授、日本大学国際関係学部教授。
矢島 保男(やじま やすお、1920年2月21日 - 200… 矢島 保男(やじま やすお、1920年2月21日 - 2008年10月15日)は、日本の経済学者。 東京出身。早稲田大学商学部卒、1964年「消費者金融論」で商学博士。早大商学部助教授、教授。1990年定年となり、名誉教授。割賦販売審議会会長を務めた。銀行・金融などが専門。
後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10… 後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10月12日)は、日本の経済学者・経済思想史研究家。 神戸市生まれ。兵庫県第二神戸中学校(「神戸二中」、現在の兵庫県立兵庫高等学校)卒業。兵庫県立神戸高等商業学校(のちの神戸商科大学、現在の兵庫県立大学)を経て神戸大学卒業。指導教官は福田徳三門下の宮田喜代蔵。近畿大学商経学部元教授。思想の科学研究会会員。 マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるカルヴァン派に相当するものが、日本における浄土真宗であると考え、『真宗と資本主義』(所書店、1973年)を著した。また恩師と同じ福田門下である大熊信行の着想を展開させた『配分の経済学』(同文館出版、1977年)を出版した。
上岡 一嘉(かみおか かずよし、1919年12月28日- 1… 上岡 一嘉(かみおか かずよし、1919年12月28日- 1991年3月6日)は、日本の経済学者。専門はマーケティング。学校法人足利学園および白鷗大学の経営者。 栃木県足利市出身。父上岡長四郎、母上岡た津は足利学園の創設者だった。 1938年、県立足利中学校卒業。1943年、早稲田大学商学部卒業、足利学園高等学校に勤務。1948年1月、GHQ民間情報局勤務。1949年5月、東京都庁経済局勤務。1954年10月、法政大学経済学部および経営学部講師。1956年4月、青山学院大学経済学部講師、1963年同教授。1967年、大阪学院大学教授。1976年2月、足利学園理事長に就任。1976年白鷗女子短期大学2代目学長。
大崎 平八郎(おおさき へいはちろう、1919年12月15日… 大崎 平八郎(おおさき へいはちろう、1919年12月15日 - 2005年4月5日)は、日本の経済学者。横浜国立大学名誉教授。 1919年、福岡県飯塚市生まれ。横浜高等商業学校(現横浜国立大学)を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。しかし太平洋戦争のため1942年9月に同大学を繰上げ卒業となり、入隊。機関砲中隊に配属されるが、病気のため現役免除となり、満鉄調査部に勤務。 戦後、横浜国立大学経済学部助教授となる。後に教授に昇進。1973年経済学部長。1985年に横浜国立大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は関東学院大学教授、神奈川大学教授として教鞭をとった。ユーラシア研究所名誉顧問。
儀我 壮一郎(ぎが そういちろう、1919年12月7日 - … 儀我 壮一郎(ぎが そういちろう、1919年12月7日 - 2009年12月8日)は、日本の経済学者。商学博士(大阪市立大学・論文博士・1970年)(学位論文「中国社会主義企業の研究」)。大阪市立大学名誉教授。 陸軍軍人・儀我誠也の長男。東京帝国大学経済学部卒。大阪市立大学助教授、教授、1970年「中国社会主義企業の研究」で商学博士(大阪市立大学)の学位を取得。1983年定年退官、専修大学教授。1990年常葉学園浜松大学教授。1996年退職。張学良と交友があった。 2009年12月8日没、墓所は東京都港区の高徳寺。
宮崎 義一(みやざき よしかず、1919年12月5日 - 1… 宮崎 義一(みやざき よしかず、1919年12月5日 - 1998年5月20日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。第6代京都大学経済研究所所長。日本学術会議第14期会員。日本学士院会員。経済政策に通じ、日本経済の分析を行った。 東京商科大学 (旧制)(現一橋大学)で杉本栄一・都留重人らの指導を受けた。大学卒業後、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1946年12月横浜高等商業学校(現横浜国立大学)に就職。 大学卒業後もたびたび日曜日朝から杉本の家で開かれるゼミに出席し、伊東光晴(京都大学名誉教授)、浅野栄一(中央大学名誉教授)、宮崎犀一(元東京女子大学教授)と、当時ゼミ生だった宮川公男(一橋大学名誉教授)、玉井龍象(金沢大学名誉教授)、近藤鉄雄(大蔵官僚、元労働大臣)らの指導にあたった。
桃野作次郎(ももの さくじろう、1919年11月20日 - … 桃野作次郎(ももの さくじろう、1919年11月20日 - 2014年9月26日)は、日本の農学者、農業経済学者、元技官官僚。学位は、農学博士(北海道大学)。専門は、テンサイ農業の経営および経済活動についての研究。北海道大学名誉教授。元北海学園北見大学学長・北海学園北見短期大学学長。渡邊侃門下。弟子は大谷俊昭。北海道生まれ。
李 廷煥(イ・ジョンファン、朝鮮語: 이정환、1919年11… 李 廷煥(イ・ジョンファン、朝鮮語: 이정환、1919年11月13日 - 2008年8月13日)は、大韓民国の経済学者、銀行家、実業家、政治家。 本貫は星州李氏(朝鮮語版)[要出典]。日本名星山 正雄。延世大学校教授などを経て、韓国銀行総裁や、大韓民国財務部長官、韓国産業銀行総裁、錦湖石油化学会長等を歴任した。金塔産業勲章受章。 慶尚南道東萊郡(のちの釜山広域市)出身。東萊中学校(のちの東萊高等学校(朝鮮語版))を経て、1941年東京商科大学(のちの一橋大学)予科修了。1944年同大学卒業。 釜山大学校教授、延世大学校教授を経て、1961年大韓民国財務部長官顧問。1962年農業協同組合中央会会長。
木下 和夫(きのした かずお、1919年〈大正8年〉11月7… 木下 和夫(きのした かずお、1919年〈大正8年〉11月7日 - 1999年〈平成11年〉2月13日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。財政政策、国民所得などの研究で知られる。位階は正四位。 福岡県大牟田市生まれ、八女市出身。1942年京都帝国大学経済学部卒。1958年「租税の経済理論」で関西学院大学経済学博士。 1948年大阪帝国大学経済学部助教授、1954年大阪大学教授。同大財政研究所長、経済学部長、1983年定年退官、名誉教授。1983年紫綬褒章、1990年前島賞、勲二等瑞宝章受勲。地方財政審議会会長など各種審議会の委員を務めた。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
篠原 三代平(しのはら みよへい、1919年10月26日 -… 篠原 三代平(しのはら みよへい、1919年10月26日 - 2012年12月7日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。専門は経済理論。位階は従三位。勲二等瑞宝章受章、紫綬褒章受章、文化功労者、文化勲章受章、日本学士院賞受賞。 富山県高岡市末広町に雑貨商の家に長男として生まれた。父は雑貨店篠原商店を経営し、母は明治の女性としては珍しく女学校を銀時計を受領し卒業し、篠原商店の経営を助けた。 高岡商業学校卒業後は高岡高等商業学校に進学した。大熊信行の講義を、大熊の著書『マルクスのロビンソン物語』や『経済本質論』を読み返しながら、熱心に聴講したが、卒業論文「経済構造と金融:理論経済学と金融理論」の指導教官は長尾義三(金融論・景気論・銀行論)であった。
城島 國弘(じょうじま くにひろ、1919年8月4日 - … 城島 國弘(じょうじま くにひろ、1919年8月4日 - 2001年3月9日)は、日本の経済学者。名古屋大学名誉教授。元四日市大学学長。 満州国大連市生まれ。大連第二中学校を経て、1942年第二高等学校文科乙類卒業。1945年に東京帝国大学経済学部経済学科卒業後、大蔵省入省。1950年名古屋大学経済学部助教授。1964年名古屋大学経済学部教授。1968年名古屋大学経済学部長。1975年名古屋大学経済学博士。退官後、中部工業大学教授、四日市大学学長。1995年勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
長洲 一二(ながす かずじ、1919年7月28日 - 199… 長洲 一二(ながす かずじ、1919年7月28日 - 1999年5月4日)は、日本の政治家、経済学者。専門はマルクス経済学。 神奈川県知事(民選第8・9・10・11・12代)、地方分権推進委員会委員、神奈川県国際交流協会会長、かながわ学術研究交流財団理事長、湘南国際村協会社長などを歴任した。位階勲章は従三位勲一等瑞宝章。 東京府東京市神田区(現在の東京都千代田区神田)出身。安田商業学校(現:安田学園中学校・高等学校)を卒業後、1937年に日本銀行入行、1939年に退職し、1941年に横浜高等商業学校(現:横浜国立大学)を卒業する。1944年には東京商科大学(現:一橋大学)を卒業。マルクス主義やアダム・スミスが専門の高島善哉ゼミナール出身。
小松 雅雄(こまつ まさお、1919年7月11日 - 201… 小松 雅雄(こまつ まさお、1919年7月11日 - 2010年10月16日)は、日本の経済学者。専門は、経済政策。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1945年早稲田大学政治経済学部卒業。1949年同大学院修了。同大学助手、政治経済学部助教授を経て、1955年教授、1978年学部長。麗澤大学初代国際経済学部(現・経済学部)長、同大学名誉教授。民主社会主義研究会議第4代議長(1983~1994)、日本経済政策学会名誉会員、学校法人廣池学園顧問、サンリツ服部美術館理事、諏訪郷友会評議員・長善館館長などを務めた。晩年は、郷里近くの長野県茅野市で過ごした。1997年勲三等旭日中綬章受勲。
百々 和(どど かず、1919年7月5日 - 2011年2月… 百々 和(どど かず、1919年7月5日 - 2011年2月18日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。 兵庫県武庫郡須磨町(現神戸市須磨区)出身。1943年満州建国大学卒。入営し、敗戦後残留日本軍として中国共産党軍と戦い(中国山西省日本軍残留問題)、1949年中華人民共和国に抑留され、1956年帰国、神戸大学経済学部大学院に入り、1962年博士課程満期退学。1960年龍谷大学助手、1964年神戸大学教養部講師、1964年助教授、1970年神戸大学より経済学博士の学位を取得、1972年教授となり、1983年定年退官、名誉教授となり、神戸学院大学教授、広島経済大学教授を務め、1996年退職。中国での体験をめぐり「蟻の兵隊」にも出演している。
名東 孝二(なとう たかつぐ、1919年6月26日 - 20… 名東 孝二(なとう たかつぐ、1919年6月26日 - 2002年1月8日)は、日本の経済学者。 福岡県出身。神戸商業大学(現・神戸大学)卒。彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)講師、広島大学経済学部講師、助教授、1961年教授。1982年定年退官、名誉教授、日本大学経済学部教授、1974年「資金流通分析の基礎理論」で日大経済学博士。1990年東京国際大学教授、九州保健福祉大学学長。産業総論、経営学、財政学、税制論、地下経済などを研究し、生活者経済学を提唱した。
久保 芳和(くぼ よしかず、1919年6月7日 - 2013… 久保 芳和(くぼ よしかず、1919年6月7日 - 2013年8月28日)は、日本の経済学者、関西学院大学名誉教授。 奈良県生まれ。1943年大阪商科大学卒。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入校。1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官し、第101燃料廠付となる。同年4月、同廠採油部付となりサンガサンガ島に赴任。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。1946年6月、予備役に編入され解員(復員)。 1946年7月同大学副手、のち助手、講師、1951年関西学院大学助教授、1956年教授、1960年「アメリカ経済学史研究 「アメリカ体制」派経済学の生成と発展」で関西学院大学経済学博士。
渡辺 源次郎(わたなべ げんじろう、1919年5月28日 -… 渡辺 源次郎(わたなべ げんじろう、1919年5月28日 - 2008年9月17日)は日本の経済学者。専門は経済史。福島大学学長などを経て、同大学名誉教授。 1919年、福島県二本松市生まれ、安達中学校を経て、福島高等商業学校に進学、1941年に卒業、東京商科大学に進む。卒業後、東芝に入社したが、1949年、恩師小林昇に請われて、母校福島大学経済学部にもどる。以後、短期大学部主事、図書館長、学生部長、経済学部長を歴任、母校の発展に尽力する。 1976年から2期5年間、福島大学学長に就任、福島大学の統合整備計画を進め、金谷川キャンパスへの統合移転を実現させた。研究者としては、イギリス重商主義経済学研究の第一人者として活動した。
内海 洋一(うつみ よういち、1919年4月24日 - 20… 内海 洋一(うつみ よういち、1919年4月24日 - 2009年5月5日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。 1919年、兵庫県生まれ。京都帝国大学経済学部を卒業。 大阪大学経済学部助教授となり、後に教授昇進。1962年に大阪大学にて経済学博士号を取得。1982年に大阪大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は大阪学院大学教授として教鞭をとり、1995年に退職した。 学界では、1988年~1990年、1992年~1994年の2期にわたって経済社会学会会長を務めた。また、「憂国忌」発起人にも加わった。
三潴 信邦(みつま のぶくに、1919年4月4日 - 201… 三潴 信邦(みつま のぶくに、1919年4月4日 - 2010年10月2日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(東北大学・論文博士・1984年)(学位論文「経済統計分類論」)。筑波大学名誉教授。父は法学者で東京帝国大学法学部教授を務めた三潴信三。兄は法学者の三潴信吾。 義兄(姉の夫)は法学者の山田晟。 東京市麻布区生まれ。1943年東北帝国大学法文学部経済科卒。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 解員(復員)し、1946年東北帝国大学助手、1947年内閣府統計委員会事務局、1949年東京教育大学助教授、1960年教授、1974年筑波大学教授、1983年定年退官、名誉教授、城西大学経済学部教授、1990年退職し招聘教授。
塚谷 晃弘(つかたに あきひろ、1919年〈大正8年〉3月1… 塚谷 晃弘(つかたに あきひろ、1919年〈大正8年〉3月16日 - 1995年〈平成7年〉10月13日)は、日本の経済学者・作曲家。経済学博士。國學院大學名誉教授。戸籍名、塚谷博通。 東京府本郷区湯島にて、鉄道照明機工場経営者の長男として生まれる。豊島師範附属小学校(現在の東京学芸大学附属小金井小学校)から武蔵高等学校 (旧制)尋常科・同高等科文科甲類を1937年に卒業。この間、14歳のとき母からピアノの手ほどきを受け、16歳で塚谷留太(国立音楽大学講師)からヴァイオリンを習い、旧制高校在学中から鯨井孝に師事、声楽を約2年間習う。 1938年、東京帝国大学経済学部入学。東大時代は同校の管弦楽団で1年間コントラバスを演奏。