伊藤 博(いとう はく、1925年〈大正14年〉7月1日 -… 伊藤 博(いとう はく、1925年〈大正14年〉7月1日 - 2003年〈平成15年〉10月6日)は、日本の文学者(万葉学者)。筑波大学名誉教授。伊藤益(筑波大学名誉教授)は息子。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)出身。1952年(昭和27年)京都大学文学部文学科卒業。斎藤茂吉の『萬葉秀歌』の影響により万葉集研究を志す。京都大学在学中、澤瀉久孝の下で『万葉集』などの上代文学を学ぶ。 専修大学助教授、筑波大学教授、共立女子大学学長等を歴任。その他には萬葉学会代表も務めた。 伊藤は、一首ごとに注釈を付けるという万葉研究の伝統的な研究手法に疑問を抱いており、万葉集は複数の歌からなる歌群によって構成され、全体で一つの物語となると考えていた。
黒柳 恒男(くろやなぎ つねお、1925年6月2日 - 20… 黒柳 恒男(くろやなぎ つねお、1925年6月2日 - 2014年8月30日)は、日本のペルシャ語学者・ペルシャ文学者、翻訳家。日本国におけるペルシア語・ペルシア文学研究の礎を築き、普及に努めた。アラビア語・ペルシア語・ウルドゥー語の辞書を編纂した。 東京外事専門学校卒。東京外国語大学助教授、教授、1989年定年退官、名誉教授、大東文化大学教授。
根岸 謙之助(ねぎし けんのすけ、1925年〈大正14年〉6… 根岸 謙之助(ねぎし けんのすけ、1925年〈大正14年〉6月1日 - 1995年〈平成7年〉3月15日)は、日本の国文学者・民俗学者。 群馬県利根郡糸之瀬村(現・昭和村)出身。旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)を経て、國學院大學文学部を卒業。折口信夫に師事する。 群馬県立前橋工業高等学校教諭、群馬県立高崎工業高等学校教諭、群馬県立前橋高等学校教諭をへて、群馬大学医療技術短期大学部教授。 1991年に定年退官、名誉教授、上武大学教授。 1991年に『医療民俗論』で柳田賞受賞。1992年に「医療民俗学論」で國學院大學民俗学博士となる。群馬県史編纂調査委員、群馬県文学賞選考委員も務めた。日本民俗学会会員。
高田 淳(たかた あつし、1925年5月28日 - 2010… 高田 淳(たかた あつし、1925年5月28日 - 2010年4月9日)は、日本の中国文学者・中国思想学者。学習院大学名誉教授。 1925年、朝鮮京城に生まれる。父は大分県出身で中国思想学者の高田眞治、母方の祖父は英文学者の皆川正禧。1945年、第一高等学校休学中に入営、満州で敗戦を迎え、1947年、帰国。1952年、東京大学中国文学科を卒業し、同大大学院へ進学するも中退。1953年、大倉山学院給費生。 1955年、学習院高等科国語講師。1957年、学習院高等科国語教諭。1964年より東京女子大学専任講師、助教授。1972年より東京大学文学部中国文学科助教授、1974年、東京大学文学部中国文学科を退職し学習院大学文学部史学科教授となり、1996年に定年退職。
水原 一(みずはら はじめ、1925年〈大正14年〉4月30… 水原 一(みずはら はじめ、1925年〈大正14年〉4月30日 - 2008年〈平成20年〉10月26日)は、日本の国文学者。専門は中世文学、特に『平家物語』などの軍記物語。駒澤大学名誉教授。 東京生まれ。駒澤大学大学院修了、同教授、1997年退職、二松学舎大学教授。 1980年『延慶本平家物語論考』により角川源義賞受賞。
小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日… 小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日 - )は、日本のフランス文学者。 福島県福島市生まれ。1956年東京教育大学卒、58年同大学院修士課程修了、1966年同助教授、1977年筑波大学助教授、大妻女子大学短期大学部教授。
保昌 正夫(ほしょう まさお、1925年3月26日 - 20… 保昌 正夫(ほしょう まさお、1925年3月26日 - 2002年11月20日)は、日本の国文学者・文芸評論家。専門は近代文学。武蔵野美術大学教授・相模女子大学教授・立正大学文学部教授を歴任。 東京出身。早稲田大学高等師範部卒。早稲田高等学院教諭、早稲田大学講師をしながら同人誌『銅鑼』などに評論を発表。横光利一を中心に、牧野信一や結城信一など昭和文学を研究し、『定本横光利一全集』の編集校訂にあたる。日本近代文学館の設立にも関与。1968年武蔵野美術大学助教授、教授、1979年相模女子大学教授、1989年立正大学文学部教授、1995年退職。
工藤 幸雄(くどう ゆきお、1925年3月20日 - 200… 工藤 幸雄(くどう ゆきお、1925年3月20日 - 2008年7月5日)は、日本の詩人、ロシア・ポーランド文学者、翻訳家。元多摩美術大学教授。別筆名に仲谷鴻介(なかや こうすけ)、篠 ひろ子。 大連にて南満州鉄道社員の家庭に生まれる。旧制中学校卒業後、第一高等学校受験に3度失敗し、1944年善隣外事専門学校露西亜科に入学。その後城北補習学校を経て、1946年9月、第一高等学校文科甲類三組に入学し、1952年頃東京大学仏文科卒。 1954年共同通信社外信部に入り13年勤め、その間ロシア、ポーランドの文学を翻訳する。1967年ワルシャワ大学に日本語講師として赴任、7年間滞在し、1975年帰国。翌年多摩美術大学教授となるが、その前には、ブレイクリー・セント・ジェイムズ『女友だち』(フランス書院、1978年)などのポルノ小説を篠 ひろ子の変名で訳し、糊口を凌いだという。
小尾 信彌(おび しんや、1925年3月17日 - 2014… 小尾 信彌(おび しんや、1925年3月17日 - 2014年9月28日)は、日本の天文学者(天体物理学)。理学博士(1956年)。東京大学名誉教授。 東京府(現・東京都)出身。萩原雄祐の弟子だが、同じく萩原門下で小尾の兄弟子にあたる畑中武夫にも師事した。 本郷区立誠之小学校、成城高等学校 (旧制)卒業。東京帝国大学理学部天文学科卒業後、技官として東京天文台(現・国立天文台)で活動していた事からも分かるように戦後の東京天文台における観測装置復旧の最初期の技術者でもあった。そのことから萩原雄祐から習った天体物理学のみならず畑中武夫の観測装置開発手法を学んだ。どちらかと云えば研究者としてより教育者として知られ、そのため多くの啓蒙書を翻訳または著述し多くの天文家に親しまれている研究者でもある。
稲田 三吉(いなだ さんきち、1925年3月17日 - 20… 稲田 三吉(いなだ さんきち、1925年3月17日 - 2013年8月3日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学仏文科卒。早稲田大学教育学部助教授、教授。1985年、「アラゴンにおけるリアリズム観の変遷について」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。1992年、退任、名誉教授。 主としてシュールレアリスムを研究、ほか翻訳も数多い。
蜷川 譲(にながわ ゆずる、1925年3月9日 - 2014… 蜷川 譲(にながわ ゆずる、1925年3月9日 - 2014年7月9日)はフランス文学者、比較文学者、ロマン・ロラン研究家。 本籍は愛知県一宮市。台湾台北州基隆市に生まれる。愛知東海中学校卒。1948年早稲田大学政経学部卒業、同文学部大学院にて現代フランス文学を専攻。1954年渡欧、1957年帰国までパリ大学ソルボンヌにおいて学ぶ。日本福祉大学教授、早稲田大学講師などを務めた。1951年に兵藤正之助、金井光太郎らと日本ロマン・ロラン協会を創立。昭和30年代からは窪村らの参加を得て、東京の新宿(初期は毎月)、水道橋労音(年3回)、五反田(年2回)、吉祥寺(晩年は年2回)で、449回にわたり「ロマン・ロラン研究会」を主催した。
木村 浩(きむら ひろし、1925年3月8日 - 1992年… 木村 浩(きむら ひろし、1925年3月8日 - 1992年10月30日)は、日本のロシア文学者。筆名は、北野純、北見一郎。 東京府(現・東京都)生まれ。1945年、東京外事専門学校(現・東京外国語大学)露語科卒業。1950年から1953年まで旺文社勤務の後、1957年から1967年にかけて法政大学、横浜市立大学(1961年度 - 1966年度)、東京大学などで講師を歴任した。一方、ロシアの小説作品を数多く訳し、特にアレクサンドル・ソルジェニーツィンの翻訳で知られ、本人と交流があり、ソルジェニーツィンの国外追放などソ連の模様もレポートした。『ロシア文学の周辺』など著書も多く、流ちょうな随筆風の語り口に特色がみられる。
岡崎 晋(おかざき すすむ、1925年3月8日 - )は、日… 岡崎 晋(おかざき すすむ、1925年3月8日 - )は、日本の北欧文学者、東海大学名誉教授。 島根県益田市出身。1945年陸軍特別幹部候補生水上特攻隊除隊、1949年京都府農林専門学校農学科卒業、1951年早稲田大学文学部卒業、54年同大学院修士課程修了。55-59年デンマークのコペンハーゲン大学およびアイスランド大学で一般言語学、デンマーク語、アイスランド語を学ぶ。1967年東海大学文学部北欧文学科専任講師となり、助教授、教授。95年定年退職、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
森 乾(もり けん、1925年3月1日 - 2000年5月3… 森 乾(もり けん、1925年3月1日 - 2000年5月30日)は、日本のフランス文学者。早稲田大学名誉教授。金子光晴、森三千代の息子として東京に生まれる。1952年、早稲田大学仏文科卒業。1954年、同大学院修士課程修了、パリ大学に留学、比較文学を学ぶ。1956年、帰国、1958年、早大博士課程中退。早大社会科学部助教授、教授。1995年、定年退任、名誉教授。
加藤 二郎(かとう じろう、1925年2月26日 - 201… 加藤 二郎(かとう じろう、1925年2月26日 - 2015年3月3日)は、ドイツ文学者、一橋大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1951年東京帝国大学文学部独文科卒業。53年同大学院中退、54年明治学院大学講師、1961年電気通信大学助教授、1967年一橋大学社会学部助教授、70年教授、1988年定年退官、名誉教授、神奈川大学教授。95年退職。ロベルト・ムージルが専門で『特性のない男』を全訳した。叙従四位。
森 淳司(もり あつし、1925年2月18日 - )は、日本… 森 淳司(もり あつし、1925年2月18日 - )は、日本の国文学者。学位は、文学博士(日本大学・論文博士・1978年)。日本大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1948年日本大学法文学部国文科卒業。日本大学文理学部助教授、教授、1978年「柿本朝臣人麻呂歌集の研究」で、文学博士の学位を日本大学より取得。95年定年退任、名誉教授。
冨田 弘一郎(とみた こういちろう、1925年2月16日 -… 冨田 弘一郎(とみた こういちろう、1925年2月16日 - 2006年5月22日)は、日本の天文学者。本格的なプロフェッショナルの天体観測を公共の天文台で職業として行なった草分け的な日本人の一人である。 東京府(現・東京都)出身。小惑星を多数発見し、2009年までにそのうち9個が番号登録され、7個が命名されている。 小惑星 (2391) 冨田は彼にちなんで命名された。
君島 久子(きみしま ひさこ、1925年2月15日 - 20… 君島 久子(きみしま ひさこ、1925年2月15日 - 2023年6月8日)は、日本の中国文学者・民族学者。国立民族学博物館名誉教授、聖徳学園岐阜教育大学名誉教授。 栃木県出身。慶應義塾大学文学部卒業。旧・東京都立大学大学院修士課程修了。国立民族学博物館教授を務め、1990年に定年退任し名誉教授、聖徳学園岐阜教育大学・岐阜聖徳学園大学教授。中国中央民族大学および雲南大学名誉教授。 中国児童文学研究会代表として『西遊記』『王さまと九人のきょうだい』など、多くの中国の昔話・民話の翻訳・研究著書を刊行している。
武部 利男(たけべ としお、1925年2月11日 - 198… 武部 利男(たけべ としお、1925年2月11日 - 1981年2月22日)は、日本の古典中国文学者、漢文学者。 大阪市出身。京都大学文学部中国文学科卒、奈良女子大学助教授、福井大学教育学部教授、立命館大学文学部教授。在職中に56歳で死去。『Viking』同人。
濱口 博章(浜口博章、はまぐち ひろあき、1925年2月10… 濱口 博章(浜口博章、はまぐち ひろあき、1925年2月10日 - )は、日本の国文学者。甲南大学・姫路獨協大学名誉教授。 兵庫県尼崎市生まれ。甲陽中学校を経て、1948年京都帝国大学文学部国文学科卒業。1956年同大学院退学。甲南大学講師、助教授、教授、1989年名誉教授、姫路獨協大学教授、1996年名誉教授。
安井久善(やすい ひさよし、1925年1月24日 - 200… 安井久善(やすい ひさよし、1925年1月24日 - 2001年7月14日)は、日本の国文学者、軍事史学者、日本大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1944年4月、陸軍士官学校を卒業し(第57期)、陸軍中尉で終戦を迎える。1949年3月、日本大学法文学部国文科卒業。1951年4月、同大学院(旧制)終了し、1952年1月、宮内庁書陵部に入る。 1952年9月、保安隊に入る。1954年7月、陸上自衛隊発足とともに陸上自衛官。1960年、防衛大学校陸上防衞学助教授。この時代に軍事史の著作、論考を著しはじめる。 1965年日本大学商学部助教授、1970年教授、1976年「藤原光俊の研究」で日大文学博士。
今村 与志雄(いまむら よしお、1925年1月15日 - 2… 今村 与志雄(いまむら よしお、1925年1月15日 - 2007年1月22日)は、日本の中国文学者。 1925年、東京生まれ。1943年、東京府立第六中学校(現・都立新宿高等学校)を卒業し、東京大学文学部中国文学科で学んだ。 旧・東京都立大学助教授を務めたが、学園紛争に際し辞職。学界では、中国社会文化学会会員であった。 古典から近現代まで中国文学全般に通じ、魯迅研究を専門にした。古典作品(伝奇小説)も訳している。
中野 孝次(なかの こうじ、1925年〈大正14年〉1月1日… 中野 孝次(なかの こうじ、1925年〈大正14年〉1月1日 - 2004年〈平成16年〉7月16日)は、日本の小説家、ドイツ文学者、評論家。元國學院大學教授。 東大独文科卒。近代化と自己を冷静に分析したエッセイ『ブリューゲルへの旅』(1976年)、自伝小説『麦熟るる日に』(1978年)、愛犬の思い出を綴った『ハラスのいた日々』(1987年)で認められ幅広く活躍する。ほかに『清貧の思想』(1992年)など。 千葉県市川市の大工の子として生まれ、独学で旧制高校に進み、第二次大戦出兵を経て、東京大学独文科を卒業。1952年から28年間、国学院大学で教鞭を執る傍ら、フランツ・カフカ、ギュンター・グラスなど現代ドイツ文学の翻訳紹介に努めた。
関口直甫(せきぐち なおすけ、 1925年-2020年)は、… 関口直甫(せきぐち なおすけ、 1925年-2020年)は、日本の天文学者。 1925年東京生まれ。1948年東京大学理学部天文学科卒業、東京天文台(現在の国立天文台)に入台。学位論文「地球の外套部と核との間の強い結合について」で理学博士(東京大学)。その後、東京大学教授に昇任し、1986年定年退官。 専門は地球自転の運動理論で、極運動に関する多数の論文を書いた。また、月のクレータや、月食の暗さと色に関する研究も行った。天文学に関する一般向けの著書と教科書も多い。多数の銅鐸について、それら上部にうがたれた4つの小孔の向きを調べ、銅鐸は春分の日を知るための天文観測装置であるとする説を唱えた。2020年死去
高村 智(たかむら さとる、1925年 - 1998年)は、… 高村 智(たかむら さとる、1925年 - 1998年)は、日本のフランス文学者。東京都立大学教授。 1925年(大正14年)、東京生まれ。東京外国語学校(現 東京外国語大学)仏語科、早稲田大学仏文科卒業。のち東京都立大学教授に就任。 1953年(昭和28年)、宮城県気仙沼市出身の詩人、梶原しげよと結婚。 フランスの詩人、ポール・エリュアールやピエール・ルヴェルディ著書の翻訳を主に行い、またジュール・シュペルヴィエルの研究をした。 1998年(平成10年)に逝去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
加藤 道理(かとう みちただ、1925年 - 2014年11… 加藤 道理(かとう みちただ、1925年 - 2014年11月21日)は、漢文学者、桜美林大学名誉教授。 東京生まれ。1950年東京大学文学部中国哲学科卒業。東京都立高校の国語科教諭、都立高校校長を三校歴任、全国高等学校長協会会長。東京都立小石川高等学校校長を1987年定年後、桜美林大学中国語中国文学科助教授、教授。96年名誉教授。(財)湯島聖堂斯文会・漢字文化振興会常務理事。
多田 道太郎(ただ みちたろう、1924年12月2日 - 2… 多田 道太郎(ただ みちたろう、1924年12月2日 - 2007年12月2日)は、日本のフランス文学者・評論家。京都大学名誉教授。 1924年、京都府京都市で生まれた。京都大学文学部文学科に入学し、フランス語学フランス文学専攻で学び、1949年3月に卒業。 同1949年12月、京都大学人文科学研究所助手に採用された。1957年に同研究所講師、1965年8月に同研究所助教授に昇進。1976年6月には同研究所教授となり、西洋思想研究部門に所属した。1976年には、桑原武夫、鶴見俊輔、井上俊、津金沢聡広らと「現代風俗研究会」を創設し、のちに第2代会長を務めた(初代会長は桑原)。1988年3月に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。
高原 宏平(たかはら こうへい、1924年12月 - 200… 高原 宏平(たかはら こうへい、1924年12月 - 2006年3月)は、日本のドイツ文学者。ローザ・ルクセンブルクやヴァルター・ベンヤミン、エルンスト・ブロッホ、ヨハネス・R・ベッヒャーの翻訳者。同志社大学名誉教授。関西国民文化会議・対外文化連絡部〈ドイツ・グループ〉や新日本文学会、活動家集団思想運動で活動した。 東京都目黒区生まれ。第二次世界大戦中には、東京大学農学部農業経済学科で東畑精一に師事しながら、高津正道らの集まりに参加していた。後年、武井昭夫は、吉本隆明の「自分たちの世代の学生・生徒は左翼思想の影響を受けることがまったくできなかった」という主張を批判する際に、吉本と同い年である高原宏平の戦時下における学生生活に触れて、「吉本さんと同年配ないしもっと若い人たちで戦中から左翼だった人はいるわけです」と証言していた。
難波 喜造(なんば きぞう、1924年11月30日 - 20… 難波 喜造(なんば きぞう、1924年11月30日 - 2005年10月14日)は、日本の教育学者、国文学者。元神戸大学、早稲田大学教授で日本文学協会創立メンバー。専門は国語教育学。 大阪府出身。天王寺中学校(現天王寺高校)卒業後、高知高等学校(現高知大学)理学部に入学し、文学部に編入・卒業した。卒業後、東京帝国大学(現東京大学)文学部に入学・卒業し、同大学院に進学・満期退学後は都立高校国語科教諭として、東京都立赤城台高等学校、東京都立大学附属高等学校へ赴任した その後、奈良教育大学助教授・同教授を務め、教授時には奈良教育大学附属小学校長を併任した。神戸大学教育学部教授、佛教大学文学部教授を歴任後、早稲田大学大学院客員教授となり国語教育学を講じた。
大橋 吉之輔(おおはし きちのすけ、1924年11月27日 … 大橋 吉之輔(おおはし きちのすけ、1924年11月27日 - 1993年11月2日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 1937年に広島高師附属中学校に入学、いわゆる「四修」で四年で卒業し、1941年に旧制広島高校に進学。1943年に東京帝国大学に入学した。1945年、召集を受けて朝鮮に派兵されるが間もなく終戦となり、戦後八か月ほど同地に滞在した後、1946年に帰国。1948年3月に東京帝大文学部英文科を卒業する。学生時代は慶應義塾とは一切関わりがなかった。東大では、中野好夫に師事した。卒業論文でシャーウッド・アンダスン論を書こうとしたが、そのための資料が東大の図書館にはほとんどなく、早稲田大学の龍口直太郎教授が作品を所蔵していることを聞きつけ、直談判し資料の貸し出しに成功した。
奥井 潔(おくい きよし、1924年11月10日 - 200… 奥井 潔(おくい きよし、1924年11月10日 - 2000年12月16日)は、日本の英文学者・英語教師。東洋大学名誉教授。駿台予備学校英語科講師。 1924年台湾生まれ。1943年学徒出陣。チモール島へ出征。海軍に所属し、回天要員の生き残りと自ら語っていた。復員後、東京大学文学部英文科にて中野好夫の指導を受け、1952年卒業。1954年から半世紀近くにわたって駿台で教鞭をとり続けた。文学的な文章の読解を得意としており、その講義はしばしば受験用の英文解釈の域を超えて、人生論・道徳論などに及び、多感な年齢の受験生への啓蒙的役割を果たした。駿台で授業を受けた四方田犬彦によれば、「旧制高校の教授はかくや」という独特の雰囲気を持ち、効率一点主義の講師陣の中にあって異彩を放っていたという。
高木 久雄(たかぎ ひさお、1924年10月14日 - 20… 高木 久雄(たかぎ ひさお、1924年10月14日 - 2014年8月31日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授、京都外国語大学元学長。近代ドイツ文学専攻。 長野県岡谷市生まれ。長野県立諏訪中学校(現:長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、一高を経て、1951年京都大学文学部卒、西京大学助教授、京都大学教養部助教授、1971年教授、1988年定年退官、名誉教授、京都外国語大学教授、1992年から1998年まで同大学及び短期大学学長、2000年に定年退職、名誉教授。 2014年8月31日、肺炎により京都市内の病院で死去。
黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2… 黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2014年2月24日)は、日本文学・中国文学者。 旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部中国文学科卒(1953年)。藤家礼之助と同人雑誌に加わり作家を目指す。 1963年(昭和38年)「蜘蛛と毛糸」並びに「落下」にて群像新人賞候補。 結婚の際には宇沢弘文が仲人を務めた。千葉県立千葉中学校・高等学校国語科教諭のかたわら、現代語訳に疑問を持っていた「夕顔の巻」の研究を進める。 大東文化大学教授。1995年定年退任。『源氏物語私論』で文学博士。
平野 敬一(ひらの けいいち、1924年10月9日 - 20… 平野 敬一(ひらの けいいち、1924年10月9日 - 2007年11月7日)は、英文学者、東京大学名誉教授。 米国サクラメント生まれ。東京大学文学部英文科卒業、1953年より同・教養学部講師、助教授を経て、教授、1983年定年退官、名誉教授。明治大学教授を務めた。 マザー・グースやチャイルド・バラッドのほか、北米(カナダ)文学の研究を行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
金田 元彦(かねだ もとひこ、1924年9月18日 -201… 金田 元彦(かねだ もとひこ、1924年9月18日 -2013年9月22日)は、日本の国文学者。 東京生まれ。1942年関東学院中学部卒、47年國學院大學文学部卒、51年東京大学文学部言語学研究科修了。54年國學院大学文学部助手。講師、助教授、教授、2000年定年退任。幸田文に弟子入りしていた。イラン研究者であり、名寄市立大学講師の小山貴博は従孫。
三浦 新市(みうら しんいち、1924年8月1日 - 201… 三浦 新市(みうら しんいち、1924年8月1日 - 2013年12月30日)は、日本の英文学者。 東京文理科大学卒、慶應義塾大学経済学部助教授、教授、1985年創価大学教授、2000年退任。英語教科書を多く書いたほか翻訳も行った。妻は三浦富美子。2013年(平成25年)12月30日午後3時29分、スキルス性胃がんのため鎌倉市内の病院で死去。最晩年に至るまで健康であったが、平成25年の11月になって体調不良を訴えて鎌倉市内の病院に入院し、そのまま亡くなった。無宗教を信条としたため戒名などはなく、鎌倉霊園にある墓には「三浦新市」とだけ記されている。
清水 純一(しみず じゅんいち、1924年7月23日 - 1… 清水 純一(しみず じゅんいち、1924年7月23日 - 1988年11月1日)は、日本のイタリア文学者。京都大学名誉教授。専攻はイタリア・ルネサンス期文化(ルネサンス文学・哲学史)、特に異端とされたジョルダーノ・ブルーノを研究し、訳・紹介した。 1924年、福井県福井市生まれ。京都帝国大学に入学するも、学徒出陣経て、1949年京都大学文学部哲学科を卒業。同大学大学院を修了。イタリア・フィレンツェやロンドンに留学し、研鑽を積んだ。 帰国後は広島大学助教授に着任。1968年、京都大学文学部イタリア文学科助教授に転任し、1973年に教授昇進。後に文学部学部長として、学園紛争の処理に当たった。多くの後進を育成し、日本でのルネサンス研究をより幅広く多様なものにしたが、1988年に京都大学定年退官後、間もなく病没した。
西宮 一民(にしみや かずたみ、1924年7月18日 - 2… 西宮 一民(にしみや かずたみ、1924年7月18日 - 2007年5月6日)は、日本の国文学者・国語学者。皇學館大学元学長。 奈良県桜井市出身。生家は談山神社の社家であった。 1942年に奈良県立奈良中学校を卒業。1944年に神宮皇學館大學予科修了、神宮皇學館大學古典科専攻入学と同時に陸軍特別幹部候補生となる。1946年に神宮皇學館大學が廃学となったので、京都帝国大學文学部転入学。澤瀉久孝に師事。1949年に卒業後、京都大学大学院入学、近畿大学附属高等学校教諭となる。 1952年に帝塚山学院短期大学講師、1954年に京都大学大学院退学、帝塚山学院短期大学助教授。1962年に皇學館大学教授。1994年に皇學館大学学長、「古事記の研究」で博士(文学)(京都大学)の学位を取得。
関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年… 関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年7月3日)は、日本のドイツ文学者、超常現象研究者。東京大学・獨協大学名誉教授。正四位、瑞宝中綬章。 1924年、ドイツ文学者・関泰祐の任地であった静岡県で生まれた。旧制武蔵高等学校を経て、東京大学独文科に進学。1946年に卒業。 卒業後は教員となり、松本高等学校講師、水戸高等学校教授を務めた。1950年、千葉大学助教授に就いた。1952年、東京学芸大学助教授に転じた。1954年より1955年まで、ドイツ・ミュンヘン大学に留学し、帰国後の1956年に武蔵中学校・高等学校講師となった(1965年まで)。 1959年、東京大学教養学部助教授に就いた。
生田 耕作(いくた こうさく、1924年(大正13年)7月7… 生田 耕作(いくた こうさく、1924年(大正13年)7月7日 - 1994年(平成6年)10月21日)は、日本のフランス文学者、評論家。京都大学名誉教授。雅号に「双蓮居」「鷹峰閑人」「敗荷」ほか。 京都祇園出身。曽祖父は、富山県と岐阜県境の平家谷、五箇山(現在、世界遺産の富山県南砺市五箇山)上平村、の初代村長・生田長四郎。 1947年大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)フランス科卒、1950年京都大学文学部仏文科卒。 フランス異端文学の紹介に努め、自らの著作を出版するプライベートプレス(私家版出版)「奢灞都館」(さばとやかた、「サバト館」と記される場合もあり)を監修、多くの著作を残した。
塚原 鉄雄(つかはら てつお、1924年〈大正13年〉6月2… 塚原 鉄雄(つかはら てつお、1924年〈大正13年〉6月25日 - 1993年〈平成5年〉12月13日)は、日本の国語学者・国文学者。大阪市立大学名誉教授。
鎌田 博夫(かまた ひろお、1924年6月19日 - 201… 鎌田 博夫(かまた ひろお、1924年6月19日 - 2013年8月6日)は、日本のフランス文学者。東北大学名誉教授。 東京生まれ。大阪外国語大学フランス語科卒、1949年京都帝国大学文学部仏文科卒業、関西大学講師、1952年大阪市立大学講師。1968年東北大学文学部助教授、1970年教授、1988年定年退官、名誉教授、弘前大学人文学部教授、石巻専修大学理工学部教授。 フランス共和国教育功労章(シュヴァリエおよびオフィシェ)受章。2002年、勲三等旭日中綬章受章。
藤田 博保(ふじた ひろやす、1924年5月21日 - 20… 藤田 博保(ふじた ひろやす、1924年5月21日 - 2007年9月6日)は、日本の児童文学者。 青森県西津軽郡水元村妙堂崎(現北津軽郡鶴田町)出身。木造中学校卒。1948年から尾上町立尾上中学校(現平川市立尾上中学校)に数学教員として採用、その後弘前市立第一中学校、弘前市立新和中学校、弘前市立石川中学校、弘前市立第四中学校に赴任。小説「十六才」で1966年度家の光協会地上文学賞、「嫁の位置」で1973年度同文学賞を再度受賞。「甚平とシャモ」が1975年度講談社児童文学新人賞佳作となり、翌年『情っぱりとシャモ』と改題して刊行し児童文学作家としてデビューし、多くの著作をなした。
生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1… 生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1991年3月31日)は、日本のドイツ文学者、詩人、小説家、翻訳家。東京大学名誉教授。 東京・高円寺生まれ、1947年、東京帝国大学法学部政治科卒業、1951年、東京大学独文科卒、助手となる。 1954年、東京水産大学講師。1954年から 1955年にかけて、ドイツ学術交流会の奨学金によりミュンヘン大学に留学、1961年、東京大学教養学部講師。1964年、東京大学文学部助教授、1973年、教授。1985年定年退官。 その後、大阪経済法科大学教授。1986年、千葉大学教授。 1991年3月31日、死去。墓所は多磨霊園(11-1-10) 詩人として「歴程」同人。
杉山 康彦(すぎやま やすひこ、1924年5月7日 ‐ 20… 杉山 康彦(すぎやま やすひこ、1924年5月7日 ‐ 2005年9月30日)は、日本の日本文学者。 専門は日本文学、文学・言語表現論。 和光大学名誉教授。元和光大学学長。 広島県広島市生まれ(父母の原籍は岐阜県)。愛知県第一中学校に1年通学後、東京陸軍幼年学校(42期)に進学。陸軍予科士官学校を経て、1944年4月に陸軍士官学校(57期)を卒業、少尉に任官し近衛歩兵第三聯隊へ配属される。その後、スマトラ島(インドネシア)に中隊長として赴任。中尉に任官後、陸軍士官学校区隊長(教官)を命ぜられ、日本への帰還途中にサイゴン(現ホーチミン市)にて終戦を迎える。サイゴンの日本軍司令部にて、敗戦処理に当たったのち、1946年8月に帰還。
大橋 清秀(おおはし きよひで、1924年〈大正13年〉5月… 大橋 清秀(おおはし きよひで、1924年〈大正13年〉5月5日 - )は、国文学者、帝塚山学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。1948年立命館大学文学部国文科卒、1962年同大学院(旧制)修了、大阪工業大学助教授、帝塚山学院大学文学部助教授、教授、1995年定年退任、名誉教授。
山田 清市(やまだ せいいち、1924年4月23日 - 20… 山田 清市(やまだ せいいち、1924年4月23日 - 2000年12月1日)は、日本の国文学者。 福井県勝山生まれ。1954年早稲田大学大学院文学研究科博士課程中退。1956年亜細亜大学・日本経済短期大学専任講師、57年助教授、63年教授、75-81年日本経済短期大学長。82年「伊勢物語の成立と伝本の研究 伊勢物語校本と研究 伊勢物語成立論補説」で早大文学博士。83年亜細亜大図書館長。95年定年退任、名誉教授。
雨海 博洋(あまがい ひろよし、1924年〈大正13年〉4月… 雨海 博洋(あまがい ひろよし、1924年〈大正13年〉4月21日 - 2023年〈令和5年〉6月10日)は、日本の国文学者。二松学舎大学名誉教授。 1924年、茨城県に生まれる。二松学舎専門学校を経て、1951年(昭和26年)早稲田大学文学部国文学科を卒業する。 卒業後は東京都立大森高等学校、東京都立富士高等学校教諭を経て、1969年より二松学舎大学文学部助教授となり、1973年より教授。1988年、二松学舎理事、1989年(平成元年)文学部長。1993~1997年には学長を務める。長年、代々木ゼミナールの古文講師として親しまれた。 2023年6月10日に死去。99歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2… 長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2020年7月8日)は、日本のフランス文学者。 愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。読売新聞記者をへて日本大学教授。フランス・リヨン大学客員教授。フランス政府より芸術文化勲章一等章。1973年セネガルのサンゴール賞を受賞。1985年芸術文化勲章コマンドゥール受賞。Académie des siences d’outre「フランス海外学士院」会員。 ジョルジュ・サンドのほか、ナポレオン評伝などを執筆、翻訳も多い。 2020年7月8日、死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
新田 大作(にった だいさく、1924年4月17日 - 19… 新田 大作(にった だいさく、1924年4月17日 - 1986年8月17日)は、漢文学者。 東京生まれ。1948年東京帝国大学文学部中国哲学科卒業。実践女子大学文学部助教授、教授。