高橋 安光(たかはし やすみつ、1924年8月3日 - 20… 高橋 安光(たかはし やすみつ、1924年8月3日 - 2008年3月8日)は、日本のフランス思想史研究者。専門はヴォルテール研究。 1924年、埼玉県生まれ。1947年に 東京大学文学部仏文科を卒業。その後は、一橋大学教授、東京国際大学教授をつとめた。 2008年3月8日、循環器不全のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中村 勝己(なかむら かつみ、1924年7月19日 - 20… 中村 勝己(なかむら かつみ、1924年7月19日 - 2013年7月26日)は、日本の経済史研究者。慶應義塾大学名誉教授。アメリカ合衆国の経済史(資本主義成立史)研究を端緒に、ピューリタニズムおよび近代資本主義の宗教社会学的研究、自らの信仰の基盤である無教会主義キリスト教の歴史的研究などを行った。 中村研究会出身者には蔭山宏慶應義塾大学名誉教授などがいる。 父は医師中村勝屋、母佐多子(旧姓山本、山本協一は実兄)、妻は植物学者矢部吉禎の四女花子、長男は古代オリエント学者・ヒッタイト学者で元山陽学園大学教授の中村光男。 内村鑑三 · 静子 · ルツ子 · 祐之 · 美代子 · 南原繁 · 矢内原忠雄 · 畔上賢造 · 坂田祐 · 斎藤宗次郎 · 塚本虎二 · 中村勝己 · 高谷道男 · 藤井武 · 鈴木弼美 · 関根正雄 · 星野鉄男 · 三谷隆正 · 松田享爾 札幌バンド(1877-1881) · 不敬事件(1891) · 東京独立雑誌(1898-1900) · 夏期講談会(1900-1902) · 聖書之研究(1900-1930) · モアブ婦人会(1913-) · 角筈聖書研究会(1902-1930) · 教友会(1905-1918) · 今井館(1906-) · 柏会(1909-1916) · 白雨会(1911-1918) · 柏木兄弟団(1918-1921) · 再臨運動(1918-1919) · 洗足会(1923-) 基督信徒の慰(1893) · 求安録(1893) · 余は如何にして基督信徒となりし乎(1895) 基督教独立学園高等学校 · キリスト教愛真高等学校 · 愛農学園農業高等学校
関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年… 関 楠生(せき くすお、1924年7月15日 - 2014年7月3日)は、日本のドイツ文学者、超常現象研究者。東京大学・獨協大学名誉教授。正四位、瑞宝中綬章。 1924年、ドイツ文学者・関泰祐の任地であった静岡県で生まれた。旧制武蔵高等学校を経て、東京大学独文科に進学。1946年に卒業。 卒業後は教員となり、松本高等学校講師、水戸高等学校教授を務めた。1950年、千葉大学助教授に就いた。1952年、東京学芸大学助教授に転じた。1954年より1955年まで、ドイツ・ミュンヘン大学に留学し、帰国後の1956年に武蔵中学校・高等学校講師となった(1965年まで)。 1959年、東京大学教養学部助教授に就いた。
丸山 弘志(まるやま ひろし、1924年(大正13年)7月1… 丸山 弘志(まるやま ひろし、1924年(大正13年)7月15日 - 2007年(平成19年)10月10日)は、日本の運輸官僚、超電導リニア研究者、鉄道技術者、鉄道工学者、交通工学者、安全工学者、生産工学者、機械工学者、精密工学者、工学博士。元日本国有鉄道鉄道技術研究所所長、元科学技術庁参与、元文部科学省参与、元材料技術研究協会理事、元研友社顧問、元日本規格協会評議員、日本機械学会名誉員、東京理科大学名誉教授。弟の桑名昭治は桑名病院2代目院長。
服部 正明(はっとり まさあき、1924年7月8日 - )は… 服部 正明(はっとり まさあき、1924年7月8日 - )は、日本の仏教学者、古代インド哲学研究者。 1924年、東京で生まれた。父は洋画家で漫画家の服部亮英。京都帝国大学文学部哲学科に入学し、長尾雅人に師事し、卒業。 1961年、京都大学文学部助教授に就いた。1973年に教授昇格。同僚には、梶山雄一、柳田聖山、大地原豊がいた。1988年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。学界では、1997年から2003年まで、東方学会の理事長を務めた(第26~28期)。 専門はインド哲学史。論文の多くは外国語で出されている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
比留間 一成(ひるま かずなり、1924年(大正13年)3月… 比留間 一成(ひるま かずなり、1924年(大正13年)3月5日 -2018年3月4日)は、日本の詩人、教育研究者。 東京生まれ。東京物理専門学校(現・東京理科大学)卒。日本現代詩人会会員。1955年『青衣』同人。東京都中野区立第五中学校長、東京都教育研究所幼児教育研究部長などを務め、児童教育に関する著作もあり、大学講師などを務めた。2009-2011年日本詩人クラブ会長。2013年日本現代詩人会より先達詩人とされる。
天野 昇(あまの のぼる、1924年〈大正13年〉3月1日 … 天野 昇(あまの のぼる、1924年〈大正13年〉3月1日 - 1997年〈平成9年〉11月24日)は、日本の原子力研究者。日本原子力研究所副理事長、日本原子力学会副会長、CSK取締役も務めた。岡山県高梁市出身。 1924年(大正13年)に岡山県上房郡有漢町(現:高梁市)で生まれる。旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高校)へ進学し、1940年(昭和15年)に卒業。同年、旧制第六高等学校理科甲類へ入学し、1943年(昭和18年)卒業を経て、東京帝国大学へ入学、1945年(昭和20年)に日本が第二次世界大戦で敗北し、3年次で東京帝国大学工学部電気工学科を繰り上げ卒業となる。 卒業後、1939年に東京電気と芝浦製作所が合併して誕生した東京芝浦電気(現:東芝)へ1945年に入社。
鴨澤 巌(かもざわ いわお、1924年3月 - 2003年2… 鴨澤 巌(かもざわ いわお、1924年3月 - 2003年2月4日)は、日本の経済地理学者、トルコ研究者、法政大学名誉教授、特定非営利活動法人難民支援協会初代代表理事。 1924年3月、当時の東京市本郷区(現在の文京区の一部)に生まれ、後に埼玉県北足立郡浦和町(浦和市を経て、現在のさいたま市)へ移り、浦和町立浦和尋常高等小学校分校(現在のさいたま市立常盤小学校)、埼玉県女子師範学校付属小学校に学び、1936年に埼玉県立浦和中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)、1942年に浦和高等学校 (旧制)(理科乙類)に入学した。浦和高等学校では気管支喘息の悪化のため留年を余儀なくされ、また、学徒勤労動員で理化学研究所の圧延工場での労働も経験した。
増渕 興一(ますぶち こういち、1924年〈大正13年〉1月… 増渕 興一(ますぶち こういち、1924年〈大正13年〉1月11日 - 2016年〈平成28年〉4月1日)は、日本の溶接研究者、工学者。アメリカ合衆国・マサチューセッツ工科大学名誉教授。専門は溶接。2016年現在、同大学では唯一の日本人終身待遇名誉教授である。 北海道小樽市生まれ。その後、栃木県足利市に転居。旧制成蹊高等学校、東京帝国大学第一工学部船舶工学科卒業。1959年東京大学より工学博士号を授与される。米国バッテル研究所勤務を経て、マサチューセッツ工科大学工学部船舶工学科準教授。その後、1971年に教授に昇格。1973年にアメリカ国籍取得。 ボストン日本人会会長、三井造船技術顧問、神鋼商事技術顧問、川崎重工業技術顧問、日本大学客員教授、徳島文理大学客員教授などを歴任する。
石原 明(いしはら あきら、1924年 - 1980年7月2… 石原 明(いしはら あきら、1924年 - 1980年7月23日)は、医学者、東洋医学研究者。 日本大学医学科卒、1952年「幼態心臓の生理学的研究」で日大医学博士。横浜市立医学専門学校教員、横浜市立大学医学部専任講師、助教授。日本東洋医学会設立に参加。
三田 純市(みた じゅんいち、1923年12月22日 - 1… 三田 純市(みた じゅんいち、1923年12月22日 - 1994年9月1日)は、日本の落語作家・研究者、演芸作家、脚本家、随筆家。 本名は野村全作(旧姓:三田)。俳号は「道頓」。三田純一と名乗っていた時期もある。 大阪府大阪市南区、道頓堀の芝居茶屋「稲照」の長男に生まれる。1946年、慶應義塾大学経済学部卒業。朝日新聞社販売部に勤務、1951年に退社。松竹新喜劇の曾我廼家十吾、2代目渋谷天外に師事し喜劇の台本を手がけるようになる。 1967年から1982年には東京に在住し、1969年には東京やなぎ句会の創設に参加。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
乗富 一雄(のりとみ かずお、1923年(大正12年)11月… 乗富 一雄(のりとみ かずお、1923年(大正12年)11月22日 - 2011年(平成23年)6月27日)は、日本の地震学の研究者・教育者。元日本地震学会・物理探査学会会長、九州大学・秋田大学・東北大学・東京大学地震研究所・工業技術院地質調査所(現・産業技術総合研究所)教授等を歴任。 1923年(大正12年)11月22日、福岡県に生まれ。福岡縣中學傳習館(現・福岡県立伝習館高等学校)を経て、興亜工業大学(現・千葉工業大学)に進学し、その後、東北大学で地球物理学について学ぶ。1949年(昭和24年)には同大助手となり、1956年(昭和31年)には秋田大学鉱山学部助教授に任官。1968年(昭和43年)の十勝沖地震や1983年(昭和58年)の日本海中部地震の時には地震調査を主導した。
岩城之徳(いわき ゆきのり、1923年11月3日 - 19… 岩城之徳(いわき ゆきのり、1923年11月3日 - 1995年8月3日)は、日本近代文学研究者、日本大学名誉教授。文学博士。石川啄木の実証的研究の基礎を築いた。 愛媛県松山市に生まれる。父は今治商業銀行(伊予銀行の前身の一つ)勤務から独立して商社を起こしたが失敗、伊予合同銀行(伊予銀行の前身)に復職後1947年に死去した。母は河東碧梧桐の縁者の出身であった。 日本大学法文学部文学科在学中の1943年11月に学徒出陣により従軍し、最終的に中国南部から1946年3月に復員、復学した。在学中の1947年には、開校したばかりの墨田区立隅田第二中学校で、日大OBの校長からの依頼により学生の身分で国語の専任授業嘱託となる。
小久保 実(こくぼ みのる、1923年9月25日-2011年… 小久保 実(こくぼ みのる、1923年9月25日-2011年6月21日)は、日本現代文学の研究者。 大阪府生まれ。関西大学卒、同大学院博士課程単位取得満期退学。関西大学、関西外国語大学助教授、園田学園女子短期大学助教授、大谷女子大学教授、帝塚山学院大学教授・名誉教授を務めた。堀辰雄を中心として現代日本文学を多く論じた。
土屋 哲(つちや さとる、1923年9月19日 - 2007… 土屋 哲(つちや さとる、1923年9月19日 - 2007年3月25日)は、日本のアフリカ文学・カリブ海文学研究者。明治大学・ナイロビ大学名誉教授。本名の読みは「てつ」。 和歌山県生まれ。東京大学卒。ナイジェリアのイバダン大学、ケニアのナイロビ大学などで日本文学を教え、これらの大学やセネガルのダカール大学に日本語関係の講座を開設。明治大学教授を務め、アフリカ文化などの紹介に努めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
鈴木 勝忠(すずき かつただ、1923年9月15日 - 20… 鈴木 勝忠(すずき かつただ、1923年9月15日 - 2012年6月3日)は、日本の日本近世文学研究者、岐阜大学名誉教授。 愛知県岡崎市生まれ。1943年、愛知第二師範学校卒業、入営。1953年、東京大学文学部国文科卒。愛知学芸大学講師、岐阜大学助教授、教授。1987年、定年退官、名誉教授、中京大学教授。1963年、東京大学国語国文学会賞受賞。1993年、芭蕉祭奨励賞受賞。2000年、勲三等旭日中綬章叙勲。没後正四位。 川柳・雑俳研究の第一人者で、『雑俳集成』を24巻のほか多く私家版を刊行した。
猿谷 要(さるや かなめ、1923年7月19日 - 2011… 猿谷 要(さるや かなめ、1923年7月19日 - 2011年1月3日)は、日本のアメリカ史研究者。東京女子大学名誉教授。
荒井 欣一(あらい きんいち、1923年7月6日 - 200… 荒井 欣一(あらい きんいち、1923年7月6日 - 2002年4月18日)は、日本のUFO研究者。 東京都生まれ。青山学院高等商学部卒業。 復員後、大蔵省勤務、書店経営を経て、不動産業の傍らUFOを研究していた。1955年に日本初の全国的UFO団体・日本空飛ぶ円盤研究会を結成する。2年後、各団体を結集して「日本空飛ぶ円盤研究連合」に発展させた。 ピー・プロダクションの庶務課長をつとめていたこともある。 1979年9月に日本のUFO研究活動の拠点として東京・品川にUFOライブラリーを開設した。 1995年4月に自宅兼貸ビルにUFO展示室をオープンした。著書に「UFO年鑑」「UFO遭遇事典」などがある。
坪田 理基男(つぼた りきお、1923年6月23日 - 20… 坪田 理基男(つぼた りきお、1923年6月23日 - 2017年4月14日)は、日本の児童文学作家、児童文学研究者。「びわの実学校」同人。 東京生まれ。太平洋戦争時代は海軍に従軍。復員し、明治大学を卒業後、出版社に勤務。 児童文学作家、児童文学研究者である坪田譲治の三男。
牟田口 義郎(むたぐち よしろう、1923年5月11日 - … 牟田口 義郎(むたぐち よしろう、1923年5月11日 - 2011年1月22日)は、日本の歴史家、中東地域研究者、翻訳家。朝日新聞特派員・支局長を歴任した。 神奈川県生まれ。1948年東京大学仏文科卒、1949年に朝日新聞社に入社。報道記者として外報畑を主に歩み、カイロ(エジプト)支局長、パリ(フランス)支局長を務め、また論説委員を務めた。1982年退社、その後成蹊大学教授、東洋英和女学院大学教授、中近東文化センター理事長を歴任。 中東・アラブ地域の現代史に詳しく、地中海世界を軸に多くの著書・翻訳書を刊行した。 2011年1月22日、腎不全のため死去。87歳没。
山本 亨介(やまもと きょうすけ、1923年4月29日 - … 山本 亨介(やまもと きょうすけ、1923年4月29日 - 1995年11月10日)は、日本の将棋観戦記者、将棋史研究者、小説家。ペンネームは天狗太郎。日本文芸家協会会員。 和歌山県東牟妻郡古座町出身。1943年、彦根高等商業学校卒業。 1946年に大阪日日新聞に入社し、吉井栄治の後をうけて将棋を担当。1951年に上京してサンケイ新聞記者となり、将棋・囲碁を担当、天狗太郎のペンネームで観戦記を執筆。1960年朝日新聞東京本社に移り、観戦記に健筆をふるう。1963年に退社してフリーの文筆活動に。 かたわら1953年頃から将棋史の研究に着手し、「将棋文化史」「将棋庶民史」「名棋士名勝負」「勝負師の門」「学徒出陣ふたたび」などを発表。
岡 保生(おか やすお、1923年3月31日 - 1999年… 岡 保生(おか やすお、1923年3月31日 - 1999年2月4日)は、日本の日本文学研究者。専門は、日本近代文学。三重県伊勢市生まれ。1945年、早稲田大学国文科卒。昭和女子大学教授、青山学院大学教授を経て、青山学院大学名誉教授。尾崎紅葉、小栗風葉といった硯友社の作家の実証的な研究を行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
今枝 愛真(いまえだ あいしん、1923年(大正12年)3月… 今枝 愛真(いまえだ あいしん、1923年(大正12年)3月30日 - 2010年(平成12年)3月9日)は、日本史学者、禅仏教研究者、曹洞宗僧侶。 静岡県生まれ。1947年東京帝国大学文学部国史学科卒業。1951年東京大学史料編纂所に入る。1962年助手、1969年助教授、1972年教授、1981年所長。1983年定年退官、名誉教授。1971年「中世禅林成立史の研究」で東大文学博士。興隆寺住持。2010年3月9日、肺炎のため死去。86歳没。没後正五位受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
楠田 丘(くすだ きゅう、1923年3月29日 - )は、日… 楠田 丘(くすだ きゅう、1923年3月29日 - )は、日本の官僚、労働問題研究者。 熊本県出身。1948年九州帝国大学理学部数学科卒、労働省に入り、1962年統計業務指導官、1965年経済企画庁経済研究所主任研究官、1968年アジア経済研究所主任調査研究員、1970年退官、日本賃金センター研究主任、1981年代表幹事。1980年日本生産性本部理事、1984年日本雇用処遇センター所長。1994年産労総合研究所。日本賃金研究センター代表幹事。
松崎 仁(まつざき ひとし、1923年〈大正12年〉3月14… 松崎 仁(まつざき ひとし、1923年〈大正12年〉3月14日 - 2013年〈平成25年〉2月26日)は、日本の日本近世演劇研究者。立教大学・梅光女学院大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。父は長野県士族で官僚の松崎謙二郎。母は横浜の貿易商中村房次郎の長女。 1949年、東京帝国大学文学部国文学科卒業。学習院中・高等科教諭。1957年、清泉女子大学助教授。1959年、立教大学文学部助教授、教授。1989年、定年退任、名誉教授、梅光女学院大学教授。1998年、梅光女学院大学を退職、名誉教授。 1995年、「歌舞伎・浄瑠璃・ことば」で九州大学博士(文学)、日本演劇学会河竹賞受賞。
岡田 陽(おかだ あきら、1923年3月11日 - 2009… 岡田 陽(おかだ あきら、1923年3月11日 - 2009年11月26日)は、日本の児童演劇研究者。玉川大学名誉教授。学校劇、演劇教育の専門家。 鳥取県出身。岡田資陸軍中将(戦後、B級戦犯として処刑された)の長男として生まれる。玉川工業専門学校(現玉川大学)卒。玉川学園創立者小原國芳の次女純子(石井漠に師事し、戦後玉川学園で舞踊・リトミック教育者として活動。岡田資を描いた大岡昇平原作・小泉堯史監督の映画『明日への遺言』では子息とその婚約者として登場)と結婚。玉川学園中学部長・高等部長を経て玉川大学教授、文学部次長、名誉教授。在職中は玉川大学文学部芸術学科を創設。演劇専攻、児童専修課程などを創設。
松原 純一(まつばら じゅんいち、1923年3月10日 - … 松原 純一(まつばら じゅんいち、1923年3月10日 - 1966年6月22日)は、日本の編集者・近代文学研究者。元相模女子大学教授。角川書店創業当時の中心人物。 創業当初の角川書店の中心人物として活躍し、角川源義を助けた。のち相模女子大教授に就任。森鷗外に関心をもち、自ら推進した「表現」誌上に「舞姫」論及び小倉時代の鷗外について論考を発表、また森しげ女の小説についても言及している。
郡司 利男(ぐんし としお、1923年 <大正12年> 3月… 郡司 利男(ぐんし としお、1923年 <大正12年> 3月10日 - 1999年 <平成11年> 10月4日)は、日本の英語学者、言語学者、言語文化研究者、翻訳家。明治学院大学教授、同・言語文化研究所所長、筑波大学教授、同・附属図書館長、獨協大学教授、鹿児島女子大学(現・志學館大学)教授、同・学長等を歴任した。筑波大学および獨協大学の名誉教授。位階は正五位。 本名の利男のほか、筆名として郡司 外史(ぐんし がいし)、俳号として酔眼(すいがん)を用いた。 1923年3月10日、鹿児島県囎唹郡志布志町(現・志布志市)に生まれる。 郵便局通信事務員を経て、1943年、中央大学第二予科(英法)に入学するが翌1944年除籍。
神保 五彌(じんぼ かずや、1923年1月19日 - 200… 神保 五彌(じんぼ かずや、1923年1月19日 - 2009年12月6日)は、日本近世文学研究者。早稲田大学名誉教授。 1923年(大正12年)1月、山口県防府市に生まれる。1942年(昭和17年)10月、早稲田大学文学部文学科国文学専修に入学するも、翌年12月に応召されて南方戦線に出征。ビルマで終戦を迎え、1947年(昭和22年)2月まで捕虜生活を送る。1948年(昭和23年)4月、早稲田大学に復学し、翌年卒業。1964年(昭和39年)早稲田大学文学部助教授、翌年教授。1993年(平成5年)定年退職。2009年、膵臓癌のため86歳で死去した。 井原西鶴の浮世草子、為永春水の人情本、洒落本、滑稽本といった近世文学全般について研究した。
加島 祥造(かじま しょうぞう、1923年1月12日 - 2… 加島 祥造(かじま しょうぞう、1923年1月12日 - 2015年12月25日)は、日本の詩人、アメリカ文学研究者、翻訳家、随筆家、タオイスト、墨彩画家。 詩作のみならず、アメリカ文学の翻訳にて名声を得た後、壮年期より漢詩を経て老荘思想に大きな影響を受け、文筆のみならず絵画なども含めた幅広い創作活動や執筆活動を通して、90代で没するまで、西洋と東洋の双方を見渡す位置から、私生活でも徹底したタオイストとしての一貫した姿勢を生きた。 翻訳者としては、訳書により、一ノ瀬直二、久良岐基一といった別名義を用いて活動しており、死後になり、改めて関係者よりその事実が明かされた。 東京市神田区にて、大家族の商家の家系に生まれ育つ。
重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年… 重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年6月19日)は、日本の日本近代文学研究者。
太田 實(おおた みのる、1923年1月5日 - 2004年… 太田 實(おおた みのる、1923年1月5日 - 2004年3月6日)は、日本の建築都市環境学の研究者。都市計画家。建築家。北海道大学名誉教授。北海道大学で長く建築学、都市計画学および地域計画学に関する研究と後進の教育に従事し、工学部と大学院(工学研究科、環境科学研究科)教授として人材育成に尽力。北海道大学退官後は北海道工業大学教授も務め戦後の近代都市計画学の普及と発展に貢献する。 福岡県生まれ。1944年東京帝国大学第一工学部建築学科を卒業。同大学大学院修了。1948年、北海道大学工学部に建築工学科が新設にともない赴任。学科創設期から1986年に退官するまで、教育と研究に寄与した。1950年から1952年にかけては丹下健三らと北海道稚内市の都市計画を手がける。
磯貝 英夫(いそがい ひでお、1923年1月2日 -2016… 磯貝 英夫(いそがい ひでお、1923年1月2日 -2016年1月13日)は、日本近代文学の研究者。広島大学名誉教授、ノートルダム清心女子大学名誉教授。 愛知県生まれ。広島文理科大学卒業。広島大学附属高等学校教諭、1957年広島女子短期大学講師、1960年助教授、1962年広島大学文学部助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授、ノートルダム清心女子大学教授、のち退職し名誉教授。近現代日本文学を研究した。
田能村祐麒(たのむら ゆうき、1923年 ‐ )は、性教育研… 田能村祐麒(たのむら ゆうき、1923年 ‐ )は、性教育研究者。大分県生まれ。官立東京体育専門学校(後の東京教育大学体育学部)卒。高校、中学教師、新宿区教育委員会指導室長。新宿区立西戸山中学校校長。文部省生徒指導資料「生徒指導における性に関する指導」を執筆した。全国性教育研究団体連絡協議会、田能村教育問題研究所所長。
内田 芳明(うちだ よしあき、1923年 - 2014年7月… 内田 芳明(うちだ よしあき、1923年 - 2014年7月8日)は、日本の社会思想研究者。大塚久雄と親しく、マックス・ヴェーバー『古代ユダヤ教』の翻訳・研究により1999年にレッシングドイツ連邦政府翻訳賞受賞。元比較法文化学会会長、日本景観学会名誉会員。 東京生まれ。1952年東京商科大学(現一橋大学)卒業、1957年同特別研究生修了。 1989年に横浜国立大学経済学部教授を定年退官。その間、ドイツ・マールブルク大学客員教授、テュービンゲン大学客員教授、ベルリン大学客員教授等を歴任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
柳田 聖山(やなぎだ せいざん、旧姓:横井(よこい)、192… 柳田 聖山(やなぎだ せいざん、旧姓:横井(よこい)、1922年12月19日 - 2006年11月8日)は、日本の中国禅宗史研究者。多くの著作がある。 1922年、滋賀県愛知郡稲枝村(現在の彦根市)の延寿寺(臨済宗)に生まれた。寺名の延寿寺は、宋朝文化を代表する五山の一つ杭州西湖の霊隠寺で、宗鏡録を書き上げた高徳、永明延寿の名に基づく。1940年滋賀県立彦根中学校を卒業。 臨済学院専門学校(現:花園大学)、大谷大学を卒業し、永源寺僧堂で修行する。京都大学文学部聴講生となって学び、久松真一に師事してFAS禅運動に共鳴。中国禅宗史研究において批判的資料研究を進め、資料が史実ではなく、その時代の要請によって創作されたことを見抜いた。
朴慶植(パク・キョンシク、1922年12月7日 - 1998… 朴慶植(パク・キョンシク、1922年12月7日 - 1998年2月12日)は、在日朝鮮人の在野の歴史研究者である。元朝鮮大学校教員、戦前の在日朝鮮人の歴史調査・研究で知られる。 1922年12月7日慶尚北道奉化郡面金峰里に生まれ、1929年3月、6歳のときに母と共に父の働く日本に渡った。1943年9月、日本大学高等師範部地理歴史科(夜間)卒業。1949年に東洋大学文学部史学科を卒業し、1970年まで東京朝鮮中・高級学校および朝鮮大学校で教員を務めた。1971年、総連の組織を離れ、その後、古書店を2年ほど経営しつつ在野で研究を続けた。「季刊三千里」編集委員、アジア問題研究所代表などを務め、朝鮮近・現代史研究に従事した。
小倉 貞秀(おぐら さだひで、1922年(大正11年)11月… 小倉 貞秀(おぐら さだひで、1922年(大正11年)11月29日 - 2013年(平成25年)12月11日)は、日本の哲学研究者。 愛知県豊川市生まれ。1947年広島文理科大学卒、1949年同助手、1954年広島大学文学部助教授、1968年教授。1965年「カント倫理学研究」で文学博士。1986年定年退官、名誉教授。1999年勲三等旭日中綬章受勲。
今道 友信(いまみち とものぶ、1922年11月19日 - … 今道 友信(いまみち とものぶ、1922年11月19日 - 2012年10月13日)は、日本の美学者および中世哲学研究者である。「エコエティカ」(生命倫理による人間学・倫理学)を提唱したことで知られる。東京大学名誉教授、聖トマス大学名誉教授、国際形而上学会会長、国際美学会終身委員兼名誉会長、国際エコエティカ学会名誉会長といった多くの要職を歴任した。かつては哲学美学比較研究国際センター所長、日本美容専門学校校長を務め、日本アスペン研究所特別顧問でもあった。 今道は離婚歴があり、実子としてギタリストで元BARBEE BOYSのメンバーであるいまみちともたか、ピアニストの川口信子がいる。再婚したドイツ人のクリスティネとの間には、ドイツ在住の今道友紀子と、心理学者でニューヨーク市立大学教員である今道友昭がいる。
浜田 義文(濱田 義文、はまだ よしふみ、1922年(大正1… 浜田 義文(濱田 義文、はまだ よしふみ、1922年(大正11年)10月14日 - 2004年(平成16年)9月10日)は、日本の哲学研究者。法政大学名誉教授。日本を代表するカント学者。 東京府豊多摩郡(現東京都杉並区)出身。第五高等学校卒業、1947年東京帝国大学法学部政治学科卒業、1950年東京大学文学部哲学科卒業。1968年熊本大学法文学部教授。1969年熊本大学法文学部学部長。1973年法政大学文学部教授となり、同大学で図書館長、大学院議長、評議員などを歴任し、1992年に名誉教授となる。1983年「カント倫理学の成立 イギリス道徳哲学及びルソー思想との関係」で同大学文学博士。 日本倫理学会常任評議員、日本カント協会会長、日本哲学会編集委員、法政哲学会会長などを歴任した。
田中 美智子(たなか みちこ、1922年10月5日 - 20… 田中 美智子(たなか みちこ、1922年10月5日 - 2019年2月11日)は、日本の政治家、家政学研究者。元衆議院議員(5期)。夫は経済学者の田中礼蔵。 広島県出身。父親は師範学校の校長だった。日本女子大学家政学部社会福祉科卒業。27歳のとき結核で3年間療養、右肺を切除した。日本福祉大学助教授、名古屋家庭裁判所調停委員長などを歴任。 1972年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧愛知1区から、日本共産党員ではあったものの、無所属(日本共産党・革新共同推薦)で立候補し初当選した。この年の総選挙で現職の丹羽久章(旧愛知1区)と辻寛一(旧愛知6区)は落選。自民党は名古屋市内の議席をすべて失った。 在職中、アスベスト問題や高額療養費制度の是正などに取り組んだ。
金井 清光(かない きよみつ、1922年〈大正11年〉7月2… 金井 清光(かない きよみつ、1922年〈大正11年〉7月28日 - 2009年〈平成21年〉4月7日)は、日本の国文学者、時衆研究者。鳥取大学名誉教授。 長野県松本市に生まれる。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、姫路高等学校を経て、1943年(昭和18年)、東京帝国大学文学部国文学科に入学するも、学徒出陣する。シベリア抑留をへて帰国。1952年、東京大学国文学科卒業、同大学院に進学。この間、通学をしながら武蔵野女子学院高等部にて教鞭を執り、教頭であった雲藤義道の引見により、後年時宗法主となる河野憲善と出会う。1957年、大学院在学期限満了となり、鳥取大学学芸学部(のち教育学部)に奉職。やがて教授となるも、授業中の発言を巡って休職・退官に追い込まれる。
岩佐 嘉親(いわさ よしちか、1922年〈大正11年〉7月2… 岩佐 嘉親(いわさ よしちか、1922年〈大正11年〉7月21日 - 2014年〈平成26年〉2月17日)は、日本の探検家、研究者。 広島県呉市生まれ。1942年関西高等工業学校(現:大阪工業大学)卒業。1965年太平洋文化研究所を設立して所長となる。1959年より1995年までの間に50数回にわたってポリネシアを中心とした南太平洋海域の民俗学的な調査をする。 太平洋地域の言語の入門書・会話集も多数執筆した。サモア語やフィジー語など、類書がほかになく、その言語を学習する者にとって、日本語で書かれたものとしては唯一の教材であるものもある。オセアニアの諸語だけでなく、パプア・ニュー・ギニアのトク・ピシンについても入門書を執筆している。
鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月… 鶴見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者・評論家・政治運動家・大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。 米国ハーバード大学で哲学を学んだのち、リベラルな立場の批評で論壇を牽引。思想史から大衆文化まで幅広い分野を扱う。著書は『戦時期日本の精神史』(1982年)、『アメリカ哲学』(2008年)など多数。 1922年6月25日、東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)で、父・祐輔と母・愛子(後藤新平の娘)の間に、4人きょうだいの2番目(長男)として生まれる。
紅野 敏郎(こうの としろう、1922年6月19日 - 20… 紅野 敏郎(こうの としろう、1922年6月19日 - 2010年10月1日)は、日本の日本文学研究者。専門は日本近代文学、特に白樺派の作家。早稲田大学名誉教授。息子は日本大学教授で日本文学研究者の紅野謙介。 兵庫県西宮市生まれ。中学卒業後は家業の醸造業に従事するが、1943年招集されてスマトラ島に出征する。敗戦後、1年あまりの捕虜生活を送る。1947年大東文化学院国語国漢科に入学、1949年早稲田大学第一文学部国文学科に編入学。1952年、同大学卒業。1953年から1960年まで京華学園教諭を務め、1960年早稲田大学教育学部専任講師。1962年同助教授、1967年同教授。1992年定年退職、名誉教授。
森 進一(もり しんいち、1922年6月10日 - 2005… 森 進一(もり しんいち、1922年6月10日 - 2005年10月11日)は、日本の古代ギリシア哲学研究者、小説家、関西医科大学名誉教授。 京都府京都市出身。京都帝国大学文学部で古代ギリシア哲学を専攻し、田中美知太郎の指導を受け、京大大学院古代哲学専攻博士課程中退。京都大学非常勤講師を経て、64年関西医科大学教養部助教授、65年教授、91年定年、名誉教授。 また森泰三の名で文学作品も発表、1963年「砧」で芥川賞候補、1972年「冬へ」、1976年「結婚」で3度候補にあがった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
和田謹吾(わだ きんご、1922年5月12日―1994年11… 和田謹吾(わだ きんご、1922年5月12日―1994年11月15日)は、日本近代文学の研究者、北海道大学名誉教授。 東京に国文学者和田信二郎の五男として生まれる。藤田圭雄のいとこ。1944年東京高等師範学校卒、土浦海軍航空隊に入隊し、敗戦後北海道大学法文学部国文科に入る。北海道大学教養部助教授、教授、1986年定年、北海道立文学館理事長を務めた。1987年北海道文化賞、1992年北海道新聞文化賞受賞。『風土のなかの文学』で提唱された「北海道の文学の四分類」は有名。
宇賀田 達雄(うがた たつお、1922年5月7日 - 201… 宇賀田 達雄(うがた たつお、1922年5月7日 - 2012年5月24日)は、日本の民藝運動研究者、美術評論家、編集者、記者。妻の宇賀田けようは板画家棟方志功の長女。
佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月… 佐伯 彰一(さえき しょういち、1922年〈大正11年〉4月26日 - 2016年〈平成28年〉1月1日)は、日本のアメリカ文学者・比較文学研究者・文芸評論家・翻訳家。東京大学名誉教授。日本芸術院会員。勲三等旭日中綬章受章。 富山県出身。古代日本に存在した佐伯部の子孫で神官の家柄。先祖に佐伯有頼がいる。旧制富山高校を経て、東京帝国大学文学部英文科卒業、同大学院修了。旧・東京都立大学助教授を経て、1967年にカナダ・トロント大学で客員教授として日本文学を講義、1968年東京大学教養学部教授、1976年から大学院比較文学比較文化研究室主任。1983年定年退官後は中央大学教授を1993年まで勤め、世田谷文学館館長、2007年退任し名誉館長。
神代 雄一郎(こうじろ ゆういちろう、1922年4月2日 -… 神代 雄一郎(こうじろ ゆういちろう、1922年4月2日 - 2000年)は、日本の建築史研究者、建築評論家、明治大学名誉教授。専門は、近代建築史。建築と環境の関係を研究した。 東京出身。東京帝国大学工学部卒。大学院を経て明治大学理工学部助教授。1962年、「近代建築思潮形成過程の研究」で東京大学工学博士。1962年、教授。1993年、定年退任、名誉教授。