間野 直樹(まの なおき 1965年5月29日 - )は、北… 間野 直樹(まの なおき 1965年5月29日 - )は、北海道出身の元アイスホッケー選手。ポジションはゴールテンダー。 苫小牧市立弥生中学校から駒澤大学附属苫小牧高等学校を経て東洋大学に進学、大学時代には1987年1月インカレで初優勝している。大学卒業後は雪印アイスホッケー部に加入、13シーズン目の2000-2001シーズンには出番がなかったものの、チームは日本アイスホッケーリーグで準優勝した。 1998年の長野オリンピックの日本代表候補に1997年6月20日選ばれたが、同年末に芋生ダスティの帰化が認められたためオリンピック代表には選ばれなかった。
高木 英克(たかぎ ひでかつ、1965年生)は、北海道出身の… 高木 英克(たかぎ ひでかつ、1965年生)は、北海道出身の元アイスホッケー選手、監督。ポジションはディフェンス。 長年日本代表として活躍。引退後は監督を5季努めた。 駒澤大学附属苫小牧高等学校および明治大学卒。王子イーグルスへ入団。第22回日本リーグ新人賞。兄邦男(国土)との兄弟対決も話題に。
鈴木 宣夫(すずき のりお、1964年9月10日 - )は、… 鈴木 宣夫(すずき のりお、1964年9月10日 - )は、日本の元アイスホッケー選手。1980年代半ば〜1990年代半ばの日本アイスホッケー界で一時代を築いた。元日本アイスホッケー連盟理事兼強化副本部長。元アイスホッケー男子日本代表コーチ、関西大学アイスホッケー部コーチ。 父、兄たちの影響を受けてアイスホッケーを始める。北海道釧路工業高等学校在学中、インターハイで同校初優勝の原動力になった。世界ジュニア選手権などに出場。 高校卒業後は王子製紙に入社し、アイスホッケー部(現王子イーグルス)に所属。1年目から第4セットとして試合に出場し、2年目から頭角を表す。 リーグ4年目の第21回日本リーグで、史上最年少である21歳でリーグMVPを獲得。
佐藤 雅俊(さとう まさとし、1963年1月18日 - )は… 佐藤 雅俊(さとう まさとし、1963年1月18日 - )は、北海道出身の実業家、元アイスホッケー選手。雪印メグミルク代表取締役社長。 1985年明治大学法学部卒業後、雪印乳業入社。明治大学スケート部ではアイスホッケー選手として活躍。雪印入社後もアイスホッケー部に所属し、最優秀新人賞などを受賞。11年間に亘り日本アイスホッケーリーグで主力フォワード選手として活躍し、選手時代の最後の3年間は選手兼任コーチも経験した。元チームメイトには岩本裕司(アイスホッケー日本代表監督)などがいる。 雪印乳業入社後、中部統括支店長、秘書室長、乳食品事業部長などを経て、2020年に常務執行役員に就任。2022年社長執行役員(CEO)に就任。
田中 健二(たなか けんじ、1962年7月3日 - )は、日… 田中 健二(たなか けんじ、1962年7月3日 - )は、日本の元アイスホッケー選手。 北海道苫小牧市出身。ポジションはフォワード。レフトハンド。背番号は14を背負っていた。 苫小牧市立和光中学校、駒澤大学附属苫小牧高等学校出身。 雪印乳業に入社し、アイスホッケー部に入部。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。 このテンプレートは分野別のサブスタブテンプレートやスタブテンプレート(Wikipedia:分野別のスタブテンプレート参照)に変更することが望まれています。
岩本裕司(いわもと ゆうじ、1962年4月8日 - )は、北… 岩本裕司(いわもと ゆうじ、1962年4月8日 - )は、北海道苫小牧市出身の元アイスホッケー選手、指導者。アジアリーグアイスホッケーの横浜GRITSに所属。 苫小牧市立和光中学校、駒大苫小牧高に進学し、1981年に雪印乳業に入社し、アイスホッケー部に入部。1999年からは選手兼任監督に就任。2001年の廃部に伴い現役を引退した。日本リーグ通算604試合出場は2009年時点での歴代最多出場記録であった。 第22回日本アイスホッケーリーグでは、ベスト6・アシスト王・ポイント王を獲得した。 日本リーグでは604試合の出場で、239ゴール、263アシスト、502ポイントをあげた。 「アイスホッケーの鉄人」「ミスター雪印」と呼ばれ、日本アイスホッケー界を牽引した。
星野 好男(ほしの よしお、1950年11月2日 - )は、… 星野 好男(ほしの よしお、1950年11月2日 - )は、栃木県日光市出身の元アイスホッケー選手である。ポジションはCF。 日光高校(現・日光明峰高校)から明治大学に進み、全日本として世界選手権に出場。日本代表史上最年少の21歳で1972年札幌オリンピックにも出場を果たす。 卒業後の1973年、国土計画に入社。カナダのブリティッシュコロンビア大学へアイスホッケー留学も経験。 1987年に史上初の日本リーグ通算450得点を達成。 全日本では主将も経験し、五輪3回、世界選手権14回出場を果たすなど日本を代表するフォワードとして活躍した。 1988年引退。日本リーグ通算得点185、アシスト266。得点王も2度獲得。
西田 範次(にしだ のりつぐ、1945年10月2日 - )は… 西田 範次(にしだ のりつぐ、1945年10月2日 - )は、岩手県盛岡市出身のホッケー指導者。富士大学教授、現富士大学ホッケー部総監督で日本ホッケー協会常務理事。 日本体育大学体育学部体育学科卒業後、岩手県教職員として採用され、岩手県立沼宮内高等学校教員として着任。自身はスキーの国体選手だったが、1970年の岩手国体を機にホッケー指導に転向し沼宮内高校とその後着任した岩手県立不来方高等学校を全国レベルの高校に育て上げ選抜大会やインターハイなどでチームを全国優勝に導いた。現在、指導者として日本フィールドホッケー界においてなくてはならない存在である。 2002年からは創部したばかりの富士大学ホッケー部の監督に就任、全国レベルの大学へと成長させ小沢みさきなどのオリンピック代表選手も育て上げている。
引木 孝夫(ひきぎ たかお、1944年10月30日 - )は… 引木 孝夫(ひきぎ たかお、1944年10月30日 - )は、北海道釧路市出身の元アイスホッケー選手(フォワード)。 釧路市立鳥取小学校→鳥取中学校を経て、釧路工業高校卒業後の1963年に王子製紙へ入社。1年目の同年からセンターFWのレギュラーとなり、日本リーグでは1966年の第1回から1982年の引退まで17回連続出場し、その間に第1回最優秀選手になるなど最優秀選手3回・得点王2回・アシスト王3回、ベスト6に9度も選ばれるなど活躍。 日本代表FWとして世界選手権に7回、オリンピックに2回(1968年グルノーブル・1972年札幌)出場。世界選手権ではCグループで優勝2回、Bグループで準優勝3回に貢献し、1967年の世界選手権ではCグループながら全勝優勝して世界にその名を轟かせた。
垣原 功(かきはら いさお、1944年5月1日 - )は、北… 垣原 功(かきはら いさお、1944年5月1日 - )は、北海道苫小牧市出身の元アイスホッケー選手。ポジションはセンターフォワード。
冨田 正一(とみた しょういち、1936年1月1日 - )は… 冨田 正一(とみた しょういち、1936年1月1日 - )は、日本の元アイスホッケー選手。ポジションはゴールキーパー。元日本アイスホッケー連盟会長、元国際アイスホッケー連盟副会長、初代アジアリーグアイスホッケーチェアマン、元日本オリンピック委員会国際委員会委員長。 東京都中央区京橋出身、ふすま紙や表具などの資材を扱う問屋の家に生まれた。明大明治中学・高校・明治大学卒業。 東京都で生まれ育ったが、小学校6年間は疎開で5つの学校に通った、少年時代は柔道やテニスに打ち込んでおり講道館に通っていたが、中学3年の時、スベン・ヨハンソン(英語版)(スウェーデン)との出会いをきっかけに明治高校のアイスホッケー部の練習に参加、高校進学後に正式に入部した。
田名部 匡省(たなぶ まさみ、1934年〈昭和9年〉12月7… 田名部 匡省(たなぶ まさみ、1934年〈昭和9年〉12月7日 - 2025年〈令和7年〉3月26日)は、日本の政治家、アイスホッケー選手。位階は正三位、勲等は旭日大綬章。 1960年スコーバレーオリンピック、1964年インスブルックオリンピック日本代表。参議院議員(2期)、衆議院議員(6期)、農林水産大臣(第17代)などを歴任した。次女は立憲民主党参議院議員の田名部匡代。 青森県八戸市出身。八戸市立第一中学校、青森県立八戸高等学校を経て、大学進学を期に上京。1957年(昭和32年)に立教大学経済学部経営学科を卒業した。 岩倉組アイスホッケー部のディフェンスとして活躍。アイスホッケー日本代表選手として2度の冬季オリンピック(1960年スコーバレー、1964年インスブルック)に出場した。
河渕 務(かわぶち つとむ、1925年5月16日 - 201… 河渕 務(かわぶち つとむ、1925年5月16日 - 2014年1月19日)は、日本のアイスホッケー選手、指導者。 日本女子アイスホッケーの父と呼ばれた。 北海道苫小牧市出身。1938年に旧制苫小牧中学校(現北海道苫小牧東高等学校)に入学してからアイスホッケーを始めた。立教大学に進学した後、1945年に中退し応召されて樺太に行った。復員した後、1947年に岩倉組に入社、アイスホッケー部の選手として、1954年の第7回国体、1957年の全日本アイスホッケー選手権で優勝、1959年に監督に就任した。 アイスホッケー日本代表の監督を務め、1960年の世界選手権Bプールで優勝、1964年インスブルックオリンピックの監督も務めた。
星野 仁十郎(ほしの にじゅうろう、1908年(明治41年)… 星野 仁十郎(ほしの にじゅうろう、1908年(明治41年)3月16日 - 1986年(昭和61年)7月22日)は、日本の政治家、アイスホッケー選手。栃木県(旧)日光市長を務めた。 日光町清滝水沢に生まれる。1942年(昭和12年)5月、日光町議会議員となる。その後、日光町の市制施行に伴い市議会議員となり1969年(昭和44年)7月まで議員を務めた。同年8月23日の日光市長選挙で当選。同月28日から1981年(昭和56年)8月27日まで市長を務めた。 市長在任中には前任者の佐々木耕郎と同様に観光施設の整備などに力を注いだ。さらに、清滝バイパスや霧降高原有料道路の開通など道路を整備することによる観光客増加を図った。
小林 定義(こばやし さだよし、1905年(明治38年)2月… 小林 定義(こばやし さだよし、1905年(明治38年)2月14日 - 1997年(平成9年)5月23日)は、 日本のフィールドホッケー選手、ホッケー指導者。 明治大学を卒業した。 1932年、日本のフィールドホッケーチームのメンバーとして1932年ロサンゼルスオリンピックに出場し、銀メダルを獲得した。バックとして2試合に出場した。また、1964年東京オリンピック日本選手団ホッケー監督を務めた。 明治大学ホッケー部監督を務めるとともに、全国を巡って高等学校にホッケー部を設けて指導を行うなど、ホッケー界の振興に尽力した。 浅川増幸 | 猪原淳三 | 宇佐美敏夫 | 小西健一 | 小林定義 | 今治彦 | 酒井義雄 | 柴田勝見 | 左右田秋雄 | 永田寛 | 中村英一 | 浜田駿吉 | 三浦四郎 | 監督: 広瀬藤四郎 岩橋邦雄 | 岡部道夫 | 加奥成雄 | 木原征治 | 高島昭男 | 滝沢健治 | 武田守洋 | 田中博司 | 橋本征治 | 松本紀彦 | 三輪宏 | 山岡敏彦 | 山口順一 | 勇崎勝弘 | 勇崎恒也 | 吉村実 | 若林徹也 | 渡辺寛 | 監督: 小林定義 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
奥住 恒二(おくずみ つねじ、生年不詳 - 2015年5月1… 奥住 恒二(おくずみ つねじ、生年不詳 - 2015年5月16日)は、日本のアイスホッケー指導者。日本アイスホッケー連盟第4代会長を2011年7月1日から務めた。東京都青梅市出身。代表取締役社長も務めた奥住運輸は、福祉バスの事業化に成功している。 法政大学を卒業後、同大学や法政大学第一高等学校のアイスホッケー部のコーチ、国民体育大会東京成年代表監督などを務めた後、2009年から東京都アイスホッケー連盟会長を2011年5月まで務めた。明星大学、昭和大学、日本大学鶴ヶ丘高等学校でもコーチを務めた。 1964年に青梅市に人工スケート場が開設されたことから、東京都で最も古い小中学生アイスホッケーチームの西東京インディアンズをスタートさせた。
府金尚輝(ふがねなおき)は、日本のホッケー選手、ホッケー指導… 府金尚輝(ふがねなおき)は、日本のホッケー選手、ホッケー指導者。また、高校の教員も務めている。岩手県出身。また、天理大学ホッケー部の監督を務めた経験もある。 現在は奈良県立青翔中学校・高等学校に転じ、ホッケー部の顧問を務めるほか、体育の指導や、クラス担任を務めている。 岩手県立沼宮内高等学校ホッケー部でインターハイ優勝。天理大学ホッケー部でインカレ優勝。わかくさ国体で奈良県代表の主将として優勝。天理クラブで全日本選手権優勝。 奈良県立二階堂高等学校の教員時代にホッケー部を創設。 1985年に奈良県立二階堂高等学校の教え子の佐野一郎(現二階堂クラブ主将)らと二階堂クラブを創部、現在も二階堂クラブの選手兼任監督として現役を続けている。