木下 亜希子(きのした あきこ、1976年7月13日 - )… 木下 亜希子(きのした あきこ、1976年7月13日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(アイスダンス)。パートナーは守脇洋介、小泉仁。戸板女子高等学校、法政大学卒業。東京都出身。 1997年ユニバーシアード3位。 1991年、小泉仁とカップルを組み、全日本ジュニア選手権に出場し3位に入る。 1992年、守脇洋介とカップルを組み直し、全日本ジュニア選手権で2位に入る。その後、1993年と1994年の全日本ジュニア選手権で2連覇を果たす。 1995年、全日本選手権で都築奈加子/ラザグリアエフ組、河合彩/田中衆史組に次いで3位に入った。 1996年、初出場となったNHK杯で11位、全日本選手権で2位に入り、昨年より順位を上げた。
鈴木 誠一(すずき せいいち、1976年7月8日 - )は、… 鈴木 誠一(すずき せいいち、1976年7月8日 - )は、東京都出身の元男性フィギュアスケート選手で現在はコーチ兼プロスケーター。明治大学卒。 5歳でスケートを始め、やがて佐藤信夫、久美子夫妻に師事。1992年全日本フィギュアスケートジュニア選手権2位となり、1994年世界ジュニアフィギュアスケート選手権で銅メダルを獲得。大学卒業とともにアマチュアを引退。現在は新横浜プリンスホテルアイスセンターでコーチをしている。また、プロフィギュアスケート選手として、八木沼純子率いるプリンスアイスワールドチームの一員。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
岡崎 真(おかざき まこと、1976年5月8日 - )は、広… 岡崎 真(おかざき まこと、1976年5月8日 - )は、広島県出身の男性フィギュアスケート選手で現在はコーチ。兄は岡崎央。広島市立基町高等学校、福岡大学卒。ISUテクニカル・スペシャリスト(国際スケート連盟認定の技術審判員)。
木戸 章之(きど あきゆき、1975年8月28日 - )は、… 木戸 章之(きど あきゆき、1975年8月28日 - )は、日本の男性元フィギュアスケートアイスダンス選手。千葉県松戸市出身。パートナーは渡辺心と都築奈加子。 10歳よりスケートを習い、翌年よりアイスダンスに転向。幼少時から抜群のスケーティングを見せ、将来を嘱望された。 ジュニア時代には都築奈加子とカップルを結成し、1987年、1988年、1989年全日本フィギュアスケートジュニア選手権で3連覇、1991年、1992年に羽吹ユキとカップルを組み直し2連覇を果たした。膝の故障や芝浦工大柏高校時代に進路上の都合で競技から離れていた時期もあったが、筑波大学進学後渡辺心とコンビ結成を機に競技生活を本格化させる。
小岩井 久美子(こいわい くみこ、1975年6月27日 - … 小岩井 久美子(こいわい くみこ、1975年6月27日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。1993年世界ジュニア選手権優勝、1995年世界選手権日本代表(16位)。 愛知県大府市出身。スケートを始めた時は小塚光彦(小塚崇彦の祖父)が設立したオリオンFSCに所属し、のちに伊藤みどりらを育てた山田満知子に師事し、女子フィギュアスケート選手として活躍。1991-1992シーズンに全日本ジュニア選手権で優勝し、翌1992-1993シーズンの世界ジュニア選手権で日本人選手として2人目の優勝を果たした。また、シニアのNHK杯や全日本選手権でも表彰台に上り、翌1994年に控えたリレハンメルオリンピックの有力な若手選手であった。
河合 彩(かわい あや、1975年4月4日 - )は、日本の… 河合 彩(かわい あや、1975年4月4日 - )は、日本の元フィギュアスケートアイスダンス選手、元日本テレビアナウンサー。現在タレント・フリーアナウンサー・フィギュアスケート競技解説者。1998年長野オリンピックアイスダンス日本代表。
及川 史弘(おいかわ ふみひろ、1973年8月26日 - )… 及川 史弘(おいかわ ふみひろ、1973年8月26日 - )は、宮城県出身の元フィギュアスケート選手で、1994年リレハンメルオリンピック男子シングル日本代表。早稲田大学卒。174cm。後述の通り、大学卒業後は、東北放送に入社。現在は、報道制作部スポーツ部長。 宮城県仙台市出身。1990-1991年シーズンの全日本ジュニア選手権で優勝。東北学院高等学校を卒業して早稲田大学に進学し、翌1991-1992年シーズンの全日本ジュニア選手権も制した。世界ジュニア選手権には3度出場を果たしたが、表彰台に上ることはなかった。1992-1993年シーズンよりシニアに完全転向し、全日本選手権で3位。 オリンピックシーズンとなった1993-1994年シーズン、全日本選手権3連覇中だった鍵山正和を抑え優勝を果たしリレハンメルオリンピックと1994年世界選手権の日本代表に選出された。
八木沼 純子(やぎぬま じゅんこ、1973年4月1日 - )… 八木沼 純子(やぎぬま じゅんこ、1973年4月1日 - )は、1980年代から1990年代にかけて活躍した日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。1988年カルガリーオリンピック女子シングル日本代表(14位)。世界選手権通算7回出場(最高11位)、1993年ユニバーシアード大会優勝など。1995年からプロスケーターに転向し、他スポーツキャスター、解説者としても活動している。マネジメント契約先はスポーツビズ。愛称は「ジュンジュン」。内閣総理大臣を2度務めた松方正義及び山本権兵衛の玄孫にあたる。 東京都港区出身。森村学園初等部、品川区立第二延山小学校(5年生時に編入)、品川中学校・高等学校(現・品川女子学院中等部・高等部)を経て早稲田大学教育学部(社会科社会科学専修)を卒業。
佐藤 有香(さとう ゆか、Yuka Sato Dungjen… 佐藤 有香(さとう ゆか、Yuka Sato Dungjen、1973年2月14日 - )は、東京都出身の元フィギュアスケート(女子シングル)選手、プロフィギュアスケーター、フィギュアスケートコーチ 兼 振付師。父は佐藤信夫、母は佐藤久美子。1992年アルベールビルオリンピック7位入賞、1994年リレハンメルオリンピック5位入賞、1994年世界選手権優勝、1993年・1994年全日本選手権優勝など。
阿部 奈々美(あべ ななみ、1972年10月11日 - )は… 阿部 奈々美(あべ ななみ、1972年10月11日 - )は、日本のフィギュアスケートコーチ兼振付師。三島学園女子高等学校卒、東北学院大学卒。 宮城県仙台市出身。3歳からスケートを始める。長久保裕の指導を受け、女子シングルの選手として活動した。全日本選手権にはシニア1年目の高校3年時と大学4年時の2度出場している。大学卒業後の1995年にアマチュアを引退してからはディズニー・オン・アイスに出演。ショーの振付師であるサラ・カワハラから強い影響を受けつつ、ツアーのない時期には長久保のアシスタントとして指導や振付を行った。 2001年11月にツアーを引退してからは仙台を拠点にコーチ・振付師としての活動を始め、荒川静香、田村岳斗らの振付を担当した。
田中 衆史(たなか ひろし、1972年〈昭和47年〉5月29… 田中 衆史(たなか ひろし、1972年〈昭和47年〉5月29日 - )は、神奈川県横浜市出身の男性フィギュアスケート選手で現在はコーチ。1998年長野オリンピックアイスダンス日本代表。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校卒業、東洋大学卒業。パートナーは河合彩。
小山 朋昭(こやま ともあき、1971年10月4日 - )は… 小山 朋昭(こやま ともあき、1971年10月4日 - )は、東京都出身の男性フィギュアスケート選手で現在はコーチ兼解説者。1992年アルベールビルオリンピックペア日本代表。元パートナーは井上怜奈。日本大学卒。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
柏原 由起子(かしはら ゆきこ、現姓:島津、1971年9月8… 柏原 由起子(かしはら ゆきこ、現姓:島津、1971年9月8日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。武庫川女子大学附属中学校・高等学校、カナダ・ノース・ビューハイツ高校を経て、フィリップス大学英米文学部卒。 7歳より、神戸FSCにてフィギュアスケートを始める。 1983年の第51回全日本ジュニア選手権では当時12歳にして3位となる。1987年の第55回全日本選手権では伊藤みどり、加藤雅子に次いで3位となった。 1987-1988シーズンにおいては、1987年の第56回全日本ジュニア選手権で優勝。同年の世界ジュニア選手権では、クリスティー・ヤマグチ、八木沼純子に次いで3位になり、1988年カルガリーオリンピックの出場の期待も高まったが選考会を兼ねた全日本選手権では6位に終わった。
鍵山 正和(かぎやま まさかず、1971年4月12日 - )… 鍵山 正和(かぎやま まさかず、1971年4月12日 - )は、愛知県名古屋市出身の男性フィギュアスケート選手で現在はコーチ。日本人で初めて4回転ジャンプに挑戦した人物である。1992年アルベールビルオリンピック、1994年リレハンメルオリンピック男子シングル日本代表。1989年世界ジュニア選手権3位。愛知工業大学名電高等学校卒業。愛知工業大学中退。息子は同じフィギュアスケート選手の鍵山優真。 1991年から全日本フィギュアスケート選手権3年連続で優勝した。1994年の全日本フィギュアスケート選手権では及川史弘に次ぐ2位に終わった。 解説者の五十嵐文男は「膝と足首が柔らかい選手」と評価した。アクセルジャンプはやや苦手としたが、膝と足首の柔らかさはトリプルルッツ-トリプルトゥなどの連続ジャンプでより活かされた。
佐藤 操(さとう みさお、英語: Misao Sato、19… 佐藤 操(さとう みさお、英語: Misao Sato、1970年10月18日 - )は、日本の女性元フィギュアスケート選手(アイスダンス)。パートナーは、酒井剛。現在は、横浜銀行アイスアリーナを所属として、フィギュアスケートコーチ、振付師として活動している。 東京都出身。法政大学卒業。 アイスダンスの選手として、第61回(1992年)・第62回(1993年)の全日本フィギュアスケート選手権で二年連続3位に入った。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
西川 大祐(にしかわ だいすけ、1970年1月30日 - )… 西川 大祐(にしかわ だいすけ、1970年1月30日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。京都府出身。1990年全日本フィギュアスケート選手権3位。同志社大学卒業。 1985年、全日本ジュニア選手権で3位に入り、初出場となった世界ジュニア選手権では14位に終わる。 1986年、全日本ジュニア選手権で優勝を果たし、2年連続出場となった世界ジュニア選手権では13位となる。1988年、国民体育大会に京都府代表で出場し、少年男子で優勝する。1989年、ラリック杯に出場し10位に終わる。1990年、全日本選手権に出場し鍵山正和、村田光弘に続いて3位に入る。1991年、ネイションズカップに出場し5位に入る。
村田 光弘(むらた みつひろ、1970年1月26日 - )は… 村田 光弘(むらた みつひろ、1970年1月26日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。現在はコーチ。1992年アルベールビルオリンピック23位。 青森県八戸市出身。明治大学卒。1983年全日本フィギュアスケートジュニア選手権優勝。1992年アルベールビルオリンピックに日本代表として出場し、23位。現在は、長野県スケート連盟専属コーチとして活躍。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
伊藤 みどり(いとう みどり、1969年8月13日 - )は… 伊藤 みどり(いとう みどり、1969年8月13日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。愛知県名古屋市中区出身。東海女子高等学校(現、東海学園高等学校)、東海学園女子短期大学卒業。兄は元インラインスケート選手の伊藤裕幸。 1992年アルベールビルオリンピック女子シングル銀メダリスト。1989年世界選手権優勝。1988年カルガリーオリンピック5位入賞。1985年から1992年まで全日本選手権8連覇。女子選手として世界初のトリプルアクセルや3回転-3回転連続ジャンプに成功した。1989年に「最も高得点を取ったフィギュアスケーター」としてギネスブックに掲載。2004年には、日本人として初めて世界フィギュアスケート殿堂入り。
樋口 美穂子(ひぐち みほこ、1969年5月13日 - )は… 樋口 美穂子(ひぐち みほこ、1969年5月13日 - )は、日本のフィギュアスケートコーチ、振付師、元選手(女子シングル)。愛知県出身。名古屋市立前津中学校、中京女子高等学校(現在の至学館高等学校)卒業。 現役時代は山田満知子に師事し、1981年の全日本ジュニア選手権2位、全日本選手権に出場するなどの成績を残した。 1992年アルベールビルオリンピック・銀メダリストの伊藤みどりとは中学校の同級生で、幼少期から伊藤の練習仲間だった。 20歳で現役引退、1990年から名古屋スポーツセンターをホームリンクとする「グランプリ東海フィギュアスケーティングクラブ」で、かつては山田満知子のアシスタントを長年務めていた。
結城 幸枝(ゆうき さちえ、1968年3月23日 - )は、… 結城 幸枝(ゆうき さちえ、1968年3月23日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手。明治大学卒。 小学3年生のときにスケートを始める。 1980年の第48回全日本ジュニア選手権で2位となる。1983年に行われた第51回全日本選手権では小沢樹里、青谷めぐみに続き3位につけ、引退した渡部絵美の後継者の候補となった。 同年11月には伊藤みどりと共に欧州遠征を行い、プラハ国際2位、エニア・チャレンジ・カップで3位と入賞。同年12月のユーゴスラビアのサラエヴォで行われた世界ジュニア選手権では5位。翌年1月に行われた第52回全日本ジュニア選手権では2位となった。 1985年の第53回全日本選手権では伊藤みどり、加藤雅子に続き3位、翌年の全日本選手権では2位となった。
阿部 鉄雄(あべ てつお、1967年3月23日 - )は、日… 阿部 鉄雄(あべ てつお、1967年3月23日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。現在は日本スケート連盟強化副部長。森村商事所属。港区立青山中学校、保善高等学校、日本大学卒業。 1982年、全日本ジュニア選手権に出場し2位に入る。1985年には国民体育大会の少年男子で優勝。1988年、日本学生氷上選手権に出場し3位に入る。選手引退後は、日本スケート連盟に所属し、フィギュアスケートの強化副部長、ソチオリンピック日本選手団のコーチを歴任。
西田 美和(にしだ みわ、1967年3月17日 - )は、東… 西田 美和(にしだ みわ、1967年3月17日 - )は、東京都出身の元フィギュアスケート選手で、現在はプロフィギュアスケーター、フィギュアスケートインストラクター、振付師として活躍している。明治大学卒業。スカイコート株式会社代表取締役社長。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
加納 誠(かのう まこと、1966年10月16日 - )は、… 加納 誠(かのう まこと、1966年10月16日 - )は、大阪府出身の男性フィギュアスケート選手で、現在はフィギュアスケート審判員。1988年カルガリーオリンピック男子シングル日本代表で17位の記録を持つ。摂南大学卒。176cm。
長田 樹里(おさだ じゅり、1965年11月7日 - )は、… 長田 樹里(おさだ じゅり、1965年11月7日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手。現在はフィギュアスケートのインストラクター。旧姓は小沢。嘉悦女子高等学校、専修大学卒業。東京都練馬区出身。西武東伏見フィギュアスケートクラブ専属インストラクター。
加藤 雅子(かとう まさこ、1965年8月6日 - )は、東… 加藤 雅子(かとう まさこ、1965年8月6日 - )は、東京都品川区出身のフィギュアスケート選手。1984年サラエボオリンピック女子シングル日本代表。明治大学卒。コーチは1983年まで佐藤信夫。その後は引退まで森山繁夫。 3歳のとき、兄とスケート場に行ったのきっかけにスケートを始めた。1970年代以来、日本では1972年札幌オリンピックによるフィギュアスケート熱が高まっていた。渡部絵美が1979年の世界選手権でメダルをとる等の結果を修めた後1980年に引退、その後継者探しに関係者は懸命だった。そのさなか加藤が高いジャンプと確実な基礎技術を売り物として1977年全日本選手権にデビュー、脚光を浴びた。
門奈 裕子(もんな ゆうこ、1965年6月22日 - )は、… 門奈 裕子(もんな ゆうこ、1965年6月22日 - )は、日本のフィギュアスケートコーチ。静岡県浜松市出身。愛知県名古屋市在住。 静岡県浜松市出身。浜松女子商業高等学校(現在の浜松修学舎高等学校)、中京女子大学(現在の至学館大学)卒業。 浜松市内のスケートリンクでスケートを始め、浜松女子商業高校を卒業後は愛知県名古屋市の中京女子大学に進学し、小塚光彦指導の下で名古屋市を拠点に活動を行った。大学卒業と同時に選手を引退。 引退後は指導者の道へと進み、名古屋市内にある星ヶ丘スポーツP&Sの専任コーチを経て現在は名東フィギュアスケーティングクラブの顧問コーチを務めている。2007年には山田満知子、小塚嗣彦とともに中京大学アイスアリーナアドバイザーに就任した。
東野 章子(ひがしの あやこ、1964年6月22日 - )は… 東野 章子(ひがしの あやこ、1964年6月22日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(アイスダンス)。現在はコーチ兼アイスダンスのテクニカルスペシャリスト。スポーツ解説者。パートナーは松村達郎。学習院大学文学部史学科卒業。 1988年、松村達郎とカップルを組み、全日本選手権で滝野薫/滝野賢治組に次いで2位に入る。その後、1991年まで同選手権では4年連続の2位となる。 引退後はプリンスアイスワールド出演を経て指導者の道に入り、新横浜スケートセンターでコーチ。またISUテクニカル・スペシャリスト(2003-2004シーズンから採用された新採点システムで設けられた国際スケート連盟公認の技術審判)としても活躍し。
松村 達郎(まつむら たつろう、1962年7月23日 - )… 松村 達郎(まつむら たつろう、1962年7月23日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(アイスダンス)。パートナーは東野章子。全日本フィギュアスケート選手権2位(1988年 - 1991年)。東京都出身。青山学院大学卒業。身長は171cm。 1988年、東野章子とカップルを組み、全日本選手権で滝野薫/滝野賢治組に次いで2位に入る。その後、1991年まで同選手権では4年連続の2位となる。 引退後は、アイスダンスコーチとして活躍し、1998年の長野オリンピックでは日本人初のアイスダンスコーチとしてリンクサイドに立つ。その後、日本スケート連盟に所属し、トリノオリンピック・バンクーバーオリンピック・ソチオリンピックの日本選手団の総務を務めた。
小川 れい子(おがわ れいこ、旧姓:小林、1961年1月15… 小川 れい子(おがわ れいこ、旧姓:小林、1961年1月15日 - )は、広島県呉市出身の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。 7歳からスケートをはじめ、呉市立白岳小学時から広島フィギュアクラブに所属。同級の無良隆志も同クラブに所属。中学から大阪豊中市の梅花中学校にスケート留学し、梅花高等学校卒業後は同志社大学に入学し、同大学を卒業した。 渡部絵美と同じ1972年にデビューし、全日本フィギュアスケートジュニア選手権2位。1976年から1979年まで全日本選手権で連続4年2位となる。1977年、第一人者の渡部絵美が世界フィギュアスケート選手権出場のため欠場した国体を楽勝で初優勝した。同年8月フランス・サンジェルヴェ国際グランプリで国際大会初優勝。
無良 隆志(むら たかし、1960年11月11日 - )は、… 無良 隆志(むら たかし、1960年11月11日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル・ペアスケーティング)。現在はインストラクター兼コーチ。パートナーは岡部由紀子、伊藤俊美。鳥取県西伯郡岸本町(現伯耆町)生まれ、広島県広島市南区翠町育ち。 広島市立翠町中学校、広島山陽高校、日本大学卒業。身長170cm。フィギュアスケーターの無良崇人は息子。 1979年、1980年全日本フィギュアスケート選手権優勝(ペア)。1983年ユニバーシアード優勝(男子シングル)。 幼少期に米子市内のリンクでフィギュアを始め、後広島市に移る。小川れい子(旧姓・小林)らと共に小学時から広島フィギュアクラブに所属。
大橋 美和子(おおはし みわこ、現姓:安藤、1960年10月… 大橋 美和子(おおはし みわこ、現姓:安藤、1960年10月31日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。フィギュアスケート審判員。パティネ商会監査役。父はフィギュアスケート選手の大橋和夫。東京都出身。慶應義塾大学卒業。 3歳のころから大川久美子コーチにつきスケートを始める。10歳のとき、1970年の第39回ジュニア選手権で優勝(2位は渡辺しのぶ、3位は上野ひろみ)。10歳での優勝は、本大会での最年少優勝である。1972年、第41回全日本選手権で2位に入る。12歳での2位入賞は、稲田悦子以来の小学生での入賞者となった。以降、1974年まで同選手権で3年連続で2位に入り、の渡部絵美を抜くことは叶わなかった。
濱田 美栄(はまだ みえ、1959年10月29日 - )は、… 濱田 美栄(はまだ みえ、1959年10月29日 - )は、日本のフィギュアスケートコーチ。 京都府京都市出身。2020年から木下スケートアカデミーのゼネラルマネージャーとして後進の指導に当たっている。 小学校6年生の時に1972年札幌オリンピックのフィギュアスケート競技女子シングルフリー演技を真駒内屋内競技場(札幌市)で観戦しており、その時の濱田を撮影した写真が1972年2月8日の朝日新聞に掲載されたことがある。 京都市立藤森中学校、京都市立日吉ヶ丘高等学校を経て、同志社大学卒業。既婚。娘が1人いる。 フィギュアスケート選手として活動し、全日本フィギュアスケート選手権10位が最高成績。同志社大学卒業とともに現役を引退してコーチへと転身し、京都醍醐FSC及び関西大学アイスアリーナでコーチを務める。
渡部 絵美(わたなべ えみ、本名:渡部・キャスリン・絵美、1… 渡部 絵美(わたなべ えみ、本名:渡部・キャスリン・絵美、1959年8月27日 - )は、1970年代に活躍した日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)、タレント。現在はタレント兼プロフィギュアスケーター。エミ・エンタープライズ所属。1979年世界選手権3位。1980年レークプラシッドオリンピックでは6位入賞を果たす。1972年から全日本選手権8連覇。東京都出身。専修大学卒業。公認候補者として所属した自由連合では政策審議会副会長を務めた。 1959年8月27日(木曜日)、日本人の父純一と、スペイン系フィリピン人の母リディアとの間に二男二女の末子として世田谷区にて生まれる。純一の父である勝頼(すなわち絵美の祖父、旧制会津中学校15回卒で京都帝国大学卒)は貿易商で元々フィリピンと関係が深く、純一も旧制東京商科大学(現・一橋大学)入学前からしばしばフィリピンを訪れていたが海軍中尉として太平洋戦争下のフィリピンへ出征した際にネグロス島の地主の娘であるリディアと出会い、二人は現地で戦時中に結婚してそこに留まり、戦後になって日本に生活拠点を移した。
佐藤 紀子(さとう のりこ、1959年5月26日 - )は、… 佐藤 紀子(さとう のりこ、1959年5月26日 - )は、東京都出身の女性フィギュアスケート選手で現在はコーチ。1984年サラエボオリンピックアイスダンス日本代表。パートナーは高橋忠之。日本大学卒業。 当初は関根章とカップルを組んでいたが、1979年より高橋忠之と組む。1980年から1985年まで全日本フィギュアスケート選手権6連覇を達成。1984年にサラエボオリンピックに初出場し17位となる。 1984年プラハスケートで国際大会初優勝を果たし、1985年に東京で開催された世界フィギュアスケート選手権では13位となった。これを最後にアマチュア競技者として引退。 引退後、プリンスホテルが主催するアイスショー、プリンスアイスワールドの一員となり長年活躍する。
鈴木 弘幸(すずき ひろゆき、1959年3月5日 - )は、… 鈴木 弘幸(すずき ひろゆき、1959年3月5日 - )は、福岡県出身の男性フィギュアスケート選手。現在はコーチ。1988年カルガリーオリンピックアイスダンス日本代表。明治大学卒業。パートナーは田中智子。息子は同じくアイスダンス選手の鈴木健太郎。娘はCoherent Dreamsのボーカル鈴木彩夏。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
申 恵淑(シン・ヘスク、朝鮮語: 신혜숙、英語: Shin … 申 恵淑(シン・ヘスク、朝鮮語: 신혜숙、英語: Shin Hae-Sook、1957年11月29日 - )は、大韓民国出身のフィギュアスケート選手(女子シングル)。現在はコーチ兼振付師。1980年レークプラシッドオリンピック韓国代表。専修大学卒業。 現役時代は品川スケートセンターにてプリンスクラブに所属し、都築章一郎コーチに師事。佐野稔選手などと選手生活を共にした。選手時代は1980年のレークプラシッドオリンピックに韓国代表として出場したほか、1979年と1980年の世界選手権にも同国代表として出場した。 選手引退後の1984年より韓国に渡りコーチとなり、これまでに金妍兒、金海珍、郭珉整などの韓国国内のスケート選手の指導を行ってきた。
松村 充(まつむら みつる、1957年4月9日 - )は、日… 松村 充(まつむら みつる、1957年4月9日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手。現在はコーチ。アイスダンス選手であった鹿毛ゆみ子(旧姓)は妻。 フィギュア選手の武山修子の家族との関係でスケートを始める。佐藤信夫の指導を受ける。1976年インスブルック五輪、1980年レークプラシッド五輪男子シングル日本代表。 1982年にプロとなり、プリンスアイスワールドなどで活躍した。1990年代から指導者に転じた。日本で18番目にバッジテスト8級を取得した選手である。 佐野稔とは親友で、ライバル関係でもある。豪快で高いジャンプが特徴であった。専修大学卒業。身長167cm。
岡島 功治(おかじま こうじ、1957年3月23日 - )は… 岡島 功治(おかじま こうじ、1957年3月23日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(ペアスケーティング)。現在はコーチ。元パートナーは竹崎睦、加藤はま江、浅野奈穂子。1979年全日本選手権2位。 北海道出身。北海高等学校、日本大学卒業。 1976-77シーズン、浅野奈穂子とペアを組み全日本選手権に出場し3位に入る。1978-79シーズン、加藤はま江とペアを組み直して挑んだ全日本選手権で再び3位となる。1979-80シーズン、竹崎睦と新たにペアを組み直す。同年の全日本選手権では岡部由紀子/無良隆志組に次いで2位に入る。 選手引退後は指導者となり、千葉県松戸市の新松戸アイスアリーナのコーチを経て現在は新宿区にある明治神宮外苑アイススケート場の専任コーチを務める。
高橋 忠之(たかはし ただゆき、1956年3月1日 - )は… 高橋 忠之(たかはし ただゆき、1956年3月1日 - )は、フィギュアスケート選手、コーチ。1984年サラエボオリンピックアイスダンス日本代表。同大会の開会式で日本選手団の旗手を務める。明治大学卒業。パートナーは佐藤紀子。 当初は坂野幸子とカップルを組み、鹿毛ゆみ子とカップルを組んでいたが、1979年より佐藤紀子と組む。1979年から1985年まで全日本フィギュアスケート選手権7連覇を達成。1984年サラエボオリンピックに初出場し17位となる。 1984年プラハスケートで国際大会初優勝を果たし、1985年東京で開催された世界フィギュアスケート選手権では13位となる。これを最後にアマチュア競技者として引退。
小林 芳子(こばやし よしこ、1955年12月23日 - )… 小林 芳子(こばやし よしこ、1955年12月23日 - )は、日本のフィギュアスケートコーチ。日本スケート連盟フィギュアスケート強化部長。兵庫県神戸市出身。親和女子高等学校、関西学院大学卒業。夫は元プロ野球選手である小林晋哉。 兵庫県神戸市出身。親和女子高等学校、関西学院大学卒業。 高校生まではフィギュアスケート選手であったが大学卒業後、日本スケート連盟に所属し、2012年7月7日よりフィギュアスケート強化部長に就任。また日本オリンピック委員会専任コーチングディレンクター・トップアスリート担当及びスケート上級コーチも務める。 2010年のバンクーバーオリンピックでは選手のコーチを務め、2014年のソチオリンピックではフィギュアスケート日本代表の監督を務めた。
佐野 稔(さの みのる、1955年6月3日 - )は、日本の… 佐野 稔(さの みのる、1955年6月3日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手。日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学卒業。1976年インスブルックオリンピック男子シングル日本代表。1977年世界選手権3位。現在は明治神宮外苑アイススケート場ヘッドコーチ、日本フィギュアインストラクター協会理事長。日本スケート連盟理事(平成24・25年度)。解説者としても活動している。 座右の銘は「無我の境地」。実娘の佐野緑もプロスケーターで、ディズニー・オン・アイスの2005年度日本公演に出演している。弁護士の菰田優元日本弁護士連合会事務総長は長年の友人。 1955年、山梨県東八代郡石和町(現在の笛吹市)に生まれる。
大西 勝敬(おおにし よしのり、1954年7月21日 - )… 大西 勝敬(おおにし よしのり、1954年7月21日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。現在はコーチ。大阪府大阪市出身。法政大学卒業。1973年全日本選手権3位。 1973年、国民体育大会に東京都代表として出場し、高校男子で優勝する。同年の全日本選手権では、佐野稔、松村充に続き3位に入る。 1977年の全日本選手権を最後に引退した後は、桜ノ宮スケートリンクのコーチを経て大阪府立臨海スポーツセンターで主任コーチを務めた。教え子には町田樹、加納誠、平池大人、北村明子などがいる。加納とはカルガリー五輪へ、町田とはソチ五輪へコーチとして帯同。現在は日本フィギュアスケーティングインストラクター協会の副会長を務める。
中野 園子(なかの そのこ、1952年10月16日 - )は… 中野 園子(なかの そのこ、1952年10月16日 - )は、日本のフィギュアスケートコーチ。JFSIA理事。兵庫県神戸市出身。日本大学文理学部卒業。 神戸市立魚崎小学校、神戸市立葺合高等学校、日本大学卒業。学生時代は女子シングル選手として活動した。 選手引退後にコーチに転向し、現在はグレアム充子と共に神戸フィギュアスケートクラブでコーチを務める。これまでに三原舞依、坂本花織、新田谷凜、岩野桃亜、梅谷英生、山隈太一朗、壷井達也などの指導を行う。
長光 歌子(ながみつ うたこ、旧姓:藤本、1951年3月23… 長光 歌子(ながみつ うたこ、旧姓:藤本、1951年3月23日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。兵庫県出身。 現在は関西大学アイススケート部コーチ。兵庫県立芦屋高等学校卒業。武庫川女子大学中退。 選手時代は田中鉄太郎に師事し、兵庫県立芦屋高等学校在籍中の1966年の全日本ジュニア選手権で優勝した。全日本選手権では最高6位に入った。高校卒業後に武庫川女子大学へ進学したが中退。1972年に引退し、のちにコーチ兼振付師として活動を始めた。 教え子には浅沼まり、林祐輔、澤田亜紀、村上大介、國分紫苑、上野沙耶、田中刑事、友滝佳子、中村優など、西日本を中心とした国内選手を数多く指導している。
長沢 琴枝(ながさわ ことえ、 1950年6月11日 - )… 長沢 琴枝(ながさわ ことえ、 1950年6月11日 - )は、元女性フィギュアスケート選手で、現役引退後はフィギュアスケートコーチ。1972年札幌オリンピックペア日本代表。パートナーは長久保裕。
樋口 豊(ひぐち ゆたか、1949年9月20日 - )は、日… 樋口 豊(ひぐち ゆたか、1949年9月20日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)、フィギュアスケートコーチ、振付師、解説者。1968年グルノーブルオリンピック、1972年札幌オリンピック日本代表。法政大学卒業。 1949年東京都北区東十条生まれ。幼少時は病弱であったという。1959年、小学校5年生の時から後楽園アイスパレスにてスケートを習い始める。明星学園高等学校3年生だった1968年、1968年グルノーブルオリンピックに出場。同年に高校を卒業後、直ちにカナダ・トロントにスケート留学。トロント・クリケット・スケーティング・アンド・カーリング・クラブのメンバーとなる。1971年に帰国し、法政大学に入学。
加藤 真弓(かとう まゆみ、旧姓:赤広、1949年3月28日… 加藤 真弓(かとう まゆみ、旧姓:赤広、1949年3月28日 - )は、東京都出身の女性フィギュアスケートアイスダンス選手。国際スケート連盟公認のフィギュアスケート審判員。玉川大学卒業。パートナーは田村正人。 東京都に生まれた。玉川大学在学中に田村正人とのカップルで出場した1967-1968年シーズンの全日本フィギュアスケート選手権アイスダンスで優勝。その後フィギュアスケート審判員の道へ進んだ。 アイスダンスでは、三笠宮崇仁親王(昭和天皇の弟)のパートナーでもあり、ジャッジ(審判員)転向後も、ショーなどで活動を続けた。 結婚後は加藤姓で活動。現在は日本スケート連盟理事に就任し、審判員としては国際競技会で主にアイスダンス種目をジャッジを担当する数少ない日本人の1人である。
吉沢 昭(よしざわ あきら、1949年1月16日 - )は、… 吉沢 昭(よしざわ あきら、1949年1月16日 - )は、日本のフィギュアスケート選手(男子シングル)。選手引退後はフィギュアスケート審判員を務めた。1968年、1969年全日本フィギュアスケート選手権2位。 東京都出身。千代田区立練成中学校、明治大学付属明治高等学校、明治大学卒業。妹の吉沢春水もフィギュアスケート選手だった。 1969年、国民体育大会に東京都代表で出場し、一般男子で優勝する。同年、全日本選手権に出場し小塚嗣彦に続いて2位に入る。 1970年、全日本選手権では樋口豊に続いて2年連続で2位となる。 また日本学生氷上競技選手権大会では第41回(1969年)と第42回(1970年)に2位、第43回(1971年)に1位を獲得した。
大西 一美(おおにし かずみ、旧姓:山下、1948年10月1… 大西 一美(おおにし かずみ、旧姓:山下、1948年10月18日 - )は、大阪府出身の元フィギュアスケート選手。1968年グルノーブルオリンピック、1972年札幌オリンピック女子シングル日本代表。関西学院大学卒。166cm。夫はゴルフ評論家の大西久光。母は元フィギュアスケート選手の山下艶子。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
長久保 裕(ながくぼ ひろし、1946年12月14日 - )… 長久保 裕(ながくぼ ひろし、1946年12月14日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手、フィギュアスケートコーチ。1972年札幌オリンピック代表。 山梨県出身。山梨大学附属中学校、山梨県立甲府第一高等学校、日本大学卒業。1966年、全日本フィギュアスケートジュニア選手権男子シングルで優勝。1967年から1971年まで、長沢琴枝とともに全日本フィギュアスケート選手権ペア5連覇。1972年札幌オリンピックでペア16位に入った。 競技を引退してからは千葉・新松戸で指導者となる。1988年から仙台市の「泉DLLアカデミー」のコーチとなる。この頃、仙台には及川史弘がいた。その後、長久保に師事すべく各地から有望選手が集まり、1998年長野オリンピックには本田武史、田村岳斗、荒川静香、荒井万里絵と4人の教え子が出場した。