福田 美蘭(ふくだ みらん、1963年2月6日 - )は、日… 福田 美蘭(ふくだ みらん、1963年2月6日 - )は、日本の現代美術家。 東京都世田谷区出身。父はグラフィックデザイナーの福田繁雄、祖父は童画家の林義雄。聖心女子学院初等科・中等科・高等科卒業。1985年東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。1987年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻油画修了。1988年6月ギャルリーユマニテ東京にて初個展を開催。1988年10月から朝日新聞(夕刊)連載小説、赤川次郎『人形たちの椅子』の挿絵を担当(1989年5月まで)。1989年には「第32回安井賞展」において、当時史上最年少の26歳で同賞を受賞。過去の名画にデジタル加工するなど手を加えたり、食材など身の回りの素材を組み合わせたりした作品が多い。
中村 政人(なかむら まさと、1963年 - )は、日本の現… 中村 政人(なかむら まさと、1963年 - )は、日本の現代美術家。東京藝術大学教授。 村上隆と共に「中村と村上」展や「大阪ミキサー計画」などを活動を展開した後、コンビニの看板を作品化したシリーズやマクドナルドのMサインを作品化するなど、作品展開を進め、1998年よりアーティスト・イニシアティブ「コマンドN」を主宰。「氷見クリック」(富山県氷見市)、「ゼロダテ」(秋田県大館市)、「アーツ千代田3331」(東京都千代田区)などの社会芸術家である。 「QSC+mV」 ※マクドナルドのMサイン 代表的なものは、美術と教育プロジェクトと銘打ったものである。美術家や美術系大学の職員などにインタヴューを通して、美術の解明作業とでもいうべき言説を形成し、インタヴュー集『美術と教育』(1997)、『美術の教育』(1999)、『美術に教育』(2004)の三著作として集成したものがある。
中ザワヒデキ(なかざわ ひでき、1963年 - )は、新潟県… 中ザワヒデキ(なかざわ ひでき、1963年 - )は、新潟県出身の美術家。本名、中澤英樹。 学生時代から美術作家としてデビューし、1996年までイラストレーターとしての活動を行う。「日本初のへたうまCG」のイラストレーションは「バカCG」と評され、数々の賞を受賞。1997年以降は純粋芸術へ転身し、感情・感覚を否定した「方法主義」による「方法絵画」作品群を発表。音楽家の足立智美、詩人の松井茂、音楽家の三輪眞弘と共に「方法主義者」を名乗る。2005年からは「本格絵画」と自ら名付けたジャンルの絵画を発表し続けている。音楽作品の発表も行っている。 1963年に新潟県に生まれ、神奈川県に育つ。父親は日本医科大学教授の中沢省三、母親は細菌学者・守山英雄の長女。
沖潤子(おき じゅんこ、1963年 )は、日本の美術家。 1… 沖潤子(おき じゅんこ、1963年 )は、日本の美術家。 1963年、埼玉県浦和市生まれ。 子どもの頃から絵を描くのが好きで美術大学を目指して予備校に通ったが受験には至らなかった。20代半ばでセツ・モードセミナーに入学。その後一人で子育てをせざるを得ない状況にあり経済的な事情から商品企画会社に就職した。大手玩具メーカーを担当しパッケージデザインなどを手掛け原価計算・生産・納品管理までをおこなった。 亡くなった母の洋裁道具や布を引き取り、2002年より母親が遺した布や糸を用いて独学で刺繍を始めた。当時中学生の娘が、亡母が大切にしていた「リバティ」の布を切って刺繍を施し、沖の誕生日に手提げを贈ってくれた。
藤井 豊(ふじい ゆたか、1962年〈昭和37年〉12月30… 藤井 豊(ふじい ゆたか、1962年〈昭和37年〉12月30日 - )は、東京都出身の日本の番組セットデザイナー、舞台美術家、画家である。1997年第25回伊藤熹朔賞 新人賞受賞。東放学園専門学校 美術制作科(旧テレビ美術科)非常勤講師。 世田谷区生まれ。東京都立富士高等学校、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業。株式会社アックスに入社。2007年退社、独立。ボイジャーズデザイン株式会社を設立。
稲垣 立男(いながき たつお 1962年7月3日 - )は日… 稲垣 立男(いながき たつお 1962年7月3日 - )は日本の美術家。 兵庫県立神戸高等学校を経て、1988年多摩美術大学美術学部絵画学科卒業、1990年多摩美術大学大学院美術研究科修士課程修了。稚内北星学園大学助教授を経て、2007年より法政大学国際文化学部准教授、2009年より同大学教授。 稲垣立男のプロジェクトは 基本的に他者との共同作業を伴う。これまで実施したプロジェクトは、地域の人々とのコラボレーションであり、その地域に特有の形となっている。近年は子供たちとのワークショップを実施する機会も多く、2005年からは各財団の助成により、「美術館における未就学児のための鑑賞教育プログラムの研究」に取り組んでおり、各地の美術館で実施している子供のためのワークショップの調査や実際のプログラムの開発など行っている。
松の木 タクヤ (Takuya Matsunoki、1962… 松の木 タクヤ (Takuya Matsunoki、1962年4月26日 - )は、日本のアーティスト、画家、現代美術家、デザイナー、芸術思想家。 B.A. 多摩美術大学 美術学部 グラフィックデザイン学科・版画専攻 (1986年)、(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート、RCA)コミュニケーションデザイン Illustration Dept. (1992年) 最終学位は、M.A.。チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ,ファインアートDept. (Guest Student)、ゴールドスミス・カレッジ,ICC Dept. (Guest Student)。 1981年から、シルクスクリーンプリントやイラストレーションなどのグラフィック、絵画作品を国内やロンドンのエキシビション、コンペティションにて発表している。
ウダ・ケンスケ(漢字表記:宇多 健介、1962年(昭和37年… ウダ・ケンスケ(漢字表記:宇多 健介、1962年(昭和37年)3月3日 - )は、日本の現代美術家、油彩アーティスト。作品は風景が多く、主にフランスを拠点に活動し欧州を中心に高く評価されている[要出典]。 東京都千代田区出身。1980年(昭和55年)に東京都立日比谷高等学校を卒業。1浪ののち、東京芸術大学美術学部日本画科に進学し、1985年(昭和60年)に卒業、引き続き同大学大学院美術研究科に進み、1987年(昭和62年)に修士課程を修了する。修了制作は次席だった。1992年(平成4年)同博士後期課程を修了、博士(美術)を取得した。 自らの作品制作を行うかたわら、芸術イベント『GEIKAKU』プロジェクトのチェアマンを務め、アーティスト集団『ボーダーライン』を主宰し、若手アーティストのプロデュースを行うなど、活発な活動を展開している。
村上 隆(むらかみ たかし、1962年(昭和37年)2月1日… 村上 隆(むらかみ たかし、1962年(昭和37年)2月1日 - )は、日本の現代美術家、ポップアーティスト、映画監督。有限会社カイカイキキ代表取締役、元カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授。学位は博士(美術)(東京芸術大学) 1993年(平成5年)。
浅野 琢也(あさの たくや、1962年1月30日 - )は、… 浅野 琢也(あさの たくや、1962年1月30日 - )は、日本のファッションデザイナー、インスタレーション作家(現代美術家)。北海道夕張市生まれ。東京都江東区内に在住。 オーダーメードからさまざまな職種の制服をデザインする。デザイン画の講師として、後進への指導・アドバイスを行っている。また、発明家(クリエイター)としても活動し、複数の特許実用新案を出願している。東京大気汚染公害裁判の原告団幹事を勤めるなど市民運動の経験があり、発明の内容も環境への配慮がなされている。開放特許となった発明は大手玩具メーカーによって商品化された。登録商標はベルヌである。 北星学園男子高等学校、北海道立高等職業訓練学校(製版印刷科)卒業。
山口 啓介(やまぐち けいすけ、1962年1月6日 - )は… 山口 啓介(やまぐち けいすけ、1962年1月6日 - )は、日本の美術家。兵庫県西宮市出身。 武蔵野美術大学を卒業後、大型銅版画作品で数々の賞を受賞し鮮烈なデビューを遂げる。その作風から「方舟」や「宇宙船」のモチーフ、また宇宙的、生命的イメージが知られることとなる。以降、立体、絵画、インスタレーションなど、さまざまなメディアによる作品を展開する。1997年に発案した音楽用カセットケースと花や植物を使った作品「カセットプラント」が注目される。2002年に発表した、キャンバス絵画シリーズ「花の心臓」は代表作とされ、繰り返しこのモチーフが使われている。2013年の瀬戸内国際芸術祭で、香川県男木島の海岸に《歩く方舟》を設置する。
川田 祐子(かわだ ゆうこ、1962年 - )は、日本の現代… 川田 祐子(かわだ ゆうこ、1962年 - )は、日本の現代美術家。東京都小金井市出身。長野県軽井沢町在住。
日下 淳一(くさか じゅんいち、1962年 ‐ )は日本の現… 日下 淳一(くさか じゅんいち、1962年 ‐ )は日本の現代美術家。神奈川県横浜市出身。電飾スーツなど奇抜な衣装を着て、美術展のオープニングパーティーや街頭へ出没するパフォーマンスで知られる。 「服装は外観だけでなく、精神的にも影響を及ぼす」「着替えることにより、人は変わっていくことができる」と唱え、囚人服のイメージが強い白黒縞模様で仕立てたビジネススーツや花柄の建築土木作業服、赤い白衣など社会通念を覆すような「衣」を発表したり、「制服は没個性を誘引する」とし、アロハシャツの生地やフェイクファーで仕立てた学生服などを発表。 1986年 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。 1988年 同大学院美術研究科修士課程(榎倉康二研究室)修了。
白井 美穂(しらい みお、1962年 - )は、日本の美術家… 白井 美穂(しらい みお、1962年 - )は、日本の美術家。京都府出身。 1986年、東京藝術大学美術学部絵画科卒業。1988年、東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。 1993年から2006年までニューヨークに在住。現在、東京在住。
松井 るみ(まつい るみ、本名:眞野るみ、1961年8月12… 松井 るみ(まつい るみ、本名:眞野るみ、1961年8月12日 - )は、日本の舞台美術家。 大阪府出身。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。劇団四季を経てロンドンへ留学。帰国後、舞台美術家としての活動を開始する 2004年『太平洋序曲』(宮本亜門演出)でブロードウェイデビューし、同作品デザインで第59回トニー賞にノミネート。2007年OISTATより“世界の最も名誉ある舞台デザイナー12人”に選出。『TEA: A Mirror of Soul』(宮本亜門演出)では、サンタフェ・オペラ、フィラデルフィアなどオペラ界においてもアメリカ進出をはたす。 また、2010年6月には『The Fantasticks』(宮本亜門演出)でウエスト・エンドデビューを飾った。
飴屋 法水(あめや のりみず、1961年3月22日 - )は… 飴屋 法水(あめや のりみず、1961年3月22日 - )は、日本の現代美術家、演出家、劇作家、アートパフォーマーである。動物商であったこともあり、Twitterのプロフィールには、自分の職業がわからないとも書いている。 山梨県甲府市生まれ。神奈川県育ち。神奈川県立小田原高等学校卒。高校の演劇部在籍中は安部公房、唐十郎の戯曲を演出。1978年(17歳)唐十郎の「状況劇場(紅テント)」に参加、5年間、音響を担当。1983年に独立し「東京グランギニョル」を旗揚げ。当時庭師であった嶋田久作やバイト先の同僚、ミュージシャンのコシミハルなど演劇未経験者を起用しながら、発語と音楽、物と身体を等価にあつかうような、その「残酷劇」は、当時の小劇場の中でも異質な存在として注目されるも、4作品で解散。
小山田 徹(こやまだ とおる、1961年-)は、日本の美術家… 小山田 徹(こやまだ とおる、1961年-)は、日本の美術家。京都市立芸術大学教授(2019年度現在)。 鹿児島県生まれ。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1985年に京都市立芸術大学日本画科卒業。同大学院美術研究科へ進学し修士課程修了(芸術学修士取得)の後、中退。大学学部在学中の1984年に友人とパフォーマンスグループ「DUMB TYPE」を結成し、1998年まで活動。また、1990年代から共有空間の開発・演出をおこなう。2005年、第2回アサヒビール芸術賞受賞。2010年に京都市立芸術大学美術学部彫刻専攻に准教授として着任し、後に教授。
中原 浩大(なかはら こうだい、1961年 - )は日本の美… 中原 浩大(なかはら こうだい、1961年 - )は日本の美術家・彫刻家である。京都市立芸術大学美術科彫刻専攻教授。 岡山県倉敷市出身。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。 アカデミックな意味での彫刻の概念や、地域性や素材や領域を、様々な置き換えや交換によって彫刻の概念の拡張をはかる。 1980年代に20代の若さで天才と誉めそやされたが、1989年にパリで『大地の魔術師』展(Magiciens de la Terre, キュレーター:ジャン=ユベール・マルタン)と、ゲントの『オープン・マインド』展(キュレーター:ヤン・フート)を観て衝撃を受け、アート界からしばし遠ざかった。 活動初期に「源感情的」「神の業」と評されたユニークなフォルムを有し、原色で着色された巨大な立体や平面作品を次々と発表し、1990年それまでのフォルムを継続したまま素材をレゴで制作した「レゴ・モンスター」を発表。
内藤 礼(ないとう れい、1961年 - )は、日本の美術家… 内藤 礼(ないとう れい、1961年 - )は、日本の美術家。ひそやかで繊細な造形作品と、それを配置し鑑賞する緊張感のある空間からなるインスタレーション作品などを制作。広島県広島市出身、広島女学院中学校・高等学校卒業。1985年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。
古橋 悌二(ふるはし ていじ、1960年7月13日 - 19… 古橋 悌二(ふるはし ていじ、1960年7月13日 - 1995年10月29日)は、日本の現代美術家、メディア・アーティスト。 京都府京都市出身。京都市立芸術大学大学院構想設計科修士課程修了。1984年にダムタイプ(Dumb Type)を結成し、以降中心メンバーとして活動。1992年にゲイであることとHIVキャリアであることを公表し、1994年にはジェンダー、セクシュアリティ、国籍、人種をテーマとしたメディア・パフォーマンス作品「S/N」をオーストラリアにて発表。1995年10月29日、サンパウロにて公演が行われる中、日本にて敗血症により死去。
藤 浩志(ふじ ひろし、1960年 - )は、日本の美術家、… 藤 浩志(ふじ ひろし、1960年 - )は、日本の美術家、アーティスト、ディレクターである。秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻および秋田公立美術大学大学院複合芸術研究科教授。金沢美術工芸大学客員名誉教授。株式会社藤スタジオ代表取締役。NPO法人アーツセンターあきた理事長。NPO法人プラスアーツ副理事長。 2014年から2016年まで十和田市現代美術館の館長を務めた。青年海外協力隊員としてパプアニューギニアに派遣され美術を教える。この時の体験と、また国際協力の場で議論される適正技術は、その後の芸術活動に影響を与えた。また自身の芸術活動を「OS作品」と呼び、アートワーク『かえっこ』をライフワークとして取り組んだ。
小池 隆英(こいけ たかひで、1960年〈昭和35年〉-)は… 小池 隆英(こいけ たかひで、1960年〈昭和35年〉-)は、日本の美術家、抽象画家。 山形県米沢市生まれ。1988年、東京藝術大学 美術学部絵画科油画卒業。1990年、東京藝術大学大学院 美術研究科油画修了。 小池隆英は絵画における色彩の関係性をコンセプトにして、具象イメージに頼らない色彩による抽象絵画を制作している。 彼の作品は、薄く溶かれたアクリル絵具が何層にも重なり連なり、具体的なモチーフも記号も用いられず、色の存在によって画面が構築されている。しかし決して平面的ではなく、色彩と色彩、色彩と形態、色彩とテクスチュアの関係により、独自の空間表現が展開されている。ステインニングと呼ばれるアクリル絵の具を綿布に染み込ませる技法が多用される。
奈良 美智(なら よしとも、1959年12月5日 - )は、… 奈良 美智(なら よしとも、1959年12月5日 - )は、日本の青森県弘前市出身の画家・彫刻家・現代美術家。 1959年青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校卒業。 高校卒業後に上京する。武蔵野美術大学に入学したものの、学内で何も得るものを感じず、1年で中退する。1年生期末の20歳の頃に1年間有効のヨーロッパの往復チケットを買って、約3か月放浪した。帰国後の金欠を親に言えず、授業料の安い公立美大を受験した。そして、愛知県立芸術大学、東京藝術大学、大分県立芸術短期大学の候補の中で、愛芸に合格した。 1981年、愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻に入学し、1985年に卒業、1987年に同大学大学院修士課程を修了した。
中西 學(なかにし まなぶ、1959年10月19日 - )は… 中西 學(なかにし まなぶ、1959年10月19日 - )は、日本の現代美術家。 1980年代には、発泡スチロールに彩色を施した巨大なオブジェが注目を集めた。1985年に製作した「THE ROCKIN' BAND: The Guitar Man」は、2018年11月3日から2019年1月20日に国立国際美術館で開催された「ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代」展で入口に展示された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術)。
河西 立雄(かわにし たつお、1959年 - )は、日本の建… 河西 立雄(かわにし たつお、1959年 - )は、日本の建築家、美術家。京都府立大学教授。 大阪府に生まれる。1983年に京都工芸繊維大学を卒業後、1987年に筑波大学大学院を修了し、芸術学の修士号を取得した。修士号取得と同年に筑波大学芸術学系準研究員となる。1990年にVOICE OF ARCHITECTUREを設立し、同年より京都府立大学講師となる(のち教授)。 建築家、美術家として活動のほぼすべてを個人でおこなう。代表作は「静かな家」、「音とサクラの家」。計画案として「厚い壁の家」がある。環境芸術作品がパーマネントコレクションとして成城大学図書館、大阪市立総合医療センター、碧南市民図書館に設置されている。
伊藤 豊(いとう ゆたか、1959年[要出典] - )は、日… 伊藤 豊(いとう ゆたか、1959年[要出典] - )は、日本のアニメーター、アニメーション美術家。 大阪府堺市出身。大阪府立泉北高等学校卒業後、上京。 1978年、専門学校に通学しながら、手塚治虫事務所で制作進行のアルバイト。同年、東映動画の美術監督、土田勇に師事する。 1979年、デビュー作『銀河鉄道999』以降、アニメーション美術家として『幻魔大戦』『魔女の宅急便』『銀河英雄伝説』『NARUTO -ナルト-』などの背景美術画を描く。 2005年、27年間の東京生活に終止符を打ち、関西在住。『涼宮ハルヒの憂鬱』などの背景美術画を担当。 2013年より、東北生活文化大学にてアニメーション概論授業の非常勤講師。
近藤 高弘(こんどう たかひろ、1958年9月4日 - )は… 近藤 高弘(こんどう たかひろ、1958年9月4日 - )は日本の京都府の出身の陶芸家・美術家である。陶の素材・表現を基軸に、土やガラスや金属などの立体・平面の造形表現を制作している。祖父は人間国宝の近藤悠三。 京都府京都市東山区清水に近藤濶(陶芸家)の長男として生まれる。 学生時代は卓球選手として活躍。インターハイ・シングルチャンピオン、関東学生シングルス、全日本学生卓球選手権大会ダブルスチャンピオン、国際大会の日本代表にも複数回選出されている。卓球選手として鍛練された運動能力と精神の強さが、その創作活動の上で大きく役立っていると語ることがある。 法政大学卒業後、一般企業に就職するも、26歳の時伯父で陶芸家・近藤豊の自死の衝撃が芸術の道を志すきっかけとなり、京都府立陶工職業訓練校に入学する。
日比野 克彦(ひびの かつひこ、1958年8月31日 - )… 日比野 克彦(ひびの かつひこ、1958年8月31日 - )は、日本の現代美術家。東京芸術大学学長。段ボールを使った作品で知られる。 1958年岐阜県岐阜市生まれ。 岐阜大学教育学部附属中学校を卒業。岐阜県立加納高等学校を卒業後、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科に進学(同級生にしりあがり寿がいた)。同大学に1年在学した後、東京芸術大学美術学部デザイン学科に再入学し、1982年に卒業。1984年、同大学大学院修士課程修了。 1980年代に領域横断的、時代を映す作風で注目される。 具体的には、1982年にパルコ主催の第3回日本グラフィック展で、ダンボールに落描きや切り貼りを施した作品群(飛行機玩具の絵など)で大賞を受賞し、日比野は一躍、時代の寵児となった。
大樋 年雄(おおひ としお、1958年〈昭和33年〉6月8日… 大樋 年雄(おおひ としお、1958年〈昭和33年〉6月8日 - )は、石川県金沢市出身の大樋焼の陶芸家、美術家。本名は奈良年夫。十代大樋長左衛門の長男。1985年ボストン大学大学院修了。2016年1月、十一代大樋長左衛門を襲名。2025年、日本藝術院会員。2026年、石川県文化観光大使。同年、日展理事就任。
富田 勝彦(とみた かつひこ、1958年- )は、日本の美術… 富田 勝彦(とみた かつひこ、1958年- )は、日本の美術家である。自身の創作の傍ら、芸術のプロデュース、ディレクション活動をし、芸術振興に尽力している。 海城高等学校卒(1976年)、武蔵野美術大学造形学部芸能デザイン学科卒(1981年)。 アフリカやアジア各地を巡行し、土地の特色、文化、宗教、歴史から、その普遍的真理を探求し、造形作家として創作している。 2004年「艶淨(武蔵野美術大学αMプロジェクト)」の際、キュレイターの児嶋やよいは、『富田が追求してきたのは、作品が置かれる「場」を、観る人が自然の中に身を置いたかのように心地よく感じる空間とすること』『その「場」においては、そこがどの方角に面していて、太陽光がどこから入るか、といった自然条件や立地を考え抜いた上で展示方法を決定している』と解説しており、このような富田の作品を、"環境体験型空間"と名付けている。
宮島 達男(みやじま たつお、1957年〈昭和32年〉1月1… 宮島 達男(みやじま たつお、1957年〈昭和32年〉1月16日 - )は、日本の現代美術家。東京都江戸川区出身。 「Art in You(芸術はあなたの中にある)」という考え方を基盤に、発光ダイオード(LED)を使用したデジタルカウンター等、LEDの作品を特徴とする美術家である。また、コンピュータグラフィックス、ビデオなどを使用した作品も手掛けている。 美術家を志望したのは佐伯祐三、青木繁の自然体で自由な生き方に憧れたことが発端で、東京都立小岩高等学校を経て1984年(昭和59年)に東京藝術大学美術学部油画科を卒業(学士)、1986年に東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻修了(修士)。 大学在学中には油絵を学んでいたが、油絵では自分の言いたいことを表現できないもどかしさがあると感じ、現在においても作品制作のテーマとなっている「それは変化し続ける」、「それはあらゆるものと関係を結ぶ」、「それは永遠に続く」の3つのコンセプトを形にする手段を模索していたところ、偶然LEDと出会う。
島崎 健(しまざき たけし、1957年 - )は、日本のアー… 島崎 健(しまざき たけし、1957年 - )は、日本のアートディレクター、美術家。特定非営利活動法人美術保存修復センター横浜理事。凸版印刷の企画制作部門部長、凸版印刷関係会社の制作部門長などを歴任。 東京都生まれ。1981年多摩美術大学卒業、凸版印刷入社。トッパンアイデアセンター企画制作部門に所属し、アートディレクターとして企業活動・販促・広報関係の企画制作と、これらの実施・運営に従事。後年は、コーポレートコミュニケーション計画立案や関連コンサル業務、組織管理、人材育成に携わっている。企業カレンダーの企画制作において、1980年代から1990年代の作品が高く評価されている。この時期、日本画家の髙山辰雄、写真家の細江英公、グラフィックデザイナーの田中一光などと仕事をしており、幅広いジャンルのクリエイターから薫陶を受けたと語っている。
茂木 一司(もぎ かずじ、1956年8月 - )は、日本の美… 茂木 一司(もぎ かずじ、1956年8月 - )は、日本の美術家・教育学者。群馬大学名誉教授。専門は構成教育論、ワークショップ学習論、インクルーシブ美術教育学。日本色彩教育研究会会長、NPO法人ワークショップデザイナー推進機構理事長、NPO法人まえばしプロジェクト理事。 鹿児島大学教育学部講師・助教授、群馬大学教育学部准教授・教授を歴任。現在、群馬大学名誉教授・跡見学園女子大学文学部人文学科教授。 主に美術教育学・構成論
高野 向子(たかの さきこ、1956年 - )は、日本の現代… 高野 向子(たかの さきこ、1956年 - )は、日本の現代美術家。 高知県出身。1983年、女子美術大学絵画科卒業。 大胆な筆跡と明るい色調の油彩画で知られる。ドットを多用したものや、絵具を撒き散らしたものなど、制作時期によって変化は見られるが、一貫して印象派を思わせる作風が特徴である。 2003年にはポーラ美術館企画展『光をとらえた女性たち』に出展。他、東京や福岡などで個展、グループ展に多数出展。 夫も現代美術家の桑野進。現在は福岡にて、夫婦で後進の指導にも当たっている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
野又 穫(のまた みのる、1955年10月16日 - )は日… 野又 穫(のまた みのる、1955年10月16日 - )は日本の美術家。女子美術大学教授。 東京都出身。1986年に佐賀町エキジビットスペース(1983-2000年 東京都江東区、主宰:小池一子)において初の個展を開催。実在しない建造物を絵画として独自の視点から描き続けている。 1996年に本名を「稔」から「穫」へ改める。1991年に出版した画集「NOMATA - Standing Still」(発行:ゲイン)は「野又稔」での著作。「穣」は誤り。
渡辺 好明(わたなべ よしあき、1955年(昭和30年)6月… 渡辺 好明(わたなべ よしあき、1955年(昭和30年)6月24日 - 2009年(平成21年)11月4日)は、日本の現代美術家。 東京藝術大学美術学部教授。 1980年より国内外にて個展、グループ展など多数開催。1991年以降「光ではかられた時」と題して、火(蝋燭などの灯火)や水(水鏡)を用いたインスタレーションを展開。主な展覧会に「白州・夏・フェスティバル」(1991年)、「光をつかむ-素材としての光の現れ」O美術館(1997年)、「光ではかられた時-渡辺好明」斎藤記念川口現代美術館(1999年)、「ジ・エッセンシャル」千葉市美術館(2002年)、「D/J Brand 〜ドイツに学んだアーティストの発火点」東京芸術大学大学美術館(2005年)、「ワンダリング・ウインド〜日本現代美術の3人」Gallery Apel、イスタンブール(2006年)、「A simpli-city No. 5」A trans Pavilion、ベルリン(2009年)など。
遠藤 湖舟(えんどう こしゅう、1954年 - )は日本の写… 遠藤 湖舟(えんどう こしゅう、1954年 - )は日本の写真家、現代美術家。「湖舟」は本名。 2007年写真集『宇宙からの贈りもの』(講談社刊)出版。2015年高島屋で大規模巡回写真展が開催され、8万人を動員した。この展覧会では「会場、作品ともにカメラ撮影可能、撮影された画像のSNS発信可能」とし、日本において、展覧会鑑賞者の自由度を高める先駆的役割を果たした。また、龍村美術織物とのコラボレーションで、世界で初めて写真を帯に織り上げた(5種)。写真展は900x1800mmを基本ユニットとし、パネル、アクリル板やガラス板へのダイレクトプリント、テキスタイルへのプリント、映像展示、音声などを駆使した空間構成を特徴とする。
山田 和(やまだ かず、1954年 - )は、現代美術家、陶… 山田 和(やまだ かず、1954年 - )は、現代美術家、陶芸家。 愛知県常滑市に生まれる。1976年、大阪芸術大学芸術学部工芸学科陶芸コース卒業。卒業と同時に越前陶芸村に築窯。加藤唐九郎に師事。志野を中心に、赫釉織部や青織部などを制作。祖父は二代山田常山(本名:誠)、父は山田健吉(常滑焼日展作家)、伯父は三代山田常山(本名:稔、常滑焼人間国宝)。次男の山田大、甥も陶芸家。 1988年、ドイツにて穴窯制作(ヤン・コルヴィツ陶房)。記録映画「炎より生れる」制作に参加(マークスツエルナープロダクション)。1989年、ドイツにて作品制作、初窯。2020年、イギリス、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に作品収蔵、展示。
深作 秀春(ふかさく ひではる、1953年 - )は、眼科医… 深作 秀春(ふかさく ひではる、1953年 - )は、眼科医、美術家である。現在、医療法人社団秀仁会 深作眼科理事長をしている。日本美術家連盟会員。医療法人社団秀仁会 深作眼科の一部を画廊としてアーティストに提供し、FEI PRINT AWARD 大賞を開催するなどメセナ活動をしている。
椿 昇(つばき のぼる、1953年 - )は、日本の現代美術… 椿 昇(つばき のぼる、1953年 - )は、日本の現代美術家。京都芸術大学附置機関アルトテック所長、京都芸術大学教授。ARTISTS’ FAIR KYOTO ディレクター。 1980年代から、美術と社会の関係を問い直す作品を発表している。2001年の横浜トリエンナーレで発表した全長50メートルの巨大なバッタ(椿昇+室井尚「インセクト・ワールド-飛蝗」)等が知られている。 1989年にタイトルを自ら命名したアメリカでの展覧会「アゲインスト・ネイチャー」への参加など、世界を舞台に活動。2011年から退蔵院襖絵専攻科プロジェクト、2018年からは「ARTIST‘S FAIR KYOTO」を構想してディレクターに就任。
内海 信彦(うつみ のぶひこ、1953年 - )は、日本の美… 内海 信彦(うつみ のぶひこ、1953年 - )は、日本の美術家。ペルー国立美術学校(英語版)名誉教授。 1953年、東京都生まれ。1972年、慶應義塾高等学校卒業。1974年、慶應義塾大学法学部政治学科中退。1981年、多摩美術大学美術学部絵画科卒業。『季刊クライシス』編集者を経て、アメリカ、ペルー、韓国、ポーランドなど諸外国からの招待により現地での滞在制作を行い、内外で107回の個展を開く。 駿台予備学校、河合塾COSMO講師。千葉商科大学で非常勤講師の任にある。駿台では論文科講師として人文系論文・芸術系論文を28年指導し、現在は人文社会総合論文講師として、映像も交えながら講義を進める。河合塾COSMOでは2000年から「芸術の可能性ゼミ」、美学校では2000年から2014年まで「現代絵画の可能性 絵画表現研究室」を担当した。
保科 豊巳(ほしな とよみ、1953年 - )は、日本の現代… 保科 豊巳(ほしな とよみ、1953年 - )は、日本の現代美術家。ポストもの派のインスタレーション芸術家。東京藝術大学副学長。 長野県東御市生まれ。日本もの派、榎倉康二、高山登の影響の中、東京芸術大学で学ぶ。同期生に川俣正、下級生の宮島達男、中村一美がいる。ポストもの派世代に属し、木、紙、墨という素材を用いたインスタレーションや絵画制作を展開している。日本をはじめスイス、台湾、ドイツ、アメリカ、中国、などで作品発表を続けている。東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。東京芸術大学大学院美術研究科修士課程絵画専攻修了。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程美術専攻 単位修得退学。その後、明星大学芸術学科助教授、東京芸術大学美術学部専任講師、東京芸術大学美術学部助教授を経て2002年に文部科学省在外研究員として渡米。
団野雅子(だんの まさこ、1952年10月31日 - )は、… 団野雅子(だんの まさこ、1952年10月31日 - )は、山梨県在住の日本画家、現代美術家。 自然をテーマに、和紙の上に日本画の手法で書かれた抽象画、掛け軸、屏風などを主な作品とする。日本画の伝統を引き継ぎながらも、モダンな和を表現する作風は『和の現代美術』と称される。作品は山梨の自然に囲まれたアトリエで、窓辺に座して内なる自然と外なる自然の声を聞き作成している。 1972年 女子美術大学芸術学科卒業。 大阪出身だが、山梨に移住し生活の拠点としている。定期的に行う国内の個展が中心だが、2000年にベルリンで開催された日独交流展への出展以降ロサンジェルス、ソウル、広州など様々な国外展覧会に出展し、文化交流も盛んである。
サイトウ マコト(1952年6月1日 - )は、日本の美術家… サイトウ マコト(1952年6月1日 - )は、日本の美術家、元グラフィックデザイナー。福岡県北九州市出身。福岡県立小倉工業高等学校化学科卒業。日本文化デザイン会議会員(2002年まで)、東京アートディレクターズクラブ会員(2008年まで)、日本グラフィックデザイナー協会副会長(2002年まで)、グッドデザイン賞選考委員(2013年まで)を務めた傍ら、1988年より毎日デザイン賞推薦委員(2014年まで)および毎日芸術賞推薦委員(現在も継続中)、ならびに1994年より2017年まで国際グラフィック連盟(AGI)会員。 2008年金沢21世紀美術館においての個展「サイトウ・マコト展:SCENE[0]」を機に、美術家として制作活動を続けている。
山田 勇男(やまだ いさお、1952年〈昭和27年〉 - )… 山田 勇男(やまだ いさお、1952年〈昭和27年〉 - )は、日本の映画監督、映像作家、美術家、漫画家。北海道夕張郡長沼町出身。 1974年(昭和49年)、北海道綜合美術専門学校(現北海道芸術デザイン専門学校)を卒業し、演劇実験室天井桟敷に入団。寺山修司監督『田園に死す』の疑景工作を担う。その後も、寺山修司の映画『ボクサー』(1977年)、『草迷宮』(1979年)、『さらば箱舟』(1984年)の美術や衣装デザインを担当している。 1977年(昭和52年)、札幌にて漫画家・湊谷夢吉らと「銀河画報社映画倶楽部」を結成。稲垣足穂の「一千一夜物語」をモチーフとした8ミリ映画の第一作『スバルの夜』(1977年)が、オフシアター・フィルムフェスティバル'79(後のぴあフィルムフェスティバル)に入選。
斉藤 文春(さいとう ぶんしゅん、1951年1月25日 - … 斉藤 文春(さいとう ぶんしゅん、1951年1月25日 - )は、日本の書家、現代美術家。 北海道函館市生まれ。宮城県仙台第三高等学校卒、東北学院大学経済学部卒(書道研究部在籍)。現代における<ことばの表現>としての「書」、墨線・墨点による「水墨抽象」作品の可能性を多面的に追求している。特にそれらの拡張的展開としてオブジェ、インスタレーション、パフォーマンスで現代美術と交流。1980年には秋亜綺羅らと批評総合誌「SENDAI IN」を発行した。水墨トリエンナーレ富山2007奨励賞。 トリエンナーレ豊橋・星野眞吾賞展(2017)審査委員推奨。美術展等の企画、評論、執筆活動を行う。映画、演劇、コンサート、イベント、出版物の題字等、手掛けている。
海老塚 耕一(えびづか こういち、1951年 - )は、日本… 海老塚 耕一(えびづか こういち、1951年 - )は、日本の現代美術家。彫刻家、版画家。多摩美術大学教授。神奈川県横浜市生まれ。父は画家の海老塚市太郎。 多摩美術大学美術学部建築科卒。多摩美術大学大学院美術研究科修了。 主に木、石、金属を素材とした作品を制作している。 映像作家・鈴木志郎康によるドキュメンタリー映画『極私的にEBIZUKA』(2001年)、『山北作業所』(2002年)が撮られている。 鈴木志郎康の映像作品「極私的にEBIZUKA」が完成・上映される。 鈴木志郎康の映像作品「山北作業所」が完成・上映される。 大阪・梅田ハービスENTに「水の階・風の象I、II」を設置 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
太田 三郎(おおた さぶろう、1950年〈昭和25年〉5月1… 太田 三郎(おおた さぶろう、1950年〈昭和25年〉5月11日 - )は、山形県西田川郡温海町(現・鶴岡市)出身の現代美術家。 郵便切手や消印を用いた作品や、身近なものをオリジナルの切手の形にした作品制作など、郵便を素材に「時間」と「場所」の関係性をテーマとする。近年は一般市民と共同制作するアート・プロジェクトを各地で展開している。 1950年、山形県西田川郡温海町(現・鶴岡市)大岩川に生まれた。1971年4月、鶴岡工業高等専門学校卒業後に上京。デザイン事務所に勤務しながら、写真に撮った身近な人々を鉛筆で細密に描く肖像画を描き始め、1980年の初めての個展で発表。個展をきっかけに銀座の画廊巡りをはじめた太田は、ニュー・ペインティングやコンセプチュアル・アート、ミニマル・アートなどの現代美術に遭遇し大きな衝撃を受ける。
栗本 百合子(くりもと ゆりこ、1950年(昭和25年) -… 栗本 百合子(くりもと ゆりこ、1950年(昭和25年) - 2017年(平成29年)12月23日)は、インスタレーションを得意とする現代美術家。 1950年(昭和25年)、愛知県名古屋市出身。名古屋造形芸術短期大学洋画専攻科卒業後、名古屋造形芸術大学に進む。 油絵から美術の世界に入ったが、のちに建物全体を作品とするインスタレーションに転じた。1988年(昭和63年)には名古屋市中区錦二丁目の大和生命ビル6階にあったステゴサウルススタジオなる場所を主な活動場所とした。 作品の特徴として、拝戸雅彦 (2022)によれば美術館のような人工による光ではなく、自然光を導入しつつ、透過性の薄布で覆うことで栗本のフィルターを通した光を導き入れていたという。
有地 好登(ありち よしと、1949年(昭和24年)8月17… 有地 好登(ありち よしと、1949年(昭和24年)8月17日−) は、日本の美術家・版画家。広島県府中市出身。 日本大学芸術学部教授、日本版画協会理事、前版画学会会長(2014-2017) 。日本大学在学中に当時非常勤講師であった山野辺義雄からリトグラフと銅版画の手解きをうけた。4年時に池田満寿夫の銅版画に触発され銅版画制作を始める。この経験から、リトグラフと銅版画のみならず、個々の版材の特質を生かしながら異なる版種(銅版・石版等)を併用し制作、研究で知られる。 ロサンゼルス・カウンティ美術館(アメリカ) /米国議会図書館(アメリカ)/ アルバータ大学美術館(カナダ)/ ニューサウスウェールズ州立美術館(オーストラリア)/山梨県立美術館(日本)/ クリーブランド美術館(アメリカ) この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。