木村 衣里(きむら えり、1973年12月7日 - )は、日… 木村 衣里(きむら えり、1973年12月7日 - )は、日本の元競泳選手。東京都出身。1992年バルセロナオリンピック日本代表。200m個人メドレー・400m個人メドレーの元日本記録保持者。現役時代は東京スイミングセンターに所属。 板橋区立中台中学校、東京成徳短期大学附属高等学校、青山学院大学卒。 全国中学校水泳競技大会では山内美智子、平田美恵に次ぐ女子史上3人目となる2種目3連覇を達成した。 1989年6月、福岡で行われた国際試合派遣選考会の400m個人メドレーで4分51秒64の日本新記録を樹立し、パンパシフィック水泳選手権日本代表に選出された。パンパシフィック選手権では200m個人メドレーで日本新記録を更新して5位入賞、400m個人メドレーでも4分51秒28で日本新記録を更新した。
松戸 思奈(まつど しな、1973年10月27日 - )は、… 松戸 思奈(まつど しな、1973年10月27日 - )は、日本の元競泳選手。岩手県出身。1992年バルセロナオリンピック日本代表。 常盤木学園高等学校、東北学院大学出身。 1992年バルセロナオリンピック選考会では100m自由形で4位に入り、日本代表に選出された。バルセロナオリンピック本大会では50m自由形と400mフリーリレーに出場し、ともに予選敗退となった。 引退後は結婚して釜石市に移った。2011年3月11日に発生した東日本大震災の時は無事だった。
田中 順子(たなか じゅんこ、1973年10月2日 - )は… 田中 順子(たなか じゅんこ、1973年10月2日 - )は、日本の元アーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)選手である。学校法人常葉大学系列中学・高等学校教諭、体育教諭。現姓は平島 順子(ひらしま じゅんこ) 1973年(昭和48年)生まれ。静岡県静岡市出身。天理大学卒業。1996年アトランタオリンピックシンクロで銅メダルを獲得した。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
司東 利恵(しとう りえ、1973年8月26日 - )は、群… 司東 利恵(しとう りえ、1973年8月26日 - )は、群馬県渋川市出身の元競泳選手である。日本大学文理学部体育学科卒。1991年世界水泳選手権200mバタフライ銀メダリスト。
平中 秀子(ひらなか ひでこ、1973年7月8日 - )は、… 平中 秀子(ひらなか ひでこ、1973年7月8日 - )は、北海道出身の元女子競泳選手。三笠市立三笠中学校、品川女子学院高等学校、専修大学出身。 1992年日本選手権水泳競技大会の200m個人メドレー、400m個人メドレーで優勝し、同年のバルセロナオリンピックの200m個人メドレーで9位、400m個人メドレーで5位、1996年のアトランタオリンピックの400m個人メドレーでは13位となった。 2000年の同大会のシドニーオリンピック代表選考会では200m個人メドレーは3位、400m個人メドレーは2位で健在するものの、代表にはならなかった。その年には結婚して安藤 秀子として出場するも、2001年9月15日に現役を引退した。
松下 幸広(まつした ゆきひろ、1973年6月5日 - )は… 松下 幸広(まつした ゆきひろ、1973年6月5日 - )は、日本の元競泳選手。1996年アトランタオリンピック日本代表。100m自由形の元日本記録保持者。 兵庫県市川高校、中央大学卒。 1994年アジア競技大会では100m自由形・400mフリーリレー・400mメドレーリレーの三冠を達成した。 1995年パンパシフィック水泳選手権の400mメドレーリレーでは銅メダルを獲得した。 アトランタオリンピック選考会の100mバタフライで2位に入り、オリンピック日本代表に選出された。1996年アトランタオリンピックでは50m自由形と100mバタフライに出場し、予選落ちとなった。
中野 亜弥子(なかの あやこ、1973年4月3日 - )は、… 中野 亜弥子(なかの あやこ、1973年4月3日 - )は、日本の元競泳選手。神奈川県出身。ソウルオリンピック・バルセロナオリンピック日本代表。50m自由形・100m自由形元日本記録保持者。 1987年、横浜市立上菅田中学校2年時に初の日本代表に選出される。1988年の日本選手権では中学3年にして優勝を果たし、ソウルオリンピック日本代表に選出される。ソウルオリンピックの50m自由形と100m自由形の2種目で日本新記録を樹立した。1989年パンパシフィック水泳選手権では50m自由形・400mフリーリレー・400mメドレーリレーの3種目で日本新記録を更新した。1991年パンパシフィック水泳選手権では400mフリーリレー・800mフリーリレーで日本新記録を更新した。
奥野 史子(おくの ふみこ、結婚後の本名・朝原 史子(あさは… 奥野 史子(おくの ふみこ、結婚後の本名・朝原 史子(あさはら ふみこ)、1972年4月14日 - )は、日本の元アーティスティックスイミング選手、タレント、スポーツコメンテーター。 夫は陸上競技・短距離走及び走幅跳の元選手で、北京オリンピック男子4x100mリレーの銀メダリスト の朝原宣治。3児(長男・長女・次女)の母親。 京都府京都市出身で、現在も同市内に在住。京都市中京区にある呉服店に、三姉妹の末っ子として生まれた。4歳のときに、京都市の水泳教室、「京都踏水会」で水泳を始め、さらに6歳(小学校1年生)からシンクロナイズドスイミング(当時)を始めた。京都市立龍池小学校、京都市立城巽中学校を卒業。
川瀬 晶子(かわせ あきこ、1971年7月13日 - )は、… 川瀬 晶子(かわせ あきこ、1971年7月13日 - )は、日本のアーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)選手である。1996年アトランタオリンピックシンクロチームで銅メダルを獲得した。 東京都出身。日本大学卒業。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
細田 朋美(ほそだ ともみ、1971年6月30日 - )は、… 細田 朋美(ほそだ ともみ、1971年6月30日 - )は、日本の元競泳選手。神奈川県出身。1988年ソウルオリンピック日本代表。400m・800m自由形の元日本記録保持者。 横浜共立学園中学校・高等学校、専修大学出身。 1987年パンパシフィック水泳選手権の400m自由形・800m自由形で日本記録を更新してともに5位に入った ソウルオリンピック代表選考会の400m自由形で2位、800m自由形で優勝し、1988年ソウルオリンピック日本代表に選出された。1988年ソウルオリンピック本大会の800m自由形予選で日本新記録を樹立するが、予選敗退となった。この800mの日本記録8分39秒55は山野井絵理が破るまで9年間保持していた。
糸井 統(いとい はじめ、1971年6月22日 - )は岐阜… 糸井 統(いとい はじめ、1971年6月22日 - )は岐阜県岐阜市出身の元競泳選手。
浅田 雅子(あさだ まさこ、1971年1月8日 - )は、日… 浅田 雅子(あさだ まさこ、1971年1月8日 - )は、日本の飛込競技選手。ソウルオリンピック日本代表。 石川県能美郡寺井町(現・石川県能美市寺井町)出身。寺井町立寺井中学校(現・能美市立寺井中学校)、小松市立女子高等学校(現・小松市立高等学校)、日本体育大学、日体大大学院(スポーツ運動学コース)卒業。元祖飛込み界のマドンナ。[独自研究?]
加藤 真志(かとう まさし、1970年8月14日 - )は、… 加藤 真志(かとう まさし、1970年8月14日 - )は、日本の元競泳選手。1988年ソウルオリンピック・1992年バルセロナオリンピック日本代表。800m・1500m自由形の元日本記録保持者。日本選手権水泳競技大会1500m自由形で6連覇を達成した。 近大附属高校・近畿大学卒。イトマンスイミングスクール所属。 ソウルオリンピック選考会の400m自由形で2位、1500m自由形で優勝し、オリンピック日本代表に選出された。1988年ソウルオリンピックの400m・1500m自由形はともに予選落ちとなった。 バルセロナオリンピック選考会の1500m自由形で優勝し、2大会連続オリンピック日本代表に選出された。
高山 亜樹(たかやま あき、1970年3月12日 - )は、… 高山 亜樹(たかやま あき、1970年3月12日 - )は、元アーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)選手、大阪体育大学非常勤講師。 大阪府出身。松蔭中学校・高等学校卒。ラサスイミングスクールで図司早江子の指導を受ける。その後、大阪体育大学に入学し、1991年3月に卒業。1991年、世界水泳パース大会で小谷実可子とのデュエットで銀メダルを獲得。1992年バルセロナオリンピックシンクロのデュエットに奥野史子と組んで出場し銅メダルを獲得。五輪終了後、現役を引退。また、シンクロ2012年ロンドンオリンピック日本代表チームの中村麻衣を、芦屋市のスイミングスクール内シンクロクラブと高山の母校である松蔭高の保健体育講師をしていた時、中村が高校1年時の体育授業を受け持った。
寺門 嘉之(てらかど よしゆき、1970年 - )は、日本の… 寺門 嘉之(てらかど よしゆき、1970年 - )は、日本のライフセービング選手(ライフセーバー)。海上保安官で第三管区海上保安本部羽田特殊救難基地の元特殊救難隊長。 2025年4月15日現在は第二管区海上保安本部八戸海上保安部所属で巡視船しもきた船長で、階級は二等海上保安監。 大学時代からライフセービング部に入部しインカレ・各種ライフセービング大会等で活躍する。1990年環太平洋ライフセービング大会日本代表。
渡辺 健司(わたなべ けんじ、1969年7月17日 - 20… 渡辺 健司(わたなべ けんじ、1969年7月17日 - 2017年9月18日)は、東京都豊島区出身の元水泳選手で、3回のオリンピック出場経験を持つ。日本大学豊山高等学校、早稲田大学人間科学部スポーツ学科卒。 祖父の豊田久吉も水泳選手で、1932年ロサンゼルスオリンピック800メートル (m) リレー金メダリストだった。 1984年ロサンゼルスオリンピックの競泳競技に出場後、1986年アジア競技大会(ソウル)にて200m平泳ぎで優勝した。 1988年ソウルオリンピック出場を経て、1990年アジア競技大会(北京)で200m平泳ぎに連覇したほか、同年に平泳ぎ100mの日本新記録(1:03:12)を樹立した。
長畑 弘伸(ながはた ひろのぶ、1969年5月22日 - )… 長畑 弘伸(ながはた ひろのぶ、1969年5月22日 - )は元競泳選手。 1988年ソウルオリンピックに出場し、平泳ぎ・メドレーリレーそれぞれで5位入賞を果たす。 平泳ぎでは、元日本記録保持者でありながら、ジュニア時代から中学新記録、高校新記録、日本記録を樹立する。またその他の種目でも、全国大会でメダル獲得経験を持つ、オールマイティースイマーである。 1992年に引退する。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
関戸 直美(せきど なおみ、1969年3月18日 - )は、… 関戸 直美(せきど なおみ、1969年3月18日 - )は、日本の元競泳選手。東京都出身。早稲田大学卒。1984年ロサンゼルスオリンピック日本代表。自由形・背泳ぎ・個人メドレーの元日本記録保持者。 文京学園女子中学・文京学園女子高校・早稲田大学卒業。現役時代は東京スイミングセンターに所属していた。中学時代、1981年から83年の全国中学校体育大会で5度の優勝を達成。高校時代は1984年の高校総体で100m背泳ぎと200m個人メドレーで優勝を果たす。 早稲田大学時代はインカレで200m背泳ぎと200m個人メドレーで2度ずつ合計4度優勝した。 日本選手権では400m自由形・800m自由形・100m背泳ぎ・200m背泳ぎ・200m個人メドレー・400m個人メドレーの計6種目で合計12回の優勝を果たす。
不破 央(ふわ ひさし、1968年10月22日 - )は、静… 不破 央(ふわ ひさし、1968年10月22日 - )は、静岡県富士市生まれの元競泳選手。元100m平泳ぎ日本記録保持者。水中パフォーマンス集団「トゥリトネス」主宰。日本大学経済学部卒業。 夏は暑いことに気付き、小学一年生でスイミングクラブ入会。スポーツクラブNAS所属の中学生時代、日本選手権の男子100m平泳ぎで2回の優勝(1984年、1986年)を果たし、春日部共栄高校、日本大学、山形富士通まで現役を続けた。 1986年6月8日、国際競技会派遣選手選考会(倉敷)で100 m平泳ぎの日本記録を更新。1986年9月、ソウルで行われたアジア大会100m平泳ぎでは、絶対的優勝候補ながら2位に終わる。
緒方 茂生(おがた しげお、1968年10月4日‐ )は、佐… 緒方 茂生(おがた しげお、1968年10月4日‐ )は、佐賀県出身の元競泳選手。佐賀県立鳥栖高等学校から日本大学に進学、卒業後ミズノに入った。オリンピックにはロサンゼルスオリンピック、1988年ソウルオリンピック、1992年バルセロナオリンピックと3大会連続で出場を果たした。 小学校時代から頭角を表し、小学生で初めて100m自由形で1分を切ってニュースで話題となる。中学時代には自由形100mから1500mまでのすべての日本記録を保持する快挙を成し遂げた。特に100m自由形(52秒75)、200m自由形(1分53秒62)、400m自由形(3分59秒69)の中学記録は長らく中学生の高い壁であり続けた。
長崎 宏子(ながさき ひろこ、本名・春日 宏子。1968年7… 長崎 宏子(ながさき ひろこ、本名・春日 宏子。1968年7月27日 - )は、秋田県秋田市川尻出身の日本の元女子水泳選手。平泳ぎの選手として主に1980年代に活躍した。現在はスポーツコンサルタントなどで活動している。夫は春日良一。 秋田市立川尻小学校入学と同時に、地元のスイミングスクールに入る。小学校入学の少し前に秋田で初の民間スイミングスクールが開設され、通わせることが親の間でブームになっていたという。スクールでは背泳ぎまで進むのに時間がかかり、そのあと小学3年生で学んだ平泳ぎがコーチから評価されたことで、以降平泳ぎを得意とするようになる。川尻小5年生時の1979年に学童の大会「ジュニア・オリンピック」に出場したことで、秋田県のスポーツ奨励賞を受賞。
簗瀬 かおり(やなせ かおり、1967年9月24日- )は埼… 簗瀬 かおり(やなせ かおり、1967年9月24日- )は埼玉県出身の元競泳選手。種目は自由形。武南高等学校・東海大学出身。モスクワオリンピック・ロサンゼルスオリンピックで2大会連続日本代表に選ばれた。現姓は千葉。 1987年の日本選手権で佐々木香織に更新されるまで7年間日本記録を維持した。 1988年のソウルオリンピックで中野亜弥子に更新されるまで5年間日本記録を維持した。10回の日本記録更新は同種目歴代1位。 1991年の世界選手権で千葉すずに更新されるまで7年半日本記録を維持した。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。
金戸 恵太(かねと けいた、1967年4月29日 - )は、… 金戸 恵太(かねと けいた、1967年4月29日 - )は、日本の元飛込競技選手。ミキハウスに所属した。東京都練馬区出身、埼玉県川口市在住。日大豊山高校、日本大学卒業。 元飛び込み五輪代表・金戸俊介と、同じく元飛び込み五輪代表・(旧姓)渡辺久美子の間に生まれ、幼少時から飛び込みに取り組み日本を代表する飛び込み選手に成長する。 ソウルオリンピック、バルセロナオリンピック、アトランタオリンピックに出場する。1992年、バルセロナオリンピックの男子高飛び込みで8位入賞の快挙を成し遂げた。この入賞によって金戸は、1936年のベルリンオリンピックの男子板飛び込みで柴原恒雄が4位に入賞して以来、一人の入賞者も出せなかった日本飛び込み界に56年ぶりの入賞をもたらした。
中森 智佳子(なかもり ちかこ、1967年4月11日 - )… 中森 智佳子(なかもり ちかこ、1967年4月11日 - )は、日本の元競泳選手。愛知県岡崎市出身。1984年ロサンゼルスオリンピック・1988年ソウルオリンピック日本代表。400m自由形の元日本記録保持者。 愛知県岡崎市伊賀町生まれ。愛知淑徳中学校・高等学校、愛知教育大学卒業。 1981年6月、国際試合派遣選考会の400m個人メドレーで5分05秒35の日本新記録を樹立した。8月の日本高等学校選手権でさらに1秒以上更新する新記録5分03秒62で優勝を果たした。 1982年6月、国際試合派遣選考会の400m個人メドレーで2年連続となる5分01秒98の日本新記録を樹立した。8月、アメリカ国際招待試合で4度目の日本新記録となる5分01秒98を出した。
鈴木 大地(すずき だいち、1967年3月10日 - )は、… 鈴木 大地(すずき だいち、1967年3月10日 - )は、日本の体育学者、水泳選手、政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。学位は体育学修士(順天堂大学大学院・1993年)、博士(医学)(順天堂大学大学院・2007年)。順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科特任教授を経てスポーツ健康科学部副学部長兼教授に再就任。順天堂大学スポーツ健康医科学推進機構機構長。日本水泳連盟会長(2021年6月 - )。アジア大学スポーツ連盟理事(2023年5月 - )。千葉県習志野市出身。現在は東京都在住。 1988年ソウルオリンピック100m背泳ぎ金メダリスト。バサロ泳法で有名な選手である。 世界水泳連盟理事(2017年 - )、アジア水泳連盟副会長(2016年 - )。
高橋 清美(たかはし きよみ、1966年3月3日 - )は、… 高橋 清美(たかはし きよみ、1966年3月3日 - )は、日本の元競泳選手。東京都出身。1984年ロサンゼルスオリンピック・1988年ソウルオリンピック日本代表。自由形・バタフライの元日本記録保持者。100m背泳ぎ・200m背泳ぎの元日本記録保持者高橋英利は実兄。 調布市立第七中学校3年時、全国中学校体育大会で100mバタフライ・200mバタフライで2冠を達成した。八王子高等学校2年のとき、1982年アジア競技大会に出場し、100mバタフライで銀メダル・200mバタフライで金メダルを獲得した。 専修大学1年となった1984年、1984年ロサンゼルスオリンピックに選出され、オリンピック初出場を果たす。
平田 政一(ひらた まさかず、1965年7月11日 - )は… 平田 政一(ひらた まさかず、1965年7月11日 - )は、日本の元競泳選手。専門はバタフライ。東京都出身。 調布市立第三中学校、八王子高等学校、拓殖大学出身。金子SS所属。 1982年アジア競技大会では200mバタフライで銅メダルを獲得した。 1985年パンパシフィック水泳選手権では200mバタフライに出場し、B決勝2位となった。 日本選手権水泳競技大会では200mバタフライで1982年から1985年まで4連覇を達成している。
輿水 秀香(こしみず ひでか、1964年10月16日 - )… 輿水 秀香(こしみず ひでか、1964年10月16日 - )は、日本の元競泳選手。山梨県出身。1984年ロサンゼルスオリンピック日本代表。200m個人メドレー・400m個人メドレーの元日本記録保持者。 山梨英和中学校・高等学校、山梨英和短期大学卒。 1981年6月、国際試合派遣選考会の400m個人メドレーで5分05秒35の日本新記録を樹立した。8月の日本高等学校選手権でさらに1秒以上更新する新記録5分03秒62で優勝を果たした。 1982年6月、国際試合派遣選考会の400m個人メドレーで2年連続となる5分01秒98の日本新記録を樹立した。8月、アメリカ国際招待試合で4度目の日本新記録となる5分01秒98を出した。
伊勢 多恵美(いせ たけみ、1963年12月22日 - )は… 伊勢 多恵美(いせ たけみ、1963年12月22日 - )は、日本の元競泳選手。東京都出身。近畿大学卒。1984年ロサンゼルスオリンピック日本代表。バタフライ・個人メドレーの元日本記録保持者。 近畿大学附属中高校・近畿大学出身。現役時代はイトマンスイミングスクールに所属していた。1980年の高校総体で200m個人メドレー・400mメドレーリレーの2冠を達成した。1981年の日本選手権では100mバタフライ・200mバタフライ・200m個人メドレーで優勝し、3冠を果たした。 翌1982年世界水泳選手権では100mバタフライ・200mバタフライともに5位入賞を果たし、同年のアジア競技大会では100mバタフライと400mメドレーリレーで2冠、200mバタフライでは2位に入り、3つのメダルを獲得した。
平井 伯昌(ひらい のりまさ、1963年5月31日 - )は… 平井 伯昌(ひらい のりまさ、1963年5月31日 - )は、日本の水泳指導者。東京都出身。東洋大学教授、同大学体育会水泳部監督。東京スイミングセンターヘッドコーチ。日本水泳連盟理事・前競泳委員長、前競泳日本代表ヘッドコーチ。 小学校低学年時から東京スイミングセンターで水泳を始める。早稲田中学校・高等学校を経て、1982年早稲田大学社会科学部に入学。在学中は水泳部に所属した。 1984年のロサンゼルスオリンピックで日本選手の大麻吸引問題が発覚したことがコーチとなるきっかけとなった。 大学卒業後は東京スイミングセンターへ入社し、水泳指導者になる。 2004年のアテネオリンピック日本選手団で北島康介、中村礼子のコーチを務め、2008年の北京オリンピック日本選手団では水泳日本代表コーチに就任。
久米 直子(くめ なおこ、1963年4月29日 - )は、日… 久米 直子(くめ なおこ、1963年4月29日 - )は、日本の元競泳選手。東京都出身。1980年モスクワオリンピック・1984年ロサンゼルスオリンピック日本代表。50m・100m・200mバタフライの元日本記録保持者。 女子美術大学付属中学1年時に、全国中学校体育大会の100mバタフライで優勝した。 1978年のアジア競技大会では100mバタフライ・200mバタフライともに銀メダルを獲得した。1979年に代々木オリンピックプールで行われた第1回ワールドカップで100mバタフライ・200mバタフライの2種目で日本新記録を樹立した。 1980年のモスクワオリンピック最終選考会でも100m・200mバタフライの2種目で日本記録を更新。
平田 美恵(ひらた みえ、1963年4月28日 - )は、日… 平田 美恵(ひらた みえ、1963年4月28日 - )は、日本の元競泳選手。1500m自由形、400m個人メドレーの元日本記録保持者。 高崎市立塚沢小学校、高崎市立塚沢中学校、佐藤学園高校、筑波大学出身。群馬スイミングスクール所属。 1978年日本代表選手派遣選考会の400m個人メドレーの予選で5分11秒03、決勝でも5分10秒45と西側よしみが8年間保持していた日本記録を2度更新し、優勝した。この結果、1978年世界水泳選手権とアジア競技大会の日本代表に選出されたが、世界水泳選手権への派遣は地元の教育委員会が反対したため、実現しなかった。 1978年アジア競技大会に出場し、200m・400m個人メドレーで2冠を達成した。
山崎 幸子(やまざき さちこ、1962年6月3日 - )は、… 山崎 幸子(やまざき さちこ、1962年6月3日 - )は、日本の元競泳選手。東京都出身。日本人女子で初めて100m自由形で1分の壁を破った。1976年モントリオールオリンピック・1980年モスクワオリンピック日本代表。50m・100m・200m自由形の元日本記録保持者。結婚後の姓は金田。競泳選手で2012年ロンドンオリンピック日本代表の金田和也は息子。 昭和女子大学附属昭和中学校2年のときに、1976年モントリオールオリンピックに出場した。100m自由形では1分00秒43の日本新記録を樹立したが、予選落ちに終わった。400mメドレーリレーでは予選から4分25秒81という日本新記録を出して、決勝進出を果たした。
高橋 英利(たかはし ひでとし、1961年11月3日 - )… 高橋 英利(たかはし ひでとし、1961年11月3日 - )は、日本の元競泳選手。東京都出身。1984年ロサンゼルスオリンピック・1988年ソウルオリンピック日本代表の高橋清美は実妹。 八王子高校、明治大学出身。 1982年世界水泳選手権では100m・200m背泳ぎでB決勝に進出。1982年アジア競技大会では200m背泳ぎと400mメドレーリレーで優勝し、100m背泳ぎでも2位に入った。 100m背泳ぎ・200m背泳ぎの日本記録保持者として臨んだ1984年ロサンゼルスオリンピック代表選考会では200m背泳ぎで当時高校生の鈴木大地に敗れ、代表入りは果たせなかった。
本間 三和子(ほんま みわこ、旧姓は元好、1960年12月2… 本間 三和子(ほんま みわこ、旧姓は元好、1960年12月21日 - )は、元アーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)選手、(公財)日本水泳連盟理事・シンクロ委員長。筑波大学大学院人間総合科学研究科教授。学位は博士(体育科学)。専門はスポーツ科学。 大阪府大阪市出身。12歳からシンクロを始める。 筑波大学に進学後、高橋清彦が堺市の自宅に建設したシンクロ用室内プールに毎週通って特訓を積む。筑波大学大学院在学中の1984年ロサンゼルスオリンピックで木村さえ子とともにデュエット種目で銅メダル、ソロ種目でも銅メダルを獲得。コーチは井村雅代。 その後は母校で研究と教育に関わりながら、国際水泳連盟の役員を務め、アーティスティックスイミングの普及に努めている。
坂本 弘(さかもと ひろし、1960年6月26日 - )は、… 坂本 弘(さかもと ひろし、1960年6月26日 - )は、日本の元競泳選手。専門は自由形。1980年モスクワオリンピック・1984年ロサンゼルスオリンピック日本代表。100m・200m・400m自由形元日本記録保持者。島根県雲南市出身。 広島工業大学附属中学校、中京大学卒。 1978年世界水泳選手権に出場。100m自由形・200m自由形・400m自由形・400mフリーリレーでは予選落ち、800mフリーリレーでは失格に終わった。 1978年アジア競技大会では200m自由形で銅メダルを獲得し、400mフリーリレーと800mフリーリレーの2冠を達成した。 1980年モスクワオリンピック日本代表選手に選出されたが、ボイコットにより不参加となった。
塚崎 修治(つかさき しゅうじ、1960年1月28日 - )… 塚崎 修治(つかさき しゅうじ、1960年1月28日 - )は、日本の元競泳選手。専門は自由形。400m・800m・1500m自由形元日本記録保持者。 中央大学附属高等学校、中央大学卒。 1976年6月のモントリオールオリンピック選考会で1500m自由形の日本新記録を樹立した。8月の高校総体で1500m自由形の日本記録を再び更新し、2週間後の日本選手権でも800m・1500m自由形で日本記録をさらに更新した。 1977年8月の高校総体で400m自由形の日本新記録を樹立。 1978年6月の世界水泳選手権選考会で800m・1500m自由形の日本新記録を樹立。7月のサンタクララ国際競技会で1500m自由形の日本記録を更新し、8月の第3回世界水泳選手権でも400m・800m・1500m自由形の日本新記録を打ち立てた。
設楽 義信(しだら よしのぶ、1960年1月22日 - )は… 設楽 義信(しだら よしのぶ、1960年1月22日 - )は、埼玉県川口市出身の競泳選手、水泳指導者、NHK水泳解説者である。株式会社埼北スイミングスクール(埼玉スウィンスイミングスクール)常務取締役であった。
香山 進介(かやま しんすけ、1959年5月23日 - )は… 香山 進介(かやま しんすけ、1959年5月23日 - )は、日本の元競泳選手。専門はバタフライ。1976年モントリオールオリンピック・1980年モスクワオリンピック日本代表。200mバタフライ元日本記録保持者。岡山県出身。 尾道高校、法政大学出身。 1976年モントリオールオリンピックでは100mバタフライと200mバタフライに出場し、ともに予選落ちだった。 1978年世界水泳選手権に出場。100mバタフライ・200mバタフライ・400mフリーリレーでは予選落ち、800mフリーリレーでは失格に終わった。三科典由、高橋繁浩、石井英範と組んだ400mメドレーリレー予選では3分54秒38の日本新記録で決勝進出を果たした。
中西 俊二(なかにし しゅんじ、1959年1月5日 - )は… 中西 俊二(なかにし しゅんじ、1959年1月5日 - )は、日本の競泳選手。専門は自由形。1980年モスクワオリンピック日本代表。800m・1500m自由形元日本記録保持者。 有田市立初島中学校、尾道高校、日本大学卒。 1974年アジア競技大会の800mフリーリレーに出場し、金メダルを獲得した。 1980年モスクワオリンピック日本代表選手に選出されたが、ボイコットにより不参加となった。
柳舘 毅(やなぎだて つよし、1957年2月15日 - )は… 柳舘 毅(やなぎだて つよし、1957年2月15日 - )は、日本の競泳選手。専門は個人メドレー・自由形。元自由形・バタフライ・個人メドレー日本記録保持者。1976年モントリオールオリンピック競泳日本代表。 尾道高校、早稲田大学卒業。 1973年世界水泳選手権では200m個人メドレー14位・400m個人メドレー16位で予選敗退に終わった。 1974年アジア競技大会では、200m個人メドレー2位、400m個人メドレーでは優勝を果たした。 1976年モントリオールオリンピックでは200m自由形で1分58秒04の日本新記録を更新したが予選敗退。400m個人メドレーでも4分39秒27の日本新記録を更新したが予選敗退した。
原 秀章(はら ひであき、1956年8月1日 - )は、日本… 原 秀章(はら ひであき、1956年8月1日 - )は、日本の競泳選手。専門はバタフライ。1976年モントリオールオリンピック・1980年モスクワオリンピック日本代表。元100m・200mバタフライ日本記録保持者。 横浜市立大綱中学校、尾道高校、早稲田大学卒業。 1973年世界水泳選手権で100mバタフライで日本タイ記録となる58秒00を出し、予選9位に入るも決勝進出はならなかった。 1974年のアジア競技大会では100mバタフライで優勝、200mバタフライで2位、400mメドレーリレーで優勝を果たした。 1975年世界水泳選手権では100mバタフライの予選で57秒43の日本新記録を出し、決勝に進出する。
竹本 ゆかり(たけもと ゆかり、1955年4月27日 - )… 竹本 ゆかり(たけもと ゆかり、1955年4月27日 - )は、日本の元競泳選手、政治家。2021年現在は中川 ゆかり(なかがわ ゆかり、旧姓:竹本)として、坂町議会議員、同議会副議長を務めている。 広島県安芸郡坂町出身。 1968年メキシコシティーオリンピックに当時夏季五輪日本人最年少の13歳6ヶ月で100m・200m平泳ぎで出場。1972年ミュンヘンオリンピックにも4×100mフリーリレーと200m・400m個人メドレーに出場したが、いずれも予選で敗退。 現役を引退した後、2011年の第17回統一地方選挙で執行された坂町の町議会議員選挙に出馬し、初当選を果たす。その後、2015年と2019年の選挙でも当選して現在は3期目を務め、現在は町議会副議長に就いている。
角皆 優人(つのかい まさひと、1955年1月26日 - )… 角皆 優人(つのかい まさひと、1955年1月26日 - )は、日本のフリースタイルスキー選手(モーグル・エアリアル・アクロなど)・水泳選手、スキー指導者、作家。 群馬県高崎市出身。群馬県立高崎高等学校卒業、青山学院大学中退。 高校までは水泳選手として活動し、1972年200メートル個人メドレー群馬県優勝他。高校の同級生に指揮者 三澤洋史、政治家 下村博文がいる。 青山学院大学在学時代フリースタイルスキーに取り組み、学内にフリースタイルスキーチームを創設、初代部長を務める。 1978年~1986年、全日本フリースタイルスキー選手権大会総合優勝7回、種目別優勝35回(全日本フリースタイルスキー協会主催・全日本スキー連盟主催大会)。
柴田 智恵野(しばた ちえの、1953年11月30日 - )… 柴田 智恵野(しばた ちえの、1953年11月30日 - )は、日本の元競泳選手。静岡県出身。1968年メキシコシティーオリンピック・1972年ミュンヘンオリンピック日本代表。200m平泳ぎの元日本記録保持者。 大阪市立巽中学校・浪速女子高校・愛知学院大学出身。1967年全国中学校水泳競技大会で100m・200m平泳ぎの2冠を達成した。1969年全国高校総体200m平泳ぎで優勝した。 1968年メキシコシティーオリンピックに出場し、200m平泳ぎで7位に入った。 1970年アジア競技大会に出場。200m平泳ぎと400mメドレーリレーで優勝し、100m平泳ぎで銀メダルを獲得した。 1972年ミュンヘンオリンピックに出場し、200m平泳ぎで予選敗退となった。
青木 まゆみ(あおき まゆみ、本名・西口まゆみ、1953年5… 青木 まゆみ(あおき まゆみ、本名・西口まゆみ、1953年5月1日 - )は、日本の競泳選手。オリンピック金メダリスト。現在は教師。熊本県山鹿市(旧菊鹿町)出身。
西側 よしみ(にしがわ よしみ、1953年4月8日 - )は… 西側 よしみ(にしがわ よしみ、1953年4月8日 - )は、大阪府茨木市出身の元競泳選手。現在は茨城県守谷市在住。武庫川女子大学短期大学部卒業。オリンピックに3大会連続で出場した。現在は村山よしみの名前で日本水泳連盟常務理事、社団法人日本マスターズ水泳協会理事やトータル・オリンピック・レディス会幹事等を務める。 夫の村山隆志は1976年モントリオールオリンピックボート競技エイト代表で、現在はトランスメタ日本法人代表取締役社長である。 吉広紀代子 『わたし流、プレッシャー物語-オリンピックの女たちの素敵な生き方』 日本文化出版、1988年(ISBN 4-93-103382-2)
五十嵐 憲(いがらし けん、1952年(昭和27年)9月17… 五十嵐 憲(いがらし けん、1952年(昭和27年)9月17日 - )は、山形県鶴岡市出身の、水泳指導者、遠泳スイマー。 友人に「地元の漁港から1.2km先の島まで泳いで渡ったら寿司を奢る」と言われたのをきっかけに遠泳を始める。 1999年に、津軽海峡の横断に日本人としては初めて成功し、2000年にはドーバー海峡横断に日本人では9人目として成功する。その後、2001年間宮海峡、2002年宗谷海峡、2003年対馬海峡西水道横断、2004年バイカル湖に、それぞれ世界初となる単独遠泳横断に成功した。 地元の小学生への水泳指導も行っている。 講演会などでは、かつて北尾光司が名乗っていた「スポーツ冒険家」の肩書きを使うこともある。
石森 昌治(いしもり まさはる、1952年3月26日 - )… 石森 昌治(いしもり まさはる、1952年3月26日 - )は、広島県出身の水泳指導者である。株式会社埼北スイミングスクール(埼玉スウィンスイミングスクール)取締役ヘッドコーチ。日本水泳連盟競泳委員・強化コーチ。
本多 忠(ほんだ ただし、1951年9月19日 - )は、日… 本多 忠(ほんだ ただし、1951年9月19日 - )は、日本の競泳選手。専門は背泳ぎ。山口県出身。 尾道高等学校時代、全国高等学校総合体育大会水泳競技大会で優勝している。高校卒業後は広島商科大学(現広島修道大学)に進学、日本学生選手権水泳競技大会の100m、200m背泳ぎで2年連続優勝している。大学卒業後はフジタに入社し競技を続けた。 1972年のミュンヘンオリンピックでは100m背泳ぎで8位、200m背泳ぎは予選敗退、田口信教・駒崎康弘・佐々木二郎との400mメドレーリレーで6位となった。 1976年のモントリオールオリンピックでは100m背泳ぎで予選落ち、田口信教・原秀章・柳館毅とのメドレーリレーで8位となった。