赤木 高太郎(あかぎ こうたろう、1970年1月21日 - … 赤木 高太郎(あかぎ こうたろう、1970年1月21日 - )は、元騎手・調教助手。 兵庫県競馬組合、のち日本中央競馬会 (JRA) 所属であった。 1987年に園田・齊藤裕厩舎所属で騎手デビュー。1998年秋から約8か月間、単身オーストラリアに遠征。本人いわく、技術面よりもメンタル面を鍛えるための修行であったという。勝ち星はなくその後帰国、帰国後2000年度から2003年度まで、小牧太・岩田康誠に次ぐ兵庫リーディング3位のポジションをキープ。赤木圭一郎と同姓であったことから「園田第3の男」というニックネームも生まれた。 2001年、JRAの騎手免許試験の受験を決意。JRAでの勝ち鞍がなく1次試験(筆記試験)免除の特例(5年間でJRA年間20勝以上を2回達成した地方競馬の騎手に適用された)が適用されなかったため、調教やレースのかたわら1日8時間の試験勉強に取り組んだ。
大竹 正博(おおたけ まさひろ、旧姓:大崎(おおさき)。19… 大竹 正博(おおたけ まさひろ、旧姓:大崎(おおさき)。1969年12月30日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の調教師(美浦トレーニングセンター)、元調教助手、元厩務員。麻布大学獣医学部卒業。東京都出身。 大竹の父は中央競馬の元騎手・大崎昭一である。1985年に大崎は八百長を行ったという疑いをかけられ、無期限の騎乗停止処分を受けた。最終的に八百長行為は認められないという結論が下され騎乗停止処分は解除されたものの、騒動の影響で栗東の一部の厩舎をのぞきほとんどの厩舎から騎乗依頼が来なくなるなど大崎の騎手生活は大きく狂わされることとなった(新潟事件)。事件の影響から大竹は競馬によい印象を抱いておらず、当初は獣医師を志していたが、1992年に大崎がレッツゴーターキンに騎乗して天皇賞(秋)を優勝したことをきっかけに中央競馬で働くことを考えるようになった。
和田 雄二(わだ ゆうじ、1969年8月14日 - )は、日… 和田 雄二(わだ ゆうじ、1969年8月14日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。鹿児島県鹿屋市出身。 同郷の騎手である吉永正人(同郷には他に瀬戸口勉の他郷原洋行や梅内忍、現役騎手では幸英明らがいる)に憧れ、騎手になるため競馬学校を3度受験するも全て不合格となり、その後は調教師を目指すことになる。鹿屋農業高校、日本大学農獣医学部畜産学科を卒業し1994年10月にJRA競馬学校厩務員課程に入学。翌1995年4月に保田隆芳厩舎の厩務員となる。 1996年4月から憧れていた吉永正人厩舎で厩務員となり1997年6月から調教助手を務める。 2006年9月11日に吉永が病死し厩舎解散となったため松山康久厩舎に移籍する。
梅田 智之(うめだ ともゆき、1969年4月20日 - )は… 梅田 智之(うめだ ともゆき、1969年4月20日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属している調教師である。父は元調教師の梅田康雄。 父、康雄が栗東トレーニングセンターで調教師をしていたこともあり、競馬が身近な環境にいた。元々は騎手を目指していたが、騎手を断念。栗東町立金勝小学校、栗東市立栗東中学校の同期に元騎手の岸滋彦がいる。 麻布大学獣医学部卒業後、1995年に競馬学校厩務員課程を経て、栗東・西橋豊治厩舎の厩務員、調教厩務員、調教助手を務めた。 2006年にJRA調教師免許試験に合格。翌07年に栗東で開業。伊藤雄二厩舎の一部を引き継ぐこととなった。 2007年3月10日の中京第11レースのファルコンステークスでエミネンツァベルタで初出走(14着)。
武 豊 (たけ ゆたか、1969年(昭和44年)3月15日 … 武 豊 (たけ ゆたか、1969年(昭和44年)3月15日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の騎手。栗東トレーニングセンター所属で現在はフリー。日本騎手クラブ会長(2010年 - )。父は元騎手・元調教師の武邦彦で、弟に元騎手で現調教師の武幸四郎がいる。 デビューの年に新人最多勝記録(当時)を更新し2年目の菊花賞でGIを制覇。3年目で全国リーディングを獲得。その後も活躍を続けJRA全国リーディングジョッキーは18回獲得(歴代最多)し、騎手大賞は9回獲得(歴代最多)。通算GI勝利数は地方、海外含めて100勝以上を記録(歴代最多)。その他にも通算5000勝を超えるJRA歴代最多勝記録、および歴代最多騎乗数記録、東京優駿最多の6勝を挙げるなど数々のJRA記録を更新、保持し「日本競馬界のレジェンド」と称されているほどの日本を代表する騎手である。
吉田 稔(よしだ みのる、1969年2月12日 - )は、日… 吉田 稔(よしだ みのる、1969年2月12日 - )は、日本の地方競馬の元騎手。父は佐賀競馬場所属の調教師、吉田昭。 初騎乗は1987年4月17日、名古屋競馬第4競走のビツクサントで3着。同年5月15日、中京競馬(地方競馬開催)第4競走のイチモンジリリーで初勝利。この年は19勝を挙げる。 1994年には年間92勝を挙げ、愛知県競馬(名古屋・中京)のリーディング1位となる。その後毎年100勝以上を挙げ、2003年まで10年連続リーディング1位となった。 ダートグレード競走では、2000年に盛岡競馬場のクラスターカップに勝利。2004年と2005年には地元名古屋でかきつばた記念を連覇した。 また、2005年には短期免許でオーストラリアに遠征した。
岡 潤一郎(おか じゅんいちろう、1968年12月7日 - … 岡 潤一郎(おか じゅんいちろう、1968年12月7日 - 1993年2月16日)は日本中央競馬会の元騎手。北海道様似郡様似町出身。愛称は「ジュンペー」。
高橋 仁(たかはし じん、1968年12月2日 - )は、日… 高橋 仁(たかはし じん、1968年12月2日 - )は、日本の実業家、元馬主。 1968年、福島県二本松市出身。1995年に立教大学社会学部産業関係学科を卒業したが、在学中から不動産会社に営業で勤めていた。その後不動産会社を退職、大手のエステサロンで美容部部長となり、1999年には資金繰りのために福島県でラーメン店を開店したのち、2002年にジンコーポレーションを郡山市に設立した。翌年、ミュゼプラチナム1号店を開店。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は青、白星散、袖白一本輪、冠名は「ミュゼ」を用いた。 2011年頃に馬主となり、2015年には馬主歴4年で日本ダービーに所有馬を二頭出ししたが、会社の経営不振などもあり同年9月に所有馬を坂本肇に売却し、所有馬がゼロとなった。
安部 幸夫(あべ ゆきお、1968年6月20日 - )は、地… 安部 幸夫(あべ ゆきお、1968年6月20日 - )は、地方競馬の名古屋競馬場安部弘一厩舎に所属していた元騎手、現調教師である。 1987年10月18日に中京第2競走のキンコシングンで初騎乗を果たし、同年10月23日に中京第7競走でフリオンレディーに騎乗し1着となり、のべ14戦目で初勝利を挙げる。 1993年、名古屋競馬リーディングジョッキーを初獲得。 1994年8月23日、名古屋第10競走でイスズフォーリッドに騎乗し1着となり、4124戦目で地方競馬通算500勝達成。 1997年6月22日、福島4Rでブランドアラシに騎乗し、中央競馬(JRA)初騎乗を果たす(7着)。同年11月2日、京都6Rでスバルマドンナに騎乗し1着となり、JRA初勝利を挙げる。
横山 典弘(よこやま のりひろ、1968年2月23日 - )… 横山 典弘(よこやま のりひろ、1968年2月23日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の騎手。美浦トレーニングセンター所属で現在はフリー。 父は元JRA騎手の横山富雄、兄も元JRA騎手の横山賀一(ただしJRAの騎手免許は典弘のほうが先に取得している)。長男の横山和生、三男の横山武史はともにJRA騎手。さらに叔父に元JRA調教師の奥平真治がおり、身内に競馬関係者が多数存在するなかで育つ。そのほか、義弟(妹の夫)に元JRA騎手・JRA調教師の菊沢隆徳が、甥にJRA騎手の菊沢一樹がいる。 なお、競馬新聞ではデビュー以降一貫して『横山典』と表記されている。 1986年3月1日、中山競馬第2競走でデビュー(リキアイシンプウに騎乗し12頭立ての3着)。
熊沢 重文(くまざわ しげふみ、1968年1月25日 - )… 熊沢 重文(くまざわ しげふみ、1968年1月25日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手。 戸籍上の表記は旧字体が含まれた「熊澤 重文」だが、JRAでは旧字体での登録が認められていない為、新字体の「熊沢」に修正して登録、引退後の活動名も修正した名義としている。 平地・障害どちらもトップジョッキーと言われるレベルにあった。二刀流の鉄人または元祖二刀流騎手と呼ばれた。 1968年に愛知県刈谷市に生まれ、刈谷市立小垣江小学校、刈谷市立依佐美中学校を卒業。熊沢の15歳年上の南井克巳も刈谷市出身(出生地は京都市)であり、熊沢と同じ小中学校を卒業しており、熊沢が騎手となる契機の一つであった。
田原 邦男(たはら くにお、1967年10月27日 - )は… 田原 邦男(たはら くにお、1967年10月27日 - )は、日本の実業家、株のディーラー・トレーダー、馬主。 群馬県立高崎高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業し、1991年にゴールドマン・サックスへ入社し、2002年にマネージング・ディレクター就任。2008年にはリーマン・ブラザーズ証券株式会社へ入社するが、リーマン・ショックにより一時的に無職となる。その後、同年バークレイズ証券株式会社を経て、2015年にゆうちょ銀行市場部門常務執行役員、2019年4月1日から2020年6月16日まで同行執行役副社長を務めた。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は水色、黒襷、袖黒二本輪、冠名は特に用いない。
小牧 太(こまき ふとし、1967年9月7日 - )は、兵庫… 小牧 太(こまき ふとし、1967年9月7日 - )は、兵庫県競馬組合(兵庫県騎手会)の騎手。1985年に兵庫県競馬組合よりデビューして、2004年に日本中央競馬会(JRA)へ移籍し、2024年8月より兵庫県競馬組合に復帰。弟は兵庫県競馬組合所属調教師の小牧毅。子息の小牧加矢太は2020年の全日本障害飛越選手権を制した馬術競技の元選手で現JRA騎手。 出生は神奈川県横浜市。横浜から移り住んだ鹿児島で競馬とは無縁の環境で育ち、進学先の高校も決まっていたが、乗り役を捜していた近所の牧場が小牧に声を掛けたことから話は進展し、1985年兵庫県競馬組合の曾和直榮厩舎の所属騎手としてデビューとなる。 初騎乗は1985年10月30日の姫路競馬第1競走(タカラヒリユウ)で、初勝利は同年11月3日の姫路競馬第8競走(ビンゴトモエ)。
青戸 慎司(あおと しんじ、1967年5月7日 - )は、和… 青戸 慎司(あおと しんじ、1967年5月7日 - )は、和歌山県和歌山市出身の陸上競技(短距離)・ボブスレー選手、スポーツ指導者。スポーツコメンテーター、中京大学スポーツ振興部課長、スポーツ科学部非常勤講師、体育会陸上競技部副部長を務める。男子100メートル競走の元日本記録保持者である。2012年早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程で修士(スポーツ科学)を修了。大学院では平田竹男教授(内閣官房参与、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局長)の指導を受ける。平田研究室7期生には三浦俊也や瀧本誠、大橋未歩などがいる。修士論文の題目は「小学校授業におけるかけっこ指導法の改善に関する研究」。
松永 幹夫(まつなが みきお、1967年4月10日 - )は… 松永 幹夫(まつなが みきお、1967年4月10日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する元騎手、現調教師。熊本県合志市(旧・菊池郡西合志町)出身。 1986年に騎手デビュー。同年最多勝利新人騎手となるなど早くから頭角を現す。1991年にイソノルーブルで優駿牝馬(オークス)でGI競走を初制覇したことをはじめとして牝馬限定競走で顕著な成績を挙げ、「牝馬の松永」の異名を取った。また、1980年代後半に勃興した第2次競馬ブーム期にあっては、端正な容姿と相俟って多くの女性ファンを獲得し、「ミッキー」の愛称と共にアイドル的な人気を博した。騎手通算成績は12607戦1428勝、うちGI競走11勝を含む重賞69勝(地方競馬成績含む)。
多胡 肇(たご はじめ、1967年1月28日 - )は、日本… 多胡 肇(たご はじめ、1967年1月28日 - )は、日本のスポーツ指導者。東京都出身。身長170cm、体重64kg。血液型B型。 1985年に日体荏原高校を卒業。1989年に日本体育大学体育学部を卒業。日体大在学当時は、体育教師を目指していたことから体操を専攻した。また、団体徒手(新体操)の日本代表選手として国際大会へ出場したこともある。大学卒業と同年に西武鉄道へ入社し、ビッグボックス西武アスレティッククラブにインストラクターとして勤務。 1994年に西武グループ傘下のプロ野球球団である西武ライオンズへ出向し、2軍トレーニングコーチに就任、1995年度シーズンから1997年度シーズンにかけて務めた(選手経験はないが、右投右打として登録。
安福 良直(あんぷく よしなお、1967年 - )は日本のパ… 安福 良直(あんぷく よしなお、1967年 - )は日本のパズル作家、パズル雑誌・書籍の編集者、競馬ライター。 広島県生まれ、大阪府育ち。1991年京都大学理学部卒。 1990年ニコリに入社し、数独などのパズルを作ったり解いたりすることを仕事にする。1999年より『パズル通信ニコリ』編集長、2018年まで務める。その他、『数独通信』『激辛数独』『デカビロ・カックロ』など多くのパズル本を編集、制作する。2020年1月現在ニコリ副社長を務めている。 また、『おとなの馬券学』(ミデアム出版社)などで競馬ライターとしても活動中。 ニコリ社長鍜治真起の退任により、2021年8月1日に社長に就任することが発表された。
横山 賀一(よこやま よしかず、1966年12月28日 - … 横山 賀一(よこやま よしかず、1966年12月28日 - )は、日本の元騎手・元調教助手・現競馬学校教官。 茨城県出身(東京都府中市生まれ)。父は元騎手の横山富雄、弟は現騎手の横山典弘、伯父は元調教師の奥平真治という競馬一族である。また、元騎手・現調教師の菊沢隆徳は義弟、現騎手で典弘の長男の横山和生と三男の横山武史は甥。 JRAの騎手のうち、競馬学校出身者では数少ない高校卒業者である。 富雄の長男として誕生し、府中市立府中第八小学校に在籍していた頃は後にタレントや一口馬主会社社長となった見栄晴と同級生であり、よく遊んでいた。競馬学校に中学卒業時、高校在学中、高校卒業時の3回受験したが、身長と体重がネックとなり、いずれも不合格[要出典]。
原村 正紀(はらむら まさとし、別名:原村 昌利(読み同じ)… 原村 正紀(はらむら まさとし、別名:原村 昌利(読み同じ)、1966年12月6日 - )は、日本の実業家、作家、馬主。 システム開発・販売、化粧品、水素、アミノ酸商品などの製造・販売を手がける株式会社エコロ・インターナショナルの代表取締役社長を務める。 1966年、栃木県出身。当初は会社員であったが思うようにいかなかったといい、メンターとの出会いを経て仕事の調子が上がると、メンタルトレーナーとしてセミナーなどを開催するようになった。1999年、栃木県真岡市並木町に株式会社エコロ・インターナショナルを創業(2002年2月設立)。 趣味はゴルフ、読書。座右の銘は「成功とは、最後の失敗の後に訪れる」。
岩戸 孝樹(いわと たかき、1966年7月23日 - )は、… 岩戸 孝樹(いわと たかき、1966年7月23日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに所属している調教師で、元騎手。 1985年3月美浦・山崎彰義厩舎所属の騎手としてデビュー。競馬学校を卒業した最初の世代(第1期生)であり、同期には柴田善臣、石橋守などがいる。 途中フリー転向を一度挟み、デビュー当初所属した山崎厩舎の他、鈴木伸尋厩舎にも籍を置いたが、現役生活16年間で重賞勝利や表彰等の特筆すべき実績は無く、2000年2月調教師免許の取得に伴い現役を引退。騎手成績は中央通算1909戦83勝、地方通算31戦1勝であった。 その後、技術調教師研修などを経て2002年3月、定年解散となった山崎彰義厩舎を引き継ぐ形で厩舎を開業。
渡辺 博文(わたなべ ひろふみ、1966年7月4日 - )は… 渡辺 博文(わたなべ ひろふみ、1966年7月4日 - )は、地方競馬の佐賀競馬場所属の調教師、元騎手。最終所属は柳井宏之厩舎。勝負服は胴青、袖赤、胴袖黄二本輪。 父は春木競馬場(1974年廃止)及び福山競馬場の厩務員。元騎手の渡辺勝行は実兄。 1986年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、福山競馬場・上原齊厩舎からデビュー。同年4月27日第2回福山競馬1日目第2競走でサツキオーカンに初騎乗(8頭立て7番人気6着)。同日の第2回福山競馬1日目第10競走でトスカイツバメに騎乗(9頭立て7番人気)し初勝利。 福山在籍時には4度リーディングを獲得(1997年・2000年・2005年・2007年)。
大久保 龍志(おおくぼ りゅうじ、1966年1月6日 - )… 大久保 龍志(おおくぼ りゅうじ、1966年1月6日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属する調教師。京都産業大学卒。 父はナリタブライアンなどを管理した大久保正陽、祖父はフレーモアに騎乗して第3回東京優駿(日本ダービー)に優勝した大久保亀治、その他の親戚もみな競馬関係者という一族に生まれる。10代前半のころは騎手を目指していたが、身長が急速に伸びたことにより断念。栗東高等学校を経て京都産業大学に進んだ。大学では馬術部に所属。卒業後、競馬学校厩務員課程に進み、その修了後は父・正陽の下で厩務員となった。その後厩務員から調教助手になる。 2001年に調教師免許を取得。
谷中 公一(やなか こういち、1965年11月3日 - )は… 谷中 公一(やなか こういち、1965年11月3日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 所属の元騎手・元調教助手で、現在は育成厩舎「ケイワンステーブル」代表。 長野県岡谷市出身。身長159センチメートル、血液型はO型。 趣味は動物の飼育、釣りなど。愛犬家でもあり、2007年から美浦トレーニングセンターのある茨城県稲敷郡美浦村でドッグガーデン「WANだら〜」を経営している。 馬事公苑長期騎手課程第32期生であり中舘英二や坂本勝美、木幡初広、出津孝一、鹿戸雄一らとは同期。馬事公苑最後の卒業者であるが、デビューは1年遅れて1985年となった(原因は、急性アルコール中毒に罹ってしまい、入院をした為)。
清水 英克(しみず ひでかつ、1965年9月24日 - )は… 清水 英克(しみず ひでかつ、1965年9月24日 - )は、日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターに所属している調教師。 家の近くに中山競馬場があり、小学6年の時に乗馬を始める。初めての競馬観戦は1978年の日本ダービーで、サクラショウリの小島太に憧れて騎手を目指したが、体格が大きくなりすぎて厩務員に路線変更をした。 土田稔厩舎で厩務員と調教助手を務め、2005年2月に調教師試験に合格し、調教師免許を取得。 前田禎調教師の死去に伴い、旧前田厩舎の一部を引き継ぐ形で厩舎を開業。管理馬の初出走は2006年1月22日、中山競馬第8競走のマイネルグロッソ(12着)。 初勝利は同年の4月16日、中山競馬第1競走のブンブンブン(のべ32頭目の出走だった)。
中舘 英二(なかだて えいじ、1965年7月22日 - )は… 中舘 英二(なかだて えいじ、1965年7月22日 - )は、東京都荒川区出身の元騎手・現調教師。 騎手時代には3度のJRA賞を受賞したヒシアマゾンなどに騎乗し、GI4勝、通算1869勝を挙げている。また、福島競馬場で歴代2位の425勝を記録している。 平成27年度新規調教師免許試験に合格し、2015年3月1日に厩舎を開業した。 父も母も荒川に生まれ育ち、中舘は小さい頃は、家の近くにあった東京スタジアムの無料券を貰って、よく野球を見に行った。 父は全然競馬をやらなかったが、競馬評論家の宮城昌康と親交があり、後に中舘は宮城の長女と結婚している。 母もパートタイムで中山競馬場内の馬券売り場に勤めるなど、競馬との繋がりを持つ家庭であった。
木幡 初広(こわた はつひろ、1965年6月14日 - )は… 木幡 初広(こわた はつひろ、1965年6月14日 - )は、福島県原町市(現・南相馬市)出身の元騎手・現調教助手。 競走馬の育成を兼業する農家の長男として生まれ、少年期から預託馬に跨って調教の手伝いをして過ごした。中学卒業後に馬事公苑騎手養成長期課程に32期生として入所し、中舘英二・鹿戸雄一、坂本勝美・出津孝一・谷中公一と同期になる。木幡が入所した翌年には千葉県印旛郡白井町に競馬学校が開校したため、馬事公苑で養成された最後の世代となった。 1984年に美浦・稲葉隆一厩舎からデビューし、3月3日の中山第1競走4歳以上300万下・エドワーズシチー(13頭中2着)で初騎乗を果たす。同馬に騎乗した5月13日の新潟第1競走4歳以上オープンで初勝利、同日には初の1日2勝を挙げる。
井上 俊彦 (いのうえ としひこ、1965年4月14日 - … 井上 俊彦 (いのうえ としひこ、1965年4月14日 - )は、ホッカイドウ競馬・櫻井拓章厩舎所属の騎手。 1983年に騎手免許を取得し4月18日に函館競馬、第3競走でマルゼンシーフに騎乗しデビューする(結果は2着)。翌日、函館競馬の第8競走でマツカゼフアミリー優勝し初勝利を挙げた。 1985年7月14日にミナミトウザイでゴールドトロフィーを制し重賞初制覇を飾る。 1987年に初のホッカイドウ競馬リーディングジョッキーに輝くと翌年もリーディングジョッキーとなる。その後1996年、2000年にリーディングジョッキーとなっている。 1999年地方通算1000勝を達成。この年函館3歳ステークスをエンゼルカロで優勝し、JRA重賞初勝利を飾る。
関本 淳(せきもと あつし、1965年2月10日 - )は、… 関本 淳(せきもと あつし、1965年2月10日 - )は、地方競馬の岩手県競馬組合・盛岡競馬場晴山厚司厩舎に所属していた元騎手。勝負服の柄は胴緑袖白、袖緑一本輪。東京都江戸川区出身。血液型はA型。上山と浦和に所属した元騎手関本秀幸は実弟。 上山競馬場所属の騎手としてデビュー、1982年4月17日初騎乗(コダママリー)、初勝利は同年5月16日(ヨシダキタカミ)。 デビュー3年目の月岡賞でオオミリーガルに騎乗して重賞初勝利。以後、上山の主力騎手として908勝を挙げた。上山競馬所属時代の公式ニックネームは「マジック関本兄」、マジシャンのような華麗な騎乗ぶりからつけられた。 2003年末、上山競馬の廃止に伴い岩手・盛岡の熊谷昇厩舎に移籍。
岡 浩二(おか こうじ、1965年1月2日 - )は、日本の… 岡 浩二(おか こうじ、1965年1月2日 - )は、日本の実業家、馬主。 大阪府大阪市城東区出身。大学卒業後に建設会社へ就職後、23歳で独立し「岡組土木」を創業、1995年に現在の「株式会社ランテック」に社名を変更した。 2013年には、大阪市港区に環境に優しいクリーンエネルギーである液化天然ガス(LNG)を使用するアスファルト合材工場「minato REPLA」、2016年には東大阪市高井田西に高井田アスファルト合材中継所「CITY SATELLA」の稼動を開始した。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は白、赤十字襷、袖赤二本輪で、冠名は「セレス」を用いていたが、近年の所有馬は冠名が付かない場合が多い。
手塚 貴久(てづか たかひさ、1964年9月20日 - )は… 手塚 貴久(てづか たかひさ、1964年9月20日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属する調教師。慶應義塾大学商学部卒。元日本調教師会会長 (2022年2月 - 2024年2月) 、日本中央競馬会運営審議会委員。 父の佳彦は元足利競馬場の調教師。またライスシャワーなどを管理した調教師の飯塚好次は伯父(母の兄)。息子の手塚貴徳も美浦所属の調教師。 父・佳彦は足利競馬場の調教師であり厩舎に住んでいたが、競馬に興味を持ったのは学生の時からだという。 1989年5月、JRA競馬学校厩務員課程に入学し、10月より美浦・相川勝敏厩舎所属の厩務員となる。 1990年3月、美浦・佐藤林次郎厩舎所属となり、4月からは美浦・佐藤全弘厩舎所属の調教助手となる。
山本 宜史(やまもと のりふみ、1964年4月13日 - )… 山本 宜史(やまもと のりふみ、1964年4月13日 - )は日本のスポーツ指導者。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは体操・トランポリン日本代表の監督を務めた。2017年1月1日に日本体操協会の専務理事代行に着任、2018年9月現在、日本体操協会の専務理事を務める。 2018年8月29日の宮川紗江の記者会見に端を発する日本体操協会女子体操強化本部長の塚原千恵子と協会副会長の塚原光男によるパワハラ疑惑について、同日行われた日本体操協会の記者会見に山本は専務理事として協会を代表する立場で出席し、暴力行為による速見佑斗コーチの処分にあたって被害者とされる宮川に対する調査を行っていないことを認めた上で、同コーチの処分について宮川が指摘するようなパワハラは関係していないと主張した。
吉岡 牧子(よしおか まきこ、1964年3月8日 - )は、… 吉岡 牧子(よしおか まきこ、1964年3月8日 - )は、島根県益田市にあった益田競馬場に所属していた元騎手。 引退後は競馬評論家として競馬関係のテレビ番組やイベントへの出演、コラムの執筆などをしている。 山口県熊毛郡田布施町生まれ。 学生時代から騎手志望であったが、行動を起こしたのは高等学校卒業後、就職してからのことであった。地方競馬教養センターの騎手課程には年齢制限のため入れず、益田競馬場の渡辺進厩舎で厩務員として働きながら、乗馬クラブで訓練を積んだ。 1986年7月に騎手免許試験を受け合格。9月29日付けで免許を取得し、翌1987年3月21日にデビュー。「インターナショナルクイーンジョッキーシリーズ」という女性騎手による国際交流戦で1989年から1991年まで3年連続総合優勝を果たし、1992年7月には益田競馬場の重賞競走である日本海特別を制するなど、常に地方競馬を代表する女性騎手として活躍した。
スコット・サイトウ(Scott Saito、1964年2月1… スコット・サイトウ(Scott Saito、1964年2月17日 - )は、アメリカ合衆国の騎手。 東京都府中市生まれ、アメリカ育ち。1985年にカリフォルニア州騎手免許を取得し、1990年にオハイオ州騎手免許を取得。1995年に来日し、短期免許で南関東競馬に騎乗。1995年2月7日に初騎乗し、1995年2月24日に初勝利を挙げるなど3勝の成績。 1996年秋に再来日、岩手競馬の盛岡競馬場・佐藤敏彦厩舎に所属し、13勝を挙げる。1997年の秋にも来日し、水沢競馬場・伊藤和厩舎に所属して4勝。地方競馬通算20勝(226戦)、勝率8.8パーセント、連対率19.5パーセント。その後、アメリカのほかオーストラリアなどでも勝ち星を重ね、2000年5月3日にオハイオ州・シスルダウン競馬場で通算1000勝を達成。
山口 竜一(やまぐち りゅういち、1964年1月26日 - … 山口 竜一(やまぐち りゅういち、1964年1月26日 - )は、ホッカイドウ競馬所属の元調教師、元騎手。 1981年、宇都宮競馬場所属騎手としてデビュー。4月25日に初騎乗、5月10日に初勝利を挙げる。 1995年、4月29日に東京競馬場で行われた青葉賞で、13番人気だったロードミライに騎乗。これが中央競馬(JRA)初騎乗でありJRA重賞初騎乗でもあったが、結果は14着に終わる。 2005年、3月で宇都宮競馬が廃止となり、6月にホッカイドウ競馬に移籍する。 2006年には中央から移籍してきたジンクライシスの主戦を務め、転厩初戦の赤レンガ記念を道中好位追走から直線楽に抜け出して圧倒的人気に応え、1年半ぶりの勝利を飾る。
戸田 博文(とだ ひろふみ、1963年10月1日 - )は、… 戸田 博文(とだ ひろふみ、1963年10月1日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属する調教師。専修大学卒業。 専修大学では馬術部に所属。1991年に高木嘉夫厩舎の厩務員としてキャリアをスタート。同年11月より八木沢勝美厩舎の調教助手となり、1995年に大久保洋吉厩舎へ移籍。2000年に調教師免許を取得し、2001年6月に厩舎を開業。初出走は同年6月24日福島競馬第4競走のケイアイミラクルで3着、初勝利は7戦目となる同年7月15日新潟競馬第4競走のケイアイミラクルであった。2002年のエーデルワイス賞をトーセンリリーで重賞初勝利。2006年のフラワーカップをキストゥヘヴンで制してJRA重賞初勝利。
友道 康夫(ともみち やすお、1963年8月11日 - )は… 友道 康夫(ともみち やすお、1963年8月11日 - )は、中央競馬・栗東トレーニングセンターに所属している調教師。 息子に高柳大輔厩舎所属の友道優一調教助手がいる。 兵庫県赤穂市坂越の出身。昭和57年(1982年)3月に兵庫県立赤穂高等学校を卒業。小動物の獣医を目指し大阪府立大学(現:大阪公立大学)の農学部獣医学科に入学し、大学の馬術部に入部する。馬術部の活動の一環として競馬場へ警備のアルバイトへ行くことで競馬に携わるようになる。 1989年5月にJRA競馬学校厩務員課程に入学し、9月より栗東・浅見国一厩舎所属の厩務員となり、11月からは調教助手となる。 1996年からは栗東・松田国英厩舎所属となり、松田の勧めもあり調教師を目指すようになり、2001年に6度目の挑戦で調教師免許を取得し、2002年11月21日付けで厩舎を開業(10馬房)する。
菅原 勲(すがわら いさお、1963年7月25日 - )は、… 菅原 勲(すがわら いさお、1963年7月25日 - )は、地方競馬の岩手県競馬組合・水沢競馬場所属の元騎手、現調教師。 勝負服の服色は胴青・白一文字。岩手県江刺市(現:奥州市)出身。 父は厩務員。1981年叔父である菅原和治厩舎(水沢)所属としてデビュー。デビュー2年目にして自厩舎のスーパーライジンで新潟で行われた東北ダービーなどに勝利するなど早くから活躍を見せた。1991年に初めて岩手のリーディングジョッキーとなっている。 2010年11月29日、水沢競馬場で行われたレースで通算4,000勝を達成、地方競馬の現役騎手で4番目となる快挙であり、2005年に小林俊彦に破られるまでは年間204勝という記録を持っていた。
小笹 公也(おざさ ともや、1963年4月1日 - )は、日… 小笹 公也(おざさ ともや、1963年4月1日 - )は、日本の実業家、馬主。 株式会社リンクアンドモチベーション代表取締役会長の小笹芳央は実兄。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は黄、赤ダイヤモンド、青袖、冠名には自身のイニシャルである「T.O.(Tomoya Ozasa)」より「テーオー」を用いる。現在は、札幌馬主協会相談役を務めている。 馬主となったきっかけは、厩務員経験のある社員がオンテックスに入社し話すようになった事だという。幼い頃には父親の読む競馬新聞を買いに行ったこともあった。 実兄の芳央も馬主登録をしており、「芳央」の音読みから「ホウオウ」を冠名としている。
尾林 幸彦(おばやし ゆきひこ、1963年3月17日 - )… 尾林 幸彦(おばやし ゆきひこ、1963年3月17日 - )は、地方競馬荒尾競馬場の元騎手。弟の尾林幸二は園田競馬所属の調教師(元騎手)。 1963年大分県中津市にて出生。中津競馬場から自転車でわずか10分程度という実家で生まれ育ち、騎手見習いをしていた中学の級友に誘われて競馬場に遊びに行った際、体躯の小さかった尾林を見た調教師から「騎手になってみないか?」と声を掛けられたのを契機に騎手を目指すようになる。 尾林はその後1979年地方競馬教養センターの騎手課程を修了、同年10月13日に中津・杉本和之厩舎所属騎手としてデビューを果たし、2日後の15日に初勝利を記録している。なお同期には佐賀の鮫島克也・川崎の金子正彦などがいる。
菊川 正達(きくかわ まさたつ、1962年11月17日 - … 菊川 正達(きくかわ まさたつ、1962年11月17日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンター所属の調教師で、元騎手。 東京都足立区出身。北千住で育ち、親戚に浅草の場外馬券場に連れて行かれているうちに競馬に興味を持つ。1982年3月、美浦・尾形盛次厩舎の騎手としてデビュー。 1982年3月6日、アイズセンジュで初騎乗(8着)。同年6月5日、ベルクレールで初勝利。1983年11月20日、目黒記念のベルクレールで重賞初騎乗(15着)。 1998年4月30日に騎手を引退。騎手成績1116戦63勝。重賞勝利はなかった。柴崎勇厩舎で調教助手となる。 2000年に調教師試験に合格、翌年2001年に開業。
山口 光國(やまぐち みつくに、1961年12月18日 - … 山口 光國(やまぐち みつくに、1961年12月18日 - )は、日本の理学療法士、スポーツ指導者。 長野県出身。上田東高校から日本サッカーリーグ1部の日立製作所サッカー部(現:柏レイソル)に1980年と1981年の2シーズンにかけて所属したがリーグ戦の出場はなかった。その後、都立府中リハビリテーション専門学校を経て昭和大学藤が丘病院に勤務。 2005年、プロ野球選手としての経験はないなかでサッカーでは認知度が高いフィジカルコーチのポストに、当時プロ野球の横浜ベイスターズの監督であった牛島和彦に請われて就任し、2006年までの2年間にわたりチームをサポートし、肩の故障者を出さないことに尽力した。
大西 直宏(おおにし なおひろ、1961年9月14日 - )… 大西 直宏(おおにし なおひろ、1961年9月14日 - )は、東京都葛飾区出身の元騎手。 1980年に美浦・中尾銑治厩舎からデビューし、1年目の同年は3月1日の中山第6競走5歳以上400万下・ダストシルバー(13頭中5着)で初騎乗を果たす。同23日の中山第1競走アラブ4歳以上600万下・ハイロータリーで初勝利、12月13日の中山第6競走障害4歳以上未勝利・ホウヨウスペンサーで障害初勝利と初の1日2勝を挙げ、初年度は9勝で関東の新人賞に当たる民放競馬記者クラブ賞を受賞 。 2年目の1981年には2月7日・8日の東京で初の2日連続勝利を挙げるなど初の2桁で20勝台となる24勝をマークし、1985年まで5年連続2桁勝利を記録。
薗部 博之(そのべ ひろゆき、1961年7月3日 - )は、… 薗部 博之(そのべ ひろゆき、1961年7月3日 - )は、日本のゲームクリエイター、馬主。 株式会社パリティビット創業者・代表取締役。 茨城県立下妻第一高等学校、早稲田大学理工学部機械工学科卒業。学生時代に株式会社アスキーが発行するパソコン雑誌ログインに応募したゲーム『タンクバトル』が採用され、それが縁でアスキーでアルバイトを始め、卒業後の1984年にアスキーへ正社員として入社する。アスキーではゲーム開発に主に携わり、1988年に『ベストプレープロ野球』を開発。アスキー編集者時代はゲームを会社で「カセットテープが載った本」として売っていたため、それを社内で「第二出版」と呼んでいたが、当時ゲーム開発は呼び寄せた学生による仕事であった。
堀 千亜樹(ほり ちあき、1961年1月8日 - )は、大井… 堀 千亜樹(ほり ちあき、1961年1月8日 - )は、大井競馬場所属の元騎手、現調教師。最終所属は佐々木忠昭厩舎。北海道浦河町出身、血液型O型。騎手時代の勝負服の柄は胴白・紫一本輪、袖紫。 1977年10月に地方競馬騎手免許を取得し、遠間波満行厩舎から騎手デビュー。1977年10月16日大井競馬第6競走ウインザヒーローで初騎乗(10頭立て9着)。同年11月1日大井競馬第5競走リユウジヤンボで初勝利。 1989年9月17日4回中山4日目第11競走第35回オールカマーでスーパーミストに騎乗のため遠征し、同日第1競走アラ系3歳未勝利戦をバーガンディで勝利し、中央競馬初騎乗初勝利。 1997年1月14日大井競馬第9競走ヨシカツタイコーで地方競馬通算1000勝達成。
杉山 忠国(すぎやま ただくに、1960年8月15日 - )… 杉山 忠国(すぎやま ただくに、1960年8月15日 - )は、日本の実業家、馬主。 鋼材の販売などを手掛ける株式会社丸杉の代表取締役社長を務めるほか、バドミントン選手の福島由紀、廣田彩花などが所属するバドミントンチーム「丸杉Bluvic」のオーナーとしても知られる。 1960年、岐阜県出身。早稲田大学教育学部を卒業後、1984年に丸紅入社。1987年にクレスト・スチール(米国)に入社、1990年に丸杉金属興業に入社し取締役関連事業部長。常務を経て2002年、父で前社長の杉山茂夫の死去に伴い同社及びグループ企業の代表取締役社長に就任。同年11月、丸杉金属興業の社名を現在の丸杉に変更。 趣味は読書とスポーツ観戦。
安藤 勝己(あんどう かつみ、1960年3月28日 - )は… 安藤 勝己(あんどう かつみ、1960年3月28日 - )は、日本の元騎手。 1976年に公営・笠松競馬場でデビュー。1978年に初めて同場の最多勝利騎手となって以来、通算19回その地位に就き、「アンカツ」の愛称と共に全国的にその名を知られた。1980年に日本中央競馬会(JRA)で初騎乗。1990年代後半より中央へのスポット参戦が頻繁となり、2003年に正式に移籍。以後JRA所属馬で数々のGI競走を制したほか、2007年、2009年にはJRA最高勝率騎手のタイトルを獲得した。2013年に騎手を引退。通算成績は20852戦4464勝。そのうち、JRAでは6593戦1111勝、重賞81勝(GI・JpnI競走22勝を含む)、地方では14259戦3353勝(うちGI・JpnI競走6勝を含むダートグレード競走36勝)。
戸佐 眞弓(とさ まゆみ、1959年11月3日 - )は、日… 戸佐 眞弓(とさ まゆみ、1959年11月3日 - )は、日本の医師、馬主。形成外科のまゆみクリニック院長。 1959年、千葉県に生まれる。1984年に東京女子医科大学を卒業したのち、同大学形成外科学教室非常勤講師となる。1995年11月、東京都港区の南青山にまゆみクリニックを開院。 2001年には、アジアでは初となる、塩を用いたケミカルピーリング治療を始めた。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は白、海老襷、海老袖、冠名は特に用いない。 医師になった当初から社台サラブレッドクラブの会員で、知人と共有して初の個人所有馬を持った時期と同時期には社台グループオーナーズにも加入、吉田照哉名義のローズギャラリーの共有馬主となっていた。
加藤 誠(かとう まこと、1959年10月26日 - )は、… 加藤 誠(かとう まこと、1959年10月26日 - )は、日本の医師、馬主。 加藤乳腺クリニック理事長および同クリニック京都院の院長を務める。 1959年、三重県出身。1988年に京都府立医科大学を卒業、その後同大学院に進学、1996年に修了し博士(医学)の学位を得る。同年済生会滋賀県病院外科医長、1998年より外科副部長、2000年より救急部長兼任、2001年より乳腺胸部外科部長となる。2003年、滋賀県に加藤乳腺クリニックを開院。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は黄、青十字襷、袖桃一本輪、冠名は特に用いない。初めて競馬を観戦したのは1991年の天皇賞(春)で、そのレースの迫力に魅入られたのだと語っている。
鈴木 伸尋(すずき のぶひろ、1959年10月26日 - )… 鈴木 伸尋(すずき のぶひろ、1959年10月26日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。静岡県出身。 静岡県田方郡の農家に生まれる。幼い頃から動物と触れ合う生活をしており、その中で畑正憲の著書を読んだことをきっかけに野生動物や絶滅危惧種の保護を動物園で行いたいと思うようになり獣医を目指すようになる。 日本獣医畜産大学へ進学し、馬術部に入部する。馬術部で馬と関わる中で馬への興味が増していき馬の獣医を目指すことを決めるが、獣医の研修先だったシンボリ牧場で当時の場長から「調教師という道もある」というアドバイスを受け競馬の道へと進むことになる。 1988年4月から沢峰次厩舎で調教助手を務め、1997年にJRA調教師免許試験に合格する。
伊藤 伸一(いとう しんいち、1959年7月17日 - )は… 伊藤 伸一(いとう しんいち、1959年7月17日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。千葉県出身。実父はJRAの騎手、調教師だった伊藤竹男。 日本体育大学では相撲部に所属。卒業後は教員を目指す予定だったがJRA調教師だった父の仕事を手伝うと決めたタイミングと同時にJRA競馬学校が開校したため1982年に厩務員課程1期生として入学する。同年7月から見上恒芳厩舎で厩務員を務め、1983年7月から1985年2月まで矢倉玉男厩舎、1985年3月から1998年2月まで父竹男の厩舎で調教助手を務めた。 1998年にJRA調教師免許試験に合格し、同年竹男の厩舎を引き継ぐ形で美浦トレセンに厩舎を開業した。