楠本 研(くすもと けん、1965年12月25日 - )は、… 楠本 研(くすもと けん、1965年12月25日 - )は、大阪府出身のプロゴルファー。 13歳でグラブを握り、同志社大学時代は谷口徹と同期で、1984年・1987年に関西学生会長杯、1985年・1987年に関西インカレ、1986年には関西学生連盟杯 で優勝。 1987年には兵庫県オープンでベストアマを獲得したほか、1988年のデサント大阪オープンでは初日に68をマークして杉原輝雄・宮本省三に次ぐと同時に井戸木鴻樹・山本善隆と並んでの4位タイに着けた。 1988年・1990年には関西アマを制し、1990年にプロテストで合格。 1990年のデサント大阪オープンでは初日を木本挙国・杉原・山本善・金山和雄・堀内工・松井角次と共に68をマークして5位タイでスタートし、最終日も69をマークして川上実と並んでの6位タイに終わった。
米山 剛(よねやま つよし、1965年11月10日 - )は… 米山 剛(よねやま つよし、1965年11月10日 - )は、神奈川県南足柄市出身のプロゴルファー。 小田原相洋高時代から注目され、日本大学進学後は1985年の日本学生ほか学生タイトルを総なめにし、1986年には日本オープンでローアマに輝くなど実績十分で1987年にプロ入り。最初の2年間は低迷したが、1989年に初シードを獲得し、2004年まで確保。 1988年には茨城オープンで磯崎功・内田袈裟彦・藤池昇と並んでの6位タイ、かながわオープンでは最終日に68をマークして芹澤信雄・川俣茂と並んでの2位タイに入った。 初優勝までは長く、米山のツアー未勝利はプロゴルフ七不思議と言われてきたが、1999年の三菱自動車トーナメントでは細川和彦とのデッドヒートで互いに一歩も譲らず、最終日64、トータル16アンダーで、プレーオフに持ち込む。
中溝 裕子 (なかみぞ ゆうこ 1965年10月5日 - )… 中溝 裕子 (なかみぞ ゆうこ 1965年10月5日 - )は日本の女子プロゴルファー・絵手紙作家。 滋賀県彦根市出身。中学2年のころ森口祐子のゴルフプレイを見てプロを目指すことを決意する。滋賀県立能登川高等学校卒業後の1983年井上清次に師事し、1988年23歳でプロゴルフテストに合格。1991年に骨髄異形成症候群を発症し試合には闘病をおして出場していたが、1995年を最後に公式戦には出場していない。1997年12月に妹から骨髄移植を受け手術をするが、移植の影響で血液型がAB型からB型に変化した。入院中にはおばのすすめで絵手紙を始め、現在も彼女のライフワークとなっている。2000年8月に退院してからも2003年まで自宅で点滴療養した。
川原 実(かわはら みのる、1965年3月20日 - )は、… 川原 実(かわはら みのる、1965年3月20日 - )は、日本のプロゴルファー。観音寺ゴルフセンター所属。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、明治大学経営学部卒業。 1983年(昭和58年)日本ジュニアゴルフ選手権競技に於いて、男子選手4位の成績を残す。 観音寺第一高校卒業後、明治大学に進学。同大学体育会ゴルフ部に在籍。1985年(昭和60年)8月2日、第33回関東学生ゴルフ選手権に於いて、5位タイの成績を収める。また、日本大学1年生であった川岸良兼も同大会に初参加、9位タイの成績であった。 明治大学卒業後、1990年(平成2年)5月25日、ツアープレイヤーに転向。1991年(平成3年)7月11日、YONEXオープン広島でプロデビューする。
村井 真由美 (むらい まゆみ、1965年2月21日 - )… 村井 真由美 (むらい まゆみ、1965年2月21日 - )は、滋賀県栗東市出身の日本の女子プロゴルファーである。所属は綾羽。 明徳商業高等学校(現:京都明徳高等学校)時代はソフトボール部に所属し、高校総体 (全国高等学校総合体育大会) で3位の成績を修めた。 18歳で研修生として綾羽株式会社に入社。1989年5月 プロテスト合格。日本女子プロゴルフ協会 (JLPGA) 入会。同年「anクイーンズ」で6位タイとなり、年間獲得賞金110万円で賞金ランキング104位。 1990年、「大王製紙エリエール女子オープン」では通算6アンダーで2位の浜田光子と小林浩美に2打差をつけて初優勝。年間1,137万円余を獲得し、賞金ランク42位で初のシード権獲得。
溝口 英二(みぞぐち えいじ、1964年12月7日 - )は… 溝口 英二(みぞぐち えいじ、1964年12月7日 - )は愛知県豊明市出身(東京都生まれ)のプロゴルファー。 東京で生まれたが、3歳の時には愛知に移る。父の影響で12歳の時にゴルフを始めて以来、夢中になり、中部地区のジュニア大会に優勝。入学した名古屋中央高も僅か2ヶ月で中退して桑名新日本ゴルフ場に研修生として入り、以後、酒も飲まず、ゴルフ道に邁進。 1989年に8回目のプロテストで合格するが、プロになっても出場できる試合は少ないため、1991年にはオーストラリアツアー、アメリカミニツアーに挑戦。 フロリダのミニツアーでは尾崎将司の息子・智春とも一緒になったが、智春のマイペースな修行ぶりに対し、溝口は必死であった。
佐々木 久行(ささき ひさゆき、1964年11月27日 - … 佐々木 久行(ささき ひさゆき、1964年11月27日 - 2013年1月3日)は、日本の男子プロゴルファー。 10歳で両親と死に別れたために叔父の元で育ち、東京都立福生高等学校定時制に通学しながら東京五日市カントリー倶楽部で働く。五日市CC勤務時代にプロを目指して修行を続け、1986年に4度目の挑戦でプロテストに合格。同年の日経カップ(予選落ち)でツアーデビューし、1991年5月にチャレンジトーナメントの関東国際オープンでプロ初優勝。以後チャレンジトーナメントでは3勝を挙げ、ツアーでは1992年から頭角を現すようになり、1994年のツアー最終戦である日本シリーズ 日立カップでは尾崎直道、中嶋常幸との優勝争いを制してツアー初優勝を飾る。
井出努(いで つとむ、1964年11月26日 - )は、日本… 井出努(いで つとむ、1964年11月26日 - )は、日本のプロゴルファー。 わかさカントリー倶楽部所属。福島県出身。日本大学卒業。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
合田 洋(ごうだ ひろし、1964年10月10日–)は、兵庫… 合田 洋(ごうだ ひろし、1964年10月10日–)は、兵庫県出身の日本のプロゴルファー。所属は大伸工業。 12歳からゴルフを始め、千葉日本大学第一高等学校に進学。卒業後は茨城県の龍ヶ崎カントリー倶楽部に研修生として入り、1984年にプロへ転向。1985年の「美津濃オープン」でデビューを果たすも低迷が続き、1987年の水戸グリーンオープンでは初日7アンダーで首位に立ち優勝。その後の活躍も目覚しく、1992年には「後楽園カップ」と「スポーツ振興オープン」の両グローイングツアーでも優勝。1993年までは賞金ランキング93位が最高であったが、1994年5月に岐阜県のレイクグリーンGCで開催された日本プロでは最終日を通算7アンダーの首位で迎える。
小山 武明(こやま たけあき、1964年7月7日 - )は、… 小山 武明(こやま たけあき、1964年7月7日 - )は、東京都八王子市出身の日本のプロゴルファー、ゴルフ解説者、タレントである。芸能事務所の三桂がマネジメント。愛称は屋根裏のプロゴルファー、またはあなたの街のプロゴルファー。メディア出演時は主にタケ小山を自称する。 世田谷高等学校を経て、中央大学経済学部産業経済学科を卒業し、2009年に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の平田竹男研究室でトップスポーツマネジメントを修了する。 父親がゴルフを始めたことをきっかけに8歳でゴルフクラブを握る。当初は父親の練習についていく程度であったが、練習場のティーチングプロからはたまに指導を受けていた。小学生の頃は八王子リトルリーグに参加しており、部活動を退部する中学校2年生まで野球を続けた。
田村 尚之(たむら なおゆき、1964年6月24日 - )は… 田村 尚之(たむら なおゆき、1964年6月24日 - )は、日本のプロゴルファー。広島県廿日市市出身。身長172センチ、体重65キロ。株式会社ダイクレ所属。
山田 耕治(やまだ こうじ、1964年5月6日 - )は、日… 山田 耕治(やまだ こうじ、1964年5月6日 - )は、日本のプロゴルファー。愛知県出身。愛知学院大学卒業。身長 170cm 体重 83kg 。 18歳からゴルフを始める。2003年1月1日プロ転向。センチュリーパークゴルフクラブ所属 この項目は、ゴルフに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト ゴルフ)。
中嶋 千尋(なかじま ちひろ、1964年1月31日 - )は… 中嶋 千尋(なかじま ちひろ、1964年1月31日 - )は、東京都中野区出身の日本の女子プロゴルファーである。 小学生2年生までは全てがビリ、体も小さく弱かったがスポーツも勉強も一気に伸び、高学年には800m走の選手に選ばれ市の大会で入賞するようになる。 中学ではバスケット部、陸上部、水泳部を掛け持ちするスポーツ万能少女になっていく。中学3年生、見たこともなかったゴルフと出会い、打っている最中にプロゴルファーになると決め、引退までのシナリオが出来上がった。 PL学園高校卒業。元プロ野球選手、吉村禎章さんなどが同級生。 1984年 葛城GCに研修生として入社し、寺下郁夫プロに師事する。 1985年 プロテストに合格し、研修期間を経て日本女子プロゴルフ協会 (JLPGA) に入会 (50期) 1988年 フジサンケイレディス3位 1988年 6月「ダンロップレディスオープンゴルフ」にて「初優勝はプレーオフが良い」と決めていた通り山田満由美、吉川なよ子、劉素卿との4人のプレーオフを制し、ツアー初優勝。
中島 和也(なかじま かずや、1963年12月15日 - )… 中島 和也(なかじま かずや、1963年12月15日 - )は、群馬県出身のプロゴルファー。 兄は中嶋常幸、妹は中島恵利華。 実父の中島巌に2歳の時からゴルフの手ほどきを受け、早くから頭角を表すと、厳しい練習の甲斐あってジュニア、アマチュア時代は数々のタイトルを獲得し日本代表としても活躍。 1986年にはハワイパールオープンのアマチュア部門を74、70、67、5アンダーの好成績で優勝し、兄の常幸が優勝した美津濃オープンではベストアマを獲得。 その後は1987年秋のプロテストにトップ合格を果たし、1988年にはハワイパールオープンで文山義夫・中尾豊健と並んでの7位タイに入ったが、ハワイアンオープンは予選落ちに終わる。
額賀 靖生(ぬかが じょー、ヌカガジョー、Joe Nukag… 額賀 靖生(ぬかが じょー、ヌカガジョー、Joe Nukaga、1963年11月28日 - )は、日本のプロゴルファー。
堺谷 和将(さかいたに かずまさ、1963年8月14日 - … 堺谷 和将(さかいたに かずまさ、1963年8月14日 - )は、埼玉県出身のプロゴルファー。 1989年に進学した日本大学ゴルフ部では丸山茂樹の1年後輩、河井博大・野上貴夫の1年先輩となる 。 1998年のアイフルカップでは2日目に66をマークして初日86位タイから飯合肇・室田淳・高橋勝成・白浜育男・宮本勝昌・久保谷健一・桧垣繁正・金山和雄と並んでの18位タイ、3日目には67をマークして河村雅之・田中秀道と並んでの8位タイに浮上し、最終日には3日連続60台となる69をマークして湯原信光・東聡・吉村金八・陳志忠(中華民国)と並んでの5位タイに入った。 1998年には後援競技の茨城オープン・東北オープンを勝利し、1999年には初のシード権を獲得。
並木 秀(なみき しげる、1963年5月26日 - )は、日… 並木 秀(なみき しげる、1963年5月26日 - )は、日本のプロゴルファー。 1982年に進学した日本大学ゴルフ部では田中泰二郎の1年後輩、米山剛・芹澤大介の1年先輩 に当たる。2年次の1983年には日本学生4位・日本アマ9位・関東学生9位タイ、3年次の1984年には日本オープンに出場して鹿毛隆男・中村通・矢部昭と並んでの39位タイ、田中と共に日本アマ7位タイ・関東学生5位タイ、4年次の1985年には日本学生で川岸良兼と並んでの2位タイ、関東学生で米山の2位に入った。 卒業後の1990年10月にプロ入りし、1991年のハワイパールオープンでは2日目に藤田寛之と共に通算4アンダーで5位タイに着け、最終日には松永一成と並んでの8位タイに入った。
小嶋 光康(こじま みつやす、1963年3月23日 - )は… 小嶋 光康(こじま みつやす、1963年3月23日 - )は、埼玉県出身のプロゴルファー。 日本大学商学部ゴルフ部出身。 15歳からゴルフを始め、高橋五月に師事し、1986年にプロ入りする。 1988年の栃木オープンでは最終日に69をマークして高橋完と共に首位タイで並んでプレーオフに持ち込んだが、2位に終わった。 1993年には関東PGAフィランスロピートーナメントで優勝。 1999年の後楽園カップ(第4回)では初日69・最終日67をマークして青木基正と並んでの5位タイ、2000年のJGTO iiyamaチャレンジiではプラヤド・マークセン(タイ王国)と並んでの10位タイに入った。 2004年のPGAカップチャレンジではインスタートの初日に12番のパー3でバーディを奪うと、続く13番、17番、18番でバーディを沈め手堅く前半を4バーディ、ノーボギーの32で折り返す。
小林 浩美(こばやし ひろみ、1963年1月8日 - )は、… 小林 浩美(こばやし ひろみ、1963年1月8日 - )は、福島県いわき市出身の元女子プロゴルファー。現日本女子プロゴルフ協会会長(2010年~)。身長170cm、体重69kg。血液型A型。
中野 晶(なかの あき、1962年11月10日 - )は、東… 中野 晶(なかの あき、1962年11月10日 - )は、東京都渋谷区出身の日本の女子プロゴルファー。 18歳からゴルフを始める。学習院大学卒業。1987年プロテスト合格、日本女子プロゴルフ協会入会。1989年までは賞金ランキング50位以下が続いた。 1990年はヤマハカップレディスオープンで5位タイと初のトップ10入り。スタンレーレディスゴルフトーナメント で3位など活躍し、賞金ランク25位で初のシード権獲得。 1991年はミヤギテレビ杯女子オープンゴルフトーナメントで通算1アンダー、2位・松澤知加子に2打差でツアー初優勝。宝インビテーショナルでは通算6オーバーながら森口祐子と自身初のプレーオフに臨み敗れた。
塩谷 育代(しおたに いくよ、1962年5月28日 - )は… 塩谷 育代(しおたに いくよ、1962年5月28日 - )は、愛知県名古屋市出身の日本の女子プロゴルファー。ゴルフ解説者。所属は伊藤園。日本女子プロゴルフ協会コースセッティング担当。2018年~2023年愛知県教育委員会教育委員。2022年~公益財団法人愛知・名古屋アジア競技大会組織委員会理事。大府グリーンゴルフ『塩谷育代ゴルフスクール』。 中学生時代は陸上競技部で走り幅跳びをしていた。樋口久子が陸上競技出身でプロゴルファーになったことを知り、名古屋市立桜台高等学校卒業後に練習場に入り、18歳でゴルフを始める。 1982年に日本女子プロゴルフ協会(LPGA)にプロテストに合格、翌1983年LPGA入会の43期生となる。
中島 篤志(なかじま あつし、1962年4月5日 - 202… 中島 篤志(なかじま あつし、1962年4月5日 - 2020年4月8日)は、日本のアマチュアゴルファー、実業家。 群馬県桐生市出身。父は中島巌。実兄に中嶋常幸、弟の中島和也、妹の中島恵利華と3人のプロゴルファーを生んだゴルフ一家に生まれた。 自身も3歳からゴルフを始め、プロゴルファーを目指し、練習に明け暮れる。だが兄のレベルに追いつかずに悩むようになった。 1982年に父の巌がゴルフ場会社を設立したのを機にゴルファーを引退。父の会社に入社する。但し、ゴルファーとしては、1997年から3年間、日本ミッドアマチュアゴルフ選手権大会と日本アマチュアゴルフ選手権大会への出場歴がある。 1995年に父が急死し、会社を引き継いだがバブル崩壊のあおりを食って会社経営が行き詰まり、2000年に宇都宮地方裁判所に民事再生法を申請。
井戸木 鴻樹(いどき こうき、本名及び旧登録名:井戸木 幸喜… 井戸木 鴻樹(いどき こうき、本名及び旧登録名:井戸木 幸喜[読み同じ]、1961年11月2日 - )は、日本のプロゴルファー。所属は小野東洋ゴルフ倶楽部。 1961年11月2日、大阪府茨木市出身。茨木市立豊川中学校3年次で全日本ジュニア中学の部で優勝記録を持つ。 中学校卒業と同時にプロゴルファーを目指して箕面ゴルフ倶楽部へ入門。クラブ支配人を務めていたプロゴルファー・前田利光を師匠と仰ぐ。 プロテストを受けること4回目にして合格、1982年にプロ入りを果たし、1983年のミズノプロ新人戦にてプロデビューとなった。 ツアープロになってから7年目の1990年の関西プロゴルフ選手権(大山平原ゴルフクラブ)で中村通、前田新作らとの優勝争いを制し、9アンダー(279)でプロ初優勝を飾る。
小溝 高夫(こみぞ たかお、1961年10月13日 - )は… 小溝 高夫(こみぞ たかお、1961年10月13日 - )は、千葉県出身のプロゴルファー。 18歳からゴルフを始め、習志野カントリークラブに研修生として入社。23歳でプロテストに合格し、30歳で尾崎将司率いるジャンボ軍団の門を叩く。師匠の尾崎将を意識して髪形は襟足を伸ばし、兄弟子の飯合肇が1994年のマスターズに出場した際にはバッグを担いだ。 1992年の茨城オープンで加藤仁・岩下・大井手哲・芹澤大介・森茂則に次ぐと同時に江本光・小泉清一・町野治・高野勇一・渡辺由己と並んでの6位タイ、1996年の水戸グリーンオープンで芹澤・中尾豊健に次ぐと同時に平石武則・佐々木均と並んでの3位タイに入り、1999年の東建コーポレーションカップを最後にレギュラーツアーから引退。
城戸 富貴(きど ふき、1961年10月4日 - )は、富山… 城戸 富貴(きど ふき、1961年10月4日 - )は、富山県富山市出身の日本の女子プロゴルファーである。所属は呉羽CC。 10歳からゴルフを始める。 富山県立富山東高等学校卒業後、富山CCの研修生をしながら日本女子プロゴルフ協会(LPGA)のプロテストを受験、1984年に4度目の挑戦で合格。翌1985年LPGA入会の47期生となる。 1992年に年間獲得賞金ランキング(賞金ランク)48位となり自身初のシード入り。 1993年3月のLPGAツアー開幕戦「ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント」でプロ初優勝。同年は3戦目の「再春館レディース」も優勝し、賞金ランクで自己最高位となる8位になる。
金子 柱憲(かねこ よしのり、1961年3月4日 - )は、… 金子 柱憲(かねこ よしのり、1961年3月4日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。身長173cm、体重76kg。日本大学高等学校、日本大学経済学部卒。血液型O型。愛称は名前を音読みした「ちゅうけん」。 日本大学付属高校3年生の時、日本オープンベストアマを獲得。日本大学に入学しゴルフ部に所属し関東学生3連覇。 プロ転向後はツアー通算6勝をあげ、1996年には3勝を挙げ、師匠の尾崎将司選手に次ぎ賞金ランク2位に。翌年のマスターズ・トーナメントにも出場した。 2011年からはシニアツアーに参戦。同年早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に入学した。 俳優で総合格闘家の金子賢は甥にあたる。息子は同じく日大ゴルフ部出身でゴルファーの金子憲洋。
東 聡(ひがし さとし、1960年11月16日 - )は、東… 東 聡(ひがし さとし、1960年11月16日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。 小学2年時に教育関連の出版社に勤務していた父の転勤で宮崎県へ移り住み、小学5年生までは野球に夢中であったが、ゴルフを始めた父の霧島CCでのコンペについていき、コンペに1名欠席者が出たため、父が東を出場させたのがゴルフとの出会いになる。コースで女性用のクラブを借り、当時の東は「野球で動く球を打っていたわけで、ゴルフぐらいできるだろう」と思ってプレーすると、ワンハーフを周って53、49、63のスコアを出す。ラウンド前には父が「アマチュアはハーフ40台が出せたら凄いんだぞ」と話していたため、内心「練習さえしたことがない僕が出せてしまうんだから、ゴルフって面白くもない競技だな」と思っていたが、周囲は大騒ぎであった。
松澤 淳二(まつざわ じゅんじ、1960年10月21日 - … 松澤 淳二(まつざわ じゅんじ、1960年10月21日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。 専修大学時代の1982年には関東学生で9位タイに入り、卒業後は川崎国際カントリークラブの研修生を経て、1985年にプロテストで合格。 1988年の日経カップ 中村寅吉メモリアルでは初日を出口栄太郎・寺田寿・中村通・平石武則・佐々木久行・鈴木弘一と並んでの21位タイでスタートしたが、2日目には鈴木と共に浜野治光・山本善隆と並んでの10位タイ、3日目には浜野と共に5位タイまで浮上し、最終日には7位に入った。 1988年の関東オープンでは初日を2アンダー68の3位でスタートし、2日目には牧野裕・浜野と並んでの8位タイ、3日目には金井清一・海老原清治・羽川豊・藤木三郎と並んでの9位タイに着けた。
栗原 雅樹(くりはら まさき、1960年8月27日 - )は… 栗原 雅樹(くりはら まさき、1960年8月27日 - )は、埼玉県出身のプロゴルファー。 熊谷商高時代の1978年には日本ジュニアで優勝し、専修大学時代の1979年には関東学生で同大学の羽川豊と並ぶ3位タイに入り、1984年にプロ入りする 。 1984年のNST新潟オープンでは初日を河野高明・尾崎健夫・新井規矩雄・井上幸一・藤木三郎・平林孝一と共に67の6位タイでスタートし、2日目も平林と共に67で安田春雄・飯合肇に次ぐ3位タイに着け、3日目も68をマークしたが、最終日には藤木・井上・安田・前田新作・高橋勝成・文山義夫に次ぐと同時に飯合・金井清一・海老原清治・白石達哉・安達典夫を抑えて7位に入った。
生駒 佳与子(いこま かよこ、1960年6月30日 - )は… 生駒 佳与子(いこま かよこ、1960年6月30日 - )は、埼玉県熊谷市出身の女子ゴルファー。熊谷市立女子高等学校卒業。(社)日本女子プロゴルフ協会 35期生。ハワイ在住。
奥田 靖己(おくだ せいき、1960年4月1日 - )は、大… 奥田 靖己(おくだ せいき、1960年4月1日 - )は、大阪府出身のプロゴルファー。宝塚高原GC所属。 この項目は、ゴルフに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト ゴルフ)。
小松 康伸(こまつ やすのぶ、1960年3月17日 - )は… 小松 康伸(こまつ やすのぶ、1960年3月17日 - )は、日本のシンガーソングライター、プロゴルファー、ゴルフレッスンスタジオ・アーバンウェスト代表。東京都出身。ロックバンド1960のメンバーで、ボーカルとギターを担当。作詞、作曲家としても活動する。 1973年、バンド「マッチボックス」を結成。その後、「HELLEN」、「CASSY」、「TRUX」とバンド遍歴を重ねる。 1986年、CBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)からソロデビュー。当時の所属事務所は「ハートランド」。 1987年、8月22-23日にかけて行われた日本初のオールナイト・ロック・フェスティバル「BEAT CHILD」に出演。
平石 武則(ひらいし たけのり、1960年2月26日 - )… 平石 武則(ひらいし たけのり、1960年2月26日 - )は、兵庫県出身のプロゴルファー。 東洋大姫路高校時代は野球部に所属し、1977年の夏の甲子園で優勝した時のメンバーの一人で、「5番・左翼手」で好打のプレーヤーであった。 卒業後にゴルフを始め、正確なティーショットと小技を武器に、5年かけてプロテストに合格。 1983年にプロへ転向し、1988年の関西オープンでは大山雄三・小林恵一と並んでの6位タイ、同年には木村政信とペアを組んだアコムダブルスでダグ・テウェル&ボブ・ギルダー(アメリカ)ペアの2位に入った。 1989年の関西オープンでは山本善隆・金山和雄・中村通・中川敏明に次ぐ5位、1990年の関西プロでは上出裕也・中村彰男・甲斐俊光と並んでの10位タイに入った。
金谷 多一郎(かなたに たいちろう、1960年1月2日 - … 金谷 多一郎(かなたに たいちろう、1960年1月2日 - )は、日本のプロゴルファーである。 1960年1月2日、東京都に産まれる。 8歳の時からゴルフに親しみ、高校時代は全日本ジュニアを2連覇するなど、トップジュニアとして活躍する。日本大学へ進学し、ゴルフ部の主将を務めると共に日本学生ゴルフ選手権競技を1978年、1981年と2度制覇、文部大臣杯など優勝多数。日本大学を卒業後、1984年にプロテストに合格する。プロデビューはしたものの、当時のゴルフ界はアマチュア時代の実績はあまり考慮されず、新人選手である金谷と契約を結ぶメーカーもなかったため、貯金も無く、生活設計も立たない状態だった。1985年にプロゴルファーであった金谷智美と結婚。
加瀬 秀樹(かせ ひでき、1959年12月1日生 - )は、… 加瀬 秀樹(かせ ひでき、1959年12月1日生 - )は、千葉県出身のプロゴルファー。アイテック所属。 * 特徴183センチの長身から放たれるロングショットはツアープロの中でも屈指に数えられる存在である。 * 太字は公式戦(メジャー)
島袋 美幸(しまぶくろ みゆき、1959年11月17日 - … 島袋 美幸(しまぶくろ みゆき、1959年11月17日 - )は、沖縄県出身の日本の女子プロゴルファー。 沖縄県立南部商業高等学校卒業。20歳からゴルフを始める。1984年、プロテスト合格。 1988年、賞金ランクで初めて50位以内の44位 。1989年は32位。1990年は22位。 1991年、「中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン」では通算4アンダーで並んだ葉蔚芳とのプレーオフを制してツアー初優勝。賞金ランク13位。 1992年、優勝なく賞金ランク23位。 1993年、「リゾートトラスト・クリナップレディス」では通算1オーバー、2位・森口祐子に1打差で初日から首位を守った完全優勝。 1994年から1997年はシード権獲得を継続するも優勝なし。
芹澤 信雄(せりざわ のぶお、1959年11月10日 - )… 芹澤 信雄(せりざわ のぶお、1959年11月10日 - )は、静岡県御殿場市出身のプロゴルファー。サンエー・インターナショナル所属。兄は俳優の芹澤名人。趣味はスキー(高校時代に国体に出場したことがあるほど)。既婚。2児の父。 芹澤自身の名を冠したテレビ番組も何本か作られ、レギュラーとして出演している。いずれもゴルフを題材にしたバラエティー番組である。 上記の2番組で、兄弟共演を果たしている。
木下 透(きのした とおる、1959年8月31日 - )は、… 木下 透(きのした とおる、1959年8月31日 - )は、和歌山県出身のプロゴルファー、元プロ野球選手(投手)、右投げ右打ち。野球選手時代は181cm、77kg、現在は181cm、88kg。 1977年、田辺高の3年の時、同校のエースとして第59回全国高等学校野球選手権大会の和歌山県大会に参加。決勝で同年春の第49回選抜高等学校野球大会を制した箕島高と対戦する。この時、箕島のエース・東裕司(三菱自動車水島)は、初戦から連続無失点を記録していたが、大会直前に箕島高校のある有田市をコレラ禍が襲い、市内を消毒、不用意な外出を禁じられていたため、箕島は全体的に練習が不足していた。そのような事情もあったが、木下は箕島打線を9回まで零封、東もまた田辺を9回まで零封し連続無失点を42とした。
谷 福美(たに ふくみ、1959年8月23日 - )は、北海… 谷 福美(たに ふくみ、1959年8月23日 - )は、北海道恵庭市出身の女子プロゴルファー。 父はレッスンプロの谷喜三彦。妹の里美・明美もプロゴルファー。1981年にプロテストに合格し、87年6月のダンロップレディスオープンゴルフで初優勝。88年の日本女子オープンゴルフ選手権競技、89年の日本女子プロゴルフ選手権大会も制し、15年間のシード権を獲得。賞金ランキングも89年の3位を最高に、87年から90年まで4年連続でトップ10入りした。90年代後半以降は不調に苦しみ、2004年にシニアに転向。現在はレッスンプロもつとめる。
水巻 善典(みずまき よしのり、1958年8月27日 - )… 水巻 善典(みずまき よしのり、1958年8月27日 - )は、日本のプロゴルファー。東京都出身。鳴尾ゴルフ倶楽部所属。法政大学卒業。京都府在住。既婚。離婚歴あり。 ツアー7勝。現在はシニアツアーを中心に活動中。生涯獲得賞金5億1968万7853円。 プロゴルファー活動の傍ら、京都府の湯の花温泉にて旅館「肥前屋 翠泉」を経営していたが、2012年3月に旅館としては閉鎖し、水巻を中心とした合宿所のような運営形態に変更されている。 趣味は、映画鑑賞、競馬、食べること。 アメリカのPGAツアーに参戦している時に、タイガー・ウッズと同じ街に住んで同じゴルフコースで練習して友人になる。 竹内弘一は、水巻はサンデーバックナインでスコアを落とすことが多い、と分析し精神面の弱さを批判している。
羽川 豊(はがわ ゆたか、1957年12月8日 - )は、栃… 羽川 豊(はがわ ゆたか、1957年12月8日 - )は、栃木県足利市出身のプロゴルファー。 足利工業大学附属高校1年次の1973年からゴルフを始め、肘を壊し熱中していた野球を諦めたのと、父・米豊が練習場の経営に乗り出したタイミングが合ったことで、ゴルフにのめり込む。努力もあって、才能はいきなり開花し、2年次の1974年には早くも全国高校ゴルフ選手権に出場。3年次の1975年には全国高校ゴルフ選手権の個人戦で湯原信光・白浜育男・金谷多一郎に次ぐ4位、第10回栃木県知事盃では2位に入った。 卒業後の1976年に専修大学へ進学し、1年次の同年から4年次の1979年まで朝日杯全日本学生4連覇を達成したほか、2年次の1977年には関東学生で優勝。
塩田 昌宏(しおた まさひろ、1957年9月24日 - )は… 塩田 昌宏(しおた まさひろ、1957年9月24日 - )は大阪府出身のプロゴルファー。 近畿大学時代は1978年・1979年と関西学生を連覇し、1979年には日本学生4位、1980年には中日クラウンズでベストアマチュアを獲得。 卒業後は愛知県の貞宝カントリークラブに入社し、1983年にプロテストで合格して以降は入江勉に師事。 1984年の美津濃プロ新人では大町昭義と共に浅尾琢巳の3位タイに入り、1985年の中部オープンでは井上幸一・上西紘暉・中村彰男・出口栄太郎・石井裕士・鈴村照男・中村忠夫・内田繁を抑えて優勝し、日本プロゴルフトーナメント最優秀新人賞を受賞。 1985年の兵庫県オープンでは初日を吉川一雄・山本己沙雄・山本洋一に次ぐと同時に森本俊治・宮本康弘と並んでの4位タイでスタートし、最終日には吉川・山本己に次ぐと同時に宮本・山本と並んでの3位タイに入った。
湯原 信光(ゆはら のぶみつ、1957年8月14日 - )は… 湯原 信光(ゆはら のぶみつ、1957年8月14日 - )は、東京都杉並区出身のプロゴルファー。岡藤ホールディングス所属。
渡辺 司(わたなべ つかさ、1957年2月16日 - )は、… 渡辺 司(わたなべ つかさ、1957年2月16日 - )は、東京都出身のプロゴルファーである。セガサミーホールディングス所属。
伊東 龍也(いとう たつや、1956年7月20日 - )は、… 伊東 龍也(いとう たつや、1956年7月20日 - )は、日本の実業家、株式会社ゴルフ・ドゥ創業者、元代表取締役社長。 1956年7月20日、埼玉県生まれ。1981年、立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。 1999年に株式会社ボックスグループの新規事業としてゴルフ・ドゥ1号店をさいたま市にオープンする。ボックスグループは、レンタルビデオなど多事業展開を行う会社で、ゴルフ・ドゥも多角化の一環で会社の一事業部門としてスタートしたものであった。 翌2000年に株式会社ゴルフ・ドゥを設立し、ボックスグループよりFC事業と直営店にかかる営業を譲り受ける。 2006年に株式会社ゴルフ・ドゥを名証セントレックスに上場させる。
尾崎 直道(おざき なおみち、1956年5月18日 - )は… 尾崎 直道(おざき なおみち、1956年5月18日 - )は、徳島県出身のプロゴルファー。愛称はジョーまたはジョー尾崎。同じくプロゴルファーで兄の尾崎将司(ジャンボ)、尾崎健夫(ジェット)と3人で「尾崎3兄弟」と呼ばれる。 ジョー(JOE)の由来は長兄のジャンボ(JUMBO)、次兄のジェット(JET)と頭文字がJで始まるニックネームだった為、同じJで始まるニックネームを公募して付けられた。 千葉日本大学第一高等学校出身。 ゴルフを始めたのは15歳。3兄弟の仲では唯一野球経験がない。本人曰く「野球では、甲子園を沸かせた兄達にかなわないと思った」。1977年プロデビュー。 1984年に静岡オープンで初優勝。
後藤 満吉(ごとう みつよし、1956年3月25日 - )は… 後藤 満吉(ごとう みつよし、1956年3月25日 - )は、北海道出身のプロゴルファー。 札幌第一高等学校出身。 18歳からゴルフを始め、1979年にプロ入りする。 1981年の北海道オープンで初優勝を果たすと、札幌オープン・道東オープンでも優勝し、東海クラシックでは初日を強い雨で水浸しの悪コンディションながら陳健忠(中華民国)・矢部昭・小林富士夫・内田繁・安田春雄と並んでの9位タイでスタートした。 1985年の北海道オープンでは初日に2アンダー70で単独首位スタートを決め、2日目には7位と後退したが、3日目には6位、最終日には3アンダー69で3位に浮上。 1986年の北海道オープンでは初日を2アンダー68で上原宏一と並んでの首位タイでスタートし、2日目には通算5アンダー139で高橋勝成に2打差付けて単独首位に立つが、3日目には高橋勝・高見和宏に次ぐ3位タイに後退し、最終日には高橋勝・高見・内田袈裟彦に次ぐ5位に留まった。
大西 義宏(おおにし よしひろ、1955年〈昭和30年〉12… 大西 義宏(おおにし よしひろ、1955年〈昭和30年〉12月12日 - )は、日本のゴルファー、元俳優。大西 徹也→大西 徹哉(おおにし てつや)の芸名で俳優として活動していた。 大阪府出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。 大学卒業後、円谷プロ制作の特撮ドラマ『恐竜戦隊コセイドン』(東京12チャンネル)のコセイダー/トキ・ゴウ役でデビュー。以後もテレビ、映画で得意の空手を活かしつつ活動していた。『仮面ライダー (スカイライダー)』の主役オーディションにも参加していた。 プロデューサーや周囲の人間に誘われて始めたゴルフにはまり、俳優を引退。研修生を経てプロゴルファーとなる。現在は日本プロゴルフ協会A級ティーチングプロとして活躍中。
倉本 昌弘(くらもと まさひろ、1955年9月9日 - )は… 倉本 昌弘(くらもと まさひろ、1955年9月9日 - )は、広島県広島市三篠町(現・西区三篠町)出身のプロゴルファー。日本大学卒業。2014年2月24日から日本プロゴルフ協会会長。「AON」とともに、1980年代のゴルフブームを興した名選手である。 生家は地元広島の老舗の有名料亭。祖父は生け花の師範という恵まれた環境に育った。しかし虚弱体質で学校もよく休み、多くの病院を回ったり、治療のため東京まで行って入院したりするような子供だった。 ゴルフを始めたのは10歳・小学校5年の時、父がゴルフに行きたいがためのダシに使われた。日本のプロゴルファー第1号、福井覚治の子・福井康雄が広島に移り、ゴルフレッスンを始めた事を機に師事した。
須藤 聡明(すどう としあき、1955年9月6日 - )は、… 須藤 聡明(すどう としあき、1955年9月6日 - )は、茨城県出身のプロゴルファー。 取手一高時代は野球部に在籍し、後に共にプロゴルファーになっている同年の青柳公也がチームメイトであった。2年次の1972年春と3年次の1973年夏には甲子園に出場し、1973年夏は初戦で敗退したが、須藤は2番・遊撃手で出場して5打数2安打と活躍。 その頃に爆発的な人気を集めた尾崎将司に憧れてゴルフへ転向し、高校卒業と同時にプロゴルファーを目指して神奈川県の鎌倉CCに入り、2年後には千葉県の銚子CCに移って6年間修業を積む。 1981年には6度目の挑戦でプロテストに合格し、1982年の美津濃プロ新人でデビュー。