泉 浩(いずみ ひろし、1982年6月22日 - )は、日本… 泉 浩(いずみ ひろし、1982年6月22日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。青森県下北郡大間町出身。柔道六段を取得。組み手は左組み。得意技は大外刈。妻は女優の末永遥。株式会社ヴィレッジ・エンターテイメント事業部所属。 実父はマグロの漁師だった。 泉は小学校までを地元大間町で過ごしたのち、中学校より柔道私塾講道学舎に入門するため単身上京し、世田谷区立弦巻中学校に入学、3年の全国中学校柔道大会ではベスト8で敗れたが世田谷学園高等学校3年の時にインターハイで優勝を果たした。明治大学に入学後、2004年のアテネオリンピックでは決勝でグルジアのズラブ・ズビャダウリに敗れたはしたものの、銀メダルを獲得した。
徳久 瞳(とくひさ ひとみ、1982年6月15日 - )は、… 徳久 瞳(とくひさ ひとみ、1982年6月15日 - )は、長野県下諏訪町出身の日本の女子柔道選手。階級は63kg級。身長163cm。血液型はA型。組み手は右組み。得意技は内股。 柔道は5歳の時に松島柔道場で始めた。下諏訪中学校1年の時には早くも全国中学校柔道大会52kg級で2位となった。2年の時は3位だったが、3年になると階級を56kg級に上げて優勝を果たした。松本松南高等学校時代は全国高等学校柔道選手権大会の63kg級で2年連続3位となった。卒業後2001年から三井住友海上の所属となった。2004年の福岡国際では優勝を飾った。その後2006年には階級を57kg級に下げると、2007年の全日本選抜柔道体重別選手権大会で優勝を飾った。
佐野 明日香(さの あすか、1982年5月27日 -)は、愛… 佐野 明日香(さの あすか、1982年5月27日 -)は、愛媛県宇和島市出身の日本の柔道及びレスリング選手。階級は70kg級(柔道)と72kg級(レスリング)。身長168cm。 小学校1年の時に柔道を始めた。中学の時には四国大会で優勝を飾った。宇和島東高校に進学すると、2年の時に全国高校選手権70kg級でベスト16、3年の時には全国女子体重別で9位となった。なお、高校の1年先輩には2002年の選抜体重別で優勝した風戸晴子、1年後輩には2005年世界選手権57kg級代表の宮本樹理、2年後輩には2014年世界選手権57kg級で優勝した宇高菜絵がいた。大学は風戸のいる帝京大学に進むと、1年の時に全日本ジュニアで3位になった。
宝 真由美(たから まゆみ、1982年5月18日 - )は、… 宝 真由美(たから まゆみ、1982年5月18日 - )は、宮崎県出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長152cm。組み手は右組み。得意技は背負投。宝3姉妹の末妹。長女は52kg級で活躍していた宝寿栄。 柔道は9歳の時に井上康生も所属していたことで知られる静充館で始めた。東大宮中学3年の時には全国中学校柔道大会の48kg級で2位になった。宮崎日大高校2年の時には全国高校選手権の決勝で沖学園高校の松田邦恵に敗れて2位だった。3年の時には全日本ジュニアで3位になった。2001年に帝京大学へ進学すると、2年の学生体重別では優勝を飾り、初の日本一となった。全国女子体重別ではミキハウスの北田佳世に敗れて2位だった。
倉持 亜佐美(くらもち あさみ、1982年4月30日 - )… 倉持 亜佐美(くらもち あさみ、1982年4月30日 - )は北海道旭川市出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長154cm。得意技は背負投。 幼少の頃にはヨルダンに3年ほど住んでいた。小学校2年の時に帰国すると、兄が柔道を始めたことがきっかけで、双子の姉である亜佑美とともに始めた。姉はすぐに辞めてしまったために寂しい思いをしたものの、永山中学2年の時には全国中学校柔道大会48kg級で3位になった。3年の時には準決勝で沖学園中学3年の松田邦恵に判定で敗れて3位だった。続く全国女子体重別ではこの階級トップの田村亮子と長井淳子が出場しなかったものの、予想外の活躍で決勝まで進むと、同じ中学3年生である松田と史上初となるシニアの全国大会における中学生同士の対決となった。
園田 悠二(そのだ ゆうじ、1982年4月2日 - )は、福… 園田 悠二(そのだ ゆうじ、1982年4月2日 - )は、福岡県出身の、日本の柔道選手。階級は73kg級。身長163cm。組み手は右組み。得意技は掬い投げ。 柔道は5歳の時に玉城道場で始めた。沖学園中学から沖学園高校へ進んだ。2001年に東海大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニア73kg級の決勝で世田谷学園高校2年の海老沼聖に敗れて2位だった。2年の時には学生体重別で3位となった。4年の時には選抜体重別で決勝まで進むも、旭化成の高松正裕に小外刈で敗れた。体重別団体では優勝した。イタリア国際で優勝すると、ロシア国際では3位となった。2005年には警視庁の所属になると、選抜体重別と講道館杯で3位、全国警察選手権では2位になった。
高松 正裕(たかまつ まさひろ、1982年2月27日 - )… 高松 正裕(たかまつ まさひろ、1982年2月27日 - )は、埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)出身の日本の元柔道家。身長170cm。階級は73kg級。得意技は左右どちらからでも繰り出せる背負投。現在は桐蔭学園高校の教員で柔道部監督を務める。 8歳の時に柔道を始め、上福岡第三中学3年の時には全国中学校柔道大会の65kg級を制した。 桐蔭学園高校に進むと、2年と3年の時にはインターハイを連覇した。さらに3年の時には講道館杯では勢いそのままに優勝を飾り、前年の鈴木桂治に次いで史上2人目の高校生チャンピオンになった。さらに世界ジュニアでも優勝して、若手のホープとして非常に期待される存在となった。 しかしながら、シニアではフランス国際で2連覇してアテネオリンピック代表に選ばれるも初戦で敗れた。
根﨑 裕子(ねさき ゆうこ、1982年2月8日 - )は、茨… 根﨑 裕子(ねさき ゆうこ、1982年2月8日 - )は、茨城県行方市出身の日本の柔道家。57 kg級で活躍した。身長166 cm。主に寝姿勢の状態から帯取返で相手を回転させて、そこから抑込技で仕留めるいわゆる「根﨑返し」という寝技で名を馳せた選手でもあった。 柔道は玉造中学に入学してから始めた。この時、指導者の小森哲から最初に習ったのが帯取返だった。3年の時には全国中学校柔道大会の56 kg級で3位になった。一方で、柔道以外に陸上競技にも取り組んで、全国中学校駅伝大会にも出場した。千葉県の市立柏高校に進むと、菊川慶一の指導の下で寝技をさらに研鑽していった。2年の時には金鷲旗で大活躍してチームの2位に貢献した。
根﨑 裕子(ねさき ゆうこ、1982年2月8日 - )は茨城… 根﨑 裕子(ねさき ゆうこ、1982年2月8日 - )は茨城県行方市出身の日本の柔道家。現役時代は57kg級の選手。身長166cm。主に寝姿勢の状態から帯取り返しで相手を回転させて、そこから抑込技で仕留める所謂「根﨑返し」からの寝技で名を馳せた選手でもあった。
入來 晃久(いりき あきひさ、1982年1月25日 - )は… 入來 晃久(いりき あきひさ、1982年1月25日 - )は、日本の男性ブラジリアン柔術家、柔道家。柔道三段。鹿児島県出身、神奈川県在住。鹿児島県立鶴丸高等学校から大阪大学人間科学部に進学。大阪大学大学院博士前期課程修了。東海大学医学部卒業。 元ブラジリアン柔術日本連盟会長・中井祐樹(北海道大学柔道部OB)や寝技ワールド代表の大賀幹夫(九州大学柔道部OB)などと同様、七帝柔道出身で、黒帯昇進の際に受けた雑誌インタビューで「柔道?柔術?僕は七帝です」と答えており、七帝柔道への思い入れは相当強い。入來のブラジリアン柔術での活躍は、再度中井祐樹、大賀幹夫、山下志功らを輩出した七帝柔道への注目を高め、その後の七帝柔道とブラジリアン柔術やその他格闘技との技術交流の一翼を担ったといえる。
稲澤 真人(いなざわ まさと、1982年1月22日 -)は三… 稲澤 真人(いなざわ まさと、1982年1月22日 -)は三重県出身の日本の柔道家。現役時代は73kg級の選手。身長は175cm。組み手は左組み。得意技は大外刈。
寺居 高志(てらい たかし、1982年1月4日 - )は、滋… 寺居 高志(てらい たかし、1982年1月4日 - )は、滋賀県出身の、日本の柔道選手である。階級は66kg級。身長169cm。組み手は右組み。得意技は内股。 柔道は6歳の時に誠道館島柔道クラブで始めた。なお、弟の大志は5歳から柔道を始める。安土中学から平安高校へ進んだ。弟の大志も安土中学から平安高校へ進んだ。高校2年の時にはインターハイ66kg級の3回戦で敗れた。3年の時には初戦で敗れた。この時、弟の大志は73kg級で3位に入った。明治大学へ進むと、2年の時に全日本ジュニアと正力杯で優勝を飾った。この時弟の大志はインターハイで優勝している。アジアジュニアでは2位にとどまった。3年の時には選抜体重別で3位になると、正力杯から名称の変わった学生体重別では2連覇を達成した。
平岡 麻美(ひらおか あさみ、1981年12月12日 - )… 平岡 麻美(ひらおか あさみ、1981年12月12日 - )は、東京都出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長は166cm。組み手は右組み。得意技は大内刈。 柔道は11歳の時に千住警察署で始めた。足立第三中学から潤徳女子高校を経て、2000年には平成国際大学に進学すると、4年の時に学生体重別の78kg級で3位になった。 2004年には平成国際大学柔道クラブの所属となると、実業個人選手権では決勝でダイコロの近藤悦子を破って優勝した。2006年の実業個人選手権では決勝でコマツの松崎みずほを破って2年ぶり2度目の優勝を果たした。講道館杯では3位になった。2007年の体重別では3位だったが、実業個人選手権では決勝でコマツの岡村智美を破って2年連続3度目の優勝を飾った。
徳田 美由樹(とくだ みゆき、1981年11月3日 - )は… 徳田 美由樹(とくだ みゆき、1981年11月3日 - )は、山形県出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。身長は167cm。 明倫中学から羽黒高校へ進むと、2年の時に高校選手権78kg超級の決勝で土浦日大高校2年の塚田真希に敗れて2位だった。2000年にはコマツの所属となると、2001年の実業個人選手権では決勝でダイコロの柳花美鈴を破って優勝を飾った。2002年の実業個人選手権では決勝でミキハウスの木屋好絵に敗れて2連覇はならなかったが、全国女子体重別では決勝で大阪府警の山本恵を破って優勝を果たした。2003年の体重別では東海大学4年の塚田に敗れるも2位となった。アジア選手権では3位になった。
近藤 悦子(こんどう えつこ、1981年9月22日 - )は… 近藤 悦子(こんどう えつこ、1981年9月22日 - )は大分県出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長170cm。 2010年の世界選手権100kg級で優勝した穴井隆将などを輩出した、1965年の世界選手権中量級2位の山中圏一が指導する秀鋭館道場で柔道を始めた。小学校5年の時には全国少年柔道大会の個人戦に出場して、男子選手を次々と破って3位入賞を果たした。審判長の貝瀬輝夫も小学生離れした力強い柔道に感嘆の声を上げた。明野中学から福岡工大附属高校へ進むと、2年の時に金鷲旗で3位になった。3年の時には全日本ジュニアの78kg級で3位だった。 2000年には帝京大学へ進学すると、2年の時には全国女子体重別で3位に入った。
早田 英美(そうだ ひでみ、1981年8月31日 - )は東… 早田 英美(そうだ ひでみ、1981年8月31日 - )は東京都田無市(現・西東京市)出身の日本の柔道家。63kg級の選手。身長172cm。組み手は右組み。得意技は大内刈、寝技。 柔道は8歳の時に始めた。田無第二中学から埼玉栄高校へ進むと、2年の時に金鷲旗とインターハイで3位になった。全国高校選手権の63kg級では準決勝で桜丘高校2年の谷本歩実に払腰で一本勝ちするが、決勝で夙川学院高校2年の八代谷優子に判定で敗れて2位だった。3年の時にはフランスジュニア国際の決勝で地元フランスのリュシ・ドコスに大内刈で一本勝ちして優勝を飾った。金鷲旗とインターハイではともに2位に終わった。全日本ジュニアでは3位に入った。
君島 奈津子(きみじま なつこ、1981年7月21日 - )… 君島 奈津子(きみじま なつこ、1981年7月21日 - )は、栃木県出身の日本の柔道家。52kg級の選手。身長163cm。得意技は袖釣込腰。 柔道は10歳の時に矢板スポーツ少年団で始めた。矢板中学から帝京高校へ進むと、2年の時に全国高校選手権57kg級で5位となった。2000年に国際武道大学へ進むと、2年の時には全国女子体重別52kg級決勝で旭川南高校3年の佐藤愛子に敗れるも2位になった。3年の時には選抜体重別で3位になると、学生体重別では2位だった。4年の時には選抜体重別と学生体重別で3位となった。2004年に警視庁の所属となると、アジア選手権で3位になった。2005年の選抜体重別では決勝でコマツの宝寿栄を有効で破って優勝を飾った。
中島 英里子(なかじま えりこ、1981年6月9日 - )は… 中島 英里子(なかじま えりこ、1981年6月9日 - )は、茨城県出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。得意技は寝技。身長164cm。 小学校3年生の時に柔道を始めた。土浦第三中学2年の時には全国中学校柔道大会の48kg級で3位になると、3年の時には優勝を飾った。土浦日大高校2年の時には全日本ジュニアで2位になると、全国高校選手権では優勝した。3年の時には全国女子体重別で優勝を果たした。2000年に筑波大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアと正力杯で優勝を飾った。続く世界ジュニアでは3位だったものの、世界学生では優勝を成し遂げた。2年の時には正力杯で2連覇を達成すると、全国女子体重別でも三井住友海上の真壁友枝を破って、2年ぶり2度目の優勝を飾った。
風戸 晴子(かざと はるこ、1981年6月5日 -)は愛媛県… 風戸 晴子(かざと はるこ、1981年6月5日 -)は愛媛県宇和島市出身の日本の柔道家。現役時代は70kg級の選手。身長165cm。得意技は内股。 柔道は7歳の時に始めた。小学校6年生の時には「愛媛のYAWARAちゃん」としてテレビに取り上げられたこともあった。城北中学3年の時には全国中学校柔道大会56kg超級決勝で淑徳中学2年の岩田千絵に敗れた。宇和島東高校1年の時に全国高校選手権70kg級で2位になると、3年の時には全日本ジュニアで優勝を飾った。2000年に帝京大学へ進学すると、1年の時には全国女子体重別でコマツの天尾美貴を破って優勝を果たした。アジアジュニアでも優勝した。福岡国際では3位だったが、オーストリア国際では優勝を飾った。
吉村 依子(よしむら よりこ、1981年5月28日 - )は… 吉村 依子(よしむら よりこ、1981年5月28日 - )は青森県出身の日本の柔道家。52kg級の選手。身長153cm。得意技は内股、大腰、小外掛。 9歳の時にテレビアニメ化された『YAWARA!』に影響されて三道会館五所川原分団で柔道を始めた。筒井中学から青森山田高校へ進むと、2年の時に全国高校選手権52kg級で5位に入賞する。 高校を卒業後は憧れていた歌手になるための下準備として化粧品会社への就職が決まっていたが、帝京大学柔道部監督の稲田明に熱心に勧誘され、柔道を続ける道を選んだ。2000年に帝京大学へ進学後、1年の時に全日本ジュニアで2位、アジアジュニアでは優勝を果たす。3年の時には優勝大会で優勝メンバーの一員として名を連ねた。
新改 七星(しんかい なほし、1981年4月6日 - )は兵… 新改 七星(しんかい なほし、1981年4月6日 - )は兵庫県出身の日本の柔道家。63kg級の選手。身長170cm。組み手は右組み。得意技は内股。 柔道は8歳の時に青雲塾で始めた。夙川学院中学3年の時に全国中学校柔道大会の52kg級で2位になった。夙川学院高校1年の時には全国高校選手権の57kg級で優勝を飾った。2年の時には全国女子体重別63kg級の決勝で埼玉大学4年の山田真由美を内股の効果で破って、高校2年ながらシニアの全国大会で優勝を成し遂げた。全国高校選手権では70kg級で勝利を収めて前回の57kg級に続いて2階級制覇を達成した。但し、70kg級での出場は今回限りだった。なお、同級生の八代谷優子は63kg級で連覇を果たした。
早川 憲幸(はやかわ のりゆき、1981年3月20日 - )… 早川 憲幸(はやかわ のりゆき、1981年3月20日 - )は、埼玉県出身の、日本の柔道家である。現役時代の階級は73kg級。身長175cm。コロンビアの柔道ナショナルチームの監督を務めていた。 実家が「武徳館 早川道場」を営んでいたこともあって、柔道は5歳の時に始めた。埼玉栄高校3年の時には金鷲旗とインターハイ81kg級で3位となった。明治大学政治経済学部進学後は階級を73kg級に下げて、学生体重別では3年から2年連続で3位にもなった。卒業すると「はっとり接骨院」や川口市体育協会所属となるものの、際立った活躍は見られなかった。 一方で、大学の先輩である吉田秀彦の愛弟子として吉田道場にも所属しながら、2003年にはオーストラリアのゴールドコーストで開催された総合格闘技の大会であるXFC 3 (Xtreme Fighting Championships 3)に出場して、地元オーストラリアの選手に三角絞で勝利を収めた。
小松崎 弘子(こまつざき ひろこ、1981年3月2日 - )… 小松崎 弘子(こまつざき ひろこ、1981年3月2日 - )は、茨城県出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。身長164cm。得意技は背負投。 柔道は6歳の時に始めた。土浦第四中学3年の時には全国中学校柔道大会の56kg超級で3位になった。千葉県の市立柏高校に進むと菊川慶一の指導の下でさらに力を付けて、2年の時には金鷲旗で3位、インターハイ団体戦では2位となった。全国高校選手権78kg超級では優勝を飾った。3年の時には金鷲旗で2位だったものの、インターハイの団体戦ではチームの初優勝に貢献した。全日本ジュニアでは2位となった。拓殖大学へ進むと、1年の時には全日本ジュニアの決勝で土浦日大高校3年の塚田真希に敗れて2位だった。
棟田 康幸(むねた やすゆき、1981年2月10日 - )は… 棟田 康幸(むねた やすゆき、1981年2月10日 - )は、日本の柔道家。講道館柔道七段。警視庁警部補。 愛媛県松山市出身。松山市立石井北小学校に入学。幼少時に父の手ほどきを受けて柔道を始め、小学校卒業後に上京。柔道私塾講道学舎へ入寮し、世田谷区立弦巻中学校を経て世田谷学園高等学校へと進学する。講道学舎は、厳しい規律と練習で知られ、同期入門者13人のうち最後まで残ったのは4人だった。1998年、世田谷学園3年時、金鷲旗の決勝・国士舘高校戦において史上初となる4人抜きを成し遂げ、世田谷学園を優勝に導く。個人戦においても全国高等学校柔道選手権大会、インターハイを制覇し、史上最年少で嘉納治五郎杯優勝を飾るなど、名実ともに高校柔道界最強の選手と呼ばれた。
岩藤 理恵(いわふじ りえ、1981年1月14日 - )は、… 岩藤 理恵(いわふじ りえ、1981年1月14日 - )は、静岡県出身の日本の柔道家。57kg級の選手。身長163cm。組み手は左組み。得意技は内股、大外刈。 柔道は13歳の時に滝井道場で始めた。長田西中学から静岡商業高校へ進むが、2年の時に出場した全国高校選手権63kg級でベスト16にとどまるなど、この当時は大きな実績を上げていない。1999年に住友海上へ入社してから力を付け始めて、2003年の講道館杯57kg級では決勝で会社の2年先輩である茂木仙子に敗れるも2位となった。青島国際では2位、福岡国際では3位に入った。また、この年から実業個人選手権で3連覇を果たした。2004年の選抜体重別では決勝で茂木を破って優勝を飾った。
手島 知佳(てしま ちか、1980年9月27日 - )は、大… 手島 知佳(てしま ちか、1980年9月27日 - )は、大分県出身の日本の柔道家。現役時代の階級は78kg級。身長は162cm。得意技は内股。 柔道は6歳の時に始めた。杵築中学3年の時には全国中学校柔道大会の56kg超級に出場して準決勝まで全て一本で勝ち上がると、決勝では日下部基栄以来史上2人目の3連覇を狙っていた大宮中学3年の薪谷翠を判定ながら破って優勝を飾った。杵築高校2年の時には高校選手権の78kg級で3位になった。3年の時には全国女子体重別(現 講道館杯)の決勝で帝京大学2年の松崎みずほに敗れて2位だった。1999年には筑波大学へ進学すると、1年の時には体重別(全日本選抜)と正力杯で3位だったが、優勝大会ではチームの初優勝に貢献した。
薪谷 翠(しんたに みどり、1980年8月15日 - )は、… 薪谷 翠(しんたに みどり、1980年8月15日 - )は、和歌山県那賀町(現:紀の川市)出身の日本の女性柔道家。現在はミキハウス柔道部でコーチを務める。身長163cm。体重93kg。塚田真希とともに日本の女子柔道重量級を支えた選手のひとり。 柔道は小学校4年の時に始める。中学1年の時には全国中学校柔道大会56kg超級で1年生にして優勝を果たした。また、柔道の他に寝技強化のためにレスリングも習い始めて、同じく中学1年の時には全日本レスリング選手権大会75kg級に出場して史上最年少の12歳で優勝を飾ったものの、柔道の強化にはならないと判断してレスリングはやめた。その後、大阪工業大学高等学校、筑波大学体育専門学群を経て、2003年にミキハウスに入社する。
小野 卓志(おの たかし、1980年6月25日 - )は、茨… 小野 卓志(おの たかし、1980年6月25日 - )は、茨城県結城郡石下町(現・常総市)出身の柔道家。身長181cm。組み手は右組み。段位は六段。得意技は小外刈、内股。 弦巻中学校、桐蔭学園高等学校、筑波大学を経て学校法人了徳寺学園に就職した。2015年6月に了徳寺学園を退職すると、7月からは筑波大学の特任助教となった。 5歳の時に父親が指導者を務める石下町体育協会柔道部で柔道を始めた。アテネオリンピック100kg超級金メダリストである鈴木桂治とは同級生で、県内の大会などでは常に決勝を争っていた。小学校6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で鈴木とともに活躍して2位、個人戦でも3位になった。 中学は上京して柔道私塾の講道学舎に入塾すると、弦巻中学に通うこととなった。
江口 啓(えぐち けい、1980年6月19日 - )は、埼玉… 江口 啓(えぐち けい、1980年6月19日 - )は、埼玉県出身の日本の柔道家。78kg超級の選手。現役時代の身長は173cm、体重103kg。 笹目中学から西武台高校へ進むが、この当時大きな実績を上げることはなかった。1999年に東海大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアの78kg超級で3位になった。2年の時には優勝大会でチームの優勝に貢献した。3年の時には優勝大会で3位だった。4年の時には全日本選手権の準決勝で筑波大学4年の薪谷翠に横四方固で敗れるも、3位入賞を果たした。優勝大会で2位にとどまった。 2003年には松前柔道クラブの所属となると、体重別で3位になった。ユニバーシアードでは個人戦の決勝で中国の劉霞に敗れて2位だったが、団体戦では優勝を飾った。
鈴木 桂治(すずき けいじ、1980年6月3日 - )は、茨… 鈴木 桂治(すずき けいじ、1980年6月3日 - )は、茨城県常総市(旧:結城郡石下町)出身の日本の柔道家、体育学者。学位は体育科学修士(国士舘大学大学院・2006年)、スポーツ科学修士(早稲田大学大学院・2018年)。国士舘大学体育学部教授。 2004年アテネオリンピック柔道男子100kg超級金メダリスト。紫綬褒章受章(2004年)。身長185cm。体重100kg。得意技は足技、内股、大外刈。 国士舘中学校、国士舘高等学校、国士舘大学体育学部体育学科卒業。国士舘大学大学院スポーツ・システム研究科修士課程修了(2006年3月)。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(2018年3月)。
佐々木 伸次朗(ささき しんじろう、1980年4月10日 -… 佐々木 伸次朗(ささき しんじろう、1980年4月10日 -)は広島県出身の日本の柔道家。60kg級の選手。身長は159cm。組み手は右組み。 小学校1年の時にドラゴンボールの影響で空手に興味を持ち、空手衣を注文したにもかかわらず柔道衣が届いてしまったことから、羽原道場で柔道を始めることになった。城北中学から近大福山高校を経て、1999年には日本大学へ進学すると、3年の時に正力杯60kg級の決勝で東海大学の早見考道を破って優勝を飾った。4年の時には学生体重別決勝で天理大学の米富和郎に敗れて2位だった。 2003年には了徳寺学園の職員になると、講道館杯で3位になった。2004年の実業個人選手権では決勝でセコムの中野真太郎に敗れた。
矢嵜 雄大(やざき ゆうた、1980年4月8日 - )は、東… 矢嵜 雄大(やざき ゆうた、1980年4月8日 - )は、東京都出身の柔道家。得意技は大内刈、寝技。妻は同じ柔道家の茂木仙子。 柔道は8歳の時に始めた。中学からは柔道私塾の講道学舎に入塾するも、練習に耐えられず僅か1ヵ月で地元へ戻った。千葉県の東深井中学から柏市の流通経済大学付属柏高等学校へ進むと、東京オリンピック中量級金メダリストである岡野功の指導を受けて寝技を得意にしていった。1年から3年連続でインターハイに出場すると、3年次には90kg級で優勝を果たした。世界ジュニアでも優勝を飾った。高校卒業後は明治大学に進学し、団体戦で棟田康幸と共にポイントゲッターとして活躍したほか、個人戦でも全日本ジュニア選手権を連覇し、世界ジュニア選手権・全日本学生体重別選手権でも優勝する等の好成績を残した。
石井 孝法(いしい たかのり、1980年4月3日 - )は、… 石井 孝法(いしい たかのり、1980年4月3日 - )は、福岡県出身の日本の柔道家。身長179cm。全日本柔道連盟のグランドデザインに位置付けられている長期育成指針を作成した。 2024年まで了徳寺大学教養部教授であった。また、2005年から全日本柔道連盟の科学研究部に所属し、2013年から2021年まで日本オリンピック委員会の専任情報科学スタッフ、2024年パリ五輪まで日本柔道ナショナルチーム(強化委員会)のメンターなどを歴任した。 学校法人沖学園隆徳館中学校(卒業は中原中学)から福岡大大濠高校を経て福岡大学に進学すると、3年の時には講道館杯の100kg級3回戦で国士舘大学3年の鈴木桂治に敗れるも、敗者復活戦を勝ち上がって3位になった。
鍛冶 宏美(かじ ひろみ、1980年3月25日 - )は石川… 鍛冶 宏美(かじ ひろみ、1980年3月25日 - )は石川県出身の日本の柔道家。52kg級の選手。身長158cm。得意技は大内刈、寝技。
竹下 忠良(たけした ただよし、1980年1月30日 - )… 竹下 忠良(たけした ただよし、1980年1月30日 - )は、佐賀県出身の日本の柔道家。90kg級の選手。身長は176cm。 講道学舎に入塾すると、弦巻中学1年の時に近代柔道杯で3位となった。2年の時には近代柔道杯の決勝で国士舘中学を破って優勝を飾った。3年の時には全国中学校柔道大会の決勝で小杉南中学と対戦すると、代表戦で一本勝ちを収めてチームを優勝へ導くとともに、個人戦の78kg級でも勝利して2冠を達成した。マルちゃん杯の個人戦無差別では決勝で静充館柔道場の落合幸治を破って優勝したが、団体戦では決勝で国士舘中学に敗れて中学団体3冠(近代柔道杯、全国中学校柔道大会、マルちゃん杯)はならなかった。
吉澤 穂波(よしざわ ほなみ、1980年1月24日 - )は… 吉澤 穂波(よしざわ ほなみ、1980年1月24日 - )は埼玉県出身の日本の柔道家。63kg級の選手。身長163cm。組み手は左組み。得意技は内股。 柔道は9歳の時に男衾柔道クラブで始めた。寄居中学から常磐高校へ進むと、2年の時には全国高校選手権の63kg級決勝で湊川女子高校2年の前田桂子に豪快な内股で投げられて2位にとどまった。 埼玉大学へ進むと、1年の時には正力杯で決勝まで進むも、大学の3年先輩となる山田真由美に敗れて2位だった。4年の時には正力杯で優勝を飾った。また、優勝大会では同級生である70kg級の古賀幸恵などとともに活躍して優勝を飾った。全国女子体重別と福岡国際でも3位に入った。2002年には埼玉大学の大学院へ進んだ。
古賀 幸恵(こが ゆきえ、1979年11月20日 - )は福… 古賀 幸恵(こが ゆきえ、1979年11月20日 - )は福岡県出身の日本の柔道家。現役時代は70kg級の選手。身長170cm。
石川 美久(いしかわ よしひさ、1979年11月2日 -)は… 石川 美久(いしかわ よしひさ、1979年11月2日 -)は埼玉県出身の日本の柔道家。73kg級の選手。身長は165cm。 本庄東中学から大宮工業高校を経て、1998年には筑波大学へ進学した。同期の同じ階級には後に世界選手権2位となる金丸雄介がいた。4年の時には正力杯の決勝で東和大学の荒平佳也を破って優勝した。 2002年には綜合警備保障の所属となると、体重別では決勝で旭化成の高松正裕に敗れて2位だった。実業個人選手権では同僚の安達春樹を破って優勝した。2003年の嘉納杯では5位だったが、グルジア国際では2位になった。体重別では決勝で了徳寺学園職員の金丸に敗れた。講道館杯では決勝で同僚の石村大祐を破って優勝を飾った。
宝 寿栄(たから ひさえ、1979年8月14日 -)は、宮崎… 宝 寿栄(たから ひさえ、1979年8月14日 -)は、宮崎県出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級と52kg級の選手。身長152cm。組み手は左組み。得意技は背負投。宝3姉妹の長女。末妹は48kg級で活躍していた宝真由美。 柔道は12歳の時に静充館で始めた。道場の1年先輩には井上康生がいた。東大宮中学から宮崎日大高校へ進むと、1年の時に全国高校選手権48kg級の決勝で埼玉栄高校2年の山口静に敗れて2位だったが、2年の時には優勝を飾った。3年の時には全国女子体重別で3位になると、ドイツ国際では決勝でフランスのフレデリク・ジョシネに敗れるも2位に入った。その後横浜国立大学へ進むと、ひたすら柔道のみに取り組んだものの結果を出せなくなった。
廣瀬 悠(ひろせ はるか、1979年7月17日 - )は、愛… 廣瀬 悠(ひろせ はるか、1979年7月17日 - )は、愛媛県松山市出身の日本の柔道家。視覚障害者柔道90kg級及び100kg級の選手。身長173cm。 柔道は小学校2年の時に友達に誘われて始めた。宇和島東高校時代にはインターハイにも出場を果たした。しかし緑内障を患ったことにより、高校を卒業すると柔道から離れた。乳製品工場に就職するもその後退職すると、2004年には鍼灸師の資格を得るために愛媛県立松山盲学校へ入学した。その時の担任だったシドニーパラリンピックの陸上競技男子400メートルリレー2位の矢野繁樹に、「廣瀬君のレベルだったらパラリンピックに出られるよ」とアドバイスを受けたことや、親の熱意などもあって視覚障害者柔道で復帰することになった。
広瀬 悠(ひろせ はるか、1979年7月17日 - )は愛媛… 広瀬 悠(ひろせ はるか、1979年7月17日 - )は愛媛県松山市出身の日本の柔道家。視覚障害者柔道90kg級及び100kg級の選手。身長173cm。
小川 武志(おがわ たけし、1979年7月9日 - )は、神… 小川 武志(おがわ たけし、1979年7月9日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長164cm。組み手は右組み。得意技は背負投。 柔道は5歳の時に小川道場で始めた。藤ヶ岡中学から日大藤沢高校へ進むと、3年の時にインターハイ軽量級で優勝を飾った。日体大へ進学すると、2年から3年連続して体重別団体で3位となった。3年の時には正力杯の決勝で国士舘大学4年の内柴正人に敗れるも2位となった。講道館杯では3位に入った。4年の時には正力杯で3位だった。2002年には了徳寺学園の所属となると、2003年には嘉納杯で優勝した。さらに、ユニバーシアードでも優勝を果たした。2005年からは実業個人選手権で6連覇を達成した。
栗原 美幸(くりはら みゆき、1979年7月4日 - )は埼… 栗原 美幸(くりはら みゆき、1979年7月4日 - )は埼玉県出身の日本の柔道家。78kg級の選手。身長は160cm。得意技は払腰。 柔道は10歳の時に始めた。埼玉栄高校2年の時にインターハイの団体戦準決勝で湊川女子高校と対戦すると、古賀幸恵に大外刈で敗れて3位にとどまった。高校選手権の72kg級では3位になった。 1998年にはコマツの所属となると、全日本ジュニアの78kg級で3位になった。2000年の全日本選手権では予想外の活躍で準決勝まで進むも、埼玉大学3年の古賀幸恵に内股で敗れたが3位入賞を果たした。実業個人選手権では決勝で住友海上の吉田亜沙美に敗れた。アメリカ国際の78kg級では2位だったが、無差別では優勝を飾った。
中村 和裕(なかむら かずひろ、1979年2月21日 - )… 中村 和裕(なかむら かずひろ、1979年2月21日 - )は、日本の男性柔道家、総合格闘家。現在は大学教員。広島県福山市出身。柔道三段。近畿大学附属福山高等学校、国際武道大学卒業。元DEEPミドル級王者。 10歳の頃から柔道を始める。国際武道大学時代には柔道部で柏崎克彦に師事し、2000年には正力杯全日本学生体重別の100kg級で準優勝。大学卒業後には京葉ガス柔道部に所属し、2002年の全日本実業柔道個人選手権大会優勝、ドイツオープン柔道大会100kg級優勝などの実績を挙げる。100kg級では、井上康生、鈴木桂治らと肩を並べ、全日本強化選手入りを果たした。アマチュア時代には、柔道以外の格闘技に挑戦し、2001年にJTC総合格闘技大会で準優勝、全日本サンボ体重別大会で優勝している。
濱野 千穂(はまの ちほ、1979年2月16日 -)は鹿児島… 濱野 千穂(はまの ちほ、1979年2月16日 -)は鹿児島県出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長152cm。 小学校6年の時には全国少年柔道大会の団体戦で、軽量級の女子選手ながら田崎柔道少年団の一員として決勝まで進むと、静充館柔道場の井上康生と対戦するが袈裟固で敗れて2位にとどまった。鹿屋中学3年の時には全国中学校柔道大会48kg級で2位になった。福岡工大付属高校時代は後のシドニーオリンピック57kg級銅メダリストの日下部基栄と同級生だった。しかし、2年の時に出場した全国高校選手権では3回戦で敗れるなど大きな実績を上げることはできなかった。日下部と同じく純真女子短大に進学すると、1年の時に正力杯で3位、2年の時には優勝を飾った。
澤田 大筰(さわだ だいさく、1979年2月14日 - )は… 澤田 大筰(さわだ だいさく、1979年2月14日 - )は、日本の柔道整復師、公認心理師、社会起業家、学士(柔道整復学)(独立行政法人大学改革支援・学位授与機構・2024年)、経営管理修士(専門職)(法政大学・2012年)、修士(医療政策学)(東京医科歯科大学・2016年)、博士(医学)(順天堂大学・論文博士・2023年)。澤田式治療システム(総合調整-澤田法、大転子法、指針術など)の開発者。プロフェッショナルメディック株式会社 代表取締役、巣鴨総合治療院グループ 総院長、Balance Stretchグループ 副社長・技術開発最高責任者、NPO法人睡眠健康研究所 代表理事、順天堂大学医学部 非常勤講師、駐日ハイチ共和国大使館 メディカルアドバイザー、デンマーク・オーフス大学生命医学部 客員研究員、元東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 2024年5月に、モンゴル国より近代スポーツ100周年記念国家勲章を授章、2024年10月には、モンゴルオリンピック委員会(MOC)よりオリンピックの栄光勲章を授章 2024年12月に、夕刊フジの紙面で世界の「整体王」として紹介され特集が組まれた 名前については、澤田が沢田、大筰が大作と記載されている場合もある
松崎 みずほ(まつざき みずほ、1979年1月20日 -)は… 松崎 みずほ(まつざき みずほ、1979年1月20日 -)は熊本県の上益城郡御船町出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。身長161cm。得意技は背負投。 最初はバレエに取り組んでいたが、小学校6年の時に近所にある山下泰裕を育てたことで知られる白石礼介の運営する道場で柔道を始めることになった。九州学院中学から九州学院高校へ進むと、1,2年の時に全国高校選手権72kg級を連覇した。1997年に帝京大学に進むと、大学2年の時には全日本ジュニア78kg級で優勝して、世界ジュニアでも2位となった。また、この年から体重別決勝では警視庁の阿武教子に4年連続で敗れて2位にとどまることにもなった。全国女子体重別では2連覇を果たした。
上野 雅恵(うえの まさえ、女性、1979年1月17日 - … 上野 雅恵(うえの まさえ、女性、1979年1月17日 - )は、日本の柔道選手である。階級は女子70kg級に属する。2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピック柔道女子70kg級金メダリスト。さらには、ミュンヘン世界選手権、大阪世界選手権の70kg級金メダリストでもある。出生地は北海道旭川市だが、2歳の時に湧別町に住む。北海道旭川南高等学校卒業。身長161cm。血液型はA型。得意技は大内刈、大外刈、寝技。上野3姉妹の長女で、次女の順恵は世界選手権63kg級2連覇を達成。三女の巴恵は70kg級の世界ジュニアチャンピオンとなった。2016年現在、三井住友海上柔道部のコーチを務めている。
斎藤 順道(さいとう まさみち、1979年1月10日 - )… 斎藤 順道(さいとう まさみち、1979年1月10日 - )は、北海道出身の日本の柔道家。現役時代は73kg級の選手。身長は167cm。 90kg級で活躍していた斎藤制剛を兄に持ち、札幌市立北白石中学校、北海高校、国士舘大学と、大学まで同じ進路を歩んだ。 中学3年生時、全国中学校柔道大会の65kg級決勝で阿蘇市立一の宮中学校3年の内柴正人に敗れて準優勝。北海高校3年生時にはインターハイの軽中量級で優勝して、前年に中量級で優勝した兄に続いて兄弟での連覇を果たした。全日本ジュニアの71kg級では2位にとどまった。 1997年に国士舘大学へ進学。3年の時に優勝大会で初優勝すると、新設された体重別団体でも兄の制剛や同級生の内柴などとともに活躍して優勝を勝ち取り、団体2冠を達成した。
須藤 英雄(すどう ひでお、1978年12月25日 - )は… 須藤 英雄(すどう ひでお、1978年12月25日 - )は、東京都出身の日本の柔道家。66kg級の選手。身長は168cm。 柔道は8歳の時に栄進館で始めた。足立第三中学から足立学園高校へ進むが、この当時大きな実績は残していない。なお、中学高校の1年先輩には寝技の名手で知られる小室宏二がいた。 1997年には山梨学院大学へ進学すると、4年の時には講道館杯66kg級で3位になった。 2001年にはダイコロの所属となると、実業個人選手権で優勝を飾った。2003年の実業個人選手権では60kg級から階級を上げてきたばかりである旭化成の内柴正人に決勝で敗れて2位だった。2004年からは実業個人選手権で2連覇を達成した。