東出 甫(ひがしで はじめ、1946年9月21日 - 201… 東出 甫(ひがしで はじめ、1946年9月21日 - 2018年11月12日)は、日本のアナウンサー。本名同じ。 北海道出身。1970年に高崎経済大学を卒業後、日本教育テレビ(後のテレビ朝日)にスポーツアナ志望で入社。 最初はニュースなどを担当していたが、後にスポーツアナウンサーに転向。アナウンサー時代はスポーツアナウンサーとして、大相撲ダイジェストやワールドプロレスリング、1984年ロサンゼルスオリンピックのカール・ルイスが優勝し金メダル を獲得した走幅跳競技などで実況を担当。また、「素顔の記録'86~熊田康則編」と「素顔の記録~杉本公雄編」ではナレーションも担当。テレビ朝日を定年退職後、社友会入会として、ゴルフ部会を担当していた。
小林 睦郎(こばやし むつろう 1946年9月12日 - )… 小林 睦郎(こばやし むつろう 1946年9月12日 - )は兵庫県出身のラジオパーソナリティー・フリーアナウンサー。
桜井 一枝(さくらい かずえ、1946年〈昭和21年〉8月2… 桜井 一枝(さくらい かずえ、1946年〈昭和21年〉8月20日 - )は、関西を中心に活動するフリーアナウンサー、タレント、ラジオパーソナリティ、ナレーター。 大阪テレビタレントビューローに長らく所属していたが、2018年3月の廃業を機に昭和プロダクションを経て、2023年に株式会社「一丁目一番地」へ移籍している。 大阪市淀川区十三で生まれ育った後に、大阪府立東淀川高等学校から大谷女子短期大学英語科を経て、大阪テレビタレントビューロー(TTB)に所属した。軽妙な大阪弁と、主婦としての庶民的な感覚で、近畿地方のテレビ・ラジオ番組で長年活躍しているほか、幼い子供や若い女性のキャラクターボイスを得意とし、ナレーターとしても活動している。
杉本 量平(すぎもと りょうへい、1946年〈昭和21年〉8… 杉本 量平(すぎもと りょうへい、1946年〈昭和21年〉8月16日 - )は、フリーアナウンサー、元瀬戸内海放送アナウンサーである。 徳島県出身。國學院大學卒業後の1969年、KSB瀬戸内海放送へ開局と同時に入社した。 長らく、KSBでスポーツ中継の実況を担当していた。1986年ごろからはアナウンサーを離れて、開発事業部門、広報、編成、営業と渡り歩いた。2006年に定年を迎えた後はフリーで活動し、近年ではケーブルテレビで高校野球中継や四国アイランドリーグplus・香川オリーブガイナーズの試合の実況を担当している。 またカルチャー教室で話すためのボイストレーニングの講師も務めている。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
室町 澄子(むろまち すみこ、1946年8月13日 - )は… 室町 澄子(むろまち すみこ、1946年8月13日 - )は、元NHKチーフアナウンサー。 現在の茨城県つくば市出身。東京都立一橋高等学校を経て東京女子大学に進学した。大学在学中は放送研究会に所属した。大学卒業後、1969年に入局した。「女性が続けてゆける仕事」とアナウンサーに興味を持ってはいたが、本人曰く「すらすら話せるタイプではなかった」ということで、第一志望はディレクターだったという。以後60歳定年により2006年8月31日で退職し、ラジオセンター嘱託(厳密にはフリーランス)となるまで、ずっと東京アナウンス室とラジオセンターに属した。 1972年から74年まで、杉澤陽太郎とともにインタビュー番組『女性手帳』を担当する。
井上 雪彦(いのうえ ゆきひこ、1946年8月1日 - 20… 井上 雪彦(いのうえ ゆきひこ、1946年8月1日 - 2006年8月12日)は、日本のアナウンサーで、山口放送に所属し、ラジオ局次長兼務であった。
松井 昭憲(まつい あきのり、1946年7月23日 - )は… 松井 昭憲(まつい あきのり、1946年7月23日 - )は、毎日放送の元アナウンサー。2006年7月から2009年7月までは、同局の専属パーソナリティであった。 大阪府堺市の出身で、血液型はB型。 「昭憲」という名前は、出生年の1946年に公布された日本国憲法(通称「昭和憲法」)に由来する。 大阪府立泉陽高等学校から同志社大学へ進学。大学時代に出演した『素人名人会』(MBSテレビ)では、敢闘賞を獲得した。 大学卒業の1970年に、アナウンサーとして毎日放送へ入社。同期入社のアナウンサーに、池口和雄(後に報道局長や関連会社・GAORAの監査役などを歴任)や春日貴(現在はミリカスポーツ振興社長)などがいる。
古賀 成治(こが せいじ、1946年7月22日 - )は、元… 古賀 成治(こが せいじ、1946年7月22日 - )は、元NHKアナウンサー。語り芸アドバイザー・サポーター。大妻女子大学文学部コミュニケーション学科非常勤講師、企業対象「話し方教室」主宰。東京福中・福高同窓会常任幹事。東京落語会会員。 1965年に福岡県立福岡高等学校卒業、高校では弁論部を創設。1970年に九州大学教育学部を卒業後、NHK入局。アナウンサー、編成、事業、広報、営業を歴任。現在は上記に加え、平野啓子、古今亭菊丸、三門柳、富士路子、玉川奈々福、藤間紫恵乃、千花有黄を支援。
杉山 一雄(すぎやま かずお、1946年7月22日 - )は… 杉山 一雄(すぎやま かずお、1946年7月22日 - )は、関西テレビ放送元アナウンサーおよび元アナウンス部付嘱託契約(専属状態)のエグゼクティブアナウンサー。帝塚山大学文学部、宝塚大学造形芸術学部非常勤講師。 詳細は基礎情報を参照。東海大学文学部広報学科卒業後の1969年8月に、「祭原」(当時存在していた酒問屋)の営業部員だった桑原征平と共に、中途採用扱いで関西テレビ放送へ入社した。中途採用であったのは、大学からの卒業後も、アナウンサーになることを目標に就職活動を続けていたことによる。 関西テレビへの入社後は、1984年から『エンドレスナイト』(キー局・フジテレビの『オールナイトフジ』に対抗すべく制作された生放送の深夜番組)にレギュラーで出演。
笹原 嘉弘(ささはら よしひろ、1946年7月21日 - 2… 笹原 嘉弘(ささはら よしひろ、1946年7月21日 - 2010年1月17日)は、STVの元アナウンサー、新潟県出身。 愛称は『ササッパラ』。名前をもじって作られた「ササッパラに平和がある。ヨーシヒロ(拾)って世界に配ろう」というキャッチフレーズがあった。 子供の頃から司会をすることなどに憧れていた。慶應義塾大学時代は放送研究会に所属。 20代の若手の頃は、ギターを弾いたり、一人で海を見に行ったりすることが趣味だったという。また30代の頃は“無類の食通”と言われていた。 https://ameblo.jp/istmusic/entry-10441398743.html https://web.archive.org/web/20070209194827/http://homepage1.nifty.com/k-oasis/radio/atayan/atayan1970.html
荒川 強啓(あらかわ きょうけい、1946年5月16日 - … 荒川 強啓(あらかわ きょうけい、1946年5月16日 - )は、日本のフリーアナウンサー、ラジオパーソナリティ。オフィス・トゥー・ワン所属。元山形放送アナウンサー。 北海道札幌市出身。仙台高等学校、東北学院大学法学部法律学科卒業。フジテレビ、地元の北海道放送(HBC)、山形放送(YBC)を受験した結果、YBCのみ合格。 大学卒業後の1969年4月、YBCにアナウンサーとして入社。1975年には、才能を持つ地方のDJを発掘する『飛び出せ!全国DJ諸君』でDJ賞を受賞。1982年に同社退社後、フリーアナウンサーへ転身、当初はフジテレビで活躍していた。 1985年に自身の番組を持つも1年で打ち切りにする上層部のやり方に腹を立て、その後はTBS(テレビ・ラジオ)で活躍するようになる。
田岡 明(たおか あきら、1946年5月11日 - )は、山… 田岡 明(たおか あきら、1946年5月11日 - )は、山形テレビ(YTS)の元アナウンサー。北海道美唄市出身。東洋大学卒業後、1970年の山形テレビ開局と共に入社。退社後はデジサポ山形にて顧問を務めた。 (以上は田岡がアナウンス部在籍当時の部下) この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
吉田 塡一郎(よしだ しんいちろう、1946年4月25日 -… 吉田 塡一郎(よしだ しんいちろう、1946年4月25日 - )は、日本のアナウンサー、実業家。元日本テレビ放送網(以下、NTV)→アール・エフ・ラジオ日本(以下、RF)アナウンサー、RF編成局長→常務取締役営業局長。千葉県出身。千葉県立千葉高等学校、中央大学経済学部卒業。
百田 義浩(ももた よしひろ、1946年3月15日 - 20… 百田 義浩(ももた よしひろ、1946年3月15日 - 2000年11月22日)は、日本のリングアナウンサー・プロレスラー。 全日本プロ・レスリング取締役、プロレスリング・ノア取締役を歴任した。 日本のプロレス界の礎を作った力道山の長男であり、百田光雄の実兄。娘はプロレスリング・ノアで広報兼通訳をしている。甥の百田力もプロレスラーである。 慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部卒業。大学生時代に力道山が刺殺され、父の遺志を継ぎ、力道山が運営し藤猛を擁していた「リキ・ボクシングジム」のオーナーとなる。 1972年にジャイアント馬場が設立した全日本プロレスに取締役として参画し、リングアナウンサーとしても活動した。
遠藤 ふき子(えんどう ふきこ、旧姓:有馬、1946年3月2… 遠藤 ふき子(えんどう ふきこ、旧姓:有馬、1946年3月2日 - )は、日本のフリーアナウンサー、元NHKアナウンサー。現在はNHK放送研修センター・日本語センターに在籍。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜平沼高等学校、青山学院女子短期大学卒業後、1966年にNHKに入局。入局後は東京アナウンス室に在籍し、テレビの情報番組などを担当する。1989年、ドイツに転勤する夫に同行するためNHKを退職した。 1993年までドイツに一時生活し、ドイチェ・ヴェレのドイツ語講座を担当したこともあった。帰国後は主にNHKのラジオ番組で活動している。
小田島 建夫(おだしま たてお、1946年2月4日 - )は… 小田島 建夫(おだしま たてお、1946年2月4日 - )は、元栃木放送(CRT)のアナウンサー。 岩手県北上市出身で國學院大學文学部史学科日本史専攻卒業。血液型O型。家族は妻、一女二男。 高橋圭三が自分の地元の隣の花巻市出身、同じ大学・学部の先輩に山川静夫がいたことにも触発されて、放送界を目指すようになった。大学卒業後、1968年4月入社。 栃木放送アナウンサー時代には、30年続いた同局の洋楽ランキング番組「西武ポップスベスト10」を担当していた。 栃木放送退社後は「宇都宮アナウンスアカデミー(UAA)」を設立し、自ら講師としてアナウンスや朗読のプロフェッショナル育成・指導を行なっている。また、雑誌「Fooga」等の連載・エッセイ執筆、歴史・政治~話し方まで多岐に渡るテーマの講演等、各方面で活動している。
芦沢 俊美(あしざわ としみ、1946年1月30日 - 20… 芦沢 俊美(あしざわ としみ、1946年1月30日 - 2013年)は、日本テレビの元アナウンサー。妻はアナウンサー(日本テレビ→フリー)の江川範子。東京都出身。 1964年3月、東京都立新宿高等学校卒業。1968年3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。 1968年4月、日本テレビに入社し、アナウンス部に配属。入社同期に小早川正昭、中西江美子(旧姓:阿部)、白石浩子、他部署には真山勇一らがいる。スポーツアナウンサーとしてボクシング、サッカー、陸上競技(マラソン、駅伝)を中心に担当する。 サッカー実況においては3期先輩の舛方勝宏と共に1970 FIFAワールドカップ開催国のメキシコへ自費取材を敢行し、1971年にテレビ中継が開始された全国高等学校サッカー選手権大会を実況するなど、日本テレビにおけるサッカー実況体制の基盤を確立した。
見城 美枝子(けんじょう みえこ、1946年〈昭和21年〉1… 見城 美枝子(けんじょう みえこ、1946年〈昭和21年〉1月26日 - )は、日本のアナウンサー、エッセイスト、ジャーナリスト、ニュースキャスター。 愛称は「ケンケン」。見城美枝子オフィス所属。加えて2012年9月よりTBSスパークル(旧:キャスト・プラス)と業務提携を結ぶ。 夫は青森大学評議員などを務める田中穣(たなか みのる)。4児あり。 群馬県館林市出身。群馬県立館林女子高等学校、早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。のちに早稲田大学大学院理工学研究科建築学専攻博士後期課程単位取得満期退学(2005年)。 1968年4月、TBSへアナウンサー13期生として入社(同期には小島一慶・松永邦久・池田園子・石井和子・郷司淑子・菅原牧子)。
松倉 悦郎(まつくら えつろう、1946年(昭和21年)1月… 松倉 悦郎(まつくら えつろう、1946年(昭和21年)1月24日 - )は、元フジテレビアナウンサー。アナウンサーを辞めてから浄土真宗本願寺派の僧侶を務めた。僧としての名は「結城思聞(ゆうき・しもん)」。仏教学者の結城令聞は義父にあたる。 埼玉県出身。早稲田中学校・高等学校を経て、早稲田大学第一文学部を卒業した。早大時代はハワイアンバンド「ナレオ・ハワイアンズ」の司会者を務め、当時モダンジャズ研究会で同じく司会者を務めていたタモリにアナウンスの指導を行ったとされる。大学では板倉俊彦(毎日放送アナウンサー)や原國雄(福島テレビアナウンサー)らと同級生であった。 大学卒業後の1968年、フジテレビに入社した。
板倉 俊彦(いたくら としひこ、1946年1月24日 - 2… 板倉 俊彦(いたくら としひこ、1946年1月24日 - 2018年)は、毎日放送(MBS)の元アナウンサー。 東京都出身。血液型はA型。早稲田大学卒業後の1968年に、アナウンサーとして毎日放送(MBS)に入社した。同期入社のアナウンサーに、角淳一や青木和雄(現在はいずれもフリーアナウンサー)などがいる。元フジテレビのアナウンサー・松倉悦郎(現在は僧侶)とは、生年月日と出身大学が同じで、松倉とフジテレビでも同期だった逸見政孝や、アナウンサーとして福島テレビ(フジテレビ系列)に入社した原國雄、政治学者・大学教授の福岡政行とも大学の同級生であった。 毎日放送への入社当初から1980年代の前半までは、MBSラジオの『毎日放送日曜(土曜)競馬』で実況を務めていた。
村田 好夫(むらた よしお、1946年1月20日 - )は、… 村田 好夫(むらた よしお、1946年1月20日 - )は、朝日放送の元アナウンサーでフリーアナウンサー。 鹿児島県名瀬町(現:奄美市)出身。鹿児島県立加治木高等学校を経て、明治大学法学部卒業後、1969年に朝日放送アナウンサーとして入社。同期に乾龍介、嶋田崇彦、戸倉信吉がいる。1985年から夕方のローカルニュース番組『たいむ6』のキャスターを務めた他、『おはようコールABC』の司会、『おはよう朝日です』のニュースキャスターを長く務めた。その他にもテレビ朝日『ステーションEYE』の週末全国版のキャスターも務めた。また、朝日放送が制作に関係した鉄道ビデオでは、ナレーションを担当している。 その他には報道情報局専任局長も歴任し、2005年12月30日、ABCラジオのニュース(ABC朝日ニュース)をもってアナウンサーを勇退した。
野口 博康(のぐち ひろやす、1946年1月8日 - )は、… 野口 博康(のぐち ひろやす、1946年1月8日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。現在はシニアスタッフ。 東京教育大学附属高等学校、早稲田大学卒業後、1969年入局。ラジオ担当が長かったためか、シニアスタッフとなった現在ではラジオでの活動が多くなっているが、時折テレビ出演もある。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
山本 安幸(やまもと やすゆき、1946年 - )は、株式会… 山本 安幸(やまもと やすゆき、1946年 - )は、株式会社エフエム雪国取締役放送局長、元アナウンサー。新潟県新潟市出身、現在は長岡市在住。
武藤 まき子(むとう まきこ、1945年11月30日 - 2… 武藤 まき子(むとう まきこ、1945年11月30日 - 2016年12月5日)は、日本の芸能リポーター、アナウンサー。「おまきさん」の愛称で知られた。 山梨県出身。1968年中国放送に入社。アナウンサー専門職として活動。結婚を機に同社を退社、フリーに転身。1982年4月1日、『おはよう!ナイスデイ』の開始に伴い、芸能リポーターとしてフジテレビと専属契約。以降、フジテレビならびにFNS系列局のワイドショー、情報番組に出演。主に、芸能、歌舞伎、皇室を担当。 2016年12月5日に都内の自宅で体調不良を訴えて倒れ、救急車で病院に搬送されたが死亡が確認された。71歳没。死因は虚血性心不全。
白川 次郎(しらかわ じろう、1945年11月5日 - )は… 白川 次郎(しらかわ じろう、1945年11月5日 - )は、高知県南国市生まれの元日本短波放送・ラジオたんぱ・ラジオNIKKEIアナウンサーで、コーラルアイランドに所属するフリーアナウンサー。 1945年11月5日、国鉄・汐留駅で物資輸送の仕事をしていた父の最初の赴任先である高知県で生まれる。長姉・道子、兄・通、次姉・紀子に次ぐ4人兄弟の末っ子で、姉や兄の名前にはそれぞれ由来や意味があるにもかかわらず、自分だけ次男だから「次郎」と単純に名付けられた事に随分と抵抗があったという。父は高知県・土讃線の後免駅を皮切りに毎年のように転勤したため、彼自身は高知での記憶が全く無く、四国時代の記憶は愛媛県の松山に居た時代で、松山城の城山で竹を切ってチャンバラをしたり、お濠で鮒を釣ったりして過ごしていた。
戸倉 信吉(とくら のぶよし、1945年11月4日 - )は… 戸倉 信吉(とくら のぶよし、1945年11月4日 - )は、朝日放送の元アナウンサー。 戦時疎開先の長野県で誕生し、戦後は兵庫県神戸市で育つ。関西学院大学社会学部卒業後、朝日放送にアナウンサーとして入社。同期には乾龍介、嶋田崇彦、村田好夫がいた。その後、テレビ制作部に異動。「新婚さんいらっしゃい!」、藤山寛美主演の松竹新喜劇の舞台中継、「おはよう朝日です」などを担当する。 その後、関連会社のCS放送、スカイ・エーに出向。ケーブルテレビの営業として全国を巡り、マルチメディアやデジタル化を肌で学ぶ。本社に帰任後は、デジタルメディア局長として2003年の地上デジタル放送開始に向けての社内外の体制作りに貢献した。
蜂谷 薫(はちや かおる、1945年10月30日 - )は、… 蜂谷 薫(はちや かおる、1945年10月30日 - )は、日本のフリーアナウンサーである。元毎日放送のアナウンサーで、MBSラジオを初めとする中央競馬中継の実況で知られる。 北海道函館市で誕生後、神奈川県横須賀市に転居。早稲田大学政治経済学部卒業後の1969年に、毎日放送へ入社した。同期入社のアナウンサーに、緒方憲吾などがいる。 入社直後からスポーツアナウンサーとして活動。1970年7月に中京競馬場にて競馬実況デビュー。1980年代以降は、2005年10月30日に定年で退職するまで、もっぱらMBSラジオの競馬・競艇中継で実況を務めていた。ミスターシービー・シンボリルドルフ・ナリタブライアンの三冠達成の瞬間などを実況したことから、「競馬実況のスペシャリスト」というイメージが強いが、1984年まではプロ野球など競馬以外のスポーツ中継でも実況に携わっていた。
相馬 宏男(そうま・ひろお、1945年10月16日 - )は… 相馬 宏男(そうま・ひろお、1945年10月16日 - )は、NHKの元アナウンサー。 青森市生まれ、青森県立青森高等学校卒業、早稲田大学法学部卒業、1969年入局。定年退職後、シニアスタッフとして76歳までNHK仙台放送局で勤務。
塩田 耕一(しおだ こういち、1945年9月23日 - )は… 塩田 耕一(しおだ こういち、1945年9月23日 - )は、フリーアナウンサー、元秋田テレビのアナウンサー、元報道制作局次長兼制作一部アナウンサー担当部長。 北海道小樽市出身。日本大学卒業後、1969年の秋田テレビ開局と同時に入社。大学時代に土居まさるに出会い、誉められたのをきっかけにアナウンサーの道へと進む。 秋田テレビが誇る長寿番組である、「クボタ民謡お国めぐり」の司会を2005年3月までの11年間、また報道では夕方のローカルワイドニュース「テレポートあきた」のメインキャスターを1978年4月の放送開始から1989年3月の放送終了までの11年間に渡って務めた。 2005年9月23日で還暦を迎えた後も定時ニュース等を担当したが、2006年9月30日をもって退職した。
東 治男(ひがし はるお、1945年7月5日 - )は、元宮… 東 治男(ひがし はるお、1945年7月5日 - )は、元宮崎放送アナウンサー。宮崎県西諸県郡高原町出身。 宮崎県立小林高等学校、日本大学芸術学部卒、1968年4月宮崎放送に入社。中学・高校・大学とずっと放送部に所属していた。 2001年に報道部副部長を最後に宮崎放送を退社し、無所属、民主党・社会民主党推薦で参議院議員選挙に宮崎県選挙区から出馬するも次点で落選した。2007年の参院選に6年ぶりに立候補したが第3位で落選した。自身が障害者であることから、ボランティアグループ「宮崎わたぼうし会」の会長を務める(この時に読売新聞社福祉賞を受賞している)など、ボランティア活動にも昔から造詣が深い。この他、自然保護観察指導員も務めていたことがある。
山原 玲子(やまはら れいこ、1945年6月28日 - )は… 山原 玲子(やまはら れいこ、1945年6月28日 - )は、フリーアナウンサー。元中国放送(RCC)アナウンサー。 広島県三原市(旧、豊田郡本郷町)出身。同志社女子大学学芸学部英文学科を卒業後、1968年に中国放送へ入社。趣味は和装、絵画、自然観察等と多彩であり、その趣味が中国放送の番組にとりあげられたり、絵画が広島市のデパート福屋の袋に採用されたこともある。 2005年9月30日、中国放送(RCC)を定年退職。 現在は番組ナレーション、イベントの司会を中心に活動している。中でもナレーションはJNNアノンシスト賞を何度も受賞するほどの腕前である。 好きな言葉は「きもの やきもの ひとりもの」。
菅原 牧子(すがわら まきこ、1945年5月9日 - )は、… 菅原 牧子(すがわら まきこ、1945年5月9日 - )は、日本のアナウンサー、プロデューサー、日本大学芸術学部放送学科特任教授。 岩手県陸前高田市出身。青山学院大学文学部フランス文学科卒業。俳人協会会員、岩手県ふるさと大使、陸前高田市ふるさと大使。 1968年4月、TBSにアナウンサー第13期生として入社(同期には小島一慶・松永邦久・池田園子・石井和子・見城美枝子・郷司淑子)。 35年間、アナウンサー・番組企画制作者として活躍。『歌のない歌謡曲』、『菅・牧のお昼ですよ』、『講談社 ラジオブックス』他多数に出演。1987年、アノンシスト賞 テレショップ番組最優秀賞。1990年、アノンシスト賞 放送活動賞。
安部 憲幸(あべ のりゆき、1945年〈昭和20年〉5月8日… 安部 憲幸(あべ のりゆき、1945年〈昭和20年〉5月8日 - 2017年〈平成29年〉4月6日)は、フリーアナウンサー。元朝日放送(ABC)アナウンサー。 愛称は「アベロク」(ラジオの冠番組タイトルにも使用。他に「あべ六」「アベ六」とも)。愛称の由来(意味)は、6チャンネル(ABCテレビ)の安部から来ているという説、大学に6年通ったからという説がある。ABC時代の後輩アナウンサーで、部下でもあった名字が同じ読みの阿部成寿との区別にもなっている。 島根県安来市出身。島根県立安来高等学校から國學院大學文学部日本文学科に進学した。大学卒業後の1970年に、アナウンサーとして朝日放送(ABC)へ入社した。
宮川 泰夫(みやかわ やすお、1945年〈昭和20年〉4月1… 宮川 泰夫(みやかわ やすお、1945年〈昭和20年〉4月14日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKエグゼグティブアナウンサー。 太平洋戦争中に家族の疎開先の新潟県柏崎市で生まれ、終戦後に家族とともに東京都大田区へ転居した。東京都立小山台高等学校を経て、東京大学文学部を卒業後、1968年にNHKに入局。長崎放送局を皮切りに、帯広、福島、仙台の各局に所属した。 東京アナウンス室に異動後は『NHKおはようサンデー』や『NHKモーニングワイド』のキャスターを務め、1993年に『NHKのど自慢』の司会に就任する。1994年には『第45回NHK紅白歌合戦』で総合司会を担当した。『NHKのど自慢』司会在任中に海外大会が行われた影響で、やがて国際的に親しまれるアナウンサーともなった。
朝妻 基祐(あさづま もとすけ、1945年4月14日 - )… 朝妻 基祐(あさづま もとすけ、1945年4月14日 - )は、NHKの元アナウンサー。 米子東高等学校、東京教育大学卒業後、1970年NHK入局。初任地は富山。大分、札幌(3度勤務)、ラジオセンター、大阪と勤務。趣味、特技はビデオカメラ。2005年退職により嘱託移行。2021年3月をもって勇退。
藤野 寿一(ふじの としかず、1945年4月12日 - )は… 藤野 寿一(ふじの としかず、1945年4月12日 - )は、元NHKアナウンサー。 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身。埼玉県立浦和高校、北里大学卒業後の1970年入局。津→山形→浦和→函館→帯広→青森→山形→北見→仙台→山形と全国各地に勤務した。東京勤務はなく津局以外は東日本での勤務だった。定年後も山形でニュースを担当。山形を気に入り定住。
鏡 宏一(かがみ こういち、1945年〈昭和20年〉4月10… 鏡 宏一(かがみ こういち、1945年〈昭和20年〉4月10日 - )は近畿地方を中心に活動するフリーアナウンサー・環境ジャーナリストである。 東京都世田谷区出身。神戸市外国語大学ロシア語学科卒業後の1968年にラジオ大阪に入社。 大学に入学した当時は外交官か商社マンを志していたが、4年生になってから進路を変えてアナウンサーを目指すようになったという。 「鏡は女の命、鏡宏一です」という自らのあいさつがある。 1970年代からラジオ大阪の番組「お元気ですか鏡宏一です」を初め、朝日放送ラジオ「鏡宏一 ABCナイトQ」、KBS京都テレビ「チャレンジ90」等、近畿圏の各放送局でパーソナリティーとして活躍。
金親 顕男(かねおや あきお、本名:金親 顯男・読み同じ、1… 金親 顕男(かねおや あきお、本名:金親 顯男・読み同じ、1945年3月14日 - )は、新潟放送の元アナウンサー。その後同社常務取締役、関連会社のイタリア軒代表取締役社長などを歴任し、現在は顧問を務める。 秋田県出身。法政大学卒業後、1967年新潟放送にアナウンサーとして入社。同期は元アナウンサーで現在同局代表取締役会長の竹石松次。以後、ラジオ・テレビの各番組で幅広く活躍した。特に1980年代には、テレビの人気ローカル番組『土曜はヨイショ!!』の司会を担当(本名の「顯男」、通称表記の「顕男」がいずれも難読であるため、同番組に限って平仮名で「金親 あきお」とクレジットしていた)。そのためか、テレビ出演を退いた後も県民の認知度は高い。
逸見 政孝(いつみ まさたか、1945年〈昭和20年〉2月1… 逸見 政孝(いつみ まさたか、1945年〈昭和20年〉2月16日 - 1993年〈平成5年〉12月25日)は、日本のフリーアナウンサー、テレビ司会者、タレント。 元フジテレビアナウンサー。フジテレビ退社後は、三木プロダクションと業務提携する個人事務所「オフィスいっつみい(逸見の死後オフィスいつみに名称変更)」に所属していた。大阪府大阪市阿倍野区出身。 妻はエッセイストで所属事務所社長だった逸見晴恵。長男はタレントの逸見太郎、長女は元女優の逸見愛。 父親は広島県尾道市の出身で旧姓は毛利、菓子問屋を営んでいた逸見家に養子として入った。父親は長く福徳相互銀行(現:関西みらい銀行)に勤務した。母親は大阪の出身。
隈部 崇之(くまべ たかゆき、1945年2月13日 - )は… 隈部 崇之(くまべ たかゆき、1945年2月13日 - )は、元RKB毎日放送アナウンサーで、現在も福岡県を拠点に活動するフリーのスポーツアナウンサーである。 福岡県北九州市出身。中央大学卒業後1967年、RKBに入り、プロ野球やマラソンなど、数多くのスポーツ中継にかかわった。2001年頃に早期退職してフリーとなってからも、引き続き地元に拠点を置いて野球中継などに携わる。 息子が2人いるが、ともにラグビーをやっており、全国高校ラグビーの福岡県大会において2人が出た試合の実況を行ったという。そのことで隈部は当時スポーツニッポン西部版の取材を受けた。また隈部本人も、ラグビー経験があった。花園ラグビー場からの中継では、メイン制作局のMBSやTBSのアナウンサーとともに実況していた。
脇田 義信(わきた よしのぶ、1945年1月27日 - 20… 脇田 義信(わきた よしのぶ、1945年1月27日 - 2005年3月29日)は、広島テレビの元アナウンサー。後に報道担当取締役を務めた。 広島県広島市出身。生後8ケ月足らずで原子爆弾によって被爆(後述)。 広島観音高等学校、広島商科大学(現在の広島修道大学)商学部では演劇活動に打ち込む。同大学を卒業後の1968年、広島テレビに入社。翌年アナウンス部に配属され、アナウンサーとして『ズームイン!!朝!』(以下『ズームイン!!SUPER』も含め、「ズームイン」と記す)など広島の朝の顔として親しまれる。 熱狂的な広島東洋カープのファンとして知られ、実況中継だけでなく『ミユキ野球教室』(全国送出)、あるいは広島情報番組にも出演したこともある。
滝 良子(たき りょうこ、1945年〈昭和20年〉1月25日… 滝 良子(たき りょうこ、1945年〈昭和20年〉1月25日 - 2021年〈令和3年〉8月17日)は、日本のフリーアナウンサー、ラジオパーソナリティ。「そらまめ」の愛称で多くのリスナーに親しまれた。 岐阜県高山市出身。1966年に明和女子短期大学(現明和学園短期大学)卒業後、熊本放送のアナウンサーを3年経て、フリーに転身。1969年8月から1971年8月までフジテレビ系のグリコ『赤白パネルマッチ』にアシスタントとして出演。1971年7月から1974年8月までTBSラジオの深夜番組『パックインミュージック』の水曜パック2部を担当(番組愛称は「ソラマメ・パック」)、1974年9月から1976年2月まで番組がリニューアルした『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』の月曜深夜を担当した後、1976年10月より1984年4月までニッポン放送日曜23時スタートの『全日空ミュージックスカイホリデー』のパーソナリティとして7年半にわたりDJを務めた。
宮内 鎮雄(みやうち しずお、1945年1月24日 - 20… 宮内 鎮雄(みやうち しずお、1945年1月24日 - 2022年1月14日)は、日本のアナウンサー、ナレーター。 東京都出身。武蔵中学校・高等学校卒業、国際基督教大学人文科学科卒業。血液型O型。若手時代から晩年に至るまで長髪・髭とアナウンサーとしては型破りのスタイルを貫き、社内でもTシャツ姿など、奇抜な格好でも知られる。趣味は映画鑑賞。コアなMacユーザーである。 1967年4月、TBSへアナウンサー12期生として入社(同期には青木靖雄、石森勝之、小口勝彦、河野通太郎、久米宏、林美雄、米沢光規)。川戸恵子はアナウンサーの1年先輩にあたる。11月15日、アナウンサー研修室設置にともないアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務に。
山口 慎弥(やまぐち しんや、1945年1月8日 - )は、… 山口 慎弥(やまぐち しんや、1945年1月8日 - )は、日本のアナウンサーである。NHK→TBSで活動した。「山口愼彌」または「山口慎彌」と表記する場合もある。 神奈川県出身。神奈川県立横浜翠嵐高等学校第15回卒業生。東京大学文学部卒業。1967年にNHKへ入局。盛岡局→大阪局で勤務した。1973年6月にTBSへ中途採用で入社。主にスポーツ番組(ラグビーなど)の実況・キャスターとして活動した。 のちにアナウンス職から離れ編成職となる。その後経理局経理部へ異動し、経理局次長兼経理部長、経営企画局長、執行役員(2004年 - 2007年)を務めた。経営企画局長時代には、役員会議の司会を務めることもあった。
宮尾 邦雄(みやお くにお、1945年1月7日 - )は、元… 宮尾 邦雄(みやお くにお、1945年1月7日 - )は、元NHKアナウンサー。 長野県生まれ。東京都立大学附属高等学校を経て、一橋大学を卒業した。その後、NHKへアナウンサーとして入局する。主に大阪放送局やラジオセンターなどで活動した。
久保 房郎(くぼ ふさお、1945年1月7日 - )は、三重… 久保 房郎(くぼ ふさお、1945年1月7日 - )は、三重県松阪市出身のフリーアナウンサー。有限会社オフィス・ファンファーレ所属。 同志社大学時代は同志社学生放送局DSBに所属し、卒業後の1968年4月に近畿放送へ入社。同期に山崎弘士がいる。現役時代は競馬・野球・サッカーなどの各種スポーツ中継やラジオパーソナリティを担当し、2005年2月28日付で定年退職した後も2010年まで『KEIBAワンダーランド』などKBS京都の番組に出演していた。 以下に掲げる番組はすべてKBS京都(テレビ/ラジオ)で放送されている、又は過去に放送されていた番組である。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
小澤 達雄(おざわ たつお、1945年〈昭和20年〉1月6日… 小澤 達雄(おざわ たつお、1945年〈昭和20年〉1月6日 - )は、MBC南日本放送の元アナウンサー。 静岡県小山町出身。中央大学卒業後の1967年(昭和42年)に入社。長年、アナウンス部長を務め、2015年(平成27年)1月頃まで在籍。「心のまま自然に」をモットーとしており、海や山が好きで、趣味は釣り。好きな色は青。MBC南日本放送在職中は、元気な時は通勤にマイカーを使用しない事を心掛けていた。 TVhテレビ北海道のアナウンサー・小澤良太は実子。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。 Category:南日本放送のアナウンサーを参照
三浦 智和(みうら ともかず、1945年 - )は、元日本教… 三浦 智和(みうら ともかず、1945年 - )は、元日本教育テレビ・テレビ朝日アナウンサー。北海道出身。 明治大学卒業後、1971年にNETテレビのアナウンサーとして入社。報道、スポーツ実況などを担当。『ル・マン24時間耐久レース』の実況を1987年から1991年まで担当し、1991年にマツダ・787が日本車で初めて制覇した際の実況が有名。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
角 淳一(すみ じゅんいち、1944年〈昭和19年〉12月3… 角 淳一(すみ じゅんいち、1944年〈昭和19年〉12月30日 - 、戸籍上の誕生日は1945年〈昭和20年〉1月1日)は、日本のフリーアナウンサー。大阪府四條畷市出身。毎日放送の元アナウンサーで、2004年4月1日から2011年9月30日までは同局の専属パーソナリティでもあった。 愛称は「角さん」、「おじいちゃん」。 四條畷市に住んでいることから、フリーアナウンサー転身後の2012年5月16日には、同市の観光大使に任命されている。 実父は、実母の懐妊中に「(新生児が)男なら淳一、女なら淳子や」との言葉を残して第二次世界大戦へ出征。しかし、角の出生を前に戦没した。 11歳であった1956年にメルボルンオリンピックの実況をラジオで聴いたことから、アナウンサーを志す。
小早川 正昭(こばやかわ まさあき、1944年12月13日 … 小早川 正昭(こばやかわ まさあき、1944年12月13日 - )は、日本の男性アナウンサー、タレント、声優、ナレーター。あどりぶ所属。