スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
川口 うらら(かわぐち うらら、2000年12月5日 - )… 川口 うらら(かわぐち うらら、2000年12月5日 - )は、日本の自転車競技(マウンテンバイククロスカントリー、ロードレース)選手である。 兵庫県たつの市出身。たつの市立龍野西中学校、兵庫県立龍野高等学校を経て日本体育大学卒業。2017年、2018年アジアマウンテンバイク選手権大会ジュニアを二連覇し、2020年、2021年全日本マウンテンバイク選手権クロスカントリーU23とクロスカントリーエリミネーター(XCE)の二競技でも二連覇を達成、2021年はクロスカントリーショートトラック(XCC)とロードレースU23でも全日本ジャージを獲得し、全日本種目四冠となった。
野津 亜珠佳(のづ あすか、2000年5月23日 - )は、… 野津 亜珠佳(のづ あすか、2000年5月23日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 兵庫県たつの市出身。 2016年、兵庫県立龍野高等学校に進学。全国高校大会の出場経験はなく、2019年、一般入試で筑波大学に進学した。4年になった2022年、第70回黒鷲旗全日本選抜大会で活躍し、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属する日立Astemoリヴァーレとヴィクトリーナ姫路から勝利を挙げてのベスト8進出に貢献した。2022/23シーズン、ヴィクトリーナ姫路の内定選手となった。内定選手としてV1女子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2023年、大学卒業後に、ヴィクトリーナ姫路に入団した。
井戸 浩貴(いど こうき、1994年7月10日 - )は、日… 井戸 浩貴(いど こうき、1994年7月10日 - )は、日本の元陸上競技選手。兵庫県新宮町出身。早稲田大学商学部卒業。 兵庫県立龍野高等学校、早稲田大学出身。 早稲田大学には一般入試で入学した。 3年時の第92回箱根駅伝では9区を担当。4位から順位を上げることはできなかったが、3度目の箱根駅伝で初めての区間賞を獲得した。 4年時の第93回箱根駅伝では7区を担当。早稲田大学は往路で1位の青山学院大学とは33秒差だったが、6区で2分08秒差まで広げられる展開となり、井戸に襷が渡る。トップを走る青山学院大学の田村和希が脱水症状で終盤に急失速し、1分21秒差まで詰め寄ったが、トップに立つには至らず。個人では区間賞とは11秒差で区間3位だった。
薮田 翔一(やぶた しょういち、1983年8月17日 - )… 薮田 翔一(やぶた しょういち、1983年8月17日 - )は、日本の現代音楽、クラシック音楽、ポピュラー音楽、電子音楽の作曲家。実姉はオペラ歌手の薮田瑞穂。 兵庫県揖保郡御津町(現・たつの市)出身。御津町立御津中学校、兵庫県立龍野高等学校、東京音楽大学を経て、2011年同大学大学院修了。2001年より東京音楽大学入学までの2005年まで、作曲理論、ソルフェージュを飯塚邦彦に師事。東京音楽大学入学1年前(2004年)より、作曲を有馬礼子に師事。東京音楽大学入学後、同大学院修了までの6年間に藤原豊(2005年)、糀場富美子(2006年)、西村朗(2007年~2011年)らを中心として師事。その他大学院在学中に、東京音楽大学作曲科の担当教員以外からもレッスンを受講が可能となるシステムにより、池辺晋一郎、細川俊夫からも定期的にレッスンを受け師事。
大前 壽生(おおまえ ひさお、1978年7月20日 - )は… 大前 壽生(おおまえ ひさお、1978年7月20日 - )は、日本のイラストレーター、デザイナー。 兵庫県宍粟市出身。兵庫県立龍野高等学校から成安造形大学情報デザイン学科卒業。デザイン事務所勤務を経て2007年よりイラストレーターとして活動を開始。
赤松 美和子(あかまつ みわこ、1977年- )は、台湾文学… 赤松 美和子(あかまつ みわこ、1977年- )は、台湾文学研究者、大妻女子大学准教授、教授を経て日本大学文理学部中国語中国文化学科教授。NPO法人日本台湾教育支援研究者ネットワーク(SNET台湾)代表理事。 兵庫県生まれ。1996年兵庫県立龍野高等学校卒業、2001年広島大学文学部卒業、2008年お茶の水女子大学大学院人間文化研究科比較社会文化学専攻博士後期課程修了、博士(人文科学)。博士論文は、「戦後台湾における文学場形成と戒厳令解除後の文学」。 2010年大妻女子大学比較文化学部助教、2013年准教授、2022年教授。2024年日本大学教授。2022年、お茶の水女子大学賞第6回小泉郁子賞受賞。
谷本 賢一郎(たにもと けんいちろう、1974年4月23日 … 谷本 賢一郎(たにもと けんいちろう、1974年4月23日 - )は、日本のタレント、歌手。兵庫県佐用郡佐用町出身。兵庫県立龍野高等学校、信州大学繊維学部卒業。血液型A型。身長は179cm。愛称は、けっさくくん、タニケン。
田中 智樹(たなか ともき、1972年8月28日 - )は、… 田中 智樹(たなか ともき、1972年8月28日 - )は、日本の実業家。ブンセン株式会社代表取締役社長。 兵庫県揖保郡新宮町(現・たつの市新宮町)に生まれる。兵庫県立龍野高等学校から大阪経済大学経営学部に進学し、1995年(平成7年)3月に卒業後、1998年(平成10年)3月イトーヨーカ堂に入社した。 2001年(平成13年)同社退職後、2002年(平成14年)9月にブンセンに入社した。この間、2003年4月大阪大学大学院経済学研究科入学、2005年(平成17年)3月修士(経営学)を取得した。 2006年(平成18年)10月にブンセン理事およびブンセンキッチン株式会社社長に就任し、ブンゼン取締役(2009年(平成21年)8月)を経て、2012年(平成24年)8月から取締役副社長となる。
服部 千秋(はっとり ちあき、1959年〈昭和34年〉11月… 服部 千秋(はっとり ちあき、1959年〈昭和34年〉11月1日 - )は、日本の政治家。元兵庫県揖保郡太子町長(2期)。 三日月町立三日月中学校、兵庫県立龍野高等学校を経て東京外国語大学卒業、兵庫教育大学大学院修了。関西圏の高校、大学で英語教員として勤務。 2000年の第42回衆議院議員総選挙において、兵庫県第11区で自由連合から立候補したが落選。 2003年の太子町議会議員選挙において、無所属で立候補し初当選。 2016年7月10日に太子町長選挙で当選。同年8月6日に就任。 2020年7月19日の町長選で再選。 2021年9月、次期教育長に元姫路市立飾磨東中学校長の楢野正樹を起用する人事案を町議会に提出。
栗原 一(くりはら はじめ、1950年6月14日 - )は、… 栗原 一(くりはら はじめ、1950年6月14日 - )は、日本の政治家。元兵庫県たつの市長(1期)、元兵庫県議会議員(4期)。 兵庫県揖保郡揖保川町(現・たつの市)出身。兵庫県立龍野高等学校を経て明治大学法学部卒業、兵庫県立大学大学院修了。河本敏夫の秘書を務める。 1999年(平成11年)4月11日に行われた兵庫県議会議員選挙に出馬し初当選。2003年(平成15年)までは無所属で立候補したが、2007年(平成19年)と2011年(平成23年)の県議選は自由民主党公認で立候補し、いずれも当選した。 2013年(平成25年)10月20日に行われたたつの市長選挙に立候補し、初当選を果たした。投票率は54.74%。
高橋 史朗(たかはし しろう、1950年 - )は、日本の政… 高橋 史朗(たかはし しろう、1950年 - )は、日本の政治活動家、教育学者。一般財団法人親学推進協会理事長、モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授。 日本会議政策委員、新しい歴史教科書をつくる会副会長、明星大学教授・同大学院教育学専攻主任、麗澤大学道徳科学教育センター客員教授などを歴任。専攻は占領下の日本教育史。その他にも「感性教育」、臨床教育学、ホリスティック教育学、「親学」などを研究している。 兵庫県龍野市(現・たつの市)出身。旧姓は土橋。兵庫県立龍野高等学校を経て1973年3月、早稲田大学第一文学部人文専修卒業。早稲田大学在学中、生長の家学生会全国総連合(生学連)委員長を務め、生学連のOB組織である「日本青年協議会」に参加。
小林 睦郎(こばやし むつろう 1946年9月12日 - )… 小林 睦郎(こばやし むつろう 1946年9月12日 - )は兵庫県出身のラジオパーソナリティー・フリーアナウンサー。
丸山 和也(まるやま かずや、1946年〈昭和21年〉1月2… 丸山 和也(まるやま かずや、1946年〈昭和21年〉1月23日 - )は、日本の元政治家、元法務官僚、弁護士(登録番号:13673、第一東京弁護士会)、タレント、演歌歌手。自由民主党所属の前参議院議員(2期)。弁護士法人丸山総合法律事務所代表。 兵庫県揖保郡新宮町(現たつの市)出身。現在、東京都在住。A型。身長166cm。家族は妻と長女。 兵庫県立龍野高等学校を経て1969年に早稲田大学法学部を卒業。国家公務員上級甲種試験に合格し、法務省職員となる。1970年に司法試験に合格。1976年4月にはワシントン大学ロースクールに入学。卒業後、ロサンゼルスの法律事務所に3年間勤務。1980年に日本に帰国。
堂野 夢酔(どうの むすい、1944年(昭和19年)8月18… 堂野 夢酔(どうの むすい、1944年(昭和19年)8月18日 - )は、日本の水墨画家。本名・堂野修吾。血液型B型。 出生地は父の赴任先であった兵庫県有馬郡三田村(現・三田市)であるが、終戦とともに一家は本籍地の兵庫県揖保郡越部村(現・たつの市)に帰郷したため、夢酔本人は「三田の記憶はなく母や姉から三田時代は話で知るのみです。」としている。新宮町立越部小学校・新宮町立新宮中学校・兵庫県立龍野高等学校を経て大阪工業大学機械科卒業。 1966年(昭和41年)の姫路大博覧会で見た硬貨計算機に興味を覚えその製造元であった国栄機械(現・グローリー株式会社)に入社。第二検査係、三井造船玉野出向を経て企画・開発部門で主に銀行向けOEM製品の開発等に従事、1978年(昭和53年)より東京事務所所属となり東京と姫路を往復する勤務を続ける。
藤縄 祐爾(ふじなわ ゆうじ、1941年(昭和16年)9月2… 藤縄 祐爾(ふじなわ ゆうじ、1941年(昭和16年)9月22日 - )は、日本の陸上自衛官。第26代陸上幕僚長、第23代統合幕僚会議議長。兵庫県出身。
原田 明夫(はらだ あきお、1939年11月3日 - 201… 原田 明夫(はらだ あきお、1939年11月3日 - 2017年4月6日)は、日本の弁護士。元検事総長。東京府東京市生まれ、兵庫県相生市育ち。 盛岡地方検察庁勤務時に新渡戸稲造の思想にふれ感銘を受け、司法、検察の中枢に身をおきながら、新渡戸研究を続けてきた。則定衛が東京高検検事長を女性問題で辞職したことにより、堀口勝正の代替として名古屋高検検事長から村山弘義がそのイスに座ったが、検事長定年制により、予想より早く原田に東京高検検事長の座が回って来た。そのため、検事総長在任も異例の3年に及んだ。また法務事務次官当時、政党行脚に出て、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律の成立に尽力した。 その他、国際民商事法センター理事長、グルー・バンクロフト基金評議員、社団法人日本倶楽部理事 などを務めている。
木南 岩男(きみなみ いわお、1930年(昭和5年)1月1日… 木南 岩男(きみなみ いわお、1930年(昭和5年)1月1日 - 2022年(令和4年)1月16日)は、日本の実業家。新宮運送創業者。全国商工会連合会副会長、兵庫県商工会連合会会長、兵庫県共済協同組合理事長、新宮観光協会副会長、たつの市商工会会長、その他多くの公職を歴任。1962年(昭和37年)に興した運送会社で創業以来、死亡事故0を続け、エコドライブコンテスト 環境大臣賞、エコドライブ活動コンクール最優秀賞、環境大臣賞『環境保全功労者表彰』、『あおぞら大賞』(兵庫県)、『鈴木賞』などの受賞歴がある。 2014年には旭日小綬章受賞。また、たつの市商工会会長時代には、地方創生の一環として、御津町室津の牡蠣と龍野の醤油をコラボレーションした「牡蠣しょうゆ」を開発し、ヒットさせ地域の活性化にも貢献したほか、公職でも多くの実績を残した。
後藤 茂(ごとう しげる、1925年7月3日 - 2015年… 後藤 茂(ごとう しげる、1925年7月3日 - 2015年6月5日)は、日本の政治家である。衆議院議員(6期)。原子燃料政策研究会理事、エネルギー・情報工学研究会議(解散)理事長を歴任した。
赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28… 赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28日 - 1981年(昭和56年)3月17日)は、日本の俳人。本名は赤尾俊郎。 兵庫県揖保郡網干町新在家(現:兵庫県姫路市網干区)で材木問屋を営む父・常治と母・とよの8人兄弟の二男として生まれた。網干尋常小学校、兵庫県立龍野中学校(現:兵庫県立龍野高等学校)を経て、1942年(昭和16年)旧制大阪外語専門学校中国語科へ入学する。この頃より俳誌『馬酔木』や『火星』に投句を始める。なお、同級生には蒙古語科の司馬遼太郎、一年上の印度語科に陳舜臣がいた。1944年(昭和19年)太平洋戦争激化のため、この年の9月に繰り上げ卒業し姫路に帰郷した。 1946年(昭和22年)京都大学文学部中国文学科入学、在学中の1948年(昭和23年)に水谷砕壺により俳誌『太陽系』の同人に推挙された。
奥田 八二(おくだ はちじ、1920年11月1日 - 200… 奥田 八二(おくだ はちじ、1920年11月1日 - 2001年1月21日)は日本の政治家、社会学者。福岡県知事を3期12年にわたって務めた。九州大学名誉教授。 1920年(大正9年)、兵庫県で生まれる。龍野中学校、姫路高等学校 (旧制)を経て、1944年(昭和19年)に九州帝国大学(現・九州大学)法文学部を卒業し、九州大学で社会思想史の研究に取り組み教授に就任した。また、社会主義協会の発足や、炭鉱失業者の救済を目指した「黒い羽根運動」に参加した。1967年(昭和42年)の社会主義協会分裂では太田派に属し、知事退任後は『進歩と改革』(太田派『社会主義』後継誌)にたびたび寄稿した。 1983年(昭和58年)、当時の社会党や共産党の推薦を得て、自民党推薦の亀井光の5選を阻止すべく福岡県知事選に出馬した。
安田 章生(やすだ あやお、1917年〈大正6年〉3月24日… 安田 章生(やすだ あやお、1917年〈大正6年〉3月24日 - 1979年〈昭和54年〉2月13日)は、昭和期の歌人、国文学者。文学博士。 尾上柴舟門下の歌人・安田青風の長男として兵庫県に生まれる。2歳のとき朝鮮・釜山に、4歳のとき京城に移る。1921年、兵庫県揖保郡龍野町(現たつの市)に転居。1925年、宍粟郡山崎町に移る。 龍野中学校(現兵庫県立龍野高等学校)、姫路高等学校文科を経て、東京帝国大学国語国文学科卒。大手前高等女学校教諭となる。戦中は土浦海軍航空隊教授嘱託、海軍教授を務める。1945年、天理語学専門学校(現天理大学)教授。1946年、樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)教授。
八木 好美(やぎ よしみ、1914年(大正3年)3月24日 … 八木 好美(やぎ よしみ、1914年(大正3年)3月24日 - 1996年(平成8年)5月17日)は、兵庫県揖保郡越部村觜崎(現たつの市新宮町觜崎)出身の詩人。 1914年(大正3年)、警察官であった父肔哉の長男として、越部村觜崎に生まれる。本名美衛。尋常小学校の頃、父の仕事のため一時姫路に住むが、後に帰郷し兵庫県立龍野中学校に入学。龍野中学校時代、作文を先生に褒められた事が文学を志すきっかけとなった。この頃から『愛誦』『若草』『山脈』『昭和詩人』等に詩を投稿するようになり、『山陰詩人』『詩創元』『ばく』等の同人に参加の他、自らも『火虹』『深苑』等の同人誌を主宰した。生涯の友である大塚徹、植原繁市らと出会ったのもこの頃である。
河本 敏夫(こうもと としお、1911年〈明治44年〉6月2… 河本 敏夫(こうもと としお、1911年〈明治44年〉6月22日 - 2001年〈平成13年〉5月24日)は、日本の政治家、実業家。 衆議院議員を連続17期務め、沖縄開発庁長官(第15代)、対外経済問題・民間活力導入担当大臣(第2次中曽根第1次改造内閣)、経済企画庁長官(第32・34代)、通商産業大臣(第34・36代)、郵政大臣(第28代)、衆議院議員(17期)、自由民主党政務調査会長などを歴任し、一時は「三角大福」に次ぐ自民党の実力者としても知られた。また、政界入り前は海運大手の1社だった三光汽船社長を務めており、政界入りに当たって辞任した後も事実上のオーナーであった。 正三位勲一等旭日大綬章受章。
上田 義文(うえだ よしふみ、1904年8月19日 - 19… 上田 義文(うえだ よしふみ、1904年8月19日 - 1993年4月26日)は、日本の仏教学者。名古屋大学名誉教授。 岡山県出身。旧制龍野中学(現:兵庫県立龍野高等学校)、旧制第六高等学校を経て、1933年東京帝国大学文学部印度哲学科卒、1948年「唯識思想研究」で九州大学文学博士。1945年龍谷大学教授、1949年名古屋大学文学部教授となり、文学部長を務め、1968年定年退官、名誉教授。1972年筑紫女学園短期大学学長となり、1986年、同大学退任。1975年勲三等旭日中綬章受勲。
三木 義雄(みき よしお、1904年または1905年6月6日… 三木 義雄(みき よしお、1904年または1905年6月6日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手。1920年代にハードル競走で活躍して日本記録を更新、1928年アムステルダムオリンピックに出場した。 兵庫県揖保郡揖西村構(現在のたつの市揖西町構)に生まれる。旧制龍野中学校(現在の兵庫県立龍野高等学校)に入学し、1923年の日本陸上競技選手権大会では走高跳に1メートル (m)65の記録で優勝する。この年の第6回極東選手権競技大会予選では走高跳で4位となり、代表選手に選出された。しかし「大会参加選手」に名前が載っているものの、大会本番での記録は残っておらず、実際に出場したかどうかは不明である。 慶應義塾大学に進学し、1925年には明治神宮競技大会の200mハードル種目で24秒6の記録を出した(当時の日本記録・世界記録という)。
丸山 義二(まるやま よしじ、1903年2月26日 - 19… 丸山 義二(まるやま よしじ、1903年2月26日 - 1979年8月10日)は、農民作家。 兵庫県揖保郡誉田村(現・たつの市)生まれ。龍野中学校(現・兵庫県立龍野高等学校)中退。農家を営み、醤油会社勤務を経て上京、「萬朝報」の記者となる。編集長を経て昭和初年退社、日本プロレタリア作家同盟に参加し、貴司山治、伊藤永之介、鶴田知也と交わる。1938年「田植酒」で芥川賞候補。農民文学懇話会の結成に参加。また上京直後の水上勉を日本農林新聞に世話した。戦後は日本農民文学会に参加。 三男(事実上の長男)に丸山工作、その下に丸山匠がいる。
平田 内蔵吉(ひらた くらきち、1901年4月26日 - 1… 平田 内蔵吉(ひらた くらきち、1901年4月26日 - 1945年)は、日本の医学者(民間療法家)、詩人。兵庫県赤穂市出身。弟の平田晋策は『新戦艦高千穂』などの作品がある戦争小説家。長男の平田穂生はシナリオライター。孫の平田オリザは劇作家である。 その他、民間療法の他に、坐の哲学と日本精神の真髄を追究したり、吉凶判断も研究したりしていた。平田は、自らが創始した療法体系を「皇方医学」(皇法医学)と名付けた。平田に学んだ奥山龍峰 (初代)が開いた八光流柔術に「皇方医学」(皇法医学)や吉凶判断は受け継がれたが、八光流の皇方医学は、指圧を中心に、整骨法、体操(護身体操、脊椎運動法)などのみで、平田の皇方医学の全てを伝えていない。
寺田 弥吉(てらだ やきち、明治33年(1900年)10月2… 寺田 弥吉(てらだ やきち、明治33年(1900年)10月20日 - 昭和46年(1971年)9月12日)は、日本の思想史家。 兵庫県揖保郡新宮村(のち新宮町、現在のたつの市)生まれ。旧制龍野中学校(現・兵庫県立龍野高等学校)を経て、1922年東京商科大学(現・一橋大学)予科修了。1936年第一書房教育部主任。1938年大日本帝国陸軍参謀本部主任研究員。1940年日本学研究所副所長兼任。1942年総力戦学会常務理事。第二次世界大戦後公職追放され、1951年に解除。親鸞などの日本思想史を研究し、孤高の哲学者と称された。たつの市の東山公園に寺田弥吉記念碑が建つ。
三木 清(みき きよし、1897年(明治30年)1月5日 -… 三木 清(みき きよし、1897年(明治30年)1月5日 - 1945年(昭和20年)9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者、評論家。法政大学法文学部教授。京大哲学科卒。西田幾多郎・ハイデガーに師事。留学中にパスカルを研究、帰国後『パスカルに於ける人間の研究』(1926年)を刊行。戦時中に治安維持法違反で保釈逃走中の知人を支援したことで逮捕拘禁され獄死したが、著書『人生論ノート』はロングセラーになった。 兵庫県揖保郡平井村小神(後の龍野市、現・たつの市揖西町)にて父親、三木英吉、母親しんの長男として1897年(明治30年)1月5日に誕生する。生家は農業を家業としており清の祖父の代に米穀商を営んでいたため、村の「米屋」として知られており資産家の部類に入る家柄であった。
鹿島 守之助(鹿嶋 守之助、かじま もりのすけ、明治29年(… 鹿島 守之助(鹿嶋 守之助、かじま もりのすけ、明治29年(1896年)2月2日 - 昭和50年(1975年)12月3日)は、日本の外交官、実業家、政治家、参議院議員(3期)。位階は正三位。北海道開発庁長官(第14代)、外交史研究家。文化功労者。法学博士。鹿島建設会長。鹿島建設「中興の祖」。戦前よりアジアの地域統合「パン・アジア」(汎アジア)を提唱し、生涯にわたりその思想のもとに行動する。旧姓永富(ながとみ)。 兵庫県揖保郡半田村新在家(のちたつの市揖保川町新在家)に父・永富敏夫、母・くわんの四男として生まれた。 父・敏夫について、鹿島守之助の『私の履歴書』によれば、「明治8年(1875年)父敏夫が、わずか12歳の年少の身で家督をついだ時には、さしも広大を誇った永富家の所有田地も、30町歩余に激減し、倉に残されていた100余振りの刀剣も、そのほとんど目ぬきの金が無残に切りとられて、売り払われていた。
西田 正雄(にしだ まさお、1895年(明治28年)10月2… 西田 正雄(にしだ まさお、1895年(明治28年)10月26日 - 1974年(昭和49年)3月19日)は、日本の海軍軍人。海兵44期恩賜・海大26期恩賜。最終階級は海軍大佐。 1895年(明治28年)10月26日、兵庫県揖保郡神岡村東嘴崎(現たつの市神岡町)に生まれる。小学校のころより抜群の成績を誇った。旧制龍野中学校でも成績はトップであり、龍野中学校のクラスメートであった哲学者の三木清でさえも次席でついに西田を抜くことができなかった。また『陸の田中、海の西田』(田中とは、終戦時の第12方面軍司令官 兼 東部軍管区司令官であった田中静壱陸軍大将〈陸士19期恩賜・陸大28期恩賜〉)と並び評された。
島津 信夫(しまづ のぶお、1893年(明治26年)1月3日… 島津 信夫(しまづ のぶお、1893年(明治26年)1月3日 - 1990年(平成2年))は大正から昭和期の海軍軍人。正五位勲三等。最終階級は海軍大佐。
三木 露風(みき ろふう、1889年6月23日 - 1964… 三木 露風(みき ろふう、1889年6月23日 - 1964年12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。国木田独歩の曾祖母が三木家出身。その縁もあり1912年『独歩詩集』を刊行した。早稲田詩社結成に加わり、『廃園』(1909年)を刊行。ほかに詩集『寂しき曙』(1910年)、『白き手の猟人』(1913年)など。 近代日本を代表する詩人・作詞家として、北原白秋と並んで「白露時代」を築いた。若き日は日本における象徴派詩人でもあった。 1889年(明治22年)6月23日、兵庫県揖西郡龍野町(現・たつの市)に父・三木節次郎、母・かたの長男として生まれた。
松嶋 鹿夫(まつしま しかお、1888年1月16日 - 19… 松嶋 鹿夫(まつしま しかお、1888年1月16日 - 1968年11月28日)は、日本の外交官。外務次官や終戦連絡中央事務局次長、貴族院議員等を務めた。
田中 静壱(たなか しずいち、1887年(明治20年)10月… 田中 静壱(たなか しずいち、1887年(明治20年)10月1日 - 1945年(昭和20年)8月24日)は、日本の陸軍軍人。官位は陸軍大将、従三位、勲一等瑞宝章、功三級金鵄勲章。 子息には光祐(陸士46期)、俊資(48期)、祐輔(51期)、静雄(53期)がおり、いずれも陸軍少佐(終戦時)であった。また、第三次ソロモン海戦にて戦艦「比叡」艦長として戦った海軍大佐西田正雄(海兵44期)は義弟である。田中、西田両名とも陸大・海大の軍刀組であったことから、『郷土龍野の誉れ』と地元の新聞にその逸材ぶりを報道された。 1887年(明治20年)10月1日、田中菊太郎の次男として兵庫県揖保郡揖西村(現たつの市)に生まれた。
藤江 恵輔(ふじえ けいすけ、1885年(明治18年)11月… 藤江 恵輔(ふじえ けいすけ、1885年(明治18年)11月8日 - 1969年(昭和44年)2月27日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。
富井 於菟(とみい おと、慶応2年6月7日〈1866年7月1… 富井 於菟(とみい おと、慶応2年6月7日〈1866年7月18日〉 - 明治18年〈1885年〉12月2日)は、日本の社会運動家、教師。婦人解放運動のさきがけとしてその名を知られる。別名に富井とら(虎子)。 播磨国龍野の醤油問屋の娘として生まれる。兄一人、姉三人、妹一人いる。幼い頃から学問が好きで、1878年に公立龍野中学校入学、1881年(明治14年)同校を卒業し、翌年小学高等科教員免許を受ける。京都にのぼり岸田俊子のもとで学ぶ、その後上京し、自由燈の校正係となり、その後絵入自由新聞の記者として奉職。日本で最初の女性新聞記者と呼ばれる。新聞記者従事中に、福田英子と知り合い、婦人解放運動を活動させる。
小原 啓渡(こはら けいと)は、「アートを切り口に、新しい価… 小原 啓渡(こはら けいと)は、「アートを切り口に、新しい価値観を創造する」ことを理念とした団体、「アートコンプレックス」の統括プロデューサー。 株式会社アートコンプレックス、リッジクリエイティブ株式会社、有限会社1928の代表取締役、NPO法人ライブエンターテイメント推進協議会(通称LEO)理事長を務める。 兵庫県出身、京都市在住。同志社大学法学部政治学科中退