西村 幹也(にしむら みきや、1979年9月5日 - )は、… 西村 幹也(にしむら みきや、1979年9月5日 - )は、鳥取県米子市出身のサッカー審判員。 この項目は、サッカーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル サッカー/ウィキプロジェクト サッカー/ウィキプロジェクト 女子サッカー)。
職業がサッカー:6,583人
西村 幹也(にしむら みきや、1979年9月5日 - )は、… 西村 幹也(にしむら みきや、1979年9月5日 - )は、鳥取県米子市出身のサッカー審判員。 この項目は、サッカーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル サッカー/ウィキプロジェクト サッカー/ウィキプロジェクト 女子サッカー)。
小澤 修一(おざわ しゅういち、1979年8月29日 - )… 小澤 修一(おざわ しゅういち、1979年8月29日 - )は、神奈川県横浜市出身の経営者、元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 父親をコーチとして小学生の頃から本格的にサッカーを始め、中学生の頃からプロになることを意識し始める。しかし、旭高校では結果を残せず、神奈川大学では同好会のような形でサッカーをプレーしていた。3年次、卒業後の進路について悩む中、再度サッカーに対して真剣に取り組み始め、4年次の2月に静岡FCへの入団が決まった。 2003年から静岡FCで2年間プレーしたのち、移籍を希望するチームが他にあったものの、チームメイトに誘われて受けた松本山雅FCのセレクションに合格。
藤田 健(ふじた けん、1979年8月27日 - )は、静岡… 藤田 健(ふじた けん、1979年8月27日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 1998年に河村崇大らと共に磐田ユースから昇格(ただしプロではなくアマチュア登録)。[要出典]わずか数ヶ月で「進路変更のため」退団。その後ブラジルへ留学、元磐田の先輩である鈴木将方の所属する浜松のフットサルクラブでのプレーを経て、2000年オフに甲府のセレクションに合格[要出典]し、プロサッカー選手となった。 た当初はサイドバックなどでプレーしていた[要出典]が、次第に倉貫一毅らと共に甲府の上位進出に貢献した。2002年から10番を着用、2010年のシーズンを最後に戦力外通告。 2011年、リーガ・インドネシアのトップ・リーグ、インドネシア・スーパーリーグのスリウィジャヤFCのテストに参加していたが、契約には至らなかった。
室川 一樹(むろかわ かずき、1979年8月27日 - )は… 室川 一樹(むろかわ かずき、1979年8月27日 - )は、長野県長野市出身のサッカー選手。旧姓は兼子(かねこ)。 ポジションはFW。
加藤 知弘(かとう ともひろ、1979年8月22日 - )は… 加藤 知弘(かとう ともひろ、1979年8月22日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡産業大学を卒業後、デンソーサッカー部(後のFC刈谷)に加入。2010シーズン終了後に現役を引退し、FC刈谷の監督に就任。 2013シーズン終了後に監督を退任。 2014年、藤枝MYFCのコーチに就任。 2015年、静岡産業大学サッカー部のコーチに就任。
長谷川 太郎(はせがわ たろう、1979年8月17日 - )… 長谷川 太郎(はせがわ たろう、1979年8月17日 - )は、東京都出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。 柏レイソルユースから1998年にトップチームに昇格。ナビスコカップで得点を挙げるもののリーグ戦では4年間で1得点を挙げるに留まり、2002年にアルビレックス新潟に期限付き移籍。 2003年にヴァンフォーレ甲府へ完全移籍 するも活躍できずにいた。しかし半年契約の最後のチャンスとして出場した2004年6月24日のコンサドーレ札幌戦において決勝ゴールを挙げると一転契約延長となり、この年は17試合で3得点を挙げ、翌年の活躍に繋がることとなる。2005年シーズンにバレー、石原克哉と3トップを築き、大ブレーク。
勝見 壮史(かつみ そうし、1979年8月12日 - )は、… 勝見 壮史(かつみ そうし、1979年8月12日 - )は、群馬県前橋市出身の元サッカー選手。朝日新聞記者。 現役時代のポジションは、DF。 的確なコーチング、ポジショニング、カバーリングで勝負し、ヘディングに自信を持つ。 大学時代の同期に野嶋良がいる。 現役引退後、朝日新聞の記者となり、2016年頃からスポーツ部の記者として署名入り記事を執筆するようになった。
小野 智吉(おの ともよし、1979年8月12日 - )は、… 小野 智吉(おの ともよし、1979年8月12日 - )は、神奈川県横浜市戸塚区出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。かつて横浜FCに在籍した小野信義と区別するため「トモキチ」と呼ばれている。 1998年にベルマーレ平塚に入団、2000年まで3年間在籍。2002年に横浜FCに入団。横浜FCには9年間在籍し、クラブ内で最古参であった。2010年12月11日、現役引退を発表。
古賀 誠史(こが せいじ、1979年8月7日 - )は、福岡… 古賀 誠史(こが せいじ、1979年8月7日 - )は、福岡県大川市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。元サッカー選手の古賀正紘は実兄。 1996年全日本ユースサッカー選手権準優勝(2年生)。1997年インターハイ優勝。1997年全日本ユースサッカー選手権優勝。第76回全国高校サッカー選手権大会の優勝メンバー。 AFCユース選手権1998の日本代表としても活躍した。フィリップ・トルシエ監督就任後のユース代表にも選ばれていたが、1999 FIFAワールドユース選手権のメンバーには選ばれなかった。 高校卒業後、横浜マリノス(当時)に入団。1年目から出場機会は得ていたものの、守備に難があったことや負傷もあってレギュラー定着はならなかった。
高原 良明(たかはら よしあき、1979年8月6日 - )は… 高原 良明(たかはら よしあき、1979年8月6日 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。 第101回全国高等学校サッカー選手権大会(2023年)で優勝経験がある。 1979年、福岡県出身。東海大五から東海大学に進み、当時Jリーグ加入を目指してRFK(リバー・フリー・キッカーズ)より改組したファジアーノ岡山FCに入団。サッカー選手として活躍する傍ら、ファジアーノ設立の関係者の一人、岡山学芸館高等学校の理事長よりオファーを受けコーチを兼任。 2008年、現役引退。岡山学芸館の監督に就任。 2012年、高校総体初出場。 2023年、第101回全国高等学校サッカー選手権大会優勝に導く。
曽ヶ端 準(そがはた ひとし、1979年8月2日 - )は、… 曽ヶ端 準(そがはた ひとし、1979年8月2日 - )は、茨城県鹿嶋市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。 現役時代は鹿島アントラーズ一筋でプレーした。2002 FIFAワールドカップのメンバー。 1998年に鹿島アントラーズにアカデミーからトップチーム昇格の形で入団(同期入団は小笠原満男、中田浩二、本山雅志、山口武士、中村祥朗)。2001年、当時の正GK高桑大二朗に替わり、レギュラーに定着。以後、正GKとして活躍していた。 2012年3月31日のJ1第4節・横浜M戦でクラブ公式戦通算最多出場(475試合)、8月18日のリーグ・浦和戦でリーグ戦クラブ最多出場(360試合)、同月25日のリーグ・新潟戦でクラブ公式戦通算500試合をそれぞれ達成した。
播戸 竜二(ばんど りゅうじ、1979年8月2日 - )は、… 播戸 竜二(ばんど りゅうじ、1979年8月2日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、俳優、サッカーチーム経営者。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。日本サッカー協会(JFA)のアスリート委員、2021年2月1日からWEリーグの理事。2021年6月24日からは、Jリーグ選手OB会の副会長(定数は4人)にも名を連ねている。 2011年に、株式会社ミスタートゥエルブを設立したうえで代表取締役に就任。Jリーグ一筋で2019年に現役を引退した後は、2020年3月12日から2022年3月11日までJリーグの特任理事を務めていた。 2026年よりIKOMA FC 奈良の代表取締役社長を務める。
青葉 幸洋(あおば ゆきひろ、1979年7月26日 - )は… 青葉 幸洋(あおば ゆきひろ、1979年7月26日 - )は、埼玉県東松山市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー。
安部 裕之(あべ ひろゆき、1979年7月25日 - )は、… 安部 裕之(あべ ひろゆき、1979年7月25日 - )は、京都府京都市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 2020年2月、本田技研工業フットボールクラブ (Honda FC) の監督に就任した。 本田技研工業サッカー部 本田技研工業フットボールクラブ この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
星野 泰聖(ほしの たいせい、1979年7月24日 - )は… 星野 泰聖(ほしの たいせい、1979年7月24日 - )は、神奈川県出身のサッカー指導者。 選手時代は横浜F・マリノスジュニアユース追浜、桐蔭学園高校、尚美学園大学などでプレーした。 2013年、Y.S.C.C.横浜U-18の監督に就任。2014年より、トップチームのGKコーチに就任した(同年はU-18監督と兼任)。
藤田 芳正(ふじた よしまさ、1979年7月23日 - )は… 藤田 芳正(ふじた よしまさ、1979年7月23日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 中学校時代に高円宮杯の埼玉県大会3位、高校時代にサッカー部で全国高校総合体育大会準優勝2回、第76回全国高校サッカー選手権大会準優勝の経験がある。 帝京高校時代は、2学年上に松波和幸(松波正信の弟)、依田光正、留学生の吉成大と江田広(共にペルー人)、同級生には中田浩二、木島良輔、貞富信宏がいる。順天堂大学時代には、全日本大学選抜として東アジア競技大会、ユニバーシアードの優勝経験もある。 2002年に順天堂大学からモンテディオ山形に加入。2年間在籍し、2002年にJ2リーグで21試合に出場し、怪我のため2003年の終了後に退団した。
田澤 勇気(たざわ ゆうき、1979年7月16日 - )は、… 田澤 勇気(たざわ ゆうき、1979年7月16日 - )は、静岡県出身のサッカー選手。アンフィニVANKEI.FC所属。 2001年度北海道大学リーグの得点王及びベストイレブン。コンサドーレ札幌には練習生契約で加入。 プレーは豪快でアフリカの選手を思わせるような身体能力が特徴。本人曰く、その日の「ノリ」により、好調時と不調時の波が大きい。シュートも「ノリ」で打ったら入ることがよくあるらしい。 現在は、道央ブロックリーグのアンフィニVANKEI.FCに所属。 また、愛称の「液晶テレビ」はサッカー選手の中では極めて、体が細く薄いことから由来している。
板橋 裕也(いたばし ゆうや、1979年7月16日 - )は… 板橋 裕也(いたばし ゆうや、1979年7月16日 - )は、埼玉県川越市出身の元サッカー選手。元U-17日本代表。 前橋育英高校時代には、U-17日本代表としてU-17世界選手権で2試合に出場。3年時には第75回全国高校サッカー選手権大会でベスト8入りし、大会優秀選手に選ばれた。大会優秀選手には中村俊輔、小笠原満男、遠藤保仁、村井智晃(桐光学園-東京農業大学-ホンダルミノッソ狭山)がいる。 国士舘大学に進学し、2年時には関東大学リーグで4得点を挙げ得点ランキング3位に入る。卒業後はJFLの栃木SCに入団し、3年間在籍した。 2008年、ホンダルミノッソ狭山FCを退団し引退。引退後は埼玉県のNPO法人でサッカースクールのコーチを務める。
臼井 幸平(うすい こうへい、1979年7月16日 - )は… 臼井 幸平(うすい こうへい、1979年7月16日 - )は、神奈川県出身の元プロサッカー選手。ポジションはDF、MF。神奈川県立汲沢高等学校出身。 ベルマーレ平塚ユースから1998年にトップチームに昇格。しかし、親会社の撤退で財政難に陥ったチームはJ2に降格、臼井本人は出場機会が乏しく、2000年シーズン終了後に戦力外になり、退団。 2001年は無所属状態になったが、2002年に横浜FCへ入団。右サイド(ハーフ、バック)のレギュラーとして活躍した。 2005年、モンテディオ山形へ完全移籍。山形では右サイドバックのレギュラーに定着。当時、右サイドハーフを務めた佐々木勇人とのホットラインで、山形のサイド攻撃を担った。
中田 浩二(なかた こうじ、1979年7月9日 - )は、滋… 中田 浩二(なかた こうじ、1979年7月9日 - )は、滋賀県滋賀郡志賀町(現:大津市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(ボランチ)、ディフェンダー(センターバック、左サイドバック)。元日本代表。 妻は女優・タレントの長澤奈央。 滋賀県大津市出生。小学校低学年のころは父親の転勤の関係で転校を繰り返しており、サッカーを始めたのは神奈川県横浜市の横浜市立南戸塚小学校2年の時である。小学校3年の時、鳥取県米子市の米子市立義方小学校に転校し、そこで本格的にサッカーを始めるようになる。小学校5年の時、全日本少年大会に出場する。米子市の米子市立後藤ヶ丘中学校に進学し、中学3年の時に全国中学校大会に出場する。
石谷 吾一(いしたに ごいち、1979年7月6日 - )は、… 石谷 吾一(いしたに ごいち、1979年7月6日 - )は、鹿児島県出身の実業家、元プロサッカー選手。ポジションはFW。 鹿児島実業高等学校では1年生でありながら、平瀬智行と2トップを組み、第74回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝した。高校卒業後、1年半ブラジルのユースチームにサッカー留学。2000年にサガン鳥栖に入団。得点源として期待されたが故障が多く数試合の出場に留まった。現在は引退し、実家の建築業、株式会社イシタケで代表取締役をつとめている。
貞富 信宏(さだとみ のぶひろ、1979年7月5日 - )は… 貞富 信宏(さだとみ のぶひろ、1979年7月5日 - )は、東京都出身の元サッカー選手である。ポジションはMF。 帝京高校時代は、2学年上に松波和幸(松波正信の弟)、依田光正、留学生の吉成大と江田広(共にペルー人)、同級生には中田浩二、木島良輔、藤田芳正がいる。 2009年からは横浜FCサッカースクール スクールコーチ。
石川 裕司(いしかわ ゆうじ、1979年7月2日 - )は、… 石川 裕司(いしかわ ゆうじ、1979年7月2日 - )は、島根県益田市出身の元サッカー選手(DF) 。 益田市立吉田南小学校、益田市立益田中学校から1995年、サンフレッチェ広島ユースに入団、同級生は秋元雅博・大畑隼哉・行友亮二ら。守備的なMFやウイングバックとして活躍した。2年後輩に駒野友一、森崎和幸・浩司兄弟がいる。高校1年時には小林伸二ユース監督の下、Jユースカップ優勝、3年時には木村孝洋ユース監督のもとレギュラーとしてJユースカップ準優勝に貢献した。 1998年にトップ昇格、他のユース昇格組はトレーニー契約の中、石川だけがプロ契約した。同期入団は、大久保誠・池端陽介・植田元輝・大畑・行友・秋元・山下一弥。
桜井 繁(さくらい しげる、1979年6月29日 - )は、… 桜井 繁(さくらい しげる、1979年6月29日 - )は、茨城県出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。 2002年、駒澤大学からモンテディオ山形に入団。2年目の2003年に、NEC時代から長年レギュラーを務めてきた鈴木克美を抑えて正GKを獲得。それ以降チームの正GKとして活躍。2004年にはJ1への昇格争いをするまでチームを牽引する。しかし、2006年になると柏レイソルからレンタル移籍してきた清水健太にポジションを奪われてしまう。 2007年、ヴァンフォーレ甲府に期限付き移籍。当初は阿部謙作と鶴田達也に次ぐ3番手であったが、2008年に正GKの座を奪い取り開幕からスタメンで出場。持ち前の安定した守備で活躍。
酒井 友之(さかい ともゆき、1979年6月29日 - )は… 酒井 友之(さかい ともゆき、1979年6月29日 - )は、埼玉県三郷市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(ボランチ、右サイドハーフ)。元日本代表。 埼玉県三郷市で生まれ、小学2年生のときに東京都練馬区に転居。小学1年生のときにサッカーを始め、中学年代からはジェフユナイテッド市原のアカデミーに所属。1997年5月3日のJリーグ第6節清水エスパルス戦にてJリーグ初出場、同年5月7日のサンフレッチェ広島戦で初ゴールを記録。同年は高校生ながら18試合に出場して2ゴールの成績を残す。 2000年まで在籍した市原では毎年のように残留争いに巻き込まれ、より上位のチームでプレーしたいという希望から2001年に名古屋グランパスエイトに移籍。
山根 伸泉(やまね のぶみつ、1979年6月28日 - )は… 山根 伸泉(やまね のぶみつ、1979年6月28日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。 市立船橋高校では2年時に第75回全国高等学校サッカー選手権大会の決勝のピッチに立ち、優勝を経験。国士舘大学サッカー部に進学後も早い段階から活躍をみせ、4年時に2001年に北京で開催された夏期ユニバーシアードでも代表チームの中心選手として優勝を果たした。 大学卒業後の2002年シーズン、ユニバ代表でのチームメイトでもあった坪井慶介、堀之内聖、平川忠亮などとともに浦和レッズに入団するも、出場機会の得られないまま1年で退団した。 2003年には活躍の場を求めてJFLの佐川急便東京SCに移籍。
辻本 茂輝(つじもと しげき、1979年6月23日 - )は… 辻本 茂輝(つじもと しげき、1979年6月23日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。 小学5年生からサッカーを始め、吹田市立第六中学校時代からディフェンダーとしてプレーするようになる。近畿大学付属高校を経て、1998年に横浜フリューゲルスに加入。 加入初年度に横浜マリノスとの合併によりクラブが消滅したため、他の新人選手らとともに1999年より京都パープルサンガに移籍。京都には7シーズン在籍し、J1・J2合わせてリーグ戦73試合に出場した。2005年シーズン終了後、契約満了に伴い退団。 U-20日本代表の一員として1999 FIFAワールドユース選手権で準優勝の経験を持つ。
櫻井 庄吾(さくらい しょうご、1979年6月23日 - )… 櫻井 庄吾(さくらい しょうご、1979年6月23日 - )は、日本の元サッカー選手、指導者。旧姓元田(もとだ)。現役時代のポジションはGK。奈良県出身。 父は元プロ野球選手の元田昌義。 長崎県立国見高等学校から関西学院大学を経て、一般企業に就職したがサッカーへの夢を捨てきれず、SC鳥取のセレクションを受ける。練習生として2ヶ月ほど帯同した後、正式契約。主力として2年間プレーしていたが、家庭の事情により退団し地元・奈良のクラブへ移籍した。都築龍太は高校の1年先輩。 古巣・高田FCで1シーズン過ごした後にスタッフへ転身を果たし、2006年から高田FCで指導者を始め2008年から高田FC女子部門の監督を務めた。
金位漫(キム・ウィマン、김위만、1979年6月23日 - )… 金位漫(キム・ウィマン、김위만、1979年6月23日 - )は東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションは(ディフェンダー)。2006年をもって現役を引退した。 走り負けないスタミナと攻撃センスを生かしオーバーラップを得意とする。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
相原 豊(あいはら ゆたか 1979年6月21日 - )は、… 相原 豊(あいはら ゆたか 1979年6月21日 - )は、日本・神奈川県出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはミッドフィールダー。日本では神奈川県リーグの出場経験しかなかったがプロ選手となることを目指しタイ、バングラデシュ、ウガンダリーグにおける日本人初のプロ選手となった。相原 ユタカ表記も用いられる。 先天的に左腕の手首から先を持っていない。ハンディキャップをかかえながらもプロサッカー選手を目指し、サッカーを続ける。 選手を引退するまでにタイ・バングラデシュ・ウガンダと、本人曰く「裏海外組として、マニアックな国で」キャリアを積む。日本からは存在すら確認できないトップリーグのチームの中で、海外組のイメージとはかけ離れた過酷な環境で過ごす。
本山 雅志(もとやま まさし、1979年6月20日 - )は… 本山 雅志(もとやま まさし、1979年6月20日 - )は、福岡県北九州市若松区出身の元プロサッカー選手。 現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。現鹿島アントラーズアカデミースカウト。 1979年6月20日、北九州市若松区で鮮魚店を営む一家に4人兄弟の末子として生まれる。3つ上の兄の影響で幼稚園の頃からサッカーを始め、地元の二島小学校に入学後1年生からサッカー少年団に所属、本格的に打ち込む。5年生の頃には、指導者から「お前は自由にやっていい。パスはやんないでどんどんドリブルで好きなように仕掛けろ」と言われていた。二島中学校時代には、1年後輩で後に高校の後輩にもなる宮原裕司、同じく2年後輩の山形恭平らと一緒だったが、全国大会には出場出来なかった。
時崎 悠(ときさき ゆう、1979年6月15日 - )は、福… 時崎 悠(ときさき ゆう、1979年6月15日 - )は、福島県福島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。元サッカー選手の時崎塁は実弟。 2007年、FCペラーダ福島(現・福島ユナイテッドFC)で選手兼任監督を務めていた。2008年は選手専任となったが、シーズン途中に監督の齋藤誠が解任されたため、選手兼監督代行として再びチームの指揮を執る事となった。2011年シーズンのリーグ戦途中からは本来のゴールキーパーが故障により離脱したため控えGKとして登録され、第47回全国社会人サッカー選手権大会、第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会では実際にGKとして試合に出場した。
岸田 茂樹(きしだ しげき、1979年6月10日 - )は、… 岸田 茂樹(きしだ しげき、1979年6月10日 - )は、兵庫県伊丹市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。元サッカー選手の岸田裕樹は弟。 大卒1年目ながら開幕からSC鳥取の主力選手として活躍していたが、9月にウイルス性感染症により戦線離脱した。 翌年以降栃木SCなど数々のクラブを渡り歩き、2010年から栃木ウーヴァFCに在籍していた。 2014年より奈良クラブに完全移籍。同年6月、奈良クラブを退団。同年7月、MIOびわこ滋賀へ移籍 したが、12月にMIOびわこ滋賀を退団した。 2015年、ラインメール青森FCへ移籍。同年12月、ラインメール青森を退団。 2016年、栃木県社会人サッカーリーグ1部所属のAS CASAに加入。
山口 武士(やまぐち たけし、1979年6月10日 - )は… 山口 武士(やまぐち たけし、1979年6月10日 - )は、熊本県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはミッドフィールダー。 高校在学時はユース代表に選ばれるなどチームの中心選手として活躍。高校卒業後、鹿島アントラーズとプロ契約を結ぶ。同期には小笠原満男、本山雅志、中田浩二、曽ヶ端準、中村祥朗といったユース代表の常連だった選手たちがいる。怪我が多く、2000年にレンタル移籍した大分トリニータ時代も含めJリーグでの出場はなかった。2002年にJFLのソニー仙台へ移籍。 2005年には地元熊本のロッソ熊本へ移籍。2009年11月17日、今シーズン限りでの現役引退を発表。 引退後は、2010年から2012年までロアッソ熊本のアカデミーコーチを務め、2013年からは同チームのトップチームコーチに就任。
手島 和希(てしま かずき、1979年6月7日 - )は、元… 手島 和希(てしま かずき、1979年6月7日 - )は、元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 高校時代にキャプテンとしてインターハイ、全日本ユース選手権、高校選手権で優勝し、史上初の3冠を達成。大会優秀選手にも選出された。本山雅志と古賀誠史、古賀大三は同期、金古聖司、千代反田充、宮原裕司は1年後輩である。 1998年に横浜フリューゲルスに入団するがチームは1年で解散する。1999年には京都パープルサンガへ移籍。同年開催のワールドユースに出場し フラットスリーの中央CBとして活躍、チームの準優勝に貢献した。 2003年に日本代表に選出されるが、怪我やチーム状況から辞退し、最終的に国際Aマッチ出場には至らなかった。
池端 陽介(いけはた ようすけ、1979年6月7日 - )は… 池端 陽介(いけはた ようすけ、1979年6月7日 - )は、静岡県浜松市出身のサッカー選手。ポジションはDF、FW。 清水商業高校時代は小野伸二、平川忠亮とともに活躍。 1998年にサンフレッチェ広島に入団した。同期入団は、大久保誠、石川裕司、植田元輝、大畑隼哉、行友亮二、秋元雅博、山下一弥。U-19日本代表に選ばれるが、直後に靭帯を切断という不運に見舞われる。その後、川島眞也の成長もあり事実上構想外になっていたところへ、以前より能力を高く評価していたヴェルディ川崎から打診があり、2000年にV川崎へ期限付き移籍した。しかし、1stステージは4試合出るものの、2ndステージでは構想外となってしまった。
山本 浩正(やまもと ひろまさ、1979年6月5日 - )は… 山本 浩正(やまもと ひろまさ、1979年6月5日 - )は、愛知県岡崎市出身の元サッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー(フットサルではゴレイロ)。 清水東高等学校時代には高原直泰と同期だった。1998年にジュビロ磐田に加入。当初は大神友明とアルノ・ヴァン・ズワムの後塵を拝していたが、大神が退団した2002年は一時ヴァンズワムからレギュラーを奪い、磐田完全優勝時は正GKとして試合に出場していたが、2003年はヴァンズワムにポジションを奪回された。ヴァンズワムが退団した2004年は前年から加入した佐藤洋平に正GKを奪われてしまい、岩丸史也と入れ替わる形でヴィッセル神戸へレンタル移籍するが出場機会に恵まれずに復帰。
高原 直泰(たかはら なおひろ、1979年6月4日 - )は… 高原 直泰(たかはら なおひろ、1979年6月4日 - )は、静岡県三島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカークラブ代表者。ポジションはフォワード。沖縄SV株式会社CEO。元日本代表。 Kリーグ時代の登録名は高原(ハングル: 다카하라)。 血液型はB型。アルゼンチンから日本に復帰した2002年にはJリーグMVPとJリーグ得点王を獲得。2006年FIFAワールドカップ出場。 静岡県立清水東高等学校を卒業。同校在学中は全国高等学校サッカー選手権大会の出場はならなかった。1998年にジュビロ磐田に加入し、3月21日の開幕戦(京都戦)で途中出場。 2001年、J1リーグ1stステージ第13節横浜F・マリノス戦で優勝を決める延長Vゴールをあげた。
若林 学(わかばやし まなぶ、1979年6月3日 - )は、… 若林 学(わかばやし まなぶ、1979年6月3日 - )は、栃木県上都賀郡粟野町出身の元サッカー選手。ポジションは、フォワード(FW)。 栃木県立宇都宮工業高等学校卒業後、1998年に仕事をしながらサッカーができる環境のあった日立栃木サッカー部(後の栃木ウーヴァFC)へ入部。日立栃木で中盤からフォワードにコンバートされ、栃木県リーグで3度の得点王、チームとしては2度のリーグ優勝、関東リーグ2部への昇格を経験した。2003年には栃木県国体選抜チームに選ばれ、初優勝に貢献する。 2004年、社員として日立栃木に在籍したままJFL・栃木SCに移籍。当時の職業はリフォーム工事の現場監督で、長身のため別名は「脚立イラズ」であったという。
細江 克弥(ほそえ かつや、1979年6月2日 - )は、神… 細江 克弥(ほそえ かつや、1979年6月2日 - )は、神奈川県藤沢市出身の雑誌編集者、サッカージャーナリスト、サッカー解説者。 主な担当分野は、セリエAやジェフユナイテッド市原・千葉、高校サッカーである。 小学校3年生でサッカーを始める。当初は野球をすることも考えていたが、練習見学で遠投をしているところを見た細江の父が肩を壊すことへの危惧を示したこと、そしてキャプテン翼の影響もあり、サッカーの道へ進むことになる。ポジションはセンターフォワードだった。 中学生になると、Jリーグ開幕もあり全国的に町クラブ創設の機運が高まると、藤沢市、茅ヶ崎市、鎌倉市から実力者を集めたクラブFC湘南Jr.Y が創設され、入団することとなる。
木島 良輔(きじま りょうすけ、1979年5月29日 - )… 木島 良輔(きじま りょうすけ、1979年5月29日 - )は、元プロサッカー選手。ポジションはフォワード。 同じくサッカー選手の木島徹也は実弟である。日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。 高校時代は帝京高校の10番として活躍。2学年上には松波和幸(松波正信の弟)、依田光正、留学生の吉成大と江田広(共にペルー人)、同級生には中田浩二、貞富信宏、藤田芳正がいる。 1998年開幕前にテスト生を経て横浜マリノスに入団。古賀誠史、井手口純が同期。2000年のシーズン終盤からサイドハーフとして出場機会を増やす。2002年9月に大分トリニータに期限付き移籍し、大分のJ1昇格に貢献するが、シーズン終了後に大分と所属元の双方から戦力外となる。
末岡 龍二(すえおか りゅうじ、1979年5月22日 - )… 末岡 龍二(すえおか りゅうじ、1979年5月22日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはMF、FW。 山口県光市出身。兄の影響でサッカーを始める。 進学した光高校にはサッカー部が存在せず、同好会で活動(卒業後には部に昇格)。 卒業後は中京大学サッカー部所属。2000年には全日本大学サッカー選手権優勝を経験した。在学中にアルビレックス新潟(当時J2)のトライアルの誘いを受け、2002年に入団した。 2004年にアルビレックス新潟シンガポールにレンタル移籍しリーグ戦12ゴールをあげSリーグ年間MVP候補に選出され、2005年にはアルビレックス新潟に復帰。しかし2005年度限りで退団、その後はシンガポールやタイのクラブでプレーした。
加藤 光男(かとう みつお、1979年5月21日 - )は、… 加藤 光男(かとう みつお、1979年5月21日 - )は、千葉県出身のサッカー指導者。タイA代表コーチ。父親は日本代表やタイ代表などでGKコーチを務めた加藤好男。 國學院久我山高校や國學院大學でサッカー歴があるがプロのサッカー選手にはならず、大学卒業後に大手不動産会社に就職。しかし後に退職してサッカー指導者の道に進み、早稲田大学ア式蹴球部やFELICE FC浦安のコーチを務める。 2012年、ヴィタヤ・ラオハクルに誘われ、タイのチョンブリーFCのアシスタントコーチに就任。父好男もGKコーチを務めており、親子でヴィタヤおよび和田昌裕両監督のもとで仕事をした。 2015年、和田が監督に就任した京都サンガF.C.の分析兼フィジカルコーチに就任。
橋本 英郎(はしもと ひでお、1979年5月21日 - )は… 橋本 英郎(はしもと ひでお、1979年5月21日 - )は、大阪府大阪市阿倍野区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、実業家。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。大阪市立大学経済学部卒業。 株式会社BorderLeSS代表取締役兼CCO。 3人きょうだいの末っ子として生まれ、6歳年上の兄がサッカーをしていた影響で幼稚園の頃から公園で一緒にボールを蹴っていた。小学校1年から自身も地元の街クラブ・大阪スポーツマンクラブ(大阪SC)に入団してサッカーを始める。9番をつけた攻撃の選手で主将でもあり、チームではお山の大将だった。小学6年の時点で進学する中学にサッカー部がないことが分かっていたため、兄も中学時にプレーした釜本邦茂のチーム「釜本FC」に入ることにした。
高木 義成(たかぎ よしなり、1979年5月20日 - )は… 高木 義成(たかぎ よしなり、1979年5月20日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 2000年に東京ヴェルディ1969に入団。クラブでは本並健治と菊池新吉が引退した後の2002年よりレギュラーを務めてきたが、2008年はFC東京から移籍してきた土肥洋一にポジションを奪われ、控えに回された。J2に降格して迎えた2009年も7試合の出場に留まり、シーズン終了後に東京Vから戦力外通告を受け、2010年1月7日、名古屋グランパスへの完全移籍が発表された。同年7月の対横浜F・マリノス戦ではベンチ入りの控え選手ながら主審に執拗に抗議したという理由で退場処分を命じられた。
小杉 光正(こすぎ みつまさ、1979年5月20日 - )は… 小杉 光正(こすぎ みつまさ、1979年5月20日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手。サッカー指導者。 東京学芸大学を経て同大学院に進み、蹴球部のコーチをする傍ら、同校教授でJFA特任理事を務める瀧井敏郎の下で学ぶ。大学院在学中の2003年、全日本大学選抜チームのテクニカルスタッフとしてユニバーシアード大邱大会に帯同。 2005年、FC琉球コーチに就任、SOLA沖縄専門学校専任講師を務める。同年のユニバーシアードイズルミ大会にも帯同。 2007年、FC刈谷コーチに就任、ユニバーシアードバンコク大会にも帯同し、3大会連続でユニバーシアード日本代表に帯同した。 2008年からは鹿島アントラーズのテクニカルコーチを務める。
津波古 友美子(つはこ ゆみこ、1979年5月17日 - )… 津波古 友美子(つはこ ゆみこ、1979年5月17日 - )は、沖縄県出身の女子サッカー選手。ヴィクサーレ沖縄FCナビィータ所属。ポジションはディフェンダー。
井手口 純(いでぐち じゅん、1979年5月14日 - )は… 井手口 純(いでぐち じゅん、1979年5月14日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 桐光学園高等学校では中村俊輔の1年後輩。また、宇留野純とは同期で1996年の高校選手権では準優勝を経験した。 高校卒業後はJリーグの横浜マリノス、札幌、湘南、広島、鳥栖、徳島でプレーし、2006シーズンをもって現役を引退した。 引退後はZONOサッカースクールの講師に就任し指導者の道に進んだ。 2025年、アルビレックス新潟トップチームのコーチに就任した。 横浜F・マリノスに在籍していた1999年に、ロックバンド・SUPERCARの楽曲「BE」のPVに本人役で出演している。
上赤坂 佳孝(うえあかさか よしたか、1979年5月7日 -… 上赤坂 佳孝(うえあかさか よしたか、1979年5月7日 - )は、和歌山県和歌山市出身の元サッカー選手。サッカー指導者。ポジションは、MF、FW。
大谷 未央(おおたに みお、1979年5月5日 - )は、滋… 大谷 未央(おおたに みお、1979年5月5日 - )は、滋賀県甲賀市出身の元女子サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 比較的小柄な選手だが、2003 FIFA女子ワールドカップ・アルゼンチン戦ではハットトリックを決め、またL・リーグでは3年連続を含む4度の得点女王にもなるなど、なでしこジャパンのゴールハンターとして知られる。アテネオリンピックでは初戦のスウェーデン戦で荒川恵理子のゴールをアシストした。 2005年7月10日、日本の女子サッカーリーグ史上最速となる114試合目での通算100ゴールを達成した。 2008年限りで11年間所属したTASAKIペルーレFCが休部することになったのに伴い現役を引退し、京都精華女子中学校・高等学校サッカー部コーチを務める。