倉茂 好匡(くらしげ よしまさ、1958年12月14日 - … 倉茂 好匡(くらしげ よしまさ、1958年12月14日 - )は、日本の地球物理学者。公立大学法人滋賀県立大学理事・副学長。元日本地形学連合会長。 1981年、北海道大学理学部地球物理学科卒業。 1983年、成蹊中学・高等学校教諭。 1992年、北海道大学大学院理学研究科地球物理学専攻博士後期課程修了、理学博士、北海道大学大学院環境科学研究科助手。 1993年、北海道大学大学院地球環境科学研究科助手。 1998年、滋賀県立大学環境科学部環境生態学科助教授。 2005年、滋賀県立大学環境科学部環境生態学科教授。 2007年、日本学術会議地球惑星科学委員会委員。 2015年、日本地形学連合会長。のち、公立大学法人滋賀県立大学理事(教育・学生支援担当)・副学長。
菅原 美智子(すがわら みちこ、1958年〈昭和33年〉12… 菅原 美智子(すがわら みちこ、1958年〈昭和33年〉12月14日 ‐ )は、日本のフリーアナウンサー、政治家。福島市議会議員(1期)。 秋田県仙北郡仙北町(現・大仙市)出身。聖霊女子短期大学英語科卒業。小学生から高校生時代まで放送のクラブで活動していた。 1981年4月、アナウンサーとしてラジオ福島に入社。自分の番組で寄せられたイラストやポエムの中から選りすぐった作品を集めて、手作りのポエム集を発行したことがあった。 1984年度の日本民間放送連盟賞のCM部門で、ラジオCM優秀賞を受賞。 2019年3月、ラジオ福島を定年退職。フリーとして活動。退職後も担当した一部の番組は2023年5月まで継続して出演。
佐野 極(さの たかし、1957年12月14日 - )はシミ… 佐野 極(さの たかし、1957年12月14日 - )はシミックホールディングスの常務執行役員。東京都出身、静岡県立清水東高等学校を経て、京都大学工学部冶金学科卒業。座右の銘は「初心忘るべからず」。 京都大学卒業後、1980年4月に三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。UFJホールディングス法人企画部次長、UFJ銀行秘書役、同川崎支店長を歴任。2005年8月に、サガンドリームス(サガン鳥栖)取締役副社長に就任。2008年3月にシミックエムピーエスエス代表取締役に就任ののち、2013年10月にシミックホールディングスの常務執行役員に就任した。
岡村 洋一(おかむら よういち、1956年12月14日 - … 岡村 洋一(おかむら よういち、1956年12月14日 - )は、日本の俳優、声優、DJ、リポーター、司会者。大阪府大阪市生野区出身。身長177cm。体重75kg。血液型はA型。愛知大学法経学部経済学科卒業。巣山プロダクション[要出典]、ヒロオオフィスカンパニー[要出典]、成プロ企画を経て、ひまわり舎に所属。 1979年、文化放送主催「全国アマチュアフォークコンテスト中部北陸大会」優勝。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
小田 博子(おだ ひろこ、1956年〈昭和31年〉12月14… 小田 博子(おだ ひろこ、1956年〈昭和31年〉12月14日 - 2020年〈令和2年〉6月2日)は、日本の作家、市民研究者。 小学生の頃より社会問題、環境問題への意識が強く、常に改善できるように努力を重ねる。 2001年、44歳で難病の線維筋痛症発症後、一時寝たきりの状態となるも、2006年 福岡市にて大脳指向型BOOT療法を受け、治療開始4ヶ月後から劇的回復。線維筋痛症から回復できた過程を自ら研究。 2008年、自らのウェブサイト「線維筋痛症から回復した患者のホームページ」を開設し「中枢感作」 の概念の重要性を説き続ける。難病で苦しむ患者を一人でも多く回復できるようにと患者自助団体NPO市民健康ラボラトリー創設。
岡本 郭男(おかもと あつお、1955年12月14日 - )… 岡本 郭男(おかもと あつお、1955年12月14日 - )は、京都府舞鶴市出身のドラマー、スタジオ・ミュージシャンである。 ヤマハネム音楽院(現 ヤマハ音楽院)中退。19歳の時に浜田省吾に誘われ、「愛奴」でデビュー。解散後、スタジオ・ミュージシャンとして活動開始。松山千春、チェリッシュらのレコーディングやライブ・サポート等を経て、「スペクトラム」に参加。スペクトラム解散後は、スタジオやライブ・サポートの場面で活動しながら、「AB'S」を結成、1990年代には「THE TRIPLE X」に参加。2007年からはブラス・ロックバンド「BLUFF」、2009年にはSHŌGUN(参加当時はSHŌGUN STYLE名義)に参加するなど、バンド活動も続けている。
世良 公則(せら まさのり、1955年〈昭和30年〉12月1… 世良 公則(せら まさのり、1955年〈昭和30年〉12月14日 - )は、日本のロックミュージシャン・ボーカリスト・俳優・ナレーター。広島県福山市出身。大阪芸術大学芸術学部放送学科卒業。身長175cm(1984年11月)。既婚。 (注)世良公則サイド未監修およびリマスター・リミックスを施さない既発音源流用ベスト盤は割愛。 (注)ファンクラブビデオ会報は除く 世良公則(ボーカル、ギター) 上記の他、デュオによる興行が多数あり、これらは音屋吉右衛門以降に活発化した動きである。ここでは、音屋吉右衛門と音屋吉右衛門分家を除いた、主な双頭共演者を挙げる(テレビ等の放送番組用共演奏は割愛)。
小澤 一彦(おざわ かずひこ、1955年12月14日 - )… 小澤 一彦(おざわ かずひこ、1955年12月14日 - )は、テレビ静岡(SUT)記者で、元アナウンサーである。
上杉 祥三(うえすぎ しょうぞう、1955年12月14日 -… 上杉 祥三(うえすぎ しょうぞう、1955年12月14日 - )は、日本の俳優、劇作家、演出家。 兵庫県出身。甲南大学法学部卒業。オフィスPSC所属。演劇ユニット「トレランス」主宰。妻は女優の長野里美。 1981年青年座俳優養成所卒。同年に野田秀樹率いる劇団夢の遊眠社に入団。皿洗いのバイトをしながら演劇活動を続け、当時1300円のチケットだった遊眠社を日本で有数のトップ劇団へと成長させる。劇団の看板俳優として活躍。 1988年には上杉祥三プロデュースチーム結成。在団中よりシェイクスピア作品に傾倒し、1991年よりグローブ座カンパニーの座長としてシェイクスピアレパートリー公演を開始。若手随一のシェイクスピア俳優として注目される。
雷昊 充敏(らいこう みつとし、1954年12月14日 - … 雷昊 充敏(らいこう みつとし、1954年12月14日 - )は、埼玉県越谷市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は荒川 賢次。179cm125kg。最高位は東幕下2枚目。 1969年5月初土俵、1980年9月引退。志州山真国と同じく最高位が幕下で最多となる十両力士との対戦10番を誇る。雷昊充敏以前に立浪部屋所属の雷昊がいたが別人物(最高位三段目)である。 1980年5月場所には東幕下2枚目と関取目前まで進出したが、関取昇進はならず、これが最高位となった。ちなみにその場所では、取組編成における調整の関係上、9日目に6番相撲を取り、10~14日目が5日連続取組なしとなり、千秋楽に7番相撲を取るという珍しい形となっている(その場所の星取は「●や○や●や○○●ややややや●」の3勝4敗)。
青木 秀樹(あおき ひでき、1954年〈昭和29年〉12月1… 青木 秀樹(あおき ひでき、1954年〈昭和29年〉12月14日 - )は、日本の政治家。岡山県英田郡西粟倉村長(4期)。元西粟倉村議会議員(5期)。 岡山県英田郡西粟倉村出身。龍谷大学を卒業後、大阪市内の民間企業に勤務した。1981年(昭和56年)に帰郷し、家業の食品会社に従事する。 1995年(平成7年)、西粟倉村議会議員選挙に立候補し初当選。以後5期連続で村議を務め、議長などの要職も歴任した。 2011年(平成23年)8月、前村長の後継として西粟倉村長選挙に無所属で立候補し、初当選を果たした。同年9月に村長に就任。2015年(平成27年)の村長選挙では無投票で再選(2期目)される。 2019年(令和元年)8月の村長選挙では、新人との一騎打ちを制し3選(青木:614票、新人:413票)。
櫻井 俊(さくらい しゅん、1953年〈昭和28年〉12月1… 櫻井 俊(さくらい しゅん、1953年〈昭和28年〉12月14日 - )は、日本の郵政・総務官僚、実業家。総務事務次官、株式会社電通グループ代表取締役副社長などを歴任し、マルチメディア振興センター理事長。 群馬県前橋市出身。父は上毛新聞元専務の櫻井三男。群馬大学教育学部附属中学校、群馬県立前橋高等学校を経て、1977年(昭和52年)に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。新卒で旧郵政省に入省した。その後、電気通信局電気通信事業部事業政策課長などを歴任し、日本電信電話の再編などの通信事業の自由化を主導した。 2001年(平成13年)に総務省が発足したのち、情報通信政策局総合政策課長、大臣官房参事官、総合通信基盤局電気通信事業部長、総合通信基盤局長、情報通信国際戦略局長などを歴任。
福井 照(ふくい てる、1953年12月14日 - )は、日… 福井 照(ふくい てる、1953年12月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自由民主党高知県連会長。元文部科学副大臣(第2次安倍内閣)。
盛山 正仁(もりやま まさひと、1953年12月14日 - … 盛山 正仁(もりやま まさひと、1953年12月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、法務副大臣。義父は元衆議院議長の田村元。武庫川女子大学客員教授、玉川大学客員教授、同志社大学客員教授、聖心女子大学講師。元法務大臣政務官(第2次安倍内閣)。
内田 喜郎(うちだ よしろう、1953年12月14日 - )… 内田 喜郎(うちだ よしろう、1953年12月14日 - )は、日本の元俳優・歌手。愛知県豊橋市小池町出身。血液型O型、身長172cm、体重60kg。本名・同じ。
水田 雅博(みずた まさひろ、1953年 <昭和28年> 1… 水田 雅博(みずた まさひろ、1953年 <昭和28年> 12月14日 - )は、日本の地方公務員。伏見区長、京都市交通政策監、京都市上下水道局長を歴任。瑞宝小綬章受章者。 立命館大学卒業。1977年7月 京都市役所に入庁し教育委員会採用。総合企画局市長公室長、伏見区長、京都市交通政策監を歴任。2012年 (平成24年) 4月 京都市公営企業管理者上下水道局長。上下水道局長時に太秦病院、大和学園と山ノ内浄水場跡地活用に関する基本協定を締結。2016年3月退職。同年6月から京都ステーションセンター代表取締役専務。朝田教育財団理事長。
細野 哲弘(ほその てつひろ、1952年12月14日 - )… 細野 哲弘(ほその てつひろ、1952年12月14日 - )は、日本の通産官僚、経営者。株式会社JECC代表取締役社長、中東調査会常任理事。岐阜県出身。過去に、資源エネルギー庁長官、特許庁長官を歴任。
浜窪 隆雄(はまくぼ たかお、1952年(昭和27年)12月… 浜窪 隆雄(はまくぼ たかお、1952年(昭和27年)12月14日 - )は、日本の医学者、生化学者。東京大学先端科学技術研究センター教授。専門は、生化学、抗体医薬。
岩﨑 学(いわさき まなぶ、1952年12月14日 - )は… 岩﨑 学(いわさき まなぶ、1952年12月14日 - )は、日本の統計学者。元日本統計学会会長。専門は統計科学。理学博士。静岡県浜松市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
野々村 直通(ののむら なおみち、1951年12月14日 -… 野々村 直通(ののむら なおみち、1951年12月14日 - )は、島根県出身の教育評論家、画家、野球指導者。元高等学校教員(美術科教諭)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属(マネジメント契約)。 島根県立大東高等学校(第22期卒)から広島大学(学校教育学部美術科)に進学。 硬式野球部では2年時に広島六大学の首位打者を獲得。4年時は主将として全日本大学野球選手権大会に初出場。四番・一塁手で出場した初戦で同志社大学に0-11で敗れた。 大学卒業後に広島県立府中東高校に美術教師として赴任。また、野球部監督ともなり、1978年秋の中国大会で準優勝し、翌年の第51回選抜高等学校野球大会の出場校に選出され監督として甲子園初出場を果たした。
川村 信子(かわむら しんこ、1951年12月14日 - )… 川村 信子(かわむら しんこ、1951年12月14日 - )は、株式会社カウカウフードシステム創業者であり、現在は同社代表取締役会長。別名「マダム シンコ(マダム しんこ)」 島根県生まれ、両親が共に韓国人の在日韓国人2世である。現在は日本国籍を取得。10歳の時、父親の仕事の都合で大阪府へ移る。 21歳の時、母親が用意してくれた50万円で喫茶店を開業。 未経験のまま、18歳で不動産業、高級クラブ、貴金属などの販売を経て、26歳の時に大阪・北新地で高級クラブをオープン。 1989年、37歳の時に上京し、4か月で銀座No.1ホステスになるも、その9か月後に独立。銀座にクラブ「銀座クラブ信子」をオープンした。
狩俣 正雄(かりまた まさお、1950年12月14日 - )… 狩俣 正雄(かりまた まさお、1950年12月14日 - )は、日本の経営学者。大阪公立大学名誉教授。滋慶医療科学大学大学院客員教授。 沖縄県宮古島生まれ。1975年琉球大学法文学部商学科卒業。1981年神戸商科大学大学院経営学研究科博士課程単位取得退学。1994年「組織のリーダーシップとコミュニケーションの研究」で神戸商科大学博士(経営学)。1980年沖縄大学法経学部専任講師、1982年岡山商科大学専任講師、1983年大阪学院大学専任講師、1985年助教授、1993年教授、2006年大阪市立大学経営学研究科教授。2016年定年退職、名誉教授。2018年滋慶医療科学大学院大学教授。2023年滋慶医療科学大学大学院客員教授 専門は経営管理論、経営組織論、リーダーシップ論、スピリチュアル経営。
片山 容一 (かたやま よういち、1949年12月14日 -… 片山 容一 (かたやま よういち、1949年12月14日 - )は、日本の医学者、脳神経外科医。医学博士。 青森大学薬学部特任教授・脳と健康科学研究センター長、日本大学名誉教授、青森新都市病院総長・事業管理者。 2005年11月から2014年10月まで日本大学第14代医学部長を務めた。後任の医学部長は高山忠利。 2014年10月から2015年3月まで、駿河台日本大学病院から移転・改称した日本大学病院初代病院長を定年退職までの半年間務めた。 その後は、湘南医療大学を経て、青森大学薬学部特任教授および青森新都市病院病院長に就任し、後に総長・事業管理者となった。
久保 純夫(くぼ すみお、1949年12月14日 - )は、… 久保 純夫(くぼ すみお、1949年12月14日 - )は、大阪府出身の俳人。立命館大学文学部を卒業後、高校教諭。1970年、同人誌「獣園」創刊に参加。1971年、「花曜」入会、鈴木六林男に師事。「花曜」代表作家として活躍し同誌編集長を長年務めた。1969年、第8回花曜賞、1986年、第15回六人の会賞、1993年、第42回現代俳句協会賞受賞。現代俳句協会副会長。 2006年「光芒」を創刊、発行人を務める。代表句に「木蓮よ「その白い魔女を風葬に」」(『瑠璃薔薇館』)「水際に兵器性器の夥し」(『熊野集』)など。言葉に潜む生命力を探求し、内的傾向の強い作風。 句集に第一句集『瑠璃薔薇館』(獣圓、1972年)第二句集『水渉記』(沖積舎、1978年)第三句集『聖樹』(海風社、1985年)第四句集『熊野集』(弘栄堂書店、1993年)第五句集『比翼連理』(草子舎、2003年)第六句集『光悦』(草子舎、2005年)第七句集『フォーシーズンズプラス』(ふらんす堂、2009年)第八句集『美しき死を真ん中の刹那あるいは永遠』(妻るみ子との共著、現代俳句協会、2012年)第九句集『日本文化私観』(飯塚書店、2015年)第十句集『四照花亭日乗』(儒艮の会、2017年)第十一句集『HIDEAWAY』(儒艮の会、2018年)第十二句集『定点観測ー櫻まみれ』(儒艮の会、2019年)第十三句集『植物圓鑑』(儒艮の会、2021年)第十四句集『動物圓鑑』(儒艮の会、2022年)第十五句集『季語状況論』(儒艮の貝、2024年)第十六句集『識閾』(儒艮の会、2025)、 俳論集に『スワンの不安』(弘栄堂書店、1990年)がある。
栗原 裕康(くりはら ひろやす、1948年(昭和23年)12… 栗原 裕康(くりはら ひろやす、1948年(昭和23年)12月14日 - )は、日本の政治家。 静岡県沼津市長(2期)、衆議院議員(2期)、静岡県議会議員(1期)を務めた。 防衛庁長官や労働大臣を務めた元衆議院議員の栗原祐幸は父。 静岡県三島市出身。静岡県立沼津東高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。三光汽船勤務を経て、衆議院議員で父である栗原祐幸の秘書を務める。 1991年、静岡県議会議員選挙に立候補し、初当選。1993年、静岡県議を任期途中で辞職。 父の引退に伴い、旧静岡2区の地盤を引き継いで第40回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補し、当選した。 1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い静岡6区から自民党公認で立候補したが、旧民主党公認の渡辺周らに敗れ、重複立候補していた比例東海ブロックで復活当選となり、再選。
清水 ひろ子(しみず ひろこ、1948年12月14日 - )… 清水 ひろ子(しみず ひろこ、1948年12月14日 - )は、日本の政治家。元兵庫県播磨町長(4期)、元播磨町議会議員(1期)。 兵庫県加古郡播磨町出身。兵庫県立加古川東高等学校を経て1969年(昭和44年)3月、武庫川女子短期大学(現・武庫川女子大学短期大学部)国文科卒業。保険会社に勤務後、結婚を機に退職。播磨町コミュニティセンター勤務を経て、2003年(平成15年)に播磨町議会議員に初当選した。 2006年(平成18年)7月2日に行われた播磨町長選挙に立候補し、現職の佐伯忠良を破り初当選を果たした。7月13日、町長就任。 2018年(平成30年)、無投票により4選。兵庫県内の女性首長で4期目は清水のみであり最長となる。
錦野 旦(にしきの あきら、1948年12月14日 - )は… 錦野 旦(にしきの あきら、1948年12月14日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント。本名は錦野 明(読み同じ)。 旧芸名はにしきの あきら。父・母・弟・妹の5人家族。血液型A型。身長176cm、65kg(1976年2月)。 アイドル歌手として1970年代初めから半ばにかけ、その精悍()な風貌と抜群の歌唱力を武器に10代から30代の女性に人気を博す。特に芸能人大運動会(水泳大会含め)では、同期(1970年)デビューの野村真樹(野村将希)と共に抜群の運動神経を披露していた。1970年代後半は東映映画やドラマ等で活躍した。 1990年代以降は、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』に出演したのをきっかけに再ブレイク、バラエティ番組に多く出演するようになった。
中村 量空(なかむら りょうくう、1948年12月14日 -… 中村 量空(なかむら りょうくう、1948年12月14日 - 2001年11月29日)は、理論物理学者。 福井県立短期大学助教授、福井県立大学教授を歴任。専攻は理論物理学、科学思想、複雑系。コンボルーション理論の提唱者。 また、印度学仏教学会理事を務め、進化経済学会にも加わり、自然科学から思想、経済、社会に至るまで広く論じた。 兵庫県生まれ。本名・英一。静岡大学卒、1977年名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了、1978年理学博士。 2001年11月29日、肝不全のため死去。
堂道 秀明(どうみち ひであき、1948年12月14日 - … 堂道 秀明(どうみち ひであき、1948年12月14日 - )は日本の外交官。外務省中東アフリカ局長や、駐インド特命全権大使、国際協力機構副理事長を務めた。現在はスズキ株式会社の社外取締役。
関谷 保夫(せきや やすお、1947年12月14日 - )は… 関谷 保夫(せきや やすお、1947年12月14日 - )は、日本の地方公務員。東京都副知事や、東京都人事委員長、東京臨海ホールディングス代表取締役社長、東京テレポートセンター代表取締役社長、東京メトロ代表取締役副社長、東京臨海高速鉄道代表取締役社長、日本自動車ターミナル代表取締役社長等を歴任した。 東京都立青山高等学校、横浜国立大学経営学部卒業。1972年、東京都庁に入庁。東京都住宅局総務部長等を経て、2004年東京都都市整備局理事。同年東京都産業労働局長。2005年7月から石原慎太郎東京都知事の下、東京都副知事を務める(~2007年6月)。2007年7月、東京都人事委員会委員、東京臨海ホールディングス代表取締役社長及び東京テレポートセンター代表取締役社長に就任。
石垣 英一(いしがき えいいち、1947年12月14日 - … 石垣 英一(いしがき えいいち、1947年12月14日 - )は、日本の地方公務員、鉄道実業家。三重県副知事や、伊勢鉄道代表取締役社長を務めた。 1970年愛知大学法経学部卒業、三重県入庁。商工振興課長や、農水商工部長を経て、2007年三重県退職、財団法人三重県産業支援センター理事長。2010年四日市港管理組合副管理者。2012年から三重県副知事を務め、鍋田干拓地の境界画定や、三重テラス開設などにあたった。2015年伊勢鉄道代表取締役社長。2017年三重県副知事退任、名古屋四日市国際港湾代表取締役会長、公益財団法人三重県産業支援センター会長。2018年瑞宝中綬章受章。
多賀 新(たが しん、1946年12月14日 - )は、日本… 多賀 新(たが しん、1946年12月14日 - )は、日本の銅版画家。北海道本別町出身。北海道本別高等学校卒業。千葉県市川市在住。 代表作は、銅版画・江戸川乱歩の世界、新十二神将合体図など。近年は鉛筆画の作品にも力を入れている。銅版画「三極」は横綱日馬富士の化粧まわしの原画となった。
長久保 裕(ながくぼ ひろし、1946年12月14日 - )… 長久保 裕(ながくぼ ひろし、1946年12月14日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手、フィギュアスケートコーチ。1972年札幌オリンピック代表。 山梨県出身。山梨大学附属中学校、山梨県立甲府第一高等学校、日本大学卒業。1966年、全日本フィギュアスケートジュニア選手権男子シングルで優勝。1967年から1971年まで、長沢琴枝とともに全日本フィギュアスケート選手権ペア5連覇。1972年札幌オリンピックでペア16位に入った。 競技を引退してからは千葉・新松戸で指導者となる。1988年から仙台市の「泉DLLアカデミー」のコーチとなる。この頃、仙台には及川史弘がいた。その後、長久保に師事すべく各地から有望選手が集まり、1998年長野オリンピックには本田武史、田村岳斗、荒川静香、荒井万里絵と4人の教え子が出場した。
森俊英(もり としひで、1946年(昭和21年)12月14日… 森俊英(もり としひで、1946年(昭和21年)12月14日 - )は、日本の銀行家。南日本銀行代表取締役会長。 福岡県出身。一橋大学経済学部卒業後、富士銀行入行。同期入行にはフィデアホールディングス代表執行役社長を務めた里村正治らがいた。 2000年、同じ一橋大出身で富士銀行支店業務第三部長を務めていた当時の頭取石井祥の後任含みとして南日本銀行に招聘され、2006年、頭取に昇格する。 頭取在任中、建基法不況やリーマンショックに直面し、2009年に金融機能強化法に基づき公的資金注入を申請し、受け入れた。 2019年6月、齋藤眞一に頭取を譲り、代表取締役会長に退く。 2020年に同行取締役会長を退任して相談役となる。
中野 和信(なかの かずのぶ、1945年〈昭和20年〉12月… 中野 和信(なかの かずのぶ、1945年〈昭和20年〉12月14日 - )は、日本の政治家、行政書士。元埼玉県蓮田市長(4期)。元蓮田市議会議員(1期)。 埼玉県蓮田市出身。埼玉県立春日部高等学校、法政大学卒業。大学卒業後、蓮田市役所に勤務。都市整備部長、蓮田市教育委員会事務局教育部長、蓮田市シルバー人材センター事務局長などを務めた。 2002年(平成14年)5月19日投開票の蓮田市長選挙に立候補したが、210票差で現職の樋口曉子に敗れ落選。※当日有権者数:人 最終投票率:59.68%(前回比:pts) 2003年(平成15年)1月、埼玉県行政書士会登録。同年、蓮田市議会議員に初当選。 2006年(平成18年)5月21日投開票の蓮田市長選挙に立候補。
福武 總一郎(ふくたけ そういちろう、1945年12月14日… 福武 總一郎(ふくたけ そういちろう、1945年12月14日 - )は、日本の実業家、慈善活動家。ベネッセホールディンクス名誉顧問。 進研ゼミで成功した福武書店(現ベネッセコーポレーション、ベネッセホールディングス)創業者・福武哲彦の長男として生まれる。命名の由来は、同郷の実業家大原總一郎。岡山県出身。早稲田大学理工学部卒業。日製産業、日本生産性本部勤務を経て、1973年福武書店に入社。出版業は嫌いで教育にはまったく興味はなかった。 1986年、福武書店社長であった父の急死に際し、東京から岡山の本社へ戻る。代表に就任し、英会話教室のベルリッツを買収、社名を福武書店から「ベネッセ」に変え、上場をし、介護事業にも参入、教育・介護の大手企業に育てた。
池内 了(いけうち さとる、1944年12月14日 - )は… 池内 了(いけうち さとる、1944年12月14日 - )は、日本の天文学者、宇宙物理学者。総合研究大学院大学名誉教授、名古屋大学名誉教授。理学博士(京都大学)(1975年)。兵庫県姫路市出身。 世界平和アピール七人委員会の委員でもある。「九条科学者の会」呼びかけ人も務めている。講談社科学出版賞選考委員。Japan Skeptics運営委員。 宇宙の進化、銀河の形成などを研究。また、科学と現代社会の関わりについて広く考察し、科学技術の無秩序な発展に警鐘を鳴らす。『疑似科学入門』(2008年)などの著書がある。
高田 征一(たかだ せいいち、1944年12月14日 - )… 高田 征一(たかだ せいいち、1944年12月14日 - )は、日本の実業家。ハウステンボスの開業に携わったことで知られる。2015年まで南島原市副市長を務めていた。長崎市出身。長崎県立長崎東高等学校を経て上智大学外国語学部中退。 大学中退後、オランダ製品の輸入に携わる長崎オランダ商会に入社。オランダ関係者との面識や語学力を生かして、長崎オランダ村の開園・経営に関わった。長崎オランダ商会常務取締役を経て、1992年のハウステンボス開業にも尽力。オランダの宮殿「パレス・ハウステンボス」の再現を行うべくオランダ本国との交渉を行い、ベアトリクス女王(当時)から許可を得るに至った。1999年までハウステンボス専務取締役企画本部長を務め、以後はハウステンボス商事会長などを歴任した。
三村 高志(みむら たかし、1944年12月14日 - )は… 三村 高志(みむら たかし、1944年12月14日 - )は日本の工学者。工学博士。富士通研究所名誉フェロー。独立行政法人情報通信研究機構客員研究員。超高速半導体素子、HEMTの発明者。大阪府出身。 HEMTは、高速・低雑音性の極めて高いトランジスタである。HEMTは現在、衛星放送受信機や携帯電話機、カーナビゲーション受信機、自動車レーダーなどに使われており、IT社会を支える基盤技術として幅広く使われる技術となっている。また、電波望遠鏡用の低雑音受信機として、未知の星間分子を発見するのに役立ち、天文学の研究を進歩させたり、半導体の薄膜成長技術の進展を加速させ、その後の、化合物半導体を用いた電子デバイス、光デバイス技術の発展に役立つなど、産業界だけでなく、学問・技術研究の分野にも大きな貢献を果たしている。
清水 幹生(しみず みきお、1943年12月14日 - )は… 清水 幹生(しみず みきお、1943年12月14日 - )は、日本の俳優。兵庫県出身。文学座所属。玉川大学卒。 身長175cm。体重65kg。 旧芸名は清水 幹雄。
伊藤 宏太郎(いとう こうたろう、1942年(昭和17年)1… 伊藤 宏太郎(いとう こうたろう、1942年(昭和17年)12月14日 - 2015年(平成27年)2月12日)は、日本の政治家。元愛媛県西条市長(通算5期)。西条市名誉市民。 愛媛県西条市生まれ、父親も元西条市長。松山商科大学(現在の松山大学)卒業。伊予銀行入社。1991年(平成3年)西条市議会議員に立候補し初当選。 西条市議会議員を1期務めた後は1995年4月に行われた市議会議員選挙には出馬せず、西条市長選挙に向けた準備を進めた。同年11月26日に公示された西条市長選挙に立候補。市長を務めていた桑原富雄が引退し、他に立候補者はなく無投票当選となった。 1999年11月の西条市長選挙では無投票当選を果たし2選。
昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12… 昭和 精吾(しょうわ せいご、本名:鎌田 賢、1941年12月14日 - 2015年8月29日)は、日本の俳優、演出家。昭和精吾事務所設立者。満州生まれ。 昭和16年(1941年)12月14日、満洲の大日本帝国陸軍大佐であった父の官舎で誕生。終戦間際、父の実家に引き揚げ、秋田県大館市の農家で育つ。県立大館鳳鳴高校卒業後上京、演劇の道へと進む。 1967年、劇団東俳演劇研究所に入所。のち東映演劇研究所に移籍。高倉健主演『網走番外地』シリーズ、渥美清主演『初詣列車』、日本テレビの東映刑事物のドラマにチンピラ等で出演。 1969年、寺山修司の演劇実験室◎天井桟敷に入団。主に詩をマイクで語るマイクアジテーションを担当。
森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の… 森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト。 日本文藝家協会理事(2012年より)。日本ペンクラブ会員。 代表作は架空戦記『燃える波濤』(徳間書店)。 東京府生まれ。栃木県立黒磯高等学校、東京外国語大学イタリア語学科を卒業後、「週刊読書人」の記者を経て、フリージャーナリストとして独立。 1971年、『黒い龍』で作家デビュー。以後、世界をまたにかけたスパイ小説、軍事情報小説で人気を博す。 1983年には、日本冒険作家クラブの創設を提唱して実現。1985年には『雨はいつまで降り続く』で第93回直木三十五賞候補となった。その後、警察小説、青春小説、架空戦記などジャンルの幅を広げて活躍。
平野 克明(ひらの かつあき、1941年12月14日 - )… 平野 克明(ひらの かつあき、1941年12月14日 - )は、新潟県出身の元プロ野球選手。 新潟県立柏崎工業高校から社会人野球の新潟電化を経て、1964年に大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に入団。開幕3戦目の先発を任されたが早々にKOされ、以降の登板は1試合に終わり、この1年だけで現役を引退した。
磯崎 康彦(いそざき やすひこ、1941年12月14日- )… 磯崎 康彦(いそざき やすひこ、1941年12月14日- )は、日本の美術史家。福島大学名誉教授。近世日本の蘭画を専門とした。 神奈川県生まれ。横浜国立大学教育学部美術科卒、東京芸術大学大学院修士課程修了。オランダ政府給費生としてアムステルダム自由大学に学び、福島大学教授となる。ハイデルベルク大学客員教授、ベルリン大学客員研究員を歴任。福島大学教授退任後は同大学名誉教授となる。 2007年、「江戸時代の蘭画と蘭書 近世日蘭比較美術史」で東京芸術大学より博士(美術)。
橋本 勝磨(はしもと かつまろ、1940年12月14日 - … 橋本 勝磨(はしもと かつまろ、1940年12月14日 - 2014年5月20日)は、山梨県出身のプロ野球選手(捕手)。右投左打。
太田 典生(おおた のりお、1940年12月14日 - )は… 太田 典生(おおた のりお、1940年12月14日 - )は(株)ARKコンサルティングを設立者。経営コンサルタントとして多数のビジネスノウハウ本を著している。 三重県生まれ。名古屋大学法学部卒業。家電メーカーで人事、マーケティング、新事業の立ち上げ、組織や体制づくりなどのプロジェクトを統括した経験をもつ。のちに大手コンサルティング会社に転職し、「組織活性化」「人材創り」「販売管理」の原理原則を体系化した。1988年(昭和63年)、独立して株式会社ARKコンサルティングを設立。「長所を伸ばせば、短所は味わいになる」の言葉でも知られる。多くの著書では、「明るく、楽しく、自分らしく、心豊かに」をモットーとした太田流人間学にもとづいたビジネス論、生きがい論を展開している。
保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月… 保阪 正康(ほさか まさやす、1939年(昭和14年)12月14日 - )は、日本の作家・評論家。 北海道札幌市生まれ、二海郡八雲町育ち(なお、自著のプロフィールでは「北海道生まれ」のみと表記し、出身市町村については明記していない)。 北海道札幌市で教員の父親のもとに生まれる。父親は群馬県、母親は江別市出身。父親の勤務の関係で、生後間もなく江別市に移り、3歳で福島県二本松市、5歳で北海道二海郡八雲町に移る。そのまま八雲町で終戦を迎え、小学校6年まで同町で育った後、根室市を経て札幌市白石町(現・札幌市白石区)に移った。札幌市立柏中学校、北海道札幌東高等学校を卒業。阿部典英は中学高校の同級生、西部邁は中学校の1年先輩に当たる。
佐藤 多美治(さとう たみじ、1939年12月14日 - )… 佐藤 多美治(さとう たみじ、1939年12月14日 - )は、レスラー。ローマオリンピック4位入賞。北海道留萌支庁増毛郡増毛町育ち。 北海道増毛高等学校-中央大学高校大学とも全国優勝を経験、増毛高-中大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大黄金時代の屋台骨となった。 中央大学3年の時にローマオリンピックでフェザー級4位入賞、増毛高校の全国制覇メンバー2人が入賞する大活躍だった。
小崎 愃(こざき けん、1939年12月14日 - 2018… 小崎 愃(こざき けん、1939年12月14日 - 2018年12月)は、熊本県出身のアナウンサー。 立命館大学法学部卒業後、1964年に近畿放送(KBS京都、現在の京都放送)へ入社した(同期入社は飛鳥井雅和)。主に土曜・日曜競馬中継(日曜の中継は昭和末期まではラジオでの中継であったが、テレビに移行したことでラジオの競馬中継を終了した)を担当し、エキサイトナイター・近鉄エキサイトアワー、高校野球、関西学生スポーツ中継やタイムリー10にも出演した。 特に競馬中継では、ラジオではミスターシービー(1983年)・シンボリルドルフ(1984年)、テレビではナリタブライアン(1994年)が三冠を達成した瞬間を伝えたほか、ラジオではテンポイントが出走していた第25回日本経済新春杯(1978年)を、テレビではダンスインザダーク(1995年)・サイレンススズカ(1997年)の新馬戦をそれぞれ担当した実績がある。