有馬 彦吉(ありま ひこきち、1874年3月18日 - 19… 有馬 彦吉(ありま ひこきち、1874年3月18日 - 1950年2月25日)は明治時代から昭和初期の実業家。貿易商社有馬洋行の創業者で代表取締役社長。 1874年(明治7年)3月、有馬新之助の二男として鹿児島市に生まれる。12歳で父を失い上京、伯父に引き取られる。 1893年(明治26年)に慶應義塾大学を中退後、近衛騎兵に志願して日清戦争に従軍。1895年(明治28年)に除隊。翌年日本銀行に入行して台湾出張所勤務となり、1898年(明治31年)の台湾銀行創立に伴い日銀から移籍した。1901年(明治34年)から台南支店勤務となり、1902年(明治35年)に有馬洋行を創業。 台湾での製糖業の勃興を予見して製糖機械の販売を始め、数年で100万円(当時)の利益を挙げた。
安芸 晋(あき すすむ、旧字体: 安藝 晉、1873年〈明治… 安芸 晋(あき すすむ、旧字体: 安藝 晉、1873年〈明治6年〉3月18日 - 1947年〈昭和22年〉12月15日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級。 徳島県名東郡徳島出来島町(現徳島市)の水野静宜の二男として生まれる。1878年(明治11年)、先代の安芸弘栄の養子となり、1910年(明治43年)に家督を相続する。1896年(明治29年)、陸軍士官学校第7期卒業。のち1902年(明治35年)11月に陸軍大学校第16期卒業。 参謀本部部員、関東都督府陸軍参謀、歩兵第14連隊附、同大隊長、第17師団参謀、歩兵第66連隊附、朝鮮駐箚軍参謀。1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐・京都連隊区司令官。
武田 徳三郎(たけだ とくさぶろう、明治5年2月10日(18… 武田 徳三郎(たけだ とくさぶろう、明治5年2月10日(1872年3月18日) - 昭和25年(1950年)5月23日)は日本の政治家、新聞記者。衆議院議員(6期、立憲政友会) 1872年(明治5年)2月、新潟県東頸城郡大島村(現在の上越市)に生まれる。和仏法律学校(現在の法政大学)を卒業し、福岡日日新聞記者となる、その後、日露戦争に従軍し、日本新聞記者を経て、高岡日報社を創立し、その主幹となる。また、関川電力・高岡ステンレス各取締役、頸城鉄道・中央電気各監査役などを歴任する。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選(以後6期当選)。山本悌二郎農林大臣の秘書官を務めた。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した。
西田 天香(にしだ てんこう、1872年3月18日(明治5年… 西田 天香(にしだ てんこう、1872年3月18日(明治5年2月10日) - 1968年(昭和43年)2月29日)は、滋賀県長浜市生まれの宗教家・社会事業家、政治家。一燈園の創始者。参議院議員。本名は市太郎。 明治5年(1872年) 滋賀県長浜の紙問屋「玉屋」に生まれる。杉蔭塾で杉本善朗氏から漢籍、珠算等を習う。また長浜キリスト教会の堀貞一牧師から西洋史、英語等を習う。 明治19年(1886年) 長浜旧開知学校高等科を卒業する。翌20年に義母を亡くす。 明治24年(1891年) 父、保三の死亡により家督を継ぐ。同年結婚。小川のぶ(15歳)と結婚。青年団の幹事長に選ばれその後、二宮尊徳の信奉者であった県知事の大越亨に見込まれる。
長島 律太郎(ながしま りつたろう、1868年3月18日(慶… 長島 律太郎(ながしま りつたろう、1868年3月18日(慶応4年2月25日)- 1925年(大正14年)1月31日)は、日本の農業経営者、政治家。衆議院議員、埼玉県北足立郡小谷村長。 武蔵国足立郡小谷村(のち埼玉県北足立郡小谷村、現:鴻巣市)で、小谷村長を務めた長島基吉の長男として生まれる。1890年、東京専門学校政治科を卒業し、農業を営む。 北足立郡会議員、同参事会員、埼玉県会議員、同参事会員、小谷村長などを務めた。 1917年4月、第13回衆議院議員総選挙で埼玉県選挙区から憲政会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
神部 為蔵(かんべ ためぞう、1864年3月18日(元治元年… 神部 為蔵(かんべ ためぞう、1864年3月18日(元治元年2月11日) - 1947年(昭和22年)1月31日)は、日本の実業家、政治家、土木技師。憲政会・立憲民政党所属の衆議院議員。 相模国高座郡本郷村(現神奈川県海老名市)で、池亀五兵衛の二男として生まれ、神部マスの養子となる。海軍計吏となり横須賀鎮守府在勤、さらに練習艦「館山」乗組みとなる。1889年(明治22年)7月、神奈川県庁に転じ同県技手に任官し、酒匂川の増水破堤改築工事に従事。1902年10月、北海道庁技手に転じ、1906年1月まで在任した。 その後、上川郡鷹栖村字近文(その後東鷹栖町を経て現旭川市)で牧畜業を経営し、さらに土木建築請負業を行う。
臼井 哲夫(うすい てつお、1863年3月18日(文久3年1… 臼井 哲夫(うすい てつお、1863年3月18日(文久3年1月29日)- 1935年(昭和10年)6月29日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 肥前国高来郡島原村(現:長崎県島原市)で、臼井三平の長男として生まれる。島原学校、松風義塾、小叩塾などを経て慶應義塾で学ぶ。 1880年、同志と共に西海日報社を創立し、翌年まで同紙の記者を務めた。1888年、日本輸出米商社事務長に就任。以後、総武鉄道庶務課長、近江鉄道取締役、磯湊鉄道取締役、上野鉄道社長、吾妻川電力社長などを歴任した。 1883年、長崎県会議員に当選。1898年8月、第6回衆議院議員総選挙において長崎県第三区から出馬し当選。その後、第8回、第9回、第10回総選挙でも当選。
井上 円了(旧字体: 井上 圓了、いのうえ えんりょう、18… 井上 円了(旧字体: 井上 圓了、いのうえ えんりょう、1858年3月18日(安政5年2月4日) - 1919年(大正8年)6月6日)は、日本の哲学者、教育者。 明治日本に哲学を広めた人物の一人。哲学館(現、東洋大学)や哲学堂公園を設立した。仏教哲学や妖怪学にも業績がある。 1858年(安政5年)、越後長岡藩領の三島郡浦村(現・新潟県長岡市浦)にある慈光寺に生まれる。幼名、岸丸。父は円悟、母はイク。 16歳で長岡洋学校に入学し、洋学を学んだ。1877年(明治10年)、東本願寺の教師学校に入学する。1878年(明治11年)東本願寺の国内留学生に選ばれ上京し、東京大学予備門に入学する。その後東京大学に入学し、文学部哲学科に進んだ。
山口 定省(やまくち さだみ、やまぐち ていせい、1858年… 山口 定省(やまくち さだみ、やまぐち ていせい、1858年3月18日(安政5年2月4日) - 1926年(大正15年)1月20日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 若狭国遠敷郡和久里村(のち福井県遠敷郡今富村、現・小浜市)に小浜藩士山口甚太夫の子に生まれる。農業を営み、学務委員、和久里村戸長、今富村長、福井県会議員、同参事会員、遠敷郡会議員、同参事会員、福井農工銀行取締役、若越新聞社長となる。また、朝鮮で貿易業に従事する。 1898年8月の第6回衆議院議員総選挙において福井4区から憲政党公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1926年に死去した。
永江 純一(ながえ じゅんいち、1853年3月18日(嘉永6… 永江 純一(ながえ じゅんいち、1853年3月18日(嘉永6年2月9日)- 1917年(大正6年)12月9日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 筑後国三池郡江浦村(現:福岡県みやま市)で、永江藤次郎の長男として生まれる。中野南強から漢学を学び、西田幹治郎の私塾を経て、平戸に遊学。明治維新後、長崎で英学を東京で法律を学んだ。弟の死去に伴い帰郷した。野田卯太郎らの同志と自由民権運動に尽力。また、同志と筑後白日会を結成し国権主義を主張した。 1878年、永治村戸長に就任。その後、江浦村戸長を兼務し、三池郡町村連合会議員、福岡県会議員を歴任。1892年2月の第2回衆議院議員総選挙の選挙運動中に政敵の迫害を受け、大牟田川畔で襲撃を受けて足を負傷し歩行が困難となった。
石黒 忠悳(いしぐろ ただのり、1845年3月18日〈弘化2… 石黒 忠悳(いしぐろ ただのり、1845年3月18日〈弘化2年2月11日〉- 1941年〈昭和16年〉4月26日)は、明治時代の日本陸軍軍医、日本赤十字社社長。茶人。草創期の軍医制度を確立した。爵位は子爵。 幼名は庸太郎(つねたろう)。父・平野順作良忠は幕府代官の手代になり、奥州(福島県)の梁川陣屋(戦国期の梁川城)に務めているときに庸太郎が生まれた。1856年2月に元服して忠恕(ただのり)を名乗り、平野庸太郎忠恕と称したが、やがて忠徳、後に忠悳と改めた(悳は徳の古字)。父母は早く亡くなり、天涯孤独となる。16歳のとき、父の姉が嫁いでいた越後国三島郡片貝村(今の新潟県小千谷市)の石黒家の養子になった。
谷 干城(たに たてき/たに かんじょう、天保8年2月12日… 谷 干城(たに たてき/たに かんじょう、天保8年2月12日〈1837年3月18日〉- 明治44年〈1911年〉5月13日)は、日本の武士(土佐藩士)、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍中将。栄典は正二位勲一等子爵。 幕末は、土佐藩の勤皇派として、乾退助(板垣退助)の片腕を為し、薩摩藩・小松帯刀、西郷隆盛らと「薩土討幕の密約」を締結する。戊辰戦争に際し、軍事の才能、智略に秀で最前線で戦った武将。熊本鎮台司令長官であった西南戦争においては、熊本城攻防戦の官軍指揮者として手腕を発揮し、更に武名を挙げた。第2代学習院院長。東京学士会院会員。 天保8年2月12日(1837年3月18日)、土佐藩に仕える儒学者・谷景井(萬七。
江藤 新平(えとう しんぺい、天保5年2月9日(1834年3… 江藤 新平(えとう しんぺい、天保5年2月9日(1834年3月18日) - 明治7年(1874年)4月13日)は、江戸時代後期の武士(佐賀藩士・権大参事)、明治時代の政治家、官吏、教育者。幼名は恒太郎、又蔵。諱は胤雄、胤風とも、号は南白または白南。朝臣としての正式な名のりは平胤雄(たいら の たねお)。位階は贈正四位。 東征大総督府軍監、徴士、制度取調専務、左院副議長(初代)、文部大輔(初代)、司法卿(初代)、参議を歴任したが、明治六年政変で下野。佐賀の乱の首謀者として処刑された。 立法・行政・司法がそれぞれ独立する「三権分立」を推進し、日本近代司法体制の生みの親として「近代日本司法制度の父」と称される。
竹内 吟秋(たけのうち ぎんしゅう、天保2年2月5日(183… 竹内 吟秋(たけのうち ぎんしゅう、天保2年2月5日(1831年3月18日) - 1913年(大正2年)11月2日)は明治時代の陶芸家。通称は直輔、源三郎、諱は知雅、別号は節翁。青年期は武芸に励み、加賀大聖寺藩、石川県に出仕した後、九谷焼作陶に転じ、維新舎主、九谷陶器会社支配人、江沼郡九谷陶器同盟組合頭取、石川県工業学校陶磁科教諭を歴任した。弟浅井一毫も陶芸家。 天保2年(1831年)2月5日大聖寺藩士浅井長右衛門の長男として生まれた。天保9年(1838年)室田某に習字、天保10年(1839年)菅生石部神社大江某に読書を学んだ。 弘化2年(1845年)堀文錦、小島春晁に絵画、弘化3年(1846年)山田十助に真之神道流柔術、七尾篤忠に直心影流剣術を学び、師の没後田中有常に皆伝を受けた。
物集 高世(もずめ たかよ、文化14年2月1日〈1817年3… 物集 高世(もずめ たかよ、文化14年2月1日〈1817年3月18日〉 - 1883年〈明治16年〉1月2日)は豊後国出身の国学者。通称・丈右衛門、正策、正孝、真風とも称した。号は「葎屋」(むぐらのや)。 1817年(文化14年)、商家の次男として杵築藩に生まれた。物集家の祖先は山城国物集女(もずめ)村(現・京都府向日市物集女町)から出、のち大阪で金屋という屋号の豪商となったが、一族の一人が杵築に移り住み、物集女から物集に改姓したと伝えられる。金屋は杵築城下きっての豪商で、高世の弟・雄蔵が継いだが、のちに倒産した。 漢学を儒臣元田竹渓に、後に国学を定村直孝と直好に学び、平田篤胤の復古思想やその学風に共感して直接教えを受けた。
鏡 征爾(かがみ せいじ、3月18日)は、日本の小説家。東京… 鏡 征爾(かがみ せいじ、3月18日)は、日本の小説家。東京大学大学院博士課程在籍。 2007年8月、三島征爾名義の投稿作「電子の泡」が第7回ボイルドエッグズ新人賞最終候補に。2008年5月、同名義の「電子の蝶は乱れない」が再び第8回の同賞で最終候補となる。同じ2008年の8月、鏡賢司名義で投稿した「機械仕掛けの泡」が第5回講談社BOX新人賞“流水大賞”で初の《大賞》を受賞。翌2009年5月、東大大学院修士課程在籍中に同作を改題・改稿した『白の断章』で単行本デビュー。同賞受賞は講談社BOXを立ち上げ、西尾維新や舞城王太郎、奈須きのこ等を担当した文芸編集者太田克史の強い推薦によるものであり、また太田が単独で編集を行う『ファウスト』の公募新人賞(講談社BOX新人賞の前身)では第4次まで連続で受賞作無しが続いていたため、9度目にして初の受賞者として注目された。
嘉月 絵理(よしづき えり、3月18日 - )は、日本の女優… 嘉月 絵理(よしづき えり、3月18日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団月組の男役。元月組副組長。 東京都世田谷区、都立松原高等学校出身。身長164.5cm。愛称は「えり」。 1987年、宝塚音楽学校入学。 1989年、宝塚歌劇団に75期生として入団。星組公演「春の踊り/ディガ・ディガ・ドゥ」で初舞台。 1990年、組まわりを経て月組に配属。 2005年12月26日付で月組副組長に就任。 2007年11月11日、「MAHOROBA/マジシャンの憂鬱」東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団。 実父は俳優の南原宏治、実母は宝塚OGでもある上月左知子である。
ひのもとめぐ(3月18日 - )は、日本の少女漫画家。別ペン… ひのもとめぐ(3月18日 - )は、日本の少女漫画家。別ペンネームにひのもとめぐる。福岡県出身。A型。筑陽学園高等学校デザイン科、日本デザイナー学院九州校卒業。埼玉県在住。 2001年の第10回まんが甲子園に出場し、高知県高校文化連盟会長賞を受賞。2005年、『ないしょのフォトグラフ』でなかよし新人まんが賞準入選を受賞し、『なかよしラブリー』2005年冬の号でデビュー。その後はティーンズラブ漫画やケータイコミックを主に手がける。 まんが甲子園受賞後は審査員などとして大会に関わっている。高知県との関わりは深く、ローカルアイドル・はちきんガールズの公式ファンブックのイラストも担当している。
竹中 三佳(たけなか みか、3月18日 - )は、日本のシン… 竹中 三佳(たけなか みか、3月18日 - )は、日本のシンガーソングライター。東京都国立市出身。 高校時代から四谷や渋谷などのライブハウスでピアノ弾き語りのライブを行っていた。 1984年、第28回 ポプコンに「竹中三佳&ラプラス」として出場した。 1986年、ビクター音楽産業に持ち込んだデモテープがきっかけで、OVA『戦国奇譚妖刀伝』の挿入歌「爪紅 〜つまくれない〜」を担当するとともに、桔梗役の声優として出演する。その後、ヤマハ音楽教室の教育用音楽の作曲・作詞など数多く手がける。 2000年、演劇集団キャラメルボックス 公演『クローズ・ユア・アイズ』で持ち歌が使用され、脚光を浴びる。それ以降、ZABADAKなどとともに同劇団へ多くの楽曲を提供し続けながら、他アーティストへの楽曲提供やライブ活動などを行っている。