黒田 実郎(くろだ じつお、1928年6月1日-1999年8… 黒田 実郎(くろだ じつお、1928年6月1日-1999年8月18日)は、幼児心理学者。 大阪市生まれ。1952年関西学院大学大学院心理学博士課程満期退学、ロンドン大学大学院心理学博士課程修了、聖和女子短期大学専任講師、55年助教授、61年教授、64年聖和女子大学教授、1970年「条件づけによる幼児の行動変容に関する実験研究」で関西学院大学文学博士。80年聖和大学教育学部教授。99年定年退任。没後正五位勲三等瑞宝章受勲。ジョン・ボウルビィのアタッチメント理論の権威であった。
佐藤 寿々江(さとう すずえ、1928年6月1日- 2016… 佐藤 寿々江(さとう すずえ、1928年6月1日- 2016年11月13日)は、日本の彩色家。現在の東京都渋谷区出身。 以前は映画館で上映される映画のポスター写真に色づけを加える彩色の作業に携わっていたが、1951年3月場所に日本相撲協会が、幕内最高優勝賞品の一つとして優勝額の贈呈を再開するにあたり、掲額される優勝額のモノクロ写真に、手作業で着色する作業を延べ62年間にわたって担当し続けた。この優勝額は5年余りにわたって蔵前国技館、次いで両国国技館に掲額された。 晩年は体調を崩したため、以前の同僚が彩色作業を手伝うこともあったが、2014年1月、優勝額を提供する毎日新聞社から、佐藤が高齢になったことに伴い、優勝額の着色作業から引退することを正式に発表。
田島 稔(たじま みのる、1928年〈昭和3年〉6月 - … 田島 稔(たじま みのる、1928年〈昭和3年〉6月 - 2023年〈令和5年〉1月14日)は、日本の建設技官。国土地理院長を務めた。 1928年に栃木県栃木市に生まれる。1952年3月東京大学理学部地球物理学科卒業後、同年4月建設省地理調査所勤務。1967年2月理学博士(東京大学)。1982年11月国土地理院長。1984年11月同院を退職。1985年6月学校法人中央工学校理事を経て学校法人中央工学校・中央実務専門学校校長。
詫摩 武俊(たくま たけとし、1927年〈昭和2年〉6月30… 詫摩 武俊(たくま たけとし、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 2018年〈平成30年〉12月30日、享年91歳)は、日本の心理学者。(旧)東京都立大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。学位は、文学博士(東京大学・1961年)(学位論文「双生児法による遺伝心理学的研究」)。小児科学者詫摩武人の長男。 千葉県出身。旧制都立高等学校理科を経て東京大学文学部卒。 その後、東京大学文学部助手、学習院大学文学部教授を経て(旧)東京都立大学人文学部教授を定年退職まで務めた後、東京国際大学教授として人間社会学部および臨床心理学研究科の設置に関わる。ドイツのミュンヘン大学に留学・滞在した経験とも関係して、日本では比較的珍しいヨーロッパの性格学の流れを汲む性格心理学を展開した。
大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 … 大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 2015年〈平成27年〉11月13日)は、日本の政治家、外交官。全国地球温暖化防止活動推進センター代表。位階は従三位。 環境大臣(第3代)、環境庁長官(第35代)、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。 愛知県西春日井郡西枇杷島町(現清須市)出身。愛知県立第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)時代は岡井隆と同級生で仲が良かった。第八高等学校を経て、旧制松本高校文科卒業後、海軍兵学校(第76期)で終戦を迎え、東京大学法学部卒業。 1952年東大卒業後、外務省に入省した。ワシントン、ベオグラード、ジュネーブでの在外公館勤務。外務省欧亜局東西通商課長、欧亜局東欧第一課長、報道課長、官房総務参事官を経て、1978年官房審議官・多角的貿易交渉担当大使、1979年在ホノルル総領事。
中尾 正幸(なかお まさゆき、1927年〈昭和2年〉6月30… 中尾 正幸(なかお まさゆき、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 没年不明)は、日本の実業家。カネユキ精肉店店主。兵庫県食肉環境衛生同業組合・同食肉協同組合明石支部副支部長。志方食肉組合理事。志方油脂組合長。日ノ出市場商人会会長。 兵庫県印南郡志方町(現・加古川市)出身。志方町立高等小学校を卒業。趣味は登山、ボウリング。宗教は浄土真宗本願寺派。住所は兵庫県印南郡志方町志方。 事業所は兵庫県明石市二見町東二見。家族は妻、長男・政国(加古川食肉産業協同組合理事長)、次男がいる。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
鳥居 フミ子(とりい ふみこ、1927年(昭和2年)6月29… 鳥居 フミ子(とりい ふみこ、1927年(昭和2年)6月29日 - 2015年(平成27年)1月11日)は、日本文学研究者、東京女子大学名誉教授。専門は日本近世文学、特に土佐浄瑠璃。 愛知県宝飯郡塩津村(現・蒲郡市)生まれ。1944年愛知県立国府高等女学校(現・愛知県立国府高等学校)卒業。同年、愛知県立第二師範学校女子部本科(現・愛知教育大学)入学。1947年、愛知県立女子専門学校(現・愛知県立大学)国文学科入学。1950年に同校を卒業すると、東京女子大学文学部日本文学科に編入学。1952年同大学卒業。1953年東京大学人文科学研究科国語国文学専攻修士課程入学。1955年同博士課程進学、1960年単位取得退学。
中村 勝人(なかむら かつと、1927年〈昭和2年〉6月27… 中村 勝人(なかむら かつと、1927年〈昭和2年〉6月27日 - 2011年〈平成23年〉7月22日)は、日本の政治家、地方公務員。山口県宇部市長(第21・22代)。 1927年(昭和2年)6月27日、山口県吉敷郡東岐波村(現・宇部市)に生まれる。旧制宇部工業専門学校(現・山口大学工学部)を卒業したのち、1950年(昭和25年)に東岐波村役場へ入所。東岐波村が宇部市に編入された後は、宇部市役所で庶務課長、財務課長、企画調整部次長、市民部長を歴任した。 市役所退職後は常勤監査委員を務めていたが、1987年(昭和62年)7月18日、当時の二木秀夫参議院議員(第18・19・20代宇部市長)に後継市長候補者として推薦され、宇部市議会の正副議長と議会主要5会派から市長選への出馬要請を受けた。
野田 武義(のだ たけよし、1927年(昭和2年)6月27日… 野田 武義(のだ たけよし、1927年(昭和2年)6月27日 - 2005年(平成17年)5月8日)は、日本の政治家。釜石市長(3期) 。位階は従四位。 岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)出身。1945年、岩手県立釜石商業学校(のち岩手県立釜石商業高等学校、現・岩手県立釜石商工高等学校)卒。釜石市議会議員を4期務め、1971年、岩手県議会議員に当選し、4期務める。1987年、釜石市長に当選し、市長を3期務める。1999年に市長を退任した。2005年に死去。死没日付をもって従四位に叙された。
内野 二朗(うちの じろう、1927年6月27日 - 200… 内野 二朗(うちの じろう、1927年6月27日 - 2004年6月15日)は、日本のプロモーター、キョードー東京を中心とするキョードー・グループの創立者。 現在の埼玉県狭山市で、生まれ育った。「貧しい中で小学校を卒業し」、実家近くの陸軍航空士官学校付属飛行機工場に勤めながら、夜間の青年学校に学んで、中学校卒業資格を得る。海軍飛行予科練習生甲種に志願し、合格するも、既に飛行機の生産がままならない状況の中で、人間魚雷(回天)の乗員として山口県防府の海軍基地に配属された。しかし、直後に病気で入院を余儀なくされ、そのまま終戦を迎えた。 戦後は、陸軍航空士官学校を接収した米第5空軍のジョンソン基地(現在の航空自衛隊入間基地)で働きながら、英語を学ぶために明治学院大学の夜間英語学校に通い、後にはジョンソン基地の経理担当者となった。
清原 啓一(きよはら けいいち、1927年6月27日 - 2… 清原 啓一(きよはら けいいち、1927年6月27日 - 2008年10月11日)は、洋画家、日本芸術院会員。 富山県砺波市出身。辻永、新道繁に師事し、1959年日展特選、1994年日展内閣総理大臣賞、日展常務理事、顧問。2002年日本芸術院賞・恩賜賞、芸術院会員。光風会常務理事。花と鶏を描く。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
杉本 圭三郎(すぎもと けいさぶろう、1927年6月25日-… 杉本 圭三郎(すぎもと けいさぶろう、1927年6月25日-2015年7月10日)は、日本の国文学者。 栃木県生まれ。1956年法政大学第二文学部日本文学科卒、1959年同大学院修士課程修了、文学部助手、1963年教養部専任講師、助教授、文学部教授、1998年定年退任、名誉教授。中世文学を主として研究し、『平家物語』の全現代語訳をおこなった。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
清元 榮三郎(きよもと えいざぶろう、1927年(昭和2年)… 清元 榮三郎(きよもと えいざぶろう、1927年(昭和2年)6月24日 - 2002年(平成14年)12月31日)は昭和から平成にかけて活動した清元節三味線方。歌舞伎公演の立三味線(首席奏者)を長年務めた。神奈川県横浜市出身。本名は柿澤壽夫。 天声の美声と声量の豊かさによって清元界のみならず、戦前・戦中・戦後の邦楽界を代表する太夫であった清元志壽太夫の長男として生まれ、父のみならず六世清元延壽太夫の立三味線も務め、また現家元の七世清元延壽太夫を指導するなど、清元節三味線方の代表格として活躍した。また作曲にも優れ、多数の作品を残している。 父志壽太夫のタテ三味線として、多くの歌舞伎の海外公演に参加している。
片野 達郎(かたの たつろう、1927年6月23日 - 20… 片野 達郎(かたの たつろう、1927年6月23日 - 2015年5月11日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東北大学・1976年)(学位論文「平安・鎌倉時代における文芸と絵画の相関性の研究」)。東北大学名誉教授。 神奈川県鎌倉市小町出身。東北大学国文科卒、同大学院博士課程中退、東北大学教養部助教授、教授、1976年「平安・鎌倉時代における文芸と絵画の相関性の研究」で東北大学より文学博士の学位を取得。91年定年退官、名誉教授、いわき明星大学教授、2001年退職。中世和歌が専門。長男は片野道郎。
野田 一夫(のだ かずお、1927年6月22日 - 2022… 野田 一夫(のだ かずお、1927年6月22日 - 2022年9月3日)は、日本の経営学者、事業家。一般財団法人日本総合研究所名誉会長、一般財団法人社会開発研究センター名誉会長、一般社団法人全国経営者団体連合会会長、一般社団法人日本マネジメントスクール会長、一般財団法人日本教育推進財団最高顧問、多摩大学名誉学長、事業構想大学院大学名誉学長、グロービス経営大学院大学理事。 立教大学教授、マサチューセッツ工科大学ポストドクトラル・フェロー、ハーバード大学フェロー、一般財団法人日本総合研究所初代所長、一般社団法人ニュービジネス協議会初代理事長、多摩大学初代学長、宮城大学初代学長、事業構想大学院大学初代学長などを歴任した。
山口 牧生(やまぐち まきお、1927年6月20日 - 20… 山口 牧生(やまぐち まきお、1927年6月20日 - 2001年12月16日)は、日本の石彫彫刻家。 1927年福岡県戸畑市生まれ。13歳の頃に兵庫県西宮市に移りその後終戦をむかえる。 京都大学印度哲学科に入学するが2ヶ月で美学科に転科。 大学卒業後は大阪市立美術研究所に入所、美術の道に進む。 初期は木彫から始まりセメントや廃材を素材としていた。 団体展への出品や画廊での個展を経て、野外彫刻(公共彫刻)に可能性を見出し、1968年に小林陸一郎、増田正和らと「環境造形Q」を結成。その時に石という素材に出会い、その後は石彫作品を主に制作。 大阪府能勢町に産する能勢黒(のせぐろ)と呼ばれる良質な御影石に惚れ込み、娘の山口さとことともに採掘所の一角や亀岡市西別院町に設けたアトリエで能勢黒を素材に作品制作に励んだ。
鈴木 昭生(すずき しょうせい、1927年6月19日 - 2… 鈴木 昭生(すずき しょうせい、1927年6月19日 - 2009年8月18日)は、日本の男性俳優、声優。東京府(現:東京都)出身。 長男はムーンライダーズの鈴木慶一、次男は同じくムーンライダーズの鈴木博文。 東京都立青山高等学校卒業。日本大学専門部工科卒業。身長169cm、体重55kg。声域はバリトン。 1947年2月15日、劇団文化座入団。その後、九プロダクションに所属していた。 2004年に咽頭癌を患い、その後2006年に咽頭及び声帯切除により芸能活動を引退、治療に専念していたが、2009年8月18日、自宅にて心不全により死去。82歳没。
我妻 洋(わがつま ひろし、1927年6月17日 - 198… 我妻 洋(わがつま ひろし、1927年6月17日 - 1985年7月25日)は、日本の社会心理学者・文化人類学者。甲南大学助教授・カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授・筑波大学教授・東京工業大学教授などを歴任。 日米文化比較の分野で活躍し、家族や性、差別などについて社会心理的側面から実証的比較研究を行った。 1927年6月17日、法学者・我妻栄の長男として東京都に生まれた。 東京高等師範学校附属小学校、同中学校を経て、旧制武蔵高等学校に進学。 東京大学文学部独文科に入学したが、心理学科に転じて1953年卒業。 1954年より米国へ留学し、ハーバード大学、ミシガン大学、カルフォルニア大学の各大学で文化人類学と臨床心理学を学ぶ。
林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日… 林 義郎(はやし よしろう、1927年〈昭和2年〉6月16日 - 2017年〈平成29年〉2月3日)は、日本の政治家、通産官僚。位階は正三位。 大蔵大臣(第97代)、厚生大臣(第62代)、衆議院議員(11期)などを歴任した他、日中友好議員連盟や日中友好会館の会長も務めた。 山口県下関市貴船町出身。豊浦中学4年修了、旧制第一高等学校を経て、1950年(昭和25年)に東京大学法学部を卒業する。同年、通商産業省に入省する。入省同期に栗原昭平、諸口昭一(札幌通産局長、東商大卒)などがいる。通産省では、通産大臣秘書官、通産省重工業局産業機械課長を歴任する。 1969年(昭和44年)に通産省を退官。同年末の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で周東英雄の後継者として旧山口1区から立候補し、初当選した(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
加藤 昭男(かとう あきお、1927年6月16日 - 201… 加藤 昭男(かとう あきお、1927年6月16日 - 2015年4月30日)は、愛知県瀬戸市出身の日本の彫刻家。武蔵野美術大学名誉教授。新制作協会会員。旭日小綬章受章。
藤枝 和博(ふじえだ かずひろ、1927年(昭和2年)6月1… 藤枝 和博(ふじえだ かずひろ、1927年(昭和2年)6月16日 - )は、日本の政治家。元東京都荒川区長。勲四等旭日小綬章。 北海道斜里郡斜里村(現斜里町)出身。 1951年(昭和26年)3月、早稲田大学法学部を卒業する。 1953年(昭和28年)4月、東京都庁に入り都立工業短大庶務課長、総務局副監察員、公害局副参事、教育庁施設計画課長、高等学校教育課長などを歴任する。 1977年(昭和52年)荒川区企画部長に転じ、1979年(昭和54年)同区助役を経て、1989年(平成元年)9月、荒川区長に当選し、3期務める。 2001年(平成13年)引退した。2002年春の叙勲で勲四等旭日小綬章を受章。
恩田 貢(おんだ みつぐ、1927年6月15日 - 2003… 恩田 貢(おんだ みつぐ、1927年6月15日 - 2003年1月31日)は、日本のジャーナリスト。ジャーナリストの恩田将葉は長男。
滝沢 健児(たきざわ けんじ、1927年〈昭和2年〉6月15… 滝沢 健児(たきざわ けんじ、1927年〈昭和2年〉6月15日 - 2013年〈平成25年〉5月2日)は、日本の建築家。 1927年、長野県更埴市(現千曲市)出身。早稲田大学大学院修了後、吉阪隆正主宰のU研究室の創設メンバーとして1954年から1964年まで在籍。この時期に関わった代表作に「浦邸」(『吉阪隆正の方法 浦邸1956』斉藤祐子編著、住まい学大系064:住まいの図書館出版局、1994に詳しい)がある。ほかに、「ヴィラ・クゥクゥ」、「富山市立呉羽中学校旧校舎」、「大学セミナー・ハウス」などを担当した。 1965年に自身の建築設計事務所を開設、更埴市庁舎などを設計している。国士舘大学教授も務めた。
青木 やよひ(あおき やよい、1927年6月13日 - 20… 青木 やよひ(あおき やよい、1927年6月13日 - 2009年11月25日)は、日本のノンフィクション作家、音楽評論家・女性論評論家。 静岡県出身。東京薬学専門学校(現東京薬科大学)卒業、出版社勤務、『ロマン・ロラン全集』(みすず書房)の編集に携わるかたわら、片山敏彦の知遇を得て文筆活動をはじめる。 1970年代以降、大学や市民講座で女性学を講じながらベートーヴェン研究に取り組む。 1983年前後、エコロジカル・フェミニズムを掲げて上野千鶴子と論争した。 晩年はベートーヴェン関連の著述に集中した。夫は北沢方邦。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
魚谷 増男(うおたに ますお、1927年6月11日 - 20… 魚谷 増男(うおたに ますお、1927年6月11日 - 2017年7月24日)は、日本の警察官僚、法学者。元愛媛県警察本部長、平成国際大学名誉教授、慶應義塾大学博士(法学)。
松永 通温(まつなが みちはる、1927年6月10日 - 2… 松永 通温(まつなが みちはる、1927年6月10日 - 2025年4月2日)は日本の作曲家。 大阪府出身。大阪学芸大学で山縣茂太郎とクラウス・プリングスハイムらに学んだあと個人的に入野義朗に師事。ISCMの1978年にはヘルシンキ国際音楽祭で7人の打楽器奏者のための「サウンド・ファースト」が入選・演奏される。その他の代表作としては「葦と枝と風と・・・」や「カウンターパフォーマンスII」などがある。大阪府立池島高等学校(大阪府立みどり清朋高等学校の前身校の一つ)の校歌も作曲している。 2025年4月2日に97歳で逝去。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
相川 賢太郎(あいかわ けんたろう、1927年6月8日 - … 相川 賢太郎(あいかわ けんたろう、1927年6月8日 - 2023年1月17日)は、日本の経営者。三菱重工業社長、会長を務めた。 長崎県長崎市出身。1951年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に西日本重工業(のちの三菱重工業)に入社した。1975年6月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1989年6月には社長に就任した。1995年6月から会長を務めた。社長在任時には、社長権限を強化し、徹底した合理化を進めたことで「ミスターコストダウン」と呼ばれた。地熱発電プラント開発の第一人者としても知られる。 三菱自動車工業取締役、三菱商事取締役、日本造船工業会会長、日本機械工業連合会会長なども歴任した。
小林 兼年(こばやし かねとし、1927年〈昭和2年〉6月7… 小林 兼年(こばやし かねとし、1927年〈昭和2年〉6月7日 - 1990年〈平成2年〉3月27日)は、日本の政治家。山口市長(1期)。 山口県山口市出身。旧制山口中(現山口県立山口高等学校)卒。1953年(昭和28年)、山口市役所に入る。市役所では納税、庶務の各課長、民生、総務の各部長などを経て、1981年(昭和56年)、山口市助役に就任する。 1987年(昭和62年)、山口市長選挙に無所属で立候補して、保守系無所属新人同士の一騎打ちを制して初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:78.3%(前回比:-pts) 同年4月27日に市長に就任した。 1990年3月27日、執務中に倒れ、急性心不全のため死去した。
南原 宏治(なんばら こうじ、1927年〈昭和2年〉6月7日… 南原 宏治(なんばら こうじ、1927年〈昭和2年〉6月7日 - 2001年〈平成13年〉12月20日)は、日本の俳優。本名は伍井 卯和二(いつい うわじ、旧姓は則竹)。神奈川県横浜市出身。最後の所属事務所はアクターズプロモーション。 元妻は、宝塚歌劇団出身で女優の上月左知子。長女は元宝塚歌劇団月組男役の嘉月絵理。長男は俳優の南原健朗、次男は元俳優の山口正朗。 父親が刑務所長だったことから横浜刑務所の官舎で生まれ、東京府八王子市などで育った後、学徒動員で中国に渡り、天津で終戦を迎える。戦後は東京農業教育専門学校を経て、東京大学農学部中退。 1951年、スポーツニッポン新聞社主催の「ミスターニッポンコンテスト」で準ミスターニッポンに選出されたのをきっかけに、第6期ニューフェイスとして大映入りする。
杉 義一(すぎ ぎいち、1927年6月7日 - 2017年3… 杉 義一(すぎ ぎいち、1927年6月7日 - 2017年3月20日)は、日本の元俳優。京都市右京区太秦出身。本名は杉 義一(すぎ よしかず)。 俳優・杉狂児の長男として生まれる。明星学園在学中の1941年、児童劇団かもしか座が創立されると同時に入団する。帝国劇場で初舞台。1942年、NHKラジオ『潜水飛行機 とびうお号』にレギュラー出演。明星学園卒業後、日本大学文学部に入るが、1947年5月に中退。同年7月に創立した東横映画に父・狂児と共に入社。同年、東横映画第1回作品『こころ月の如く』が映画デビューとなる。 1967年、東横を退社してフリーとなり、1973年から1975年までは千葉真一のジャパン・アクション・クラブの代表を務めた。
小杉 太一郎(こすぎ たいちろう、1927年6月6日 - 1… 小杉 太一郎(こすぎ たいちろう、1927年6月6日 - 1976年8月9日)は、日本の作曲家。宮城県石巻市出身。 父は俳優・映画監督の小杉勇。同じ伊福部昭門下の作曲家山内正は義兄(妻の兄)にあたる。 当初は獣医師を志望し、東京府立第十五中学校を経て麻布獣医専門学校(現 麻布大学)に進んだが、1949年、東京音楽学校作曲科に入学。池内友次郎に対位法と和声学を、伊福部昭に作曲と管弦楽法を学ぶ。 1952年、『六つの管楽器の為のコンチェルト』で第21回毎日音楽コンクール室内楽作曲部門第1位入賞を果たす。 東京音楽学校との方針の違いから辞任した伊福部を追って中退、多くの門下生と共に伊福部のアシスタントを務める。
佐藤 慶次郎(さとう けいじろう、1927年6月6日 - 2… 佐藤 慶次郎(さとう けいじろう、1927年6月6日 - 2009年5月24日)は、日本の作曲家、造形芸術家。 慶應義塾大学医学部卒で、早坂文雄に師事、1953年に実験工房の会員、後に退会。 1954年の音楽コンクールと1961年のウィーンのISCM国際現代音楽祭に入選。電子オブジェの世界でも注目される。 代表作に1960年作曲の「ピアノのためのカリグラフィー」がある。 2002年には全音楽譜出版社から出版された早坂文雄作曲『室内のためのピアノ小品集』の監修をした。 2009年5月24日、肺がんで死去。享年81歳。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
小沢 信男(おざわ のぶお、1927年6月5日 - 2021… 小沢 信男(おざわ のぶお、1927年6月5日 - 2021年3月3日)は、日本の作家。 山下清の生涯を書いた『裸の大将一代記』で知られる。 東京市(現東京都港区)新橋出身。1947年東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を卒業。日本大学芸術学部に進学し、在学中に「新日本文学」に参加。「江古田文学」に掲載された「新東京感傷散歩」が花田清輝に認められる。 卒業後、小説・詩・戯曲・評論・俳句・ルポルタージュなど多岐にわたる執筆活動を展開し、著書多数。特に、東京・犯罪などの研究・執筆において、先駆者的な仕事をしている。 上野のタウン雑誌「うえの」の編集者をつとめた。 2000年に『裸の大将一代記 - 山下清の見た夢』で桑原武夫学芸賞受賞。
金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年… 金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年7月7日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近世史。特に近世から近代にかけての対外交流史関係の著作が多い。 長野県東筑摩郡里山辺村(松本市)出身。旧制岡谷市立中学(現在の長野県岡谷南高等学校)を経て、1948年旧制松本高等学校文科乙類卒業、1951年東京大学文学部国史学科卒業。1956年同大学院人文科学研究科中退。1951年東京大学史料編纂所に入所、1962年助手、1971年助教授、1976年教授、1987年「日蘭交渉史の研究」で東大文学博士。1988年定年退官、名誉教授。 『神奈川の写真誌』全5巻、石井光太郎 共編 有隣堂 1970-1971年。
金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年… 金井 圓(かない まどか、1927年6月5日 - 2001年7月7日)は、日本の歴史学者。専攻は日本近世史。特に近世から近代にかけての対外交流史関係の著作が多い。
安東 仁兵衛(あんどう じんべえ、1927年6月5日 - 1… 安東 仁兵衛(あんどう じんべえ、1927年6月5日 - 1998年4月24日)は、日本の社会主義者。構造改革派の論客。筆名は笹田 繁(ささだ しげる)。 旧制水戸高校在学中の1948年に日本共産党に入党。東京大学在学中は、沖浦和光とともに東大細胞や学生運動のリーダーとして活躍。イールズ闘争に関与し、東京大学戦後初の退学処分を受ける。 その後、主に日本共産党の文京地区委員会の常任活動家として類いまれな行動力で党活動に献身。50年問題などを克服する過程では国際派の宮本顕治に期待を託し、日本共産党第7回大会での宮本書記長の実現に現場の活動家として貢献。 その後、日本共産党内の構造改革派の論客となり、1959年5月、長洲一二らとともに雑誌『現代の理論』創刊に参加(同年9月終刊)。
相原 巨典(あいはら きょすけ、1927年6月5日 - 19… 相原 巨典(あいはら きょすけ、1927年6月5日 - 1990年3月2日)は、日本の俳優。本名は相原 巨介。 東京府東京市蒲田区出身。日本大学芸術学部映画学科中退。東宝、日活 を経て、東京俳優生活協同組合に所属していた。 1946年、東宝ニューフェイス第1期に合格。1955年に日活へ移籍。映画やテレビドラマなどで脇役として活躍した。 1990年3月2日、狭心症のため死去。62歳没。 特技は柔道、乗馬、殺陣。
室木 洋一(むろき よういち、1927年6月4日 - 200… 室木 洋一(むろき よういち、1927年6月4日 - 2003年12月8日)は日本の武道家であり、教育者。戦後、北海道に空手を普及した先駆者。 1980年(昭和55年)の和道流、和道会の分裂騒動においては全日本空手道連盟和道会へ所属。北海道大学退官後は、空手道関連の役職から退き、後任に道を譲る。生涯個人の道場を持たず、流派を問わずして空手振興に尽力した。晩年は、合気柔術の大東流合気柔術幸道会の顧問を務め、空手道では全日本清心会(清心流空手道)技術顧問も務めた。
赤羽 太郎(あかばね たろう、1927年6月3日 - 199… 赤羽 太郎(あかばね たろう、1927年6月3日 - 1995年9月23日)は、日本の医学者(小児科学)。 長野県出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、昭和27年(1952年)旧制松本医科大学医学部卒業。同28年米国留学、同30年(1955年)信州大学助手、同38年(1963年)医学部助教授、同44年(1969年)教授、同63年(1988年)信州大学医学部附属病院長、平成元年(1989年)学長。
高木 禮二(たかぎ れいじ、1927年(昭和2年)6月2日 … 高木 禮二(たかぎ れいじ、1927年(昭和2年)6月2日 - 2007年(平成19年)5月3日)は、日本の実業家である。明光商会の創業者として知られた。 兵庫県神戸市にて、横浜正金銀行に勤務するエリートの父と油問屋の家庭の母の間に7人きょうだいの次男として生まれる。少年時代は父の赴任先の青島やパリで過ごし、絵本に描かれた世界の風景に憧れどうすれば世界の名所や美味しいものを食べられるのかと聞いたところ元陸軍大佐の祖父から「外交官になれ、外交官になるなら帝大に入れ、帝大に入るため英語と数学を勉強し学校一番の成績を取れ」と檄を飛ばされるも、少年時代は勉強を好まず作文と図画は高評価だったものの素行や算術では低評価となり、小学5年生になり東京から神戸に転校して以降には成績表を偽造することもあった。
瀬戸口 正昭(せとぐち まさあき、1927年6月2日 - 1… 瀬戸口 正昭(せとぐち まさあき、1927年6月2日 - 1998年4月15日)は、日本の実業家。名古屋テレビ放送社長を務めた。 大阪府出身。1951年に東京大学文学部仏文科を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。名古屋本社編集局長、名古屋本社代表、取締役、西部本社代表などを歴任した。1987年に名古屋テレビ放送常務に就任し、1989年6月に専務を経て、1993年6月から1998年3月までに社長を務めた。 1996年から1998年までに日本民間放送連盟副会長を務めた。 1998年4月15日、肺線維症のために死去。70歳没。
丹宗 暁信(たんそう あきのぶ、1927年6月2日 - 20… 丹宗 暁信(たんそう あきのぶ、1927年6月2日 - 2014年1月31日)は、日本の法学者(経済法)、弁護士。法学博士(九州大学)。北海道大学教授、千葉大学教授を歴任。「丹宗昭信」とも表記される。佐賀県出身。 1952年(昭和27年)東京大学法学部卒業。1957年(昭和32年)同大学院(旧制)特別研究生修了(指導教授:田中二郎)。 1958年(昭和33年)九州大学法学部助教授(経済法ほか担当)。1960年(昭和35年)フルブライト奨学金でコロンビア大学ロースクール(コロンビア・ロー・スクール)等に留学。1962年(昭和37年)2月「経済法学の体系化のための基礎理論の考察」で九州大学より法学博士の学位を取得。
小川 進(おがわ すすむ、1927年〈昭和2年〉6月2日 -… 小川 進(おがわ すすむ、1927年〈昭和2年〉6月2日 - 1996年〈平成8年〉9月11日)は、日本の政治家、千葉県四街道市長(2期)。 千葉県出身。明治大学政治経済学部卒。印旛郡千代田町(のち四街道町を経て、四街道市)役場に入り、教育長、収入役を務めた。1992年の四街道市長選挙に立候補し、初当選する。1996年に再選。当選後の9月に死去した。
安堂 信也(あんどう しんや、1927年6月1日 - 200… 安堂 信也(あんどう しんや、1927年6月1日 - 2000年10月18日)は、日本のフランス文学者・翻訳家。早稲田大学名誉教授。 東京出身。京城で敗戦を迎える。1951年早稲田大学仏文科卒、大学院に進み、1952年パリ第3大学に留学。留学時代にはなだいなだと過ごすこともあった 。1954年帰国し、文学座で演劇の実践に携わる。1956年博士課程進学、1959年中退、1962年早稲田大学文学部専任講師、1965年助教授、1970年教授。演劇博物館副館長などを務め、1995年定年退任。 マイムやダンス・バレエに貢献した及川廣信のマイム研究所では大野一雄らと共に指導し門下から舞踏の大野慶人,マイムの佐々木博康らを輩出した。
香川 達夫(かがわ たつお、1926年6月30日 - 202… 香川 達夫(かがわ たつお、1926年6月30日 - 2022年9月6日)は、日本の法学者。専門は刑法。学位は、法学博士(京都大学・1962年)(学位論文「中止未遂の法的性格」)。学習院大学名誉教授。神奈川県出身。 1950年、東京大学法学部卒業後、特別研究生として団藤重光に師事し、その後学習院大学法学部教授、同法学部長を務めた。1978年から1988年まで司法試験考査委員(刑法)等を歴任。 出世作は『中止未遂の法的性格』(1963年)。『結果的加重犯の本質』(1978年)では、通説に反して過失不要説を唱えた。また、通説に反し類推解釈を容認し、不真正不作為犯の処罰では正面から類推解釈を認めるべきだとする。
稲垣 栄三(いながき えいぞう、1926年6月29日-200… 稲垣 栄三(いながき えいぞう、1926年6月29日-2001年3月6日)は、日本の建築史家、東京大学名誉教授。 山形県出身。府立六中(現都立新宿高等学校)を経て東京大学工学部卒。1961年「明治時代における西洋建築導入過程に関する研究」で工学博士。太田博太郎、堀口捨己に師事。東京都立大学助手、東大工学部助教授、73年教授。87年定年退官、明治大学教授。 69年神社建築史の研究で建築学会賞。著作「日本の近代建築」で近代建築の始まりを大正時代とする説を唱えた。
広岡 隆(ひろおか たかし、1926年6月29日 - 200… 広岡 隆(ひろおか たかし、1926年6月29日 - 2009年)は、日本の法学者。専門は、行政法・行政代執行。 大阪府河南町生まれ。1949年京都帝国大学法学部卒。1962年「行政上の強制執行の研究」で、京都大学より法学博士の学位を授与される。 大阪学芸大学助教授、関西大学法学部助教授、関西学院大学法学部助教授、教授、96年定年、名誉教授、関西外国語大学教授。『アメリカ現代詩におけるホイットマン像』の著者、廣岡實は実弟。
久保 忠武(くぼ ただたけ、1926年6月29日 - 199… 久保 忠武(くぼ ただたけ、1926年6月29日 - 1997年2月10日)は、日本の経営者。四国銀行頭取を務めた。高知県出身。 1951年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に大蔵省に入省。 1976年12月に四国銀行に転じ、常務に就任し、1978年6月に専務を経て、1982年6月に副頭取に就任し、1985年6月には頭取に昇格。1987年8月に取締役相談役を経て、1988年6月から相談役を務めた。 1997年2月10日肺炎のために死去。70歳没。
木幡順三(こばた じゅんぞう、1926年6月29日-1984… 木幡順三(こばた じゅんぞう、1926年6月29日-1984年9月20日)は、日本の美学研究者。 大阪府出身。第三高等学校卒、1952年東京大学文学部美学美術史学科卒、同大学院をへて、東洋大学助教授、教授、1976年慶應義塾大学文学部教授。妻は木幡瑞枝。
秋葉 實(あきば みのる、1926年6月29日 - 2015… 秋葉 實(あきば みのる、1926年6月29日 - 2015年4月11日)は、日本の歴史研究家。江戸時代の探検家・松浦武四郎研究の第一人者で、北海道紋別郡遠軽町丸瀬布地域(旧丸瀬布町)の郷土史研究や、丸瀬布地域の住民有志でつくる任意団体「山脈(やまなみ)文化協会」発行の地域新聞『山脈』の編集、北海道遺産選定の蒸気機関車「雨宮21号」の動態保存などにも貢献した。 1926年(大正15年)、北海道紋別郡遠軽村ムリイ(現・遠軽町丸瀬布武利)生まれ。1940年、東京市深川区(現・江東区)の材木店の養子となったあと、陸軍少年通信兵学校を修了したが、養子先の一家が東京大空襲で全滅したため、終戦後の復員にともない出身地の丸瀬布に戻り、丸瀬布郵便局に勤務した。