松谷 英司(まつたに えいじ、1944年5月7日 - )は、… 松谷 英司(まつたに えいじ、1944年5月7日 - )は、北海道浦河郡浦河町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 静内高1年の秋に北海高に転校。エースとして1962年の第34回選抜高等学校野球大会と第44回全国高等学校野球選手権大会に連続出場し、春は1回戦で御所工に敗れる。夏の予選では室蘭栄戦で完全試合を達成。本大会では準々決勝に進出するが、久留米商との試合中に足を骨折し敗退。高校同期に中村之保がいる。 1963年に東映フライヤーズに入団。1965年には完投勝利をあげるが、その後は登板機会に恵まれず1967年限りで引退。
肥田 隆行(ひだ たかゆき、1944年5月4日 - )は、… 肥田 隆行(ひだ たかゆき、1944年5月4日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道帯広市出身。 帯広市立帯広第三中学校-北海道帯広柏葉高等学校-専修大学-三協精機 1968年グルノーブルオリンピックでは500m37位。4年後の札幌オリンピックでは500m13位だった。
垣原 功(かきはら いさお、1944年5月1日 - )は、北… 垣原 功(かきはら いさお、1944年5月1日 - )は、北海道苫小牧市出身の元アイスホッケー選手。ポジションはセンターフォワード。
寺島 光一郎(てらしま こういちろう、1944年4月30日 … 寺島 光一郎(てらしま こういちろう、1944年4月30日 - )は、日本の政治家。元北海道乙部町長。 乙部町出身。北海道札幌南高等学校、北海道大学農学部卒業。その後農林省入庁。1983年5月、北海道乙部町長当選。以後、9期連続当選。2007年、全国町村会副会長就任。2期目以降の8回の当選はすべて無投票当選であり、個人の長期無投票当選としては元石川県根上町長の森茂喜(森喜朗の父)に次ぐ記録である。2019年の選挙には出馬せず、引退を表明。 2009年10月30日、鳩山由紀夫内閣下で総務省顧問に就任した。 後任町長となった寺島努とは、同姓だが血縁関係はない。
畠山 武道(はたけやま たけみち、1944年4月24日 - … 畠山 武道(はたけやま たけみち、1944年4月24日 - )は、日本の法学者。北海道大学名誉教授。専門は、行政法・租税法。研究分野は、環境法。学位は、法学博士(北海道大学・1972年)。北海道旭川市生まれ。 このほか、社団法人北海道地方自治研究所理事。NPO法人水俣フォーラム理事長。 環境訴訟など、自然保護法の第一人者でもある。アメリカの環境法を国内に紹介し、日本の自然保護の礎を作る。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
石間 秀機(いしま ひでき、1944年3月21日 - )は、… 石間 秀機(いしま ひでき、1944年3月21日 - )は、日本のロックギタリスト。インド音階を駆使したラーガ奏法のシタール奏者。北海道札幌市出身。以前は、「石間秀樹」や「石間ヒデキ」の芸名で活動していた。 高校卒業後に本格的にギターを始め、札幌で「ジャローズ」というバンドを結成。その後上京し、1966年にGSグループ「ジ・アウトロウズ」(後にザ・ビーバーズと改名)を結成。1967年シングル「初恋の丘」でデビューしたが、1969年解散。 同年、内田裕也に誘われ、ロックバンド「フラワーズ」にリード・ギタリストとして参加する。同バンドはメンバー・チェンジを経て「フラワー・トラベリン・バンド」(通称:FTB)となり、翌年アルバム『anywhere』でデビュー。
五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2… 五十嵐 威暢(いがらし たけのぶ、1944年3月4日 - 2025年2月12日)は、日本の彫刻家、デザイナー。多摩美術大学名誉教授。 北海道滝川市生まれ。中学入学時に上京。グラフィック・プロダクトデザイナーとして活動後、1994年以降は本拠をロサンゼルスへ移し彫刻制作に専念、その後2004年6月に帰国した。代表作はニューヨーク近代美術館をはじめ、世界30カ所以上の公立美術館に永久保存され、個人作品集は現在までに、日本、中国、韓国、ドイツ、スイス、英国、米国で出版されている。 おじは建築家の五十嵐正。元新十津川町応援大使。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
横内 昭光(よこうち あきみつ、1944年3月 - )は、元… 横内 昭光(よこうち あきみつ、1944年3月 - )は、元警察官。警視庁捜査1課管理官として定年を迎えた2004年、東京慈恵会医科大学(慈恵医大)青戸病院(現在の慈恵医大葛飾医療センター)に招聘され、病院内でおこるトラブルに対処する「院内警察」の第1号になった。 北海道白糠郡白糠町出身。1960年中学校を卒業後しばらく釧路炭田に属する本岐炭鉱の臨時職員として働いた。その後高校を卒業し、警視庁の警察官採用試験を受けて採用された。板橋警察署刑事課長・新宿警察署刑事第一課長などを経て、本庁捜査一課管理官(殺人捜査担当)を2年間務め、2004年3月に定年退職したが、警察人生41年間のうち36年間は刑事であった。
青竹 正一(あおたけ しょういち、1944年2月27日 - … 青竹 正一(あおたけ しょういち、1944年2月27日 - )は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学博士(名古屋大学・論文博士・1980年)。小樽商科大学名誉教授。平出慶道門下。 北海道岩見沢市出身。1967年、北海道大学法学部法律学科卒業。1969年、北海道大学大学院法学研究科修士課程修了(指導教授:平出慶道)。 1969年、北海道大学法学部助手。1972年、小樽商科大学商学部専任講師。1973年、小樽商科大学商学部助教授。1978年、小樽市土地保有税審議会長。1980年、論文博士の方法で、名古屋大学より法学博士の学位を取得。 1982年、小樽商科大学商学部教授。1983年、小樽市公害対策審議会長。
佐藤 宣践(さとう のぶゆき、1944年1月12日 - )は… 佐藤 宣践(さとう のぶゆき、1944年1月12日 - )は、日本の柔道家。北海道函館市出身。2012年、九段に昇段。東海大学名誉教授、2016年4月より桐蔭横浜大学第三代学長。身長178cm、体重88kg。 東京教育大学卒業後、博報堂に入社。1967年の世界選手権の軽重量級で優勝。その後も1969年無差別級で3位、1971年軽重量級で2位、1973年軽重量級で優勝と安定した成績を挙げた。全日本選手権においても90kg前後の体格ながら1967年と1971年に準優勝、1974年優勝と好成績を残す。またサンボも経験しており、1972年のヨーロッパ選手権では優勝を成し遂げている。 現役時代は左組からの体落、大内刈を得意とした。
佐々木 一樹(ささき かずき、1944年 - )は、日本のヴ… 佐々木 一樹(ささき かずき、1944年 - )は、日本のヴァイオリニスト。 札幌北高校出身、札幌音楽院で荒谷正雄に師事。1966年から札幌交響楽団コンサートマスター、1977年から東京交響楽団コンサートマスターを務めた。1980年、ヴェネツィア合奏団 (I SOLISTI VENETI)に招かれ、首席奏者及びソリストに就任。ソロ及び「クヮルテット・ロッシーニ」等の室内楽でも活躍。 長女はピアニストのウララ・ササキ、次女はチェロ奏者のマルモ・ササキで、父娘で「パドヴァ・トリオ」としても活動している。
吉澤 靖之(よしざわ やすゆき、1944年 - )は、日本の… 吉澤 靖之(よしざわ やすゆき、1944年 - )は、日本の医学者。専門は呼吸器内科学。元東京医科歯科大学学長。 北海道比布町出身。北海道旭川西高等学校を経て、1969年東京医科歯科大学医学部医学科卒業。1970年東京医科歯科大学医学部副手。1972年東京逓信病院医師。1977年イリノイ大学客員研究員。1978年ウイスコンシン医科大学客員研究員。1979年ウイスコンシン医科大学客員教授。1980年東京逓信病院医師。1984年筑波大学臨床医学系講師。1986年筑波大学臨床医学系助教授。1993年東京医科歯科大学医学部助教授。1998年東京医科歯科大学医学部附属病院教授。1999年東京医科歯科大学医学部附属病院病院長補佐。
松永 政司(まつなが まさじ、1944年 - )は、日本の工… 松永 政司(まつなが まさじ、1944年 - )は、日本の工学者。北海道 伊達市出身。北海道大学、京都大学卒業。京都大学工学博士、昭和大学医学博士。 第7の栄養素といわれる食品素材としての核酸(サケの白子DNA、ビール酵母RNA)の研究開発・普及に努め、日本病態栄養学会、国際DNA・ゲノム会議(大連)などで核酸の栄養医学に関する特別公演などを行う。NPO法人遺伝子栄養学研究所理事長。現在も北海道で核酸の研究開発を続けている。 鮭の白子から核酸素材を抽出しサプリメント化した最初の日本人。「核酸サプリメントの父」と称される。 太平洋戦争末期の1944年、北海道伊達紋別町(今の伊達市)に4人兄弟の長男として生まれる。
鮎田 耕一(あゆた こういち、1944年(昭和19年) - … 鮎田 耕一(あゆた こういち、1944年(昭和19年) - )は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。専門はコンクリート工学を研究。北見工業大学名誉教授。前学長。 北海道旭川市出身。1967年(昭和42年)北海道大学工学部土木工学科を卒業。同大学院工学研究科博士課程修了。1969年(昭和44年)北見工業大学工学部講師。1971年(昭和46年)同工学部助教授。1989年同工学部教授。同図書館長を経て、2008年北見工業大学8代学長に就任。2014年退任。2019年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
辻井 京雲(つじい けいうん、1944年 - 2019年)は… 辻井 京雲(つじい けいうん、1944年 - 2019年)は、日本の書家。本名は辻井義昭。北海道雨竜町出身。近代詩文書と漢字書の融合を特徴とし、国内外で活動した。北海道教育大学名誉教授。Japanesque Lab代表の書家・辻井樹は息子。 1944年、北海道空知管内雨竜町に生まれる。北海道学芸大学(現・北海道教育大学)書道科を卒業後、1968年に上京し、金子鷗亭に入門、受賞・入賞を重ねた。1975年から2010年まで北海道教育大学で教鞭をとり、多くの後進を育成した。 1989年から1990年にかけて、ロンドン大学SOASおよびオックスフォード大学で客員講師を務め、大英博物館の客員研究員も兼任した。
加我 君孝(かが きみたか、1944年〈昭和19年〉 - )… 加我 君孝(かが きみたか、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の医師。専門は耳鼻咽喉科学。東京大学名誉教授。
菊池 育夫(きくち いくお、1944年 - )は日本の経営者… 菊池 育夫(きくち いくお、1944年 - )は日本の経営者。北海道新聞社の元代表取締役社長。北海道上磯町(現在の北斗市)出身。 前任社長東功の抜擢で社長に就任し、機構改革による人員整理などに取り組んだ。しかし、菊池体制下の北海道新聞は、北海道警裏金事件に関係する記事ねつ造事件の処理などをめぐって、道警との癒着が指摘されるなどの不祥事が続いた。
長谷川邦彦(はせがわ くにひこ、1944年 - 1989年6… 長谷川邦彦(はせがわ くにひこ、1944年 - 1989年6月8日)は、北海道函館市出身 のアナウンサー。 高崎経済大学卒業後の1972年に北海道文化放送へ入社し、バレーボールや 競馬中継の実況を担当。 バレーボールでは1981年と1985年にワールドカップを担当するなど全国でもトップクラスの実力を発揮し 、北海道マラソンでは1987年に競技場を担当。 報道制作部アナウンス部長在籍中の1989年6月8日、膵癌で死去 。享年45歳。
袴谷 憲昭(はかまや のりあき、1943年12月25日 - … 袴谷 憲昭(はかまや のりあき、1943年12月25日 - )は、日本の仏教学者。インド仏教・チベット仏教を専門とする。元駒澤大学教授。 1943年、北海道生まれ。北海道根室高等学校を卒業。1966年、駒澤大学仏教学部を卒業。1972年に東京大学大学院印度哲学博士課程を満期退学し、駒澤大学仏教学部助手となった。 1975年より駒澤大学仏教学部講師、1979年より助教授、1985年より教授。1994から2006年まで、駒沢短期大学教授も兼任した。駒澤大学在任中の1981~82年には、ウィスコンシン大学客員教授。2011年に依願退職した。
上田 廣一(うえだ こういち、1943年12月17日 - )… 上田 廣一(うえだ こういち、1943年12月17日 - )は、日本の元検察官。上田廣一法律事務所所長。 北海道河西郡芽室町出身。東京地方検察庁特別捜査部長、最高検察庁次長検事、東京高等検察庁検事長、政治資金適正化委員会委員長、整理回収機構代表取締役社長等を歴任。 横浜市立金沢高等学校を経て、 東京地検特捜部の部長として、泉井石油商会脱税事件などを手がけた。 母校の明治大学にて教鞭を取りつつ、裁判員制度の啓発も行っている。
喜田 宏(きだ ひろし、1943年12月10日 - )は、日… 喜田 宏(きだ ひろし、1943年12月10日 - )は、日本の獣医師、獣医微生物学者。北海道大学 名誉教授。勲等は瑞宝重光章。学位は獣医学博士(北海道大学・1977年)。北海道大学ワクチン研究開発拠点 ワクチン開発部門 特任教授。日本学士院会員、文化功労者。 武田薬品工業株式会社光工場細菌部での勤務を経て、北海道大学獣医学部教授、北海道大学大学院獣医学研究科教授、北海道大学大学院獣医学研究科研究科長、北海道大学獣医学部学部長、北海道大学人獣共通感染症リサーチセンターセンター長、北海道大学ユニバーシティプロフェッサーなどを歴任した。 1943年12月10日生まれ、北海道出身。1962年3月、北海道札幌南高等学校を卒業した。
小松 光一(こまつ こういち、1943年11月20日 - )… 小松 光一(こまつ こういち、1943年11月20日 - )は、日本の農学者、農業教育者。 北海道空知郡上砂川町生まれ。1966年千葉大学文理学部社会科学科卒業後、千葉県農村中堅青年養成所、改組により千葉県立農業大学校教官、1995年おびひろ農業塾塾長。大地を守る会、宮城県角田市農業振興公社顧問。
安田 南(やすだ みなみ、1943年11月14日 - 200… 安田 南(やすだ みなみ、1943年11月14日 - 2000年代初頭?/2008年頃?/2009年?/2018年12月25日?)は、日本の女性ジャズシンガー。 北海道札幌市生まれ。12歳まで札幌で過ごし、中学の時、東京都目黒区の目黒第十中学校に転入する。同級生に佐藤信(劇作家・演出家)がいた。一人で演劇部を創設するなど、活動的な生徒であった。東京都立広尾高等学校では授業をさぼってジャズ喫茶に入り浸り、サラ・ヴォーンやアート・ブレイキーに夢中になる。同校卒業後の1961年、18歳でテレビ番組「勝ち抜きジャズ」ボーカル部門に出演し優勝、世界一周をした実力派。20歳のとき俳優座養成所に16期生として入所するが2年で中退(養成所同期に古谷一行、鶴田忍、峰岸徹、大林丈史、大出俊、太地喜和子などがいる)。
小野 浩(おの ひろし、1943年11月5日 - )は、日本… 小野 浩(おの ひろし、1943年11月5日 - )は、日本の経済学者。北海道大学名誉教授。マクマスター大学招聘教授、ウォーリック大学客員教授なども歴任した。 北海道生まれ。1962年北海道札幌南高等学校卒業。1966年小樽商科大学商学部卒業、日本道路公団入社。1969年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、同博士課程入学。指導教員は倉林義正。奨学金を得て、1975年ブラウン大学大学院経済学研究科修了、経済学博士(Ph.D.)。指導教員はジョージ・ボーツ。同年ブラウン大学大学院ポストドクトラルフェロー。1976年北海道大学経済学部助教授。1979年フルブライト上級研究員(ブラウン大学)。1983年セント・メリーズ大学客員教授。
繁下 和雄(しげした かずお、1943年10月30日 -20… 繁下 和雄(しげした かずお、1943年10月30日 -2024年3月29日)は、日本の音楽教育学者、国立音楽大学名誉教授。 北海道美唄市出身。1966年国立音楽大学教育音楽科卒、68年同専攻科修了、国立音大助教授、教授、副学長、2004年退任、名誉教授。妻の繁下敏子は和光学園で音楽教育に当たった。
加賀谷 健(かがや けん、1943年10月23日 - 201… 加賀谷 健(かがや けん、1943年10月23日 - 2014年4月24日)は、日本の政治家。旧民主党に所属していた。 参議院議員(1期)、内閣府大臣政務官(野田第3次改造内閣)、総務大臣政務官(野田改造内閣)、千葉県議会議員(5期)などを歴任。 北海道苫小牧市生まれ。1962年に北海道苫小牧工業高等学校を卒業して東京電力千葉支店に入社。労働組合千葉支部書記長を務めた。その間に民社党入党。1987年には民社党より千葉県議会議員に初当選し、以後5期に渡って在任。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙で民主党公認候補として千葉県選挙区より立候補、初当選した。野田第1次改造内閣で総務大臣政務官、野田第3次改造内閣で内閣府大臣政務官を務めた。
武田 美佐江(たけだ みさえ、1943年10月22日 - … 武田 美佐江(たけだ みさえ、1943年10月22日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道幕別町出身。帯広大谷高等学校卒、三協精機。 1968年グルノーブルオリンピックでは500m25位、1000m25位。 オリンピック後現役引退し帰郷、帯広スケート連盟理事などを務め、後進を指導した。結婚後の現姓は平子。平子裕基はおいである。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
藤岡 信勝(ふじおか のぶかつ、1943年10月21日 - … 藤岡 信勝(ふじおか のぶかつ、1943年10月21日 - )は、日本の教育学者・教育評論家。専門は、社会科教育学・ディベート教育。 新しい歴史教科書をつくる会顧問。産経新聞正論メンバー。元東京大学、拓殖大学教授。元日本共産党員。北海道川上郡標茶町出身。 1943年10月、北海道岩見沢市生まれ。川上郡標茶町で育つ。 1962年3月、北海道標茶高校卒業後、1962年4月、北海道大学教養部文類入学。1963年、日本共産党入党。1966年3月、北海道大学教育学部卒業。1971年3月、北海道大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。北大時代を恵迪寮で過ごす。 1971年11月、名寄女子短期大学(現名寄市立大学短期大学部)専任講師。
伴 五十嗣郎(ばん いそしろう、昭和18年(1943年)10… 伴 五十嗣郎(ばん いそしろう、昭和18年(1943年)10月18日 - 令和2年(2020年)2月27日)は、日本の神道学者。皇學館大学名誉教授、元学長。専門は神道思想史。 神社本庁で参与および教学顧問、神道史学会で顧問を務めた。 北海道函館市生まれる。 昭和42年(1967年)に皇學館大學文学部卒業。昭和44年(1969年)に同大大学院文学研究科国史学専攻修了、福井市立郷土歴史博物館学芸員。 昭和59年(1984年)に皇學館大學神道研究所助教授、昭和59年(1984年)に皇學館大學文学部助教授、平成元年(1989年)に皇學館大學文学部教授。平成5年(1993年) - 皇學館大學神道研究所所長[要出典]、平成6年(1994年)に皇學館大學学生部長[要出典]。
高橋 正弘(たかはし まさひろ、1943年〈昭和18年〉10… 高橋 正弘(たかはし まさひろ、1943年〈昭和18年〉10月10日 - 1996年〈平成8年〉8月12日)は、日本のサッカー指導者。北海道の室蘭大谷高等学校(後の北海道大谷室蘭高等学校)のサッカー部の初代監督。雪国の壁を乗り越え、サッカー無名校であった室蘭大谷を日本全国準優勝にまで導き、北海道サッカー界と全国高校サッカーの技術向上に貢献した。教え子にはプロサッカー選手やサッカー指導者の道に進んだ野田知、財前恵一、三浦雅之、交通事故のためにプロサッカーから車いすバスケットボールに転向した京谷和幸らがいる。北海道室蘭市西小路町出身、国士舘大学卒業。 高橋家の長男として誕生。喧嘩ばかりのやんちゃ坊主として育った。
今野 雄二(こんの ゆうじ、1943年10月5日 - 201… 今野 雄二(こんの ゆうじ、1943年10月5日 - 2010年7月27日)は、日本の映画・音楽評論家、翻訳家、小説家。 北海道室蘭市生まれ。国際基督教大学教養学部語学科卒業後、平凡出版(後のマガジンハウス)に入社。『平凡パンチ』『an・an』編集部を経て、評論家として独立。音楽評論家としては、ミッシェル・ポルナレフ、ロキシーミュージック、10ccなど、多数のレコードのライナーノーツを担当した。 日本テレビの深夜番組『11PM』に出演して映画紹介や流行のサブカルを紹介するコーナーを受け持ち、司会の愛川欽也から「コンちゃん」と呼ばれ、そのニックネームで知られるようになった。 1970年代にはその他に当時の若者向け番組『リブ・ヤング!』や『チャンネル泥棒!快感ギャグ番組!空飛ぶモンティ・パイソン』などに司会者として出演した。
河野 義博(かわの よしひろ、1943年10月4日 - )… 河野 義博(かわの よしひろ、1943年10月4日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道中川郡本別町出身。同町出身者として初のオリンピック代表選手である。名字の読みは「こうの」ではなく「かわの」である。 1962年、北海道帯広三条高等学校を卒業。立教大学に進学し、卒業後は実業団のSSSスケート(長野)に入った。現役引退後、1年間の会社員生活を経て本別町教育委員会に勤務。2000年から2003年の間本別町教育長を務めた。 大学2年時の1964年インスブルックオリンピックに出場、5000m26位、10000m32位だった。
藤崎 照彦(ふじさき てるひこ、1943年10月3日 - )… 藤崎 照彦(ふじさき てるひこ、1943年10月3日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。所属事務所はキャラ。北海道出身。
気田 義也(きだ よしなり、1943年9月29日 - 200… 気田 義也(きだ よしなり、1943年9月29日 - 2009年9月13日)は、日本の元アルペンスキー選手。東京都生まれ、北海道蘭越町育ち。北海道倶知安高等学校卒。 倶知安高校在学時の1961年に全日本スキー選手権大回転を制した。早稲田大学進学後の1964年インスブルックオリンピックに出場し男子回転で34位、男子大回転で39位となっている。全日本スキー選手権では1965年、1966年と回転で連覇、北海道拓殖銀行就職後に出場した1968年のグルノーブルオリンピックでは予選で敗退した。2009年に死去。65歳没。
味戸 ケイコ(あじと ケイコ、1943年9月27日- )は、… 味戸 ケイコ(あじと ケイコ、1943年9月27日- )は、日本のイラストレーター、絵本作家。 北海道函館市 で生まれる。遺愛女子高等学校を経て、1965年に多摩美術大学 デザイン科を卒業する。 大学卒業後は印刷会社デザインルーム、PR誌を作る制作会社に勤めるが、パニック障害を起こし自宅待機でカット描きを1年間行っていた。会社勤めが合わないことを自覚し、フリーのイラストレーターになる。 1971年、菊地信義の依頼で『月刊エレクトーン』(ヤマハミュージックメディア)創刊号から1年間の表紙イラストの発注を受け、本格的にデビューする。この表紙画がイラスト年鑑に掲載され、1973年に年鑑を見たやなせたかし、原田奈翁雄からそれぞれ雑誌『詩とメルヘン』(サンリオ)、雑誌『終末から』(筑摩書房)の表紙画の依頼が舞い込み、以後、各方面で活躍する。
西川 博史(にしかわ ひろし、1943年(昭和18年)9月2… 西川 博史(にしかわ ひろし、1943年(昭和18年)9月22日 - )は、日本の経済学者。専門は、経済史。経済学博士(北海道大学・1988年)。北海学園大学経済学部教授・北海商科大学商学部教授等を経て、学校法人北海学園特任教授。北海道釧路市生まれ。 1966年弘前大学文理学部経済科卒業、1970年北海道大学大学院経済学研究科博士課程満期退学(指導教授:長岡新吉)。1988年「日本帝国主義と綿業」で北海道大学より経済学博士の学位を取得。 1970年北海道大学経済学部助手、1972年北星学園大学経済学部助教授、1977年北海学園大学経済学部助教授、1979年中国・対外貿易大学客員教授。中国・煙台大学兼任教授。
小野寺 昭(おのでら あきら、1943年〈昭和18年〉9月1… 小野寺 昭(おのでら あきら、1943年〈昭和18年〉9月19日 - )は、日本の俳優、元大阪芸術大学短期大学部客員教授。本名は同じ。柊企画を経て、フロム・ファーストプロダクション所属。 北海道帯広市出身。北海道帯広三条高等学校卒業。 もともと引っ込み思案の恥ずかしがり屋で、人前で何かをすることが苦手だった。地方公務員の父親がアマチュア劇団を主宰しており、舞台を覗いた時に、普段できないことをお芝居という力を借りて別人になってできることに興味を持ち俳優を志す。高校時代に演劇部の部長として『夕鶴』の与ひょう役を演じ、高校演劇コンクールで地区代表に選ばれて北海道大会に出場した。高校卒業後、東京で児童劇団を主宰していた父親の元劇団仲間を頼って、上京する。
秋辺 得平(あきべ とくへい、1943年9月12日 - )は… 秋辺 得平(あきべ とくへい、1943年9月12日 - )は、日本の社会運動家、アイヌ民族運動家。 旧姓は成田。 函館の船大工、成田萬九郎と、タラバ蟹缶詰工場の女工、秋辺ミサの子として、得撫島上陸直前の船で生まれる。なお、母方の祖父母である秋辺福治と秋辺サヨはアイヌで、夫婦の会話はアイヌ語であった。 幼少期から高校卒業まで釧路で育つ。戸籍名は、1990年まで『成田得平』であった。1972年より、札幌で木彫品の製作と販売を手がけるのと同時に、アイヌ復権運動に携わる。1973年10月『ヤイユーカラ・アイヌ民族学会』設立にかかわり、会長として現在に至る。『ヤイユーカラ』とは、「自ら行動する」の意味である。
笠谷 幸生(かさや ゆきお、1943年8月17日 - 202… 笠谷 幸生(かさや ゆきお、1943年8月17日 - 2024年4月23日)は、日本のスキージャンプ選手。 北海道後志支庁余市郡大江村(現・仁木町)出身。余市高校、明治大学を卒業。ニッカウヰスキーに所属していた。2003年紫綬褒章。2018年文化功労者。兄は同じくスキージャンプ選手の笠谷昌生。 4歳の頃から遊びとしてジャンプを始める。仁木中学校3年生の頃には兄に連れられて羽幌炭鉱、明治大学合同の合宿に参加、ここで大人顔負けのジャンプを見せ、「仁木から(兄に続いて)再び神童が現れた」と言われた。 1959年に北海道余市高等学校に入学するがスキー部の方針で高校選手権に出場できず、その怒りを闘争心に変えてこのシーズンのあらゆる大会の少年組を勝ち続けて翌1960年の新潟県高田市(現・上越市)での全日本選手権に出場、この大会で3位に入ったほかこの年から海外遠征をこなすようになり、1963年2月22日の第2回STV杯ジャンプ大会では日本人2人目の100mジャンパーとなる(同大会で直前に菊地定夫が初の100mジャンパーとなっている)など一気に日本を代表するジャンパーへと成長を遂げた。
館 淳一(たて じゅんいち、1943年8月16日 - )は、… 館 淳一(たて じゅんいち、1943年8月16日 - )は、日本の小説家、官能小説家、雑学研究家、エッセイスト。日本文芸家クラブ会員、日本推理作家協会会員。 北海道稚内市出身。北海道札幌西高等学校、日本大学藝術学部放送学科卒業。 フリーライター、週刊誌アンカーマン(週刊プレイボーイ、週刊明星など)、フリー編集者、日本版PLAYB0Y(月刊プレイボーイ)などで生計をたてる傍らSM小説を書き、蘭光生に認められ1975年雑誌デビュー。以後、官能小説界で活動。著書は190冊(2017年6月時点)。
長沼 修(ながぬま おさむ、1943年(昭和18年)7月19… 長沼 修(ながぬま おさむ、1943年(昭和18年)7月19日 - )は、日本の実業家で、元・北海道放送(HBC)プロデューサー。同局で常務取締役、代表取締役社長、会長を歴任した後に、2010年から2017年まで札幌ドームの運営会社(株式会社札幌ドーム)の代表取締役社長を務めた。 北海道安平郡早来町(現在は安平町)生まれ。父親は北海道庁の農林技師で、戦後現在の札幌市西区琴似に転居。母方の曽祖父は明治初期に琴似に入植した屯田兵であった。北海道札幌西高等学校から北海道大学農学部を経て、ラジオ・テレビ兼営局のHBCへ1967年に入社した。 地元で最も早く設立された民放局でもあるHBCとの縁は、大学生時代に在籍していたオーケストラ部での活動にまで遡る。
石川 鷹彦(いしかわ たかひこ、1943年7月16日 - )… 石川 鷹彦(いしかわ たかひこ、1943年7月16日 - )は、北海道札幌市生まれの編曲家、ギタリスト、スタジオ・ミュージシャンである。 北海道札幌市生まれ。小学生のときに東京に移る。1968年に同じ多摩美術大学の小室等とともに六文銭を結成。その後吉田拓郎・かぐや姫・イルカ・アリスらの演奏を担当。1970年代のフォーク・ニューミュージックシーンにおいて多くの演奏を残し、編曲家としても数々のヒット曲を生み出した。 1992年にさだまさしのアルバム『ほのぼの』をプロデュースして以来、さだのサポートメンバーとしての活動が多かった。『第47回NHK紅白歌合戦』においても、さだのサポートメンバーとして出演した。 1996年9月から10月にかけて、NHK趣味百科「アコースティック・ギター入門」に加藤和彦とともに講師として出演。
後藤 竜二(ごとう りゅうじ・本名・後藤 隆二、1943年6… 後藤 竜二(ごとう りゅうじ・本名・後藤 隆二、1943年6月24日 - 2010年7月3日)は、日本の児童文学作家。 北海道美唄市出身。北海道美唄東高等学校を経て早稲田大学第一文学部卒業。在学中に早大童話会から改名した少年文学会に所属。1967年に『天使で大地はいっぱいだ』(講談社刊)でデビュー。『キャプテンはつらいぜ』シリーズ(講談社)、『12歳たちの伝説』シリーズ(新日本出版社)、でも知られている。 全国児童文学同人誌連絡会「季節風」代表を長く務めた。2010年7月3日、脳内出血のため死去。67歳。
田上 雄(たがみ ゆう、1943年5月30日 - )は日本の… 田上 雄(たがみ ゆう、1943年5月30日 - )は日本の脚本家、日本脚本家連盟幹事。北海道小樽市出身。 高校生時代はアイスホッケーと学生運動に明け暮れていたという。 中央大学法学部卒業。大学卒業後、東映の採用試験で不合格となり、ぶらぶらしていた所で「昔ちょっと知り合いだったシナリオライター」だとして父親が橋渡し役となって紹介された脚本家の柴英三郎に師事することになる。そして柴の自宅で初めて脚本というものを見たという。そして本人は元々脚本家になりたかったわけではなかったという。 2〜3本柴と共作した後、今度は一人で書いてみるように言われて1968年、『三匹の侍(第6シリーズ)』で単独脚本デビュー。
高田 忠尚(たかだ ただなお、1943年〈昭和18年〉5月2… 高田 忠尚(たかだ ただなお、1943年〈昭和18年〉5月23日 - )は、日本の政治家。元北海道富良野市市長(3期)。 北海道富良野市出身。上川支庁農業学園修了。修了後、北海道青年団体協議会会長となり、農協に入る。農協では理事などを務める。 1994年(平成6年)4月24日の富良野市長選挙に立候補して、5期目を目指した滝口國一郎を抑えて初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:88.26%(前回比:-pts) 1998年(平成10年)4月19日の選挙は、新人との争いになったが、これを破って再選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:83.73%(前回比: 4.53pts) 富良野市長は3期務めた。
上出 洋介(かみで ようすけ、1943年5月15日 - 20… 上出 洋介(かみで ようすけ、1943年5月15日 - 2021年12月9日)は、日本の地球宇宙物理学者。学位は、理学博士(東京大学・1973年)。名古屋大学名誉教授。りくべつ宇宙地球科学館館長。北海道小樽市出身。オーロラ研究の第一人者。 北海道札幌西高等学校を経て、1972年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了(理学博士)。日本学術振興会学術奨励研究員(東京大学理学部)の後、渡米。アラスカ大学地球物理研究所、コロラド大学環境科学研究所、米国立地球物理データセンター、米国立宇宙環境研究所などを経て、1992年より名古屋大学太陽地球環境研究所教授(1999年より2005年まで同所長)。2008年より2010年まで京都大学生存圏研究所特任教授。
木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 20… 木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 2018年7月21日)は、日本の経営者。セコム社長を務めた。北海道釧路市出身。 北海道釧路湖陵高等学校を経て、同志社大学文学部に入学。演劇活動に熱中し、映画監督に憧れていた。1966年に大学を卒業し、セコムに入社。 1975年2月に取締役に就任し、1988年2月に常務、1995年6月に専務を経て、2002年4月に社長に就任。2005年4月に会長に就任。2016年6月に相談役に就任。40歳代の初め頃には、セコム創業者の飯田亮から「俺が興味があるのは、お前がどこまで成長するかだ」と言わしめた人物であった。 社外では全国警備業協会4代目会長、空港保安事業センター評議員、日本救急医療財団理事、日本情報システムユーザー協会常任理事、中央大学大学院客員教授などを歴任した。
輪島 功一(わじま こういち、1943年4月21日 - )は… 輪島 功一(わじま こういち、1943年4月21日 - )は、日本の元プロボクサー。元WBA・WBC世界スーパーウェルター級統一王者。元リングマガジン世界スーパーウェルター級王者。 現在はタレント、輪島功一スポーツジム名誉会長。団子屋の経営も行っていた。樺太豊原市(現・ユジノサハリンスク)出身、北海道士別市育ち。血液型はB型。 世界スーパーウェルター級王座を3度獲得(1度目と2度目はWBA・WBC統一王座で、日本人初の公式な(WBA・WBC分立後)統一世界王者でもある。3度目はWBAのみ)。"炎の男"の異名を持ち、"かえる跳び"等で知られる変則右ボクサーであった。具志堅用高、ガッツ石松、輪島の三人でボクシング界の重鎮として共演することが多い。
佐々木 雄太(ささき ゆうた、1943年4月20日 - )は… 佐々木 雄太(ささき ゆうた、1943年4月20日 - )は、日本の政治学者。名古屋大学名誉教授。専攻は、イギリス政治外交史。北海道函館市生まれ。 1966年、京都大学法学部卒業。1968年、京都大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。1969年、京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程中退。 大分大学助手、同講師、同助教授を経て、1984年より名古屋大学法学部助教授。1985年、名古屋大学法学部教授。1988年、名古屋大学法学博士(学位論文「三〇年代イギリス外交戦略:帝国防衛と宥和の論理」」)。 2004年、名古屋大学定年退官、同大学名誉教授。 2004年から2012年まで愛知県立大学学長。
谷口 克広(たにぐち かつひろ、1943年4月10日 - 2… 谷口 克広(たにぐち かつひろ、1943年4月10日 - 2021年11月24日)は、日本の歴史家・戦国史研究家。専門は戦国史。織田信長についての研究・著作を多数発表し、「信長研究の大家」「信長研究の第一人者」と評される。 1943年(昭和18年)4月10日、北海道室蘭市生まれ。北海道室蘭清水丘高等学校を経て、1966年(昭和41年)横浜国立大学教育学部卒業。 東京都内の中学校教員(浜川中学校、港南中学校教諭など)や横浜市役所職員として勤務しながら、在野の研究者として歴史研究と執筆活動を行った。 岐阜市信長資料集編集委員会委員を務めていた。 2021年11月24日、室蘭市内の病院で誤嚥性肺炎により死去した。