西垣内 堅佑(にしがいと けんすけ、1942年2月13日- … 西垣内 堅佑(にしがいと けんすけ、1942年2月13日- 2014年2月26日)は、日本の弁護士。北海道北見市出身。東京弁護士会に所属。弁護士登録番号は、12083。北海道出身。 1970年代に学生運動の事件に多く携わった。警視総監公舎爆破未遂事件では被告人5人全員の無罪を勝ち取った。 共謀罪の新設に反対した。 アイヌ人の殺人事件を扱ったことから、縄文文化に興味を持ち、縄文文化についての活動を行うようになった。 新宗教ワールドメイトの顧問弁護士を務め、ワールドメイト教祖の深見東州が会長になっている特定非営利活動法人国際縄文学協会代表者 理事長など、深見が開設した団体の役員を務めていた。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
鶴羽 樹(つるは たつる、1942年2月11日 - )は、日… 鶴羽 樹(つるは たつる、1942年2月11日 - )は、日本の実業家。ツルハ創業家3代目で、ツルハホールディングス代表取締役社長を経て、同社取締役会長。北海道旭川市出身。ツルハ代表取締役社長の鶴羽順は次男。 1960年大阪商業大学商経学部入学。1964年に卒業し、電子部品商社の大都商事(現・ダイトロン)入社。1976年クスリのツルハコントロールセンター(現・ツルハ)入社。1978年取締役に昇格。1994年専務取締役。1996年代表取締役専務。1997年から代表取締役社長を務め、2005年には持株会社として改組したツルハホールディングスの代表取締役社長に就任。積極的なM&Aを進め、売上高5000億円が軌道に乗った2014年に、ツルハホールディングス代表取締役会長及びツルハ代表取締役会長に退いた。
福原 吉春(ふくはら よしはる、1942年(昭和17年)2月… 福原 吉春(ふくはら よしはる、1942年(昭和17年)2月10日 - 1975年(昭和50年)9月23日?)は、日本のアルペンスキーヤー。 北海道磯谷郡蘭越町出身。北海道倶知安農業高等学校から明治大学に進み、大学3年時の1963年に第41回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技に滑降と回転の2種目で優勝する。1963年、北海道スポーツ賞を受賞する。 1964年1月19日、オーストリアで開かれたゴルデック国際スキー大会の回転競技で優勝する。同年、オーストリアチロル州のインスブルックで開かれた第9回オリンピック冬季競技大会に出場した。成績は滑降が45位、回転が23位、大回転が25位であった。 1965年1月にスイスで開かれたラウバーン国際スキー大会において、男子滑降で43位、男子回転レースで14位に終わる。
笠井 嗣夫(かさい つぎお、1942年 - )は、日本の詩人… 笠井 嗣夫(かさい つぎお、1942年 - )は、日本の詩人、文芸評論家。
安達 俊子(あだち としこ、1942年 - )は、日本の教育… 安達 俊子(あだち としこ、1942年 - )は、日本の教育者。北星学園余市高等学校元教諭。青少年自立支援センター「ビバハウス」代表。 北海道小樽市出身。北星学園大学文学部英文学科卒業後、1965年の北星学園余市高等学校の開校とともに英語科教諭となり、2000年に退職するまで35年間勤める。同年10月、ひきこもりの若者らが共同生活する、青少年自立支援センター「ビバハウス」を設立。 義家弘介は北星学園余市高等学校の教え子であり、後に同僚にもなった。『ヤンキー母校に帰る』をはじめ義家の著書の登場人物として描かれることが多かったが、婦人之友に単独で登場することもあった。後には、前述の「ビバハウス」運営の傍ら、講演活動なども積極的に行っていた。
高橋 由明(たかはし よしあき、1942年 - )は、日本の… 高橋 由明(たかはし よしあき、1942年 - )は、日本の経済学者、中央大学名誉教授。 北海道遠別町生まれ。1965年中央大学商学部卒業。1971年同大学院商学研究科博士課程中退。1985年「グーテンベルク経営経済学 基礎理論と体系」で中央大学より商学博士の学位を取得。1969年中央大学商学部助手・専任講師・助教授、1981年教授、2013年定年、名誉教授。
古市馨(ふるいちかおる、1942年 - )は、舞台演出家。劇… 古市馨(ふるいちかおる、1942年 - )は、舞台演出家。劇団カッパ座主宰者。 日本音楽著作権協会会員 古市カオル、日本放送作家協会会員 あがた夢童(ペンネーム)。日本劇場演出空間技術協会会員。室蘭市生まれ。 カッパ座座長 古市馨の思想紹介 | 神戸カッパ友の会 – 1961年 伴淳三郎に師事 渡米し、レットスケルトンに学ぶ。1963年 芸映プロに入社 *役者として、テレビ出演「男は太郎」「おーい雲」「テンテコママ」等レギュラー出演 舞台「雲の上団五郎一座」(座長 森繁久弥)「南の島に雪が降る」(座長 伴淳三郎)等にレギュラー出演。 1965年 日本大学芸術学部演劇学科卒業。1968年 劇団カッパ座を設立。
美馬 孝人(みま たかひと、1942年 - )は、日本の経済… 美馬 孝人(みま たかひと、1942年 - )は、日本の経済学者。専門は、社会政策。現在、北海学園大学名誉教授。元北海道私立大学教職員組合連合執行委員長。恩師は新川士郎。 北海道岩見沢市出身。1965年(昭和40年)北海道大学経済学部卒業。1969年(昭和44年)同大学院経済学研究科博士課程中退。同年、北海学園大学経済学部講師に就任。1971年(昭和46年)同経済学部助教授。1981年(昭和56年)同経済学部教授、同大学院経済学研究科教授。1991年同経済学部長・同大学院経済研究科長。1999年(平成11年)同大学院経済研究科長。2011年北海学園大学定年退職。同名誉教授。同大学院経済研究科非常勤講師(2011年~2013年)。
髙森 八四郎(たかもり はちしろう、1942年 - 2023… 髙森 八四郎(たかもり はちしろう、1942年 - 2023年1月)は、日本の法学者。専門は民法。弁護士。関西大学名誉教授。朝日大学法学部、同大学院法学研究科教授。瑞宝中綬章受章。北海道勇払郡厚真町出身。
岡部 昌生(おかべ まさお、1942年 - )は、日本の現代… 岡部 昌生(おかべ まさお、1942年 - )は、日本の現代美術家。北海道根室市出身。北海道学芸大学(現北海道教育大学)卒業。札幌大谷大学短期大学部教授。建物の壁面や路上に紙をあて、その凹凸を鉛筆で擦りとるフロッタージュの手法による作品で有名。 1942年、北海道根室市に生まれる。北海道札幌東高等学校在学中に北海道美術協会展に出品し入選。1977年より、フロッタージュ作品の制作をはじめる。1979年、パリに滞在し、169点の「都市の皮膚」を制作。1980年代後半からは、広島の原爆跡地を積極的に作品化しているほか、1996年、パリのユダヤ人街で拉致の史実を刻む銘板を擦りとった作品も制作している。2007年、第52回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館代表展示作家に選ばれた。
麻生 直子(あそう なおこ、1941年12月16日 - )は… 麻生 直子(あそう なおこ、1941年12月16日 - )は、日本の詩人。本名、村田千佐子(旧姓、深谷)。夫は詩人の村田正夫。 北海道奥尻島生まれ。奥尻町立奥尻小学校卒業後離島し、江差中学校、北海道江差高等学校を経て、北海道函館西高等学校卒業。1960年より東京在住。1970年に村田正夫主宰の詩誌「潮流詩派」に拠る。日本現代詩人会、日本文藝家協会所属。 全国詩誌『詩と思想』(土曜美術社出版販売)の編集委員、日本現代詩人会の「H氏賞」「現代詩人賞」選考委員などを歴任。2007年詩集『足形のレリーフ』で第40回日本詩人クラブ賞を受賞。2018年詩集『端境の海』で第52回北海道新聞文学賞を受賞。村田正夫没後は、詩誌「潮流詩派」の代表を引き継いでいる。
高石 ともや(たかいし ともや、高石 友也とも、本名・尻石 … 高石 ともや(たかいし ともや、高石 友也とも、本名・尻石 友也〈しりいし ともや〉、1941年〈昭和16年〉12月9日 - 2024年〈令和6年〉8月17日)は、日本のフォークシンガー。代表作は「受験生ブルース」。 1960年代後半の日本のフォークソングの創世期以来、2020年代まで現役フォークシンガーとして活動し、また、マラソンランナーとしても活躍した。 幼少期は政略結婚で不幸と愚痴を言っていた母親に虐待を受けご飯も家族1人だけ食べさせてもらえなかった。60歳になって友人に打ち明けて初めて楽になった。大阪の蕎麦屋に働いている時、アメリカのフォークソングに日本語の歌詞をつけて歌ったら周りが応援してくれてギター一本で歌い始めた所反戦ブームにのって人気が出た。
常本 秀幸(つねもと ひでゆき、1941年(昭和16年)11… 常本 秀幸(つねもと ひでゆき、1941年(昭和16年)11月18日 - )は、日本の工学者、元地方公務員・実業家。工学博士(北海道大学)。元北見工業大学学長。北見工業大学名誉教授・信州大学教授。専門は、機械工学。 北海道旭川市出身。1964年(昭和39年)北海道大学工学部を卒業し、いすゞ自動車に入社。1975年(昭和50年)いすゞ自動車退職。1974年(昭和49年)北見工業大学工学部助教授。1983年(昭和58年)北見工業大学工学部教授。同学生部長。同保健管理センター所長。同副学長を経て、2002年(平成14年)北見工業大学7代学長に就任。2008年(平成20年)北見工業大学退官。信州大学工学部教授。
毛綱 毅曠(もづな きこう、本名:毛綱 一裕、1941年(昭… 毛綱 毅曠(もづな きこう、本名:毛綱 一裕、1941年(昭和16年)11月14日 - 2001年(平成13年)9月2日)は、日本の建築家。日本建築学会賞作品賞など多数受賞。 初期に毛綱モン太(もづなもんた)と名乗っていたが「毅曠」に改名。1970年代の日本の前衛建築の先鋒の観が有ったとされる。「阿弥陀から弥勒への七つのメッセージ』という九枚のパネルを発表し、世界的にも有名となった。 彼の設計は、「機能」というものに挑戦的であった。例えば、初期の代表作「反住器」は8m角の立方体(建築本体)のなかに4m角の立方体(部屋)が有り、その中に1.7m角の立方体(家具)が有り、三者は同形にデザインされているという。
吉田 義勝(よしだ よしかつ、1941年10月30日 - )… 吉田 義勝(よしだ よしかつ、1941年10月30日 - )は、日本の元アマチュアレスリング選手。実業家。1964年東京オリンピックレスリングフリースタイル・フライ級金メダリスト。 北海道旭川市出身。北海道旭川商業高等学校定時制課程でアマチュアレスリングを始め、日本大学に進学。1964年、大学4年の時に全日本選手権で優勝したことで八田一朗(当時の日本レスリング協会会長)の指名で東京オリンピック代表に選出される。代表選出後は当時世界最強と言われ、日本選手が勝てなかった強敵のアリ・アリエフ(ロシア語版)(ソ連)打倒のために、当時のフライ級第一人者だった今泉雄策と徹底的にスパーリングを行ったという。 本番のオリンピックではアリエフ(ソ連)と5回戦で戦い、素早い動きでアリエフを封じ、アリエフが対戦相手を引き寄せる際に踵に体重が乗る癖を見抜いて終了間際にアリエフのバックを取ってポイントを奪い、1-0で勝利。
新保 鋭(しんぽ さとし、1941年10月26日 - 20… 新保 鋭(しんぽ さとし、1941年10月26日 - 2005年5月31日)は、日本の元スピードスケート選手である。 北海道出身。札幌商業高等学校卒業後、明治大学に入学。 明治大学在学時の1964年にインスブルックオリンピックに出場、500mで41位、1,500mで34位、5,000mで23位、10,000mで24位であった。 1962年の第31回全日本スピードスケート選手権大会で優勝。 2005年5月31日、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) のため札幌市中央区の病院で死去。
茅野 智行(ちの ともゆき、1941年10月24日 - )は… 茅野 智行(ちの ともゆき、1941年10月24日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(内野手)。 北海高等学校では1959年にエース荻野一雄を擁し、夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、苫小牧東高に10回裏サヨナラ負け。卒業後は芝浦工業大学へ入学。東都大学リーグでは1961年秋季にリーグ初優勝を経験。同季の最高殊勲選手であった岩下光一が卒業した後の正遊撃手となり、1963年秋季リーグでは打率.389で首位打者を獲得、全試合連続安打や無失策も記録した。ベストナイン(遊撃手)2回選出。 1964年に西鉄ライオンズに入団。同年はトニー・ロイの控えながら、遊撃手として13試合に先発出場する。
鈴木 輝志(すずき てるし、1941年10月23日 - 20… 鈴木 輝志(すずき てるし、1941年10月23日 - 2020年)は、日本の経営者。札幌テレビ放送社長を務めた。 北海道出身。1960年に札幌北高等学校を卒業し、同年に札幌テレビ放送に入社。2002年に専務に就任し、2005年6月には社長に就任。2009年6月に会長に就任。
泉谷 和美(いずみや かずみ、1941年(昭和16年)9月3… 泉谷 和美(いずみや かずみ、1941年(昭和16年)9月3日 - )は、日本の政治家。元北海道歌志内市長(2期)。旭日双光章受章。 北海道歌志内市出身。北海道歌志内高等学校卒業。1960年、歌志内市役所に入所。歌志内市石炭対策室主幹、産業振興課長、産炭地振興課長、企画振興課長などを経て、2000年に歌志内市助役に就任。 2004年の歌志内市長選挙で、河原敬の勇退に伴い立候補し、無投票で初当選を果たした。 2007年、市消防本部の職員が職権を乱用し、当直の職員に居酒屋まで送迎させた事件に関し、消防長を訓告処分に付した。 中空知広域市町村圏組合理事、社団法人北海道産炭地域振興センター理事などの要職を歴任した。
青木 由直(あおき よしなお、1941年9月2日 - )は、… 青木 由直(あおき よしなお、1941年9月2日 - )は、日本の情報工学者。北海道大学名誉教授。工学博士 (北海道大学 1972年)。eシルクロード研究工房・房主。爪句結社「秘境」主宰。専門は、情報メディア工学、メディア工学。長野県生まれ。北海道浦河町出身。 JR札幌駅前にIT企業が集積した「サッポロバレー」の企業群の経営者を輩出した「北海道マイクロコンピュータ研究会」を立ち上げた。当時の主な教え子に中本伸一(元ハドソン副社長)や、ビー・ユー・ジーの創業メンバーの村田利文、服部裕之、若生英雅、木村真などがいる。現在も地域起業家の勉強会「青木塾」を主宰。 札幌を中心とした都市部の秘境を巡る紀行文や、写真に俳句を添える「爪句」作家としても活動している。
小川 公人(おがわ きみと、1941年(昭和16年)9月1日… 小川 公人(おがわ きみと、1941年(昭和16年)9月1日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。北海道江別市出身。1960年(昭和35年)北海道江別高等学校卒業。北海道江別市長(1995年-2007年)。 1960年(昭和35年)江別市役所に入所。勤務した後、江別市役所を退職。1971年(昭和46年)江別市議会選挙に出馬し、初当選。以来、同市議会議員を6期務める。1995年(平成7年)に江別市長選挙に出馬し現職である岡英雄を破り、初当選。連続3期務め、2007年に勇退した。 市議会議員時代は、総務文教常任委員会委員、厚生常任委員長、総務文教常任委員長、建設常任委員、江別市議会副議長、厚生常任委員などを務めた。
寺内 靖治(てらうち せいじ、1941年8月24日 - )は… 寺内 靖治(てらうち せいじ、1941年8月24日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。北海道石狩市出身。北海道石狩町(現・石狩市)長(1980年-1994年)。 北海道札幌西高等学校、明治大学経済学部卒業。寺内弓道具店役員、石狩町議会議員を経て、1980年に新自由クラブ単独推薦・無所属で石狩町長に当選。3回目の挑戦での初当選だった。選挙戦では新自由クラブの河野洋平代表代行や土谷享道連代表が応援に訪れた。また横路孝弘は高校の同級生であり、日本社会党代議士時代から応援に駆けつけていた。町長は連続5期務め、石狩新港の建設に手腕を発揮した。 1994年に収賄で逮捕、町長を辞任した。翌1995年7月、裁判所から有罪判決を受けた。
小山 乃里子(こやま のりこ、1941年〈昭和16年〉8月1… 小山 乃里子(こやま のりこ、1941年〈昭和16年〉8月16日 - 2024年〈令和6年〉1月20日)は、日本のフリーアナウンサー。政治家。元神戸市会議員。 兵庫県神戸市東灘区・六甲アイランド在住。ニックネームは「ノコさん」「小山上等兵殿」。 北海道小樽市生まれ、小学校4年生の時に大阪府枚方市に転居。関西学院大学文学部を卒業後の1965年、ラジオ関西にアナウンサーとして入社。1971年にフリーとなり、晩年まで関西のテレビ・ラジオ各局で活動していた。ラジオ関西の情報番組『ビバ!タカラジェンヌ』は1980年の放送開始から長年担当していた。 1995年1月17日、居住する六甲アイランドのマンションで阪神・淡路大震災に遭遇。
伴 次雄(ばん つぐお、1941年8月13日 -)は、日本の… 伴 次雄(ばん つぐお、1941年8月13日 -)は、日本の農林水産技官。林野庁長官や、緑資源公団理事長、緑資源機構理事長、全国森林レクリエーション協会理事長等を歴任した。 北海道札幌東高等学校卒業後、1965年北海道大学農学部林学科卒業。林野庁業務部長や、林野庁次長、林野庁長官、緑資源公団理事長、独立行政法人緑資源機構理事長、一般社団法人全国森林レクリエーション協会理事長、公益財団法人地球環境戦略研究機関参与等を歴任した。鈴木宗男元衆議院議員から鈴木宗男事件に関し虚偽の証言をしたとして訴えられたが、2012年に東京地方裁判所で請求棄却が言い渡された。2015年秋の叙勲で瑞宝重光章(農林水産行政事務功労)受章。
依本 悟(よりもと さとし、1941年8月7日 - )は、秋… 依本 悟(よりもと さとし、1941年8月7日 - )は、秋田放送の元アナウンサー。 北海道上川郡下川町生まれ。明治大学文学部文学科演劇専攻卒業。1964年の日活ニューフェイスに最終選考まで残っていたが、落選。その後友人にアナウンサーを勧められて「声のスターになるのも悪くない」と思い直し、1965年2月に秋田放送へ入社。後にアナウンス部長、報道局次長・報道部長を経て、2002年に定年退職。以後は秋田・市民メディア研究会」代表として、メディアリテラシーとコミュニケーション・人間関係を軸に生涯学習を展開。 アナウンサーになったあたりの頃から、ネギの研究を続けている。ネギを見ただけで産地を必ず当てたり、ラーメンを丼の中で一本にするという特技も持っていた。
ポール牧(ポールまき、1941年〈昭和16年〉8月2日 - … ポール牧(ポールまき、1941年〈昭和16年〉8月2日 - 2005年〈平成17年〉4月22日)は、日本のコメディアン、タレント、俳優、元僧侶。北海道天塩郡天塩町出身。実家は曹洞宗寺院。北海道天塩高等学校卒業。血液型はAB型。 本名は榛澤一道(はんざわ かずみち)。僧名は熈林一道(きりん いちどう)。 関武志とともにコント・ラッキー7を結成し、人気を博した。リズム良く指を鳴らす「指パッチン」で知られた。
玉嵐 孝平(たまあらし こうへい、1941年8月1日 - 1… 玉嵐 孝平(たまあらし こうへい、1941年8月1日 - 1993年2月28日)は、北海道河西郡芽室町出身で片男波部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は成田 幸平(なりた こうへい)。最高位は東前頭4枚目(1962年11月場所、1963年7月場所、1964年1月場所)。現役時代の体格は173cm、116kg。得意手は右四つ、寄り、上手投げ、押し。 15歳の時、玉乃海の内弟子として二所ノ関部屋へ入門し、1956年9月場所で初土俵を踏んだ。その直前の夏巡業で入門し、一行に帯同していたため、同じ北海道出身で同部屋に入門したばかりの納谷(後の横綱・大鵬)と一緒に行動していた。大鵬にとっても玉嵐(成田)は「相撲社会での最初の友人」であり、後年、入幕してからは既に横綱に昇進していた大鵬の横綱土俵入りの露払いや太刀持ちも務めている。
酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は… 酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は、日本の美術評論家、世田谷美術館館長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。 1941年、北海道余市郡余市町生まれ。北海道余市高等学校を経て、慶應義塾大学に入学。1964年、慶應義塾大学文学部美学美術史科を卒業。 大学卒業と同時期に神奈川県立近代美術館学芸員になる。土方定一に師事し、学芸課長、副館長を経て、1992年より館長。2004年から2024年3月まで世田谷美術館館長。2003年の『海にかえる魚』では、小説に挑んだ。2006年から2021年まで美術館連絡協議会理事長。 近代美術の研究、現代美術の評論活動を行う。ベネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナーを務めた。
赤井 邦男(あかい くにお、1941年(昭和16年)7月14… 赤井 邦男(あかい くにお、1941年(昭和16年)7月14日 - )は、日本の政治家。元北海道紋別市長。 紋別市出身。旧北海道紋別高等学校卒業。石材店を経営する。 1977年(昭和52年)6月より紋別市議会議員に6期当選し、同議長を経て、1997年(平成9年)6月に紋別市長に当選した。 2005年(平成17年)まで2期務めた。
渡辺 信英(わたなべ のぶひで、1941年(昭和16年)7月… 渡辺 信英(わたなべ のぶひで、1941年(昭和16年)7月 - )は、日本の法学者。博士(社会福祉学)、東北福祉大学名誉教授、郡山東都学園学校長、仙台北学園学校長。公益財団法人仙台微生物研究所理事、全国保育士養成協議会常任理事。聖和学園短期大学学長 北海道函館市出身。北海道函館中部高等学校を経て、1970年に東洋大学大学院法学研究科博士課程を満期退学。1968年東北福祉大学の助教授に就任した。1979年に同教授となる。その後学生部長などを務め、1990年に社会福祉学部長、大学院社会福祉学研究科長、2002年、通信教育部が設置された際には、初代の通信教育部長も歴任した。 2008年に、総合福祉学部からスピンオフして設置された総合マネジメント学部長を兼務し、2009年4月より学長補佐、2015年4月より総合福祉学部長兼務解除の上で副学長に就任。
ラッシャー木村(ラッシャーきむら / Rusher Kimu… ラッシャー木村(ラッシャーきむら / Rusher Kimura、1941年6月30日 - 2010年5月24日)は、日本のプロレスラー、大相撲力士。本名:木村 政雄(きむら まさお)。北海道中川郡中川町出身。 後期のエースを務めた国際プロレスでは金網デスマッチの鬼の異名を持つブルファイターとして活躍し、新日本プロレス参戦時は国際軍団の総帥としてアントニオ猪木と抗争を繰り広げ、全日本プロレスおよびプロレスリング・ノア在籍時はユーモアあふれるマイク・パフォーマンスで親しまれた。 多くのプロレス団体を渡り歩いたことでも知られる。 2003年よりプロレスリング・ノア終身名誉選手会長。 佐久中学校を経て北海道天塩高等学校に進学、ポール牧と同級生であった。
荻野 一雄(おぎの かずお、1941年6月22日 - )は、… 荻野 一雄(おぎの かずお、1941年6月22日 - )は、北海道紋別郡西興部村出身の元プロ野球選手(投手)。 西興部中時代から速球派投手として知られ、北海高校では2年からエース。2年生時の1958年秋季北海道大会札幌地区予選決勝では、千歳高に対して北海道高校野球史上初の完全試合を達成。秋季北海道大会準々決勝に進むが函館工に敗退。1959年春季北海道大会の対歌志内高戦では、初回先頭打者から13連続三振を記録。同年夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、苫小牧東高に10回裏サヨナラ負け、甲子園出場を果たすことはできなかった。同期には茅野智行(芝浦工大 → 西鉄)・八木沼陽一(立教大 → 河合楽器)、1期下には佐藤進(富士鐵室蘭 → 国鉄・産経 → 中日)などのメンバーを擁していた。
保坂 一夫(ほさか かずお、1941年6月19日 - )は、… 保坂 一夫(ほさか かずお、1941年6月19日 - )は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授、元日本大学教授。 北海道上川郡東鷹栖村(現・旭川市)生まれ。北海道旭川北高等学校を経て、1966年東京大学文学部独文科卒業、テュービンゲン大学留学。新潟大学講師、玉川大学助教授、1981年東京大学教養学部助教授(ドイツ語)、1990年教授、2002年定年退官、日本大学文理学部教授。2012年定年退職。 クリスタ・ヴォルフ選集全7巻を訳した。ほかエルンスト・ブロッホなどを研究。
五野井隆史(ごのい たかし、1941年6月11日- )は、日… 五野井隆史(ごのい たかし、1941年6月11日- )は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。キリシタン史を専門とする。北海道幌泉郡えりも町生まれ。長男は政治学者の五野井郁夫。 五野井貞蔵・ミチの四男として北海道に生まれる。1965年(昭和40年)上智大学文学部卒業。1971年(昭和46年)上智大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。同年4月、東京大学史料編纂所に入る。1974年(昭和49年)2月より文部省在外研究員として2年間、ポルトガル・スペイン・イタリアに派遣される。1982年(昭和57年)4月、東京大学助教授。1987年(昭和62年)、学位論文「徳川初期キリシタン研究」により九州大学より文学博士の学位を取得。
菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )… 菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )は、日本のレーシングドライバー、実業家。北海道小樽市出身。 日本レーシングマネージメント(JRM)株式会社取締役会長・チームスガワラ前代表。長男はヤマハ発動機のデザインに関わるGKダイナミックス株式会社代表取締役の菅原義治、次男はクロスカントリードライバーで現チームスガワラ代表の菅原照仁。 日本のレース文化草創期からプライベーターとして自動車レースで活躍し、1970年代にはいち早くラリーレイド(クロスカントリー)に挑戦するなど、日本のモータースポーツのパイオニアの一人である。サーキットでもオフロードでも、小排気量車で大排気量車を追い回すのを身上とした。
前田 忠明(まえだ ただあき、1941年5月15日 - 20… 前田 忠明(まえだ ただあき、1941年5月15日 - 2022年9月28日)は、日本の芸能リポーター。愛称は前忠(まえちゅう)・本名の「ただあき」を音読みした「ちゅうめい」。従って「ちゅうめい」は愛称であり、本名は「ただあき」と読む。 北海道空知郡岩見沢町(現:岩見沢市)出身。1980年4月から2020年3月まで長きに渡りフジテレビと専属契約を結び、「フジテレビ芸能デスク」の肩書きで活動してきた。 北海道空知郡岩見沢町(現:岩見沢市)生まれ。北海道岩見沢東高等学校、明治大学文学部演劇学科卒業。1970年、『女性自身』(光文社)の記者となり、主に芸能記事を担当。1980年、芸能リポーターとしてテレビに転身し、フジテレビと専属契約を結んだ。
佐々木 肇(ささき はじめ、1941年5月7日 - )は、日… 佐々木 肇(ささき はじめ、1941年5月7日 - )は、日本の政治家。元北海道赤平市長(3期)。元札幌市議会議員(2期)。 北海道空知郡赤平村(のち赤平町、現・赤平市)出身。1960年、北海道赤平高等学校卒。市内で茶の販売を営む。1975年、33歳で赤平市長選挙に立候補し、現職の遠藤勝太郎を破って初当選する。1979年と1983年で再選。1987年に落選した。3回とも相手は元市議の親松貞義だった。その後、札幌市に移り、1991年の北海道議会議員選挙に東区から無所属で立候補したが落選した。1993年の札幌市議会議員補欠選挙に自民党公認で立候補して当選。1995年に再選。1999年に落選した。
松生 秀二(まつおい ひでじ 1941年(昭和16年)5月7… 松生 秀二(まつおい ひでじ 1941年(昭和16年)5月7日 - 2025年(令和7年)10月19日)は、日本の映画監督。北海道北見市生まれ。日本大学藝術学部中退。日本映画監督協会会員、日本アカデミー賞協会会員。劇団三松座演出家。BMCエンタープライズ特別講師。 大映テレビ、円谷プロ、東京映画等で助監督を経て1970年「あなたはいない」でテレビドラマ監督デビュー。「あばれはっちゃくシリーズ」などを経て、1980年代後半以降は東海テレビ制作昼の帯ドラマを手掛け、多数のヒット作を演出・プロデュースする。 一時期、フジテレビの「めざましテレビ」でレポーターを担当していた松生めぐみは長女である。 2025年10月19日死去。
山内 亮史(やまうち りょうじ、1941年5月6日 - )は… 山内 亮史(やまうち りょうじ、1941年5月6日 - )は、日本の社会学者。学校法人旭川大学(現:学校法人旭川志峯学院)の前理事長。旭川大学(現:旭川市立大学)及び旭川大学短期大学部(現:旭川市立大学短期大学部)の元学長。北海道出身。 北海道札幌西高等学校卒業。横路孝弘と同級生であった。北海道学芸大学札幌分校学芸学部卒業。1970年、北海道大学大学院教育学研究科博士課程教育社会学専攻単位修得後退学。1971年4月、旭川大学経済学部専任講師に就任。1975年に同経済学部助教授、1990年に同経済学部教授。1999年、旭川大学大学院研究科教授。2000年、旭川大学副学長。2003年4月、旭川大学学長、旭川大学女子短期大学部学長に就任(~2021年3月)。
武部 勤(たけべ つとむ、1941年〈昭和16年〉5月1日 … 武部 勤(たけべ つとむ、1941年〈昭和16年〉5月1日 - )は、日本の政治家。社団法人日米平和・文化交流協会理事。公益財団法人東亜総研代表理事。 農林水産大臣(第32代)、衆議院議員(8期)、衆議院議院運営委員長(第63代)、自由民主党幹事長(第39代)、公益財団法人全日本ボウリング協会会長を歴任した。 衆議院議員の武部新は長男。タレントの田丸麻紀は義理の娘(次男の妻)。 北海道斜里郡斜里町生まれ。父親は中華料理店主人。斜里町立斜里小学校、斜里町立斜里中学校、北海道斜里高等学校卒業後、早稲田大学第二法学部(夜学)に進学。その後、3年次に進級する際に第一学部に転部し、1964年に早稲田大学第一法学部を卒業する。
加藤 一夫(かとう かずお、1941年4月27日 - )は、… 加藤 一夫(かとう かずお、1941年4月27日 - )は、日本の国際政治学者、社会運動家、静岡福祉大学名誉教授。専門は国際関係論、ナショナリズム論、国際福祉論。 北海道岩内郡共和町生まれ。1968年東京外国語大学ロシア語科卒、1973年東京大学大学院社会学研究科国際関係論博士課程満期退学。国立国会図書館調査員を経て1992年に静岡県焼津市へ。静岡精華短期大学教授、副学長を経て、静岡福祉大学学長、名誉教授。1960年代からボランティア活動や社会運動に参加。PARC(アジア太平洋情報センター)機関紙編集委員、季刊『クライシス』編集委員、中東欧反体制支援『QUO』の編集委員などを務める。
藤倉 肇(ふじくら はじめ、1941年〈昭和16年〉4月7日… 藤倉 肇(ふじくら はじめ、1941年〈昭和16年〉4月7日 - 2016年〈平成28年〉7月3日)は、日本の実業家、政治家。夕張市長(1期)、夕張市議会議員(1期)。北海道夕張市出身。 1941年に、夕張市高松二区で生まれる。夕張北高校卒業後、横浜ゴムで働きながら日本大学経済学部二部を卒業。その後、十勝ヨコハマタイヤ・北海道ヨコハマタイヤ販売の2社の社長を務める。特に北海道ヨコハマタイヤ販売社長在任時には、系列販売会社として全国最下位近くだった売上高を在任中にトップにまで引き上げた実績を持つ。前任市長の後藤健二とは高校の同級生である。 2007年4月22日実施の北海道夕張市市長選では、連合の支持を受け優勢が伝えられていたものの、羽柴秀吉に追い上げを許しており、危機感を抱いた陣営は、投票日の3日前に、表向きは自主投票であった公明党とその支持母体である創価学会に支援を要請。
山本 要(やまもと かなめ、1941年3月20日 - )は、… 山本 要(やまもと かなめ、1941年3月20日 - )は、日本の政治家。北海道樺戸郡浦臼町出身。北海道月形高等学校卒業。元北海道樺戸郡浦臼町長(1988年-2008年)。 浦臼町農民協議会副会長や浦臼町議会議員を経て、1988年(昭和63年)に浦臼町長選挙に出馬し当選。以後、5期20年町政を担う。 1991年(平成3年)ウラウス・リゾート開発公社への不正融資疑惑で話題となった。この後、同町の再開発事業を手掛けた。 『ふりーたいむ』(空知新聞社、2008年)
嶋村 輝郎(しまむら てるお、1941年3月18日 - )は… 嶋村 輝郎(しまむら てるお、1941年3月18日 - )は、日本の実業家。ニコン代表取締役社長を務めた。全国発明表彰発明実施功績賞受賞。 北海道旭川市出身。1960年北海道旭川西高等学校卒業。1964年東北大学理学部物理学科卒業、日本光学工業(現ニコン)入社。1979年精機事業部精機営業部第二販売課長。1985年精機事業部精機営業部グループマネージャー。1995年取締役精機事業部長に昇格。1997年常務取締役精機事業本部長。1999年精機カンパニープレジデント。2001年から代表取締役社長兼COOを務め、収益性の確保にあたった。2002年度全国発明表彰発明実施功績賞受賞。
蓬田やすひろ(よもぎだ やすひろ、本名:蓬田容洽(やすひろ)… 蓬田やすひろ(よもぎだ やすひろ、本名:蓬田容洽(やすひろ)、1941年3月14日 - )は北海道札幌市出身のイラストレーター。
支倉 隆子(はせくら たかこ、1941年3月11日 - )は… 支倉 隆子(はせくら たかこ、1941年3月11日 - )は、日本の詩人。 本名は川瀬 隆子(旧姓・支倉)。夫は画家の川瀬裕之。 北海道札幌市生まれ。労働基準局勤務の父親の転勤で、中学2年から高校時代まで滝川市で育つ。北海道滝川高等学校を経て、1963年北海道大学文学部ロシア文学科卒業。 1976年に詩集『音楽』、1979年に『琴座』で2度H氏賞候補となる。1995年に『酸素31』で第19回地球賞を受賞。その後2003年に『身空x』で詩歌文学館賞候補となっている。 平明な表現の中に、幻想的要素を漂わせた作風が特色。ヴィジュアル・ポエトリィの活動を積極的に行っており、近年は朗読や美術家としての活動も行っている。
多田 護(ただ まもる、1941年2月23日 - 2017年… 多田 護(ただ まもる、1941年2月23日 - 2017年6月13日)は、日本のアナウンサー。北海道出身(幕別町明野生まれ)。身長172cm、体重76kg。血液型O型。 北海道帯広三条高等学校→明治大学政経学部卒業後、1965年4月にTBSへアナウンサー第10期生として入社。1966年1月にラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部兼報道局ニュース取材部、1967年11月にアナウンサー研修室付兼報道局ラジオニュース部へそれぞれ配属。 1968年6月に報道局運動部兼アナウンサー研修室付の配属となって以降は、主にスポーツアナウンサーとして中継・情報番組で活動した。主な中継担当競技は、野球・テニス・ゴルフ・フィギュアスケート・陸上競技。
佐野 力(さの ちから、1941年2月15日 - )は、日本… 佐野 力(さの ちから、1941年2月15日 - )は、日本の実業家。日本オラクル設立者で、同社代表取締役会長兼最高経営責任者や、オラクル本社のシニア・バイス・プレジデントを務めた。 北海道夕張郡栗山町生まれ。実家は写真館。父は19歳で室蘭港を出てシンガポールでイギリス人から写真技術を学んだ人物で、その影響から海外で働きたいという気持ちが強まった。 1963年小樽商科大学商学部卒業。大学では応援団や柔道部に所属。学業では「社長と副社長では天と地の差がある」という伊藤森右衛門教授から大きな影響を受けたという。 大学卒業後日本IBM入社。中国事業開発部長、西部営業本部長を経て、1988年エス・アンド・アイ代表取締役社長。
32代 木村 庄之助(さんじゅうにだい きむら しょうのすけ… 32代 木村 庄之助(さんじゅうにだい きむら しょうのすけ、本名:澤田 郁也(さわだ いくや)、1941年2月13日 - )は、大相撲の立行司の一人。木村庄之助としての在位期間は2006年1月〜2006年2月。北海道網走市出身。出羽海部屋所属。 後に「泉の親方」と呼ばれた名行司22代木村庄之助に入門。兄弟子に28代木村庄之助が、同期生には30代庄之助、31代庄之助、33代庄之助がいる。30代庄之助は同部屋で同期である。1955年5月に木村郁也の名で初土俵。幕下格時代の1972年3月に木村咸喬(しげたか)に改名。以後三役格まで咸喬で通す。1973年1月に十両格に昇格。1988年1月に幕内格に昇格。
34代 式守 伊之助(さんじゅうよんだい しきもり いのすけ… 34代 式守 伊之助(さんじゅうよんだい しきもり いのすけ、本名:棚田 好男(たなだ よしお)、1941年2月10日 - 2022年1月4日)は、大相撲の立行司の一人である。式守伊之助としての在位期間は2006年1月〜2006年2月。花籠部屋→放駒部屋→二子山部屋→貴乃花部屋所属。北海道赤平市出身。 1955年9月場所に木村光彦の名で初土俵。長く譲り名がなかったため、実に45年もの間この名で通していた。 1977年1月場所より十両格に昇格。1989年1月場所より幕内格に昇格。2001年1月場所より三役格昇進と同時に2代木村光之助と改名。 2005年11月場所で31代木村庄之助が停年。もう一人の立行司である33代式守伊之助と光之助は翌2006年1月場所後に停年を迎えるため2人とも昇格するか注目されたが、33代伊之助は32代木村庄之助を襲名、光之助も立行司に昇格、34代式守伊之助を襲名した。