広野 トヨ(ひろの トヨ、1936年〈昭和11年〉8月20日… 広野 トヨ(ひろの トヨ、1936年〈昭和11年〉8月20日 - 2014年〈平成26年〉8月10日)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道阿寒湖のアイヌ集落の歌い手として知られ、長年にわたって観光客向けに古式舞踊を披露することで、アイヌ文化の伝承へ大きく貢献した。 北海道帯広市で誕生した。幼少期に釧路に移住した。アイヌの文化伝承者・著述家である山本多助を養父として育ち、輪踊りやサロルンリムセ(鶴の舞)を踊るアイヌたちの姿を見て育ったことで、物心がつく前からアイヌの歌や踊りが身の回りにあった。 1973年(昭和48年)、結婚を機に阿寒湖温泉に移り住み、約40年間にわたって、アイヌコタンの常設劇場「オンネチセ」で古式舞踊の歌い手を務め続けた。
工藤 正明(くどう まさあき、1936年7月21日 - 20… 工藤 正明(くどう まさあき、1936年7月21日 - 2011年5月13日)は、北海道出身のプロ野球選手。 北海高校では1953年選抜高校野球大会から4季連続で甲子園に出場した。 1955年に読売ジャイアンツへ入団。1959年に退団し、その後は地元の電電北海道でプレーした。
佐藤 公博(さとう きみひろ、1936年7月13日 - )は… 佐藤 公博(さとう きみひろ、1936年7月13日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(投手)。 函館工業では1954年夏の甲子園道予選準々決勝に進むが、札幌北高に延長10回サヨナラ負け。卒業後は東洋高圧砂川に入社し、1955年から都市対抗の常連として活躍する。 1961年に阪急ブレーブスへ入団、同年は4月から先発陣に加わり4勝をあげる。その後は一時低迷するが、1965年には先発、中継ぎとして幅広く起用され42試合に出場。1966年には柿本実との交換トレードで、中日ドラゴンズに移籍。ここでは主として救援に回るが、9月26日には巨人戦で先発し、1点リードの9回2死までノーヒットノーランに抑える。
小山 健一(こやま けんいち、1936年(昭和11年)7月4… 小山 健一(こやま けんいち、1936年(昭和11年)7月4日 - 2017年(平成29年)2月24日)は、日本の政治家、地方公務員。北海道北見市出身。1959年(昭和34年) 北海道大学農学部卒。北海道北見市長(1995年 - 1999年)。 1959年(昭和34年)北見市役所に入り、総務部総務課に配属。1985年(昭和60年)同市衛生部長。1987年(昭和62年)同市農務部長、1991年(平成3年)同市都市住宅部長に就任。北見市役所を退職し、1995年(平成7年)北見市長選挙に出馬し現職市長の久島正を破って初当選するも1999年(平成11年)に新人の神田孝次に敗れ落選した。2000年北海学園北見大学商学部客員教授(地方自治論、農業政策)。
田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 -… 田代岩 弘道(たしろいわ ひろみち、1936年6月15日 - 没年不明 )は、北海道札幌市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は羽賀 弘道(はが ひろみち)。173cm、85kg。最高位は東十両18枚目。得意技は右四つ、寄り。 北海道札幌北高等学校では陸上競技で活躍して3年生で円盤投げや砲丸投げの記録を作り、その評判を聞いた立浪部屋の世話人中ノ島が訪ねて来て勧誘し、北光山と名乗って土地相撲で活躍した父は入門を承諾した。自身は小学校時代から絵画と漫画描きに熱中しており、それを活かせる商業デザイナーを志望していたが、相撲は嫌いではなかったので高校3年生で中途退学して入門した。1954年9月場所に初土俵。
沢 邦彦(さわ くにひこ、1936年6月3日 - )は、日本… 沢 邦彦(さわ くにひこ、1936年6月3日 - )は、日本の実業家。富士電機ホールディングス代表取締役社長や、電気学会会長、富士通取締役、日本原子力発電取締役、月島機械取締役、パナソニック電工取締役などを歴任した。 1955年北海道室蘭清水丘高等学校卒業。1959年北海道大学工学部電気工学科卒業、富士電機製造入社。1987年富士電機取締役。1991年富士電機常務取締役。1994年富士電機専務取締役。1995年富士電機代表取締役副社長。1998年富士電機代表取締役社長、富士通取締役。2000年電気学会会長。2002年室蘭市ふるさと大使。2003年日本原子力発電取締役。2006年富士電機ホールディングス相談役、月島機械取締役。
今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 … 今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 - )は、日本の演出家、プロデューサー、脚本家、実業家。文化功労者。 株式会社東京放送での勤務を経て、株式会社テレビマンユニオン取締役、武蔵野美術大学造形学部教授などを歴任した。 秋田県河辺郡仁井田村(のちの秋田市)出身。4歳から高校卒業まで北海道夕張市で育つ。今野の小学生時代は終戦直後の混乱期で、教育も大きな変遷の時を迎えていた。特にレコードを使用した国語の授業や、誰かが読んだ詩を皆んなでリフレインしたりする全く新しい形式による教育を自著、今野勉のテレビズム宣言においてこう回想している。『ア、人生っていうのは、相当自由にやって許されるんだなっていうのが突然わかった。
田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - … 田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - 2018年12月30日)は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手)。兄は、元プロ野球選手の田原基稔。 兄の影響で野球を始め、北海高では、1年夏の甲子園に控え投手としてベンチ入りするなど将来を嘱望された。2年次からエースとなるが、1952年夏の北海道大会では、1回戦で太田侃(元近鉄)・橋本力(元毎日)・渡部久仁男(元巨人)らを擁する函館西高に0対10と7回コールド負けを喫する。以後は当時の監督であった筧智の指示で、1日800球の投げ込みや走り込み、100本ノックなどの猛練習でスタミナをつける。同年の秋季大会では、決勝で再び函館西高と顔を合わせるが、8対1で快勝して雪辱を果たし、翌1953年の選抜出場を果たす。
羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、1936年3月28日 - … 羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、1936年3月28日 - 1984年6月3日)は、北海道紋別郡西興部村出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は千葉 進(ちば すすむ)。最高位は東関脇(1963年3月場所・1964年7月場所)。現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げ。大相撲の黄金時代の1つである「柏鵬時代」に、幕内力士として活躍した。 地元の高校を卒業後、農業に従事していたが、安念山(後の羽黒山。引退後、年寄・追手風→同・立浪を襲名)の親戚に大相撲入りを勧められて上京。1955年9月場所にて、19歳で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同一の「千葉」。 初土俵の場所では番付外と新序でいずれも好成績を収めたため、翌年1月場所では序ノ口を飛び越して、いきなり序二段に付いた。
奥平 忠志(おくだいら ただし、1936年3月23日 - 2… 奥平 忠志(おくだいら ただし、1936年3月23日 - 2007年8月24日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。北海道教育大学名誉教授。兄に憲法学者である奥平康弘(東京大学名誉教授)がいる。
角宮 悦子(つのみや えつこ、1936年3月3日 - 201… 角宮 悦子(つのみや えつこ、1936年3月3日 - 2016年3月22日)は歌人。歌誌「はな」代表。旧姓は石塚。 北海道網走郡網走町(現在の網走市)生まれ。父は当時、網走中学校(現在の北海道網走南ヶ丘高等学校)の漢文教師であった。3歳で長野県松本市、5歳で茨城県水戸市に移住。8歳のときに父が村松陸軍通信兵学校の陸軍教官となったため新潟県中蒲原郡村松町(現在の五泉市)に移住する。終戦後は父の故郷である茨城県結城郡に住む。茨城県立水海道第一高等学校、大東文化大学日本文学部卒業。 父の影響により10代の頃から、短歌、俳句、詩を作り始める。1958年、歌誌「一路」に入会、山下陸奥に師事。東京都の豊南高等学校に勤務する。
高橋 一雄(たかはし かずお、1936年2月5日 - )は、… 高橋 一雄(たかはし かずお、1936年2月5日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手。 旭川東高校から1954年に高橋ユニオンズへ入団。 1955年に退団し、翌1956年から1963年まで社会人野球の旭川協会でプレーした。
大澤 英雄(おおさわ ひでお、1936年1月22日 - 20… 大澤 英雄(おおさわ ひでお、1936年1月22日 - 2025年2月16日)は、北海道函館市出身の元サッカー選手。現教育者・サッカー指導者。 国士舘大学名誉教授。国士舘大学学長、学校法人国士舘理事長を歴任。 2019年旭日中綬章受章。 函館有斗高等学校では水谷能啓の指導を受ける。高校卒業後は国士舘大学体育学部に入学して国士舘大学サッカー部を創設した。国士舘大学を卒業後、同大学の職員となり、その後に同大学教授に就任。1992年4月から国士舘大学体育学部長、2002年6月から学校法人国士舘の理事を歴任し、2003年12月から2006年11月30日まで国士舘大学学長を務めた。 定年により教員(教授)を退職したが、学長退任の2006年12月1日付けで名誉教授の授与を受けるとともに学校法人国士舘の常任理事に就任した。
西沢 利明(、1936年1月20日 - 2013年4月11日… 西沢 利明(、1936年1月20日 - 2013年4月11日)は、日本の俳優。本名西澤利明。 劇団俳優座、文学座、劇団雲、染谷事務所、劇団昴を経て、アイティ企画に所属していた。 北海道旭川市出身。北海道千歳高等学校卒業後、学習院大学経済学部中退。その後は俳優座養成所に入り、同養成所卒業後に文学座へ入団。 1963年、文学座を集団で脱退し劇団雲の結成に参加。『ロミオとジュリエット』『動物園物語』などでは主役を張り、中心俳優として活動した。 1975年の劇団分裂後はフリーとなり、染谷事務所を経て、1978年から1997年までは劇団昴に所属した。 2011年頃に膀胱ガンが判明するが、本人の希望で公表せず闘病しながら活動を継続。
操上 和美(くりがみ かずみ、1936年1月19日 - )は… 操上 和美(くりがみ かずみ、1936年1月19日 - )は、日本の写真家。男性。北海道富良野市出身。 広告写真以外に、井上陽水のCDジャケットやツアーパンフレットの撮影も手掛けている。 繰上和美と誤記されることが多い。
大塚 榮子(おおつか えいこ、1936年〈昭和11年〉1月1… 大塚 榮子(おおつか えいこ、1936年〈昭和11年〉1月13日 - )は、日本の薬学者、遺伝子学者。核酸の化学合成技術を用いて、がん遺伝子の全合成やヒト成長ホルモンの遺伝子による合成を達成し、核酸ならびにタンパク質の構造や機能を解明した。また、RNAの化学合成技術の開発と機能の解明、RNAの配列特異的な切断技術の開発も行い、現在の核酸医薬の基礎を作った。 1936年(昭和11年)、北海道札幌市生まれ。中高一貫のミッションスクール・北星学園女子中学高等学校に学ぶ。高校時代に盲腸をこじらせて入院した際に、病院で楽しそうに働く人の姿に興味を持つ。1954年(昭和29年)北海道大学に進学し、大学2年生の10月に新設の医学部薬学科(現・薬学部)へ進学。
若美山 三雄(わかみやま みつお、1936年1月11日 -没… 若美山 三雄(わかみやま みつお、1936年1月11日 -没年不明 )は、花籠部屋に所属した元力士。名は土井 三雄(つちい みつお)。北海道紋別郡丸瀬布町(現在の北海道紋別郡遠軽町)出身。身長173cm、体重86kg。最高位は東十両15枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 1954年9月場所に初土俵。幕下までは順調に出世したが、幕下では長い間上位に進出できずに苦戦していた。しかし、1960年9月場所に7戦全勝で幕下優勝を果たし、翌11月場所に十両に昇進した。新十両の場所は6勝9敗と負け越し、1場所で幕下に陥落した。十両を3場所務めたが勝ち越したのは1961年3月場所の1場所だけであった。十両から陥落した後も幕下上位で相撲を取っていたが、1962年1月場所限りで26歳で廃業した。
松田 昌士(まつだ まさたけ、1936年1月9日 - 202… 松田 昌士(まつだ まさたけ、1936年1月9日 - 2020年5月19日)は日本の実業家、会社経営者。従三位。東日本旅客鉄道(JR東日本)社長、同社会長を歴任。北海道北見市出身。 井手正敬、葛西敬之と共に「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。北海道大学名誉博士。 「国鉄改革3人組」の筆頭として、国鉄分割民営化に尽力した。民営化後は、JR東日本の社長・会長として経営を掌握。 また、道路関係四公団民営化に委員として参画する等、当時の内閣総理大臣・小泉純一郎が主導した聖域なき構造改革路線において、民営化の代表的な成功例の立役者の一人とされた。 2008年、日本経済新聞『私の履歴書』に寄稿し、国鉄民営化の経緯を赤裸々に語っている。
佐々木 敬介(ささき けいすけ、1936年(昭和11年) -… 佐々木 敬介(ささき けいすけ、1936年(昭和11年) - 1998年(平成10年))は、日本の工学者。工学博士(慶應義塾大学)。慶應義塾大学名誉教授、千歳科学技術大学初代学長。北海道函館市出身。
熊本 信夫(くまもと のぶを、1935年12月16日 - 2… 熊本 信夫(くまもと のぶを、1935年12月16日 - 2022年10月6日)は、日本の法学者。専門は、行政法・アメリカ合衆国憲法、特に政教分離・行政手続法・環境法。学位は、法学博士(北海道大学・1973年)(学位論文「アメリカにおける政教分離の原則」)。北海学園大学名誉教授。弁護士(熊本信夫法律事務所所長)。藍綬褒章、瑞宝中綬章受章。北海道出身。
品川 徹(しながわ とおる、1935年12月14日 - )は… 品川 徹(しながわ とおる、1935年12月14日 - )は、日本の男性俳優、声優。北海道旭川市出身。ノックアウト所属。 幼少期は勉強が嫌いな子供で、学校から家に帰っても遊んでばかりだった。内気でシャイであったが、家の中では威張っていたことから内弁慶だった。 勉強が嫌いで高校に進学せず、家具屋に入り修業をしていた。1年間、カンナのかけ方や刃の研ぎ方やノコの使い方を教えてもらい、職業補導所で簡単なものを作らせてもらえた。その後、兄弟子が5人いる町の工場で2年半くらい働いていた。下駄箱を作ったり、北海道独特の木目模様を出す技法を使ったタンスを作ったりもしていたが、飽きて嫌になり辞めた。その後は「もう少し勉強しよう」と思い、定時制高校に進学して4年間通う。
浅井 正(あさい ただし、1935年11月28日 -1990… 浅井 正(あさい ただし、1935年11月28日 -1990年1月6日)は、レスラー。1956年メルボルンオリンピック4位入賞。北海道留萌支庁増毛郡増毛町生まれ。 北海道増毛高等学校-中央大学-北日本砂鉄鉱業 高校と大学を通じて、金メダリストの池田三男と同期、プロ野球国鉄スワローズに進んだ桂本和夫は1期上、増毛高-中大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大黄金時代の屋台骨となった。 中央大学3年の時にメルボルンオリンピックでフライ級4位入賞、増毛高校の全国制覇メンバー3人が入賞する大活躍だった。中大卒業後の1960年ローマオリンピックでもレスリング王国増毛高校勢は3人が出場し、4期下の佐藤多美治とともに4位入賞した。
城 卓矢(じょう たくや, 1935年〈昭和10年〉11月2… 城 卓矢(じょう たくや, 1935年〈昭和10年〉11月28日 - 1989年〈平成元年〉5月9日)は、日本の歌手、作曲家である。本名・作曲家名は菊地 正規(きくち まさき)、1966年の改名前の芸名は菊地 正夫(きくち まさお)。ヨーデルを得意とし、鼻から抜ける独特のハスキー・ボイスとこぶし回しが特徴で魅力的な声の持ち主であった。『骨まで愛して』のヒット後の一時期、映画俳優としても活動した。 1935年(昭和10年)11月28日、当時日本領であった樺太(現在のロシア共和国サハリン)に生まれる。兄の正巳はのちの作曲家・北原じゅん(文れいじ)、作詞家・川内康範は叔父(叔母の元夫)にあたる。第二次世界大戦中に父が死去、引き揚げて室蘭市で育つ。
堀 達也(ほり たつや、1935年11月22日 - )は、日… 堀 達也(ほり たつや、1935年11月22日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。1995年から北海道知事(公選第13・14代)2期8年務めた。北海学園元理事。札幌大学前理事長。北海道開拓記念館(現・北海道博物館)元館長。北海道スポーツ協会会長。 樺太敷香郡泊岸村出身。網走支庁遠軽町で育つ。1954年、遠軽高校卒業。1958年、北海道大学農学部林産学科を卒業し、北海道庁に入庁。初任地は網走支庁上渚滑林業指導事務所であった。 林務部、北海道大阪事務所、秘書課長、生活環境部次長、土木部次長、知事室長、北海道公営企業管理者、横路孝弘の下で副知事などの職を経て、1995年に北海道知事選に無所属(新進党・日本社会党・公明・民社協会推薦)で出馬し、伊東秀子を破って初当選する。
新宮 正志(しんぐう まさし、1935年11月14日 - 2… 新宮 正志(しんぐう まさし、1935年11月14日 - 2020年10月17日)は、日本の政治家。北海道室蘭市長(4期)。 北海道旭川市出身。1958年、専修大学商経学部卒。同年、室蘭市役所に入り、環境衛生、市民福祉、財政、総務の各部長を経て、1990年に収入役となる。1995年、室蘭市長選挙に立候補して初当選、以来、連続4期務める。2011年に室蘭市長を退任。2020年に死去した。
沢田 哲郎(さわだ てつろう、1935年(昭和10年)11月… 沢田 哲郎(さわだ てつろう、1935年(昭和10年)11月5日 - 1998年(平成10年)1月16日)は、日本の昭和・平成期の絵師、版画家。澤田哲郎 (画家)とは別人。
東 京二(あずま きょうじ、1935年11月5日 - )は、… 東 京二(あずま きょうじ、1935年11月5日 - )は、漫談家・漫才師。北海道出身(漫才協会のプロフィールでは函館市、落語協会のプロフィールでは札幌市)。本名:神田 公司。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
森 徹(もり とおる、1935年11月3日 - 2014年2… 森 徹(もり とおる、1935年11月3日 - 2014年2月6日)は、北海道函館市出身(旧満州生まれ)の元プロ野球選手(外野手)・監督、解説者。
小林 和男(こばやし かずお、1935年〈昭和10年〉10月… 小林 和男(こばやし かずお、1935年〈昭和10年〉10月30日 - 2018年〈平成30年〉1月26日)は、日本の政治家、地方公務員、教育者。北海道乙部町出身。北海道学芸大学旭川分校卒業。北海道三笠市市長(3期)。 8人兄弟の5番目として生まれる。大学卒業後、小中学校教諭、三笠市立博物館副館長を経て、1987年三笠市議会議員に当選。その後の市議選で落選し、1999年7月三笠市教育長に就任。市教育長を辞職して、2003年三笠市長選に立候補し初当選。2011年3期目当選。市長在職中は全国市長会理事も務めていた。2015年任期満了で市長を退任。 退任後は、後任の西城賢策市長の発案により、三笠市の特産品などをPRする目的で新設した特命大使第1号に任命された。
白坂 道子(しらさか みちこ、1935年10月28日 - )… 白坂 道子(しらさか みちこ、1935年10月28日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。北海道札幌市出身(岩見沢市、または小樽市出身とする文献もある)。81プロデュース所属。 北海道札幌南高等学校卒業後、NHK札幌放送劇団に入る。1957年のラジオドラマ『赤い石』で、同年度の芸術祭文部大臣演技奨励賞を受賞。そのことがきっかけで、東京放送劇団に移る。その後プロダクションエム・スリーに所属した。この間俳優座養成所第13期生として入所し、3年間演技の基礎を学んでいた。 近年は朗読を中心に活動を続けている。 特技は東北弁。趣味はシャンソン。 札幌市立豊水小学校(現:札幌市立資生館小学校)時代の5年生の時に、卒業式で在校生総代として祝辞を読む時の皆から募集した祝辞の作文をはっきりと大きい声で、皆の前で聞こえるように読む課題で、子供たちにコンクールをしていた。
池田 三男(いけだ みつお、1935年(昭和10年)10月1… 池田 三男(いけだ みつお、1935年(昭和10年)10月14日 - 2002年(平成14年)9月12日)は、日本の北海道留萌支庁増毛郡増毛町出身のレスリング選手。メルボルンオリンピック金メダリスト。 北海道増毛高等学校-中央大学を通じてプロ野球に進んだ桂本和夫とともに全国優勝を経験、増毛高-中大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大黄金時代の屋台骨となった。 2002年9月12日、67歳で死去した。 中央大学4年の時にメルボルンオリンピックで優勝、エースの桂本は5位入賞となった。中大卒業後の世界選手権でも入賞、桂本は銅メダルを取った。二人は幼なじみで良きライバルとして互いに強く意識していた。
中山 善之(なかやま よしゆき、1935年10月8日 - )… 中山 善之(なかやま よしゆき、1935年10月8日 - )は、日本の翻訳家(英米文学専門)。 北海道生まれ。慶應義塾大学卒業。タイム・ライフ日本支社図書編集部勤務後、翻訳者になる。1977年の『タイタニックを引き揚げろ』で日本冒険小説大賞受賞。クライブ・カッスラーの「ダーク・ピット」シリーズほかを翻訳。
大西 敬三(おおにし けいぞう、1935年10月1日 - 2… 大西 敬三(おおにし けいぞう、1935年10月1日 - 2018年2月3日)は、日本の経営者、工学博士。日本製鋼所社長を務めた。北海道札幌市出身。 1960年に北海道大学工学部冶金工学科を卒業し、同年に日本製鋼所に入社。1989年に取締役に就任し、1991年に常務、1993年に専務を経て、1994年に副社長に就任し、1995年に社長に昇格。2001年に相談役を経て、2009年に名誉顧問に就任。1975年から1977年までに室蘭工業大学で非常勤講師、1989年から1991年までに客員教授を務め、日本防衛装備工業会会長も務めた。 2005年に旭日中綬章を受章した。 2018年2月3日病気のために死去。
すま けい(本名:須磨 啓〈すま あきら〉、1935年〈昭和… すま けい(本名:須磨 啓〈すま あきら〉、1935年〈昭和10年〉9月4日 - 2013年〈平成25年〉12月7日)は、日本の俳優。所属事務所はJ.CLIP。 北海道国後島(国後郡)出身。血液型A型。 第二次世界大戦終戦の二日前に根室市に引き揚げ、中標津町で高校生まで過ごした。北海道中標津高等学校卒業後、富山大学に進学するも中退し、役者を志して上京。文化学院に入学したがのちに中退した。 1961年(昭和36年) - 1963年(昭和38年)、芸術劇場に所属。1966年(昭和41年)新宿のジャズ喫茶などを拠点にしつつ、太田豊治と「すまけいとその仲間」を結成。『ゴドーを待ちながら』などの翻訳劇で、斬新な翻案・演出から「アングラの帝王」と称された。
及川 ヒロオ(おいかわ ヒロオ、旧芸名・及川 広夫、及川 ヒ… 及川 ヒロオ(おいかわ ヒロオ、旧芸名・及川 広夫、及川 ヒロヲ、1935年〈昭和10年〉8月28日 - 1995年〈平成7年〉9月25日)は、日本の男性俳優、声優。北海道美唄市出身。プロダクションエム・スリーに所属していた。 北海道美唄東高等学校(現・北海道美唄高等学校)卒業。 高校卒業後、美唄市劇団「青い実の会」を経て、NHK札幌放送劇団入団。同劇団の研究生時代には札幌市電の車掌のアルバイトをしていたことがあった。その後23歳の時に上京。東京放送劇団を経て、プロダクションエム・スリーに所属していた。 1995年9月25日、死去。60歳没。奇しくも『イタダキマン』で共演した富山敬と同じ日に亡くなった。
大竹 仁(おおたけ ひとし、1935年8月18日 - )は、… 大竹 仁(おおたけ ひとし、1935年8月18日 - )は、北海道稚内市出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 稚内高から東洋高圧砂川。東洋高圧砂川では都市対抗野球大会にも出場した。1956年、毎日オリオンズに入団すると別当薫監督からは大いに強打を期待された。しかし通算1本塁打に終わり、1959年に引退した。引退後は日本楽器の横浜店に勤務。「ピアノ調律師」となった。
中江 克己(なかえ かつみ、1935年(昭和10年)8月17… 中江 克己(なかえ かつみ、1935年(昭和10年)8月17日 - )は、日本の文筆家。 函館市生まれ。北海道函館西高等学校卒。編集者を経て歴史文筆家。 初期の別筆名・亜坂卓巳、黒木達也。実用書、日常のうんちく、歴史雑学、大河ドラマ関連本などを数多く執筆している。
板谷利雄(いたや としお、1935年7月11日 - 2012… 板谷利雄(いたや としお、1935年7月11日 - 2012年1月22日)は、日本の政治家、元地方公務員。北海道長沼町長(1988年 - 2008年)。旭日小綬章受章。位階は従五位。 北海道夕張郡長沼町出身。札幌文科専門学院(現札幌学院大学)法科を経て、1952年札幌短期大学商業科卒。 1952年北海道長沼町役場に入庁。同町議会事務局長、同総務課長などを歴任。1979年同収入役。その後、自由民主党の北修二秘書。1988年長沼町長選挙に出馬し初当選。以後、連続5期当選。2008年勇退した。 この他、長沼町グリーン・ツーリズム推進協議会会長も務めた。 2012年1月22日に急性肺炎のため76歳で死去。
レオナルド 熊(レオナルドくま、本名:井上 千蔵 <い… レオナルド 熊(レオナルドくま、本名:井上 千蔵 <いのうえ せんぞう>、1935年6月27日 - 1994年12月11日)は、日本のコメディアン。 石倉三郎と組んだコントコンビ『ラッキーパンチ』『コント・レオナルド』で一世を風靡した。
鳥井 実(とりい みのる、1935年6月27日 - 2018… 鳥井 実(とりい みのる、1935年6月27日 - 2018年8月30日)は、北海道三石郡三石町(現日高郡新ひだか町)出身の作詞家。 20歳で上京した後、作詞家の高橋掬太郎に師事。その後は故郷の北海道に戻り、バーを経営しながら作詞家活動を行い、1964年に「すすきのブルース」でデビュー。再び東京へ戻ると、1967年の「命かれても」(森進一)が100万枚を超すヒット曲になる。 その後も「だんな様」(三船和子)、「娘よ」(芦屋雁之助)などコンスタントにヒット曲を飛ばす。 2012年に病気療養のため札幌に戻り、その後は帯広市に移住し、当地を中心に作詞活動を行っていた。 2018年8月30日午前4時13分、肝細胞癌のため死去。
西里 静彦(にしさと しずひこ、1935年6月9日 - )は… 西里 静彦(にしさと しずひこ、1935年6月9日 - )は、カナダの行動計量学者(計量心理学)。学位は、Ph.D.(ノースカロライナ大学・1966年)。トロント大学名誉教授、アメリカ統計学会フェロー、日本行動計量学会名誉会員。北海道札幌市生まれ、十勝郡浦幌町育ち。 マギル大学心理学部研究員、マギル大学精神医学部統計コンサルタント、トロント大学オンタリオ教育大学院測定評価学部部長、トロント大学オンタリオ教育大学院教授、国際計量心理学会会長などを歴任した。 日本で生まれ、カナダで活躍した行動計量学者である。国際計量心理学会の会長を務めるなど要職を歴任し、計量心理学と非線型多次元データ解析の発展に尽くした。
北葉山 英俊(きたばやま ひでとし、1935年5月17日 -… 北葉山 英俊(きたばやま ひでとし、1935年5月17日 - 2010年7月20日)は、北海道室蘭市出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山田 英俊(やまだ ひでとし)。最高位は東大関。 1935年5月17日に北海道函館市で生まれ、すぐに室蘭市へ転居した。双葉山定次に憧れて中学校では相撲部の主将を務め、道内各地の大会で活躍していたが、卒業後は家計を助けるために3年間は富士製鉄の下請けをする管組で勤務しながら鍛冶屋へ奉公に出た。1954年3月に奉公が終わったことで角界入りする意思を伯父に伝えて相談すると、賛成されると同時に助言してくれたが、両親は許可を出しそうに無かったことで家出同然で親友の自宅で弁当を作ってもらい、それを持って職場の同僚に駅まで送ってもらって青函連絡船と列車に乗り、上京した。
多田 修(ただ おさむ、1935年5月16日 - )は、北海… 多田 修(ただ おさむ、1935年5月16日 - )は、北海道出身の元アルペンスキー選手。 北海高 → 早稲田大学 → 伊勢丹 1955年の第28回全日本学生スキー選手権大会の回転で優勝。荒削りながら、コースの選定には独特の勘があったと言われる。1959年のスコーバレーのプレオリンピックでは、欧米の強豪を相手に、滑降・回転・大回転の3種目総合で4位に入る健闘を見せた。同年の第37回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技では、回転で猪谷千春・見谷昌禧に次いで3位に入り、翌1960年のスコーバレーオリンピックの代表に選出される。同オリンピックでは、アルペンスキーの滑降で46位、回転で26位、大回転で35位だった。
横山 清(よこやま きよし、1935年5月15日 - )は、… 横山 清(よこやま きよし、1935年5月15日 - )は、日本の実業家。アークス代表取締役会長、ラルズ代表取締役会長、初代新日本スーパーマーケット協会会長、恵迪寮同窓会理事長。元全国スーパーマーケット協会理事長。藍綬褒章受章。 北海道芦別市の鍛冶屋の家に生まれる。北海道芦別高等学校卒業後、明治鉱業芦別炭鉱で2年間炭鉱夫として働いたのち、1960年に北海道大学水産学部を卒業した。 北海道大学恵迪寮に入寮し、当時寮長を務めていたこともあり、寮費を滞納する先輩からも臆せず取り立てを行っていたという。 大学卒業後は野原産業に入社。1961年大丸スーパー(現アークス)入社。1985年から大丸スーパー代表取締役社長を務め、1989年丸友産業と合併しラルズに改組後も引き続き代表取締役社長を務めた。
内田 勝(うちだ まさる、1935年4月22日 - 2008… 内田 勝(うちだ まさる、1935年4月22日 - 2008年5月30日)は、日本の雑誌編集者。北海道生まれ。 講談社発行の漫画雑誌『週刊少年マガジン』第3代編集長。 1935年北海道に出生し、小学6年生から埼玉県越生町へ転居する。地元の小中学校を卒業後、川越高校を経て東京教育大学へ入学する。在学中に結核を患い、1年間休学した。1959年に講談社を受験し、一度は身体検査で不合格となったが、大学の主任教授梅根悟の推薦状で入社を許された。 『週刊少年マガジン』には創刊時から携わり、1965年に第3代編集長に就任する。怪獣ものの企画で同誌の売上を伸ばし、30万部だった発行部数を1年で50万部に増大させた。
上参郷 祐康(かみさんごう ゆうこう、1935年4月1日 -… 上参郷 祐康(かみさんごう ゆうこう、1935年4月1日 - )は、日本の音楽学者。東京芸術大学名誉教授。
佐藤 博明(さとう ひろあき、1935年3月30日 - )は… 佐藤 博明(さとう ひろあき、1935年3月30日 - )は、日本の会計学者。静岡大学学長、静岡鉄道監査役、宇都宮大学監事、福島大学監事、静岡産業大学監事などを歴任した。 北海道二海郡八雲町生まれ。1958年に明治大学商学部卒業後、明治大学大学院商学研究科修士課程、同博士課程を経て、1963年静岡大学文理学部講師着任。静岡大学人文学部助教授を経て、1976年静岡大学人文学部教授。1988年明治大学商学博士。1990年から1992年まで静岡大学学生部長。1997年から2003年まで静岡大学長。2003年静岡大学名誉教授。2004年静岡鉄道監査役、宇都宮大学監事。2006年福島大学監事。2008年静岡産業大学監事。
岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 20… 岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 2020年5月31日)は、日本の俳優・演出家。東京都出身。國學院大學卒。趣味はスキー、水泳。 大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の子として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。伯父に医学者緒方知三郎、兄はジャーナリストの岡村昭彦。 北海道放送演劇養成所に学ぶ。北海道札幌南高等学校在学中に、加清純子や樫村幹夫らとともに文芸同人誌「青銅文学」を創刊。加清純子とは恋仲であった。札幌南高校を追い出されるようなかたちで退学となり、「青銅文学」は27号で終刊。
堀内 日出男(ほりうち ひでお、1935年(昭和10年)2月… 堀内 日出男(ほりうち ひでお、1935年(昭和10年)2月19日 - 2018年(平成30年)6月18日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道歌志内市長。 北海道空知郡歌志内村(歌志内町を経て現歌志内市)に生まれる。北海道砂川北高等学校卒業。通算21年以上にわたり歌志内市議会議員を務めたのち、1988年(昭和63年)歌志内市長に当選し、1期務めた。
川嶋 至(かわしま いたる、1935年(昭和10年)2月15… 川嶋 至(かわしま いたる、1935年(昭和10年)2月15日 - 2001年(平成13年)7月2日)は、文芸評論家。北海道札幌市生まれ。1958年(昭和33年)北海道大学文学部国文科卒業後、1964年(昭和39年)同大学院博士課程満期退学。日本近代文学を専攻していた在学中に『位置』の同人となる。その後、岩手大学講師、東京工業大学助教授、教授を歴任。川端康成の研究家として知られ、川端の元恋人の伊藤初代の実体をいち早く究明した研究者として注目された人物である。 大学院時代の1961年(昭和36年)3月、評論「『伊豆の踊子』を彩る女性(上・下)」を発表し、いち早く川端康成の初期の恋人「伊藤初代」の存在に着目していたが、この論はほとんど注目されなかった。