岡和田 晃(おかわだ あきら、1981年 - )は日本のゲー… 岡和田 晃(おかわだ あきら、1981年 - )は日本のゲームデザイナー、翻訳家、および文芸評論家、SF評論家、編集者、詩人。 「ナイトランド・クォータリー」編集長、AGS(アナログ・ゲーム・スタディーズ) 主催。日本近代文学会、日本SF作家クラブ、日本文藝家協会、遊戯史学会、日本デジタルゲーム学会、日本詩人クラブ、茨城県詩人協会、日本ペンクラブ各会員。SF Prologue Wave編集部所属。 北海道上富良野町出身。北海道旭川北高等学校英語科、早稲田大学第一文学部文芸専修卒業、筑波大学大学院人文社会科学研究科一貫制博士課程修士取得退学、共愛学園前橋国際大学非常勤講師、東海大学非常勤講師、法政大学兼任講師。
佐藤 友美(さとう ゆみ、1976年2月25日 - )は、北… 佐藤 友美(さとう ゆみ、1976年2月25日 - )は、北海道知床半島生まれの、フリーライター、書籍ライター、ヘアライター、ヘアアドバイザー、美容ライター、エッセイスト、コラムニスト、編集者。愛称は「さとゆみ」。テレビ制作会社勤務を経て2001年に文筆業に転向。インタビューライティングを得意とし、独自の切り口でエッセイやコラム連載を持つ。自著本では物書き本や1人の生涯を徹底取材した評伝本、ヘアスタイルに関する本などを出版している。2014年からは書籍ライターとして、ビジネス書、実用書、教育書等 年8冊程度(60冊以上)を執筆。Webメディア「CORECOLOR〜コレカラ」を主宰し、100名を超える自身のライティング講座出身者と共に運営している。
大塚 ギチ(おおつか ギチ、1974年1月15日 - 201… 大塚 ギチ(おおつか ギチ、1974年1月15日 - 2019年4月)は、日本の編集者・デザイナー・ライター。 宝島社勤務のゲーム誌編集者を経て独立。主な活動領域はビデオゲームとアニメーション。有限会社アンダーセル(UNDERSELL ltd.)代表取締役社長。自主出版レーベル〈bootleg! books〉主宰。 北海道恵庭北高等学校出身。札幌・すすきののゲームセンター・スガイディノス札幌中央に通い詰める学生生活を送る。10代の頃にケンタッキーフライドチキンでアルバイトし、やがて店長代理を任された。鶏肉の部位に詳しく、調理済みピースから鶏の形を再現できたという。 憧れの職業は漫画家と編集者で、必ずどちらかになろうと決めていた。
和田 哲(わだ さとる、1972年6月9日 - )は、日本の… 和田 哲(わだ さとる、1972年6月9日 - )は、日本の編集者。ブラサトルの愛称で街歩き研究家(自称)としても活動する。他に札幌歴史語り人、「鉄道唱歌」愛好家も自称する。北海道科学大学工学部都市環境学科客員教授。 北海道札幌市出身。北海道札幌旭丘高等学校、日本大学法学部新聞学科卒業。 札幌や東京の広告代理店勤務を経て、2010年に株式会社あるた出版に入社。営業部を経て、タウン情報誌『O.tone』編集部デスク。同誌では「古地図を歩く」の連載を担当。2020年には連載をまとめた「古地図と歩く 札幌圏」が同社から出版。2021年に札幌の歴史を伝えるYouTubeチャンネル「ブラサトルチャンネル」開始。
松本 創(まつもと はじむ、1970年 - )は、日本のノン… 松本 創(まつもと はじむ、1970年 - )は、日本のノンフィクション作家、フリーランスのライター、編集者。 大阪府生まれ。少年期を吹田市や豊中市、仙台市や青森市で過ごし、函館ラ・サール高等学校で寮生活を経験した。同志社大学経済学部卒業後、1992年神戸新聞社入社。記者として、阪神・淡路大震災の取材、支局や整理部などを経て2006年3月退社後、フリーランスとして関西を中心にさまざまな媒体に寄稿している。 2016年には『誰が「橋下徹」をつくったか:大阪都構想とメディアの迷走』が日本ジャーナリスト会議賞を受賞し、広く知られるようになった。2019年には、『軌道:福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』が講談社本田靖春ノンフィクション賞、井植文化賞を受賞した。
朝岡 秀樹(あさおか ひでき、1969年8月3日 – )は、… 朝岡 秀樹(あさおか ひでき、1969年8月3日 – )は、ベースボール・マガジン社の編集者、アマチュア格闘家。北海道釧路市出身。身長163cm、体重60kg。 1999年から『格闘技通信』5代目編集長を務めた。大道塾の北斗旗軽量級優勝(1992年5月31日)、全日本アマチュア修斗選手権バンタム級優勝(2003年9月15日)など数々の経歴を誇る格闘家でもある。2003年6月1日にはプロ興行ZSTにも出場したが、プロ転向は考えておらず、あくまでアマチュアとして参加していくとのことである。大道塾は2005年で現役引退した。 その異色の経歴から編集長時代の『格闘技通信』の誌面は、「やる側からの視点」と「ノーフェイク」を謳い文句とし、はっきりしたポリシーを打ち出して常に問題提起を図っていた。
原口 一也(はらぐち かずや、1967年6月21日 - )は… 原口 一也(はらぐち かずや、1967年6月21日 - )は、日本の編集者、ライター。北海道留萌市出身。血液型A型。 北海道札幌月寒高等学校時代より、投稿雑誌「ビックリハウス」や、「週刊少年ジャンプ」「週刊文春」誌等の投稿コーナーの常連投稿者(ハガキ職人)として活動する。週刊少年ジャンプ連載の「ジャンプ放送局」では歴代掲載本数23位(ベスト10入り2回・初代新人賞獲得)、週刊文春連載「糸井重里の萬流コピー塾」では師範看板を獲得(萬名「原囲一也」)する。 北海学園大学法学部在学中に、「ジャンプ放送局」への投稿が縁で、当時フリーライターのさくまあきらに弟子入り。大学卒業後、1990年より編集プロダクションのキャラメル・ママに入社し、ゲームライターとして活動。
金沢 克彦(かなざわ かつひこ、1961年12月13日 - … 金沢 克彦(かなざわ かつひこ、1961年12月13日 - )は、プロレス・格闘技ライター、編集者。北海道帯広市出身。青山学院大学経営学部卒業。 週刊ゴング編集部時代はGK(ゴング金沢)と呼ばれ、現在もその呼称で呼ばれることが多い。眼鏡と長髪が特徴。 1986年に新大阪新聞社へ入社し、東京支社で同社発行の週刊ファイト編集部記者となる。1989年に日本スポーツ出版社へと引き抜かれ入社、同社発行の週刊ゴング編集部入り。週刊ゴング編集部時代は担当の新日本プロレス贔屓の筆で知られた。当時、新日本プロレスの現場責任者であり、マスコミとは一線を画していた長州力に食い込んで信頼関係を築き、数々の単独インタビューの機会を得た。
村崎 百郎(むらさき ひゃくろう、本名:黒田 一郎、1961… 村崎 百郎(むらさき ひゃくろう、本名:黒田 一郎、1961年 - 2010年7月23日)は、日本の鬼畜系・電波系ライター、編集者、翻訳家、漫画原作者。妻は漫画家の森園みるく。 生まれつき「電波」を受信する特異体質であると自称し、狂気に満ちた特異なキャラクターと豊富な知識で書かれる秀逸かつ猟奇的な文章で「鬼畜系」の地位を築き「電波系」という言葉を定着させた。 村崎百郎は『月刊漫画ガロ』(青林堂)1993年10月号の特集「夜、因果者の夜」で特殊漫画家の根本敬によるゴミ漁りのインタビューで「村崎百郎」としてメディアに初登場。その後、世紀末の鬼畜ブーム・悪趣味ブームにおいて「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」ことを目的に1995年より「鬼畜系」を名乗り、この世の腐敗に加速をかけるべく「卑怯&卑劣」をモットーに日本一ゲスで下品なライター活動を始めると宣言。
久保 雅一(くぼ まさかず、1959年7月25日 - )は、… 久保 雅一(くぼ まさかず、1959年7月25日 - )は、日本のプロデューサー、漫画編集者。北海道出身。 株式会社area358 代表取締役社長/プロデューサー、一般社団法人日本知財学会副会長/理事、声の保護と多言語化協会(VIDA)代表理事、東京工業大学(現・東京科学大学)非常勤講師、電気通信大学客員研究員、北京電影学院 客座教授、NEXT FILM INSTITUTE 副院長。 元株式会社小学館取締役(国際メディア事業局担当)、元株式会社小学館集英社プロダクション常務取締役、前株式会社小学館ミュージック&デジタル エンタテイメント代表取締役社長、元よしもとデジタルエンタテインメント取締役。
川村 卓正(かわむら たくまさ、1959年1月1日 - )は… 川村 卓正(かわむら たくまさ、1959年1月1日 - )は、日本の編集者、作家、応用技術クリエイター。環境カウンセラー(環境省)。北海道苫小牧市出身。神奈川県在住。 デジタル学習コンテンツ開発者であり、電子辞書、マルチメディア教材、インターネットドリルなどに、作問したドリル型コンテンツが提供されている。教育雑誌『おまかせ!教師のパソコン』(河出書房新社)の編集長時代には、本誌編集の他にソフトウェアライブラリーの開発を手掛けた。月刊誌『Goody』(ベネッセコーポレーション )などのアウトドア雑誌に、トレッキングやケイビング、ラフティングなど、アウトドア関連の記事を掲載していた。マレー半島やボルネオ島など、ジャングルや無人島において自然環境の調査を行っている。
村井 康司(むらい こうじ、1958年- )は、日本のジャズ… 村井 康司(むらい こうじ、1958年- )は、日本のジャズ評論家、俳人、編集者。 北海道函館市生まれ。函館ラ・サール高等学校、上智大学文学部新聞学科卒。大学時代からジャズ・ビッグバンドでギターと編曲を担当。小学館に入社し、編集者として勤務のかたわら1987年より音楽雑誌にジャズ評論はじめ音楽についての文章を雑誌に書き始める。そのほか、俳人としても活動する。後藤雅洋、中山康樹と「熱血トリオ」と呼ばれ鼎談で仕事をしていた。俳句同人誌「恒信風」の初代編集長であり、同誌には長嶋有や川上弘美が俳人として依った。編集者としては、歌人の穂村弘をエッセイストとしてメジャーにした『世界音痴』の出版や、同郷の小説家・佐藤泰志の『海炭市叙景』復刊が知られる。
大崎 善生(おおさき よしお、1957年(昭和32年)12月… 大崎 善生(おおさき よしお、1957年(昭和32年)12月11日 - 2024年8月3日)は、日本の作家、元雑誌編集者。 北海道札幌市出身。実家は作家の原田康子宅の隣にあり、小学生時代に原田と交流があった。大崎が吉川英治文学新人賞を受賞した翌年に原田が吉川英治文学賞を受賞し、授賞式で原田は「隣の僕ちゃんが昨年吉川英治文学新人賞を受賞されて……」とユーモラスなスピーチを披露した。 祖父、父、伯父たち(父の兄弟)、兄の皆が医師で(兄は当時医学生)、大崎自身も医学部進学を望まれていたが、父の反対を押し切って上京した。 早稲田大学時代は文学青年で、フィリップ・K・ディックやロバート・A・ハインライン、カート・ヴォネガットなどを夢中で読んでいた。
二階堂 裕(にかいどう ゆたか 、1954年 - )は、日本… 二階堂 裕(にかいどう ゆたか 、1954年 - )は、日本の自動車専門誌編集者・自動車評論家・経営者。北海道旭川市生まれ。 アールブイフォーワイルドグース株式会社代表取締役社長、エスエスシー出版有限会社代表取締役社長、絵本作家、作家。日本ジムニークラブ会長。盛和塾元横浜塾生。現フィロソフィー経営実践塾(横浜)。神奈川県隊友会員。厚木市法人会員。日本赤十字社員。NPO法人 四駆レスキュー隊副理事長。NPO法人 山梨県地震対策四駆隊顧問。 旭川市立六合中学校卒業。北海道旭川北高等学校卒業。1973年、海上自衛隊に第25期航空学生として入隊。4年間のパイロット生活を送るが、病気のために地上勤務となり、厚木基地の航空集団司令部、音響解析室に勤務。
椛島 良介(かばしま りょうすけ、1954年〈昭和29年〉‐… 椛島 良介(かばしま りょうすけ、1954年〈昭和29年〉‐ )は、漫画雑誌の編集者。北海道室蘭市出身。 『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて荒木飛呂彦の連載を担当し、「ジョジョの奇妙な冒険」の誕生のきっかけとなった人物として知られる。 祖父は挿絵画家、漫画家の樺島勝一。叔父は赤塚不二夫等を担当した編集者の樺島基弘。 1954年、製鉄会社に勤務していた父親の転勤先である北海道の室蘭市に生まれ、幼少時代に東京都へ移り住む。子供時代から漫画に夢中となり、横山光輝やちばてつやの漫画の他、少年キング、少年サンデー等の熱心な読者となる。 大学時代に創刊された月刊プレイボーイに感銘を受け、卒業後の1979年に集英社に入社。
鍜治 真起(かじ まき、1951年10月8日 - 2021年… 鍜治 真起(かじ まき、1951年10月8日 - 2021年8月10日)は、日本の実業家、雑誌編集者。株式会社ニコリの創設者。 1951年、北海道札幌市生まれ。東京都立石神井高等学校卒業、慶應義塾大学文学部国文学科中退。 1980年、印刷会社に務めながら友人たちと共同で「パズルの雑誌(『パズル通信ニコリ』創刊準備号)」を発行する。1983年に、ニコリを設立する。 1984年、アメリカのパズル誌に載っていた「Number Place」というパズルを名称だけ「数字は独身に限る」と変えて日本で発表したところ、2005年に世界的なヒットとなり、「Godfather of Sudoku(数独の父)」の異名をとった。
のしろや秀樹(のしろや ひでき、本名:能代谷秀樹、1950年… のしろや秀樹(のしろや ひでき、本名:能代谷秀樹、1950年6月19日 - )は、北海道滝川市出身のフリーライター、編集者、音楽プロデューサー。 北海道滝川市で生まれ札幌市で育ち、東京でのサラリーマン経験を経て札幌市でCM制作会社を設立、音楽プロデューサーとして北海道内100社以上のCMソングを手掛けた。 1990年代には企画会社「スカットプロモーション」の代表として料理を通じた異業種交流会などのイベントを開いたほか、知人らなど寄稿者との共同出資で出版費用を賄う「グループエッセイ」形式の書籍の編集・発刊も行った。 1999年にテレビの取材でパークゴルフに挑戦したことをきっかけに北海道内のパークゴルフ場をめぐり、パークゴルフに関する書籍も著している。
和多田 進(わただ すすむ、1945年10月5日 - 201… 和多田 進(わただ すすむ、1945年10月5日 - 2016年6月22日)は、日本のジャーナリスト、編集者、実業家。晩聲社創立者、週刊金曜日初代編集長・社長。筆名に轍寅次郎(わだち とらじろう)。 1945年、北海道十勝管内幕別町札内に生まれる。中学3年の時、60年安保闘争のデモに参加。北海道帯広柏葉高等学校時代に民青同盟に加入し、1963年、日本共産党入党(党費滞納を理由に30代半ばで除名)。 1968年に法政大学社会学部を卒業し、サイマル出版会、総合雑誌「時代」編集部を経て、1972年徳間書店グループの現代史出版会の設立に参加。1976年にルポルタージュ専門の出版社「晩聲社」を創立する。1988年、編集プロダクション「鐵五郎企画」を創設。
寺﨑 央(てらさき ひさし、別名:H・テラサキ、1943年2… 寺﨑 央(てらさき ひさし、別名:H・テラサキ、1943年2月23日 - 2012年12月16日)は、フリーの雑誌編集者である。ムック「Made in U.S.A. catalog 1975」をつくり、「MEN’S CLUB」「平凡パンチ」「POPEYE」「BRUTUS」などの雑誌を舞台に活動した。「テラ」「テラさん」の愛称がある。 北海道空知郡芦別町にて医師の父のもとに生まれた。芦別小学校、新宿区立落合第二小学校(編入)、落合中学校、私立海城高等学校を経て、1961年に日本大学芸術学部放送学科に入学した。 1965年、婦人画報社へ入社した。「MEN'S CLUB」編集部に配属され、小林泰彦、斎藤融、中原幹生、芦澤一洋、長濱治を知る。
太田 昌国(おおた まさくに 1943年(昭和18年) - … 太田 昌国(おおた まさくに 1943年(昭和18年) - )は、日本の思想評論家、映画評論家、編集者、翻訳家。 東アジア反日武装戦線のメンバーの支援活動を行っている。 釧路市生まれ。1968年、東京外国語大学ロシア語科卒。 出版社からの就職が一旦内定したが取り消された。翻訳や校正、肉体労働のアルバイトをしながら、国立国会図書館などで研究活動をしていた。どちらかというと、ソ連を先頭とする世界共産主義運動に対する幻想は持たず、アナキズムの方向性を抱いていたと回顧している。 1960年代には、レボルト社からアジア、アフリカ、ラテンアメリカについての情報を扱った『世界革命運動情報』の編集、刊行に関わってきた。
坂口 義弘(さかぐち よしひろ、1938年11月24日 - … 坂口 義弘(さかぐち よしひろ、1938年11月24日 - )は、日本の編集者、フリーライター、ルポルタージュ作家。 北海道函館市出身。1965年東洋大学卒。『週刊ポスト』『週刊現代』記者などののちフリー。『歴史と現代』(1980-1982、歴史と現代社)『新雑誌X』(1983-1991)編集長、元早稲田マスコミ塾専任講師。日本ペンクラブ会員。
竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は… 竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は、日本の元編集者・ジャーナリスト。八戸ペンクラブ顧問。 北海道函館市生まれ。1946年台湾より引揚げて父の郷里青森県弘前市和徳町へ。翌年母の郷里八戸市六日町へ移り、1955年八戸高等学校卒業(高七回生)。アルビオン英語学校一期生として中高5年間薫陶を受けた漆山終吉校長の母校でもある東京外国語大学英文学科を卒業。 1959年2月に文藝春秋新社(のちの株式会社文藝春秋)に入社。雑誌「週刊文春」月刊「文藝春秋」「文學界」の編集や、出版部で書籍編集に携わる。1977~79年「諸君!」編集長ののち、出版局長、編集局長、営業局長、総務局長、常務取締役を経て2000年6月退任。
内田 勝(うちだ まさる、1935年4月22日 - 2008… 内田 勝(うちだ まさる、1935年4月22日 - 2008年5月30日)は、日本の雑誌編集者。北海道生まれ。 講談社発行の漫画雑誌『週刊少年マガジン』第3代編集長。 1935年北海道に出生し、小学6年生から埼玉県越生町へ転居する。地元の小中学校を卒業後、川越高校を経て東京教育大学へ入学する。在学中に結核を患い、1年間休学した。1959年に講談社を受験し、一度は身体検査で不合格となったが、大学の主任教授梅根悟の推薦状で入社を許された。 『週刊少年マガジン』には創刊時から携わり、1965年に第3代編集長に就任する。怪獣ものの企画で同誌の売上を伸ばし、30万部だった発行部数を1年で50万部に増大させた。
東福 洋(とうふく ひろし、1934年 - 2008年9月1… 東福 洋(とうふく ひろし、1934年 - 2008年9月17日)は、雑誌編集者、実業家。地元である函館市を中心に、北海道にまつわる書籍・雑誌を出版した。 幼少期は、地方回りで家にあまりおらず、母も家業で忙しく、祖父母と過ごす時間が多かった。函館西高校から明治大学文学部卒。父に大学進学に反対され、学生時代はアルバイトに明け暮れていたが、女子高校の教師をしていた伯母が学費を援助してくれていた。東京で編集社に入社し、料理の雑誌編集に携わり、編集長を10年ほど務めた。その後、50歳ころ、函館に戻り、当時、函館唯一の出版社である1986年2月に幻洋社を設立。設立してから数年後、ラジオ番組で「地方の生きのいい、ぴちぴちとしたテーマをもとに、いい本づくりが私たちの手で生まれてもいい」と意気込みを語っていた。
助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 20… 助川 敏弥(すけがわ としや、1930年7月15日 - 2015年9月26日)は、日本の作曲家・音楽評論家・雑誌編集者。 1930年札幌市生まれ。1948年北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て1952年東京芸術大学音楽学部作曲科入学。上京するまでは音楽全般の基礎を荒谷正雄に、東京芸術大学では池内友次郎に師事する。 1954年日本音楽コンクール作曲部門において第一位と特賞受賞。1957年同学を卒業。林光、間宮芳生、外山雄三の結成した作曲家同人「山羊の会」に参加。1960年に「オーケストラのためのパルティータ」で文部省芸術祭奨励賞を受賞したのをはじめとして後々まで数々の賞を獲得。
木呂子 敏彦(きろこ としひこ、男性、1914年(大正3年)… 木呂子 敏彦(きろこ としひこ、男性、1914年(大正3年)3月11日 - 2005年(平成17年)4月)は、農業家・教育者・アイヌ史研究家・編集者。館林藩の自由民権運動家・木呂子退蔵の孫。
斎藤 十一(齋藤 十一、さいとう じゅういち、1914年(大… 斎藤 十一(齋藤 十一、さいとう じゅういち、1914年(大正3年)2月11日 - 2000年(平成12年)12月28日)は、昭和期の編集者・出版人。
石森 延男(いしもり のぶお、1897年6月16日 - 19… 石森 延男(いしもり のぶお、1897年6月16日 - 1987年8月14日)は、日本の児童文学者、国語教育学者、教科書編集者。第二次世界大戦前1939年の『咲きだす少年群』で第3回新潮社文芸賞、大戦後は1957年刊行のベストセラー『コタンの口笛』(全2部)で第1回未明文学賞および第5回産経児童出版文化賞を、1962年の『バンのみやげ話』で第1回野間児童文芸賞を受賞。『石森延男児童文学全集』全15巻がある。 1897年(明治30年)、歌人で「われらが愛する北海道」の作詞者でもある石森和男の長男として北海道札幌市に生まれる。中央区南6条西9丁目に生誕地の碑がある。 東京高等師範学校第二部国語国文科に入学、在学中より詩作や口演童話にたずさわる[要出典]。
中村 武羅夫(なかむら むらお、1886年(明治19年)10… 中村 武羅夫(なかむら むらお、1886年(明治19年)10月4日 - 1949年(昭和24年)5月13日)は、日本の編集者、小説家、評論家。 北海道岩見沢村生まれ。家は鳥取県からの開拓移民で旧士族の家系。岩見沢村立東小学校卒。岩見沢尋常高等小学校卒業後、進学を望むも家のりんご園経営が没落したため断念。小学校の代用教員を経て、博文館の「文章世界」で小説が次点佳作となったのをきっかけに1907年に上京。大町桂月、徳田秋声と親しくなり彼らの紹介で、小栗風葉門下に入る。 後に真山青果の紹介で『新潮』記者となり、明治末から大正期にかけて同誌の中心的編集者として活躍した。『中央公論』の滝田樗陰と並んで大正期の名編集者と称された。
磯木 淳寛(いそき あつひろ)は、日本のライター・編集者・講… 磯木 淳寛(いそき あつひろ)は、日本のライター・編集者・講師・ファシリテーター。北海道函館市出身。 オイシックス株式会社(現オイシックス・ラ・大地株式会社)でのライター・商品開発・販売戦略職を経て、2013年に独立。千葉県いすみ市に移住。雑誌などに執筆・寄稿をおこなうかたわら、2014年までマクロビオティックのカフェ&宿「ブラウンズフィールド」で経営マネージメントとブランディングに携わる。2015年2月から、ライター合宿「LOCAL WRITE」を全国で開催。「LOCAL WRITE」は、外部目線で地域を発信するライター養成講座として始まった。 2017年1月20日に著書『「小商い」で自由にくらす~房総いすみのDIYな働き方』(イカロス出版)を出版。