苫米地 司(とまべち つかさ、1953年2月23日 - )は… 苫米地 司(とまべち つかさ、1953年2月23日 - )は、日本の工学者。学校法人北海道科学大学理事長兼北海道科学大学高等学校校長。日本雪工学会副会長、日本雪氷学会北海道支部理事、雪センター技術検討委員会副委員長。青森県六戸町出身。 建築物および工作物で発生する雪氷問題の発生メカニズムおよびその対策に関する研究。特に、積雪荷重の評価、屋根雪処理方法、着氷雪防止工法、雪氷利用に関する研究。
鈴木 キサブロー(すずき きさぶろう、1953年2月14日 … 鈴木 キサブロー(すずき きさぶろう、1953年2月14日 - )は、日本の作曲家、ギタリスト。青森県弘前市出身。青森県立弘前南高等学校卒業。本名は鈴木 喜三郎(読みは同じ)。別名義にKeith Brownがある。 15歳のころから兄にギター、ウクレレを習う。B.B.キングに影響を受け、ギタリストを目指し1972年に上京。 1973年より布施明や中村雅俊、ちあきなおみなどのバックバンドでギターを担当。1977年に作詞家・岡本おさみと出会い、岡本の推薦で作曲家としてデビューする。 1980年に沢田研二に提供した「酒場でDABADA」が第22回日本レコード大賞・金賞を受賞。1986年に中森明菜に提供した「DESIRE -情熱-」は、第28回日本レコード大賞や1986 FNS歌謡祭グランプリ等多くの賞を受賞した。
中島 秀徳(なかじま ひでのり、1952年11月20日 - … 中島 秀徳(なかじま ひでのり、1952年11月20日 - )は、青森県弘前市出身のプロゴルファー。 1971年に進学した日本大学ゴルフ部では中川泰一と同期で高橋勝成・山口隆三の2年後輩、石井秀夫の1年先輩に当たる。 1980年5月にプロ入りし、同年の美津濃プロ新人で優勝。 1982年には日本ゴルフツアー機構(JPGA)のツアー競技に指定されていた長野県オープンで最終日に69をマークし、中嶋常幸・高井吉春に次ぐと同時に矢部昭・新井規矩雄を抑え、甲斐俊光と並んでの3位タイに入った。 1982年の埼玉オープンでは初日を5位タイでスタートし、最終日には新井・羽川豊・栗原孝・渡辺三男に次ぐと同時に高橋純一を抑えての5位に入った。
吉 幾三(よし いくぞう、1952年〈昭和27年〉11月11… 吉 幾三(よし いくぞう、1952年〈昭和27年〉11月11日 - )は、日本の演歌歌手、シンガーソングライター、俳優。 青森県五所川原市出身。公式愛称はIKZO、本名は鎌田 善人(かまた よしひと)。血液型はB型。既婚。子供が3人おり、長女は歌手のKU(くー)、次女は女優の寿三美(ことぶき みみ)。 1952年11月11日、民謡歌手の父鎌田稲一(いないち)、母せるの9人兄弟の末っ子として青森県で生まれる。地元の中学校を卒業後、父親の反対を押し切って歌手になるために上京し、米山正夫に師事する。 1973年3月1日にヤンマーディーゼル(現・ヤンマーホールディングス)のロータリーヤンマー船外機コマーシャルソング「恋人は君ひとり」を山岡英二の芸名で発売し、歌手デビュー。
青山 良平(あおやま りょうへい、1952年10月23日 -… 青山 良平(あおやま りょうへい、1952年10月23日 - )は、青森放送(RAB)のパーソナリティ兼ディレクター。青森県つがる市出身。青森県立木造高等学校卒。愛称は(後輩の青山英次がいるため)良平、良平さん、良ちゃん良平ちゃん。 『津軽弁の日』メンバーの一人であり、開催される10月23日(高木恭造の命日)は奇しくも青山自身の誕生日のため、祝福されている。 岩手県盛岡市に住んでいた頃にたまたまデンコードーにてレコードを見ていたところ、伊奈かっぺいの「消ゴムで書いた落書き」のレコードを見かけて購入し、そのレコードを聞いて衝撃を受ける。なお、青山は当時、伊奈かっぺいのことは全く知らなかった。 その後、青森へ戻り様々な仕事を経て、田中耕一の店で飲んでいたところ田中より「良平おめ、面白ぇなぁ、俺のラジオさ出るが?」と誘われ、ラジオ番組に出演。
隆の里 俊英(たかのさと としひで、1952年(昭和27年)… 隆の里 俊英(たかのさと としひで、1952年(昭和27年)9月29日 - 2011年(平成23年)11月7日)は、青森県南津軽郡浪岡町(現・青森市)出身で二子山部屋に所属した大相撲力士。第59代横綱。本名は高谷 俊英(たかや としひで)。 現役時代は身長181cm、体重158㎏。得意手は、右四つ、寄り、吊り、上手投げ。引退後は年寄・鳴戸を襲名。鳴戸部屋師匠として稀勢の里、髙安、若の里、隆乃若ら7人の関取を育成した。 浪岡町の農家の次男に生まれる。春は雪囲いの片づけをして、苗代作り、リンゴの授粉、秋は「身体が大きいから人より持たないとバカにされる。」と思いながら稲刈りを手伝い、ヤギの乳をビール瓶に詰めて学校に持っていって育った。
山田 年伸(やまだ としのぶ、1952年8月 - )は、日本… 山田 年伸(やまだ としのぶ、1952年8月 - )は、日本の政治家。青森県大鰐町長(4期)。元大鰐町議会議員(4期)。 青森県大鰐町宿川原生まれ。大鰐町立大鰐小学校、大鰐町立大鰐中学校、青森県立弘前南高等学校卒業。千葉商科大学中退。 大鰐町議会議員を4期務める。 2006年(平成18年)の大鰐町長選挙に立候補するも、現職の二川原和男に敗れ落選。 2010年(平成22年)6月27日執行の大鰐町長選挙に再び挑戦。3期目を目指す現職の二川原和男との一騎打ちとなったこの選挙において、得票がともに3,524票と同数となったため、公職選挙法に基づいて抽選が行われた。くじ引きをした結果、山田が初当選を果たした。
宮下 順一郎(みやした じゅんいちろう、1952年5月1日 … 宮下 順一郎(みやした じゅんいちろう、1952年5月1日 - 2014年5月19日)は、日本の政治家。青森県むつ市長(2期)。 青森県むつ市生まれ。青森県立青森高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。卒業後は帰郷し、学習塾を開く。その後、酒販店を経営する。 1995年、むつ市議会議員に当選。2003年から2007年まで同市議会議長。 3期目途中の2007年7月、杉山粛の死去によるむつ市長選挙に立候補し、使用済み核燃料の中間貯蔵施設誘致などを掲げて初当選する。2011年7月の市長選では市庁舎移転や市の赤字解消の実績を強調して再選。 市長を2期務め、2期目在職中の2014年5月19日、同市内のホテルで開催された異業種組織との総会に参加、午後6時過ぎから行われた懇親会で乾杯の挨拶をしようとしたとき意識を失って倒れ、同日午後9時36分、救急車で搬送されたむつ総合病院でクモ膜下出血により急死した。
吉田 栄勝(よしだ えいかつ、1952年(昭和27年)3月2… 吉田 栄勝(よしだ えいかつ、1952年(昭和27年)3月22日 - 2014年(平成26年)3月11日)は、日本のレスリング選手。レスリング指導者。吉田沙保里の実父。 1952年3月22日、青森県八戸市出身。 父親の甫は第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍の兵士として出征、ビルマ戦線に配属され戦闘行動のさなかに病に倒れるが現地の少女に助けられる。その命の恩人とも言える少女の名前を取り「勝栄(かつえ)」と名付けようとする。出生届を長男(栄勝の兄)に提出するよう命じたが、長男はこの名前が女のようだと納得がいかず無断で「栄勝」と並びを逆転させて届けてしまった(その後、生まれた長女〈栄勝の妹〉に「佳都恵」と名付ける)。
山本 和之(やまもと かずゆき、1952年3月19日 - )… 山本 和之(やまもと かずゆき、1952年3月19日 - )は、元NHKのアナウンサー。 青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校を経て早稲田大学を卒業後、1977年入局。これまでに、仙台や東京アナウンス室などで勤務し、報道系統の番組を長らく担当した。NHK特集『地球大紀行』では案内役を務めた。 その後、地元であるNHK弘前支局長を経て、現在はNHK文化センター弘前支社長を務めている。 また、弘前ねぷたまつり審査員を歴任している。
田澤 拓也(たざわ たくや、1952年3月1日 - )は、日… 田澤 拓也(たざわ たくや、1952年3月1日 - )は、日本のノンフィクション作家。 青森県東津軽郡外ヶ浜町出身。青森県立青森高等学校、早稲田大学法学部卒業。『週刊ポスト』編集部経済担当記者を経て、作家に転身する。1997年、『ムスリム・ニッポン』で、第4回21世紀国際ノンフィクション大賞(現 小学館ノンフィクション大賞優秀賞)を受賞。1999年、『空と山のあいだ 岩木山遭難 大館鳳鳴高生の五日間』で、第8回開高健賞を受賞。 ノンフィクション作品を中心に手がけるが、小説『タッチアップ』は、盛田賢司の作画によりビッグコミックスペリオールで漫画化されている。
太田 幸司(おおた こうじ、1952年1月23日 - )は、… 太田 幸司(おおた こうじ、1952年1月23日 - )は、青森県三沢市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、スポーツキャスター、日本女子プロ野球機構スーパーバイザー。 アメリカ軍人男性と青森市の日本人女性との間に生まれたといわれる。3歳のとき三沢基地の軍属をしていた日本人男性と白系ロシア人女性の夫妻の養子となり、一人っ子として育つ。養母に関しては、ラジオ番組の中でスラヴ人ではなくフランス人の子孫だと明かしている(一方で、満州で通訳をしていた日本人男性が満州で出会った白系ロシア人女性と結婚し、生まれた子が太田であるとの本人の回想もある)。 小学4年の時に野球を始める。当時は野手だったが、三沢一中2年の時に投手に転向した。
青山 昌文(あおやま まさふみ、1952年 - )は、日本の… 青山 昌文(あおやま まさふみ、1952年 - )は、日本の美学研究者。放送大学名誉教授。 専門は、美学、芸術学、自然哲学、比較思想。主な研究領域は、ディドロ美学、現代芸術理論。学位は博士(学術)。元 日本大学大学院芸術学研究科兼任講師。放送大学教授及び特任教授を歴任。 ディドロの美学・芸術論が最も狭い意味での専門領域であるが、それらの研究から必然的にヨーロッパの美学・芸術論の歴史の全般に関心の対象が広がってゆき、その中でもプラトンやアリストテレスの古代ギリシア美学と20世紀後半の現代芸術思想に特に深い関心をもっている。近代の人間主観中心主義を超えて、現代の環境芸術思想の根源をも成しているミーメーシス芸術理論の現代的意義の解明を根本的な研究課題としている。
門脇 孝(かどわき たかし、1952年 - )は、日本の医学… 門脇 孝(かどわき たかし、1952年 - )は、日本の医学者、博士(医学)。専門は内科学、糖尿病学。東京大学大学院医学系研究科教授、東京大学医学部附属病院長(2011-15年)、一般社団法人日本糖尿病学会理事長。
八重沢 憲一(やえざわ けんいち、1951年9月30日 - … 八重沢 憲一(やえざわ けんいち、1951年9月30日 - )は、青森県三沢市出身の元プロ野球選手(内野手)。 三沢高では遊撃手として、同学年でエースの太田幸司とともに3季連続で甲子園に出場。1968年夏の選手権は2回戦に進むが、海星高に敗退。翌1969年春の選抜は1回戦で楠城徹のいた小倉高を降すが、2回戦で浪商に敗れる。同年夏の選手権では一番打者としてチームを牽引し、準決勝では玉島商のエース松枝克幸(法大-西川物産)の好投に苦しむが3-2で辛勝。決勝は太田と松山商の井上明との投げ合いとなり、延長18回0-0で引き分け。翌日の再試合の末2-4で敗退したものの、三沢高の準優勝に大きく貢献した。他の高校同期に捕手の小比類巻英秋(三和銀行)、四番打者、三塁手の桃井久雄(日大)がいる。
晃山 昌士(こうざん まさし、1951年6月14日 - )は… 晃山 昌士(こうざん まさし、1951年6月14日 - )は、青森県五所川原市出身で高島部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 力雄(旧姓・蒔田)。184cm、115kg。最高位は西十両筆頭。得意技は突き、押し。 1965年7月場所初土俵、1974年5月場所十両昇進、以後8場所連続で十両在位したが入幕ならず、1975年9月場所に幕下陥落、1980年9月場所限りで廃業。
森 大河(もり たいが、1951年5月26日 - 没年不明)… 森 大河(もり たいが、1951年5月26日 - 没年不明)は、日本の元俳優である。本名は対馬 公二。 青森県弘前市出身。青森県立弘前工業高等学校卒業。田村企画、オフィスC&P、オフィスBINに所属していた。 特技:銃砲刀剣類所持許可。 地元の高校を卒業後、就職のために単身上京して、京浜急行電鉄で保線作業に携わっていた。上京から四年後、俳優に転向。俳優活動開始間もなく、1974年放送の『白い牙』第22話「クレージーライダー」でゲスト主演に抜擢され、1975年放送の『TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿』と翌年放送のその続編『新・二人の事件簿 暁に駆ける』ではレギュラー役を得るなどデビュー時は役に恵まれたが、それ以降は連続ドラマへのレギュラー出演は叶わなくなり不遇な時代を迎える。
出羽の花 義貴(でわのはな よしたか、1951年5月13日 … 出羽の花 義貴(でわのはな よしたか、1951年5月13日 - )は、青森県北津軽郡中泊町(旧・同郡中里町)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は野村 双一(のむら そういち)。現役当時の体格は185cm、125kg、最高位は、東関脇。得意手は右四つ、寄り、出し投げ、小股掬い。 引退後は年寄・出来山を襲名し、出羽海部屋付きの親方として後進を指導する傍ら、日本相撲協会では理事を1期務めた。 青森県立五所川原農林高等学校を卒業後、日本大学に進学し、相撲部では学生横綱の栄位を獲得するなど活躍した。 日大出身ということで花籠部屋入りも噂されていたが、大学卒業直前に、元力士であった従兄(小山内清三、元前頭13・出羽ノ花好秀)の紹介で、出羽海部屋への入門を決意。
三國谷 勝範(みくにや かつのり、1951年4月25日 - … 三國谷 勝範(みくにや かつのり、1951年4月25日 - )は、日本の大蔵官僚。元金融庁長官。 青森県五所川原市出身。青森県立弘前高等学校を経て(1970年卒)、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大卒業後、大蔵省(現・財務省及び金融庁)入省。2009年、金融庁長官に就任。2011年に退官。退官後は、預金保険機構理事長、ニトリホールディングス顧問、オープンハウスグループ顧問、プロクレアホールディングス取締役などに就任している。 2021年、瑞宝重光章受章。
多門 昭(たもん あきら、本名・横山 義昭、1951年2月1… 多門 昭(たもん あきら、本名・横山 義昭、1951年2月12日 - )は、日本の小説家。コピーライターを経て、2010年2月、短編小説「杠(ゆずりは)」が文芸雑誌・季刊文科(鳥影社刊)に掲載、本格的に創作活動を始める。 青森県出身。弘前高等学校・明治大学文学部英米文学科を卒業後、広告代理店のコピーライターとなり、以後フリーランス。短編小説集『ぱちもん』を鳥影社より2011年1月27日、季刊文科コレクションとして発刊。
山川 裕隆(やまかわ ひろたか、1951年(昭和26年)- … 山川 裕隆(やまかわ ひろたか、1951年(昭和26年)- )は、日本のジャーナリスト。 時事総合研究所客員研究員で、元時事通信社解説委員兼前国際室次長。 青森県出身。青森県立五所川原高等学校を経て、青山学院大学法学部を卒業し、1975年(昭和50年)に時事通信社に入社した。 主に経済部に所属し、経済部次長、産業部次長、岐阜支局長、解説委員兼国際室次長などを務め、中国や東南アジアなどの情報収集・企画立案を担当した。2012年(平成24年)時事総合研究所客員研究員、2016年(平成28年)アジアフードビジネス協会のアドバイザーに就任。また、日刊WEBサービス「時事アジア速報」の編集や「ベトナム速報」の立ち上げに貢献した。
藤田 晴央(ふじた はるお、1951年- )は、日本の詩人、… 藤田 晴央(ふじた はるお、1951年- )は、日本の詩人、エッセイスト、評論家、児童文学研究者、(元)放送ディレクター。青森県弘前市出身・在住。日本大学ドイツ文学科卒業。 日本現代詩人会会員、青森県詩人連盟会長、弘前市立郷土文学館運営委員会委員長。 RAB青森放送のディレクターとして、 白神山地、三内丸山縄文遺跡、教育問題にまつわるテレビドキュメンタリーを多く企画・演出(2016年退職)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
水岡 不二雄(みずおか ふじお、1951年 - )は、日本の… 水岡 不二雄(みずおか ふじお、1951年 - )は、日本の経済学者。専門は、経済地理学。一橋大学名誉教授。
今井 裕(いまい ゆたか、1950年〈昭和25年〉12月20… 今井 裕(いまい ゆたか、1950年〈昭和25年〉12月20日 - )は、青森県出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1969年(昭和44年)3月2日、青森県にて失踪した。失踪当時は18歳。兄は特定失踪者家族会の会長を務めている。 1950年(昭和25年)12月20日、青森県弘前市生まれ。失踪当時は青森県立弘前工業高等学校の3年生であった。身長は170センチメートルくらいで、体重は62ないし63キログラム程度、ふだんは眼鏡を着用している。また、右頬に子どものとき木登りをしてつけた傷が残っている。 成績優秀で、1969年3月4日の卒業式では総代として答辞を読むことになっていた。
渋谷 修(しぶたに おさむ、1950年7月1日 - )は、日… 渋谷 修(しぶたに おさむ、1950年7月1日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。 青森県出身。青森県立五所川原高等学校卒業。東海大学工学部航空宇宙学科を中退後、中小企業分野協、官公需適格、小売連絡協などの役員を経て、1990年に日本社会党から衆院初当選。社会党時代にはニューウェーブの会に所属。1992年12月、衆議院定数是正をめぐる「9増10減」案採決に社会党から唯一賛成にまわり、1993年5月、社会党を除名される。6月には新政党「板橋民主党」を結成。7月の衆議院総選挙で再選を目指すも落選。社会民主連合を離党した菅直人と共に1994年1月、新党さきがけに合流。1996年9月、鳩山由紀夫らとともに旧民主党結成に参加。
早川 啓二(はやかわ けいじ、1950年6月14日 - 20… 早川 啓二(はやかわ けいじ、1950年6月14日 - 2008年4月)は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。青森県むつ市出身。 後にズイヨー映像→日本アニメーションへと移籍し、テレビアニメ『あしたへアタック!』(1977年)で演出デビュー。同社を離れた後、『巴里のイザベル』(1979年)で監督デビュー。 その後はスタジオぴえろ→スタジオぎゃろっぷと渡り歩き、これら各社の諸作品で活躍。特に『キテレツ大百科』は放送開始前に制作された単発特番より絵コンテや演出として参加し、放送2年目を迎えた第44話より2代目監督に就任。以後7年以上監督を務めた。 同作の終了後はメルヘン社や東京キッズなどを主な活動拠点とした。
北ノ花 吉保(きたのはな よしやす、1950年6月13日 -… 北ノ花 吉保(きたのはな よしやす、1950年6月13日 - )は、青森県むつ市(当時は下北郡田名部町)出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤井 光雄(ふじい みつお)。身長181cm、体重107kg。最高位は西十両4枚目。得意技は右四つ、投げ、突き。 初土俵は1969年5月場所、1978年3月場所に新十両。新十両の場所では11勝4敗の好成績を挙げ、優勝決定戦まで進んだが、優勝決定戦では同じ青森県出身で同じ二子山部屋の大觥に吊り出しで敗れ、優勝はならなかった。1980年5月場所をもって廃業。 引退後は地元むつ市に戻ってちゃんこ屋を開いたが、のちに転向して藤井カイロ整体を開いた。
小桧山 吉紀(小檜山 吉紀、こひやま よしのり、1950年〈… 小桧山 吉紀(小檜山 吉紀、こひやま よしのり、1950年〈昭和25年〉5月27日 - )は、日本の政治家。青森県三沢市長(2期)。元青森県議会議員(3期)、元三沢市議会議員(2期)。 青森県上北郡大三沢町(現:三沢市)出身。三沢市立岡三沢小学校、三沢市立第一中学校、青森県立三沢商業高等学校、帝京大学経済学部、八戸学院大学短期大学部幼児教育学科卒業。 2000年に三沢市議会議員に初当選。2007年に青森県議会議員に初当選。議員時代は自由民主党に所属した。 三沢市長の種市一正の後継指名を受け、2018年12月28日、任期満了に伴う市長選挙に立候補する意向を表明した。 2019年の三沢市長選挙には小桧山と、元市長の鈴木重令の長男で、元市議の鈴木重正が立候補した。
小林 眞(こばやし まこと、1950年5月14日 - )は、… 小林 眞(こばやし まこと、1950年5月14日 - )は、日本の政治家・元官僚。元青森県八戸市長(4期)。元八戸圏域水道企業団企業長。 青森県八戸市白銀町生まれ。八戸市立第二中学校、青森県立八戸高等学校、東北大学法学部卒業。1975年に青森県庁に入庁するが、1979年に改めて自治省に入省。1991年から埼玉県浦和市企画部長を務め、浦和・大宮・与野3市の合併に伴うさいたま市の政令指定都市への格上げを推進した。1997年に自治省に復職。2005年9月13日、総務省自治財政局財務調査官を最後に退官した。 2005年10月30日執行の八戸市長選挙に大島派無所属で立候補し、田名部派無所属現職の中村寿文を破り初当選。
三上 寛(みかみ かん、1950年〈昭和25年〉3月20日 … 三上 寛(みかみ かん、1950年〈昭和25年〉3月20日 - )は、日本のフォークシンガー、俳優、詩人。青森県北津軽郡小泊村(現・中泊町)出身。 代々漁師の家系(ただし父親は役場勤務)に生まれる。 小泊村立小泊小学校(現・中泊町立小泊小学校)時代には、後に現代詩の手解きを受けることになる(アレン・ギンズバーグなどの存在も教わる)泉谷明と出会う。 1960年代から活動した日本のフォークシンガーは、音楽を始めたきっかけとして、ボブ・ディランなどを挙げる人が多いが、三上のギターを弾き始めたきっかけは、小林旭の『渡り鳥シリーズ』だという。青森県立五所川原高等学校在学中は、生徒会長を務めたことがあり、バンドを組んでザ・タイガースやジャッキー吉川とブルーコメッツなどをカバーしていた。
貴ノ花 利彰(たかのはな としあき、1950年2月19日 -… 貴ノ花 利彰(たかのはな としあき、1950年2月19日 - 2005年5月30日)は、北海道室蘭市出身(番付上は青森県)で二子山部屋に所属した大相撲力士。本名は花田 満(はなだ みつる)。最高位は東大関。身長183センチメートル (cm)、体重114キログラム (kg)、血液型はB型。得意技は左四つ、寄り、吊り、上手投げ。「土俵の鬼」と謳われた第45代元横綱で初代若乃花の弟である血統と、細身で均整に優れる体格と甘いマスクから「角界のプリンス」と称され、大相撲と日本のスポーツで人気を博す。位階は従五位、旭日小綬章受章。 1993年に次男の花田光司が四股名を「貴花田」から「貴ノ花」へ改名後は「初代貴ノ花」や「先代貴ノ花」など称される。
昆 政明(こん まさあき、1950年(昭和25年) - )は… 昆 政明(こん まさあき、1950年(昭和25年) - )は、日本の民俗学者。 青森県十和田市出身。1973年(昭和48年)法政大学卒業。青森県立郷土館で学芸員として約40年間務めたのち、神奈川大学国際日本学部歴史民俗学科教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木村 秋則(きむら あきのり、1949年11月8日 - )は… 木村 秋則(きむら あきのり、1949年11月8日 - )は青森県弘前市のリンゴ農家。自然栽培の第一人者であり、11年かけて肥料・農薬を使用しない自然栽培によるリンゴ栽培に成功した。 1949年に青森県中津軽郡岩木町(現弘前市)で三上家の次男として生まれた。青森県立弘前実業高等学校商業科を卒業後、集団就職でトキコ(現日立オートモティブシステムズ)に入社。原価管理課に配属され経理を担当した。 1971年に「農業を手伝ってほしい」と父に説得され帰郷し、リンゴ栽培を中心とした農業に従事する。最初は土地の広い諸外国のような機械による大規模栽培を志し、アメリカ製の大出力トラクターを使ってトウモロコシ栽培を行っていた[要出典]。
山影 進(やまかげ すすむ、1949年10月21日 - )は… 山影 進(やまかげ すすむ、1949年10月21日 - )は、日本の国際関係学者。青山学院大学国際政治経済学部教授。専攻は、国際関係論、東南アジア研究。
工藤淳(くどう じゅん、1949年10月14日 - )は、ア… 工藤淳(くどう じゅん、1949年10月14日 - )は、アップルウェザーの代表取締役であり、気象予報士、防災士である。
羽柴 誠三 秀吉(はしば せいぞう ひでよし 1949年〈昭… 羽柴 誠三 秀吉(はしば せいぞう ひでよし 1949年〈昭和24年〉10月11日 - 2015年〈平成27年〉4月11日)は、日本の実業家、政治活動家である。本名は三上 誠三(みかみ せいぞう)。別名は羽柴 秀吉。 羽柴企業グループ社主として羽柴観光小田川温泉株式会社(旅館「秀吉のやかた」)や東北興産建設株式会社などを経営していた。また、公認候補者として所属した自由連合では幹事を務めた。 青森県五所川原市(旧北津軽郡金木町)出身。若き日に近所の住職より「お前は戦国武将豊臣秀吉の生まれ変わり」と言われて以来、この名前を名乗ったという。 家は貧しく家庭環境は複雑で、中学を卒業すると製材工場で働いた。
奥 義光(おく よしみつ、1949年8月24日 - )は、日… 奥 義光(おく よしみつ、1949年8月24日 - )は、日本の実業家で、東京地下鉄株式会社代表取締役社長を務めた。公益財団法人メトロ文化財団代表理事会長。 青森県十和田市出身。1974年に早稲田大学院を修了し、帝都高速度交通営団に入団した。 2004年に常務に就任し、2007年から副社長となり、2011年に社長に就任した。前身の営団時代も含めて初の生え抜き社長となった。2017年に取締役相談役に就任した。 2021年秋に旭日重光章を受章した。 1974年3月 早稲田大学大学院理工学研究科(土木)修了 1974年4月 帝都高速度交通営団入団 2004年4月 東京地下鉄株式会社常務取締役 2007年6月 同社副社長 2011年6月 同社社長 2017年6月 同社社長退任、取締役相談役 2021年6月 同社相談役 2021年11月 旭日重光章(鉄道事業功労)受章 2022年 公益財団法人メトロ文化財団代表理事会長
川上 健一(かわかみ けんいち、1949年8月7日 - )は… 川上 健一(かわかみ けんいち、1949年8月7日 - )は、青森県上北郡三本木町(現・十和田市)出身の小説家。 青森県立十和田工業高校卒業。 1977年、『跳べ、ジョー!B・Bの魂が見てるぞ』で第28回小説現代新人賞を受賞、作家デビューする。 その後、なかなかヒット作がないまま、山梨県大泉村に移住。自給自足の暮らしをスタート。 2001年、青春自伝小説『翼はいつまでも』が『本の雑誌』ベストテン入りして再注目され、第17回坪田譲治文学賞を受賞。 2004年に『雨鱒の川』、2006年に『四月になれば彼女は』(映画タイトルは『アオグラ AOGRA』)、2013年に『渾身』が映画化された。
あしべ ゆうほ(本名:非公開、1949年〈昭和24年〉7月1… あしべ ゆうほ(本名:非公開、1949年〈昭和24年〉7月12日 - )は、日本の漫画家。女性。青森県三沢市出身。 1970年、『別冊少女コミック』(小学館)に掲載された「マドモアゼルにご用心」にてデビュー。 以後『月刊プリンセス』や、『ボニータ』・『ミステリーボニータ』(いずれも秋田書店)を中心に活躍。 代表作は『悪魔の花嫁』(原作:池田悦子)、『クリスタル☆ドラゴン』、『ダークサイド・ブルース』(原作:菊地秀行)など。 『ダークサイド・ブルース』は1994年に劇場版アニメとなり、『悪魔の花嫁』は、1988年にOVA化されている。 『月刊プリンセス』創刊期において大きく貢献し、1975年創刊号から連載開始した『悪魔の花嫁』は累計発行部数は1000万部突破の大ヒット作となった。
倉内 均(くらうち ひとし、1949年5月3日 - 2022… 倉内 均(くらうち ひとし、1949年5月3日 - 2022年10月7日)は、日本のテレビディレクター、テレビプロデューサー、映画監督、実業家である。大ヒットした映画『佐賀のがばいばあちゃん』を監督したことで知られる。映像製作会社アマゾンの創立者であり、(株)アマゾンラテルナの代表取締役会長である。ATP(全日本テレビ番組製作社連盟)理事長(2012年 - )。 青森県青森市(当時は南津軽郡浪岡町)出身。テレビマンユニオンに所属し『アメリカ横断ウルトラクイズ』などの制作に関わる。1985年のテレビ制作会社ネクサスの設立に参加。 1988年4月1日、東京都港区にテレビ番組制作会社として株式会社アマゾンを設立、以来、テレビ作品を中心に、数多くの映像作品を生み出す。
神 洋明(じん ひろあき、1949年4月8日 - )は、日本… 神 洋明(じん ひろあき、1949年4月8日 - )は、日本の弁護士。第一東京弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、法務省法制審議会刑事法部会幹事、東亜道路工業監査役等を歴任した。 1968年青森県立八戸高等学校卒業。1972年中央大学法学部卒業。1979年弁護士登録。法務省法制審議会刑事法部会幹事、警察大学校非常勤講師等を歴任。2003年東亜道路工業監査役。2014年第一東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。 2019年春の叙勲で旭日中綬章を受章。同年中央大学法曹会会長。
山脇 直司(やまわき なおし、1949年3月26日 - )は… 山脇 直司(やまわき なおし、1949年3月26日 - )は、日本の哲学者。専門は公共哲学、社会思想史、ドイツ観念論など。星槎大学前学長、東京大学名誉教授、地球システム・倫理学会副会長日本共生科学会会長。 1949年、青森県八戸市生まれ。1967年に青森県立八戸高等学校を卒業後、一橋大学経済学部に進み、1972年に卒業。大学での指導教員は塩野谷祐一であった。上智大学大学院哲学研究科に進み、1975年に修士課程を修了。大学院での指導教員はルートヴィヒ・アルムブルスターとクラウス・リーゼンフーバーであった。1978年、旧西ドイツ・ミュンヘン大学に留学し、ローベルト・シュペーマンの下で学ぶ。1982年、同大学の哲学博士号を取得。
能登路 雅子(のとじ まさこ、1949年2月12日 - )は… 能登路 雅子(のとじ まさこ、1949年2月12日 - )は、日本の歴史学者、アメリカ文化史学者、東京大学総合文化研究科名誉教授、元同アメリカ研究資料センター所長、登録有形文化財「旧同潤会江古田分譲住宅佐々木邸」保存会代表。 青森県弘前市生まれ。 祖父は東京帝国大学名誉教授の農学者佐々木喬。「旧同潤会江古田分譲住宅佐々木邸」は分譲時に佐々木が購入したものであり、能登路自身も8歳まで居住していた。 1972年、東京大学教養学部教養学科卒業。 1973年までマッキャンエリクソン博報堂勤務。1978年から1982年までカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院在学(Master of Art: Asian American Studies)。
渡辺 裕一(わたなべ ゆういち、1949年 - )は、日本の… 渡辺 裕一(わたなべ ゆういち、1949年 - )は、日本のコピーライター。北海道出身。 青森県立弘前高校を卒業後、北海道での蟹工船乗務や、清水で珊瑚船への乗務を経て、カナダに渡りサケマス漁、ヨーロッパ、北アフリカなどを数年間、渡り歩いて帰国。テレビ局の大道具、沖縄での泡盛製造などの仕事についた後、28歳でフリーランスのコピーライターとなる。サントリーのCMを担当していた縁で、開高健のスコットランド釣り旅行に同行した。 1999年からニュージーランドに渡り、4年間クライストチャーチに居住。マス釣りに熱中した。
阿保 順子(あぼ じゅんこ、1949年 - )は、日本の看護… 阿保 順子(あぼ じゅんこ、1949年 - )は、日本の看護学者・看護師、北海道医療大学特任教授。専門は、精神科看護学。 青森県弘前市生まれ。1970年、日本赤十字中央女子短期大学(現・日本赤十字看護大学)卒業。卒業後は日本赤十字社中央病院などに看護師として勤務し、厚生病院附属高等看護学院講師。1979年慶應義塾大学通信教育部卒業。1981年弘前大学医療技術短期大学部非常勤講師。1992年弘前大学大学院人文科学研究科修士課程修了。 1993年北海道医療大学看護福祉学部助教授。その後、同看護福祉学部教授を経て、2010年に北海道医療大学退職。同名誉教授。長野県看護大学学長に就任。2011年より北海道医療大学大学院看護福祉学特任教授。
櫛引 博敬(くしびき ひろのり、1949年 - )は、日本の… 櫛引 博敬(くしびき ひろのり、1949年 - )は、日本の実業家、アグロカネショウ株式会社代表取締役社長。 1949年、青森県弘前市生まれ。1972年3月、立教大学法学部卒業。英国・国立ブリストル大学ロングアシュトン・リサーチ・ステーション(加工用リンゴの研究所)に2年間在籍し、シードルやアップルワインを本格的に研究する。加工用リンゴ、料理用品種のリンゴの日本不在を嘆き、自ら試験農場に取り組む。その傍らでリンゴの健康的効果をも実証したリンゴ研究の第一人者。その後、ユニー株式会社取締役を経て、1991年よりアグロカネショウ代表取締役社長を務める。
三浦 徳子(みうら よしこ、1949年 - 2023年11月… 三浦 徳子(みうら よしこ、1949年 - 2023年11月6日)は、日本の作詞家。本名は高原 徳子(たかはら よしこ)。青森県弘前市出身。生前はアップフロントグループに所属していた。別名義に「亜伊林」(あいりん)がある。 1970年代後半から日本を代表する作詞家として活動し、1980年代における作詞家総売上枚数は松本隆、売野雅勇、秋元康に次ぐ4位、女性作詞家としては1位であった。兄は文芸評論家の三浦雅士。 1949年、青森市で出生。小学校3年までは青森県の大鰐町、それ以後は八戸市で育った。三浦が中学生のとき、兄の雅士が青森県立弘前高等学校に進学し下宿したため、同兄と一緒に育ったのはそれまでである。
清藤 哲夫(せいとう てつお、1949年 - 2020年12… 清藤 哲夫(せいとう てつお、1949年 - 2020年12月26日)は、青森県弘前市で事業を展開し、地元経済界の主導的役割を担って地域振興に尽した、日本の経営者。弘前公益社やアップルウェーブ、アップルコミュニケーションズで代表取締役を務め、弘前観光コンベンション協会会長、弘前商工会議所会頭などを歴任した。 弘前市生まれ。生家は冠婚葬祭に関わる造花を扱う「清藤造花店」を営んでいた。 青森県立弘前高等学校から、法政大学に進んだが、中途退学して帰郷した。 家業に従い、1981年に事業を株式会社組織化して、弘前公益社代表取締役となり、以降、総合的な葬祭業への展開を進めた。 地元の経済界における役職としては、弘前商工会議所では1998年から副会頭を18年、2016年からは会頭となったほか、2006年から弘前観光コンベンション協会会長を10年間務めた(以降は、顧問)。
田中 義三(たなか よしみ、1948年7月23日 - 200… 田中 義三(たなか よしみ、1948年7月23日 - 2007年1月1日)は日本の新左翼の活動家でよど号グループのテロリスト。青森県三沢市出身。 7歳の頃に母親の出身地である熊本県に移住。熊本県立済々黌高等学校を卒業後、明治大学(夜間学部・政経学部Ⅱ部)に入学。1960年代末の学生運動に参加し、社会主義学生同盟に加盟。1969年において赤軍派に属し、東京戦争で警視庁本富士警察署火炎瓶投擲事件に関与。 1970年に8人の仲間とともによど号ハイジャック事件を起こす。よど号犯の中では最初に操縦室に入って機長に日本刀(後に模造品と判明)を突き付けている。4月3日に山村新治郎運輸政務次官との人質交換において、犯人代表として一時的に韓国の金浦国際空港に降りている。
赤石 清美(あかいし きよみ、1948年4月12日 - 20… 赤石 清美(あかいし きよみ、1948年4月12日 - 2025年11月24日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。厚生労働大臣政務官を務めた。 1967年(昭和42年)、青森県立八戸工業高等学校を卒業。1970年(昭和45年)、京浜学園衛生技術学科を卒業。その後臨床検査技師として活動。 2010年(平成22年)、第22回参議院議員通常選挙に比例区から自由民主党公認で立候補し初当選した。医療技術者団体協議会を支持団体とする。 2013年(平成25年)、第2次安倍内閣で厚生労働大臣政務官に就任(2014年9月、退任)。改選となる2016年の第24回参議院議員通常選挙には立候補しなかった。