安達 正勝(あだち まさかつ、1944年4月6日 - )は、… 安達 正勝(あだち まさかつ、1944年4月6日 - )は、フランス文学者。岩手県盛岡市生まれ。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、東京大学文学部仏文科卒業、同大学院修士課程修了。フランス政府給費留学生として渡仏、パリ大学(第8)博士課程中退。各大学非常勤講師をしつつ、フランスの伝記的読物を執筆している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小沢 和夫(小澤 和夫、おざわ かずお、1944年〈昭和19… 小沢 和夫(小澤 和夫、おざわ かずお、1944年〈昭和19年〉3月15日 - 2007年〈平成19年〉10月2日)は、日本の政治家。釜石市長(2期)。 岩手県釜石市出身。法政大学社会学部卒。釜石市議会議員を経て、議長も務める。2003年の釜石市長選挙で初当選。2007年の選挙では無投票で再選。同年10月2日、肝硬変のため現職のまま死去。死没日をもって旭日小綬章追贈、正五位に叙される。
渡辺 嘉二郎(わたなべ かじろう、1944年 - )は日本の… 渡辺 嘉二郎(わたなべ かじろう、1944年 - )は日本の工学者。法政大学名誉教授。専門は、計測工学・制御工学。
ケンジ・ステファン・スズキ(Kenji Stefan Suz… ケンジ・ステファン・スズキ(Kenji Stefan Suzuki、日本名:鈴木健司、1944年 - )は、社会起業家、環境活動家。S.R.A.Denmark代表、風のがっこう代表。
野里 征彦(のざと いくひこ、1944年 -)は、日本の作家… 野里 征彦(のざと いくひこ、1944年 -)は、日本の作家。 日本民主主義文学会会員。 岩手県陸前高田市出身、大船渡市在住。水産会社勤務などを経て、2002年に『プランクトンの夜』で推理作家としてデビューする。 『命の罠』で新風舎文庫大賞準大賞を受賞。『民主文学』に作品を発表するときには砂山 磬(すなやま けい)の筆名を使用していたこともあった。 2011年、東日本大震災の被害に合い、震災のあった3月11日から一ヶ月間の日誌を出版。2020年、第23回長塚節文学賞大賞を受賞。
山口 光(やまぐち こう、1944年 - )は、日本のジャー… 山口 光(やまぐち こう、1944年 - )は、日本のジャーナリスト。共同通信社顧問。岩手県水沢市(現・奥州市)に生まれる。 1963年岩手県立水沢高等学校、1967年国際基督教大学を卒業後、1968年共同通信社に入社し、サイゴン(現ホーチミン)・バンコク・ニューヨーク支局を経て、編集局外信部次長、ジュネーブ支局長、総務局次長、1988年長野オリンピックメディア責任者、2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会スポークスマン、共同通信国際局長、業務顧問、企画経営室顧問などを歴任し、現在共同通信社社長室顧問。
四方 章人(よも あきと、 (1943-11-14) 194… 四方 章人(よも あきと、 (1943-11-14) 1943年11月14日(82歳) - )は、岩手県出身の作曲家・作詞家である。 1943年生まれ、岩手県水沢市出身。音楽での立身を思い上京し、ビクターレコードの歌手オーディションに合格、猪俣公章の門下生になり、作曲を始める。その後、歌手としては売れなかったが、1973年に作曲した三善英史「遠い灯り」、1980年に作詞作曲した田辺靖雄ほかの「おれでよければ」、1984年に発売された木村友衛ほかの「浪花節だよ人生は」(作曲を担当)などがヒットした。 主な作品として資料より、各賞受賞作を中心にピックアップした。(順不同。なお特記の無い限り作曲を担当)
甘竹 勝郎(あまたけ かつろう、1943年11月9日 - )… 甘竹 勝郎(あまたけ かつろう、1943年11月9日 - )は、日本の政治家。元岩手県大船渡市長(4期)、気仙歴史文化研究会会長。旭日小綬章受章。 岩手県大船渡市出身。法政大学経済学部卒。卒業後は岩手県立大船渡高校教諭などを務め、1988年大船渡市議会議員に当選する。1994年大船渡市長選挙に立候補し、初当選し、4期務める。在任中の2000年に隣接する気仙郡三陸町が編入された。また、男女地域づくりを推進し、1996年に同市で「女性サミット」が開催された。2010年に市長を引退した。 2014年 春の叙勲で地方自治功労により旭日小綬章を受章
柳沢 由実子(やなぎさわ ゆみこ、1943年11月8日 - … 柳沢 由実子(やなぎさわ ゆみこ、1943年11月8日 - )は、日本の翻訳家・評論家。主に英語・スウェーデン語の日本語訳を手がける。別名義にヤンソン由実子(Jansson Yumiko、ヤンソンゆみこ)、ヤンソン柳沢由実子がある。 岩手県一関市生まれ。貧しい家の出身ながらも音楽家の父と裕福な家の出身の母の間に生まれた2人姉妹のうちの次女として育つ。物心ついた頃から家や性別に伴う因習や固定的な価値観への抵抗があった。上智大学文学部英文学科卒業。卒業したのち1年半ほど丸の内の韓国銀行東京支店で勤務。1967年、24歳の時、当時日本語を学ぶために文部省の交換留学生として来日していたスウェーデン人のペール・スタファン・ヤンソン(典: Per Staffan Jansson)と国際結婚をして、翌1968年に初めてスウェーデンを訪れる。
澤藤 統一郎(さわふじ とういちろう、1943年8月 - )… 澤藤 統一郎(さわふじ とういちろう、1943年8月 - )は、日本の弁護士。 岩手県盛岡市生まれ。PL学園高等学校、東京大学文学部社会学科卒業。1971年、東京弁護士会に弁護士登録。憲法・司法・労働・教育・消費者・医療・薬害・宗教の分野に関心を持ち、豊田商事事件、霊感商法、スモン、未熟児網膜症、靖国神社問題関連訴訟、岩手銀行女子行員家族手当差別事件、自衛隊海外派遣違憲訴訟(湾岸戦争戦費支出差止請求事件)、東京日の丸君が代強制違憲訴訟などに関わった。元日本民主法律家協会事務局長、元日本弁護士連合会消費者問題対策委員会委員長、元東京弁護士会消費者委員長。公益財団法人第五福竜丸平和協会監事。
岸田 袈裟(きしだ けさ、1943年4月5日 - 2010年… 岸田 袈裟(きしだ けさ、1943年4月5日 - 2010年2月23日、旧姓・菊池)は、日本の食物栄養研究家、ボランティア活動家。岩手県上郷村(現遠野市)出身。 岸田は1991年にJICAのボランティアとして人口抑制教育のためにケニヤ西部、ヴィクトリア湖畔のエンザロ(Enzaro)村に赴く。1年半の調査の結果、人口抑制教育を村に浸透させるためには乳児死亡率の減少が先だと考えた岸田は1993年、自らが遠野市で生活していた頃の経験をもとに、エンザロ村の主婦たちに現地の材料で日本式の竈(かまど)を作って調理することを教えた。この竈は、現地で従来行われていた裸火での調理に比べて熱効率に優れることや、鍋をかける口を3つ備えているため複数の調理を同時に行えるほか、薪も従来の4分の1で済むなどの利点もある。
梅村俊男(うめむら としお、1943年〈昭和18年〉3月28… 梅村俊男(うめむら としお、1943年〈昭和18年〉3月28日 - )は、日本の銀行家。元北日本銀行代表取締役専務。岩手県江刺市(現・奥州市)出身。
立花 照人(たちばな てるひと、1943年3月4日 - 20… 立花 照人(たちばな てるひと、1943年3月4日 - 2015年3月19日[要出典])は、岩手県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 遠野高校から1961年に阪急ブレーブスに入団。1試合しか出場できず(捕手登録だが一塁手として出場)、1962年に引退。引退後は地元岩手で食堂を経営。また、野球活動も務めており岩手プロ野球OB振興会の会長や岩手21赤べこ野球軍団の設立にも関わった。
庄司 昭夫(しょうじ あきお、1943年2月4日 - 201… 庄司 昭夫(しょうじ あきお、1943年2月4日 - 2011年3月23日)は、日本の実業家。アレフの創業者。岩手県盛岡市出身。 1961年に盛岡工業高等学校を卒業。 上京し、ジャズドラマーとして、活躍し、1968年に盛岡市でハンバーグ・サラダ店の「ベル」を創立し、1976年に株式会社に移行し、1987年にはアレフに改称。1980年に札幌市にびっくりドンキー1号店を開業し、やがて、全国に展開。 2011年3月23日脳梗塞のために死去。68歳没。
田宮 高麿(たみや たかまろ、1943年〈昭和18年〉1月2… 田宮 高麿(たみや たかまろ、1943年〈昭和18年〉1月29日 - 1995年〈平成7年〉11月30日)は、日本のテロリスト。新左翼活動家。赤軍派軍事委員会議長。よど号グループのリーダー。通称「まろ」。 岩手県出身。大阪府立四條畷高等学校卒業。大阪市立大学第二部(夜間部)で学生運動に参加。ブント内の組織である「共産主義青年同盟(通称キム)」の常任委員長となる。 1970年3月31日に仲間8人とともに日本航空機のよど号をハイジャックした(よど号ハイジャック事件)。このハイジャック事件では実行の首謀者であった。よど号は当初は、平壌と誤認させてソウルの金浦国際空港に降りさせる偽装工作を行っていたが、田宮は当初これに気がつかず、他のメンバーに指摘されて偽装工作に気づいた。
佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、… 佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、日本の歌人、評論家。河北新報歌壇選者。 岩手県水沢市(現奥州市)出身、宮城県仙台市在住。岩手県立水沢高等学校、東北大学教育学部卒業。宮城県内の高等学校にて教員を務める。 歌誌『短歌人』を経て、1966年に文学思想個人編集誌『路上』を創刊。短歌、詩、評論、児童文学研究などの分野で編集。宮沢賢治論、北原白秋論が多い。2011年の第120号にて第1期を終刊、第2期へと移行した。 1965年、「青海」で第11回角川短歌賞候補。1971年『新美南吉童話論』で第4回日本児童文学者協会新人賞受賞。1986年『日本児童文学の成立・序説』で日本児童文学学会賞奨励賞。
須藤 隆(すとう たかし、1943年- )は、日本の考古学者… 須藤 隆(すとう たかし、1943年- )は、日本の考古学者。専門は縄文時代・弥生時代を中心とした東北地方の先史考古学。東北大学大学院文学研究科名誉教授。 1962年に岩手県立盛岡第一高等学校を卒業し、東北大学に入学。その後1978年に東北大学文学部に助教授として着任して以降、長年にわたり同大学の考古学研究室で後進の指導にあたった。東北大学では、福島県墓料遺跡、宮城県中沢目貝塚、前田遺跡、山王囲遺跡、中神遺跡など、東北地方の重要な先史・古代遺跡の発掘調査と研究を主導した。 1990年代以降は教授に昇任し、大学院文学研究科で考古学を担当。2007年に退職した。 退職記念として、教え子らによる論文集『考古学談叢』が刊行されている。
畑中 美耶子(はたなか みやこ、1943年 - )は、フリー… 畑中 美耶子(はたなか みやこ、1943年 - )は、フリーアナウンサー、実業家、演出家、方言指導家。岩手県大迫町(現・花巻市)生まれ。 岩手県立盛岡第一高等学校卒業後、児童劇団時代から出入りしていた岩手放送(現・IBC岩手放送)に1962年、アナウンサーとして入社(同期に前田正二がいる)。1969年に当時の同僚でもある畑中茂夫と結婚。同時に岩手放送を退社して、フリーアナウンサーとなる。また、児童劇団「CATSきゃあ」主宰や、朗読、小学生中心の子供だけの劇団などの活動を開始。 また、岩手の方言(盛岡弁など)のスペシャリストとして、岩手県を舞台にしたテレビドラマや映画において「方言指導」を担当する。
片方信也(かたがた しんや、1943年 - )は日本の都市研… 片方信也(かたがた しんや、1943年 - )は日本の都市研究者。日本福祉大学名誉教授。専門は都市計画・建築計画。博士(工学)。 新建築家技術者集団全国代表幹事。京都・まちづくり市民会議代表。沖縄連帯伏見の会代表。一級建築士事務所 企業組合もえぎ設計サポーター(非従事組合員)。 岩手県生まれ。岩手県立黒沢尻北高等学校を経て、1966年北海道大学工学部建築学科を卒業し、1969年京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。京都大学助手を経て、1995年から日本福祉大学に。健康科学部や情報社会科学部教授歴任。2014年退職。 博士号は論文「大都市における居住環境整備計画に関する研究」にて1979年に京都大学より取得。
柏梁 勝雄(はくりょう かつお、1942年12月10日 - … 柏梁 勝雄(はくりょう かつお、1942年12月10日 - 2019年1月16日)は、岩手県気仙郡三陸町(現大船渡市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は中村 勝男(なかむら かつお)。188cm、110kg。得意技は左四つ、寄り。最高位は西十両3枚目。 子供の時は相撲と野球が好きだったが、1対1で力をぶつけ合う相撲の方に魅力を感じ、高校の担任に相談すると入門を勧められたので、柏戸を慕って伊勢ノ海部屋に手紙を書いてもらって入門を願った。部屋からは「学校を中途退学して上京しろ、1日も早い方が良い」と返事が来たので両親と相談したが、母には「中退するなんていけない事だ」と反対されたが説得し、高校を中途退学して上京した。
阿部 正樹 (あべ まさき、1942年(昭和17年)12月4… 阿部 正樹 (あべ まさき、1942年(昭和17年)12月4日 - )は、日本の実業家。元IBC岩手放送代表取締役社長、会長、相談役。 岩手県西磐井郡平泉町生まれ。花巻市立花巻中学校、岩手県立盛岡第一高等学校を経て、早稲田大学に入学。卒業後の1965年に地元の岩手放送(現・IBC岩手放送)へ入社。入社後はテレビ制作部に配属され、10年間、番組制作に携わった。その後、東京支社に異動。1997年6月 取締役報道制作局長。1999年6月 常務取締役総合企画局長。2003年6月 専務取締役。2004年6月 代表取締役専務。2005年6月 代表取締役社長。2011年6月 代表取締役会長を務め、2015年時点では相談役を務めていた。
阿部 雄厚(あべ ゆうこう、1942年12月4日 - )は、… 阿部 雄厚(あべ ゆうこう、1942年12月4日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。弟は元プロ野球選手の阿部成宏。 花巻商業高校から1961年に近鉄バファローへ入団。高校一年から投手をつとめ、春の県大会では宮古高を剛速球とドロップのノーヒット・ノーラン・ゲームを演じ、注目を浴びた。今夏の県大会でも一試合平均10三振を奪取するなど、その剛速球には大洋、大毎も目をつけていた。1964年に引退。
佐々木 敏(ささき びん、本名:ささき さとし、1942年7… 佐々木 敏(ささき びん、本名:ささき さとし、1942年7月31日 - )は、日本の男性俳優、声優。岩手県出身。
小沢 一郎(おざわ いちろう、1942年〈昭和17年〉5月2… 小沢 一郎(おざわ いちろう、1942年〈昭和17年〉5月24日 - )は、日本の政治家。自由党所属の衆議院議員(16期)、自由党代表。
佐々木 洋平(ささき ようへい、1942年3月2日 ‐ )は… 佐々木 洋平(ささき ようへい、1942年3月2日 ‐ )は、日本の政治家。大日本猟友会会長。 衆議院議員(1期)、岩手県議会議員(4期)を歴任。 岩手県西磐井郡花泉町(現一関市)出身。岩手県立一関第一高等学校、東京農業大学を卒業後、鹿島建設が出資する牧場に就職。間もなく事業撤退により解散。解散後は一時盛岡市役所に勤務した。その後栃木県の酪農協同組合勤務を経て、地元で農業に従事していたが、1979年に岩手県議会議員に当選。当選後は自由民主党に入り、県議を4期務める。1993年自民党衆議院議員小沢一郎の離党に伴い自民党を離党し新生党系会派「研政会」を結成。翌1994年に新生党に入った。同年暮れ、新進党が結党され、同党に入党した。
大利根 勝子(おおとね かつこ、1942年〈昭和17年〉1月… 大利根 勝子(おおとね かつこ、1942年〈昭和17年〉1月6日 - 、本名:斎藤 勝子〈さいとう かつこ〉)は、女流の浪曲師。全盲。岩手県東磐井郡八沢村(現:一関市)生まれ。 「大利根勝子は五つの時に、流行り病をわずらって、三日三晩の高熱で、危うく命は助かるも、母の姿も見えぬ目に。咲き誇る花の薫りで春を知り、秋の夜長の虫の声、耳を傾けしみじみと、たとえこの眼は見えぬとも、聴いてくださる皆様の、熱い眼差し五体に受けて、行く末長くご贔屓を、高座(たかざ)ながらも願います」という今では珍しくなった自己紹介の外題付けを使い、1994年に東京都・浅草の木馬亭で復活し、2023年2月の引退興行まで活動していた。
本間 博文(ほんま ひろぶみ、 1942年 -2019年)は… 本間 博文(ほんま ひろぶみ、 1942年 -2019年)は、日本の建築史家。放送大学名誉教授。専門は、建築計画学、住居学、内モンゴル自治区での砂漠化防止に関する研究。 岩手県盛岡市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校、東北大学工学部建築学科卒業。 東京工業大学より工学博士の学位を取得(1977年(昭和52年))。博士論文は「大都市居住者の住要求の構造に関する研究」。 東京工業大学理工学部技官/助手、東京工業大学工学部助手、東京家政大学助教授、放送大学教養学部助教授、1989年に同教授に昇格。放送大学東京第二学習センター所長(1993年4月から1999年3月)、放送大学副学長(2009年4月から2011年4月)を歴任。
小野寺 悦子(おのでら えつこ、1942年 - )は、日本の… 小野寺 悦子(おのでら えつこ、1942年 - )は、日本の詩人、童話作家。 岩手県盛岡市で生まれ、県北、沿岸と岩手県内を転々とし、戦後水沢へ[要出典]。岩手県立水沢高等学校卒[要出典]。放送会社勤務後、創作活動に入る。1994年、『これこれおひさま』(のら書店)で、第42回産経児童出版文化賞推薦受賞。 ウォルター・デ・ラ・メアの『ピーコック・パイ』や、岸田衿子の『へんなかくれんぼ』に影響を受ける。 盛岡市在住[要出典]。
加藤 宏暉(かとう こうき、1942年 - 2011年3月1… 加藤 宏暉(かとう こうき、1942年 - 2011年3月11日)は、日本の政治家。岩手県上閉伊郡大槌町の町長(在任 2007年 - 2011年、1期)。
中津 文彦(なかつ ふみひこ、1941年12月23日 - 2… 中津 文彦(なかつ ふみひこ、1941年12月23日 - 2012年4月24日)は、日本の小説家。 岩手県一関市出身。本名は廣嶼文彦(ひろしま ふみひこ)。岩手県立一関第一高等学校、学習院大学政経学部卒業。ペンネームの由来は、家の傍に中津川が流れていたことから。 岩手日報社で報道記者として務めていた1982年、『黄金の砂(出版時は『黄金流砂』に改題)』で第28回江戸川乱歩賞を受賞した。その後、退社して作家活動に専念する。1985年には『七人の共犯者』で第12回角川小説賞を受賞した。 2012年4月24日、肝不全により逝去。70歳没。
波多野 杜夫(はたのもりお、1941年11月 - )は、日本… 波多野 杜夫(はたのもりお、1941年11月 - )は、日本の小説家。本名 波多野忠夫。
渡辺 克巳(わたなべ かつみ、1941年10月17日 - 2… 渡辺 克巳(わたなべ かつみ、1941年10月17日 - 2006年1月29日)は、岩手県盛岡市出身の写真家。新宿を舞台に活動した写真家の一人。 盛岡第一高等学校の定時制に通うかたわら、毎日新聞社盛岡支局で補助員の仕事に就き、写真の面白さを知る。 高校卒業後、国鉄に入社するが、写真への思いが断ちがたく1961年に上京。翌年から5年間、東條会館に勤務し、スタジオ撮影を学ぶ。 1965年から、新宿で「1ポーズ3枚1組200円」でポートレート撮影を請け負う「流しの写真屋」になる。 1973年、「カメラ毎日」6月号の新人写真家紹介ページ「アルバム」に「新宿・歌舞伎町」を発表し話題を呼ぶ。「新宿・歌舞伎町」はこの年の「アルバム」の最優秀作品に与えられる「カメラ毎日」アルバム賞を受賞。
横舘 英雄(よこだて ひでお、1941年〈昭和16年〉9月2… 横舘 英雄(よこだて ひでお、1941年〈昭和16年〉9月29日 - 2024年〈令和6年〉5月27日)は、元テレビ朝日アナウンサー。岩手県二戸市出身。
高橋 温(たかはし あつし、1941年7月23日 - )は、… 高橋 温(たかはし あつし、1941年7月23日 - )は、日本の経営者。住友信託銀行社長・会長を務めた。岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)出身。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1965年に京都大学法学部を卒業し、住友信託銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1998年3月に社長に就任。2005年6月に会長を経て、2011年4月には相談役に就任。 2007年6月に京阪電気鉄道社外取締役に就任。 岳父は通産省大臣官房審議官の池永光弥、光弥の母方叔父に青柳瑞穂がいる。
真理 明美(まり あけみ、1941年〈昭和16年〉5月4日 … 真理 明美(まり あけみ、1941年〈昭和16年〉5月4日 - 2017年〈平成29年〉8月8日)は、日本の女優。本名は、須川 久美子 (旧姓:及川 )。岩手県盛岡市出身。夫は映画監督の須川栄三(1998年死別)。身長162cm、B86cm、W58cm、H88cm(1974年3月)。 岩手県立花巻南高等学校卒業後、デパートガールを経て、松竹『モンローのような女』のヒロインに募集し金的を射止め、1963年に松竹入社。同作で主演デビューする。松竹は映画のタイトルに合わせ、芸名を真理明美とし、渡米させてマリリン・モンローの墓に詣でさせるなど鳴物入りの宣伝をしたが空振りに終わり、期待が大きかっただけにその反動で熱が冷めるのも早く、以降の作品は顔見せ程度の出演になった。
島地 勝彦(しまじ かつひこ、1941年4月7日 - )は、… 島地 勝彦(しまじ かつひこ、1941年4月7日 - )は、日本の雑誌編集者・エッセイスト・バーマン。 東京都世田谷区奥沢に生まれ、4歳から岩手県一関市で育つ。岩手県立一関第一高等学校、青山学院大学卒業。 大学卒業後集英社に入社。以後長きにわたり『週刊プレイボーイ』編集者を務め、1982年に同誌の編集長に就任。「「週刊プレイボーイ」を100万部雑誌に育て上げた人物」(日経ビジネス「乗り移り人生相談」参照)として有名になった。その後『月刊プレイボーイ』『Bart』などの編集長を歴任した後、同社取締役を経て、1998年に子会社の集英社インターナショナルの社長に就任した。 2008年11月に集英社インターナショナルを退社しエッセイストに転向。
菊地 洋一(きくち よういち、1941年 - )は、日本の土… 菊地 洋一(きくち よういち、1941年 - )は、日本の土木技術者。反原発活動家。 岩手県釜石市生まれ。1961年日本大学短期大学卒業後、建設コンサルタントとして様々な施設設計に携わる。知人から「原子力平和利用に力を貸してほしい」と請われて、1973年、アメリカ合衆国の電機メーカーゼネラル・エレクトリック(GE)の原発関連会社に入社。 1973年3月-1980年6月、GEの原子力事業部極東東京支社企画工程管理スペシャリストとして、東海第二発電所、福島第一原子力発電所6号機の建設の全体を統括し期限までに完成させる仕事に従事。 1980年にGEを退社。1981年よりアブダビで石油関連施設の建設(設計・施工管理)に従事。
中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - … 中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - ) は、日本の工学者。専門は電子工学。東北大学名誉教授。東北大学電気通信研究所所長や、岩手県立大学学長、映像情報メディア学会会長、公立大学協会副会長、全国公立短期大学協会副会長等を歴任した。 東京府生まれ。父は岩手県滝沢村出身のエンジニア。中学校から岩手県盛岡市で過ごし、1959年岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1963年東北大学工学部通信工学科卒業。1968年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。指導教官は岩崎俊一だが、永井健三も君臨していた。 1968年東北大学電気通信研究所助手。1971年東北大学電気通信研究所助教授。1987年東北大学電気通信研究所教授。
横山 紘一(よこやま こういち、1940年(昭和15年)10… 横山 紘一(よこやま こういち、1940年(昭和15年)10月28日 - 2020年(令和2年)7月13日)は、日本の天文学者。国立天文台・水沢観測センター長、国立天文台地球回転研究系研究主幹、国際地球回転・基準系事業第2代理事会会長、日本測地学会名誉会長などを歴任した。 岩手県江刺郡岩谷堂町(現:奥州市江刺岩谷堂)出身。岩谷堂中学校、岩手県立水沢高等学校を卒業し、京都大学理学部宇宙物理学科へ進学、卒業後は緯度観測所(現:水沢VLBI観測所)研究員となった。京都大学宇宙物理学教室の清水彊のもとで大学院に進む予定だったが、清水の指示により、当時新しい望遠鏡の導入に伴う定員増があった岩手県水沢市の文部省緯度観測所(現:水沢VLBI観測所)へ行くことになった。
小原 豊明(おばら とよあき、1940年(昭和15年)9月1… 小原 豊明(おばら とよあき、1940年(昭和15年)9月19日 - )は、日本の政治家・元官僚。元二戸市長。 岩手県二戸市出身。1963年(昭和38年)北海道大学農学部卒。1963年(昭和38年)厚生省に入省。同省国立公園部レンジャーを経て、1978年(昭和53年)環境庁設立の参画に加わり、同庁大気保全局に入局。1988年同庁同局課長、1991年(平成3年)同庁同局国立公園課長を務めたのち退職。 1992年(平成4年)二戸市長選に出馬し、当時の現職市長國分保男との一騎討ちによる選挙戦を制し初当選を果たす。以来、2006年(平成18年)1月1日に浄法寺町との新設合併により新たな二戸市が誕生するまでの間に4期連続で当選(うち2回は無投票)し、合併直後の2006年1月29日の市長選でも対立候補の元県議であった工藤篤を破って当選し新市の初代市長となり、2010年(平成22年)1月に当時の副市長小保内敏幸に市長を譲り、勇退するまで旧二戸市時代も含め計5期約18年に渡り市長を務めた。
花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没… 花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没年不明)は、岩手県岩手郡松尾村(現在の同県八幡平市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は遠藤 節夫(えんどう せつお)。身長178cm、体重130kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1968年1月場所)。 父、兄とも松尾鉱山の採鉱夫で、松尾鉱山中学校、松尾鉱山高校(定時制)時代は相撲部に所属して岩手県大会などに出場するなど活躍した。 高校時代に岩手県大会定時制の部で優勝したことにより大相撲にスカウトされ、高校を3年生で中退して花籠部屋に入門し、1958年(昭和33年)5月場所で初土俵を踏んだ。 1962年(昭和37年)9月場所で新十両に昇進し、その後19場所を要したが1965年(昭和40年)9月場所にて12勝3敗という好成績を収めて十両優勝を果たし、翌11月場所で新入幕を決めた。
渡邊 勉(わたなべ つとむ、1940年〈昭和15年〉5月21… 渡邊 勉(わたなべ つとむ、1940年〈昭和15年〉5月21日 - 2015年〈平成27年〉10月15日)は、日本の政治家。岩手県花巻市長(3期)。 岩手県花巻市出身。1963年(昭和38年)日本大学法学部卒業。翌年岩手県庁に入る。自治省勤務を経て、岩手県地方課主任、財政課主査、同企画調査係長、千厩県税事務所長、千厩地方振興局総務部長、県総務部財政課長、総務部長を経て、県庁を退職。1996年(平成8年)花巻市長に当選。市長は2005年(平成17年)に合併するまで3期務めた。2005年12月31日に退任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
志村 正浩(しむら せいこう、1940年3月4日 - 200… 志村 正浩(しむら せいこう、1940年3月4日 - 2009年4月26日)は、日本の脚本家・映画監督。岩手県花巻市出身。 ※年のみは製作会社が東映 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
山浦 玄嗣(やまうら はるつぐ、1940年 - )は、岩手県… 山浦 玄嗣(やまうら はるつぐ、1940年 - )は、岩手県大船渡市出身の医師、詩人、言語学者。 1940年、東京市大森区山王生まれ。出生後すぐに医師であった母親の故郷である岩手県釜石市に移り、同県気仙郡越喜来村や盛町に育つ。1966年に東北大学医学部を卒業、1971年には東北大学大学院修了(学位は医学博士)。その後、東北大学抗酸菌病研究所放射線医学部門助教授を務め、1986年に岩手県大船渡市で山浦医院を開業、2010年には山浦医院を運営する医療法人隆玄の理事長に就任した。 ケセン語の提唱者として有名で、1975年頃からケセン語の研究に取り組み、1990年に地方文化振興に尽力したことを認められ、岩手県教育表彰を受賞した。
伊藤 彬(いとう あきら、1939年 〈昭和14年〉 12月… 伊藤 彬(いとう あきら、1939年 〈昭和14年〉 12月7日 - 2025年 〈令和7年〉 1月12日)は、日本の政治家。元北上市長(3期)。位階は従五位。 岩手県北上市出身。岩手県立黒沢尻北高等学校、武蔵大学経済学部卒業。卒業後は東芝ビジネスマシンに入社する。 その後、帰郷し、北上市教育委員、同委員長に就任。ほか北上市で不動産会社を経営し、北上商工会議所会頭などを務める。 1999年の北上市長選挙で初当選。2003年と2007年の選挙で再選。2011年に退任した。 岩手県立黒沢尻北高等学校同窓会会長、職業訓練法人北上情報処理学園理事長、岩手県済生会支部長、北上さくらの会会長などを務めた。2012年に旭日小綬章を受章。
小島 良平(こじま りょうへい、1939年11月2日 - 2… 小島 良平(こじま りょうへい、1939年11月2日 - 2009年12月17日 )は日本のグラフィックデザイナー。 東京アートディレクターズクラブ会員、日本グラフィックデザイン協会会員、ニューヨークアートディレクターズクラブ会員、東京タイプディレクターズクラブ会員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山下 典子(やました のりこ、1939年4月5日 - )は、… 山下 典子(やました のりこ、1939年4月5日 - )は、日本のエッセイスト、アドバイザー、コメンテイター。ミス日本コンテスト関東大会委員長、山下塾主宰者。元夫は脚本家のジェームス三木。息子は俳優の山下規介。公認候補者として所属した自由連合では政策審議会審議委員を務めた。 本名、山下憲子。満洲国三江省で生まれる。1955年、岩手県立盛岡商業高等学校入学。上京後、文化服装学院在学中に三木と知り合い、1960年3月1日に結婚。ジェームス三木事務所を設立、20年間にわたって三木の秘書を務める。三木との間に二男一女を生む。 1988年秋、ごま書房から『女房学入門』を出版。この本の中で、三木の浮気相手が押しかけてきても慌てず騒がず、三木への電話の取次ぎまでした体験を語る。
及川 三千代(おいかわ みちよ、本名:及川ウメ子 1939年… 及川 三千代(おいかわ みちよ、本名:及川ウメ子 1939年3月19日 - 2014年4月5日)は日本の歌手である。 岩手県胆沢郡金ケ崎町出身。北上学園北上商業高等学校(現・専修大学北上高等学校)卒業。 高校卒業後、民謡保存協会で民謡の指導を受け、全国民謡大会で浅草に出演中認められて昭和31年(1956年)にテイチク・レコードの専属となる。 デビュー当時は本名の及川ウメ子で活動していたが、1958年に及川三千代に改められた。 1959年日本グラモフォン(ポリドール・レーベル)に移籍。 1962年12月31日、第13回NHK紅白歌合戦に初出場し、「愛と死のかたみ」を歌唱した。紅白での及川の歌唱中の写真が現存する。
前田川 克郎(まえだがわ かつろう、1939年2月9日 - … 前田川 克郎(まえだがわ かつろう、1939年2月9日 - 1998年11月4日)は、岩手県江刺市稲瀬(現役当時、現・同県奥州市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は高橋 勝郎(たかはし かつろう)。最高位は西関脇(1961年7月場所・1962年7月場所)。現役当時の体格は170cm、117kg。得意手は左四つ、寄り、突き、押し。大相撲の黄金時代の一つである、「柏鵬時代」に活躍した力士の1人である。 実家は農家。地元の草相撲で活躍していたが、中学2年生の時上京して高砂部屋に入門し、1952年9月場所にて13歳で初土俵を踏んだ。1954年春までは、中学に通いながら相撲を取っている。走るのは非常に苦手であったようであり、本人曰く「みんなが行くのの半分」との事であった。
林崎 千明(はやしざき ちあき、1938年〈昭和13年〉3月… 林崎 千明(はやしざき ちあき、1938年〈昭和13年〉3月25日 - )は、日本の海上自衛官。第20代海上幕僚長。 岩手県遠野市出身。遠野高校を経て防衛大学校(第4期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「ちくご」艦長、第2護衛隊群司令、海上幕僚監部防衛部長、大湊地方総監、佐世保地方総監等の要職を歴任し、第20代海上幕僚長に就任。