秋山 博子(あきやま ひろこ、1967年6月4日 - )は、… 秋山 博子(あきやま ひろこ、1967年6月4日 - )は、日本の青森放送(RAB)に在職する営業局次長・CM部長、ディレクターで、元アナウンサー。岩手県盛岡市出身。血液型はA型。身長は157cm。 1991年4月、実践女子大学卒業後、青森放送に入社する。 2003年3月、青森放送を退社し、フリーに転向。TBSテレビ『ベストタイム』のリポーターを担当する。 2004年9月、青森放送にアナウンサーとして復帰する。 2010年、NNSアナウンス大賞ラジオ部門を受賞。 2015年4月、報道局アナウンス部副参事。10月1日、報道局アナウンス部部長。 アナウンス職に携わる一方、同局での公開収録番組を兼ねたイベント「津軽弁の日」にも主催者である「津軽弁の日やるべし会」特別会員として出演。
三又 又三(みまた またぞう、1967年5月27日 - )は… 三又 又三(みまた またぞう、1967年5月27日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、YouTuber、不動産会社社員。 株式会社TAP、漫才協会所属。岩手県花巻市出身。1992年から2007年まで、山崎まさやを相方にお笑いコンビ・ジョーダンズのボケとして活動。旧芸名および本名は三又 忠久(みまた ただひさ)。血液型O型。 仙台育英学園高等学校卒業。ジョーダンズ結成前はコロッケに弟子入りし、付き人をしていた。当時コロッケにより命名された芸名はハムエッグ。 1992年に山崎まさやとジョーダンズを結成し正式にデビュー。ドラマ『3年B組金八先生』の武田鉄矢演じる坂本金八の物真似で人気を博する。 2004年頃に髪型を長髪から坊主に変更。
菅原 希(すがわら のぞむ、1967年〈昭和42年〉5月21… 菅原 希(すがわら のぞむ、1967年〈昭和42年〉5月21日 - )は、日本の総務官僚。 岩手県西磐井郡花泉町(現・一関市)出身。岩手県立一関第一高等学校を経て、1990年(平成2年)、東北大学法学部を卒業し、総務庁に入庁。 入庁後、行政管理局管理官、行政評価局評価監視官、同政策評価課長、同行政相談課長、同総務課長、総務省大臣官房政策評価広報課長、同政策立案支援室長などを歴任。 2019年(令和元年)7月5日、内閣府大臣官房審議官(地方分権改革担当)兼内閣府地方分権改革推進室次長兼内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)に就任。 2020年(令和2年)7月20日、総務省大臣官房審議官(行政管理局担当)に就任。
菊池 新吉(きくち しんきち、1967年4月12日 - )は… 菊池 新吉(きくち しんきち、1967年4月12日 - )は、岩手県遠野市出身の元サッカー選手、指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。サッカー指導者の菊池利三は実弟。 後述のように育った環境はお世辞にもいいとは言い難いものだったが、読売サッカークラブ入団後は藤川孝幸を抑えてレギュラーを獲得。Jリーグではヴェルディ川崎で三浦知良、武田修宏、ラモス瑠偉、北澤豪、ルイス・カルロス・ペレイラ、柱谷哲二、都並敏史等と共にスタメンの座を不動のものにする。Jリーグ開幕後は、地元・遠野で「菊池新せんべい」なるものが発売されたほどであった。 1993年にはシーズン15完封のJ1記録(2014年に浦和レッズの西川周作が抜かれるまでトップだった)、1stステージ2位と2ndステージ制覇と初代王座、1994年にはJリーグベストイレブン・日本代表にも選出され2年連続チャンピオンに貢献している。
三ヶ田 礼一(みかた れいいち、1967年1月14日 - )… 三ヶ田 礼一(みかた れいいち、1967年1月14日 - )は、1990年代に活躍したスキーノルディック複合の選手。
階 猛(しな たけし、1966年〈昭和41年〉10月7日 -… 階 猛(しな たけし、1966年〈昭和41年〉10月7日 - )は、日本の政治家、弁護士。中道改革連合所属の衆議院議員(8期)、中道改革連合幹事長兼選挙対策委員長。 総務大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、衆議院法務委員長、民主党役員室長、同岩手県連代表、民進党政務調査会長(第3代)、希望の党幹事長代理、国民民主党政務調査会長代行、同憲法調査会長、自誓会会長(第2代)を歴任した。 岩手県盛岡市生まれ。雫石町立雫石小学校、雫石町立雫石中学校、岩手県立盛岡第一高等学校卒業。2年間の浪人生活を経て、東京大学文科一類に入学。高校、大学では野球部に所属し、大学の野球部では投手を務めた。東大時代の同期に小林至がいる。
内舘 茂(うちだて しげる、1966年〈昭和41年〉9月28… 内舘 茂(うちだて しげる、1966年〈昭和41年〉9月28日 - )は、日本の政治家、実業家。盛岡市長(1期)。 岩手県盛岡市出身。盛岡市立杜陵小学校、盛岡市立下橋中学校、岩手県立盛岡第一高等学校を経て、学習院大学経済学部経営学科卒業。卒業後はTOTOに就職する。同社を退職した後は帰郷し、実家の住宅設備会社丸乃タイル株式会社で働く。2003年に同社の代表取締役社長となり、社名を株式会社マルノに変更した。 2015年の盛岡市長選に立候補し、民主・生活両党の推薦を受けたが、現職の谷藤裕明に敗れた。 2019年の盛岡市長選で再び立候補したが、現職の谷藤に再び敗れた。 2023年の盛岡市長選では3度目の挑戦となり、内舘が65,704票を得て当選、6期目を目指した現職の谷藤(得票数48,022票)を破った。
中村 格子(なかむら かくこ、1966年9月13日 - )は… 中村 格子(なかむら かくこ、1966年9月13日 - )は、日本の医師、医学博士、整形外科専門医、スポーツドクター。よこはま健康づくり広報大使。 岩手県盛岡市生まれ。父は法務官僚・検察官、母はピアノ教師。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校、横浜市立大学医学部を卒業。横浜市立大学附属病院、相模原協同病院、横須賀北部共済病院、自治医科大学整形外科助教、日光市民病院整形外科課長、国立スポーツ科学センタースポーツクリニック研究員を経て、2014年4月に東京都渋谷区の代官山にスポーツ整形外科専門のDr.KAKUKOスポーツクリニックを開業。東京有明医療大学の非常勤講師、横浜市立大学の客員教授。 30代半ばまでは臨床整形外科医として勤務。
岩渕 弘幹(いわぶち ひろもと、1966年7月3日 - )は… 岩渕 弘幹(いわぶち ひろもと、1966年7月3日 - )は、岩手県出身の元サッカー選手。現在は、川崎フロンターレ育成普及担当で専修大学サッカー部のコーチ。日本サッカー協会公認 S級ライセンス保持者。 岩手県立遠野高等学校から川崎フロンターレの前身チームである富士通サッカー部に入団。1995年に引退し、翌年より富士通サッカー部のコーチに就任。以降、川崎フロンターレのコーチ、ユース監督などを務めた。 2019年4月までは川崎フロンターレ育成普及担当・スクールグループ長・兼普及活動グループ長を務めながら専修大学サッカー部のコーチもしていたが、2019年4月より山梨学院大学サッカー部監督に就任した
広瀬 めぐみ(ひろせ めぐみ、1966年〈昭和41年〉6月2… 広瀬 めぐみ(ひろせ めぐみ、1966年〈昭和41年〉6月27日 - )は、日本の政治家、元弁護士。元参議院議員(1期)。 岩手県盛岡市中央通で、小田島旅館(現・ホテル小田島)を営む家に生まれる。11歳で父親が病死して母子家庭で育つ。岩手大学教育学部附属中学校卒業。1982年4月、岩手県立盛岡第一高等学校に入学。高校在学中、1年間米国に留学した。1986年4月、上智大学外国語学部英語学科に入学。1991年3月、上智大学外国語学部英語学科卒業。 1994年11月、高校の同級生の弁護士と結婚。自身も主婦から弁護士を目指し、1999年に司法試験に合格して2001年に弁護士登録した。第二東京弁護士会に所属。
大友 啓史(おおとも けいし、1966年5月6日 - )は、… 大友 啓史(おおとも けいし、1966年5月6日 - )は、日本の演出家、映画監督、元NHK職員。 岩手県盛岡市出身。盛岡市立上田中学校、岩手県立盛岡第一高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。1990年にNHK入局、秋田放送局にディレクターとして配属される。全国放送ドキュメンタリーを担当するほか、若者向けローカル番組、『NHKのど自慢』や『高校野球中継』など、さまざまな番組を担当。1994年からドラマ番組部に在籍。1997年から2年間、インターンとしてハリウッドの撮影現場や南カリフォルニア大学(University of Southern California)などで、ディレクティングや脚本創作などを学んだ。
エル・サムライ(1966年4月19日 - )は、日本の男性覆… エル・サムライ(1966年4月19日 - )は、日本の男性覆面レスラー。岩手県花巻市出身。血液型B型。本名:松田 納(まつだ おさむ)。 専修大学北上高等学校でレスリング部に所属。インターハイ・国体に出場するなど活躍。 1985年4月、新日本プロレスに入門。同期に飯塚孝之(後に飯塚高史)がいる。 1986年7月24日、船木優治戦でデビュー。 1991年3月、メキシコへ初遠征。UWAエリアを中心に活動し、マスクマンエル・サムライ(文字通りスペイン語で「侍」)となる。 1992年3月に凱旋帰国し、帰国当初はレイジング・スタッフと試合を行うことが多く、サムライもほぼ毎回のようにマスク剥ぎに遭う。同年4月、第三回TO OF THE SUPER Jr.に初出場。
山蔭 徳法(やまかげ とくのり、1966年4月2日 - )は… 山蔭 徳法(やまかげ とくのり、1966年4月2日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。 盛岡商業高では猪久保吾一とバッテリーを組み、3年夏の県大会では同年春の選抜でベスト4に進出した大船渡高に準々決勝で惜敗した。 1984年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから4位指名を受け入団。 一軍出場のないまま、1987年に現役を引退した。 引退後は日本ハムの打撃投手を経て、岩手県の社会人野球・クラブチームの盛友クラブに参加していた。
佐藤 清文(さとう せいぶん、1966年2月12日 - )は… 佐藤 清文(さとう せいぶん、1966年2月12日 - )は日本の文芸批評家。ローマ字表記はSeibun Satow。岩手県北上市出身。 国際基督教大学教養学部教育学科卒業、同大学院教育学研究科修了。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
卓田 和広(たくた かずひろ、1966年1月29日 - )は… 卓田 和広(たくた かずひろ、1966年1月29日 - )は、北海道放送(HBC)のアナウンサー。 岩手県宮古市出身。岩手県立宮古高等学校、青山学院大学経済学部卒業後、1990年4月に入社(同期は関博紀、近藤肇)。アナウンサーに採用後、1991年、帯広放送局へ転勤。帯広放送局ラジオ番組「とべとべ十勝」(平日 12:00 - 13:00)で好聴取率をマークした。3年間の帯広局勤務を経て、1994年に再び札幌本社へ異動。同時期に各放送局毎の地域別番組を縮小した事もあり、帯広放送局への配属アナとしては最後となった。 現在は、ワイド番組『グッチーの 今日ドキッ!』のリポーター、スポーツ中継(HBCファイターズナイターほか)、テレビ番組ナレーション、ラジオCMなど、ジャンル専念型が多いHBCアナウンサーの中では、数少ない幅広いジャンルでの活躍を見せる。
今野 健一(こんの けんいち、1965年12月25日 - )… 今野 健一(こんの けんいち、1965年12月25日 - )は、日本の技術者、実業家。日本ケミコン株式会社代表取締役社長(現職)。
太田 貴(おおた たかし、1965年11月28日 - )は、… 太田 貴(おおた たかし、1965年11月28日 - )は、岩手県盛岡市出身の元プロ野球選手(投手)。 盛岡市立高から、社会人野球の鷺宮製作所に進む。社会人時代は2年目から頭角を現し、右のオーバースローからストレートのMAXは148km/h程度。スライダー、カーブ、スピードが落ちずに小さく沈むというオリジナル・フォークを武器に通算72試合登板・32勝を記録した。 1988年オフに、ドラフト外で阪神タイガースに入団。 1993年4月20日には、二軍戦で打者27人のノーヒット・ノーランを達成するなど2軍ではトップクラスの選手だった。 しかし、一軍での登板数はあまり伸びず、1998年から打撃投手兼任になり背番号が30から106に変更となる。
五十嵐 和也(いがらし かずや、1965年10月24日 - … 五十嵐 和也(いがらし かずや、1965年10月24日 - )は岩手県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF(センターバック、右サイドバック)。 岩手県立遠野高校を卒業後、1984年に古河電工に入団。2年目の1985年にレギュラーの座を掴み、同シーズンの日本サッカーリーグ(JSL)優勝に貢献。1986-1987シーズンには日本のクラブとして初のアジア制覇となったアジアクラブ選手権のタイトルを獲得する。 1992年にJリーグが発足した後も古河電工の後身クラブであるジェフユナイテッド市原でプレーし、94年はレギュラーだった。1996年までプレー。ジェフ退団後は、当時関東リーグ所属の横河電機に移籍し、1999年より日本フットボールリーグ昇格、2000年シーズンで現役を退いた。
吉田 暢(よしだ とおる、1965年5月17日 - )は、岩… 吉田 暢(よしだ とおる、1965年5月17日 - )は、岩手県紫波郡紫波町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 現役時代はサイドバックとして古河電工/ジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)、ブランメル仙台(現:ベガルタ仙台)でプレーし、1997年に現役を引退。 1998年よりソニー仙台FCのコーチに就任。2001年からソニー仙台FCの監督に就任。2005年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。 2006年から2011年までグルージャ盛岡の監督を6年間務め、東北社会人サッカーリーグ1部で優勝4回、準優勝2回の成績を残した。2012年、グルージャ盛岡の育成・普及スタッフ代表統括に就任。
大村 友貴美(おおむら ゆきみ、1965年4月22日 - )… 大村 友貴美(おおむら ゆきみ、1965年4月22日 - )は、日本の小説家、推理作家、歴史小説作家。 岩手県釜石市出身。中央大学文学部史学科卒業。 2003年、第23回の横溝正史ミステリ大賞(2019年の第39回から、横溝正史ミステリ&ホラー大賞へ名称変更)で最終候補に残るが、同回は受賞作なし。2007年、『首挽村の殺人』で第27回の同賞の大賞を受賞し作家デビュー(桂美人の『ロスト・チャイルド』と同時受賞)。受賞作は綾辻行人に絶賛され、「21世紀の横溝正史」のキャッチコピーが付けられた。 『首挽村の殺人』、『死墓島の殺人』、『霧の塔の殺人』の3作は故郷の岩手県が舞台となっている。 デビュー作が「現代的な問題を抱えた地方社会を舞台に横溝世界を(21世紀に)甦らせた」といわれるように、その後も現代社会の宿痾に注視し、社会問題をベースとした作品を書いている。
木村 晃之助(きむら こうのすけ、本名:小島 俊明(こじま … 木村 晃之助(きむら こうのすけ、本名:小島 俊明(こじま としあき)、1965年4月21日 - )は大相撲の三役格行司である。岩手県一関市出身。九重部屋所属。血液型はO型。 1981年3月場所、木村俊明の名で初土俵。その後、晃之助に改名。 歴代の行司と比べても三本の指に入るほど、立合いには滅法厳しく、手をつかない力士に何度も手つきを促す様子が窺える。 時間いっぱいでの立合い前の姿勢は、他の行司と違い左足を前に出し、右足を後ろにして構えるという独特の所作を持っている。甲高く、リズミカルでテンポのよい、鋭い掛け声が特徴であるが、一時期はゆっくりとした掛け声もあった。十両格の時は高い声も出していて、独特の印象であった。
千葉 千枝子(ちば ちえこ、1965年4月11日 - )は、… 千葉 千枝子(ちば ちえこ、1965年4月11日 - )は、旅行ジャーナリスト、ファイナンシャルプランナー、起業家。淑徳大学経営学部長。岩手県釜石市生まれ。 1984年、東京都立富士高等学校を卒業し、中央大学経済学部に入学。1988年に同大学を卒業後、富士銀行に入行したが、翌年にシティバンクに、さらに翌年日本交通公社(現・JTB)に移籍。同社初の女性中途採用社員となり、団体旅行に携わる。 1996年に独立。有限会社「インペルアル・チエコ」を立ち上げる。1998年、旅行業取扱主任者資格を取得し、翌年にはフィナンシャルプランナーの資格も取得した。 2004年、日本旅行作家協会に入会。2006年に東京商工会議所入会。
林下 清志(はやしした きよし、1965年4月8日 - )は… 林下 清志(はやしした きよし、1965年4月8日 - )は、日本の実業家。テレビ朝日系のドキュメンタリー番組『痛快!ビッグダディ』にて、長年にわたる取材を受けたことから注目された。岩手県九戸郡山形村(現・久慈市山形町)出身。柔道整復師の国家資格を持つ。血液型O型。 タレント登録がされていない一般人だが、本業の傍ら、その知名度を活かして自伝を出版しイベントやテレビ番組に出演するなど、タレントのような活動(文化人枠)をしている。番組以来プロレスラーから取った「ビッグダディ」と呼ばれており、タレントのタモリから命名されたニックネームをもじって改名宣言した「コダカラー・清志」 は定着していない。
瀬川 英史(せがわ えいし、1965年4月2日 - )は、日… 瀬川 英史(せがわ えいし、1965年4月2日 - )は、日本の作曲家、編曲家。岩手県盛岡市出身。ミラクル・バス所属。 岩手県立盛岡第三高等学校を卒業後、上京して音楽専門学校に進学する。 1985年、シンセサイザー・プログラマー梅原篤の株式会社タイトロープに入社。その後独立してシンセサイザー・プログラマーとして活動し、数々のレコーディングに参加。1980年代後期から徐々にCM音楽作曲家として活動を始め、現在までに2000本以上のCM音楽を作曲。 1995年、アンティノス(ソニー・ミュージックエンタテインメント傘下)よりパワーポップバンド「Hooper」のギタリスト、ソングライターとしてデビュー。
郷右近 浩(ごうこん ひろし、1965年〈昭和40年〉3月2… 郷右近 浩(ごうこん ひろし、1965年〈昭和40年〉3月25日 - )は、日本の政治家。岩手県奥州市長(1期)。岩手県議会議員(5期)、奥州市議会議員(1期)、水沢市議会議員(1期)を務めた。 岩手県水沢市(現在の奥州市)出身。岩手県立水沢商業高等学校を卒業。卒業後は京都の和菓子店で4年間修業し、帰郷後は家業の菓子職人を経て、2003年、水沢市議会議員に当選。当選後、「憧れた政治家」という小沢一郎衆議院議員の後援会に入会。水沢市は2006年に奥州市となり、合併後の奥州市議会議員選挙に立候補し、当選し、1期務める。2007年の岩手県議会議員選挙に民主党から立候補し、当選。以後、県議を5期務める。
栗生澤 淳一(くりうざわ じゅんいち、1965年2月25日 … 栗生澤 淳一(くりうざわ じゅんいち、1965年2月25日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。元バレーボール日本男子代表。 現福井工業大学バレーボール部監督。 岩手県大船渡市出身。大船渡高、中央大学を経て、1987年日本たばこ産業(JT)広島支店に入社、日本たばこバレー部に入部。主力センターとして活躍した。 その活躍から全日本代表に選抜される。1992年バルセロナオリンピック出場、アジア選手権には3度出場し、1989年準優勝、1991年優勝、1993年3位に貢献した。 1994年から始まったVリーグにもJTサンダーズの一員として引き続き参加。1998年現役を引退。 直後から母校中央大学バレー部監督に就任し6年間務めた。
加藤 久雅(かとう ながまさ、1965年2月17日 - )は… 加藤 久雅(かとう ながまさ、1965年2月17日 - )は、株式会社愛企画所属の俳優。本名同じ。岩手県一関市出身。 身長182cm、体重72kg。血液型A型。特技は合気道(3段)、乗馬。趣味はボクシング。 倉本聰主催の富良野塾の第4期生。卒塾後、演技の勉強のためニューヨークへ渡った。現在、テレビドラマ、CMナレーション等で活動中である。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
高橋 善幸(たかはし よしゆき、1965年2月10日 - )… 高橋 善幸(たかはし よしゆき、1965年2月10日 - )は、日本の元ラグビー選手。現在ジャパンラグビーリーグワン釜石シーウェイブスRFCのシニアアドバイザーを務めている。 1980年黒沢尻工業高校に入学、高校2年時高校3年時に花園出場。 高校日本代表にも選ばれ3年生時には代表チームの主将も務めた。 1983年明治大学に進学しラグビー部に入部、4年時にはチームの主将となった。 1987年新日本製鉄に入社。釜石製鉄所に配属され、新日鉄釜石ラグビー部に入部し長年にわたり選手として活躍した。 1997年新日鉄釜石ラグビー部監督就任。 2001年新日鉄釜石ラグビー部を母体とする釜石シーウェイブス創立に伴い監督就任。
高橋 栄樹(たかはし えいき、1965年1月20日 - )は… 高橋 栄樹(たかはし えいき、1965年1月20日 - )は、日本の映画監督、ミュージック・ビデオ ディレクター。東北学院榴ヶ岡高等学校、日本大学芸術学部映画学科映像コース卒業。岩手県盛岡市出身。 大学生時代、ウィリアム・S・バロウズに関するビデオアート作品『Alone at Last』を制作し第2回ビデオテレビジョンフェスティバルでグランプリを受賞。ビル・ヴィオラらとともに作品上映され、以降ミュージック・ビデオ(MV)ディレクターとしての活動を開始する。1990年凸版印刷映像部に入社。そこでも数多くのMVを手がける。 中でもTHE YELLOW MONKEYの楽曲を多数手掛け、「SPARK」以降の楽曲(「パール」、「プライマル。
高島 覚(たかしま さとる、1965年1月7日 - )は、岩… 高島 覚(たかしま さとる、1965年1月7日 - )は、岩手県一関市出身の元プロ野球選手(投手)。
中村 司(なかむら つかさ、1965年 - )は、日本のサッ… 中村 司(なかむら つかさ、1965年 - )は、日本のサッカー選手、指導者。 1965年生まれ。岩手県岩手郡岩手町で生まれ育ち、沼宮内中学校から盛岡商業高校に進学して頭角を現し、日本ユース代表、第61回全国高校サッカー選手権大会で優秀選手に選出された。 高校卒業後、日立製作所サッカー部に入団したが、家庭の事情により引退し帰省した。 仕事の傍ら地元のサッカークラブや国体の選手として活躍し、現役引退後は2002年から2021年まで盛岡商業高校サッカー部のコーチを務めた。息子は藤枝順心高校監督の中村翔、娘はサンフレッチェ広島レジーナの中村楓。 2002年から2008年まで柏レイソル盛岡のコーチを務め、2009年にRENUOVENS OGASA FOOTBALLCLUBの代表となり指導にあたる。
源新英明(げんしん ひであき、1965年 - )は日本の大蔵… 源新英明(げんしん ひであき、1965年 - )は日本の大蔵・財務官僚。 岩手県生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校、上智大学法学部卒業。1988年 大蔵省入省(主計局総務課)。1992年 ケンブリッジ大学大学院修了(経済学修士)。1994年7月10日 小樽税務署長。2015年7月 財務省関税局総務課長。2016年6月17日 大臣官房会計課長。2017年7月7日 大臣官房付兼内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補)兼内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局企画・推進統括官。2019年7月 大臣官房付兼内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)兼内閣官房郵政民営化推進室副室長兼内閣官房郵政民営化委員会事務局次長。
小原 勝(おばら まさる、1964年〈昭和39年〉10月17… 小原 勝(おばら まさる、1964年〈昭和39年〉10月17日 - )は、日本の政治家。岩手県花巻市長(1期)。 岩手県花巻市生まれ。花巻市立南城小学校、花巻市立南城中学校、岩手県立花巻北高等学校卒業。1987年(昭和62年)に東北大学経済学部を卒業し、同年、岩手県庁職員となる。医療局経営管理課統括課長、総務部財政課総括課長、県土整備部副部長、医療局次長、医療局長、文化スポーツ部長を歴任する。2025年(令和7年)に岩手県庁を退職した。退職後1ヶ月間企業の役員を務めた。 2026年1月25日に行われた花巻市長選に立候補した。選挙戦では、約38年間の行政経験を強調した。元市議とNPO法人代表理事の2人を破り、初当選した。
木村 建(きむら けん、1964年7月5日 - )は、日本の… 木村 建(きむら けん、1964年7月5日 - )は、日本のギタリスト・作曲家・編曲家。愛称は Ken"dog"Kimura、キムにい、金犬(きむけん)くん、けんちゃん、理事長など。 岩手県盛岡市出身。岩手県遠野市で幼少期を過ごし、小学校低学年から高校卒業後までを宮城県仙台市で過ごした。 15歳でギターを始め、高校時代からバンド活動を行ってきた。大学入学とともに上京し、本格的な音楽活動を始め、大学卒業後から様々なアーティストサポートを行なっている。 1994年頃から小室哲哉の個人事務所に所属し、以降、現在まで自身が参加するバンド・ユニットなどの活動と並行して、多くのレコーディングやコンサートツアーにサポートメンバーとして参加している。
達増 拓也(たっそ たくや、1964年〈昭和39年〉6月10… 達増 拓也(たっそ たくや、1964年〈昭和39年〉6月10日 - )は、日本の政治家、外交官。岩手県知事(公選第16〜20代)。復興庁復興推進委員会委員。無所属。 衆議院議員(4期)、東日本大震災復興構想会議委員を歴任。 岩手県盛岡市出身。生家は炭屋。 1983年3月岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1988年3月、東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業。政治過程論の茅野修のゼミや国際問題研究会などに所属していた。大学卒業後は外務省に入省。同期入省には、船越健裕(外務事務次官)、赤松武(元南スーダン大使)、堤尚広(南スーダン大使)、松本太(シリア臨時代理大使)などがいる。1991年3月、ジョンズ・ホプキンズ大学国際研究高等大学院(SAIS)修了。
伊藤 達文(いとう たつふみ)または玉川 達文(たまかわ た… 伊藤 達文(いとう たつふみ)または玉川 達文(たまかわ たつふみ、1964年5月28日 - 2020年5月23日)は、日本のアニメーター、アニメ演出家・監督。スタジオコクピット所属。 岩手県盛岡市出身。郷里で、4人の同人グループ「アニメーションべろべろ」を結成して、アニメーターの金田伊功を主人公にした8ミリフィルムの自主制作アニメ『爆発超人・金田マン』を1985年夏にアマチュアフィルム上映会に出品、アニメ雑誌『アニメージュ』に取り上げられた。 2008年9月17日に同業者の伊藤真里子(いとうまりこ)と結婚し、伊藤姓に改めた。2020年5月23日、脳幹出血で死去。亨年55歳。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。
細川 秀勝(ほそかわ ひでかつ、1964年4月9日 - )は… 細川 秀勝(ほそかわ ひでかつ、1964年4月9日 - )は、岩手県出身で、静岡県を登録地とした日本競輪学校第58期生の元競輪選手。元サッカー選手(GK)。師匠は東晃(45期) 岩手県立盛岡商業高等学校入学時にサッカー部に入部。全国高等学校サッカー選手権大会では、1981年度に行われた第60回、1982年度に行われた第61回と2年連続で出場。61回大会ではベスト8を経験し、大会優秀選手と日本高校選抜に選ばれた。全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(インターハイ)でも1981年、1982年の両年度に出場した。 卒業後に国士舘大学に進学するも、1984年に日本サッカーリーグ1部の古河電工に加入。
津田 禎(つだ ただし、1964年2月21日 - )は、青森… 津田 禎(つだ ただし、1964年2月21日 - )は、青森テレビの社員で、元アナウンサー、報道部記者。 岩手県江刺市(現・奥州市江刺)出身。血液型はO型。岩手県立金ケ崎高等学校を経て、1987年に東洋大学文学部中国哲学文学科卒業後、ATVに入社(同期アナは2021年に退社した福士珠美)した。1990年代に報道部へ異動したが、2000年代にアナウンサーへ復帰した。愛称は「つんちゃん」。2016年から2017年までは大阪支社、2018年は弘前支社長、2022年時点では八戸支社長として活動していた。その後、本社総合戦略局営業戦略部の部長に異動。 ヘアスタイルはスキンヘッドに近い丸刈りで、おでこのところはあまり髪の毛が生えていない。
村上 ひろみ(むらかみ ひろみ、1964年1月4日 - )は… 村上 ひろみ(むらかみ ひろみ、1964年1月4日 - )は、日本の実業家。株式会社北洲代表取締役社長。 岩手県北上市出身。立教大学社会学部卒業。大学卒業後、松下電工株式会社に入社。 1990年、株式会社北洲ハウジングに入社。2001年、株式会社北洲取締役を経て、2005年、同社代表取締役社長に就任。年間売上170億円、従業員450名を抱える北洲のトップ。 1児の母で、趣味は美術鑑賞と旅行。 2023年、一般社団法人東北経済連合会 副会長 兼 地域政策委員会委員長、一般社団法人仙台経済同友会 副代表幹事、宮城県再生可能エネルギー等・省エネルギー促進審議会委員 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
八重樫 浩文(やえがし ひろふみ、1964年1月2日 - )… 八重樫 浩文(やえがし ひろふみ、1964年1月2日 - )は、日本の政治家、元地方公務員。岩手県北上市長(1期)。 岩手県北上市出身。岩手県立黒沢尻北高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。 1986年4月 岩手県庁職員(総務部地方振興課=現ふるさと振興部市町村課)。以降、企業立地課、(財)地域活性化センター出向、人事課、情報科学課、宮古市出向、全国知事会事務局出向等に就任。2009年4月 県南広域振興局総務部 特命課長(振興局再編担当)就任。 2010年4月 商工労働観光部 産業経済交流課 海外マーケット担当課長就任。2012年6月 秘書広報室 調査監就任。2015年4月 秘書広報室 秘書課総括課長就任。
千葉 行利(ちば ゆきとし、1964年 - )は、ケイファク… 千葉 行利(ちば ゆきとし、1964年 - )は、ケイファクトリー制作部所属のテレビドラマのディレクター、プロデューサー。ケイファクトリー取締役。岩手県水沢市(現・奥州市)出身。岩手県立水沢高等学校、上智大学文学部新聞学科卒業。
五日市 剛(いつかいち つよし、1964年 - )は、工学博… 五日市 剛(いつかいち つよし、1964年 - )は、工学博士。 岩手県二戸市生まれ。 国立宮城高専を卒業後、豊橋技術科学大学に編入学し、同大学院博士後期課程を修了。1988年からの2年間、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)の材料科学工学科(Dept. of Materials Science & Engineering)にイリノイ州のThe Rotary International財団から奨学金を得て留学。留学中の研究成果は修士論文にまとめられたが、同時に北京での国際会議および米国の権威ある学術誌で発表され、注目される。その後、Mechanical Alloyingの研究などで多数の論文を発表し学位を取得。
佐藤 嗣麻子(さとう しまこ、1964年 - )は、日本の脚… 佐藤 嗣麻子(さとう しまこ、1964年 - )は、日本の脚本家、映画監督、テレビドラマ演出家。岩手県水沢市(現・奥州市)出身。夫は映画監督の山崎貴。 岩手県水沢市(現・奥州市)出身。小学校時代は宮城県仙台市で過ごし、岩手県立水沢高等学校、阿佐ヶ谷美術専門学校卒業。 1987年、ロンドン・インターナショナル・フィルム・スクールへ留学。スクール卒業後、現地で就職し、6年間ロンドンに在住する。 1993年公開の『ヴァージニア(Tale of a Vampire)』で映画監督デビュー。東京国際ファンタスティック映画祭アボリアッツ大賞を受賞。 1995年公開の映画『エコエコアザラク -WIZARD OF DARKNESS-』でゆうばり国際ファンタスティック映画祭'95批評家賞(南俊子賞)を受賞。
菅原 初代(すがわら はつよ、1963年〈昭和38年〉11月… 菅原 初代(すがわら はつよ、1963年〈昭和38年〉11月14日 - 2023年〈令和5年〉3月9日)は、日本のフードファイター、タレント、実業家である。岩手県水沢市(現在の奥州市)出身。 中学校では数学が得意で、学級上位の成績を修めていた。部活では体操部で活動した。 岩手県立水沢高等学校に入学し、高校では新聞部で活動。三島由紀夫や太宰治、芥川龍之介などの文学全集を読破したという。 山形県立米沢女子短期大学卒業後、福島県で公務員司書として勤務する。 1998年、35歳で知人から紹介された男性と結婚。配偶者の転勤で青森県へ転居。 2002年に長男を出産する。 わんこそばの大食い大会で、2006年に「15分で289杯」を食して準優勝。
佐々木 拓(ささき たく、1963年10月24日 - )は、… 佐々木 拓(ささき たく、1963年10月24日 - )は、日本の政治家。岩手県陸前高田市長(1期)。元農林水産省官僚。 岩手県陸前高田市出身。陸前高田市立広田小学校、陸前高田市立広田中学校(現・陸前高田市立高田東中学校)、岩手県立高田高等学校を経て、1986年東京水産大学(現東京海洋大学)卒。 同年国家公務員試験(Ⅰ種)合格。農林水産省入省。在ロシア日本大使館一等書記官、農林水産省課長補佐、農林水産大臣政務官秘書官、石川県農林水産部次長、国立研究開発法人水産研究・教育機構経営企画部長、水産庁九州漁業調整事務所長、農林水産省水産庁参事官、水産貿易担当、輸出促進等を担当。 2022年12月、農林水産省を退職。
畑 浩治(はた こうじ、1963年9月28日 - )は、日本… 畑 浩治(はた こうじ、1963年9月28日 - )は、日本の建設官僚、政治家、行政書士。元衆議院議員(2期)。 国土交通省総合政策局情報企画課課長補佐、都市基盤整備公団公園企画課課長、独立行政法人都市再生機構営業推進室チームリーダー、民主党幹事長補佐、生活の党幹事長代理兼総合政策会議議長などを歴任した。 1963年、岩手県久慈市に生まれる。父親は大工であった。1981年、岩手県立盛岡第一高等学校を卒業した。上京して早稲田大学に入学、法学を専攻した。1985年、早稲田大学を卒業した。 「地域の発展に携わりたい」と考え、1987年に建設省に入省した。建設省の内部部局においては、1992年に道路局の道路総務課にて企画係の係長となり、第11次道路整備5か年計画の策定に携わった。
木戸口 英司(きどぐち えいじ、1963年〈昭和38年〉8月… 木戸口 英司(きどぐち えいじ、1963年〈昭和38年〉8月21日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(2期)。岩手県議会議員(1期)、岩手県知事政務秘書、自由党幹事長代理・両院議員総会長・参議院国会対策委員長などを歴任。 岩手県花巻市生まれ。岩手県立花巻北高等学校卒業後、1年間の浪人生活を経て千葉大学法経学部経済学科に入学。大学卒業間際、就職が内定していたものの小沢一郎の事務所から誘いを受け、卒業後は同所に入所し、小沢の私邸に住み込んで秘書を務める。 2003年、岩手県議会議員選挙に自由党公認で花巻市選挙区から出馬し、初当選した。2007年の岩手県議会議員選挙に出馬したが、落選。
吉田 戦車(よしだ せんしゃ、1963年8月11日 - )は… 吉田 戦車(よしだ せんしゃ、1963年8月11日 - )は、日本の漫画家。男性。岩手県水沢市(現:奥州市)出身。和光大学出身。第37回文藝春秋漫画賞受賞。妻は漫画家の伊藤理佐(お互いに再婚)。サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムの通訳を務めた千田善は従兄。 雑誌、新聞、WEBサイト等で漫画、エッセイ、挿絵、企業のキャラクターデザイン等を手がける。一時は不条理ギャグマンガの代表的な存在とされたが、その興味の中心は、人間以外の動植物、宇宙生物、さらには非生物までが意志や言葉を持つ、童話的ともナンセンスともいえる世界にある。動物やラーメンが突然喋りだしたりする現象は、『学活!!つやつや担任』では、皆が勝手に原因を決めつける繰り返しギャグとして、『おかゆネコ』では原因不明の奇病「しゃべり病」の一言で片づけられてしまっている。
岩手富士 祐一(いわてふじ ゆういち、1963年8月9日 -… 岩手富士 祐一(いわてふじ ゆういち、1963年8月9日 - 2020年12月18日)は、朝日山部屋に所属した元力士。本名は鈴木 祐一(すずき ゆういち)、岩手県江刺市(現・奥州市)出身、神奈川県川崎市育ち。身長185cm、体重133kg。最高位は東十両6枚目(1988年11月場所)。得意手は左四つ、寄り。 川崎市内の中学校を卒業後、朝日山部屋へ入門し、1979年3月場所で初土俵。初土俵から2年程で幕下へ昇進するが、幕下上位で壁に当たり苦戦した。1985年3月場所から四股名を「岩手富士」へ改名してからは順調に番付を上げ、1986年1月場所で十両に昇進する。なお、17代朝日山(元小結・若二瀬)が朝日山部屋を継承してから、初めて誕生した関取であった。
長谷場 久美(はせば くみ、現姓:浅田、1963年7月27日… 長谷場 久美(はせば くみ、現姓:浅田、1963年7月27日 - )は、日本の元ウエイトリフティング選手で、現在は指導者。岩手県釜石市生まれ、茨城県水戸市育ち。日本における女子ウエイトリフティングのパイオニア。常磐大学高等学校・東京女子体育大学卒業。夫である浅田浩伸もウエイトリフティング選手。 中学時代はバスケットボール部所属で、大学まで陸上の砲丸投げ選手として活躍。卒業後の1986年に教員として埼玉栄高校に赴任後も砲丸投げを続けるが、トレーニングでバーベルを上げる姿が日本ウエイトリフティング協会関係者の目に留まり、転向。翌年に埼玉県立スポーツセンターで開催されたアジアウエイトリフティング選手権の公開競技に加藤令子とともに参加。