高橋 文五郎(たかはし ぶんごろう、1893年11月28日 … 高橋 文五郎(たかはし ぶんごろう、1893年11月28日 - 1978年3月19日)は、日本の実業家、政治家、参議院議員(2期、自由民主党)。 宮城県栗原郡若柳町(現・栗原市)出身。1915年早稲田大学商学部卒。卒業後は七十七銀行に入り、支店長となる。その後、家業の醸造業を継ぎ、のち栗原鉄道(株)を創立、社長に就任する。 若柳町長(1935.11.28-1943.8.15)を務めたが、戦時中に地元の大政翼賛会の役員をしていたため、戦後、公職追放となる。 宮城県議を5期務め、議長を2期務める。1965年、高橋進太郎の宮城県知事選出馬による参議院補欠選挙で当選。同年春の叙勲で勲四等瑞宝章受章。1968年の第8回参議院議員通常選挙で再選した。
一力 次郎(いちりき じろう、1893年(明治26年)8月1… 一力 次郎(いちりき じろう、1893年(明治26年)8月12日 - 1970年(昭和45年)7月7日)は、日本の実業家。河北新報社元社長、会長、社主。 河北新報社創業者である一力健治郎の次男として宮城県仙台市に生まれる。 1917年京都帝国大学法学部卒業後、コロンビア大学、オックスフォード大学に留学し法律学、新聞学を専攻。帰国後、東京にて弁護士を開業する。 1924年(大正13年)1月1日河北新報社入社。副社長として、父を補佐する。 1929年(昭和4年)には父が逝去したことに伴い社長に昇格する。また、弟である五郎が実質的な副社長として兄を補佐した。 社長、会長時代は東北の振興に力を注ぎ、東北開発三法(北海道東北開発公庫法、東北開発株式会社法、東北開発促進法)の制定に傾注した上、政府の東北開発審議会委員となり、計画の策定や実施に貢献した。
柳沢 七郎(やなぎさわ しちろう、1890年〈明治23年〉9… 柳沢 七郎(やなぎさわ しちろう、1890年〈明治23年〉9月25日 - 1978年〈昭和53年〉1月25日)は、元住友金属工業社長。 1890年宮城県大崎市の小松家に生まれ、のちに東京都の柳沢家の養子となる。宮城県古川高等学校、東北大学卒業。 1916年 住友製鋼所入社。1921年住友金属工業設立により住友金属工業に移籍。 1945年11月30日に専務取締役に就任し、1946年1月21日に取締役社長に就任、公職追放により1947年4月21日に取締役社長を辞任した。 1967年勲三等瑞宝章を受章。1978年に死去した。
伊澤 平馬(いさわ / いざわ へいま、1887年(明治20… 伊澤 平馬(いさわ / いざわ へいま、1887年(明治20年)5月10日 - 1940年(昭和15年)4月1日)は、明治から昭和期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 宮城県仙台区(現仙台市)で実業家・伊澤平左衛門の三男として生まれる。1907年(明治40年)宮城県立仙台第二中学校(現宮城県仙台第二高等学校)を卒業。また、醸造試験所(現酒類総合研究所)講習所を修了した。 1907年以降、家業の酒造業に従事。また、仙台平機業社長、仙台染織製綿社長、東北貯蓄銀行取締役、七十七銀行取締役、宮城銀行取締役、仙台瓦斯取締役、仙北鉄道取締役、宮城電気鉄道取締役などを務めた。その他、宮城県連合保護会理事、吉田高等女学校(現聖和学園高等学校)理事長、第二中学校奨学会監事、日本赤十字社宮城県支部商議員、仙台市社会事業協会委員、仙台育英会評議員、仙台市政振興会委員、警防団長なども務めた。
星 廉平(ほし れんぺい、1886年(明治19年)1月1日 … 星 廉平(ほし れんぺい、1886年(明治19年)1月1日 - 1967年(昭和42年)6月23日)は、明治末から昭和前期の日本の実業家・政治家。衆議院議員。幼名・博。 宮城県登米郡、のちの佐沼町(迫町を経て現登米市迫町佐沼)で、呉服商・先代星廉平、まつゑ の長男として生まれた。1900年(明治33年)家督を相続し廉平を襲名し呉服商を営む。1905年(明治38年)宮城県立第二中学校(現宮城県仙台第二高等学校)を卒業し、陸軍省臨時嘱託となり満州、朝鮮の経済状況調査の視察を行う。この経験から政界への関心を持つようになった。 1911年(明治44年)9月、宮城県会議員に選出され、1912年(大正元年)10月まで在任。
内田 隆(うちだ たかし、1879年(明治12年)3月30日… 内田 隆(うちだ たかし、1879年(明治12年)3月30日 - 1963年(昭和38年)7月11日)は、日本の台湾総督府・内務官僚、実業家。官選秋田県知事。旧姓・長田。 福島県出身。長田庄衛の二男として生まれた。福島県立安積中学校、宮城県立仙台第二中学校を経て、第二高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。東洋拓殖を経て、1911年、朝鮮総督府に入り農商工部属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内田家に夫婦養子となり改姓した。 以後、青島守備軍民政部事務官、台湾総督府事務官、同殖産局長などを歴任。 秋田県出身の川村竹治台湾総督に仕えたことがきっかけで、1931年12月、犬養内閣により秋田県知事に任じられた。
佐藤 庄助(さとう しょうすけ、1876年(明治9年)10月… 佐藤 庄助(さとう しょうすけ、1876年(明治9年)10月4日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員。 水沢県栗原郡有馬村有壁(宮城県栗原郡萩野村、金成町を経て現栗原市金成有壁)で、旧有壁宿本陣の佐藤家に生まれた。札幌農学校を卒業し、さらに慶應義塾、養正塾、セントアンドリーチャーチ英語学校で学んだ。農業を営む。 1896年(明治29年)徴兵され陸軍騎兵少尉となり除隊。1903年(明治36年)9月、宮城県会議員に選出された。1904年(明治37年)6月に応召して県議を辞職し、満州軍に属して日露戦争に出征した。陸軍騎兵中尉に昇進して除隊。
相馬 黒光(そうま こっこう、1876年(明治9年)9月12… 相馬 黒光(そうま こっこう、1876年(明治9年)9月12日 - 1955年(昭和30年)3月2日)は、夫の相馬愛蔵とともに新宿中村屋を起こした実業家、社会事業家である。旧姓は星、本名は良(りょう)。 旧仙台藩士・星喜四郎、巳之治(みのじ)の三女として仙台に生まれた。星家の婿養子だった父は仕事のため別居していた。8歳のときに一家の柱であった漢学者の祖父が死去、十代前半には姉の発狂、父親の癌発病、弟の病気による右足切断が立て続けて一家を襲い、笑わない子となる。少女期より横浜バンド出身である押川方義の教会「仙台日本基督教会」へ通い、14歳で洗礼を受けた。 小学校初等科卒業後、裁縫学校に進むが、進学を強く希望し、1891年に、学費の安かったミッションスクール宮城女学校(現・宮城学院中学校・高等学校)に入学が叶った。
中村 税(なかむら みつぐ、明治9年(1876年)8月8日 … 中村 税(なかむら みつぐ、明治9年(1876年)8月8日 - 昭和40年(1965年)11月26日)は、日本の実業家。元小松製作所代表取締役社長。俳優の中村伸郎は養子。 宮城県遠田郡涌谷町出身。1902年東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業し、日本郵船に入社。日本郵船ロンドン支店長、猪苗代水力電気調度課長、東京電燈役員などを経て、戦後恐慌下で経営再建にあたるため、小松製作所專務取締役に招聘され、1934年から小松製作所社長。1946年から小松製作所会長。 俳優の中村伸郎は養子。
佐藤 亀八郎(さとう かめはちろう、1871年11月20日(… 佐藤 亀八郎(さとう かめはちろう、1871年11月20日(明治4年10月8日) - 1936年(昭和11年)7月15日)は、日本の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員、宮城県農工銀行頭取、宮城県販売購買組合理事長。 仙台県名取郡柳生村(宮城県名取郡中田村を経て現仙台市太白区柳生)で、素封家・佐藤惣十郎の長男として生まれる。1889年(明治22年)宮城農学校、1896年(明治29年)和仏法律学校(現法政大学)を卒業。1903年(明治36年)に家督を相続し、同年、宮城県会議員(-1927年(昭和2年))に当選する。その他、中田村会議員、宮城県農会長、同県産米改良協会会頭、帝国農会議員、仙台商業会議所常議員などを務めた。
十文字 大元(じゅうもんじ だいげん、1868年11月28日… 十文字 大元(じゅうもんじ だいげん、1868年11月28日(明治元年10月15日) - 1924年12月21日)は、日本の実業家、活動写真弁士、自彊術家である。金門製作所創立者、日本初の活動写真弁士のひとりであり、自彊術の命名者である。 1868年(明治元年)、陸奥国遠田郡涌谷(現在の宮城県遠田郡涌谷町)に生まれる。父親は陸前仙台藩の支藩である涌谷藩の師範家・十文字秀雄、兄に政治家・実業家の十文字信介がいる。 1890年(明治23年)にアメリカ合衆国に渡り、カリフォルニア州サンフランシスコで過ごす。帰国して、1894年(明治27年)、東京・神田須田町に兄信介ともに十文字商会を開業する。のちに独立して開業する金門商会は、同地のゴールデンゲートブリッジ(金門橋)にちなんだものである。
斎藤 仁太郎(齋藤、さいとう じんたろう / にたろう、18… 斎藤 仁太郎(齋藤、さいとう じんたろう / にたろう、1865年4月12日(慶応元年3月17日)- 1933年(昭和8年)4月22日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、宮城県桃生郡赤井村長。 陸奥国桃生郡赤井村(宮城県桃生郡深谷村、赤井村、矢本町を経て現東松島市赤井)で、農業・斎藤恒治の長男として生まれた。漢籍を修めた。農業を営む。1881年(明治14年)赤井小学校教員となる。 1884年(明治17年)広淵村外4ヵ村戸長役場筆生に就任。深谷村会議員、桃生郡会議員、同参事会員を務めた。日清戦争、日露戦争に従軍。1907年(明治40年)赤井村収入役となり、助役を経て、1908年(明治41年)同村長に就任。
一力 健治郎(いちりき けんじろう、文久3年9月25日(18… 一力 健治郎(いちりき けんじろう、文久3年9月25日(1863年11月6日) - 昭和4年(1929年)11月5日)は、日本の実業家。河北新報社創業者(社主)。旧姓鈴木。宮城県平民。 河北新報元社長の一力次郎の父。元河北新報社社主の一力一夫の祖父。河北新報社社長の一力雅彦の曾祖父。囲碁棋士の一力遼の高祖父。 太町の唐物商の鈴木作兵衛の四男として生まれた。後に隣家の茶商である一力松治郎の養子となる。東華学校、第二高等中学校を卒業後、上京。国民英学会にて学ぶ。また、第二高等中学在学中には、くまじ夫人との間にすでに、一男一女をもうけていた。 仙台での書店経営で実業界入りし、植林会社(宮城植林株式会社)を興し創業。
伊澤 平左衛門(いさわ / いざわ へいざえもん、1862年… 伊澤 平左衛門(いさわ / いざわ へいざえもん、1862年12月28日(文久2年11月8日) - 1934年(昭和9年)6月9日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(2期)。貴族院多額納税者議員。 仙台に醸造家伊澤平藏(3代目)の長男に生まれる。父の跡を継ぎ、1907年に仙台市会議員、その後、同参事会員などを務めた。1915年に宮城貯蓄銀行、1919年に塩釜銀行の各頭取に、1920年に仙台ガス社長に就任した。 同年の総選挙では立憲政友会から出馬を要請されたが、一族に反対された。しかし、政友会本部は岡崎邦輔を仙台に派遣し、伊澤を説き伏せ、正式に立候補となった。これにより、憲政会の村松亀一郎との争いになり、当選し、激しい選挙戦を制した。
荒井 泰治(あらい たいじ、1861年6月23日〈文久元年5… 荒井 泰治(あらい たいじ、1861年6月23日〈文久元年5月16日〉- 1927年〈昭和2年〉3月3日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員(1911年 - 1918年)。日本統治時代の台湾で事業を興し財を成した。 仙台に町奉行であった荒井加右衛門の分家に生まれる。宮城県士族荒井盛行の長男。明治維新後、東京に出て法律とフランス語を学びながら新聞記者となる。1885年(明治18年)には大阪新報社編集長。中江兆民の門下となる。 日本銀行総裁で同郷の富田鉄之助に見い出されて日本銀行に入り、富田の秘書となったが、富田が日本銀行を去ると荒井も去った。その後、鐘淵紡績に入り、1890年(明治23年)には鐘淵紡績支配人となる。
山田 義三郎(やまだ ぎさぶろう、1861年3月9日(文久元… 山田 義三郎(やまだ ぎさぶろう、1861年3月9日(文久元年1月28日) - 1924年(大正13年)3月21日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 陸奥仙台藩領登米郡、のちの登米町(現登米市)で、商家・山田東十郎の長男として生まれる。1893年(明治26年)11月、家督を相続した。1894年(明治27年)登米郡会議員に当選。1899年(明治32年)から宮城県会議員を4期務めた。ほか、登米町会議員、宮城県参事会員、登米汽船、登米製糸各社長、宮城貯蓄銀行取締役、宮城県繭糸同業組合長などを歴任した。仙北鉄道設立の発起人にも名を連ねた。 1909年(明治42年)宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年10月9日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。
星 松三郎(ほし まつさぶろう、1855年6月11日(安政2… 星 松三郎(ほし まつさぶろう、1855年6月11日(安政2年4月27日)- 1906年(明治39年)4月18日)は、明治期の実業家・政治家。衆議院議員。 宮城県登米郡、のちの佐沼町(迫町を経て現登米市迫町佐沼)で、商人・星松治郎の第七子(二男)として生まれた。村の儒者・中村竹徑に師事し、さらに英学を修めた。1875年(明治8年)から水害救民救恤係、勧業世話役、衛生委員、学校世話役などを務めた。 その後上京して商業を営むが不景気となり、1884年(明治17年)から1886年(明治19年)にかけて全国の民情視察を2回実施して、その報告書を作成して頒布した。1886年10月には欧米の政治経済の視察旅行を行った。
永沢 清之助(ながさわ せいのすけ、1855年(安政2年4月… 永沢 清之助(ながさわ せいのすけ、1855年(安政2年4月)- 1906年(明治39年)6月28日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家、大地主。貴族院多額納税者議員。 陸奥仙台藩領志田郡古川村(古川町、古川市を経て現大崎市古川)に生まれる。1889年(明治22年)古川町会議員に当選したのを皮切りに、志田郡会議員、宮城県農工銀行、同商業銀行、古川馬車鉄道各取締役などを歴任した。 1904年(明治37年)高橋徳右衛門の後を受けて宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から務めたが、在任中に死去した。
斎藤 善右衛門(さいとう ぜんえもん、安政元年閏7月28日(… 斎藤 善右衛門(さいとう ぜんえもん、安政元年閏7月28日(1854年9月20日) - 1925年(大正14年)7月25日) は、戦前宮城県の資産家、政治家、実業家。石巻市黒沢斎藤家9代目。名は有成。前谷地村二等戸長、斎藤株式会社社長、財団法人斎藤報恩会理事長、仙台信託取締役社長。 安政元年閏7月28日(1854年9月)、黒沢斎藤家の8代斎藤善次右衛門の長男として陸奥国桃生郡前谷地村黒沢に生まれた。幼名は養之助。黒沢斎藤家は東北三大地主と称される大地主の近代資産家であった。 地元で増田小五郎に四書五経の句読を受け、慶応3年(1867年)仙台に出て叔母すゑの白幡嘉膳宅に住み、藩校養賢堂に通い、秋保太輔に経史、桜田景輔に剣道を学んだ。
熱海 孫十郎(あずみ / あたみ まごじゅうろう、1848年… 熱海 孫十郎(あずみ / あたみ まごじゅうろう、1848年2月13日(嘉永元年1月12日)- 1924年(大正13年)3月19日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。貴族院多額納税者議員。 陸奥国栗原郡文字村(栗駒町を経て現:栗原市)に千葉忠蔵の子として生まれる。のち、一迫の熱海多藏の養子になる。1879年宮城県会が発足するとその議員になる。その後、栗原、志田、玉造の各郡長となり、1890年の第1回衆議院議員総選挙に宮城県第4区(当時)から立候補して当選した。1892年の第2回衆議院議員総選挙で落選。1897年9月29日に貴族院議員に就任し、1900年8月29日まで在職した。 この他七十七銀行頭取や宮城県農会副会長なども歴任した。
高橋 徳右衛門(たかはし とくえもん、1845年6月20日(… 高橋 徳右衛門(たかはし とくえもん、1845年6月20日(弘化2年5月16日) - 1915年(大正4年)4月28日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家、大地主。貴族院多額納税者議員。幼名・幸治郎。 陸奥仙台藩領栗原郡若柳村(宮城県若柳町を経て現栗原市)に生まれる。1884年(明治17年)若柳村会議員に当選。ついで宮城県会議員、栗原郡会議員、同参事会員のほか、栗原郡岩ヶ崎製糸会社社長、塩釜水産、第八十八銀行各取締役、第七十七銀行監査役などを歴任した。ほか、仙台米穀取引所の設立に関与した。 1900年(明治33年)宮城県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年11月29日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。
千葉 胤昌(ちば たねまさ、1843年1月11日(天保13年… 千葉 胤昌(ちば たねまさ、1843年1月11日(天保13年12月11日)- 1914年(大正3年)1月11日)は、明治期の公吏、農業経営者、政治家。衆議院議員。幼名・丹三郎。 陸奥国栗原郡文字村上葛峰(宮城県栗原郡文字村、栗駒町を経て現栗原市栗駒文字)で、素封家・千葉忠蔵の長男として生まれた。農業を営む。 1870年(明治3年)水沢県附属に就任し同年12月に辞職。1873年(明治6年)7月、水沢県第6大区学区取締掛に任じられ、1874年(明治7年)8月に廃職となる。 1877年(明治10年)県会の前身である共議会議員に就任。1879年(明治12年)1月、宮城県会議員に選出され1890年(明治23年)2月まで3期在任し、常置委員も3期務めた。
南条 文五郎(南條、なんじょう ぶんごろう、1842年11月… 南条 文五郎(南條、なんじょう ぶんごろう、1842年11月16日(天保13年10月14日)- 1905年(明治38年)4月4日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 陸奥国栗原郡太田村(宮城県栗原郡太沢村、玉沢村、築館町字太田を経て現栗原市築館太田)で、肝煎(庄屋)・南条彦作(親章)の二男として生まれた。普通学、武道を修めた。農業を営む。 1871年(明治4年)太田村副戸長に就任。1880年(明治13年)5月に宮城県会議員に選出され、1902年(明治35年)8月15日の辞職まで8期在任し、常置委員、参事会員、地方衛生会委員、徴兵参事員なども務めた。その他、太沢村会議員、玉沢村会議員、栗原郡会議員にも在任した。
大庭 長九郎(おおば ちょうくろう、1840年(天保11年6… 大庭 長九郎(おおば ちょうくろう、1840年(天保11年6月)- 1909年(明治42年)11月15日)は、明治期の政治家、実業家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。諱・実次。 陸奥国栗原郡堀口村(宮城県栗原郡姫郷村、志波姫村字藤木、志波姫町を経て現栗原市)の農家に生まれる。金融業により一代で富を築いた。養蚕、製糸を奨励し地域の振興に尽力した。宮城商業銀行監査役、築館税務署営業税調査係顧問、日本赤十字社特別社員なども務めた。 1889年(明治22年)志波姫村長に就任。栗原郡会議員にも選出され、1890年(明治23年)宮城県会議員に就任した。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙に宮城県第四区から出馬して当選し、その後、第5回総選挙でも再選され衆議院議員を通算2期務めた。
3代 伊澤 平藏(いさわ / いざわ へいぞう、1838年(… 3代 伊澤 平藏(いさわ / いざわ へいぞう、1838年(天保9年)12月 - 1911年(明治44年)3月19日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・板橋。幼名・哲右衛門。衆議院議員、貴族院議員伊澤平左衛門の父。 陸奥国宮城郡笠神村(現・宮城県多賀城市)に生まれる。仙台に出て、醸造業伊澤平藏(2代目)の元で働き、平藏の娘を娶り婿養子となる。1889年(明治22年)仙台市が施行されると市会議員となる。同参事会員、宮城県会議員、仙台市長代理などを歴任する。この間、仙台商業会議所の議員を発足時(1891年)から務め、同副会頭(1899年)、同会頭(1904年)に就任した。 1906年(明治39年)に宮城県多額納税者として貴族院議員補欠選挙で互選され、同年9月29日から1908年(明治41年)7月2日まで務めた。
咲嬉 は、日本の実業家、資産形成コンサルタントとして金融分野… 咲嬉 は、日本の実業家、資産形成コンサルタントとして金融分野で活躍。1級ファイナンシャル・プランニング技能士(国家資格)を持ちながら、女優、タレント活動を行う。株式会社プリエ―ヴ(アパレル会社)代表取締役、一児の母、夫はミュージカル俳優で歌手の田代万里生。
岩瀬 昭典(いわせ あきのり)は、河北新報社東京支社長。
細谷 浩司(ほそや こうじ)は、ブラジル日本通運社長。宮城県… 細谷 浩司(ほそや こうじ)は、ブラジル日本通運社長。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。
斎藤 智恵子 は、日本の実業家。東京都台東区浅草のストリップ… 斎藤 智恵子 は、日本の実業家。東京都台東区浅草のストリップ劇場であるロック座の元社長、後に会長、名誉会長。昭和中期に「東 八千代 」の芸名で踊り子(ストリップダンサー)として活動した後、経営者に転向し、日本一といわれる劇場チェーンを築き上げた。その男勝りの性格や様々な武勇伝から「伝説の女傑」「浅草のドン」「浅草のゴッドマザー」とも呼ばれた。勝新太郎ら数多くの芸能人の支援、ビートたけしとの交友でも知られた。宮城県白石町(後の白石市)出身。
小泉 勝志郎(こいずみ かつしろう、7月19日 - )は、日… 小泉 勝志郎(こいずみ かつしろう、7月19日 - )は、日本の経営者、プログラマ、大学非常勤講師、ラジオパーソナリティ、ゲームクリエイター。株式会社テセラクト代表取締役社長。一般社団法人コード・フォー・ジャパン理事。シニアプログラミングネットワーク代表。渚の妖精ぎばさちゃん運営。総務省地域情報化アドバイザー。 宮城県塩竈市出身。東北学院中学校・高等学校、東北大学工学部土木工学科卒業。東北大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了。 仙台のソフトウェア会社に勤務していたが東日本大震災をきっかけに独立。2015年7月27日に株式会社テセラクトを起業。 2014年5月にCode for Shiogamaが浦戸諸島で開催したイベント「島ソン」でアカモク販売促進の目的で渚の妖精ぎばさちゃんを作成する。
気仙沼ちゃん(けせんぬまちゃん、本名:白幡 美千子)は、宮城… 気仙沼ちゃん(けせんぬまちゃん、本名:白幡 美千子)は、宮城県気仙沼市出身の元女性タレント、実業家(民宿経営者)。 実家は7人家族で家業は魚加工業。特技は水泳で平泳ぎ、珠算で簿記検定2級(いずれも1978年時点)。 建設会社の事務員をしていたが、1977年に友人に付き合う形で「欽ドン劇団」一般公募に応募。オーディションに合格し、1977年から1978年にかけて、フジテレビ系の番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(欽ドン!)に出演。合格後も事務員の仕事を続けながら、週1、2回ほど収録や仕事の度に気仙沼の実家から東京へ通う生活をしていた。欽ドン劇団の7人の合格者はその場で、「静岡ちゃん」「別府ちゃん」などと出身地名で呼ばれることになり、そういった流れで当人も「気仙沼ちゃん」と名付けられた。